後日譚13 ルシア・スアレス

「貴様は『人間』か」と、こいつは聞いた。

 それは、相手を不愉快にさせるには十分過ぎる発言だ。ケンカを売っていると言っても過言ではない。

 種族で差別しますと、公言しているようなものだからな。


「答える義務はあるのか?」

「ヤシロ……っ!」


 エステラが俺の袖を引っ張る。……が、そんなもんは無視だ。


 想像よりもずっと若く、そして美しかった三十五区の領主ルシア。

 だが、それと同じくらい想像以上だったのは……こいつが他人に向ける視線の冷たさだ。

 こいつは、相手を尊重どころか対等だとすら思っていない。

 こんなヤツに下げる頭も、向ける笑顔も、俺は持ち合わせてはいない。


「ル、ルシアさん。ご無沙汰しています」


 一瞬で悪くなった場の空気を払拭しようと、慌てた様子でエステラがルシアに挨拶をする。


「ん? 貴様は確か……四十二区の?」

「はい。エステラです。この度、父より引き継いで領主となりました」

「そうか。それはめでたいな。あとで祝いの物を贈らせよう」

「そんなっ。あ、いえ。ありがたく頂戴します」

「うむ。受け取ってくれ」


 エステラが恐縮しまくっている。

 こいつは、他区の権力者には変に恐縮する癖があるよな。

 まぁ、相手を怒らせて四十二区に被害が及ぶのを危惧してのことだろうが……なんというか、ファーストインプレッションから既に負けている。

 こいつの精神面も、一回鍛えてやらなきゃいかんかもしれんなぁ。


「ねぇねぇ、ルシア姉ぇ~」


 水槽の中で水を弾ませながらマーシャがルシアに向き合うように体の向きを変える。

 マーシャと視線がぶつかった直後、ルシアの顔が一瞬歪んだ。

 ……こいつ。今、不快感を表さなかったか?

 マーシャが獣人族だから……か?


「あのね、ヤシロ君たちがルシア姉にお話があるんだってぇ~」

「ヤシロ?」

「そちらのおっぱいの人です、ヤシロというのは」


 ギルベルタの言葉に、ルシアの視線が俺へと向き……すぐにギルベルタへと向けられる。


「『おっぱいの人』っ!?」


 まさに、「お前、何言ってんの!?」という感じだ。

 うん……そりゃそう思うよな。


「ヤシロというのは貴様か?」


 ルシアの視線が再び俺へと向けられる。

 鋭さが弥増していてる。


「ギルベルタに何を教えた?」

「そいつが勝手に言い始めたことだよ」

「褒めてくれた、おっぱいを、おっぱいの人は」

「貴様……っ、人の領内でどこまでも不埒な」


 悪意はないのだろうが、ギルベルタ……お前、黙れ。


「まさかとは思うが……貴様、マー……そっちの海漁ギルドのギルド長にも同じようなことをしているのか?」


 ……なんで今、言い直した?


「どうした? 答えられないのか?」

「答える必要性が見つからなくてな」

「ヤシロ……っ」


 いちいち止めるなよ、エステラ。

 きっともう手遅れだ。


 こいつとの間には、敵対関係が完全に構築されたようだ。


「ふむ……礼儀も弁えぬ不埒者か……ギルベルタ」

「はい」

「摘まみ出せ」

「はい」


 従順に、ギルベルタは迷うことなく俺へと近付き、俺の襟首を摘まんだ。……まるで、ばっちぃものを持つ時のように。


「って、こら」

「摘まみ出す、私は、あなたを、ばっちぃ物を持つように」


 誰がばっちぃ物か!?


 振り払ってやろうとギルベルタの腕に手をかけるが…………えっ?

 ビクともしない。

 こいつ、どんだけ鍛えてんだよ?

 親指と人差し指で摘ままれただけだってのに、両手を使っても振り解けない。

 そればかりか、俺の体はズルズルと引き摺られるように門の方へと連行されていく。


 ……こいつ、もしかして。


 いや、もし俺の読みが正しいなら色々と合点がいく。

 マーシャを名前で呼ばなかったこと。

『人間か』と尋ねた意味。

 そして、領民の噂と俺の抱いた印象に齟齬があったこと。

 そして、俺に向けられた分かりやす過ぎる敵意の意味も。


 もし、そうであるならば……


「ルシア! 聞きたいことがある!」

「貴様と話すことなど何もない。さっさと帰れ。そして、二度と私の前に現れるな」


 ルシアは確かに差別をするのだろう。

 エステラが必要以上に怖がり、ギルベルタが信頼を寄せ、マーシャが親しげにしているのもそのせいかもしれない。


 ならば、打開策は一つ。


「そこにいるウェンディは、ヤママユガ人族だ!」


 引き摺られながら俺はウェンディを指さして言う。

 突然名を呼ばれたウェンディが驚いて、視線を俺とセロンの間で行ったり来たりさせる。


「しかも、そいつは……」


 と、そこまで言った段階で、俺は門の外へと放り出された。

 なので、口を閉じる。敷地の中に入れてもらえるまでは一切物を言わないつもりだ。


 それが伝わったのだろう。ルシアはこちらに視線を向け、ギルベルタに向かってこくりと頷いた。


「ギルベルタ。その者を連れてこい」

「了解した、私は」


 言うや、ギルベルタは俺を片腕でひょいと抱え上げ、すたすたと敷地内へと戻っていく。

 ……俺は子供か。


 そして、ギルベルタはルシアに向かってすたすた歩き、すたすたすたすたすたすたすたすたすたすた……で、俺をルシアの胸にポンと預けた。

 俺を手渡されたルシアが、咄嗟に腕を出し、俺を抱っこする。


 …………ん? なにこの状況?


「……貴様。一体どういうつもりだ?」

「それは、お前んとこの給仕長に聞け」


 そして俺に、分かるように説明しやがれ。

 何をお茶目なことしてくれてんだギルベルタ。


「連れてこい言われた、私は。連れてきた、だから、おっぱいの人を」

「誰がおっぱいの人を私のおっぱいまで届けろと言った?」


 いや、その反論、ちょっとどうだろう?

 つか、いい加減下ろしてくれないかな? 見かけによらず力強いねぇ。

 で、思ったほど胸ないね。Bくらいか。


「降りろ」

「いや、降ろせよ」

「私に命令する気か?」

「抱っこしながら凄まれても、迫力半減だよ」


 めっちゃ可愛がられてる気分になってきたわ。


 ルシアが俺を地面へと降ろし、不快そうに俺が接していた部分を手で払う。


「……消毒が必要だな」

「俺は菌か!?」

「ふん。私は、他人にベタベタされるのが好かんのだ」


 まぁ、そりゃそうだろうな。

 お前んとこの給仕長を再教育でもしたらどうだ?


「それで、先ほどの続きを聞かせてもらおうか?」


 ルシアの視線が再び俺を捉える。

 こいつは、自分が働いた無礼とか、こっちの気持ちとか、そういうのを一切考えないんだな。

 自分がこうと言えば、世界がそう動くとでも思っているのだろう。

 まぁ、なんとも貴族らしい貴族だ。


 俺は一度ウェンディへと視線を向け、「心配するな」という思いを込めてウィンクを飛ばす。

 ウェンディは、不安そうな表情を幾分和らげ、こくりとゆっくり頷いた。


「ウェンディは、三十五区の出身だ」

「それは真実か?」

「あぁ。そうだな、ウェンディ?」


 ルシアの問いを、そのままウェンディへと放り投げる。

 緊張が抜けきらない面持ちで、ウェンディがルシアへと向き直り、そして深々と頭を下げる。


「はい。英雄様のおっしゃる通りです。現在も、両親がこちらの区でお世話になっております」

「……英雄?」

「あだ名だ」


 深い意味はない。

 だからそんな、袖口についたカピカピのお米粒を見るような目で見ないでくれ。


「一度とて、見たことのない顔だな」

「は、はい。私は幼い頃にこの区を出ましたもので……」

「何か、不満があったか?」

「い、いえ! とんでもないです! ただ、諦めきれない夢がありまして……それで……」

「そうか……夢があるのなら、仕方ないな」


 ルシアが少し、寂しそうな表情を浮かべる。

 険しい表情しか見せていなかったルシアが、初めてその表情を変化させた。

 頬を動かす筋肉がないんじゃないかと疑っていたのだが、一応は表情筋は動くらしい。


 しかし、コレはどうやら……俺の読み通りのようだ。


「ウェンディ。帽子をとってみろ」

「……え?」


 俺が言うと、ウェンディは一瞬キョトンとした表情を見せるが、すぐに「あ、そうですね。失礼しました」と、慌ててつばの広い大きな帽子を脱ぐ。

 領主の前で帽子をつけたままというのが非礼になると思ったのだろう。

 まぁ、それはそうかもしれないのだが……俺の目的はそこではない。


「……こ、これは」


 ウェンディが帽子を脱ぐと、ぴよんと二本の触角が顔を出す。二つ揃って可愛らしく揺れる。


「……ダメだ」


 ぼそりと呟き、ルシアは突然歩き出す。

 これまでにないほど真剣な眼差しでウェンディに近付き、腕を掴む。


「こちらへ来い!」

「えっ!? あ、あの、ルシア様!?」


 そして、強引にウェンディの腕を引き、館へ向かってズンズン前進していく。

 引っ張られるウェンディは戸惑いながらセロンへと視線を向ける。

「助けて」とは言えないが、そうしてほしいと目が物語っている。


「ウェンディ!」


 堪らず、セロンが後を追いかけるが……


「ギルベルタ!」


 その一声で、セロンの前進は妨害される。

 ギルベルタが、俺たちとルシアの間に割って入り、両腕を広げて通せんぼをする。


「これより、館への立ち入りを禁ずる!」

「はい」


 距離を詰めるが、ギルベルタは絶妙の間合いを取り、こちらの動きを封じる。

 微かに、闘気のようなものが放出されている気がする。……凄まじい迫力だ。


「了承した、ルシア様の命令を。立ち入り禁止、あなたたちは」


 迂闊に近寄れば怪我をするか……


 俺たちが足止めされている間に、ウェンディはルシアによって館の中へと連れ去られてしまった。


「え、英雄様っ! ウェンディが!?」


 狼狽するセロン。

 強行突破したいだろうが、ギルベルタ相手にはそれは不可能だろう。 

 仮に出来たとしても、領主に盾突くような真似は避けるべきだ…………ならっ!


「全員、伏せっ!」


 俺の号令に、セロンやジネット、エステラとレジーナまでもが地面に伏せる。

 花園で教えた犬の芸がここで生きるとは…………いや、教えてない教えてない。こいつらノリいいなぁ。


「よし、そのまま前進!」

「させない、私は! 立ち入り禁止、あなたたちは!」

「甘いぞギルベルタ! よく見ろ、誰ひとり立っていないだろうが!」


 俺たちは全員、ほふく前進をしている。『立ち入り』ではない!


「……って、ヤシロ。こんな屁理屈がまかり通るわけ……」

「うむ。仕方ないな、それなら。止める理由がない、私には」

「まかり通っちゃうの!?」


 ギルベルタの素直さに、エステラが目を丸くする。

 いや、しかし。まさかこんな屁理屈が通るとは……俺も驚きだ。


「あ~ん、まってぇ! ギルベルタちゃ~ん! 私も連れてってぇ~!」


 水槽の中で両腕を広げ、水をバシャバシャさせるマーシャ。

 いやいや。さすがにギルベルタが手を貸すことはないだろうよ。


「『立って』はいない、マーシャ様も……了承した、私は」

「なんでもありか!?」


 いや、俺が言うのもなんだけどもさ!


「問題ないと判断した、私は」


 お前のその判断に問題があんだろうがよ……とは思うが、まぁ、入れてくれるならありがたい。

 俺たちは全力で館へと『這い入った』。

 服、ボロボロになってるかもな……


「もう入っちまったし、立っても問題ないよな?」

「無い思う、私は」

「んじゃ、ルシアのところまで案内してくれ!」

「了承した、私はっ!」


 なんとなく、俺たちに合わせてテンションが上がっているように見えるギルベルタ。

 もしかして、同調意識が強いヤツなのかもしれない。場の空気に流されやすいというか……これまで友達があんまりいなかったからちょっとはしゃいじゃってる、みたいな感じだったりして?


「なぁ、ギルベルタ。お前、友達っているのか?」

「……………………作る機会、なかった、私は」


 あぁ……やっぱりいなかったんだ。

 すげぇへこんでる。背中に「ずど~ん……」って文字を背負ってるみたいな沈みようだ。


「んじゃ、このミッションを成功させた暁には、俺たちは友達だ!」

「ホントか、あなたの言うことは!?」


 物凄く食いついてきたっ!?

 え、そんなに欲しかったの、友達!?


「あ、あぁ。本当だ。ちょいちょい遊びに来るし、お前も遊びに来い」


 そうして、俺においしい情報を提供してくれ。


「分かった、私は! 必ずや成功させる、このミッションを!」


 ギルベルタが燃えている。

 冷淡だと思っていた表情に、熱くたぎる闘志が見て取れる。

 こいつは、ただ単に笑顔の作り方を知らなかっただけなんだな。

 なんか、色々笑わせてやろっと。


「言っていた、祖母が。『何より大切にしなければいけない、友達は』と」


 祖母もそのしゃべり方なのか?

 面倒くさい一族だな。


「何より大切、友達は……仕えるべき領主様よりも!」

「「いやいやいや」」


 エステラとレジーナが堪らずツッコミを入れている。が、いいじゃねぇか、大切にしてくれるってんだから。大切にしてもらおうぜ。


「こっち、ルシア様の私室は!」


 物凄く張り切ってるけど、いいのかな……こいつ、あとですげぇ怒られそう。


「ヤシロ……君は、ホントに周りの人間を巻き込んで……」

「まぁまぁ、いいじゃねぇか協力者は多い方が……」


 呆れたような視線を向けてくるエステラに、「いや、さすがに俺もここまで素直に言うこと聞いてくれるとは思わなくてさぁ」的な言い訳をしようとした時――


「きゃあっ!?」


 ――とウェンディの悲鳴が、ルシアの私室から聞こえてきた。


「ウェンディ!? 今行くよ!」

「ちょっ、セロン!? それはさすがに……っ」

「どけエステラ。緊急事態だ。やむを得ん!」


 ウェンディの悲鳴に冷静さを失い先走りそうなセロン。

 ルシアへの心象を気にして尻ごみするエステラ。

 その中間をとって、俺が、冷静に、ルシアの私室へと突入する。


「失礼するぞ!」


 一応断りを入れて、ルシアの私室のドアを開ける。

 ――と、そこには。


「触角っ! 触角ぅぅぅうっ! かわゆす! いとかわゆす!」


 ウェンディの触角に頬擦りをしながらでれんでれんにふにゃけた表情をさらすルシアがいた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る