後日譚12 密会の相手は……
再び領主の館に戻ってきた時、日は少し傾きかけていた。
午後の落ち着いた雰囲気が辺りに満ちている。
「戻ったか、あなたたち。よかった、無事で」
相変わらずカタコトしゃべりなギルベルタが出迎えてくれる。給仕長なら他にいくらでも仕事があるだろうに、今日は俺たちを優先してくれているようだ。
「あ! 知り合いだったか、朝見た人、やはり」
ギルベルタがレジーナを見て目を丸くする。
そういや、こいつから情報を得たんだっけな。
「なんやの? このけったいなしゃべり方する人は?」
いや、お前が言うな。
「『強制翻訳魔法』は、おもろい翻訳しよるなぁ、ホンマ」
「ホントにな」
これ以上ない共感を込めて、レジーナをジッと見つめる。
なんで関西弁に翻訳されてんだろうな、こいつも。
「ところでギルベルタ。ルシアさんへの面会は、まだ難しいのかな?」
「申し訳ない思う、私は。いまだ密会中、ルシア様は。無理目な予感、面会は、今日は」
「……そうかぁ」
そこで引き下がるな、エステラ!
ここで領主に面会をしなければ、花園の花は譲ってもらえないんだぞ!?
あんな、あからさまに金の匂いのする蜜をみすみす見逃すつもりか!?
「そっちの用事が終わるまで待ってもいい。なんとかならないか?」
諦めずに、もうひと押ししてみる。
しかし、ギルベルタは表情一つ変えずに同じ言葉を繰り返す。
「無理目な予感、面会は、今日は」
こうなってくると、ますます怪しい。
面会出来ないのは、用事があるからではなく…………俺たちが領主に会ってもらえる条件を満たしていないから、ではないのかってな。
「エステラ、ちょっと」
エステラを呼び、ルシアという人物について考察してみる。
「お前はルシアってのに会ったことがあるんだよな?」
「ちょっと、ヤシロ……っ!? そんな口の利き方しないでってば!」
エステラが小声で、きつめの口調で俺を叱る。視線はちらちらとギルベルタへと向けられる。
あぁ、あいつが怒るのか。エステラを小馬鹿にした時のナタリアみたいに。
……もっとも、最近はナタリアが率先してエステラいじりをしているけどな。
「会ったことはあるよ。とても威厳のある人だよ」
「つまり、おっかないんだな」
「ヤシロ…………本当に、会わせたくなくなってきたよ……」
なんだよ。
俺が領主相手に粗相をするとでも思ってるのか? 心外だな。
上に取り入るのは上手い方なんだぞ。俺がかつて、どれだけ企業のトップの寝首をかいてきたことか……っと、そんなことはどうでもいいな。
「滅多にないけれど、領主の集まりとかもあるしね」
「会話を交わしたことは?」
「あるよ。もっとも、談笑というわけにはいかなかったけどね」
ふむ……気難しいヤツなのかもしれんな。
「獣人族に差別的な意思を持っていたりするのか?」
「……う~ん、それはどうだろう? 本心までは、さすがに推し量ることは出来ないからね。けど、花園といい、領民の評価といい、むしろ差別をなくそうとしている立場なんじゃないかな?」
カブトムシ人族のカブリエルが、『亜種にもよくしてくれる』と言っていた。
ならば、この区の領主が獣人族を迫害しているとは考えにくい……だが、それが表向きなポーズである可能性もある。
花園を設けることで、人間と獣人族を棲み分けさせ、きっちり区別している可能性もあるのだ。それは、『人間と獣人族は違う』と、明確に知らしめることでもある。
やっぱり、実際会ってみないと確かなことは分からんか……だが、会ってもらうためにはその人物のことを知り作戦を練らなきゃいけなくて…………う~ん………………ん?
「……生ゴミ?」
「へ?」
悩みながら、領主の館へと視線を向けた俺は、遠くの方で地面に廃棄されているぬめっとした緑色の物体を見つけた。
アレ……すげぇ見覚えあるな。
「あぁ。気にしないでいい、アレは。いつものことだから」
ギルベルタが、地面に転がる緑色のぬめっとした生き物へ侮蔑の視線を向ける。
相当嫌悪感を抱いているようだ。まぁ、仕方ないか。
だがしかし、その視線が、ヤツにはむしろご褒美になっちまうんだけどな。
「ってことは……今、ルシアが面会している相手ってのは、マーシャか」
「ドッ、ドキィ……ッ!? ……なぜ、それを…………?」
ギルベルタが分かりやす過ぎるリアクションを取り、俺の言葉が正しかったと肯定してくれる。……こいつ、側近にしちゃいけないタイプのヤツなんじゃねぇのか?
「もしかして、人の心を読み取る能力がある、あなたは?」
「いやいや……あそこに転がってる生ごみっぽいの、キャルビンだろ?」
「ドッ、ドキィ……ッ!? ……なぜ、それを…………?」
「いや……そこは、『見たら分かるわ』としか言いようがないけどな」
知り合いが地面に転がってりゃ、そりゃ気付くわ。
海漁ギルドの副ギルド長にして、マーシャが陸へ上がる際の運搬係を務めるキャルビン。
そいつがここにいるってことは、すなわちマーシャがいるってことだ。
ってことは、獣人族に会いたくないってわけではない……ってことか。
マーシャは海漁ギルドのギルド長だから特別なのか…………う~む。
その可能性もあるな。なにせ、気持ちの悪いキャルビンは外に放置で、しかもなんか攻撃されたような形跡があるしな。
話を聞いてみるか。
「おい、キャルビン」
「おぉぉっふぅ、お御脚っ! ……あ、ヤシロさんでしたか、ごぶさとぅゎぁああっふぶっふ!」
思わず踏んづけてしまった……
何が『お御足』だ、気色悪い! 百歩譲って美女の脚線美に留めとけよ、この見境なし半漁人がっ!
「あぁ……なんか、すみません! 男性には興味ないんですが、足ってだけでちょっとテンション上がってしまって……なんかすみません…………なのに、踏んづけられてちょっと嬉しくて、なんかすみません……」
「謝りながら、人を不快にさせてんじゃねぇよ」
なんかもう、今すぐ踏んづけた足を消毒したい。
「見事な踏んづけ。良さそう、相性、あなたとキャルビン」
「やめてくれるかな? マジギレするよ?」
失敬極まりないギルベルタから少し距離を取り、俺はキャルビンに話を聞く。
……くそ。なんでこいつと二人で、こそこそ内緒話なんかしなきゃいかんのだ…………いやいや、儲けのためだ。がまんがまん。
「なぁ、お前。ここの領主に会ったことはあるか?」
「はい……会ったことがあって、なんかすみません」
「謝んなくていいよ、いちいち」
「あぁっ、謝っちゃって、なんかすみません……」
ダメだ。こいつはダメなヤツだ。
しょうがない。スルーしよう。
「今、舘の中にマーシャがいるんだよな?」
「はい。マーシャ様のくせに、脚線美のルシア様と二人きりに……生意気なギルド長ですみません」
「いや……むしろ、なんでお前がそこまでマーシャを扱き下ろせるのかが不思議だよ」
「だって、マーシャ様ですよ? 半分魚なんですよ?」
「半分魚は、お前もだ」
お前の方がよっぽど奇妙だからな?
お前は半分魚で、全体的に変態だからな?
「それで、なんでお前は外に放り出されてるんだよ?」
「ウチのギルド長が……マーシャ様のくせに……『邪魔だから外出ててねぇ~』って……っ! マーシャ様のくせにっ!」
「お前、脚線美の有無で好感度決めてるだろ……」
「『一緒にいると、なんか気持ち悪いからぁ~』ってっ!」
「それには激しく同意だな」
マーシャですら慣れないもんなんだな、こいつの気持ち悪さは。
「それで、外に出てきたら出てきたで……ギルベルタ様にボッコボコに……」
「お前、何かしたんじゃないのか?」
「とんでもない。ただ、あの引きしまった太ももに頬擦りをさせてもらおうと……っ!」
「お前、息の根止められなかっただけでも感謝しとけ」
こいつが危害を加えられていたのは自業自得だったのか……
「感謝……ですか…………そうですね、感謝、します…………お御足様……はぁはぁ…………感謝いたします……感謝して、なんかすみません」
「……なんで息の根止めなかったんだろう、ギルベルタのヤツ」
誰に感謝してんだ、お前は。
なんの宗教だ。
「お前の個人的な感想で構わないんだが……、ここの領主はどんなヤツなんだ?」
「筋肉の少なめな、ややむちっとした太ももが魅力的な女性で……ぉぉぉおおおっ! 膝がっ! 膝がぁぁあっ!」
足フェチキャルビンの足を絡め取り、四の字固めをお見舞いしてやる。どうだ? 本望だろう? 膝の皿割れろっ!
「誰が領主の太もも情報を寄越せと言った? 人となりを聞いてるんだよ!」
「す、すす、素晴らしい方だと、もっぱらの噂ですっ! 人道的であり、寛容であり、それでいて規律を重んじる厳しさもお持ちでぇぇぇええええっ、いま、今っ、膝の皿が微かに『パキッ』って言いましたよっ!?」
足を解放してやると、キャルビンは涙目で膝をさする。
さすがに、これは効いたか。
「はぁ…………これを生足美少女にやってもらいた……ぃたたたたたっ!」
「凝りろや」
「ア、アイアンクローは、全然楽しくないので、やめてほしいです……なんか、すみませんけどっ!」
俺はお前を楽しませるつもりなどミジンコの指先ほどもないわ。
……あぁ、手がぬめぬめするっ。
いつまでもふざけていられないので、俺は声を落としてキャルビンに核心を問う。
「ルシアってのは、獣人族に対して厳しい態度を取ったりするのか?」
差別という露骨な表現は避けておいた。キャルビンが完全にこちら側だという保証もないしな。
相手への非難はしない方が賢明だ。
「獣人族に厳しい…………と、いいますか…………個人的には、あまり好ましいと思えない方では、ありますね……なんかすみませんけど……」
ほぅ……
キャルビンの顔に深いシワが刻まれる。
やはり、何か好ましくない扱いを受けているようだ。
ここは単刀直入に聞いてみるべきだろう。
「何か、嫌な思いでもしたのか?」
「何度もこちらにはお邪魔しているのですが…………ルシア様は、むっちりとした素晴らしい太ももをお持ちなのに、一度も、たったの一度も踏みつけてくださらなくてぇぇぇえええぃやぁぁああああいあんくろーは楽しくないですぅ!」
つまり、こいつがルシアに対して抱いている不満は、こいつ自身の歪みまくった性癖を満たしてくれないからというなんとも自分本位な、犯罪すれすれの不満なのだ。
俺が言えることはただ一言。
知ったこっちゃねぇよ、そんなもん!
ジネットだってな! あんな爆乳を毎日見せつけておいて、一回も揉ませてくれないんだぞ!? そういうものなんだよ、世の中ってのは!
「あれあれぇ~? な~んだか、楽しそうなことしてるねぇ~」
キャルビンの頭がい骨を陥没させるくらいの意気込みでアイアンクローをかましていると、館の方からのんびりとした声が聞こえてきた。
「マーシャ」
「あ~、エステラ~! わぁ、店長さんも~!」
海漁ギルドのギルド長。ホタテ貝ブラジャーが今日も眩しい、美形人魚のマーシャだ。
いつもの移動水槽を、今日は見たこともない女が三人掛かりで押している。給仕の衣装を着た女性たちで、エプロンにはギルベルタの胸についているのと同じ紋章が描かれている。
ルシアのところの給仕たちなのだろう。
給仕たちの顔を観察するも、視線が合うことは一切なかった。
こいつらはいつもこんなに無表情なのだろうか?
なんというか……物凄く厳しい教育がされているような、そんな感じだ。
規律を乱すな。歯を見せるな、ふざけるな……みたいなな。
こちらを見ない給仕から視線を外し、マーシャへと視線を移す。と、こちらはバッチリと目が合った。
「ヤシロ君も、やほ~!」
「やほ~って……」
「あ、それ、素手で触るとばっちいよぉ?」
『それ』と、キャルビンを指さして言う。……あ、ずっとアイアンクローかましてた。
そうか。これやっぱ、ばっちぃのか。
「マーシャ。汚れた手を浄化させてくれないか?」
と、両手を広げてもにもに動かしてみる。
ちょうど、この両手がジャストフィットしそうなたわわな膨らみが目の前に二つもある。是非、それをっ!
「ん~、残念だけどぉ~、エステラの目が怖いから、無理かなぁ~」
にこにことした笑みを浮かべるマーシャを見ながら、俺の背筋に冷たい汗が伝い落ちていく。
……首筋に、鋭い刃が突きつけられている。
「……気配を完全に消せるとは…………腕を上げたな、エステラ」
「お褒めの言葉、ありがとう。さぁ、そのばっちぃ手を下ろしてもらおうか?」
おかしいなぁ。こういう場面だと、逆に「手を上げろ」って言われるもんなんだけどなぁ。
しょうがないので手を下ろす。……フリをして、エステラの服で拭く。
「ぎゃあ! やめてよ、ばっちぃ!」
「はぁはぁ……なんか、すみませんっ!」
「あ~、ダメだよぉ~、エステラ~。罵ると、喜んじゃうからぁ~」
いつもの移動水車の中で、マーシャが下半身を妖艶にくねらせている。
水槽の中の水が揺らめいて、マーシャの鱗に光が反射する。それは玉虫色に輝く宝石のような輝きで、とても綺麗だった。
水に入っている時のマーシャは本当に美しい。泳いでいるところを見たら、もっとそうなのかもしれないと思わせるほどだ。
「あっ! や~だもぅ、ヤシロ君。またおっぱいばっかり見てぇ~!」
「濡れ衣だっ!」
「さすがと思う、私は。絶対にブレない、おっぱいの人」
「だから、濡れ衣だっつうの!」
俺はもっとマクロな視点でだな、水の陰影とか、海との調和とか、果ては世界平和のもたらす恩恵とかまで考えていたというのに……えぇい、もういい! 谷間をガン見するっ!
「谷間をガン見しながら濡れ衣も何もないと思うけど?」
バカめ、エステラ。
順序が逆なのだ! 結果、そこにたどり着いただけで!
「ところでマーシャ。何か不愉快なことはされなかったか?」
「おっぱいガン見とかぁ~?」
「はっはっはっ。それは別に不愉快じゃないだろう」
「ポジティブだよねぇ~、ヤシロ君はぁ~☆」
マーシャはいつも通りの軽い笑顔を浮かべている。
不快感や苛立ちなどは感じさせない……っていうか、マーシャはいつもそうなんだけどな。
「ルシアと仲はいいのか」……と、聞きたいのだが、マーシャの移動水槽を押している給仕が邪魔で話を切り出しにくい。
だから、「不愉快なことはなかったか」と聞いたのだが……はぐらかされたのか……でなければ、本当にマーシャとここの領主ルシアは友好な関係にあるのか…………いかん。情報が少な過ぎて推測すら出来ん。
「ヤシロ君は、ルシア姉に会いたいの?」
ルシア『姉』か……
マーシャがわざわざそう呼ぶってことは、それなりに敬うべき相手だと認識してるということだろう。……やっぱ、ちょっと怖い人なのかもしれないな。
「そうだな。是非とも会ってみたい」
「う~ん。頼んだら会ってくれるんじゃないかなぁ? ねぇ、ギルベルタちゃん?」
「分かりかねます、私には。マーシャ様との密会の日でした、今日は。言われていました、私は、誰も通すなと。知られると困る、密会。だから」
う~ん。たぶん秘密にしなきゃいけないこと全部漏らしちゃってるよな、この給仕長……こいつはいい情報源だな。懇意にしておこう。
「それじゃあ、頼んできてあげたらぁ?」
「まぁ、マーシャ様が言うなら、変わるかも、状況が。一度聞くしてきても構わない、私が」
「うんうん。優しいねぇ、ギルベルタちゃんは」
「わっほい、思う。私は」
わっほい思っちゃったか。
なんだろうな、このカタコト給仕長……ちょっと可愛らしく見えてきた。
「俺からもよろしく頼むぜ、優しいギルベルタ」
「……おっぱいを見ながら言うのは失礼思う、私は」
「見てねぇわ!」
ここにも、風評被害を撒き散らすヤツがいたか。
「自重するべき、おっぱいの人は」
「出来るかっ!」
「いや、出来るだろう。というか、しなよ、自重は……」
ちょっとだけギルベルタ口調が移ってるぞ、エステラ。
あと、自重とかよく分かんない。
「では、ルシア様に聞いてくる、私は。ここで少し待つ、いいと思う、あなたたちは」
ここでしばし待てと言い残して、ギルベルタは館へと入っていった。
ツルの一声……ではないだろうが、マーシャが言うとすんなり話が進むんだな。
「マーシャって、三十五区を拠点にしてるんだっけ?」
「うん。そうだよぉ~。あと、三十七区にも港があって、そっちもよく使うけどねぇ」
二つの区を拠点にしているのか……それは、争奪戦でも起きそうな状況だな。
「集まる魚の種類が全然違うから、どちらかに偏るわけにはいかないんだよねぇ……」
まぁ、領主としては、海漁ギルドの拠点を自分の区に置いてほしいだろうからな。
なるほど。今回も、海漁ギルドの拠点を三十五区に絞ってほしいとか、そういう話をしていたのかもしれないな。それで、密会か。他の者に悟られないようにマーシャに取り入って出し抜こうって腹か……
「海は広いんだからさぁ、小さな港で区切っちゃうのは違うと思うんだよねぇ」
三十五区の港は決して小さくはないのだろうが……海から見ればちっぽけなものだわな。
大海原を自由に行き来するマーシャにとって、陸地の境界線など窮屈以外の何物でもないのかもしれない。
「なんか、大変なんだな」
「うんうん。大変なんだよぉ~」
一切大変そうには見えない笑みを漏らし、マーシャは水槽の水をパシャンと跳ねさせる。
「海によって、集まるお魚さんが違うんですか?」
「まぁ、種類が多いからねぇ。縄張りでもあるんじゃないかな?」
そんな会話が、俺の後方でされている。
海をよく知らないジネットが、多少は海を知っているエステラに尋ねているのだが……マーシャが苦い顔をしている。
まぁ、縄張り争いはないではないが、魚の縄張り争いは同種族間で起こることがほとんどだったりする。他種族間の争いとなると、それはもはや『捕食』になるからな。縄張りを主張して共生、ってことにはならないのだ。
「捕れる魚の種類が違うのは、暖流と寒流の影響なんじゃないのか?」
「だんりゅう?」
「かんりゅう?」
俺の言葉に、ジネットとエステラが揃って首を傾げる。
なるほど。そこら辺の知識なんかないよな。こいつらは海に出ることがないんだから。潮目を読む必要もないだろうしな。
「わはっ! よく知ってるねぇ、ヤシロ君」
ただ一人、マーシャだけは嬉しそうに表情を輝かせ、パチパチと手を叩いている。
陸の人間に海の話をしても理解されないことが多いのだろう。少し驚くくらいにはしゃいでいる。
じゃあ、ちょっとだけ知識をひけらかしてみるか。
「まぁ、ざっくり説明すると、海には海流って水の流れがあってな、魚はその流れに乗って広い海を回遊しているんだよ」
周りとの温度差で暖流と寒流に区分され、それぞれに違った魚が集まるわけだ。
これだけ出鱈目な気候のこの世界じゃ、海流も随分でたらめな分布になっていそうだけどな。
「正解正解ぃ~☆! はなまる! 八十点!」
……百点では、ないんだな。
まぁ、及第点か。
「ご褒美に、ヤシロ君はいいこいいこしてあげよぉ~!」
水槽の縁に乗り出し、腕をピーンと伸ばすマーシャ。
あ、俺が近付かなきゃいけないんだな。
俺が水槽に近付くと、マーシャはまるで飛びかかるかのように両手で俺の頭を掴み、わっしゃわっしゃと撫で回してくる。な、なんか、大はしゃぎだな……
あまりに撫で回され過ぎて首がかっくんかっくんして、頭がぐわんぐわんするが、目の前でぷるんぷるんしているので、まぁ、よしとする。
「陸の人なのに、物知りだねぇ。ヤシロ君の故郷は海の向こうなのかな?」
「海の向こうというか……まぁ、島国だったからな」
つっても、俺自身は船に乗って暖流だ寒流だを見極めるようなことはしたことがない。単に知識として知っているだけだ。
船の上で空を見上げて「……嵐が来るな」とか、そういう感覚とか一切分からないしな。
「なんだかぁ、今度ヤシロ君と海のお話をゆっくりしたい気分だなぁ~」
「そうだな。特にホタテ貝について、じっくり話し合いたいところだ」
「ヤシロが気になってるのは貝の中身だろ!? マーシャ、気を付けてね!」
エステラの茶々が入る。無粋なヤツめ。
お前だって、「サザエが食べたい」って時は殻じゃなくて中身を食べるだろうが。
「うんうん、気を付けるね、エステラ。でね、ヤシロ君。今はね、寒流が賑わっててねっ」
エステラの茶々を軽く流し、マーシャが話の続きを始める。
いつになくノリノリで、息継ぎもせずに話し続ける。普段の「○○ねぇ~」とかいう、語尾が伸びたのんびりした雰囲気は皆無で、矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる。
「ニジマス、ニシン、スケトウダラなんかが凄く元気がいいんだよぉっ!」
「それは、なんつうか、卵が美味しそうなラインナップだな」
「えっ!? …………卵……」
あれ?
こっちでは食べないのか?
ニジマスは鮭の仲間だから筋子……まぁ、イクラだな。で、ニシンは数の子、スケトウダラはタラコだ。
「ヤシロ君っ! 魚の卵食べたことあるの!? 陸の人って、そういうの食べないのかと思ってた!」
「いやいや。美味いじゃねぇか。俺は好きだぞ、数の子もタラコも」
「ヤシロ君っ! 今度、私のおウチに遊びに来ない!? 美味しいイクラをご馳走してあげるよぉ!」
テンションが上がり過ぎて、マーシャが俺の首に腕を絡みつける。
ホタ~テッ!
いいっ! このホタテはいいホタテだ!
「そ、そんなに嬉しいことか?」
「嬉しいよぉ! だって、陸の人、イクラとか見ると嫌そうな顔するんだもん」
まぁ……食べ慣れてないとそうかもな。
美味いのにな。
「ヤシロ! いい加減、マーシャから離れないと、刺すよ!?」
「待て、エステラ! くっつかれてるのは俺の方だ!」
「それでも……ボクはヤシロを刺す!」
「なにその揺るがない決意!? そういうの、別の場所で発揮してくれるかなぁ!?」
バッシャバッシャと水槽の水が跳ねる。
マーシャが尾ひれで水面を叩いているのだ。
どんだけ嬉しかったんだよ。そんなに魚の会話についていけるヤツが少ないのか?
…………あぁ、だからマーシャはデリアと仲がいいんだな。デリアも口を開けば鮭の話してるもんな……イクラも好きそうだ、デリアなら。
マーシャがあそこまでデリアに懐いている理由を垣間見た気分だ。
これ、上手く乗せてやれば、イクラとか数の子が安く手に入れられるんじゃないか?
陸の人間は魚卵を食べる習慣を持たないらしいが……俺が食いたい。明太子とか、すげぇ食いたい。炊きたてのご飯と一緒に掻き込みたい。
う~む、マーシャのご招待、受けちゃおっかなぁ。
なんて、そんなことを考えていると……
「随分と騒がしいではないか」
凛とした、涼やかな声が聞こえる。
振り返るとそこには、鋭い視線をこちらに向ける青い髪の毛の……凄まじい美人がいた。ベルティーナに匹敵するような美貌を持つその女性は、まるで凍てつくような冷たい視線をこちらに向けている。
そして……
「おい、そこの少年よ……」
俺に向かってこんなことを言った――
「貴様は、『人間』か?」
こいつが、三十五区の領主……ルシア・スアレスか。
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