後日譚10 いかにも……な、不穏な空気

「この風景…………こんな風景を、俺は見たことがある」

「えっ? 本当ですか?」


 古びた廃屋。

 周りの空気は重苦しく、心なしか空も薄暗く感じられる。

 いや……明らかに、その建物の周りだけが他よりも薄暗く、どんよりとくすんで見える。

 ざわざわと風が鳴り、鼓膜への振動がそのまま背筋へと伝わり、ぞくりと震わせる。


 なんの変哲もないはずの……ただ薄気味の悪い風景…………それをジッと見つめていると、不意にこんな言葉が聞こえてくるのだ――


 ――お分かりいただけただろうか?


「俺の故郷では、こういう場所の話が一部の人間に人気があってな…………暑い季節なんかには特に」

「ヤシロ。それって、怪談なんじゃ?」

「あの、英雄様。確かに寂れてはおりますが、ここにはそういう類いのお話は存在しませんよ。普通に、私の家族が住んでいるだけですので」


 そんなこと言ったって……


 この場所は、どこからどう見ても心霊スポットで、なんならテレビで見たんじゃないかって気すらする。それくらい『ありそう』な風景なのだ。

 例えば、あの廃屋の窓なんかに…………


「…………っ!?」


 窓に視線を向けて、俺の全身は硬直し、脳の全機能が停止した。


 窓から………………長い髪をした女が「ジ……ッ」とこちらを見つめている…………


「おっ、おぉぉぉおおおおおおおおおお分かりいただけただろうかぁぁぁあああっ!?」

「ヤシロさんっ!? どうされたんですか!?」

「お分かりいただけただろうぅぅぅかぁぁぁあああっ!?」

「英雄様、お気を確かに!?」

「えぇい、離せセロン! ここには魔物が棲んでいるっ!」

「いえ、住んでいるのは私の家族ですよ、英雄様!?」

「でもっ、あ、あぁぁあ、あそこを見ろ! あの窓に女がっ!


 と、指を差して視線を向けると……


「いなくなってるぅぅぅぅううっ!?」


 やっぱりだ!

 やっぱり幽霊だったんだ!?

 だって消えたもんっ!

 一瞬、目を離したこの隙に!


「ヤシロさん、落ち着いてください」

「お、ぉぉお、おち、おちち、おちち、おちちちっ!」

「『お乳』『お乳』言わないでくださいっ」

「落ち着いてられるか! で、でで、出たんだぞ!?」

「お乳がかいな?」

「お乳は常に出てるもんだろうが、エステラ以外はっ!」

「うっさいよ!」

「みなさん、落ち着きましょう! 英雄様も、深呼吸を!」


 ウェンディがその場をとりなそうと声を張り上げる。

 ……その時。


「よくも帰ってこられたもんだね、ウェンディ」


 ウェンディの背後に、先ほど窓からこちらを窺っていた女の幽霊が立っていた。

 出たぁあっ!? ――と、叫びかけてやめた。

 なんだ、こいつ……生きてんじゃねぇか。


 その女は、結構な歳を取った女で、顔には「いつも厳めしい顔ばかりしているのだろうな」と思わせるようなシワがくっきりと刻まれていた。

 頭には二本の触角が生えている。……ってことは、虫人族…………つうか、こいつが……


「……お母さん」


 ウェンディが低い声で呟き、ゆっくりと振り返る。

 想像通り、この幽霊もどきがウェンディの母親らしい。……の、だが。


「家を捨てたヤツに『お母さん』なんて言われる筋合いはないね。あんたはもうアタシの娘じゃない。どこぞのなんとかいう男の所有物になるんだろう? もうここには来ないでくれるかい、一族の恥さらしが!」

「…………また、そうやって…………」


 ウェンディの髪がふわりと持ち上がり……そして――



 バチバチバチィッ!



 ――と、激しいスパークが巻き起こる。


「ウェンディ、落ち着け! 深呼吸だっ!」


 先ほどウェンディに言われた言葉を、そのままウェンディへと返す。


「はっ……す、すみません。また、興奮してしまいまして…………」


 俺の顔を見ると、ウェンディは少し落ち着きを取り戻し、スパークも収まる。

 よかった。あのままじゃ実の母親を感電させかねない勢いだったからな。


「くっ……一体なんなんだい、おっかない娘だねぇ! 人間と関わるから、そんなけったいな体質になっちまうんだよ!」

「――っ!?」


 再び、ウェンディの体が発光し始める。

 そして、小さなスパークが起こり、それは感情の波に比例してどんどん大きくなっていく。


「そんなのっ、関係ないでしょう!?」

「あぁ、関係ないとも! あんたが人間にいいように使われて、やがて捨てられようとも、アタシにはなんの関係もない話だよ! だからさっさと帰っておくれ!」

「そういうことじゃなくてっ、私の体質と、人間云々は関係ないでしょうって言ってるの!」

「関係なくなんてあるもんかい! あんたがおかしくなっちまったのはナントカいう男にうつつを抜かすようになってからだ! 大方、甘言に惑わされて利用されてるんだよ!」

「セロンはそんな人じゃないっ!」


 落雷が同じポイントに落ち続けているのかと思うような、凄まじいスパークが起こり続けている。

 雷様なる架空の存在が実在したら、きっとこんな感じだろう。


「ふん! そうやって騙された連中がどれだけいると思ってるんだい! あんたもその一人さっ!」


 金色に輝くスーパーウェンディに一歩も怯むことなく、ウェンディの母親は強い口調で怒鳴り散らす。そして、その視線が今度は俺たちへと向けられた。


「まったくっ! こんなに人間を連れてきて……っ。数で押せばアタシたちが揺らぐとでも思ったのかい!? 残念だったね! アタシは人間なんか怖くないんだ! 言いなりになんかならないよ!」


 言いなりだとか、数で押すだとか、怖くないだとか……こいつは何かを勘違いしているのではないだろうか。

 いや、確実に勘違いしているんだろうが……


「亜系統なら、言いなりに出来ると思ったら、大間違いだよっ!」


 ……『亜系統』?


 エステラに視線を向けると、バツが悪そうな表情をされた。

「聞かれると思ったよ」とでも、言いたげな表情だ。

 なので、今は聞かない。

 あとで、詳しく説明を求めよう。


 これが、カブリエルの言ってた『気に障る無礼なこと』か……


「おい」


 敵意剥き出しの目で、ウェンディの母親がこちらに声をかけてくる。


「そこの、顔のいい方の男」

「なんだ?」

「あんたじゃない方の男だよ!」

「顔がいい方つったじゃねぇか!」

「だから、あんたじゃない方だつってんだよ!」

「英雄様にまで失礼なことをっ!?」


 ウェンディのスパークが一層激しくなる。


「それじゃあ、あんたは、あっちの方が顔がいいって言うのかい!?」

「…………」


 ウェンディのスパークが落ち着く。

 ……って、オイ!


「あ、あの、ヤシロさん。外見の良し悪しは好みによるところが大きいので、あまり気にされない方がいいですよ?」

「そうだよ、ヤシロ。個性っていうのは長所にもなり得るからね」

「せやせや。元気出しや、自分。よう言うやろ? 『ハンサムは三日で飽きるけどおもろい顔は三日で慣れる』いうてな」

「お前ら全員、フォローしきれてないからな!?」


 後ろ二人は論外として、ジネットのも結局『セロンの方が俺よりカッコいい説』の否定にはなっていない。『土俵が違えば勝てる可能性もある』というだけの話だ。

 そんなもん、勝てないヤツの言い訳じゃねぇか。負け犬の遠吠えだ。


 ……まぁ、セロンに顔だけの勝負を挑むつもりはさらさらないけどよ。


「あの……。それで、僕に何か用でしょうか?」


 控えめに、『顔のいい方の男』が一歩進み出る。

 ……けっ。


「あんたがこの娘の結婚相手かい?」

「え……は、はい! ウェンディさんとは、いいお付き合いをさせていただいています」

「ふん! 『あんたにとって都合のいい』お付き合いだろうに」

「お母さんっ!」


 ウェンディのスパークが激しさを増す。

 これまでにないほど広範囲に渡り、今にも母親に襲いかかりそうな勢いだ。

 稲光のようなスパークが母親に向かって触手のように伸びていく。


 ……ん? 

 これって……


「これ以上セロンを悪く言うと、本当に許さないからっ!」

「許さなくて結構! 人間が亜系統とまともな結婚なんかするもんかい! 妾が精々、下手すりゃ奴隷のように扱われるに決まってる! 亜種のアゲハチョウ人族でさえあんな目に遭わされたんだよ!? それなのに、人間を信用してるだなんて、正気の沙汰じゃないね!」

「アゲハチョウ人族のアレは……確かに…………けど、それとセロンは関係ないっ!」

「人間なんてのはどれも同じさっ! 亜人を見下し、亜種を食い物にし、亜系統を奴隷のように思っているのさっ!」

「お母さんっ!」

「『お母さん』と呼ぶんじゃないよっ! あんたはもう他所の娘だっ!」


 ウェンディのスパークが勢いを増し、世界の色彩を塗り潰していく。

 その向かいで、ウェンディの母親からも何か霧のようなものが噴出している。

 キノコが胞子を吐くように、白っぽい何かが辺りへと撒き散らされる。

 そして、その霧のようなものがウェンディのスパークに触れてバチバチと火花を散らす。


 ……ふむ。やっぱりか。


「よし、そこまでだ! 落ち着け二人とも」


 俺は近距離で睨み合うウェンディと母親の間に体を割り込ませる。


「え、英雄様…………ですが」

「いいから。一度落ち着け」

「…………っ」

「セロン」

「は、はいっ!」

「ウェンディを連れて、俺の視界に入らないところでイチャイチャしてこい」

「はいっ! …………え?」


 興奮したウェンディを落ち着かせるには、セロンとのイチャイチャが一番効果的だろう。

 だが、俺に見えるところではやるなよ? 燃やすからな? 火の粉で。


「あ、あの、英雄様……私は、別に……」

「いいから。ここは俺に任せておけ」

「…………はい」


 不満顔のウェンディ。けれど、俺に向かって文句を言うことはない。

 なんだか、申し訳ないくらいに俺を立ててくれている。

 そこまでしてもらえるようなことをした覚えはないのだが……

 だからまぁ、せめてな。今回のことくらいは丸く収めてやりたい。


「アタシには人間なんぞの言うことを聞いてやる義理はないんだけどねぇ」


 一応、不快感は表し続けているものの、声のトーンは抑えられている。

 こっちはこっちで、別に娘との決別を望んでいるわけではなさそうだ。

 おそらくウェンディと同じで、出来ることなら和解したいのだろう。ただ、意見を曲げる気も譲る気も一切ないというだけで。


「とりあえず、落ち着いて話をしないか?」

「…………茶も出さん。家にも招かん。ここで、立ち話でなら、少し時間を割いてやってもいいよ」


 ……そりゃ、まぁ……なんつぅか…………


「出来たお母さんだこと」

「あんたに『お母さん』なんて言われたくないねっ! 怖気が走るよ!」

「んじゃ、オバサン」

「アタシは永遠の十五歳だよっ!」


 うわぁ、懐かしい。

 ウェンディに初めて会った時も同じこと言われたなぁ……さすが遺伝子。

 ちらりと視線を向けると、ウェンディは必死に顔を背けていた。

 うん。自覚はあるらしい。


「それじゃあ、名前を教えてもらってもいいか?」

「あんたらに名乗る名なんてないねっ!」


 どうしろっつぅんだよ?

 まさか、『お嬢さん』とでも呼べってか?


「母の名前はバレリアです」

「ウェンディ! 勝手に教えるんじゃないよ! 『お嬢さん』って呼んでほしかったのにっ!」


 呼んでほしかったのかよ……

 予想的中だな。勘冴えてんなぁ、俺。全然嬉しくないけど。


「父はチボーといいます」

「おぅ。情報提供ありがとうな。こっちはもういいから、少しセロンと話をして落ち着いてこい」

「…………はい」


 俺が言うと、不満そうながらもウェンディはそれに従った。

 セロンに連れられて、来た道を少し引き返していく。…………花園に行って二人で蜜でも飲む気なのか? ……ちっ。


「まぁ、ウェンディが俺たちをここに招待したがらなかったわけは分かったな」

「この親に会わせたくなかったってことだね」


 エステラはそう読み取ったようだが、おそらくそれは少しズレている。

 ウェンディは、この親を俺たちに見せたくなかったわけではなく、この親と言い争う自分を見せたくなかったのだろう。

 そして、この親に会えば、必ず言い争ってしまうと確信していたので渋ったのだ。


 その証拠に、俺たちを置いてこの場所を離れることを拒絶しなかった。


 それはつまり、ほんのわずかでも期待しているのだ。

 俺たちが、この頭の固い親を説得してくれることを。


 ……アッスントの言う通りだったな。

 面倒なことに首を突っ込んでしまったらしい。


「とりあえず提案だ。今後ウェンディと話をする時は極力落ち着いて話すようにした方がいい」


 話をする前に、アドバイスをしといてやる。これ以上ヒートアップすると危険だからな。

 なのだが……


「何が落ち着いてだ! あんたら人間が関わってこなきゃこんなことにはならなかったんじゃないかい! あの娘をあんなおかしな体質にしておいて、他人事かい!?」


 ……あの体質は研究に没頭した結果で、俺を非難するのはお門違いだと思うんだが……まぁ、その研究のおかげで四十二区の夜は明るく照らされるようになったわけで、俺たちは大いに助かっているってことを加味すれば他人事ではないかな。


「だから、その体質があるからこそ落ち着けと忠告してやってるんだよ」

「あんたに言われる筋合いじゃないねっ!」

「そうでなきゃ、何もかも失っちまうぞ。家も、自分の命も……娘の命も」

「――っ!? ふ、ふん。脅しかい? ついに本性を現したね! これだから人間は……っ!」

「いや、だから。忠告だと言ってんだろ。これは、お前らの体質上避けられない大問題で、想定される惨事は遠くない未来必ず引き起こされる」


 真面目なトーンで言うと、ウェンディの母バレリアは息をのんだ。

 事の重大さを少しずつだが肌で感じ始めたようだ。


 少々激情家で短絡的な面もあるが……顔色を変えたタイミングが『娘の命』ってところだった点は評価出来るかもしれない。

 こいつも、娘を憎んでいるわけではない証左だな。

 なんとか出来る余地はありそうだ。


「まぁ、論より証拠だ。レジーナ、火の粉をちょっとだけ分けてくれないか?」

「ん? 一体何に…………あ、そういうことかいな」


 俺のしようとしていることに気が付いたのか、レジーナは少し考える素振りを見せた後でうんうんと頷いた。

 この状況を見て察したのだろう。


 異常なまでにスパークするウェンディの発光に、周りと比べて段違いでくすんで見えるこの建物。そして、感情に任せて霧のようなものを噴き出すバレリア。

 俺の考えも推測でしかないが、まぁ、概ね当たっているはずだ。


 検証してみて間違ってたら「間違ってたや、てへっ」とでも言っておけばいい。

 危険を放置するより、ちょっと恥をかく方がはるかにいいからな。


 そんなわけで、検証だ。


 火力はレジーナに任せる。

 頼むぞ。シャレにならないことは避けつつも、それなりに派手でインパクトのある分量を的確に寄越してくれ。


 差し出した俺の指先に、レジーナが小さな木匙でちょっぴりの火の粉をつける。

 のりしおチップスを食べた後、指先についている青のりくらいの分量だ。こんなもんでいいのか? 


「ちょっと下がってろ」

「な、何をする気だい?」

「大丈夫だから、下がって見てろって」


 事情を察して自発的に下がったエステラとジネットとは違い、状況が見えていないバレリアに注意を促してやる。

 そして、俺はパーラーでレジーナがやったように、指の腹を合わせ火の粉に圧力を掛けつつ摩擦した。

 すると――


 ボゥッ! バチバチバチィッ!


 ――炎が上がり、さらに辺り一帯に幾百もの火花が飛び散った。


 あちらこちらで悲鳴が上がり、俺自身も想像以上の火の手に若干ビビって身がすくんでしまった。

 ……レジーナ、火力間違ったんじゃねぇのか?


 だが、心配した建物への引火も、人体への火傷もないようだ。

 天才薬剤師は、目分量だけで被害の出ないギリギリを見極めてくれたようだ。

 ……もうちょっと手加減してくれてもよかったけどな。


「…………ビ、ックリしたぁ…………ここまで派手になるとは思わへんかったなぁ」

「狙い通りじゃないのかよ!?」

「怖いわぁ……」

「いや、勝算なく適当な量を寄越してきたお前が怖ぇよ」


 下手したら俺が放火魔になるところだったじゃねぇか。

 まぁ正直、俺も粉の量を見て「え、こんなもん? もうちょっとあってもよくね?」って思ったけども。俺が自分で量を調節してたらこの付近一帯吹き飛んでたかもしれないけども。


「な、何をするんだいっ!? 危ないじゃないか!」


 鬼の形相でバレリアが吠える。

 そう、危ないのだ。


「あのまま、母娘ゲンカをヒートアップさせてれば、これ以上の大惨事になってたんだぞ」


 内心、想像以上の火力に心臓バクバクなのだが、そんな素振りはおくびにも見せず、俺はバレリアに状況を説明する。


「これは、お前ら親子の体質による不可避の事故を事前にシミュレートした結果だ。こうなりたくなければ、今後娘と話をする時は激高しないことだな」

「アタシたちの体質……? どういうことだい?」


 さっきの火花が相当怖かったのか、バレリアは興奮を抑えるように声を潜めて問いかけてくる。

 うん。分かるぞ。俺もちびりそうなほど怖かったし。

 危うく嬉ションエステラと同列になるところだった。危ない危ない。


「さっきの火花の正体はこいつだ」


 と、俺は空中を指さす。

 目を凝らして、俺の指さした辺りを睨むバレリア。しかし、何も見つけられないのか、訝しげな表情を浮かべる。


「何もないじゃないかっ。バカにしてんのかい!?」


 声を荒げるバレリア。それと同時に、バレリアの体から霧のようなものが噴き出してくる。


「それだよ、それ」

「それ?」


 眉を歪めるバレリアに近付き、俺はそっと肩に指を触れる。


「な、何するんだいっ!?」


 警戒心を剥き出しに、俺に触れられた肩を押さえて勢いよく後退るバレリア。

 すげぇ怖がられてるなぁ。


「これだよ」


 落ち着かせてやろうと、指先についたキラキラと輝く粉を見せつけてやる。

 俺の指先に付着した粉。それは……


「鱗粉だ」


 ヤママユガ人族であるウェンディとバレリアは、感情が高まると全身から鱗粉を噴出させる体質をしているのだ。

 ウェンディが発光して見えたのは、体表面に付着していた光る粉が鱗粉に載って体から離れたことで、光の範囲が広がったためだろう。

 そして、さらに感情が昂ると光は熱を帯び、この燃えやすい鱗粉に引火してスパークしていたというわけだ。

 光が熱を帯びる仕組みは、粉のせいなのか、ウェンディの体温上昇によるものなのかまでは分からんが……火の粉に反応して火花を散らしていたところを見ると間違ってはいないはずだと推測出来る。

 なにせ、この火の粉の発する温度は『寝起きの布団』くらいのものなのだから。


 そして、この一帯がくすんでいるのもその鱗粉が原因だろう。

 この怒りっぽい性格のバレリアの住む家だ。ことあるごとに噴出された鱗粉が溜まり、空気中に漂い、遂には日光を遮るくらいにまで広がっているのだろう。


 そんなところで母娘ゲンカなんかを繰り広げれば……やがてすべての鱗粉に引火して、家と渦中にいた二人を燃やし尽くしてしまいかねない。


 その危険を、俺が事前に教えてやったのだ。


 ウェンディは、こういうのを見せると気にし過ぎて、下手したら感情を殺すような方向に向かいかねないので、細心の注意を払いつつ後日説明してやるつもりだ。

 普通にしていれば問題ないというのも、普段のウェンディが証明しているしな。激高しなければ問題ないのだ。

 要するに、こいつら親子を仲直りさせてやれば、そんな大参事は起こらないってわけだ。


「話を聞いてくれねぇか?」

「…………ふ、ふん。そんな必要はないね。もう二度とあの娘に会わなきゃ、そんな大惨事も起こりゃしないんだろ?」

「それでいいのか?」

「………………あんたにゃ、関係ないだろ」


 吐き捨てるように言って、バレリアは俺に背を向けた。


「帰っておくれ。あんたらを歓迎するつもりはないからね」


 そう言って、自宅へと足を向ける。

 話すことは何もない、という態度だ。


「出直すかい、ヤシロ?」


 俺の背後にそっと近付き、エステラが小声で尋ねてくる。

 出直し、か……

 確かに、話をする前に色々と情報を集めた方がよさそうだ。


 特に、『亜人』『亜種』『亜系統』ってやつについてはな。


「バレリア」


 遠ざかる背に声をかけると、バレリアは足を止め、数秒後に首だけをこちらへ少し傾けた。


「……誰に許可取って呼び捨てになんかしてんだい。無礼な男だね」


 温度の無い声が返ってくる。

 怒っているようであり、呆れているようであり……感情が読み取りにくい口調だ。


 呼び捨てがダメとなると……


「バレリアちゃん」

「なんでちゃん付けを選んだんだい、ヤシロ!?」


 関係のないエステラが突っ込んでくる。

 こいつはそばにいると、何かにつけて突っ込んでくるよな。構ってちゃんか? やっぱ犬的要素持ってんじゃねぇか?


「さん付けが普通だろ、こういう場合」

「『バレリアたん』?」

「『さん』!」

「……バカにしてんのかい、あんたら?」


 首だけを微かに向けていたバレリアが、完全にこちらに向き直っていた。

 ……………………あっ、うん。作戦通り。


「さん付けとかメンドウクセェ。バレリアでいいだろ?」

「……ったく、人間はいつも強引だ…………」

「その場しのぎに取り繕う偽善者より信頼出来るだろ?」

「よく言うよ…………あんた、名前は?」

「ヤシロだ」

「ヤシロ…………か。しっかり覚えておいてやるから、あまりバカげたことはしないことだね。アタシは一生涯人間の悪評を言い触らして回るつもりだからね」

「捏造でなければ好きにしろよ。で、なんて呼べばいい?」

「………………好きにしな」


 バレリアが折れた。

 これは、一歩前進と言っていいだろう。

 すべてを拒絶しているわけではないということが分かっただけでも、今回は収穫があったと思おう。


「ところでババア」

「誰がババアだいっ!?」


 好きに呼んでいいっつったくせに! なんて嘘吐きだ!? 五秒で意見を覆しやがった!


「バレリア。俺たちは、ウェンディの結婚式を四十二区で行うつもりだ。二人の門出を祝う式典とパーティーだと思ってくれればいい」

「……ふん」


 と、拒絶のポーズは取るものの、その場を去らないということは話に興味はあるのだろう。

 自分の娘の結婚を祝う式典なんてもの、この世界の人間には考えられないもののようだからな。


「その結婚式に、ウェンディの両親にも出席してもらいたい。もちろん、祝福するために、だ」


 ここへ来た本来の目的を伝えておく。

 こちらの目的を明示しておけば、次からはその話に持っていきやすくなる。

 俺の顔を見たら「結婚式の話をしに来たんだな」と思うようになるだろう。


 少なくとも、圧力をかけて虫人族に危害を加える意思はないってことくらいは理解してくれるはずだ。


「今すぐには無理だろうが、首を縦に振ってくれるまで何度でも通わせてもらうつもりだ」

「やめとくれ。時間の無駄だ」

「無駄かどうかは俺が決めるさ」

「なら、きっぱり言ってやる! お断りだね! 祝うほどの価値も無い。ただの奴隷契約じゃないか……っ」


 バレリアの顔が歪む。

 その表情がこいつの本心なのだろう。

 つまり、こいつは嫌なのだ。


 可愛い我が娘が、憎い人間の奴隷にされてしまうことが。


 なら話は簡単だ。

 こいつの、その凝り固まった偏見と思い込みをなくしてやればいい。


 もっとも、何度か往復することにはなりそうだけどな。

 ……馬車、どっかでレンタルとかした方がいいかな?

 ハビエル、馬くれねぇかなぁ……


「とにかく帰っておくれ。そして、出来れば二度と来ないでくれると嬉しいねぇ」


 踵を返し、しっしと手を振るバレリア。


「分かった。また来るよ」

「何が『分かった』だ! まるで分ってないじゃないか!」


 背を向けたまま声を張り上げるバレリア。けれど、鱗粉は噴出していない。

 それが答えだ。


「『出来れば二度と来ないでくれると嬉しい』なんてのは、俺たちの世界では『素直に認めたくはないけれど本当は強引にでもこっちの考えを変えてほしい』って意味で解釈されるんだよ」

「…………勝手な世界があったもんだね。あんたみたいなわがままな分からず屋が多い世界なんだろうね、きっと」

「あぁ、そうだ。だから、お前のことも救ってやれる」

「アタシは別に……っ!」

「また、来るからな」


 落ち着いた声で、ゆっくり、はっきりと告げる。

 それで、俺の思いは通じたのだろう。

 バレリアはしばらく黙った後で、ため息交じりにこう言った。


「………………好きにしな」


 バレリアは、説得出来る。

 今の言葉を聞いて、俺はそう確信した。


「じゃあ、出直すか」


 バレリアは、こちらに背を向けたまま動こうとしない。

 こちらが立ち去ってやらなければ、あのまま動くことが出来ないのだろう。

 現状は把握した。収穫もあった。

 ならば出直すのが得策だろう。

 そう思い、俺が振り返ると…………そこに変態がいた。


「…………」

「…………」


 蛾。……なのだが。

 俺の身長を超えるような巨大な蛾がいた。

 頭が完全に蛾で、背中にはデカい羽が二対四枚生えている。そして、特徴的な大きな昆虫の尻――正確には腹なのだが――を持っている、どこからどう見てもヤママユガ人族という男。

 ただし、両腕と両足、それから腰から胸、首までは人間のものだった。

 割と筋肉質な上半身の上に蛾の頭が乗っており、お尻が虫っぽい感じで盛大に突き出していて、そこから競輪選手のようなムキムキの足が生えている。


 ここまでなら、まぁ、虫人族だからとなんとか納得することが出来たかもしれない……だが、だがしかしっ!


 おそらく、羽と尻が邪魔で服が着れないのだろう……

 ムッキムキの上半身は裸で、下半身は黒いタイツを太ももまで上げて穿いている。

 下腹部は虫の尻と一体化しているので、放送コードに引っかかる部分が見えないのはせめてもの救いか…………いや、どう贔屓目に見てもほとんど全裸の変態タイツマンだ。


「ぎゃーーー! 人間んんんー!?」


 いやいや、叫びたいのはこっちだ!


「あんたっ!?」


 そんな変態タイツマン(蛾)を見るや、バレリアが勢いよく走ってきて、盛大に鱗粉を撒き散らしながらその変態タイツマン(蛾)に飛び蹴りを喰らわせた。


「痛っ!?」(鱗粉「ぶわー!」)

「今までどこをほっつき歩いてたんだい!?」(鱗粉「ぶわー!」)

「い、いや、花園の方に……痛い、痛い! 触角、引っ張んないでよカーちゃん!?」(鱗粉「ぶわー!」)

「やかましいよ! あんたがいない間にアタシがどれだけ……っ! あぁ、もう! 今日はご飯抜きだからねっ!」(鱗粉「どぶゎー!」)

「そんなぁ!? 勘弁してよ、カーちゃんっ!?」(鱗粉と涙「どぶゎー!」)


 倒れた変態タイツマン(蛾)を容赦なく踏みつけるバレリア。

 二人から夥しい量の鱗粉が噴出して、視界が灰色に埋め尽くされていく。

 スモッグか……


 会話から見て、あの変態タイツマン(蛾)がウェンディの父、チボーなのだろう。

 よかったなぁ、ウェンディ。父親に似なくて。あの遺伝子、親の代で死滅してるといいな。


「今、火の粉を使ぅたら二人まとめて丸焼きに出来るなぁ……とか思ぅてまうな」

「自重してね、レジーナ。領主として、真剣にお願いするよ」


 自重することなく鱗粉を撒き散らす蛾夫婦に苦笑を向けるエステラ。

 まぁ、レジーナの気持ちも分からんではないってところか。出来ることならそうしてやりたい気持ちは同じなのだろう。


「ヤシロさん……」


 盛大な夫婦喧嘩に、困り顔のジネット。

 おろおろとしつつ、どうしたものかと俺に意見を仰いでくる。


「放っておいてやれ。あれはあれで、夫婦の一つの形だ」

「そう……なのでしょうか?」


 あのな、ジネット。よく見てみろよ。

 バレリアの顔、真っ赤で、少し涙目になってるだろ?


 アレは、不安な時にそばにいなかった夫に対する怒りと同時に、夫を見て安心したってことを表してるんだよ。

 深い信頼関係がある証拠だ。

「もうっ、バカバカァ!」的なじゃれ合いみたいなもんだ。

 ただ、長い夫婦生活の中でその力加減がちょ~っとバイオレンスに傾いてるだけで。


「夫婦喧嘩は犬も食わん。俺たちは一旦引き返そう」


 全員を引き連れて一度花園へ戻ろう。

 仕切り直しだ。


 ヒステリックな女の叫びと、断末魔も然りな男の絶叫を耳に、俺たちは来た道を引き返していく。

 騒がしい夫婦喧嘩の音が聞こえなくなった頃、ジネットが意を決したという風に俺に声をかけてきた。


「あ、あの……」


 やや俯き、不安げな瞳が俺の顔を見上げている。

 ジネットの歩幅に合わせて速度を落としてやると、躊躇いがちにジネットが口を開く。


「……お二人は、出席してくださいますでしょうか…………?」


 それはすなわち、ウェンディと両親は仲直りが出来るだろうかという問い。

 最も懸念すべきことであり、俺たちが成し遂げようとしている事柄。


 だから、先のことなんぞ分からんが、俺は一つしかない解を口にする。


「当然だ」


 そうでなければ、俺が困るし、俺が困るなら、なんとしてでもその状況を改善する。


「そうなるように『する』んだよ。これからな」

「…………はい。そうでしたね」


 未来はどうなるか分からない。

 ならば、自分の望む未来になるように運命だのなんだのを誘導してやればいいのだ。

 ただそれだけのことだ。


 そうなるか分からないなら、そうなるように仕向けてやる。


 俺は今までずっとそうしてきたのだ。

 当然、今回もそうするつもりだ。


「盛大な結婚式にしてやろうじゃねぇか。な?」


 ニッと笑って視線を向ける。

 俺を囲むように並んで歩いていた連中の顔に、笑みが伝染していく。


「うん。ボクも最大限協力するよ」

「せやな。ウチも見てみたいわぁ、盛大な結婚式とかいうヤツを」


 そして、最後にジネットへと視線を向け「な?」とダメ押しで言葉を投げかける。

 それでようやく、ジネットの顔にかかっていた不安の雲が晴れる。


「はい。頑張りましょうね」


 いつものように微笑むジネットの顔は、やはり太陽のような暖かさを感じさせた。


 それから間もなく、俺たちは花園へと舞い戻った。





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