後日譚9 花園

 華やかな大通りを抜けてさらに奥。潮の香りが徐々に和らぎ、代わりに花の甘い香りが漂う区域に足を踏み入れる。

 三十五区の街は、街門から離れるにつれ少しずつ静かで落ち着きを増していく。まぁ、『寂れていく』と言い換えることも可能だが。

 それでも、そこはさすが三十五区。

 人通りが減って街並みが寂れても、四十二区より小奇麗に見える。

 こんなに差があるんだなぁ……四十二区もまだまだこれからだな。うん。


「この先に大きな花園がありまして、そこにはアゲハチョウ人族をはじめ、さまざまな虫人族が暮らしているんです」


 先を行くウェンディが、旅行代理店の店員のように説明をしてくれる。

 心なしか、表情が晴れやかに見える。やはり、なんだかんだで故郷の空気は落ち着くものなのだろう。


「この花園に咲く花はとても甘い蜜を蓄えていまして、ここでその蜜を飲むのが若い虫人族たちのステイタスなんです」


 原宿でクレープ、みたいなもんか。


 ウェンディが指さす先は小高い丘になっていて、その花園とやらはまだ見えてこない。

 しかし、花の放ついい香りがもう既に辺りを埋め尽くしている。少し酔いそうなほど、濃い香りだ。


「いい香りですねぇ」

「女子としては、心躍らずにはいられないよね」


 ジネットとエステラが楽しそうに会話している。

 女子的には、こういう香りは有りなのだろう。俺はちょっときつ過ぎると思うが……まぁ、アロマとか、好きな人は好きだもんな。オシャレ女子にとっては、コレくらいでちょうどいいのかもしれない。


「…………クッサ。鼻曲がってまうわ」

「うん。お前はそうだろうな、レジーナ」


 誰憚ることなく、潔いまでに堂々と鼻を摘まむレジーナ。

 お前はこっち側の人間だろうと思ってたよ。


「ウェンディさんは、花園で蜜を飲んだりされていたんですか?」


 花の香りと、ほっこりするような暖かな陽気に、ジネットが笑みを漏らす。

 少し汗ばむような気温にストールを外したウェンディは、そんなジネットの問いに小さく首を振った。


「いいえ。私は、もっと幼い時にここを離れましたので。それに……」


 そして、隣にいるセロンへと視線を向ける。


「ここの蜜は、『カップルで』飲むのが流行りなんです」

「よし、レジーナ。『火の粉』の使い道が決まった」

「気持ちは分かるけど、自制してや。花園大火災なんか起こしたら、火の粉の輸入が禁止されてまうわ」


 ちっ……ダメか。


「それじゃあ、ウェンディさん。今回、初めて飲めるかもしれませんね」

「へ……」


 手を合わせ、祝福するような声音で言うジネット。お節介な感じはせず、純粋にその事実を喜んでいるように見える。

 ウェンディも、そんな言葉に相好を崩し、セロンを見つめて「……はい」と呟いた。

 視線がぶつかったセロンとウェンディは、共に恥ずかしそうに俯いて頬を桃色に染めていた。


「よし、レジーナ。『火の粉』の使い道が決まった」

「おかしいなぁ。この二人を祝福するためにここまで来たって、さっき聞いたような気がするんやけどなぁ。気のせいやったんやろか?」


 くっそ……このイチャラブカップル……の、男の方も燃やしちゃダメなのか。

 嘆かわしい! あぁ嘆かわしーなー!


「あ、見えてきたよ。花園だ!」


 何気に、ジネット以上に花園を期待しているのであろうエステラ。散歩が好き過ぎる飼い犬のように前のめりで前進していく。もしリードで繋がれていたら、首が絞まることも厭わず「ピーン!」としていることだろう。


「嬉ションすんなよ」

「すっ、するわけないだろう!? バカなのかい!? バカなんだね!?」


 なんかもう、エステラが犬にしか見えなくなってきた。

 なんか芸でも教えてやろうかな。


「エステラ」

「なんだい?」

「お手」

「ぅっぇえええええっ!?」


 スッと手を差し出すと、エステラが素っ頓狂な絶叫を上げて、ズザザザーっと遠ざかっていった。

 無い胸を押さえて顔を真っ赤に染める。


「そ、そそ、それ、それって……は、花園に、て、て、手を繋いで入りたいって……そ、そういうこと、かな?」


 いや、犬に芸を教えようかと…………って、ん? 花園に手を?

 この花園は、カップルで蜜を飲むのが流行っている、いわばリア充のメッカで、そこを前に手を差し出すってことは………………「恋人のように手を繋いで、一緒に花の蜜を飲もうぜ……二人っきりでな☆」というメッセージに…………


「んなっ!? 違っ!? いや、違うぞ、エステラ! そういう意味じゃない!」

「そ、そういう意味って、な、な、な、なにさ!? ど、どういう意味さ!?」

「だ、だから、こ、恋び……とにかくっ! お前は犬だ!」

「誰が犬なのさっ!?」


 えぇい、うるさい!

 真っ赤な顔をしてこっちを見るな!

 怒ったように眉毛を吊り上げながらも、ちょっとだけ不安げな色を瞳に滲ませるな! なんか、期待しているように見えるんだよ、その顔! いやいや、気のせいだって分かってるけどな! つか、気のせいでないと、なんつうか、ほら、……い、色々困んだよ!


「とにかく! 手のひらを上に向けて『お手』って言われたら、ここに手を載せて『わん!』って言うのがルールなんだよ! そういう芸なの!」

「だから、なんでボクが犬扱いされてんのさ」

「お前が嬉ションするからだろうが!」

「してないわっ!」


 しそうな勢いってのは、それはつまり、もはやしたも同然なんだよ!

 汲み取れよ、そこんとこ!


「まぁ、赤髪はんは、犬っころみたいに従順やさかいな。可愛がりたぁなる気持ちも分からんではないわなぁ」

「だ、誰が従順なのさ!? ボクほど天邪鬼な人はいないと自負しているよ!」

「いや、それは自慢してえぇことちゃうやろ……」


 キャンキャンと吠えるエステラは、まさに子犬のようだった。


「他にはどんな芸があるんやろうなぁ?」


 レジーナが俺に視線を向ける。

 ……う~っわ、イヤなニヤケ顔。「手ぇ繋ぎたいんやなくて、芸やっちゅうんやったら、他にどんなんがあんのんか、言うてみ? え、言うてみたらえぇやん?」とでも言いたそうな顔だ。

 あぁ、いいだろう。言ってやろうじゃねぇか。


「『お座り』とか『伏せ』とか」

「赤髪はんには、ちょっと難しいんとちゃうか?」

「出来るわ! ……いや、しないけどね!」


 あと、何があったっけな……?


「あとは、……『ちんちん』」

「……載せるんか?」

「載せるか!」


 お手の派生じゃねぇから!

 手出して載せられたら、その犬ぶっ飛ばすから!


「あぁ、もう! 俺が悪ふざけしたのが悪かったよ! だからもうさっさと行こうぜ!」


 こんなところで桃色タイフーン吹かしてる場合じゃねぇんだよ。

 時間がないんだ、時間が!

 ナタリアも待たせてるし! 

 そうだ! 俺たちは急いでいるんだ!


 ……だから、ごめん。もう勘弁してくれ。


「ヤシロさん」


 ささくれだった俺の心を癒すように、太陽のような笑みを浮かべてジネットが俺の前にぴょこりんと跳ねるように進み出てくる。

 あぁ……暗雲に覆われた俺の心が照らされていくようだ。


 ジネットは嬉しそうな顔で、スッと俺に手を差し出してくる。

 そして――


「お手」


 ――とても、とても嬉しそうにそう言った。


 …………えっと。


「それは、『手を繋ぎたいなぁ』ってラブラブアピールなのか、『お前はわたしの犬なのよ』という飼い主アピールなのか、どっちだ?」


 どっちにせよ、反応に困るんですが?


「あ、あのっ、いえ! 特に、そういう深い意味はないんですが……その…………ちょっとやってみたくなりまして……すみません、出来心です」


 差し出した手を慌てて引っ込めて、胸の前でギュッと握りしめる。

 さも、「この右手が粗相をしてすみません」とでも言うように。


 ……うん。恐ろしい場所だな、花園。

 いつものノリが大惨事を引き起こす。大火傷どころの騒ぎじゃないもんな。

 ……これだからリア充のたまり場は…………爆ぜろ! そうだ、全部リア充どもが悪い!


「花園にいるカップル、みんな破局しろー!」

「なんてこと言うんですか!? じょ、冗談でーす! 今のはなしですよー!」


 別に、誰が聞いているわけでもないのに、ジネットが慌てて訂正する。

 そんな、口にした言葉がすべて実現する世界でもないだろうに。


「ねぇ、セロン」

「なんだい、ウェンディ?」

「うふふ……『お手』」

「え~……もう、しょうがないなぁ。はい、お手」

「うふふ」

「あはは」

「爆ぜればいいのに」

「自分。どす黒い感情隠そうともせぇへんその姿勢は、ある意味男らしいとは思うけど、自重しぃや?」


 俺は、別にリア充どものイチャラブシチュを提唱するつもりもなければ、「こんなお戯れどうでしょう」と紹介するつもりもないんだよ! 真似すんな! ……つか、俺はそういうことやりたいんじゃねぇわ!


「な~んや、ウチも何かやってほしぃなってきたなぁ~、わんわん」


 レジーナがニヤニヤと、俺にすり寄ってくる。

 ……この真っ黒薬剤師……腹まで黒いのか。


「わんわん、やで?」


 イラァ……


 ……ふっ。よぉし、分かった。


「レジーナ、『ハウス』ッ!」

「なんや、酷いこと言われた気がするっ!?」


 お前は今すぐ巣に帰れ! 一人で!


「……っとに。ほら、もう行くぞ」

「あ……っ」


 アホを無視して先へ進もうとすると、隣から空気漏れのようなか細い声が漏れ聞こえてきた。

 視線を向けると、ジネットが「…………じぃ」っと、遠慮がちに俺を見つめていた。

 ……なんだよ、その「わたしも、出来れば……」みたいな控えめなおねだり視線は。

『ハウス』って言えばいいのか?

 ……ジネットなら真に受けてへこみそうだな。かと言って『お手』はなぁ…………あ、そうか。


「よし、ジネット!」

「はいっ」

「『お乳』!」

「懺悔してください!」


 差し出した俺の手にジネットのお乳が載ることは、……なかった。

 ……くすん。


 余計なことで体力と気力を盛大に擦り減らされてしまった。

 かかなくてもいい冷や汗をかき、喉もカラカラ、……いや、ガラガラだ。

 デートスポットがそばにあるというだけで、こうまで日常生活に悪影響をもたらすなんて……


「まぁ、要するにあれだ。花園はろくでもない場所だってことだな」

「いえ、あの、英雄様。私が言うのもなんですが、もっと普通に楽しめる場所ですよ?」


 なんだよ、俺が普通じゃないってのか!?

 別に意識とかしてねぇし!

 周りとか気にしないタイプだし!

 ただ一つだけ――


「リア充全員、不幸になれー!」

「じょ、冗談ですからねー!」


 口の両サイドに手を添えて叫ぶ俺の横で、ジネットがまったく同じ格好でそれを訂正する。

 何が冗談だ。大真面目だっつの!


「英雄様も、花園に入れば楽しくなるかもしれませんよ。本当に綺麗な場所なんです」

「別に俺、人生に『綺麗』とか求めてないし」

「そう言わずに、ご一緒いたしましょう。さぁ」


 俺を宥めるように、ウェンディが花園へと俺たちを誘う。

 ウェンディとセロンが先頭を行き、俺はそれに続く。

 少し遅れてジネットが付いてきて、その後でエステラがスススッと俺に接近してきた。


「ヤシロのせいで変に疲れた……」

「なんで俺のせいなんだよ」

「ヤシロのせいだよ」


 トンっと、肩を俺の腕にぶつけてくる。なんだよ、そのささやかな反抗。

 ボディータッチにちょっとドキッとしちゃうだろうが。


「……自重してよね」


 最後に、わき腹に八つ当たりネコパンチを繰り出てくるエステラ。

 大した衝撃でもなかったのだが、意表を突くわき腹の攻撃に不覚にも半歩ほどよろめいてしまった。……くすぐったかったんだよ。

 そして、その半歩のよろめきのせいで、左隣にいたジネットに接触してしまった。


「あ、悪ぃ、ジネット」

「いえ…………わたしの方こそ…………申し訳ありませんでした……」


 お戯れが過ぎたと、ジネットはやや自嘲気味な、困ったような笑みを浮かべる。

 おそらく、この場所の空気が悪いのだ。ここの空気は、人間を変なテンションにさせる効果があるに違いない。

 そうでなければ、人前で花の蜜を、それも二人で飲むなんて公開処刑みたいな真似出来るはずがないからな。

 うん、そうだ。きっと変な毒でも飛び交ってるんだよ、この場所には。

 ……花園、マジで燃やしてやろうかな。世界と、独り身男子の心の平穏のために。


「見えてきましたよ。あそこが、花園です!」


 ウェンディが指さす先には、辞書の『楽園』という言葉の横に例として描かれていそうな、そんな美しい光景が広がっていた。

 広大な土地に、色とりどりの花が咲き乱れ、風に揺れては芳しい香りを辺りへと漂わせている。

 可憐に咲く花々が、世界を幸福な色へと染め上げている。


 そんな楽園のような広大な花園の中で、二人一緒に花の蜜を飲んでいる虫人族がいた。


「……んぐっんぐっんぐっ! ぶっふぁ~! んまいっ!」

「ジュゾゾゾゾゾゾーーーー! くひぃ~! 染みるぅ!」

「なんだ、あの汗臭そうな魔獣どもは?」


 そいつらは、頭に大きな角を生やしたガタイのいい連中で、どっからどう見てもオッサンだった。


「オ、オッサン同士のカップルかいなっ!? ……は、捗るわぁ!」

「捗るな! 怪しいメモを一心不乱に書き殴るな!」


 いかん。このままでは四十二区に、また一つ腐れた物語が増えてしまう。

 火の粉、ここで使うか? メモかレジーナが燃え尽きればしめたものだ。


「彼らは、カブトムシ人族とクワガタ人族の男性のようですね」


 ウェンディの言葉はおそらく正しいのだろう。

 なにせ、顔がどう見てもカブトムシとクワガタなのだ。


「お……あんたら、人間かい?」


 カブトムシのオッサンが俺たちの姿を上から下から舐めるように観察して言う。

 ……失敬なヤツだな。


「カブさん。……こいつら、服が……」

「あぁ、そうだな。もしかしたら貴族かもしれねぇな」


 と、聞こえる声で内緒話をする。

 ……失敬なヤツらだ、本当に。


「なぁ、あんたら。俺たちを見て、どう思うよ?」


 失敬。

 汗臭い。

 見る価値もない。Because、オッサンだから。


 が、まぁ、わざわざケンカを売ることもないだろう。

 失敬な言動くらいは大目に見てやるさ。今日は争いをしに来たわけじゃないからな。

 過去を乗り越えた俺は、一回り大きく成長したのだ。

 心の余裕ってやつを見せてやるさ。


「オッサン二人で甘いもんを嬉しそうに飲んで、気っ色悪ぃなぁ」

「ケンカ吹っかけてどうするのさっ!?」


 いやいや。

 素直な感想を述べただけだし。

 差別とか、そういうドロドロしたものではなく、ただただ純粋に汗臭いなぁって。


「あっはっはっはっ! オッサンが二人で甘いものは気色悪ぃか。こりゃあ、一本取られたぜ!」


 多少はイラッとされるかと思ったのだが、カブトムシのカブさんとやらは大声を上げて笑い出した。

 隣のクワガタもくすくすと笑っている。


「いやいや。この花の蜜は疲れた体を癒してくれて、活力がみなぎるんですよ。ガテン系ギルドの連中は結構みんな飲んでるんですよ」


 そんな説明を、クワガタの方がしてくる。

 カブトムシがカブさんなら、こいつはクワ君ってところか?


「クワ君は、いい体つきをしているのに腰が低いんだな」

「クワ君? って、俺のことですか? 人種名であだ名付けられたのは初めてだなぁ」

「ん? だって、こっちのカブトムシはカブさんだろ?」

「おいおい。俺はカブトムシ人族から取ってカブって呼ばれてんじゃねぇぞ」

「じゃあ、なんだよ?」

「名前がカブリエルなんだよ」

「なんか足んない!?」


 ガブリエルじゃないのか!? パッチもんか?

 ルイピトンみたいなもんか?


「ちなみに、俺はマルクスです」

「普通!?」


 お前はロレッタか!?

 クワガタに一切かかってねぇじゃねぇか!


「ふっ、ははは! 面白い兄ちゃんだな! 気に入ったぜ。あんたも一杯やってくか?」


 カブリエルが足元の花を指さして俺に聞いてくる。

 まぁ、興味はあるんだが……さっきパーラーでジュース飲んだところだしなぁ。


「ウェンディ。君も何か飲むかい?」

「え……それじゃあ、セロンと一緒に……」

「あぁ、すまん。俺たちは物凄く急いでるんだ。今すぐにここを出なきゃいけなくてな! 一口たりとも蜜を飲んでる時間はなさそうだ。いやぁ残念残念!」

「……ヤシロ。君はセロンたちを応援したいのか邪魔したいのか、どっちなんだい?


 エステラがため息交じりに俺を非難する。

 応援か邪魔か?

 そんなもん決まってんだろう。


 応援はするが、俺の前でイチャラブはさせない!


「そうかい。急いでるんならしょうがねぇわな」


 誘いを断ったことを、特に気にするでもなくカブリエルは人好きしそうな笑みを浮かべる。

 こういう上司がいたら、無条件で付いていきたくなる。そんなタイプなんだろうな。


「でもよぉ、あんたら」


 そんな、いい上司然としたカブリエルが声を潜めてこんなことを言う。


「花園より奥へ行くなら、ちょっと気を付けた方がいいぜ」

「危険な場所でもあるのか?」


 顔を寄せ、情報を聞き出す。

 もらえそうな情報は根こそぎもらっておきたい。『この花園の奥』なんて表現をするってことは、ここが境界なのだろう。

 なんの境界かなんてのは聞くまでもない。


 この花園は、人間の住む場所と虫人族の住む場所の境界なのだ。


「この三十五区は、俺たち亜種にもよくしてくれる。だが、中にはまだ人間に対して良好とは言いがたい感情を抱いている者も少なからずいる。……いや、まだまだ多い」

「…………」


 カブリエルの言葉の中に気になるものがあり、俺の意識はそこで引っかかる。

 ……『亜種』?


「まぁ、多少気に障るようなことや、無礼に感じることもあるかと思うが……根はいいヤツらなんだ。どうか、気を悪くしないでやってほしい。この通りだ」


 そう言って、勢いよく頭を下げる。――の、だが。


「痛っ!?」


 カブリエルが頭を下げたせいで、カブトムシの立派な角が俺の脳天を殴打した。

 …………今、気に障って無礼に感じることがあったのだが? これも大目に見なきゃいかんのか?


「あぁ、すまねぇ! つい……というか、まぁ、不可抗力というか……いや、悪ぃな」


 苦笑を浮かべ、頭をかくカブリエル。

 本当に悪気はないようだ。

 その角と何年連れ添ってるのか知らんが……完全に制御は出来てないようだ。危険人物め。


「ヤシロさん、大丈夫ですか?」

「あぁ。ホントは一発どつき返したいけど、ケンカしたら確実に負けそうだから我慢する」

「あ、あの……どうか、穏便に……あ、あとでお薬塗ってあげますから。ね?」


 穏便に済ませるさ。

 マルクス一人なら勝てたかもしれんが……カブリエルは無理だからな。

 勝てないケンカはしない! それが大人のマナー!


「いやぁ、ホントにすまん。詫びに、何かあった時は言ってくれ。力になるからよ」

「何かって……何が出来るんだよ?」

「俺たちは引っ越し屋なんだ。だから、物を運んだり、遠くへ飛ばしたりは得意だぜ!」

「……遠くへ、飛ばす?」


 引っ越し屋が、何を遠くへ飛ばすんだ?


「近距離の引っ越しなら、荷物を放り投げた方が効率がいいだろう?」

「丁寧に扱えよ、客の荷物!?」


 引っ越し屋が荷物放り投げるって、日本だと三日で倒産するレベルだぞ!?

 こいつらに頼めることなんぞ、何もなさそうだ。

 もういいか。頭ぶつけたっつっても、大したことなかったし。もう痛くもないし。

 この後ジネットにお薬を塗ってもらう(という前提で膝枕してもらう)し。


 ……膝枕、いけるだろうか?

 さり気な~く、そんな雰囲気に持ち込めれば…………ジネットが、そういう空気を察してくれるだろうか? この、ここぞという時にアホの娘を発揮する、割と残念な娘・ジネットが。


 あらかじめ頼んでおく方が無難か?

 あくまで、さり気なく。かつ、それが当然だと思い込ませるように……


「なぁ、ジネット」

「はい?」

「あとで、膝枕を塗ってくれ」

「…………はい?」


 いかーん!

 ちょっと動揺しちゃったかも!

 あぁ、もう! ここで膝枕って言っちゃったら本番の時言いにくいじゃん!

「あ、それが目当てなんだな」って、まる分かりじゃん!

 あぁ、もう! 台無しだ! やってらんねぇ!


「…………何もかもをやり直したい」

「もう一度、角で思いっきり叩いてほしいってことかい、ヤシロ?」


 空気を読んだ上で、あえて空気を読まない発言をするエステラ。

 お前みたいに察しのいいヤツはちょっと口を閉じていてもらおうか。……俺のこのやるせない気持ちを理解しているのならな!


 ……ったく。散々だ。


「忠告、感謝するよ。最初に聞いておけば、不測の事態に見舞われても対応は出来るだろう」

「そうか。そう言ってもらえるとありがてぇよ」


 カブリエルが真っ白な歯を覗かせる。

 ……カブトムシに、歯。なんか物凄い違和感。ま、今さらだけどな。


「んじゃ、そろそろ行くわ」

「おう! また会えるといいな。えっと……ヤシロ、だったか?」

「あぁ。ついでにこっちから、犬、リア充カップル、腐った変態、おっぱいの人だ」

「だから、なんでボクが犬なのさ!?」

「あの、英雄様。僕たちは二人で一つなんですか?」

「リア充という言葉をよく使われますが、私たちはソレなのでしょうか?」

「変態はともかく、腐ったいうんはよう分からへんなぁ? ウチのどこが腐っとるん?」

「あ、あの、ヤシロさんっ。お、おっぱ…………その呼び方はやめてくださいっ」


 俺がまとめて紹介してやったというのに、俺の連れどもは揃いも揃って文句ばかりだ。

 これほど的確な表現もないだろうに。


 カブリエルとマルクスが盛大に笑い、手を振り合って俺たちは別れた。

 花園にはまだ他の虫人族が多数いたが、カブリエルたちと楽しげに会話していたおかげか、誰も俺たちにちょっかいをかけてくる者はいなかった。


 警戒心は強いが、害がないと判断すれば特に攻撃を仕掛けてくることもない。

 ……もっとも、だからと言って友好的かどうかは分からんが。


 カブリエルの言葉を頭の中で反芻してみる。


 人間と虫人族の間で、摩擦が生じることが度々あるのだろう。

 カブリエルの言葉には、そんなトラブルに疲れきったというニュアンスが込められていた。

 そうであるなら、カブリエルたちの最初の態度も納得がいく。


 人間が虫人族の縄張りである花園に踏み入ってきたのだ。

 警戒されても仕方ない。



 ……仕方、ないのだろうか。



「なぁ、エステラ」

「なんだい? また『お手』とか言って犬扱いする気じゃ…………」

「『亜種』ってなんだ?」

「――っ!?」


 軽口を叩こうとしていたエステラだったが、そのワードを出した途端に言葉を詰まらせた。

 その反応だけで、説明は十分かもしれない。


 要するに、『そういう言葉』ということだろう。


 ……根深いなぁ。


 なんと答えたものか考えているのだろう……エステラは腕を組んで黙り込んでしまった。

 眉間にしわが刻まれる。


「すまん。言いにくいことなら、後日でもいい。だが、話はきちんと聞かせてほしい」

「…………うん。別に言いにくいってわけじゃないんだけど…………ごめんね」


 それから、その話題には触れず十数分歩き続ける。

 花園のむせかえるような甘い香りがどんどん遠ざかり、いよいよ人気がなくなってきたところで、ウェンディが待ちに待った言葉を口にした。


「みなさん、長い道のりお疲れ様でした。到着です」


 そこは、まるで華やかな世界から身を隠すように、ひっそりと静まり返ったゴーストタウンだった。

 人の姿は見受けられない。にもかかわらず、人の気配はする……そんな薄気味の悪い区画。

 物陰からジッと見つめられているような、不気味な視線を感じる。

 本当にここは三十五区なのかと疑ってしまうような、廃屋チックな建物が軒を連ねる怪しい一角。その奥の方を指さして、ウェンディははっきりとこう言った。


「あそこが、私の実家です」



 そこは、心霊スポットと言われれば「だよね」とすぐに納得してしまいそうな、廃墟だった。



 ……ウェンディ、お前…………「やっぱり私、幽霊でした!」とか、言わないよな?





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