後日譚8 火の粉

「ちゃうねん」


 落ち着きを取り戻したレジーナの第一声は、そんな言葉だった。


「行きはよいよい、帰りは怖い……いや、『帰られへんやん、怖いや~ん』やってん」

「よく分からんが……つまりお前はアホなんだな?」

「誰が『アホの娘は可愛い』やねん!」


 すげぇポジティブに受け取られてしまった。そういやこいつ、ポジティブな被害妄想なんだっけな。


 俺たちはレジーナを見つけて……というか、レジーナに捕捉されて、予定変更を余儀なくされてしまった。

 生き別れた母親を見つけた幼い娘のようにすがりつき、わんわん泣くレジーナをあやし、宥めすかし、「とりあえずどこかで落ち着いて、何か飲み物でも飲もう……レジーナの奢りで」ということになった。


 大通りに出てすぐ、良さげなパーラーを発見した俺たちはなだれ込むようにその店に入り、日差しは温かく風は涼しいという絶好の条件の中、オープンテラスの一角に陣取ってフレッシュジュースなんぞを飲んでいる。コーヒーとか紅茶はなく、酒かジュースしかなかったのだ。

 雰囲気は喫茶店っぽいのだが、バーみたいな品揃えだ。


「素敵なお店ですねぇ」

「街並みが綺麗だから、外にテーブルを置くだけで様になるんだろうね」


 レジーナの話に興味がないのか、ジネットとエステラはパーラーの店構えと賑わう大通りが見せる、所謂『絵になる』雰囲気に瞳を輝かせていた。


 領主の館付近は、落ち着いた雰囲気と相まって整然とした美しい街並みという印象だったが、大通りはいい意味で雑多で、入り乱れ、賑やかだ。

 オープンテラスから通りを眺めると、立て看板や、控えめな花壇が面白いアクセントとなり、大通りの賑わいに彩りを添えている。

 昔映画で見たパリの街並みを思い出させる。古式ゆかしい風格と気品がある。

 プチシャンゼリゼ通り、って感じかな。


「……と、いうわけやねん」

「あ、ごめん。聞いてなかった」

「ちょっ!? じぶ~ん! 頼むわぁ、ホンマ。ウチ、ものすごしゃべったのにぃ!」


 俺が大通りの雰囲気に意識を取られている間に、レジーナが勝手にしゃべっていたらしい。全然聞いてなかった。


「で、なんで三十五区にいるんだよ?」

「そっからかいな!? しゃあないなぁ……今度はちゃんと聞いとってや!」


 じゅぞぞ~っと、キャロットジュースを飲み干し、レジーナは一つ咳払いを挟む。

 ……しかし、あのキャロットジュース…………


「実はな……」

「すげぇドロドロしてんな、そのジュース」

「聞きぃや、人の話っ!」

「すげぇマズそう」

「確かにマズいけど! 『こんなん飲んでる自分……、素敵やん』って浸りたいがためだけに開発された飲みもんちゃうんか思うけどっ! 今はウチの話聞く時間やろ!?」

「あ、でも。ボクんとこの馬がお腹壊した時にはこういうのがいいかも」

「誰がお腹壊した馬やねん!? 何と一緒にしてくれとんねん!? 年頃女子がオシャレに嗜む飲みもんですぅっ! で、そんなんどうでもえぇねん!」

「お前、元気だなぁ」

「誰のせいや!?」


 誰のせいかと聞かれれば……途中で関係ない馬の話を挟み込んだエステラのせいかな?


「謝っとけ、エステラ」

「なんでボクなのさ!?」

「さっきからちらちらレジーナのおっぱいばっかり見てるからだ」

「なっ!? そ、そんなには見てないよ!?」

「ちょっとは見とるんかいな!? どないしてんな!? ついに感染してもうたんか!?」


 おい、『感染』って、何にだ、コラ?


「いや、だって……ホントに『ツンって上向き』なんだなぁ……って」

「なんの話やねん!?」

「改めて、ヤシロの凄さを実感したよ……」

「あれれ~、おかしいぞ~? なんでか全然褒められてる気がしないなぁ」

「あの、ヤシロさん。おそらく、褒めてはいないのではないかと……」


 無礼なニュアンスを含むエステラの言葉に、ちょこっと俺のおへそが曲がり出す。

 ジネットが気遣うように話しかけてくれたのだが……ふん、そんなことは分かっている。分かっているからこそ、おへそが曲がるのだ。


「はぁ……会ぅて早々おっぱいの話って…………四十二区も、いよいよ末期なんかもしれへんなぁ……」


 四十二区でも群を抜いた末期患者のレジーナが悲嘆に暮れる。

 なんだか、こいつに言われるとイラッてするな。

 というか、なんでそんな憐れんだ視線を『俺に』向けるんだよ? おっぱいの話をしてるのはエステラだろうに。


「港町の三十五区……木こりの四十区、狩猟の四十一区……そして、おっぱいの四十二区……」

「そういう印象操作はやめてくれるかい、レジーナ!?」

「いや待て、エステラ! …………『有り』かもしれんぞ?」

「無しだよ!」


 おっぱいに反発するちっぱい。

 自分がマイノリティーだからってへそを曲げちゃって。

 いい歳してへそを曲げるな! 大人げない!


「それで、あの、レジーナさん」


 困ったちゃんなエステラの肩を撫でて宥めつつ、ジネットが視線をレジーナへと向ける。

 その間、セロンとウェンディは「このジュース美味しいね」「こっちのも一口飲む?」と、周りにイチャラブの瘴気を撒き散らしていた。うん、こいつらは無視! 視界に入ってくるな、不愉快な!

 俺はジネットの話に意識を向ける。


「先ほどお話にあった『火の粉』というのは、どんなものなんですか?」

「あぁ、それな? 見たい? 見たいんか? ちょっと待ってな」


 話題を振られたことが嬉しいのか、得意げにレジーナがカバンを漁り始める。


「『火の粉』ってなんだ?」

「自分、ホンマに聞いてへんかったんかいな!? 話のメインやったのに!」


 レジーナが目を剥いて非難してくるが、聞いていなかったものは仕方ない。

 諦めてもう一回説明するのが大人のマナーというものだろう。


「はぁ……ホンマもう……しゃ~ないなぁ………………」


 これ見よがしにデカいため息を吐いて、レジーナがかぶりを振る。


「まぁ、えぇわ。もう一回話したるわ」


 カバンから、小さな布袋を取り出してテーブルに置く。見た感じ、何かの粉が入っているような感じがする。こう、「しゃわ……」って感じで重力に引かれていく感じが。


「ホンマはウチかて、こんな遠くまでは来たくなかってん。せやけど、ウチの贔屓にしてる行商人……あぁ、これは外の商人で行商ギルドとは違う組織の商人なんやけど……とにかくその行商人にな、『三十五区まで取りに来るなら火の粉を譲ったる』言われてな」

「それでわざわざ取りに来たのか? 引きこもりのくせに」

「くせに言ぃなや! 三十五区は船が停まるさかい、そこまでやったらついでに運んだってもえぇって言うてくれる業者は結構おってな」

「そこから中央区へ向かって、商売をして、そのまま船で帰るとなると……四十二区に行くのは遠回りどころか、完全な寄り道になっちまうな」

「せやねん! せやから、ホンマに欲しいもんは、ちょっと無理してでもここまで取りに来なアカンねん……億劫やわぁ……」


 じゃあ三十五区に住めばいい……とは、こいつには言えないよな。

 こんな活気に満ち溢れた区にレジーナを置いておいたら、きっと三日くらいで溶けてなくなっちまうだろう。生体エネルギーとか、そういうもんがあるとすれば、きっとこの街とレジーナは真逆の性質を持っているに違いない。

 アレだな。南国のビーチでブナシメジが育たないみたいなもんだな。

 で、なければ……クリスマスイブのライトアップされたデートスポットに、万年独り身のオッサンがうっかり迷い込むとガスガスライフを削られる、みたいなもんだ。毒の沼地が高級リゾートに思えるくらいのダメージ率だぜ。


 レジーナはもっとジメ~っとしたところで膝を抱えながら埃と会話して、それで初めてレジーナという存在が確立される、そういう生き物なのだ。


「不憫なヤツめ」

「なんやねんな、藪から棒に」

「しかし、ここにたどり着いただけでも大したもんだな」

「普通やったら馬車乗り場で回れ右なんやけどな……」


 少し言葉を濁して、気恥ずかしそうな表情を見せるレジーナ。その視線の先には、テーブルに置かれた小さな布袋がある。


「要するに、行きは『火の粉』欲しさにテンション上がって乗り切れたけど、帰りはその勢いすらなくなって途方に暮れてたってわけか」

「まぁ、平たく言えば、そういうことやなぁ」


 あははと、誤魔化すように頭をかくレジーナ。

 その直後、レジーナは立ち上がり、身を乗り出して、向かいに座る俺の手を取り、しっかりと握りしめた。それはもう、必死さが滲み出るほどの真面目な表情で。


「せやから、お願いや。連れて帰って……っ!」

「お前……俺らに会わなかったらどうするつもりだったんだよ?」

「たぶん死んどった」


 なにそのファミコン初期のクソゲーばりな命の軽さ。

 無計画にもほどがあるだろう。


「正直、自分らの顔を見た時、普段はさほど信じてもいぃひん精霊神様に感謝とかしてもうたもん」

「……信じてねぇのかよ」

「ウチ、外国人やさかい」

「まぁ、そうだな」

「けど、今日から精霊神様メッチャ信じる、超信じる、ものごっつ信じまくる!」

「……たぶんだけど、その『精霊神様』的にノーサンキューだと思うぞ」


 ものごっつ信じまくるって……


「そうまでして手に入れたいようなものだったのかい、火の粉っていうのは」


 両手で俺の手を握り、敬虔な信者が神に向けるような羨望の眼差しを送ってくるレジーナに、半ば呆れ気味な表情のエステラが質問を投げる。

 というか、火の粉の中身が気になって仕方ないようだ。

 実は俺もどんなものなのか興味がある。

 だって、『火の粉』だぞ?


 ただ赤いだけの粉で、「蓋を開けてみたら粉末唐辛子でした~」……なんてオチがないことを願うばかりだ。


「やっぱ気になるか? なってまうか? しゃ~ないなぁ~、ほなら『と・く・べ・つ』に、ちょこ~っとだけ見せたるわ」

「あ…………聞くんじゃなかったかも」


 レジーナの「待ってました!」感満載のドヤ顔を見て、エステラが眉を顰める。

 レジーナも、苦労して手に入れた火の粉を誰かに自慢したくてしかたなかったようだ。

 まぁ、どうせ。レジーナの欲しがる物だから、しょ~もない物なんだろうけどな。


「あ、見せる前に一つだけ注意点があんねん」


 小さな布袋の口を締めている紐に指を掛け、レジーナが真面目な顔で俺たちをぐるりと見渡す。

 薬の取り扱いについて語る時の、プロの顔つきだ。これは真面目に聞かないと後悔するヤツだな。


「とりあえずみんな、気を付けてな」


 それだけ言うと、レジーナは小さな布袋の紐を解いた。


「説明、雑だな!?」

「あ、あの、レジーナさんっ。わたしたちは、何に気を付ければいいんでしょうか!?」

「まぁまぁ。見てたら分かるわ」

「だから、見る前に、何に気を付けて見りゃいいのかを教えろつってんだよ!」

「見て見て~、この赤い粉が『火の粉』ちゅうヤツや」

「聞けよ、人の話!?」


 人の話を聞かない人間に、ろくなヤツはいない。

 誰かが話をしている時は、思考を一度止めて話に集中するべきだ! 「聞いてなかった」とか平気で言えるヤツは、頭の中の大切な何かが欠損していると言っても過言ではない!


「綺麗な赤色ですね」

「凄く粒が小さいね。けど……あまりサラサラはしてない、かな?」


 レジーナが開いて見せた布袋を覗き込むジネットとエステラ。

 レジーナが「気を付けろ」なんて言ったもんを、よく警戒もせずに覗き込めるな。

 俺の両サイドで前のめりになる二人とは対照的に、俺は椅子を引いて半歩身を引いた。


 遠目で見る限り、パウダービーズのような見た目だ。

 あれを袋に入れてもきゅもきゅ揉んだら気持ちよさそうだ。今度やってみようかな。


「ほなら見ててな」


 ジネットにエステラ、それにセロンとウェンディも合わさり、みんなが立ってレジーナを見つめている。


「なんだかわくわくしますね」


 俺の横に立つジネットがそんなことを言ってくる。

 いや、別にわくわくはしないが……まぁ、興味はあるかな。


 レジーナは、一度全員へ視線を巡らせた後、袋からほんの少量の火の粉を取り出した。

 砂糖をつまみ食いするみたいに、人差し指に火の粉をちょっとだけつけて、それを俺たちに見せる。

 レジーナの、エノキダケのように白い人差し指が、先端だけ赤く染まっている。


「これを、こうして……圧力をかけつつ揉んでやると…………」


 言いながら、ややもったいつけるような緩慢な動作で、レジーナは親指と人差し指を合わせる。火の粉を摘まむような形で、指を揉むように動かす……すると。


 ボゥッ!


 と、突然レジーナの指先から炎が上がった。

 その勢いは、思わず体を仰け反らせ椅子から転げ落ちそうになるくらいに凄まじかった。

 俺が転げ落ちなかったのは、同じく突然の炎に驚いたジネットとエステラが、左右から俺にしがみついてきたからだ。

 右肘にぽぃ~んとした弾力を感じる。

 左肘には………………あれ? あれ…………あれぇ~?


「差別だ……左肘差別だ……右肘との格差が酷い……っ!」

「う、うるさいなっ!? 右肘が厚遇されてるだけだろ!?」

「右肘? ……えっ、きゃっ!?」


 エステラの発言で、ジネットが『当たっている』ことに気付き、慌てて飛び退いてしまった。

 あぁ……左に続いて右肘もスッカスカに……


「左右共々スッカスカか……」

「……ボク、まだ飛び退いてないんだけど?」


 そこにエステラがいようが、スッカスカである現実に変わりはない。

 悲しいものよなぁ……


「自分ら……人が折角、おもろいもん見せたってるのに、まだおっぱいの話するか……どんだけ好きやねん?」

「おっぱい好きなのはヤシロだけだよ!」

「……『ようこそ! おっぱいの街、四十二区へ』」

「そんなキャッチコピーは採用しないからねっ!?」


 俺のナイスなキャッチコピーをあっさり却下するエステラ。

 観光客、増えると思うけどなぁ。


「しかし、危険な物体だな、その『火の粉』ってのは」


 軽く圧を加えるだけで激しく燃え上がりやがった。

 レジーナの手元には小さな布袋いっぱいの『火の粉』が……小さいと言っても、粉末だからあれでもかなりの量があるだろう。500グラムくらいか……

 それが一気に燃え上がったりしたら……指先にちょっとつけただけであの火力…………街が消し飛ぶかもしれんな。


「大量破壊兵器でも作るつもりか?」

「あほか。作るかいな、そんな物騒なもん。そもそも、この火の粉は、見た目は派手やけど火力は全然ないんやで」

「そうなのかい?」

「せや。温度は精々数十度……寝起きの布団くらいのもんや」

「わぁ、気持ちよさそうな温かさですね」


 危険がないと聞き、エステラはホッと胸を撫で下ろし、ジネットは楽しそうに笑みを見せる。

 派手なだけの炎。たぶん「炎っぽい何か」ってとこなんだろうな。


「じゃあ、さっきの炎では何も燃やせないんだな?」

「いや、そうでもないで。燃えやすいもんやったら引火するし、分量を間違ぅたら火傷くらいはするさかいな」


 結局危険なんじゃねぇか。


「何に使うんだよ、こんなもん」

「これをやな、薬にちょこっと混ぜておくと…………飲んだ瞬間口から炎が『ボォーッ!』って!」

「させてどうする!?」

「『えっ!? 辛かったん!?』って、周りの人がビックリするやろ?」

「だから、させてどうする!?」


 アホだ。やっぱり、アホだった。

 そんな小ネタのために、無理して遠出したのか、こいつは?

 下手したら命を落とすかもしれないこの街に。


「さ、俺たちも用事があるから、そろそろ行こうか。あ、レジーナ。ご馳走さま」

「待ってや! アカンで!? 置いていかんといてや!? 後生やさかいに、連れて帰ってんか!?」

「いやぁ、悪いなぁ……俺たちの馬車、八人乗りなんだ……」

「乗れるやん!? メッチャ乗れるやん!? ウチ入れてもまだ席余るやん!?」


 今日のレジーナは、なんだか元気だ。

 それだけ必死ということなんだろうが。


「ヤシロさん」


 そっと、ジネットが俺の顔を覗き込む。

 そして――


「……ね?」


 そんな短い音を、俺に寄越す。

 ……なんだよ。そんな一文字だけで俺をコントロールしようってのか?

 そんなもんで俺を意のままに操ろうなんざ、甘い考えにもほどがあるだろう。

 まったく……


「……今回だけだぞ」

「はい」


 くそ……どうもペースが乱される。

 いい加減、流されないように対策が必要だな。……弱点なんぞ、俺にあってはいかんのだ。


 そうだ。

 別にジネットに言われたからってわけじゃない。

 ちゃんと俺の利益になるのであれば、俺は進んで人助けをしてやろうじゃないか。

 そこに対価が支払われるなら。もしくは、それと同等の何かがあるならな。


「レジーナ。その粉を少し分けてくれるなら、四十二区まで運んでやろう」

「えぇ……けどまぁ、背に腹は代えられんか……かまへんよ。ちょっと分けたるわ。無くなったら、また頼んだらえぇんやし」

「よし。商談成立だ」


 そして、俺はレジーナと握手を交わす。

 火の粉か。

 上手く使えば、結婚式用の何かの演出に使えるかもしれん。





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