後日譚7 三十五区

 四十区でハビエルに大型の馬車を借り、俺たちは三十五区を目指していた。


「うぅ……なんだか、頭が寂しいです……」


 ジネットが自身の頭頂部を押さえてしょげている。

 別に薄くなったわけではない。


 この馬車に乗り換える直前まで頭につけていたラベンダーの疑似触角が萎れてしまったために取り外したのだ。

 さっきまでそこにあったものがなくなって、なんとなく寂しい気分になっているのだろう。


「ミリィがドライフラワーにしてくれるっていうんだから、そうしょげるなよ」

「それはそうなんですが……」

「あのまま枯らせちまうよりいいだろ?」


 萎れたラベンダーを見て、ミリィが申し出てくれたのだ。

 ドライフラワーにして、後日陽だまり亭へ持ってきてくれるらしい。


「……はい。そうですね」


 少し考えた後、ジネットは寂しそうながらもしっかりと笑みを浮かべた。


「少し寂しいですけど、先に楽しみが出来たと思えば耐えられます」


 この次、ミリィがラベンダーを持ってきてくれた時に、こいつは大喜びをするのだろう。

 さっき、俺が疑似触角を作ってやった時と同じように。


「一つの花で二度喜べるんだ。お得だな」

「確かに。そう言われてみればそうですね。うふふ」


 ジネットは沈んでいた表情をすっかり払拭し、窓の外へと視線を向けた。

 流れていく景色を楽しそうに見つめる。

 俺は窓の外ではなく天井を見上げた。ぐでっと体を預け、ずり落ちるようにして背もたれにもたれかかる。……あぁ、この脱力感が気持ちいい。

 この馬車の座席は、座り心地がすげぇいいのだ。

 心地よい揺れと相まって、眠気を誘発する。


 今、車内にいるのは、俺、ジネット、エステラ、そしてセロンとウェンディだけだ。

 イメルダは実家に用事があり、ミリィも四十区に着くなり自分の仕事へと戻っていった。

 ナタリアはハビエルの館に残り、エステラの馬車の番をすることになっている。帰りもその馬車を使うので、しばらくの間置かせてもらうのだ。

 そこで馬の世話まで丸投げってわけには、いかないもんな。


 そんなわけで、大きな馬車に乗り換えた俺たちは、ゆったりとした座席でまったりと過ごしている。

 ハビエルが貸してくれたのは、八人乗りの非常に安定感のある大きな馬車だ。乗合馬車を貸し切りにしているような、そんな贅沢な気分を味わえる。

 さすが木こりギルドというべきか、美しい木目調の車体は芸術的なまでに洗練されており、その上性能も申し分ない。金ってのは、こういう使い方をしたいものだ。


「あぁ……俺、木こりギルドでも始めようかなぁ」

「えっ!?」


 あまりの乗り心地のよさに、馬車の座席でだらけきっていた俺の口から、他愛の無い戯言が漏れ落ちていく。

 だが、それを耳聡く聞きつけたジネットが慌てた様子で俺の腕をキュッと掴む。


「あ、あの……ヤ、ヤシ、ヤシロさん……あの、えと……その、ヤシロさんには、陽だまり亭が……あの、その……」


 俺の袖を掴む指に『きゅぅぅぅうっ!』と力が入る。

 半泣きになった大きな瞳が俺を見つめる。


「いや……冗談、だぞ?」

「本当ですか? ……よかったぁ」


 俺が陽だまり亭を辞めて木こりになると本気で思ったのか、ジネットは心底安堵したような表情を見せる。

 そんなわけないだろうに。


「てっきり、馬車の中でイメルダさんとそういうお話があったのかと……」


 ほぼ無意識に発せられたのであろう言葉に、俺は小首を傾げざるを得なかった。

 イメルダと?

 そういう…………って、まさか。


 俺がイメルダと結婚して木こりギルドを継ぐ、なんて話が持ち上がったとでも思ったのか?

 ねぇよ! あり得ないから!

 なんで俺が貴族の仲間入りなんかするんだよ!?

 貴族ってのは、俺ら詐欺師のカモであって、間違っても身内に持ってはいけない連中なんだよ! 金持ちは常に詐欺師に狙われてるからな。面倒くさいったらありゃしない。


 ……詐欺師、か。


 実を言うと、そこのところは正直微妙な感じなのだ。

 俺にとっての詐欺師というものは、ただの『職業』ではなく、もうほとんど『生き方』であると言える。それを全部なかったことにするのは……やっぱ、どう考えても無理だ。


 率先して誰かれ構わず詐欺にかけて私腹を肥やそうとは思わない。だが、だからと言って「俺はもう詐欺師じゃないから」とは、言えない。

 それはきっと無責任なことだから。


 俺は詐欺師だったし、たぶんこれからも、俺の性根の部分は腐った詐欺師野郎のままなのだ。


 そいつと向き合って、いつか自分が許せるようになるまでは…………きっと俺は詐欺師のままなんだろうな。


 だから。


 そういうわけだから。



 まぁ、なんだ……俺は陽だまり亭を辞めるわけにはいかないっつうか、他の仕事に就くわけにはいかないっつうか……ジネットほど騙しやすいヤツは他にはいないし、まだまだ利用価値はありそうだし、そんなわけで――



 俺はまだまだジネットのそばを離れるつもりはない。



 あくまで、俺の利益のためにな。

 地盤は、固め過ぎても悪いことはない。地盤なんてもんは、安定すればするほど大きな物をおっ建てることが出来るわけだしな。うん、うん。


「え~っと……な。ジネット」

「はい」

「…………そういうことは、ないから」

「へ……? あっ。…………はい」


 少し間があき過ぎたせいで、会話のテンポが悪くなっていた。

 おかげで、ジネットはなんの話かを瞬時に判断出来なかったらしく……少し考えた後で、安心したように相好を崩した。

 ……ほんの少しだけ嬉しそうに見えるのは、俺の思い込みか?


 なんとなく気恥ずかしい。

 しかし、照れていると悟られるのはもっと恥ずかしい。

 なので俺は、少々自虐的ながらも、ちょっとしたジョークでその場を有耶無耶にする選択をした。


「だいたい。俺が貴族なんて、似合わないだろう? なぁ、エステラ?」

「そんなことないと思うけどね」


 …………あれ?



『 そりゃそうだよ。君が貴族の真似事なんかしたら、それこそギャグだよ~! えぐ~れ、えぐれえぐれ(←笑い声) 』



 みたいな反応を期待したのだが……

 予想に反し、エステラは否定の言葉を寄越してきた。それも即答で。ほんの少し、不機嫌そうに。


 なんでだ?

 え……? 

『俺が』『貴族』『似合わない』……『なぁ、エステラ』………………


「どこにも貧乳を思わせる言葉は入ってないじゃねぇか!?」

「何について文句言われているのか、皆目見当がつかないんだけれど!?」


 おかしい。

 エステラが不機嫌になるのなんて、貧乳いじりをした時くらいのもんなのに……


「英雄様でしたら、立派な貴族になれると思いますよ」

「えぇ。僕もそう思います」


 斜向かいに座るウェンディとセロンが、俺を見つめてそんなことを言う。

 なんだか褒めてくれているつもりらしいが、『節穴~ず』のご両人に言われてもなぁ……こいつら、他人を否定することを知らないし、脳内は高確率でぽかぽか陽気だし。まぁ、参考にはならんわな。


「英雄様は、気品と威厳をお持ちですし、何より、多くの者を惹きつけるカリスマ性は他の追随を許しません。英雄様のような方であれば、きっと家臣たちは喜んで身命を尽くしその身を英雄様のために捧げることでしょう」

「家臣の身命なんぞ捧げられても手に余るわ。俺は邪神か」


 生贄じゃねぇんだからよ。

 大袈裟に称賛するセロンには呆れてしまう。お前が凄い凄いと褒め称えているのは、詐欺師が自分を大きく見せるための仮初の威厳なんだよ。

 詐欺師ならみんなやってることだ。

 本当に、この世界の連中は揃いも揃って……日本に連れて行けば詐欺に遭いまくりそうだ。


「英雄様はそうおっしゃいますが……、私、不意に考えてしまうことがあるんです」


 俺がセロンを止めると、その隣でウェンディが遠くを見つめるように呟く。


「もし、英雄様が貴族になられてどこかの区を統治なされるようなことになれば、きっとその街は中央区にも負けない、素敵な区になるのではないかと……英雄様には、そんな期待を抱かせてくれるような、不思議な魅力がおありなんです」


 それはまた……大きく出たな。

 王族という権威をかざし、全区から富を無制限に吸い上げられる中央区よりも素晴らしい街なんか作れるわけがないだろうに。他人の金で贅沢することほど優越に浸れるものはないからな。

 値段の書いていない寿司屋での食事は、自腹なら冷や冷やもんで味なんか分からんが、他人の奢りなら存分に堪能出来る。そういうもんだ。


 つまり、努力で王族を超える贅沢は出来ないということだ。

 なにせ王族は、寝ていても金が入ってくるのだからな。

 あぁ、羨ましい。


「俺、王族始めようかな?」

「あの……それは、始めようとして始められるものではないですよ?」


 ジネットが、木こりギルドの時とはまるで違う反応を見せる。

 あからさまに冗談だと分かるものには、焦りは見せないようだ。


「そ、それでさっ!」


 一方。

 素っ頓狂な声を張り上げた女がいる。抉れちゃ……もとい、エグレラだ。


「エグレラ」

「エステラだよっ!」


 どこか浮かれていた表情が一瞬で吹き飛ぶ。が、すぐにまたそわそわと落ち着きをなくすエステラ。

 何かを期待するような、薄ら笑いを浮かべて俺を見ている。


「実際、どうなんだい?」

「何がだよ?」

「だから……ヤ、ヤシロが、領主になる…………っていうか、なったら、なったとしたら……その…………そう! もしヤシロが領主なら、四十二区はいい街になると思うかい?」


 こいつ、なんか途中で質問変えやがったな?

 聞いて照れるような質問なら最初からすんじゃねぇっての。


 ……答えにくいなぁ…………ジネットもいるし。ギャグをギャグとして受け止めてくれなそうなんだよな、この空気。

 ったく、もう……


「俺は領主にはなれねぇよ」

「もしもなったら、だよ」

「もしもでも、無理なもんは無理だ」

「…………そっか」


 エステラの顔から浮かれたような表情が消える。

 だから、そんな重く受け止めるような話じゃないだろってのに……


「もし、俺が領主になったら…………一家全員ド貧乳になってしまう!」

「誰がド貧乳だ!?」

「領主一族の呪いを断ち切るためにも、エステラ、お前は巨乳のお婿さんをもらうんだ!」

「巨乳のお婿さんってなにさ!?」

「探せばいるかもしれないだろう? Iカップの男」

「いたとしても、願い下げだよ!?」


 頑なに拒絶するエステラ。……これでは、領主一族にかけられた抉れちゃんの呪いは、まだしばらく続きそうだな……

 エステラが息子を生み、そいつがとんでもない爆乳娘を嫁にもらうしかないのか……しかし、抉れ遺伝が爆乳遺伝子を上回る可能性も…………


「とりあえず、孫の代に期待だな!」

「現領主も、まだまだ全然一切まったく諦めてないからね!?」


 そんな、エステラの不屈の精神を見せつけられたところで、馬車はゆっくりと速度を落とした。


「エステラの意気込みを全否定するかのように、馬の足が遅くなったな」

「ボク関係ないよね!? 目的地に着いただけだよね!?」


 エステラの言うことが正しかったと証明するように、停車した馬車のドアが外側から開かれる。

 ドアを開けたのはハビエルのとこの御者……ではなく、見たこともない、折り目正しい制服を着た女だった。胸にどこかのエンブレムが刺繍されている。

 あからさまに、貴族お抱えの人員だ。


「三十五区領主、ルシア・スアレスの側近だよ。粗相のないようにね」


 すかさず、エステラが俺に耳打ちをしてくる。

 ……真っ先に注意されたってことは、一番粗相をしそうなのが俺だってことか? 心外だな。


 もやっとした感情を抱きつつ、粗相をしてはいけない相手へと視線を向ける。

 褐色の肌が目を引く。四十一区の料理人オシナのようなオリエンタルな雰囲気とは違い、もっと健康的というか……まぁ、平たく言えば強そうな印象を受ける。

 人を射殺そうとするような鋭い眼光に、固く結ばれた唇。おっぱいは……おぉ~う……思わず感謝を述べたくなるような張り出し具合だった。おそらく、Fカップ!


「ミスターハビエルから聞いている、話は。ようこそ三十五区へ。存分に楽しいしてくれると嬉しい、私は」


 一瞬、堅苦しい言葉遣いなのかと思ったのだが、カタコトなだけだった。

 姿勢よく、堂々としているから威厳のあるしゃべり方だと錯覚してしまったようだ。

『楽しいする』ってなんだよ……


「出迎えを感謝するよ、ギルベルタ」

「うむ。久方ぶりの再会に、嬉しいしている、私は。領主になったようで、増えると思う、会う機会、あなたとは。今後はもっと、きっと」

「その際は、よろしくお願いするよ」

「うむ。よろしくするはず、我がマスターも、もちろん私も」


 出迎えてくれた褐色美女は、ギルベルタという名前らしい。なんだか厳つい名前だ。まぁ、似合っているといえば似合ってはいるが……

 しかし、こいつらの会話を聞いていると、なんともちぐはぐな気がするな。


「なぁ、エステラ。こっちのカタコト女子は領主の側近で、お前は領主だよな? なんで向こうは敬語じゃないんだ? なんか見た感じ、対等だぞ?」

「ギルベルタはルシアさんのお気に入りなんだ。だから、波風立てない方がいいんだよ。それに、ボクはそういうの気にしないし」


 気にしないのも限度がある気がするが……誰に対してもフランクに接していると舐められかねないぞ。締めるところは締めなきゃ。

 ……とはいえ、「波風を立てない方がいい」か。


「……怖いのか、そのルシアってのは?」

「今、多少強引にでも君の口を塞ぎたくなったくらいには、ね」


「怖いのか」なんてことをおいそれと口にしちゃいけないくらいには怖い人物らしいな、三十五区の領主ってのは。

 下手なことは言わないように気を付けよう。

 そんなことを思いつつ、俺たちは促されるままに馬車を降りた。


「とりあえず、挨拶でもしておくか」

「粗相のないようにね」


 馬車を降りながら呟く俺に、エステラが釘を刺すように言ってくる。

 念を押し過ぎだろう……そんなに信用ないのかねぇ、俺は。


「えっと、ギルベルタさん、だっけ?」

「……なんだ?」


 軍人のような、鋭い視線が向けられる。

 なかなか威圧感のある顔だ。警戒心の塊……というか、全方位に殺気を放っている感じだ。

 領主を守る者としては、こういう態度が正しいのかもしれない。

 とはいえ……


「おっかない顔」

「粗相っ!」


 素直な感想を述べた俺の襟首を、エステラが乱暴に引っ張りやがった。おかげで首が絞まって呼吸が止まる。一秒ほど。危なく、そこから何も言えなくなるところだった。


「……(初対面の女性に『おっかない』はないだろう!? 見なよ! 軽くへこんでるじゃないか!)」


 言われてギルベルタに視線を向けると、薄い唇をツーンと突き出して斜め下を見ていた。

 あ、ホントだ。ちょっとへこんでる。


「……(フォローして! 早く!)」


 小声ながらも強い口調で急かすエステラに背中をグイグイ押されて、俺は再度ギルベルタに向き直る。

 フォローたって……


「見事なおっぱいですね」

「粗相尽くしかっ!?」


 いや、初対面だし。ぱっと見て褒められそうなところが、そこくらいしか見つからなくてさぁ。


「でもな、エステラ。会っていきなり、『綺麗』だの『素敵』だのって、女性には失礼じゃないか? こう、軽薄な感じがしてさ。だから、口先だけじゃなくて、本心からそう思える相手の長所をだな……」

「『見事なおっぱい』より失礼なことはそうそうないよ!?」

「事実、見事なおっぱいだろうが!」

「おっぱいを指さすな!」


 エステラとそんなやり取りをしている間中、ギルベルタは軍人のような鋭い目でジッと俺を睨みつけていた。

 照れる素振りもなく、表情は一切変わらない。

 ……怒ってる、かな?


「おっぱいが、見事、私の……?」


 ギルベルタは静かに言った後、グッと拳を握る。


「やったね、と思う!」

「嬉しいのっ!?」


 ギルベルタの返事に、エステラが思わず突っ込んでいた。

 おいおい、エステラ。粗相するなよ。


 しかし、掴みどころのないヤツだ。表情に乏しいのだが、まったく変わらないというわけではなく、怖そうに見えてどこか抜けている……


「なぁ、エステラ」

「なんだい?」

「領主の側近って、変なヤツでなければいけないってルールでもあるのか?」

「……その言葉、そのまんまナタリアに伝えておくよ」


 おっとぉ……意図せず火種をまいてしまったっぽいな。

 領主に関わると、なんとなくいつもババを引かされている気がする。……気を付けよう。


「この中のたくさんの人、初めましてだな。挨拶する、私は」


 そう言うと、ギルベルタは俺たちに向き直り、折り目正しいお辞儀を寄越してきた。


「ギルベルタ・エッケルトだ、私は。ルシア様のもとでやっている、給仕長を」


 給仕長ってことは、立場としてはナタリアみたいなもんか。

 この世界の領主は、家柄とか実績とか性別とか、一切合切を無視してお気に入りを側近にしているような気もしないではないが……きっと好みや酔狂で人を選んでいるわけではなさそうだ。ボディーガードとしても十分信用に値する人物なのだろう。

 ナタリアがそうだからな。


「ギルベルタ。ルシアさんに一言挨拶をしたいのだけれど、面会を頼めるかい? 馬車を預かってくれる礼も言いたいし」


 友好的な笑みを浮かべエステラが申し出ると、ギルベルタは鋭い視線を俺たちへと向けた。

 ざっと全員の顔を見渡し、目を細める。


 ……なんだ?

 まるで、値踏みをされたような不快感が胸の奥から湧き上がってくる。


「……みなさんは、全員人間……か?」


 突然の問いに、俺たちは何も言葉を発することは出来なかった。

『人間』――そんなワードが出てくるってことは……


 意図せず、ウェンディへと視線が向かってしまった。エステラは見ないようにしているようだが、ジネットやセロンは、俺と同じく『つい』見てしまったようだ。


 ウェンディは、いつもの帽子を被っている。

 四十二区内では、たまに帽子を脱いだりして触角をさらすことも少なくなくなってきているのだが……今日は真っ直ぐに、心持ち目深に帽子を被っている。四十二区を出るということで、意識的にそうしているのだろう。


「挨拶がしたい」と申し出た際の返答が、「全員『人間』か」……か。


 つまり、獣人族や虫人族は、会ってすらもらえないってのか? 

 この区を治める領主……貴族様にはよ。


「あいにくだが、多忙のため、面会は難しい、ルシア様は。心配はいらない、馬車は。頼まれたからには守る、しっかりと」

「そうか……。久しぶりにお会いしたかったのだけれど……まぁ、仕方ないね。それじゃあ、馬車の世話をお願いするよ」

「お願いされる。必ず遂行してみせる、私は」


 任せろとばかりに胸を張るギルベルタ。

 格闘技とか、超強そうな姿勢のよさだ。


 しかし、なんというか……面会を断られた、か。


 微かに、腹の底に不快感が沈殿していく。

 多忙、とやらが本当かどうかは分からんが……『ある条件を満たしていない場合は面会を認めない』というメッセージに聞こえた。


 人に条件を突きつけられるような、お偉い人間なのか、そのルシアってヤツは?

 はは…………上等じゃねぇか。


 少しずつ、俺の中に苛立ちが立ち込めていく。……かと、思ったのだが


「すまない」


 ――と。

 俺の不機嫌を察知したのか、ギルベルタが不意に謝罪の言葉を口にした。

 鋭い視線が、ブレることなく俺を見つめている。


「気持ちは分かる、あなたの。だが、悪意はない、ルシア様には。無論、私にも」


 止むに止まれない理由があるのだと、ほんの少し物悲しそうに変化したギルベルタの瞳が訴えている。

 そして、静かに頭が下げられた。


「どうか、分かってほしい、おっぱいの人」

「誰がおっぱいの人か!?」


 思わず突っ込んでしまった。

 つか、さっきまでのシリアスな空気が一瞬で台無しだな、オイ!?

 どういう認識を持ってくれてんだ。


「え、『誰が』って……ヤシロ、君以外にいないだろう?」

「やかましいわ、ちっぱいの人」


 真面目な顔でいらんことを言うエステラに素敵なあだ名をプレゼントする。

 その握った拳は、己の迂闊な発言に向けてくれ。


「今日は、密会の予定がある、ルシア様は。部外者には見せることは出来ない、その状況を」


 …………ん?


「いや、しゃべっちゃっていいのか?」

「なにのこと?」

「『密会』ってことは、口外しちゃダメなんじゃないのか?」

「…………………………はっ!?」


 今気付いた!? ――みたいな顔で、ギルベルタが硬直する。

 ……あ、ここにも一人、アホの娘がいる。


「……誘導尋問」

「完全にお前の自爆だろう」


 誘導も何も、俺は一言もしゃべってねぇわ。


「本当に、ドジ、私は……コツン、する」


 反省したような面持ちで、ギルベルタは拳を握りしめ、頭上へとそれを掲げる。

 そして、頭目掛けて『コツン』と拳を振り下ろした…………俺の頭を目掛けて。


「危ねぇっ!?」


 咄嗟に首を引っ込めると、鼻先を拳が通り過ぎていった。

 圧縮された空気の層が顔面を撫で、一瞬息が詰まる。微かに耳鳴りがして、腕が通り過ぎた後で「……ゴゥッ!」と恐ろしい音がした。


「……コツン、逃げちゃダメ、おっぱいの人」

「なんで俺だ!? 失敗した時は自分の頭にコツンだろうが!? つか、それ『コツン』じゃ済まねぇよ! 『ンゴガシスッ!』とか、鳴っちゃいけない音が鳴る威力だよ!」

「脳に衝撃を与えると……消える」

「何がだ!?」

「記憶?」

「可愛らしく小首傾げて、恐ろしいこと抜かしてんじゃねぇよ!」


 なんたる暴挙。

 己の不祥事を、相手の記憶を抹殺することでなかったことにしようとしやがった。

 恐ろしい……恐ろしいまでの、アホの娘だ。

 今の表情を見る限り、悪気が一切感じられない。マジで今のが最善策だと思ってますって顔をしている。


「あ、あの……今聞いたことは忘れますので、手荒な真似はやめていただけますか?」


 そっと俺の腕を掴んで、ジネットがギルベルタに訴える。

 細い声は微かに震え、俺の腕を掴む手にはきゅっと力が入っている。おそらく、少し怖いのだろう。それでも、……これって、俺を守ってくれてるつもりなんだろうな。


 実際、ギルベルタの視線が俺からジネットへと逸れている。

 鷹のような鋭い目が、ウサギのようなほわほわしたジネットを捉えている。

 その鋭い視線が、不意に下降した。


「…………おっぱいの人」

「にゃっ!?」


 爆乳を凝視しつつ、ギルベルタが呟く。

 視線の行き先に気付いたジネットが、慌てて胸を隠すも、腕に押しつけられて余計にけしからん状態になってしまっている。

 どっちもグッジョブだっ!


「おっぱいの人が、二人も……」

「あ、あのっ! わたしは違いますからね!?」


 頬を染め、必死に否定するジネットなのだが……わたし『は』って…………俺も、違うからな?


「おっぱいの人だらけなのかも、四十二区は」

「やめてくれるかな、そういう間違った認識を抱くのは!?」


 このまま放置すると、有りもしない妙な噂が蔓延しかねないので、エステラの発案により、俺たちも自己紹介を行うことになった。

 ……その際、なんでか「まったく、ヤシロのせいでっ!」と、理不尽な怒りを向けられたのだが…………納得いかん。


「うむ。理解した、私は。名前覚えた、あなたたちの」


 一人一人の顔を確認するように順番に見つめ、ギルベルタが頷く。

 そして、俺、ジネットの順で指さす。


「おっぱいのヤシロ。おっぱいのジネット」

「その覚え方、やめていただけませんか!?」


 涙目で訴えるジネットを軽やかに無視して、ギルベルタの指がすすすっと、下降する。


「ジネットのおっぱい」

「やめてくださいってば!?」


 う~ん……粗相って、まさにこういうヤツのことだと思うんだけどなぁ……


「ちっぱいのエステラ」

「それは宣戦布告かい、ギルベルタ?」


 些細なことですぐに目くじらを立てるエステラ。事実を指摘されて青筋を立てる。

 まったく、どこに行っても騒ぎを起こす困ったちゃんめ。


 ちょっと変わった給仕長ギルベルタと話をしているうちに、ハビエルの馬車は御者によってどこぞへと運ばれていった。

 すぐそばにはなんとも豪奢な屋敷が建っており、一目で領主の館だと分かる。

 威厳と品格を醸し出す、少し硬いイメージのある建物だ。


 三十五区は海に近い港町だから、もっと陽気な街並みかと思っていたのだが……なかなかどうして、規律に厳しそうなお堅い印象を受ける。

 乱れなく整然と並んだレンガの道なんかが、そんなことを思わせるのかもしれないな。


 領主の館は、大通りから少し外れた場所に作られるのが普通なようで……まぁ、領主の館は観光名所でもないし、大通り沿いに作ったりすると何かと問題が起こるだろうから当然といえば当然だが……三十五区の領主の館も例に漏れず、静かな場所に建っている。


 これから大通りを抜けて、ウェンディの実家を目指すわけだが。はてさて、どんな街並みなのか、少し興味があるな。

 四十二区の落ち着いた賑わいも悪くはないのだが、やはりこういう大きな街の雑踏というものには心躍るものがある。

 お祭り民族日本人の血が騒ぐのかもしれないな。


 まぁ、人ゴミは大嫌いなのだが、遠くから眺める分には問題ない。


「それじゃあ、そろそろ行こうか」


 ギルベルタと、馬車の受け渡し等のアレコレを確認していたエステラが、会話終わりで俺たちへと声をかける。

 日帰りの予定なのであまりのんびりはしていられない。

 片道数時間とはいえ、あまり遅くはなりたくないのだ。明日に響くからな。


 ウェンディの両親に会い、出来ることなら結婚式への参加を取り付けたい。

 それが上手くいけば、三十五区の領主にも挨拶などをしたいのだが……時間が読めないな。

 とにかく、迅速に行動するに越したことはない。


「じゃあ、ウェンディ。案内してくれるか」

「はい。……少し、気が重いですが……」


 ウェンディが軽くスパークする。

 家族を思い、ちょっと気分が沈んだのだろうか……家族仲、そんなに悪いのかよ…………


「これは面白い現象……興味深い思う、私は」


 パチパチと光ったウェンディに、ギルベルタが興味を引かれたようだ。

 鋭く尖っていた視線をまんまるく見開いている。


「あ、あの……な、なんだか、すみません」


 ジッと見つめられたウェンディが、どうしていいか分からず、とりあえず謝るという謎行動を取る。

 あるけどね、意味も分からず謝っちゃうこと。


「おっぱいは、普通、あなた」

「す……すみません、なんだか……普通で」


 うんうん。

 意味なく謝っちゃうこと、あるよね。

 この場合謝るべきはギルベルタなんだけどね。


「あなたを見ていると、今朝見かけた人を思い出すする、私は」


 ギルベルタが両手を使って、その見かけた人物の説明を始める。


「朝一番で、四十二区からの乗合馬車に乗ってきた女性で……パチパチ光る彼女より、もう少し大きくて、つんと上を向いたおっぱいをしていた」

「えっ!? レジーナがこの街に!?」

「なんでおっぱいの情報だけで人物を特定出来るのさっ!?」


 驚く俺に驚いた様子で、エステラが声を上げる。

 いや、ウェンディよりちょっと大きくてつんと上向きといえばレジーナかなって思っただけだよ。


 だが、俺の予想が当たっている可能性は極めて低い。

 なぜなら、人見知りをこじらせた重度の引きこもりであるレジーナが、こんな遠い区にやって来るはずがないからだ。


 きっと別人だろう。


「その女は、ちょうど、そのような服を着ていたと記憶する、私は」


 ギルベルタが「そのような」と、ウェンディを指さす。

 ウェンディの服は、いつもながらに日光を避けるような真っ黒な服だ。

 ふんわりとしたスカートにシンプルなシャツ。その上に柔らかそうなストールを羽織っている。そして、つばの大きな帽子に日傘。それが今のウェンディの服装なのだが……これに似た服装の女?


「……やっぱり、レジーナさんなんでしょうか?」

「いや、まさか……」


 ギルベルタの言葉を受けて、ジネットとエステラが顔を見合わせる。

 情報だけを繋ぎ合わせれば、限りなくレジーナに近しい人物像が浮かび上がる。

 だがしかし、あのレジーナが一人でこんな遠いところにやって来るなんて、にわかには信じがたい……


 結局、似た感じの別人だろうということで話は落ち着き、俺たちはウェンディの実家を目指して歩き始めた。

 ギルベルタと分かれ、大通りへ向かう。

 さぁ、あと一本路地を越えれば大通りだぞ、というところで……


「アカン…………知らん人ばっかりや……心細過ぎて…………気持ち悪ぅなってきたわ…………」


 ……レジーナを見つけた。


「信じられねぇ……」

「まったくだよ……本当に、おっぱいの情報だけで人物を特定出来るなんて……人間技じゃない」

「いや、それはどうでもいいだろう!? むしろ、それくらいは誰にだって出来るレベルだ」

「君以外には不可能だよ!?」


 バカモノ!

 バイク好きは、エンジンの音だけで車種まで分かるし、ソムリエはワインの香りだけで原産地を当てることが出来るんだぞ!?

 おっぱいだって、よく観察しておけばこれくらいは朝飯前だ!


 それよりも、レジーナが外に出ていることに驚けよ!

 天変地異の前触れかもしれないんだぞ!?


「……ん? ………………………………ぁぁぁああああっ!」


 五人で固まっていた俺たちの気配を察知し、レジーナがこちらを振り返る。

 そして、半泣きだった顔が、まるで希望を見出したかのような眩い笑顔へと変化していった。


「メッチャ会いたかったでぇ、自分らぁ~!」


 物凄い勢いで駆けてきて、勢いもそのままに飛びついてきたレジーナ。

 揺れた髪から香る香りは、独特の薬品っぽい匂いで……うん、間違いなくレジーナだ。


 独りぼっちがよほど怖かったのだろう。ぷるぷる震えて半泣きのレジーナは、これまで見せたこともないような力強さで俺とエステラに抱きつき、その後十数分間に渡り拘束し続けたのだった。





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