後日譚6 馬車の中

 ウェンディの親に会いに行こうという話をした翌日。

 俺たちは今、エステラの家の馬車に揺られて四十区を目指している。

 ガコガコと揺れる馬車に少し気分が悪くなる。馬車の性能があまり良くないのだ。おまけにエステラの持っている馬車は小さく、馬力も低い。


「しょっぼ!」

「文句あるなら走って付いてくれば!?」


 なんでもこの馬車を曳く馬は、誕生の場にエステラが立ち会い、そして名前を付けた非常に思い入れのある馬らしい。

 毎日毎日話しかけて、大切に育てているそうだ。


「確かに馬車は小さく、馬力も低い。けど、この馬にはボクの愛情と夢と希望が込められているんだよ!」

「『爆乳号』だっけ?」

「そんな名前付けるかっ!」

「ヤシロ様。『爆乳になりたいよ~号』です」

「なるほど、夢と希望が詰まってるな」

「そんな名前でもないよ!?」


 馬の名前は『ナントカカントカ』と、長ったらしい感じだったので割愛するが、まぁ、愛馬らしい。

 とはいえ、いくら愛情をかけて育てようと、遅いもんは遅い。

 そこで、ハビエルに頼んでいい馬車を貸してもらおうと言うわけだ。

 ハビエルの家には三頭立ての早馬車があるからな。


「昨日のうちに、ハビエル様からの許可は取り付けております。イメルダ様にも口添えいただき、快く承諾してくださいました」


 そんなナタリアの説明に、俺は憤りを感じずにはいられない。


「だったら、昨日のうちに馬車を借りてきておけば、最初からいい馬車で出発出来たんじゃねぇのか?」

「ハビエル様所有の名馬にもしものことがあれば…………四十二区は破産しますよ?」

「……そんな大袈裟な」


 凄みのある表情で微笑むナタリアに、嫌な汗が噴き出してくる。

 いや、馬が高いのは分かるが……そんないい馬を持ってるかぁ? 四十区に住む、言ってしまえば『たかが』ギルド長が? 成金貴族が区の財政ほどもする馬を?


「お父様の馬好きは趣味の域を通り越して、もはや馬主の域ですわ。様々な品種を掛け合わせて最高のサラブレッドを生み出すことに身命を尽くしているんですわ」


 俺の隣に座っているイメルダがそんなことを言う。


「え? 馬主って、金だけ出して『頑張って儲けてね~』ってヤツじゃないのか?」

「馬主は馬を所有している人のことだよ。調教師を雇う人もいれば、自分で調教する人もいるよ」


 俺には競馬の馬主のイメージしかないのだが、こっちでは馬車や騎乗用の馬を育てるヤツが馬主らしい。なんか、そういうのは『ブリーダー』とか言いそうなんだけどな。

 ……一口馬主詐欺には手を出していなかったので、馬の知識はさほどない。やっときゃよかったかな。


「ミスターハビエルの馬は、愛好家の中では評判がいいんだ。けど、畜産ギルドに加入していないから売買は出来ない。愛好家は毎日のように血の涙を流しているようだよ」


 馬主の説明に続いて、そんな話をしてくるエステラ。

 やっぱ、畜産ギルドとかあるんだな。牛乳とか羊毛とかなんだろうが、どこまでが含まれるんだろうか。食肉もそこに入っているのだろう。

 そして、当然馬車用の馬も。


「売買しなきゃ、自分で育てるのはありなのか?」

「何を言ってるんだい。陽だまり亭にもニワトリがいるじゃないか」

「あ……あれと同じ扱いなんだな」


 ニワトリと馬では随分違うような気がするが……ルール上は同じなんだそうだ。


「陽だまり亭で採れた卵を売っちゃいけないように、ミスターハビエルの育てた馬は、ミスターハビエルしか使っちゃいけない。……もっとも、贈与することは可能だけどね」

「なるほど……それで貴族や他の強豪ギルドに便宜を図ってもらってるんだな?」

「まぁ、ゼロではないだろうね」

「イヤらしい! イヤらしいオヤジだよ、あの髭だるまは!」

「ワタクシの親を侮辱しないでくださいまし! 仮にその通りにイヤらしいオヤジであったとしても!」

「いや、イメルダ……自分で肯定しちゃってるよ……」

「おまけにロリコン趣味の度し難いド変態だったとしても!」

「酷くなってる、酷くなってる!」


 ヒートアップするイメルダを、エステラが宥めている。


 今現在、四人乗りのこの馬車には俺とエステラ、ナタリアにイメルダが乗っている。進行方向を向いた奥の席、いわゆる上座にエステラが座り、その向かいにイメルダが座っている。エステラの隣はナタリアだ。


 そして、俺たちの馬車のすぐ後ろを走るもう一つの馬車には、ジネットとセロンとウェンディが乗っている。

 エステラが用意出来る馬車はこの二台しかなく、また、陽だまり亭の営業もあるので――



『……ロレッタ。あなたはもう一人前……教えることはもう何もない』

『とか言いながら、あたし一人を置いてきぼりにしようって魂胆が見え見えです! ダメですよ、マグダっちょも残ってです!』



 ――なんてやり取りを経て、今回マグダとロレッタには留守番をしてもらっているのだ。


 それもこれも、貧相な馬車しか持っていないエステラが悪い。


「……ったく。エステラが巨乳だったら、こんなことには……」

「関係ないだろう!? ボクが巨乳でも馬車のグレードは上がらないよ!?」

「じゃあ一生貧乳のままでいろ!」

「お断りだよっ!? …………誰が貧乳かっ!?」


 狭い馬車の中で暴れるエステラを、俺、ナタリア、イメルダが「……まったく、この娘は」的な目で見つめる。


「なに!? なんで、ボクが間違ってるみたいな空気になってるの!? 今気付いたけど、このメンツだと、ボク物凄くアウェーだよね!?」


 というか、そもそもがだ……


「ハビエルがそんないい馬を持ってるなら、イメルダの馬車を使えばよかったじゃねぇか」


 イメルダの家には、ヤンボルドの作ったファンシーな馬車があったはずだ。

 それを、ハビエルの育てたいい馬とやらに曳かせればよかったんだ。


「ワタクシの馬車は、ワタクシ専用ですの」

「ケチケチすんなよ」

「それに、あの馬車は見栄え重視で、高速移動には向きませんわ。馬がのんびりお散歩する速度を超えると車輪が外れますの」

「不良品じゃねぇか!?」


 なんてこった。

 顧客の無茶な要求をあれもこれもとのみ込んだ代わりに、最も大切な耐久性を犠牲にしていたのか……ある意味、ウーマロとは考え方が真逆かもしれないな。

 ウーマロなら、機能第一で意匠は二の次にしそうだ。


「ワタクシがそれで構わないと言ったんですよ。どうせ、急ぐ用などそうはありませんもの。必要なら、実家からそれ用の馬車が迎えに参りますわ」


 なんてお嬢様思考なんだ……

 旅行に手ぶらで行って、「現地で買えばよくね?」とか言うヤツレベルのワイルドさだ。男前過ぎるだろう。


「そんな貧弱な馬車しかなくて、木こりギルドの支部としてやっていけるのか?」

「門のそばに支部を作っていただきましたので、特に馬車を必要とすることなどありませんわ。遠方からのお客様は、ご自分の馬車に乗っておいでになりますし」


 まぁ、そりゃそうなんだろうが……


「イメルダのとこって、馬もほとんどいないよね?」

「必要ありませんもの」


 エステラの言葉に、イメルダはさも当然というような口調で答える。

 いやいや、必要あるだろうに。


「木こりギルドだったら、重たい丸太とか運んだりするんじゃないのか?」

「馬にも劣るような力しかない者は、木こりギルドに必要ありませんわ」


 つまり、馬に頼らず自分で運べということか……

 言われてみれば、マグダもミリィもノーマも、でっかい荷物を自力で運んでたっけな。獣人族、ハンパねぇな……


 そういうわけで、イメルダの馬車は使えず、俺たちはエステラの家の馬車に分乗してハビエルの家を目指しているのだ。

 イメルダは、たまたま実家に帰る用事があったとかで同行することになった。

 ハビエルに話を通してもらう見返りに同乗させているというわけだ。


 ついでだから、などと言っていたが……一緒におしゃべりしながら小旅行気分でも味わいたかったのだろう。なんだかんだで寂しがり屋だからな。


 それからも、大して内容のない雑談が続き、相変わらずガコガコと揺れの酷い馬車に揺られること十数分。

 不意に、ドアの一番近くに座っていたナタリアが『カッ!』と目を見開いた。


「美少女センサーに反応ありっ!」

「そんなセンサーあるの!?」


 お抱えのメイド長の秘められた才能に目を剥くエステラ。

 そんな主の様子をサラッと無視して、ナタリアが突然ドアを開ける。


「捕獲っ!」

「ぇ……っ? きゃっ!」


 そして、両腕を広げて勢いよく外へと飛び出していった。


「何やってんだお前っ!?」

「馬車を停めてー!」


 走る馬車から「フライハイッ!」みたいなノリで飛び出していったナタリアに驚いて思わず声を上げてしまった。

 バカだ! バカがいた!

 エステラが御者に指示を出して急停止させる。

 馬車を降りて道を少し戻ると、ナタリアが可愛らしい獲物をがっちりと捕獲していた。


「ぁの……ぁの……み、みりぃ、何か悪いことした? これ、なに?」


 突然の出来事に涙目のミリィ。

 そんなミリィを、怪しい笑みを浮かべて愛でるナタリア。もう、確実に犯罪者である。


「何やってんだ、この変質者」

「失敬な! 誰がヤシロ様の同族ですか!?」

「失敬はお前だ!」


 そりゃあ俺だって、ミリィを抱っこしてふわさらの髪の毛にすりすりしたいさ! けど、毎日必死に我慢してんじゃねぇか!


「羨ましいんだよ! ちょっと代われ!」

「……うん。この場に失敬な人間はいなかったようだね」

「……その代わり、変質者が二人いますわね」


 遅れてやって来たエステラとイメルダに冷ややかな視線を向けられる。……失敬な。誰がナタリアと同族か。


「ぁ、てんとうむしさんたち……ぉでかけ?」


 敵意がないと分かり安心したのか、ミリィの顔に笑みが戻る。

 ナタリアに抱っこされたままなのだが、別段気にする素振りも見せない。

 ……敵意がなきゃいいのか。なるほど…………にやり。


「ねぇ、ヤシロ。別に、今しなきゃいけない話題じゃないんだけど……ボク、新しいナイフを買ったんだよねぇ」

「へぇ~、今聞いといてよかったよ」


 試し斬りは他所でやってもらおうか。


「あの、ヤシロさん! 一体何があったんですか?」


 こちらの馬車が急停車したことで、ジネットたちを乗せた後続車も同じように停車している。

 ジネットが馬車から降りてこちらに駆けてくる。


「いや、なに。ミリィが変質者を捕まえてな」

「え? ミリィさんが?」

「いや、むしろミリィがウチの変質者に捕まっちゃってるんだけどね……」


 状況の説明を終えると、ジネットはおかしそうにくすくすと笑い、笑われたことでミリィは「笑わないでよぅ~」と、少しだけ頬を膨らませて抗議していた。


 セロンとウェンディも合流して、俺たちの目的をミリィに話して聞かせる。

 するとミリィは大きな瞳にキラキラの星を散りばめて「すてき! すてき!」と繰り返した。

 女の子は、こういう話好きだよなぁ。みんなしてきゃいきゃいと恋の話に花を咲かせている。

 ……その隣で、彼女の両親に初めて会いに行くセロンが、今にも死にそうな強張った表情を貼りつけているのだが、それを気にする者は誰もいない。……ま、そんなもんだよな。


「ミリィさん。今日はお出かけなんですか?」


 こちらの話が終わると、今度はジネットがミリィに尋ねる。

 ミリィはいつものデカい荷車を引いておらず、肩に大きめのカゴをぶら下げているだけだ。


「ぅん。今日はね、四十区にお花を届けに行くの」

「ミリィはいつも遠出してるよな? 四十区にはないのかよ、生花ギルド?」

「ぁるよ。けど、『みりぃがいい』って言ってくれる人が、いるから」


 どこかくすぐったそうにはにかむミリィ。

 むむ……そいつは野郎じゃないだろうな?

 もしどこの馬の骨ともしれん野郎がミリィを指名して花を持ってこさせているのであれば、俺は全力をもってその不届きな野郎を成敗しなければならない。


「ひめかめのこてんとう人族のお婆ちゃんで、みりぃのお花が一番きれいって言ってくれるの」


 うふふと笑うミリィ。

 そうか。お婆ちゃんか。うんうん。よかったよかった。

 危うく四十区と四十二区の全面戦争になるところだった。


「少し遠いから、今日はこれだけなの」


 そう言って大きなカゴを俺たちに見せる。

 秋田犬が入りそうな大きさのカゴだ。当然、中身は犬ではなく花なのだが。


「荷物がその程度なら、馬車でも使った方が楽なんじゃないのか?」


 と、俺は『うっかり』聞いてしまった。

 直後、ほんの一瞬だけミリィの表情がくすむ。


 ……あ、そういうことか。


「まぁ。折角商売に行くんだ。利益は1Rbでも多い方がいいか。馬車より、歩いた方が安上がりだしな」

「ぇ……? ぅん。そうだね」


 手遅れ感が拭いきれない、俺のポンコツなフォローを、ミリィは笑顔で受け取ってくれた。

 本当に迂闊だった……


 ミリィは虫人族なのだ。

 もうほとんど残っていないとはいえ、かつては差別的な感情を持たれていた種族だ。

 そんな自分が馬車に乗ることで誰かを不快にするかも……などと考えているのかもしれない。

 もしかしたら、ミリィ自体が過去に嫌な目に遭ったことがある……とか。


 不特定多数が同席する乗合馬車に乗ることは、ミリィにとっては非常に気の引けることなのだろう。……あぁ。俺、しばらく自己嫌悪に陥りそうだな。


「綺麗な色ですね。なんというお花なんですか?」

「ぁ、ラベンダーだよ。いい香りなのぉ」

「本当ですねぇ」


 ジネットとミリィ。微笑みを交わす二人の声が、乱れた空気を柔らかいものにしてくれる。

 ぽんと、エステラに背中を叩かれた。

 ちらりと窺い見たその表情は「ま、そんなこともあるさ」と、慰めてくれているようだった。


「ミリィさん。四十区へ行かれるのでしたら、是非エステラ様の馬車をご利用ください」

「ぇ……でも……」


 ナタリアの誘いに、ミリィは躊躇うような表情を浮かべる。

 そこへウェンディが歩み寄り、いつも被っているツバの大きな帽子をひょいと持ち上げる。すると、そこから二本の触角が顔を覗かせた。


「私たちと同じ馬車に乗りましょう。ね?」

「……うぇんでぃさん」


 慈しむようなウェンディの笑みに、ミリィが少し嬉しそうな、けれど躊躇うような、複雑な表情を見せる。

 頭の触角がぴくんと揺れる。


 ふむ……


「何かを思いついたんなら、挽回のチャンスなんじゃないのかい?」


 俺の顔の筋肉の、ほんのわずかな動きを察知して、エステラが小声で言う。

 ……うっせ。あんま見んな。拝観料取るぞ。


 あ、それいいな。


「よし。エステラ、お小遣い頂戴」

「いくら払う?」

「……ケチ」

「君に言われると心外を通り越して、なぜか笑えてくるよ」


 純粋な心で手を差し出した俺を、ドケチなエステラはせせら笑う。むぅ……嫌なヤツだ。お小遣いをもらうためには金を出せとか……まったくもって理解不能だ。

 お前が身銭を切らないせいで、俺が身銭を切ることになったじゃないか……まったく。


「ミリィ。その花、少し売ってもらうことは可能か?」

「ぅん、いいよ」


 細く長い茎の先端に、小さな花がたくさんついている。遠目で見ればネコじゃらしのような形をしたその花は、とても馴染みの深い香りを放っていた。

 ……あぁ、トイレを思い出すな。置くだけで水を青くするやつの香りだ。


 で、そんなラベンダーを二本、俺は購入する。

 茎の下の方を持つと、先端の花の重みで自然とたわみ、茎が緩いカーブを描く。


 この茎の付け根にちょちょいと細工を施して……


「ジネット」

「はい?」

「プレゼントだ」


 そう言って、俺はジネットの頭頂部に二本のラベンダーを差し、髪留めで固定した。


「ぁ……」

「わぁ……」


 ミリィが驚きの声を上げ、ジネットがなんだか嬉しそうな表情を浮かべる。

 ジネットの頭に、まるで触角のように二本のラベンダーがぴよんと生えている――ように見える。


「お揃いですね、ミリィさん。ウェンディさん」

「………………ぅん」

「うふふ、そうですね」


 触角を生やした女子が三人、顔を見合わせて微笑み合う。


「ミリィさん。もしよければ、四十区までおしゃべりをしながらご一緒しませんか?」


 そっと手を差し伸べ、ジネットがミリィに微笑みを向ける。

 ほんの少しだけ考えるような素振りを見せた後、少し照れたようにミリィはこくりと頷いた。


「ぅん…………えすてらさん。ぉじゃましても、いい?」

「あぁ。もちろんさ。一緒の馬車に乗れないのが残念なくらいだよ」


 持ち主であるエステラに伺いを立て、そしてジネットとウェンディ、そしてセロンに向かってぺこりと頭を下げる。


「じゃあ……よろしく、ね」


 まるで花が咲いたような華やかさが広がっていく。

 ……正直、ほっとした。


「それじゃあ、そろそろ行こうか」


 エステラが手を打って場を取り仕切る。

 俺たちも、さほどのんびり出来るわけではないのだ。早くハビエルに馬車を借りて三十五区を目指さなくては。なにせ、四十二区の対角線上にある最も遠い地区だからな。


「ではヤシロさん、また後で」

「てんとうむしさん。またね~」


 手を繋いで、ジネットとミリィが馬車へと乗り込んでいく。

 仲のいい姉妹のように、顔を見合わせくすくすと笑いを零す。

 そんな二人の様子を見ていると、不意にウェンディが俺の前へと立ち静かに頭を下げた。

 顔を上げたウェンディは柔らかい笑みを浮かべていた。


 やめてくれ。そういうんじゃねぇよ。


 なんだか気恥ずかしくて、俺はウェンディから視線を外し、そばにいたセロンの顔へと逃げ場を求めた。

 のんきなイケメンが「何か?」みたいなとぼけた顔で小首を傾げる。


「頑張れ。仲間外れ」

「はっ!? 僕だけ触角がありませんねっ!? なんだかすごく寂しい気分になってきました!? どうしましょう英雄様!?」


 おろおろするセロンを残して俺は移動し、自分の乗る馬車へと乗り込む。

 最後にナタリアが乗り込んでドアが閉まると、胸に重くのしかかっていたもやもやを吐き出すように盛大なため息が漏れ出ていった。


「まぁ、仕方ありませんわね」


 隣の席でイメルダが涼しい顔で言う。

 視線が合うと、ほんの少し怒られている気分がした。「気にし過ぎですわ」とでも、言われてる気分だった。


「……結構、根深い問題なんだな」

「ボクたちが『気にしない』なんて言える立場じゃないからね」


 差別ってヤツは目に見えないくせに、しっかりとツメ跡を残していきやがる。

 ロレッタが『差別はした方がいつまでも気にしている』と言っていたが、……それだけってわけでもないよな、実際は。


 もっと気を付けるべきだった。

 気付くことは出来たはずなんだ。


 四十二区の外でも、何度もミリィに会っている。一緒に四十区まで行ったことだってある。

 その時、ミリィが馬車を使ったことがないってことも知っていた。

 ミリィが元々懇意にしていたメンツを見ても分かりそうなものだ。


「ミリィが心を許しているのって、ジネットとかベルティーナみたいな聖女級の優しさを持つヤツか、レジーナみたいな人間の枠からはみ出た変態くらいなんだよな……」

「サラッと毒を吐くよね……まぁ、ターゲットがレジーナだからいいけどさ」


 己自身もサラッと毒を吐きつつ、エステラが苦笑を漏らす。


「あとは、俺……頼れるお兄ちゃん枠のナイスガイくらいだもんな……」

「割と余裕がありそうじゃないか、ヤシロ。心配して損したよ」


 だくだくと、壊れた加湿器のように毒素を吐き出すエステラ。

 まったく……人が真面目な話をしている時に……


「そして、人間離れした抉れちゃんくらいだもんな……」

「ナタリア。そこの減らず口をドアから突き落としておいてくれるかい?」


 そんなつもりはなくとも、なんとなく意識してしまう。

 そんな厄介なものを、他人がどうこう出来るわけもなく……


 ただ、漠然と……



 なんとかなんねぇのかなぁ……なんてことが、胸の奥で燻っていた。





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