後日譚

後日譚1 陽だまり亭相談所

「結婚について、真剣に考えてほしいんです」


 陽だまり亭の一番奥の席。

 俺のお気に入りの席であるこのテーブルで、そんな言葉をかけられた。

 俺の向かいに座るそいつの瞳は紛れもなく真剣そのもので、その言葉には冗談や嘘偽り紛らわしい要素など一切含まれていないことは明白で……


 俺は…………



 堪らずそいつの顔面にパンチをお見舞いした。



「痛っ!? い、痛いですよ、英雄様っ!?」


 涙目になりながら、殴られた鼻っ柱をさする銀髪のイケメン。その名はセロン。


「……なんで俺が、お前にプロポーズされなきゃならんのだ?」


 鳥肌が収まらない。

 何考えてやがんだ、このクソイケメン野郎は……

 ウェンディはどうした?

 つか、なんで俺なんだ!?


「ち、違いますよ! 僕とウェンディの結婚についてです!」


 大慌てで否定するセロン。

 あ、お前とウェンディの結婚について、俺に真剣に考えてほしいってことか。

 …………は? なんで?


「まさか、ウェンディにフラれたのか?」

「いいえ。とても順調で、僕は毎日幸せを噛みしめております」

「冷やかしなら帰っておくれっ!」

「英雄様、口調がおかしなことになっていますよっ!?」


 なんなんだ!?

 自慢か!?

 リア充がリアルが充実してるぜ自慢でもしに来たのか!?


「ジネット! 塩を撒いてやれ!」

「ふぇえ!? 何があったんですか!?」


 俺の剣幕に、ジネットが慌てて駆け寄ってくる。両手で水差しを持って。

 ちょうどいい、そこの惚気(のろけ)イケメンの頭から冷水をぶっかけてやれ。


「あの……何か問題でもあったんですか?」

「そこの万年お惚気人間にでも聞いてくれ」

「万年お惚気?」


 ジネットがセロンへと視線を向ける。と、セロンは困ったように眉を曲げて「……あはは」と苦笑いを浮かべた。

 ……くっ! なんてこった。

 イケメンは困ってもイケメンなのか!?

 二十四時間、年中無休でイケメンなのか!?


 もし、恋愛に無垢な乙女が直視でもしようものなら「はふぅ……」と恋しちゃったため息を漏らしてしまいそうな破壊力を持った爽やかスマイルだ…………まぁ、ジネットには、そんなイケメンスマイルは効かないとは思うが…………なんて危険なヤツなんだ。もはや歩く凶器じゃねぇか。


 俺だってなぁ、凄く体調がいい時に鏡を見ればたま~にそれくらいイケメンな時があるんだぞ。角度とかバッチリ決めればな!

 そう……例えば、こんな角度だ。


「セロン」

「はい。なんでしょうか?」


 苦笑を浮かべていたセロンに声をかけ、俺は『斜め四十五度』プラス『前髪で片目隠し』という最強コンボでセロンを見つめる。


「この角度、どうだ?」

「へ? ……あ、素敵です、英雄様」

「ふふん……そうか」


 な?

 俺も、そこそこイケてんだよ。まぁ、勝ってるとは、さすがに言わないけどな。俺って謙虚なところあるしな。でもまぁ~……五分(ごぶ)……ってところかな?


「ジネットよ……」

「え……あ、はい」

「折角だ、汲んでやるといい……そう、水をな」

「へ? …………あ、そ、そうですね!」


 ジネットが、俺の最強コンボを前に少し動揺している。

 ふふふ……なんだよなんだよ。結構使えるんじゃねぇか、これ。

 まぁ、俺が本気を出せば、このくらいは、な。


「あの、セロンさん。お水のおかわりをどうぞ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「いえ」


 セロンの爽やかな笑顔に、ジネットはにこりと笑みを返す。

 ……ふん。それくらい、俺だって。


「ジネットよ……」

「は、はい」

「俺にも……頼むよ………………そう、水を、な」

「えっと…………」


 右手で顔を隠すように覆い、指の間から鋭い視線を向ける。

 そんなカッコいい仕草に、ジネットは言葉を失っている。

 分かる。分かるぞ、ジネット。あまりのカッコよさに見惚れてしまっているんだよな?

 ふふふ……乙女心が爆発寸前、ってとこか?


「あの、ヤシロさん」

「……ふっ、なんだ?」

「頭が、痛いんですか?」

「…………いや?」

「では、どうして頭を押さえるような格好を?」

「………………うん。なんでもない」

「どうして、そんなおかしな言葉遣いなんですか? いつもの口調の方がヤシロさんらしくて素敵ですよ?」

「…………うん。ホント、なんでもないから」

「あ、前髪、伸びましたね。切りましょうか?」

「……ごめん。マジで、一回この話終わらせてもいいかな?」


 どうやら、俺の意図は伝わっていなかったようだ。

 ことごとくあさっての感想を持たれてしまったようで……なんというか、心が寒い。

 …………ま、まぁ、ジネットにはちょっと難しかったかなぁ。なんっつうの? こう、『影のある男』的なカッコよさっての? そういうのはさ。


「それで、何かあったんですか?」


 俺のカッコいいポーズを、何かのおふざけだとでも思ったのか、ジネットがそんなことを言う。

 ……誰がおふざけなんぞしとるか。失敬な。


「いえ……あの…………」


 セロンが言い淀む。が、ジネットの顔を見た後で、腹を決めたような表情を見せて、口を開く。


「結婚についてのご相談をしていたんです」

「ふぇっ!?」


『結婚』という単語に驚いたのか、ジネットが両目と口を大きく開き、両手で口元を覆い隠した。

 そして……その時手に持っていた俺のコップと水がなみなみと入った水差しは俺の上へと放り出されていた。


「冷たっ!?」

「にゃあっ!? す、すすす、すみませんすみませんっ! す、すす、すぐに拭くものを!」


 水差しとコップをテーブルに置き、慌てて厨房へと引き返していくジネット。

 ……あ~ぁ。腹から下半身にかけてがビッチャビチャだ。

 俺じゃなくて、目の前のイケメンにかけてほしかったのに…………いや、待てよ……もしかしたらこれは『ヤシロさんの方がイケメンですよ』という、ジネットからの隠れたメッセージなんじゃ………………うん、ないな。


「あ、あの、大丈夫ですか、英雄様!?」

「あぁ……熱湯じゃなくてよかったよ」


 火傷をしたら一大事な部分だからな。水なら冷たいだけだ。


「申し訳ありません。僕が急な話をしてしまったばっかりに」

「気にすんなって。なんでもかんでも自分が悪いって考える癖直した方がいいぞ」

「……はい。気を付けます」


 分かってんのかねぇ、こいつは。


「ヤシロさんっ、これを!」


 バタバタと駆け戻ってきたジネットは、手に持ったタオルを1つ俺に手渡すと、もう1つのタオルで濡れた服を拭き始めた。

 ……で、お前がそこを拭くと、俺が拭く場所ないんだけど? しょうがないからテーブルとか拭いてみる。


「冷たくないですか? 風邪とか、引かないでくださいね」


 おろおろと、俺の下腹部を懸命に拭くジネット…………あの、この位置関係ちょっと恥ずかしいからどいてくれないかな?


「もう大丈夫だ。あとは自分でやるから」

「でも……」

「いや、あの…………そこら辺拭かれるの……恥ずかしいし」

「へ? ………………にゃっ!?」


 そうして、タオル越しとはいえ、今自分が手を置いている部分がどこかを認識して、ジネットは顔を真っ赤に染める。

 まぁ、へその下あたりだな。……うん、嫁入り前の娘が気安く触ってはいけない部分だ。


「す、すすす、すすす、すいすいすい……」

「いいから。落ち着け。な?」

「すいますっ!」

「『すいません』だな!? そこは否定文にしといてくれるかな!?」


 何を吸うつもりなんだよ!?

 ちょっと落ち着こうな!


 照れ隠しからか、俺に背を向けるジネット。

 そのせいで、セロンと向かい合う格好になる。

 空気を変えようとしてか、ジネットはそのままセロンに言葉を向けた。


「そ、それで、あの……ご結婚、なされるんですか?」

「え……。はい。そのつもりです」


 ジネットの質問に、セロンはゆっくりと、だが明確に首肯する。


「……ヤシロさんと?」

「んなわけないよな!? 分かるよな!?」

「ですよね!? ないですよね!? ……よかった」


 なに?

 分かっていても、明確に否定してもらわないと万が一の可能性に不安にでもなるのか?

 万が一にも可能性なんかねぇよ!


「と、いうことは……ウェンディさんと、ですか?」

「はい。僕には、ウェンディしかいませんから」

「そうですか。おめでとうございます」


 と、言いながら、ジネットは俺の隣に腰を下ろす。

 ……聞く気なんだな?

 こういう話、大好きだもんな。


「ですが、表情が優れませんね? 何か問題でもあったんですか?」


 芸能レポーターのように核心に迫ろうとするジネット。

 セロンも、そういう対応の方が話しやすいのか、「実は……」と、躊躇いがちにその理由を口にする。


「ウェンディを……世界一幸せにしてあげたいんです」

「お引き取り願おうかっ!」

「ヤシロさん、落ち着いてください!? いい話じゃないですか!?」

「これ以上甘ったるい惚気を聞かされると、俺メタボになっちゃうよ!? カロリー過多で成人病まっしぐらだよ!」

「英雄様! どうか、僕の話を聞いてください! 真剣に悩んでいるのです!」

「悩むことなんか何もないだろうが。『結婚してぽ』『嬉しいぽ』『じゃあ、いいぽ?』『もち、いいぽ!』って感じでよぉ」

「……そんな口調はしたことがないのですが……」

「そしてめでたしめでたし、だろうが」

「それが……」


 セロンの表情が曇る。

 その顔に表れているのは、焦燥感に似た不安な表情だった。


「どうか、話を聞いていただけませんか? お願いします!」


 テーブルに手をつき、身を乗り出しつつ真剣に訴えかけてくるセロン。

 ……ったく、しょうがねぇな。


「そもそも、お前とウェンディの結婚は秒読み段階のとこまで来てたんじゃなかったのかよ?」


 先日完成したばかりの四十二区の街門。その街門から陽だまり亭の前を通って東西に横たわる街道を作らせるために実施した祭りで、セロンとウェンディは暗い道を灯す光るレンガを考案した。

 その光るレンガが大ヒットし、潰れかけ寸前だったセロンの家のレンガ工房は再起し、ウェンディの夢も叶えられ、そして二人は近く結婚が決まった――と聞いていたはずなのだが。


「まさか、またお前んとこの親父が何か言ってきてんのか?」


 レンガ工房を立て直すために、息子を貴族にやろうとしていた父親だからな。あり得なくはない話だ。


「いえ。父は……その…………お恥ずかしい限りなのですが……光るレンガが大ヒットして以降、ウェンディを絶対逃がすなと……ウェンディ以外の嫁は認めないというスタンスでして……」

「現金なヤツだな……」

「お恥ずかしい限りです……まぁ、僕としては、ウェンディを認めてもらえて喜ばしいのですが、いささか暴走が過ぎまして……どうやら、僕たちが結婚間近だという話をあちらこちらで吹聴して回っていたようです」


 あの親父……


「ってことは何か? お前らの間ではまだ結婚の約束は何もしてないってことなのか?」

「はい。はっきりとしたことはまだ何も」


 と、いうことは……


「ウェンディが結婚に前向きじゃないって話か?」

「いえ。僕との結婚を、きっとウェンディも望んでくれていると思いますので、その点は何も心配していません」

「じゃあ、俺に何を考えてほしいんだよ? 考えるまでもなく、そのうち結婚ってことになりそうじゃねぇか」

「はい、遠くない未来に、僕とウェンディは結婚することになると思います」


 ……イラ。


「なんというか、二人でいる時も、特に言葉にしなくともお互いに結婚を意識していると感じるのです」


 ……イライラ。


「二人なら、きっと幸せな家庭を築けると、僕は確信していますし……きっと、ウェンディも……」


 ……イライライラ。



「もう、ウェンディ無しの世界なんて考えられない……本心からそう思っています」


 ……イライライライラ。


「ですが……本当に、これでいいのかと……」

「いいんじゃねぇの、別に!?」


 なにこいつ!?

 なんなの!?

 ずっと我慢して話聞いてれば、どっこにも問題ないじゃん!? 自慢したいだけじゃん!

 それとも何か? マリッジブルーってやつか?

 知るかボケェ!

「みんないい娘過ぎて、誰を選べばいいのか分からなぁい!?」とかいうふざけた悩みくらい知ったこっちゃねぇわ!

「お好きなようにすればいいんじゃないですかぁ!? かぁぁぁあああ…………っぺっ!」って感想しか湧いてきませんけどねぇ!


「ジネット~……目の前の爽やかイケメンがイジメる~」

「え? あの、ヤシロさん……なんで、泣いて……?」

「泣いてねぇよっ……これは…………心の涙だっ! ……………………じゃあ、泣いてんじゃねぇかっ!?」

「お、落ち着いてください、ヤシロさん! あの、な、泣かないでください、ね? えっと……よ、よしよし」


 どうしたものかと戸惑い、ジネットがそっと俺の頭を撫でてくれる。

 おぉ……なんだろう。これ、ちょっと気持ちいい…………


「なんとなく、ちょっとだけ女将さんを思い出すな……」

「え? 『女将さん』?」

「あ、女将さんってのは俺の母親で……」

「いえ、それは存じているんですけど…………『お母さん』と呼ぶようになったのでは?」

「う…………っ」


 まぁ、確かに、なんやかんやあって、親方と女将さんのことを『お父さん』『お母さん』と呼ぼうかと思ったこともあったんだが……やっぱちょっと恥ずかしいっていうか、今更感が半端ないというか……

 ずっと『親方』『女将さん』と呼んできたから、口がそれに慣れちまってるんだよな。


「ま、まぁ、呼び名なんかなんだっていいんだ。要は、気持ちだから」

「それもそうですね。わたしも、シスターを『お母さん』と呼ぶのは……少し恥ずかしいですし」


 なんてことを話している間ずっと、ジネットは俺の頭を撫でていてくれた。

 髪の毛をもふもふされるのはくすぐったくもあるが、やっぱいいもんだな。

 どことなく、元気が湧いてくる気がする……


「けど、挟んでくれた方が元気出る気がする」

「何ででしょうか……?」

「え、聞きたい?」

「いえ。遠慮しておきます」


 そっかぁ……ジネットは遠慮深いからなぁ。


「あはは。お二人は、いつも仲睦まじいですね」

「お前んとこほどじゃねぇけどなっ!?」

「……あの、英雄様……何か、怒ってます?」


 怒ってねぇよ!

 別にっ、全っっ然っ、羨ましくとかねぇーし!

 毎日毎日飽きもせずイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャしやがって! あぁ、もう、羨ましいっ!


「で、何が不満なんだよ?」

「いえ、不満と言いますか…………このままで、いいのかと……」


 焦燥感のようなものを滲ませて、セロンは不安げに言う。

 まるで、自問自答するかのように。


「上手く言えないのですが……平穏過ぎると言いますか……結婚の前に、問題を乗り越えることも必要なのではないかと……」

「え~っと、なに? つまり、俺はお前らの結婚を全力で邪魔すればいいの?」

「い、いえっ! 協力していただきたいのですっ!」

「波風を立てたきゃ、適当な女と浮気でもしたらどうだ?」

「ウェンディ以外の女性など、僕には硫黄が多く収縮率の高い粘土ほどの価値もありません!」

「粘土で例えるな、分かりにくい! おっぱいで言うと何カップくらいの価値だ?」

「いえ、あの……よく分からないのですが?」


 おっぱいを例えに出して『分からない』なんて言うヤツとは話が合わん!

 帰ってもらおうか!


「大丈夫ですよ。それが理解出来るのはヤシロさんだけですから」


 あれぇ……ジネットになんだか酷いことを言われてる……


「じゃあ、一体なんなんだよ?」

「実は……ウェンディには家族がいるのですが……まだ一度も面識がありませんで……」

「え?」


 セロンの言葉に、俺は首を傾げる。


「ウェンディに家族なんかいるのか?」


 ウェンディは廃墟の並ぶ寂しい地区で一人、古びた研究所にこもって研究を続けていた。セロンと出会った時も、そしてそれ以降も、ずっと独り暮らしだったはずだ。


「ウェンディの家族は、三十五区に住んでいるんです」

「三十五区?」


 三十五区といえば、四十二区の対角線に存在する海に一番近い区だ。

海漁ギルドのマーシャが、その街門を使って四十二区へとちょこちょこやって来ていることから来られない距離ではないのだろうが、あいつらは途中の区間は馬車移動しているだろうからな。子供の足でと考えると、三十五区から四十二区はいささか遠過ぎるのではないのだろうか。


「なんでそんな遠いところから子供一人で四十二区に来たんだ?」


 昔、ロレッタがセロンやウェンディから聞き出した話によれば、ウェンディはまだ一桁台の年齢の頃に四十二区に来ており、そこでセロンと出会っていたはずだ。


「四十二区に、ウェンディが必要とする植物が生息しているからですよ」

「あぁ。そういや、あの光る粉の原材料は、四十二区の森に生息する植物だって言ってたな」

「はい。実家で研究を始め、材料を突き止めたウェンディは、思い切って家を飛び出したのだそうです」


 思い切ったことをする。


「不安ではなかったのでしょうか……まだ幼いうちに家を飛び出すだなんて……」


 九歳の頃、爺さんの経営する陽だまり亭に顔を出すまで、ずっと教会の外に出なかったジネットには、ウェンディの決断は信じられないものかもしれない。

 なんの伝手もなく四十二区にやって来るなんてのはな。


「ウェンディ自身は家に戻ってないのか?」

「いえ。ウェンディは、年に何度か実家に戻っているようですが……なので、以前、会いたい旨をウェンディに話したことがあるのですが……」

「ウェンディの胸に会いたいって話をしたのか?」

「いえ、ウェンディのご両親に会いたいという旨です」


 あぁ、そっちかぁ……紛らわしいなぁ。


「で、会ってないってことは、断られたのか?」

「はい。『実家は遠いから』と」

「お前はずっとレンガを作ってるからな」


 ウェンディの気遣いなのだろう。

 だが、結婚するとなると、挨拶くらい行っておいた方がいい気がするんだよな。


「ただ……なんとなくなのですが」


 そこで、セロンの表情が微かに曇る。


「ウェンディは、家族のことをあまり快く思っていないのかもしれないなと……」

「そうなのか?」

「分かりませんが……なんとなく」


 恋人であるセロンがなんとなくそう感じるのであれば、その可能性は高い。

 言葉ってのは、誤魔化そうとすればそこに違和感を伴うからな。


「少し、気になりますね……」


 ぽつりとジネットが漏らす。

 こいつの言う「気になる」は、興味本位ではなく、ウェンディが家族のことで悩みなどを抱いているのではないかという心配の意味合いが強い。

 なんにでも首を突っ込んで、勝手に心配をするヤツだからな。


 しかし、セロンも気にするような素振りを見せているわけだし……


「ウェンディは、家族のことをほとんど口にしません。『自分で決めたことだから』と」


 自分で選んだ道。自分の夢を掴むために踏み出した道。

 その道を行くために、ウェンディは孤独を選んだのだ。


「ですが、やはりどこか寂しさを抱えているような気がしてならなくて……だから、出来ることなら僕は、彼女のすべてを受け止めた上で、彼女との結婚に臨みたいと思うんです。ウェンディを、世界で一番幸せにするために……」


 その言葉は、優しさと共に強過ぎるくらいの決意が込められていた。

 こいつは、本気でウェンディを幸せにしたいと思っているのだ。


 くそ……ちょっとカッコいいじゃねぇか。


「しょうがねぇなぁ……」


 俺の呟きにセロンと、そしてなぜかジネットがぱぁっと表情を輝かせる。

 そんな期待したような目で見つめるな。何が出来るってわけじゃないんだ。結婚に関しては、俺も知識がないからな……

 でもまぁ、ある程度の手助けくらいは……まぁ…………してやってもいいかな。


「分かったよ、セロン。協力してやるよ」

「本当ですか!?」

「あぁ……俺も、男だ。お前の気持ちは分かるからな」

「英雄様……」


 そうだよな。

 結婚相手の幸せは、ちょっとでも欠けていてほしくないもんな。

 100%幸せにしてやりたい。それが男ってもんだ。


 どんな小さな棘でも、気になると気持ちが悪いものだ。

 そんなわだかまりを残したまま、そいつを無視して幸せだなんて言えない。言いたくない。


「俺も、お前と同じように……爆乳と戯れる時は幸せな気分で心を満たしていたい派だからな!」

「あの……僕はその派閥の者ではないのですが……」

「貧乳と戯れる時は幸せな気分で心を満たしていたい派か?」

「いえ、それでもなく……」

「だがまぁ、言わんとするところは分かるだろう?」

「いえ……申し訳ありませんが……」


 なんで伝わんないかなぁ!?

 察しの悪い男だなぁ!?


 まぁいい。要するにだ。


「ウェンディを幸せな花嫁にしてやればいいわけだな」

「『幸せな花嫁』……素敵な言葉ですね」


 ジネットがうっとりとした瞳で虚空を見つめる。

 その視線の先に、何を幻視しているのだろうか…………気になるな。

 気になるが…………聞けないよな。


 なので、別のことを尋ねてみる。


「なぁ、ジネット」

「はい」

「この街での結婚ってのは、どういう流れなんだ?」

「流れ……ですか?」


 いや、ほら。結婚するには色々手順ってあるじゃん? 「娘さんを僕にください」とかさ。


「まず、好きな方を見つけます」

「スタート地点が遠過ぎるな……もうちょっと進展したところから始めないか?」


 そのまま放置すれば、「初デートは公園でお弁当を食べて~」とか延々と語りそうだったので、大幅にショートカットさせる。

 まぁ、聞いてみたい気もしなくもないがな。ジネットの理想のデートとやらを。


「お互いの両親に挨拶に行ったりくらいは普通にするんだろ?」

「そうですね……基本的に子供の頃から近しい間柄同士で結婚することが一般的ですから、貴族の方以外はあまりきちんとした挨拶などはされないものだと聞きますが」


 なるほど。一般人の場合、同じギルド内とか、近所に住む者同士とかで結婚するのが普通なのか。なら、親子ともども面識があるわけだから、改まって挨拶するなんてこともそうそうないのだろう。

 ってことは、セロンとウェンディのケースは、このオールブルーム内ではかなり異例の結婚なのかもしれない。


「だとしたら、やっぱり結婚の前に、一度挨拶に行くのもいいかもしれんな」

「そうですね。出来ることなら、多くの方に祝福していただきたいですし。ウェンディを幸せに出来る男であると、認めていただけるよう、きちんと挨拶に伺いたいですね」

「ウェンディがいいと言えば、な?」

「……そう、ですね」


 現状、ウェンディはやんわりとした拒否しかしていないようなので、本当のところどう思っているのかは分からない。もしかしたら、本気で両親に会わせたくないと思ってるのかもしれないし、だとしたら無理強いするのは得策ではない。

 いくら相手のためと前置きしようと、心の奥底ではそんなふうに思っているわけないと確信出来ようと、相手の理解も得ず行動に移すのは単なるエゴでしかないからな。


 とにかく、一度きちんとウェンディに聞いてみるべきだ。


「婚約とかはするのか?」

「貴族の方はされるようですね。指輪を送られるとか」


 そこらへんは同じか。

 要するに、日本でやっていたようなことは貴族たちしかしてないってわけだ。


「一般の方の場合、結婚の意思が固まったら、領主様のもとへ行き書類を提出します。それで、結婚したと認められるんですよ」

「それから?」

「へ? それで終了……です、けど?」

「そうか……」


 婚姻届みたいなものは存在するらしい。

 だが、それで終了って……

 誕生日のような祝い事のなかった街だ。一般人が結婚式を挙げるようなこともないのかもしれん。

 言われてみれば、教会で式を行った者など、この一年見たことがない。


 結婚式も、やるとすれば貴族とか、その辺の連中だけなのだろう。


 で、確か花束を送ればプロポーズの意思表示が出来るんだっけか、この街では。

 ……その際、プロポーズなんかはするものなのだろうか?


「なぁ、プロポーズとかってやるもんなのか?」

「そうですね。わたしたちのような一般市民には無縁なことかもしれませんが、貴族の方は求婚の際は熱烈な思いを言葉にして贈られるそうですよ。……素敵ですよねぇ」


 うっとりとするジネット。

 花束に言葉を添えて求婚する。そういうプロポーズは、女子の憧れらしい。

 絵本のお姫様に憧れるようなものなのだろうか。


 だが、現実は書類を提出して終わり。ってのは……なんだか味気ねぇよなぁ。


「ですが、最近はそうでもないようですよ」


 ジネットの言葉を訂正するように、セロンが口を開く。

 少し照れくさそうに……けれどどこか嬉しそうに、セロンは口の端を緩める。


「英雄様の影響で、四十二区ではプロポーズをする方が増えているようなんです」

「……俺の、影響で?」


 なんだか凄く嫌な予感がする。

 どういうことなのかとセロンに問おうとしたのだが、セロンの背後から現れた馴染みの顔がそれについての解説をしてくれた。


「君が花束を気軽に贈り合う習慣を根付かせようと働きかけただろう? その影響だよ」

「エステラ……」


 セロンの背後からエステラがひょっこりと顔を出した。

 嬉しそうな顔でこちらを見ている。


「……盗み聞きか? いやらしい」

「普通にここまで来たよ! 入り口からずっと聞こえてたから!」

「えっ!?」


 と、今さらセロンが慌てて辺りを見渡す。

 幸いというか、店に客の姿はない。

 ……つか、密談のつもりだったのかよ、お前。どんだけ無防備にしゃべってたのか自覚してないんだろうな。


「で、プロポーズが根付いていることを調べたってことは、お前ももちろんするつもりなんだよな?」


 俺の耳にも、プロポーズするカップルが増えているなんて情報は入ってきていない。

 普段から工房にこもってレンガを作っているか、ウェンディとイチャイチャしかしていないセロンが巷の流行に敏感なわけがない。

 こいつが知っているということは、わざわざ調べたのだろう。


 なぜそんなものを調べたのか……答えは一つ。

 自分もそうするためだ。


 そして、俺の推測が正しいことを、セロンが首肯をもって証明してくれた。


「じ、実は、ですね…………明日にでも、プロポーズはしようと思っていまして」

「そうなんですかっ!?」

「ぅおう!?」


 ジネットが物凄く食いついた。

 あまりの勢いに、思わず声を漏らしてしまったほどだ。

 すっごく目がキラキラしている。


「はい。えっと……花束も用意して……その……約束も、取り付けてあります」

「……詳しく」

「非常に興味深いです!」

「お前ら、いつからそこにいた!?」


 セロンの背後から、マグダとロレッタが顔を覗かせる。

 どいつもこいつも食いつきやがって。


「プロポーズの言葉はきちんと考えてあるんだろうね? 一生に一度、そして一生涯忘れることの出来ない大切な瞬間なんだから、しっかり予行練習しておかなきゃダメだよ!」


 と、エステラがセロンに忠告をしている。

 まるで自分のことのようだな。お節介め。

 しかし、そんなお節介焼きはエステラだけではないようだ。


 ジネット、エステラ、マグダにロレッタと、四人の美少女に取り囲まれ、さながら尋問を受ける被疑者のような面持ちで、セロンは額に汗を浮かべる。相当なプレッシャーだろうなぁ。

 なんでか女子は、知り合いの女子の相手に対して「幸せにしてあげなきゃ私たちが許さないからねっ!」的な圧力をかけてくるんだよな……お前ら、関係ないだろうって言葉は禁句なのだ。


「い、一応……言葉も、考えてあります」

「一応ねぇ……」

「……いささか不安」

「一世一代の大勝負に挑もうという気迫が感じられないです」


 エステラ、マグダ、ロレッタは、セロンの『一応』という言葉に眉を顰める。

 そういう弱腰な態度はマイナスに映るようだ。


「よろしければ、聞かせていただけませんか?」


 と、ジネットが天使のような笑顔で悪魔のようなお願いを口にする。


 ……プロポーズの言葉を、関係ない異性に聞かせる?

 なんの罰ゲームだよ……

 セロンも困った様子で慌てふためいていたのだが……やがて腹をくくったのか、すっと顔を上げこくりと頷いた。

 ……マジか?


「プロポーズの言葉は、最近流行の……英雄様調で行こうと思っています」

「ん? ちょっと待ってくれるかな?」


 英雄様調?

 あなたのおっしゃる英雄って、どこの英雄?


「俺風……って意味じゃ、ない、よな?」

「いいえ。英雄様のように、男らしく思いやりのある優しい言葉のことです」

「そんなもんが流行ってるってのか!?」

「はい。僕の知り合いにも、英雄様調のプロポーズで成功したという者が何人もおります」

「……マジでか…………つか、俺っぽいって……どんなんだよ?」


 嫌な予感しかしないのだが……知らないのはもっと嫌な感じだ。

 すげぇ、変な気分なのだが…………俺っぽいプロポーズというものを見せてもらうことにしよう。


「少し……恥ずかしいですが…………では、やってみますね」


 席を立ち、緊張して早まっているのであろう心臓を抑えつけ、セロンは大きく深呼吸をする。

 そして、ロレッタが頭上に掲げる『ウェンディ』と書かれた紙に向かって、セロンは真剣な眼差しを向ける。


「ウェンディ……あ、今はありませんが、本番ではここで花束を渡します」


 そんな注釈を入れつつ、花束の代わりに空になったグラスを握りしめ、それをロレッタの掲げる『ウェンディ』へと差し出す。

 そして……


「べ、別に、君のために買ってきたんじゃないんだからねっ!」

「ちょっと待て、コラァ!?」


 思わず止めてしまった。

 止めずにいられようか!?


「なんだその、ツンデレは!?」

「続きがあるんです!」

「いや、そこでジ・エンドだろ!?」

「あるんです!」


 断言するとセロンは『ウェンディ』へと向き直り、眉をキリリと持ち上げてこう続けた。


「これから、ずっとお前と一緒にいてやる! あくまで、僕の利益のためにねっ!」

「だから、ツンデレ!? なんなの、そのツンデレ!?」

「……ふむ。ヤシロっぽいね」

「嘘だろ!? 嘘だと言ってよ、エステラ!?」


 俺、こんなツンデレだと思われてるの!? え、死にたい。


「……これは……ウェンディもイチコロ」

「マジで!?」

「かなりの破壊力です……」

「大丈夫か、お前ら!?」

「…………ぁう…………あの…………ノーコメントで」

「って、顔真っ赤じゃねぇかよ、ジネット!?」

「だ、だだだ、だって…………もし、自分だったらと想像したら…………」

「こんなんが嬉しいの!? ねぇ、一回冷静になろうぜ、みんな!?」


 マグダもロレッタもジネットも、みんなおかしい。

 そもそも、これは全然俺っぽくない!


「あぁ…………恥ずかしかった……」


 耳まで真っ赤に染め上げて、セロンが顔を伏せる。

 けどな……俺の方がもっと恥ずかしい目に遭ってんだよ…………お前のせいでな!?


「お、『お前』って言うのは……ハードルが高いですね」

「そこかよ!?」


 もっと恥ずかしいところいっぱいあったよ!?

 こんなんで結婚決まったら、絶対数年後に後悔するからな!?


「そ、それでですね! け、結婚はしたいのですが……ウェンディを、せ、世界一幸せな花嫁にするためにご助力願いたいのです! 普通の結婚ではなく、これまで英雄様が何度も何度も僕たちに示してくださったような、奇跡のような感動を、ウェンディに与えてあげたいのですっ!」


 勢いに任せて言い切ると、セロンは腰を九十度に曲げて頭を下げた。


「よろしくお願いしますっ!」


 …………いやぁ……奇跡のような感動とか言われても…………


「たぶんだけどさぁ…………この結婚ダメになんじゃね?」

「ど、どうしてですか!?」

「え、聞きたい?」


 プロポーズの言葉がクッソ寒いからですけど!?

 口にするのも憚られるレベルでね!

 俺がウェンディなら、これまで見せたこともないようなメガトン級のパンチをお前のアゴに叩き込んで三日間ほど意識不明に陥れてやるところだぞ。


「ふむ……ヤシロの言いたいことはよく分かるよ」


 細いアゴを指で摘まみ、エステラが瞳をきらりと輝かせる。


「ヤシロ調のプロポーズは難易度が高くて、失敗してしまう可能性が高いってことだね?」

「うわぁ……頭がよさそうに見えるバカがここにいる」


 難易度が高いとすれば、羞恥心に負けてしまうからに他ならないだろう。黒歴史確実だからな。


「……やはり、英雄様調プロポーズを自在に操れるのは、英雄様だけ……と、いうことなんですね」

「ん、俺は操れないよ。なんか、俺の虚像が勝手に暴走しちゃってるだけだし」

「本人を目の前にすると、恥ずかしさで言葉が出なくなることって、ありますよね」


 気遣うようにジネットが呟く。

 でもなジネット。

 本人がいなくても死ぬほど恥ずかしいんだぞ、ヤシロ調とか言われるのは。


「……では、明日。セロンのプロポーズを全員でこっそり見守りに行くということで」

「異論なしです!」

「そうだね。ボクもお供するよ。色々気になるし。ね、ジネットちゃん」

「えっ!? あ、あの……えと…………はい。わたしも、気になります」


 もしも~し、そこの四名様?


 まるで、「わたしたちが見守っていれば上手くいくはず」とでも言うように、四人娘の瞳には使命感という名の炎がメラメラと灯っていた。


「……いいのかよ、セロン?」

「え?」

「見学に行くつもりらしいぞ」

「あはは……確かに、少し恥ずかしいですが…………英雄様に見守っていていただけると思うと、勇気が出ますっ!」


 えぇ……俺も行くのぉ?

 また今みたいな辱めを受けなきゃいけないのぉ?


 …………勘弁してくれよ。


 でもまぁ……協力するって言ったしなぁ……


「…………分かった。プロポーズが上手くいって、お前たちが結婚に向けて動き始めたなら、その時は、俺も出来る範囲で協力をしてやるよ」

「はい! 頑張ります!」


 爽やかな笑みを浮かべて、セロンは拳を握りしめる。

 男が腹をくくった瞬間だ。その姿は勇ましく、きっと凛々しくも頼もしく女子たちの目に映っていることだろう。


 だからこそ、なぁ、セロン……



 プロポーズの言葉、変えない?





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