150話 ヤシロの決断

 街門と街道の完成を祝う式典は、滞りなく終わりを告げた。


 街門の設置であれほど揉めてこじれた四十一区との関係も解消され、三区の領主が揃ってテープカットをするという歴史的なシーンもあった。

 なんでか俺がその中に紛れ込んでいたってのが、謎ではあるが。


 魔獣のスワーム、四十一区とのイザコザと、なんやかんやと工期が遅れた街門建設だったが、最終的には三区の協力により、当初の予定より約一ヶ月程度の遅れに留められた。

 当初の予定にはなかった四十区までの街道の延長も込みでこの期間にやり遂げたことを考えれば、その仕事ぶりはもはや十分過ぎると言えるだろう。


 そして式典が行われたのは四月六日――。


 あぁ、そういえばそうだったなぁと、年明けから今までの流れを頭の中で思い起こしてみる。


 そうかそうか、あれからもう一年が経つのか。


 俺は腕時計を引っ張り出してくる。あまりにオーバーテクノロジー過ぎるために人前ではつけないようにしているのだ。こういう時、振動式の時計はありがたい。電池を交換しなくても、毎日一定数振っておけば止まることがないのだから。


 そして……


「あと十秒…………五……四……三……二……一…………ゼロ」


 日付が変わって、――四月七日。


 俺の命日だ。

 そして、俺がこの世界に来てから、ちょうど一年が経ったわけだ。


 あと、ついでに誕生日でもあるな。


「そういや、こっちに来てすぐの時は、なんかやたらと歩かされたんだよなぁ」


 気の利かない神のせいで、街からすげぇ離れた荒野に置き去りにされ、死にかけ、悪徳商人に拾われ、この街へ来て……ろくなヤツじゃないよな、神ってヤツは。うん。


「ちょっと、歩いてみるかな」


 式典で疲れたのか、ジネットもマグダも今日は早々に眠ってしまった。

 だから、起こさないようにそっと……俺は部屋を抜け出す。


 廊下に出た途端、ふと、心がざわついた……気がした。


 大丈夫だよ。少し散歩に行くだけだ。ちゃんと、帰ってくるよ。


 そんな言い訳めいた言葉を呟いて、俺は静かに階段を降りる。

 店のドアは施錠してあるから……勝手口から出るか。

 …………いや、こんな時間にウロついてるヤツなんかいないよな。いたとしても俺くらいだ。


 だったら、あの時と同じように店のドアから出てやろうじゃないか。


 厨房を抜け、カウンターを越えて、フロアに出ると、一番足のしっかりした椅子を選んでそこに腰掛ける。もっとも、今の椅子はどれもぐらつきはしないが。

 そしておもむろに立ち上がると、カウンターの前に財布を置いて……


「じゃ、行ってくる」


 そう呟いてから、ドアを開けて外へ出る。


「そうそう。最初はこの向こう側にトイレがあったんだよなぁ……しかも真っ暗で……」


 陽だまり亭の前は、光るレンガが淡く美しい暖色系の光を発しているためにとても明るい。

 最初からこれくらい明るければ、外のトイレもさほど怖くなかったことだろう。……まぁ、トイレは室内にある方がいいけどな。


 あ、そうだ。


 こほんと咳払いをして、久しく作っていないあくどい顔をして、俺は呟く。

 陽だまり亭に向かって……


「世の中にはな、悪人の方がずっと多いんだよ。勉強になったな」


 ……なんてな。

 確かこんなセリフを吐いて、俺は陽だまり亭を後にしたんだっけ。結構覚えているもんだ。


「さて……じゃあ、行くか」


 陽だまり亭を出て、あの日と同じように、大通りへ向かって歩き始める。

 大通りまでの道は、一年前とは比べられないほどに広く、そして美しく変貌していた。

 なにせここは、四十二区から四十区まで延びる大きな街道なのだ。馬車が二台すれ違ってもまだかなり余裕がある。

 そして、道の両サイドには点々と光るレンガが設置され、夜の道を安全に照らし出している。



 一年前は馬車なんか通れないほどガタガタで、道幅ももっとずっと狭かった。

 そして何より、真っ暗だった…………俺が夜道恐怖症に陥るほどに、真剣に真っ暗だったのだ。

 よくよく考えれば、ここは三十区と二十九区に隣接した崖の下。月の光も入ってきにくい立地なのだ。そりゃ暗いわ。


 途中にニュータウンへ通じる曲がり角がある。

 昔はスラムなんて呼ばれていたのに、今ではちょっとした高級住宅街になっちまっている。

 闇が迫ってくるような恐怖は、もう感じない。


 それから大通りへ出てぷらぷらと歩き回る。

 夜中、ネコの瞳に怯え、明け方ネフェリーに会ってニワトリがニワトリの卵を収穫している光景に驚き……夜が明けるとカンタルチカへ行って、借金取りの怖いオッサンとなんだかんだあって……


「色々あったな……」


 大通りの一本奥は金物通りで、ハムっ子たちがまだ領民に認められていない時に水害対策を施した。あと、マグダがネコ化して逃げ込んだのもここだったっけ。

 最近では、ノーマに無理難題を押しつけに来る度に、オネェ言葉のオッサンどもに絡まれる場所になっていた。気に入るんじゃねぇよ、俺のことを、勝手に。


「こっちに行けば檸檬があって……その向こうに中央広場と、さらに先にはベッコの家……」


 英雄像騒動に、檸檬食中毒事件……大通りではアッスントと大一番を繰り広げたりもした。

 ポップコーンの移動販売も、今でこそ当たり前の光景だが、当初は苦労したもんだ。


「おっ! 掲示板」


 ウクリネスの店のそば、陽だまり亭へ続く道の交差点に立てられている掲示板。

 陽だまり亭から来ると見落としてしまうが、帰る時は凄く目につく。

 ここに、俺の手配書が貼られていたんだよなぁ。落書きしてやったけど。

 今でもはっきりと、『掲示物を無断で剥がした者には精霊神様の呪いが降りかかる』と書かれている。こういうおかしなところにばっかり力を入れてやがるんだよな、精霊神は。もっと人が住みやすくなるように力を使えばいいのに。


 そして、領主の館へと向かう。

 相変わらずデカい。

 最初に見た時は、まさかこの館に招かれるなんて思ってもみなかった。ましてや、領主と肩を並べて式典でテープカットをするなんて……………………テープカットって、どこの世界でもやるもんなんだな。

 おかしなところで妙な共通点がある。

 だから、たまに忘れてしまいそうになる。


 俺は今、異世界にいるということ。


 いや……



 俺は、異世界から来たのだということ。




 俺はもう、元の世界には戻れないだろう。

 なら、ここが俺の世界だ。日本は、今の俺にとっては異世界なのだ。


 そこんところのケジメがついていなかったせいもあるのだろう。

 俺はこの世界にいながら、向こうの世界の住人のつもりでもいて、四十二区に住みながらも、どこかお客様気分でいて……だから、行くも留まるも自由自在だって、そんな気がずっとしていたんだ。


 ここは、いつか離れる場所だと。


「……一年、か」


 ちょうどいい頃合いなのだと思う。

 式典前日の夜は色々考え過ぎて堂々巡りになってしまったが……式典の最中にちょっと別の視点で考えることが出来た。

 これまで関わったヤツらが式典を見に来ていて、どいつもこいつも楽しそうなバカ面下げて、自分たちの街の発展を心から喜んでいた。


 それを見た時に思ったんだ。


『あ、俺の役目、もう終わってんじゃん』って。


 まぁ、役目なんてたいそうなもんじゃねぇけど、俺がずっとこだわって、心のどっかに引っかかっていた――「こいつら、俺がいなくなって大丈夫なのか」って部分は、心配する必要がないんだなって分かった。


 こいつらは大丈夫だ。

 もう、ちょっとやそっとのことじゃへこたれない。

 ちゃんと、自分の足で立つことを覚えた、頼れる連中だ。


 俺がやれることは、たぶんもうみんなやった。

 これ以上の高度なことは素人の知識だけじゃどうしようもない領域だ。プロの技術が必要になる。


 やるべき仕事も、もう全部片付けたよな?

 陽だまり亭はかつての活気に満ち溢れた食堂に戻り、頼もしい仲間たちが出来た。

 子だくさんで仕事に困っていたハムっ子たちも、今は忙しく働いてるし、独りぼっちだったトラの子も自分の居場所を見つけて……領主も立派に独り立ちした。


 もう、いいよな。


 自分で自分の罪を許す……それが、俺に出来るのかは分からない。けれど、折角だからやってみようと思う。

 けど、一度リセットしなければ……


 俺は、ここに住む連中すべてを『騙して』ここに居座ったんだ。

 それはフェアじゃない。


 最初から「向こうの世界で詐欺師やってました、これからよろしく!」と、自己紹介をしていれば、きっとこんな風に迎え入れてはくれなかっただろう。


 だから、ここでリセットするんだ。

 そうでなければ、俺はずっと、俺のことを許せない。


 ジネットがあれほどの決意を持って陽だまり亭にいるのだと知って、正直、勝てないと思った。

 あいつのひたむきさに。固い決意に。揺るぎない信念に。


 あいつに比べりゃ、俺なんか萎れたもやしみたいなもんだ。

 ぐでぐでで、誰かに張りついて自分の形を相手に合わせる。

 芯がない。


 すげぇ、カッコ悪い生き方をしているって、気付かされた。



 詐欺師がよく言う言葉にこんなものがある。


『騙されるヤツがバカなんだよ』


 そして……


『騙しきれないヤツは、それ以上に、もっとバカだ』


 救いようがねぇ。

 お人好しの詐欺師なんてな。


 そんなどっちつかずのまま、ここにいていいわけがない。

 詐欺師を名乗り続ける気概もなく、かといってお人好しになりきる勇気もない俺が……そんな覚悟すら持てないこの俺が、このままここにいていいわけなど……




 だから、俺はこの街を離れる。




 そうと決まれば早速準備だ。

 陽が昇ると同時に陽だまり亭を出よう。

 もちろん、あいつらにきちんと挨拶をして。

 それが、今の俺に出来る精一杯の誠意だ。


 そんなことを思いながら、俺は陽だまり亭へと足を向ける。


 随分と長く歩いた。

 四十二区をくまなく歩いたから、もう二、三時間は経っているかもしれない。

 今から戻って少し休もう。明日はまた歩くことになるかもしれないしな。


「あとは……」


 ポケットに忍ばせた20Rbを取り出す。

 くすんだ銅貨がチャリンと音を鳴らす。


「食い逃げの代金を支払えば……すべておしまいだ」


 結局のところ、この代金を稼ぐために俺は陽だまり亭に留まっていたんだよな。

 随分と待たせてしまったもんだ。利子とかついてなきゃいいが。


 街道を歩き、一段と明るい一角が見えてくる。

 陽だまり亭だ。


 戻ってきてしまった。

 なんとなく、物語のエンディングを見ているような気分だ。

 このドアを開けて、中に入れば……それでおしまい。

 泣いても笑っても、そこでおしまいなのだ。


 ならせめて前向きに……


 俺は胸を張って、一年間世話になった陽だまり亭に敬意を表するくらいのつもりで、勢いよくドアを開いた。


「ここで、ヤシロさんの登場です!」

「……え?」


 ドアを開けると、ジネットがいた。

 ドアに向かって両腕を伸ばして、「どーぞ!」みたいなポーズで固まっている。


「……………………え?」


 ジネットも、俺と同じセリフを口にして、二人して固まる。

 ……なに、してんの?


「……何を、されているんですか?」


 いや、それはこっちのセリフだし……今、お前、スゲェ面白い格好で固まってるぞ?

 つか、「ヤシロさんの登場」?

 なんだ、予言マジックか?

 それとも……


 ジネットに釘付けだった視線を外し、室内を見渡す。

 壁に、何かが書かれた紙が貼ってある…………えっと…………『ここは華やかな飾りつけに』? 『ここは控えめに』……そして、『ソレイユの絵』……あちらこちらに指示の記された紙が貼られていた。

 カウンターにはランプが置かれている。

 そして、テーブルの位置が大きく変更されて、中央が広く開けられている。そんな開けたスペースの中央に、机が四つくっつけて置かれている。

 その机の上には、ふわふわとした円筒状の物が…………ケーキの、スポンジ?

 そして、そのケーキのスポンジの横には未使用の細いローソクが一本置かれていた。


 ……これって…………もしかしなくても、アレ、だよな?


「ジネット」

「ひゃいっ!」


 なんだか知らんが、ガチガチに緊張しているようだ。

 顔に思いっきり「マズいところを見られてしまったぁ……っ!(汗)」と書いてある。


「お前、なんで知ってるんだ?」

「……へ?」

「今日が、俺の誕生日だって」

「えっ!? そうなんですかっ!?」


 腕を伸ばした状態で固まっていたジネットが突然動き始め、両手で口を押さえ軽く跳びはね、パンと手を叩いて「そうだ、準備を……」と呟いて厨房に向かおうとしたところで、「あぁ、その前に片付けを……っ」と振り返り、「でも、まだリハーサルが……」と頭を抱えて「あぁ、でもでも、ヤシロさんの前では出来ませんし…………あ、そうです、誕生日っ! こうしてはいられませんっ!」とまた厨房へ行きかけて、「あぁ、でも! いや、でも!」と、頭を抱えてしまった。


 いや、いいから落ち着け。


「知ってたわけじゃないのか?」

「はい…………たった今知りました。すみません、勉強不足で…………あぁ、自分の誕生日はお祝いしていただいたのに……どうしてそこまで気が回らなかったのでしょう…………懺悔します」

「あ、いや、あとにしてくれるか」


 床に膝をついて天に向かって組んだ手を突き出すジネットを、とりあえず止める。


 しかし、ケーキにローソクに『飾りつけ』に「ヤシロさんの登場です」だろ?

 誕生日パーティーでなければ、これは一体なんの催しなんだ?


「あぁ……わたしのせいで、折角の計画が…………みなさんに合わせる顔がないです…………」


 みなさんに、ということは、どうも他の連中と何かを企んでいたようだ……こいつ、自分が次々に情報を漏らしてること、気付いていないのだろう。


「それで、これはなんなんだよ?」

「いえ、あの…………」


「はふぅ……」とため息を吐いて、ジネットは観念したようにぽそぽそと話し始めた。


「明日は、ヤシロさんが陽だまり亭にやって来て、ちょうど一年ですので……」

「え……?」

「あ、あのですね、ちなみに、陽だまり亭の従業員になっていただいたのは明後日でして、どちらを記念日にするかで凄く悩んだんですが、みなさんの意見を伺うと、『やっぱり出会った時の方がいいんじゃないか』と……そういう意見の方が若干多かったもので……わたしも、その方がいいのではないかと…………」

「……」

「そ、それであの、ご迷惑かとも思ったのですが、どうしてもお祝いをしたくて……それに、その……もし、これがヤシロさんの元気の足しに、少しでもなってくれればとか……そんなことを、思いまして……」


 しどろもどろになりながら、ジネットは懸命に言葉を吐き出していく。

 きっと、これまで頑張って秘密にしていたのだろう。

 俺にバレないように、必死に隠して……バカだなぁ。お前は隠し事とか、策略とか、そういう人を欺くようなことには向いてないってのに……ほら見ろ、これまでずっと無理して、我慢してたから止まらなくなっちゃってるだろ?

 ずっと胸にしまい込んでいたものが、しまい込んで苦しいと思っていた言葉たちがどんどん溢れ出してくる。罪悪感がなくなるまで、それは止まらないぞ。

 

 そうして、ジネットの歯止めがいよいよ効かなくなり…………


「あ、あの……差し出がましいことだとは分かっていたのですが…………ヤシロさんには、いつも笑っていてほしいと……あぁ、ここに来てよかったなって、そう思っていてほしいと、そんなことを思っていまして…………いつか、……いつかヤシロさんは、現れた時と同じようにフラッといなくなってしまうのではないかと……そう思うと、とても怖くて……でも、ヤシロさんにはヤシロさんの思いや事情があって……それは、わたしなんかが口出ししていいことではないですから……でも、それでも…………出来ることなら……わたしは…………ずっと…………一緒に……ヤシロさんと……一緒に……いたいと………………」


 ジネットの鼻が、「ぐすっ」っと音を鳴らす。


「……仕方ないと、何度自分に言い聞かせても……不安で…………不安で……でも、わたしがそんな有り様だから、ヤシロさんには余計なご心配をおかけしてしまって……なのにわたしは……ヤシロさんが優しくしてくださることを…………嬉しく、思っていたりして……ヤシロさんが、あ、あんなに……悩んで……苦しんでいるとも…………知らずに…………わたしが、甘えてしまったばっかりに…………あんな……いっぱい食べよう大会の時のように…………無理を、させてしまって…………」


 寂しがり屋モードが急に終息したのは、そんなことを思っていたからだったのか。

 ……あと、大食い大会くらい、そのまま言ってもいいんじゃないか?


「わたし…………ずっと……ずっとヤシロさんに甘えてばかりでした……お店のことも……教会のことも…………みんな、ヤシロさんに頼って……そうしていただけるのが、まるで当たり前かのように…………ヤシロさんが、優しいから……っ、わたしは……その優しさに…………甘えて…………ヤシロさんのことを……何も…………考え………………一昨日の夜も……出来ることならもっと……っ……けれどそれはわたしが口にしていい言葉ではないから…………それでも……それでもぉっ!」


 ギュッと閉じられた瞼に押し出され、大粒の涙がジネットの頬を伝う。

 祈るように手を組んで、震える声で、力なく囁く――


「……わたしは……ヤシロさんと一緒にいたいと…………ずっと、そばにいられたら……どんなに、幸せだろうって…………ただ……それだけで…………っ」


 これは、懺悔なのだろう。

 きっと、ジネットは今、罪悪感でいっぱいなのだ。


 まったく…………バカだよな。


「…………っ」


 唇をキュッと噛みしめて、ジネットは小さく震えている。

 未来を見つめているはずの瞳が、間もなく訪れるであろう未来を怖がって、瞼を閉じてしまっているのだ。


 本当に、バカだよな……俺は。


「ジネット」

「…………っ!?」


 名を呼ぶと、ジネットの肩が跳ねた。

 そして、ゆっくりと顔を上げて、涙に潤む大きな瞳で俺を見上げてくる。


 俺は黙ってポケットから20Rbを取り出し、そっと、ジネットの手に握らせた。


 手のひらに載った20Rbを見て……ジネットの目が大きく見開かれ…………がくりと肩が落ちた。


 音もなく、涙が頬を伝い落ちていく。


「これは、俺のケジメだ」


 ずっと保留にしていた食い逃げの代金を、ようやく支払えた。

 これで、俺を縛るものは、何も無くなったわけだ。


「…………はい」


 今にも消えそうな儚い表情をしながらも、ジネットはそれを受け止めたようだ。

 グッと顔を持ち上げ、そして、無理矢理に笑顔を作る。


「毎度…………ありがとう、ござい……ました…………っ」


 店員として、きちんと仕事をこなす。

 まさに、店員の鑑のようなヤツだ。



 ……ホント、バカだなぁ。

 なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。


 俺の過去だとか、俺の罪だとか、俺が許せないだとか、俺がいない方がだとか、俺のいる場所じゃないとか、俺には相応しくないだとか、俺は、俺が、俺の、俺に、俺へ、俺と…………

 俺がずっと悩んでいたのは、全部俺のことだった。

 俺はずっと、俺のことしか考えていなかった。


 だから、バカなんだっつの。



 こんなバカな俺を、そばでずっと見守っていてくれたヤツがいるのに……そいつのことを考えてもいなかったなんて……


『俺がいない方が、ジネットは幸せになれる』……誰がそう言ったんだよ。俺だろうが。

『俺みたいなヤツがジネットのそばにいるわけにはいかない』……それも俺の意見だ。

『俺は詐欺師だから幸せになる権利なんか……』……ねぇと思うんなら、ならなきゃいいだろうが! その代わり、テメェみてぇなバカのために本気で涙を流してくれた、この世界最高のお人好しを全力で幸せにしてみせやがれ! 罪が、許しがと小癪に悩むなら、せめて、目の前にいる大切な人間を幸せにするために死に物狂いになって、人生かけて、死ぬ気で成し遂げてみせろよ! それくらいのことも出来ないで、何が『俺は詐欺師だから……』だ!?


 言い訳を探すためにテメェはこの先の未来を生きていくのか!?


 許されると思うな。テメェの犯した罪は一生消えない!

 だからって、これから先の人生を投げ捨てるような真似をしていい理由にはならない!

 他人の人生ぶち壊しておきながら、テメェの人生を粗末に扱うな!


 そんなに許しが欲しいなら、俺がテメェに、『生涯奉仕活動の刑』を科してやる!




 もう、これ以上、ジネットを泣かせるようなことはするな……な?




「ジネット」

「……はい…………」

「俺を、この店で雇ってくれねぇか?」

「………………え?」

「未払いの代金を払うためじゃなく、正式に、正真正銘、ここの従業員として、雇って…………ください! お願いしますっ!」


 腰を九十度に曲げ、深々と頭を下げる。


 ジネットの呼吸が乱れる。

 戸惑いが手に取るように伝わってくる。


 そして……


「…………は……ぃ」


 その返事を聞いて、俺は顔を上げる。

 すると、そこには――



 女神みたいな綺麗な微笑みがあった。



 優しい笑みを浮かべて、ジネットが俺を見つめている。

 そしてもう一度、今度は目を見てハッキリと返事をくれた。


「こちらこそ、よろしくお願いします。ヤシロさんっ」


 俺の手を取り、ギュッと握りしめる。

 少し照れたように頬を赤く染め、けれど手は離さずに、少しの間見つめ合う。


 ――と、その時。


 するり……と、左腕から何かが落ちた。


「…………あ」


 それは、汚れて黒ずんだ、細い紐…………俺の腕にずっと結ばれていたプロミスリングだった。




 突然、頭の中に様々な記憶が溢れ出してくる。

 俺がガキだった頃から、中学、高校と進学して、人生を踏み外し復讐を貫いて、結果命を落として、けれど転生して……そして陽だまり亭にたどり着いて…………これまで見て聞いて感じてきたものすべてが、目まぐるしく脳裏に浮かんでは消えていく。


 目の前に映画のスクリーンがあって、そこで早回しの映像を見せられているような、そんな感覚に陥り…………ようやく映像がストップした。


 音が消え、世界が真っ白になっている。

 何もない……何も感じない……不思議な世界に俺一人が立っている。


 そんな不思議な世界の中で……


「ヤシロっ」

「ヤシロ」


 俺を呼ぶ、二つの声が…………


「…………あ」


 自然と、涙が溢れてくる。


 そこに立っていたのは…………


「親方…………女将さ……ん……っ」



 もう二度と会えないと思っていた、親方と女将さんだった。

 二人は並んで立ち、あの頃と何も変わらない優しい笑顔で俺を見つめている。


「あ、あの……あの、俺…………っ!」


 謝りたかった。


 気が付けなかったこと。

 助けられなかったこと。

 二人の気持ちを無視して、詐欺師なんかになっちまったこと……

 そして、死んでしまったこと……


 だけど、全然言葉が出てこなくて……何も言えなくて……

 二人の顔を見ていると……言わなきゃいけない言葉はそれじゃないって、思えて……


 だから、俺は、心に浮かんだ言葉を、素直に伝えた。


「俺……。俺、幸せになるよ」


 そうしたら、二人は嬉しそうな顔でゆっくり頷いて、そして小さく手を振った。

 世界の色が淡くなっていく。

 存在が希薄になっていく。

 消えてしまう。そう確信した時、俺はもう一言だけ、どうしても言いたいことがあって、間に合えと祈りながら全力で叫んだ。




「大好きだった! 二人の子供になれて、俺は幸せだったよ! お父さん、お母さん!」




 世界が暗転して……俺を呼ぶ優しい声が耳に届く。


「ヤシロさん。ヤシロさん……大丈夫ですか?」


 目の前に、ジネットがいた。

 不安そうな顔で、俺を見上げている。


「これ……大事なものだったんですよね?」


 ジネットが、切れたプロミスリングを拾って俺に差し出す。


「大丈夫。これはこれでいいんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ。これは、こうやって切れるものなんだよ。願いが…………叶う……と…………っ」

「……ヤシロさん?」

「願いが…………俺の…………父さんと、母さんの……願いが…………俺に、幸せに生きろって………………願…………っく…………」

「あ、あの……ヤシロさ……っ!?」


 もう、無理だった。

 俺は蹲り、嗚咽を上げた。

 みっともないと分かっていても、漏れ出す声をこらえることが出来なかった。


「……ヤシロさん」


 そっと背中に触れるものがあった。

 温かいそれは、ゆっくりと俺の背中を撫でてくれる。


 涙が止まらない。

 自分の感情が制御出来ない。

 自分がどうにかなってしまいそうなほどに泣いて……すべてを吐き出して……

 俺は、ようやく…………変われる……そんな気がしていた。


「……店長?」


 マグダの声がした。

 そして、驚くような息遣いが……


「マグダさん。大至急みなさんを集めていただけませんか? 今日は、ヤシロさんのお誕生日なんです」

「…………了解。マグダに任せて」


 そんな短い会話で、すべてを悟ったのだろう。

 気の利くジネットと察しのいいマグダ……また、気を遣わせちまったな。


「……ヤシロ」


 マグダの足音が俺に近付いてくる。

 速度を緩めることなく俺の隣を通り過ぎていく足音。


 通り過ぎる瞬間、マグダはぽつりと呟いた。


「…………ありがとう」


 その声は、ほんの少しだけ、嬉しそうだった。


 ドアが開閉して……足音が遠ざかっていく。


 食堂内に静けさが戻る。

 俺の嗚咽もようやく止まり、二人きりの空間は緩やかな空気に包まれる。


「ヤシロさん……」


 そんな穏やかな空気の中で、囁くようなジネットの声がして…………



「ようこそ、陽だまり亭へ」



 俺は、自分の居場所がここであることを確信した。












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