145話 彼女たちの思惑

「まぁ、とりあえず見ておくれよ、ウチの新製品をさ」


 ノーマがテーブルに50センチ四方の箱を載せる。

 これは、井戸に浸けて中身を冷やす『冷蔵庫(四十二区仕様)』だ。

 最近では、冷蔵庫を井戸に浸けると箱の周りに張り巡らされた細い管の中を冷水が流れて、中身が一層よく冷えるように改造されていたりする。


「今回の改良版は凄いさよ。なんと! ドアが左右どちらからでも開くんさっ!」


 ……冷蔵庫の進化って、異世界でも同じルートを辿るものなのかな。


「……これは、面白い」

「なんで『カポッ』って外れないです?」


 冷蔵庫のドアを左右からガチャガチャと開け閉めし、マグダとロレッタが不思議そうに首を傾げている。


 ランチの客を全員見送り終わった陽だまり亭は、現在、しばしの休憩タイムだ。

 そこへ、ノーマがこの巨大な箱を持ってやって来たというわけなのだが……


「どうさね? 面白いだろう?」

「あぁ、まあな」


 なんか、テクノロジー的に先鋭的なのか後進的なのか、悩んでしまう冷蔵庫だな。

 冷やし方は井戸の中で冷たい水に浸けるというシンプルなものなのに……両面ドアって。


「なんだい? いまいちな反応だねぇ」

「いや、なんかどんどんと進化していくなぁ……と、思ってな」

「そりゃあんたが……っ」


 勢い任せに何かを言おうとして、ノーマは一度言葉を止める。

 そして、短く息を吐き出した後、落ち着きを取り戻して言葉を発する。


「あんたが、最近面白い新製品のアイディアを持ってきてくれないからさね」


 そういや、ちょっと前までは頻繁にいろんなもんの金型を依頼してたっけな。


「また何か面白い物でも依頼しておくれよ。でなきゃ、井戸に浸けずに物が冷やせる冷蔵庫とか作っちまうよ、アタシはさ」

「いや、それが出来るなら超助かるけどな」


 本物の冷蔵庫が誕生する日も、そう遠くないかもしれない……のか?


「ヤシロ氏! 聞いてほしいことがあるでござる!」


 大声を上げて、ベッコが陽だまり亭へと入ってくる。

 そして、ノーマを見つけるやパッと顔を輝かせた。


「おぉ! チアガールリーダー氏ではござらんかっ!」


 という、ベッコの発言が終わらないうちに、ノーマは目にも留まらぬ速さで煙管を投げ、ベッコの額に大ダメージを与えた。


「ごぅっ!? …………ず、頭蓋骨がへこんだでござる……」

「その名を口にするんじゃないよ」


 実は、大食い大会以降、この街には一つの組織が誕生していた。

 その名も、『チアガールリーダーファンクラブ』通称『CGL-FC』。主に、ノーマの谷間や生足について熱い議論を交わす組織のようだ。


「せ、拙者……これまでは抉れるほどのぺったん娘好きでござったが、あの緊迫した試合を応援しきったチアガールリーダー氏の熱い想い、荒ぶるボインに感銘を受け、まだまだ未熟ではござるがボイン派へこの身を捧げる決意をいたした次第で……」

「他所でやんな! アタシを巻き込むんじゃないさよ!」

「にわかタニマーの拙者が見ても、チアガールリーダー氏の谷間は素晴らし……っ」

「だから、その名で呼ぶんじゃないさね!」


 懐から取り出した煙管を投げ、先ほどと寸分たがわぬポイントに大ダメージを与えるノーマ。

 ベッコが仰向けに倒れ、床に後頭部を打ちつける。鈍い音が響き……俺は静かに合掌した。

 ……つか、ノーマ。お前何本持ち歩いてんだよ、煙管……。


「も、もしかして……ヤシロも入ってるんじゃないだろうねぇ、アタシのファンクラブに!?」

「いや、俺は入ってねぇけど」


 俺はおっぱいにおいて他人とつるむつもりはない。おっぱいとは一人で盗み見て楽しむものなのだ。


「……なんで入ってないんさね」

「いや、なんでって……」


 なんだか、物凄くがっかりされてしまった。

 つか、物凄く睨まれてる。……俺が何したんだよ。ファンクラブにも入ってないってのに。


「それでござるさん。何を聞いてほしかったんです?」

「あぁ、そうでござった!」


 ロレッタの余計なパスのせいで、ベッコが再び表情を輝かせる。


「拙者! この度石像づくりに挑戦するでござる!」

「へー」

「反応薄いでござるよ、ヤシロ氏!?」


 しかし、それ以外に何を言えというのか……物凄く興味がない。


「念願叶って、石像用の石が手に入ったでござる! 今から何を彫ろうかわくわくしているでござる! ……そこで相談なんでござるが……」

「却下だ」

「まだ何も言ってないでござろう!?」

「俺をモチーフにするのは禁止だ。もし俺の像を彫ったら……領主にかけ合って、四十二区全域に谷間禁止令を発令してやる」

「お兄ちゃんがおかしくなったです!?」

「……ヤシロが大変」

「あんた、自分が何を言っているのか、理解しているのかぇ?」


 あれ?

 なんで俺が全力で心配されてるんだ?

 これはベッコに対する制裁のつもりで……


「……谷間禁止令などというものが発令されたら……おっぱい好きのヤシロ氏が死んでしまうでござる!? 拙者、断腸の思いでモチーフを変えるでござる!」


 なんでだよ!?

 クッソ、全員が生温かい目で見てきやがる!?


「おや、賑やかですね」

「ごめんくださいませ」


 セロンとウェンディが揃って陽だまり亭へとやって来る。

 今日も二人一緒か……爆発すればいいのに。


「英雄様。聞いてください! ウチの光るレンガが街道沿いに設置され、全区から注文が殺到しているのです!」

「それもこれも英雄様のおかげです。改めて、お礼申し上げます」


 セロンとウェンディが揃って頭を下げる。

 光るレンガは、四十二区から四十一区を通過して四十区まで延びる大きな街道沿いに、等間隔で設置されている。

 これまで街灯すらなかった四十一区では非常に話題となり、注文が殺到しているようだ。


「それでですね、英雄様! 今度、是非お礼をさせていただきたく、ご都合のよろしい日をお伺いしたいのですが」


 セロンが緊張気味に詰め寄ってくる。


「なんで俺に礼なんだよ? 関係ないだろう」

「いえ! この光るレンガが完成したのは英雄様のおかげです! 英雄様無くしては、今の僕たちは存在しませんでした!」

「そうです、英雄様。英雄様がいらっしゃらなければ……私たちはきっと今頃、離れ離れで……」

「あぁ、ウェンディ……君のそばにいられて、僕は幸せだよ」

「私もよセロン……」


 見つめ合う二人。

 たっぷりと一分間ほど、見つめ合う二人。

 背後にいるノーマから発せられる殺意にも似た嫉妬の炎に気付かず、さらにたっぷり三十秒間見つめ合う二人。


「英雄様!」

「どうか!」

「僕たち」

「私たちの」

「「お礼のパーティーへお越しください!」」

「うん。断る!」


 こんなイチャイチャを見せつけられるパーティーになんぞ、誰が行くか!

 断固拒否だ!


「こ~んに~ち……わっ!? なに? なんでこんなに人がいるの?」


 入り口付近にたむろする顔見知りたちに驚き、店に入ってきたパウラが声を上げる。


「なんだ、パウラ。お前も何か用か?」

「あ、うん。新メニュー考えたからさ、ちょっと意見聞かせてよ」

「そういうのは、自分の親父に聞けよ」

「大会で一緒に料理した仲でしょう!?」

「じゃあジネットに頼め」

「なによぉ! ヤシロ最近冷たいんじゃない!?」


 ぷりぷりと怒り、ずんずんと俺に詰め寄ってくる。

 少し泣きそうな顔で、どこか焦ったような雰囲気を漂わせて……


「ねぇ、ヤシロ。最近ちょっとおかしくない? たまに、変に遠く見ちゃってる時とかあるし……もしかしてあんた……っ」


 と、そこでノーマがパウラの口を塞ぎ、強引に俺から引き離した。


「物事にはね、順序ってもんがあるんさよ。自分の思いだけを相手に押しつけるのは、行儀のいいことじゃないさね」

「でもさぁ……!」

「ほら、用が済んだんなら帰るよ」

「ちょっ、あたしはまだ……! ねぇ! 引っ張らないでってば!?」


 半ば強引に、ノーマがパウラを引き摺って店を出ていく。


 ……あ~ぁ。


 残った連中に視線を向けると、どいつもこいつも愛想笑いを浮かべていた。


 …………あ~ぁ、だな。まったく。


「ジネット~」

「あ、はい!」


 俺が呼ぶと、ジネットはひょっこりと厨房から顔を出す。


「ちょっと香辛料をもらいに、レジーナのとこ行ってくるわ」

「はい。お気を付けて」

「ん。あ、マグダ。悪いけど、その冷蔵庫、ノーマんとこに届けてやってくれるか?」

「……了解。もう少し遊んだら、返しに行く」

「壊すなよ」

「……善処する」

「あたしも、なるべく壊れないように願いながら遊ぶです!」


 なんか、物凄く壊しそうな気がする……まぁ、試作品つってたし、いっか。


 ベッコやセロンたちに軽く視線を送り、俺は陽だまり亭を出た。

 誰も、追いかけてくる者はいなかった。


 あ~ぁ、だ。

 まったく……どいつもこいつも露骨過ぎるっつの。


 ……なんか、息苦しいぜ。

 気を遣われるってのはな。







 現実逃避をするなら、ここが一番だ。

 見慣れた怪しい店舗のドアを開く。

 軋んだ音がして、同時に薬品の香りが漂ってくる。


「よぅ、ホコリちゃん。邪魔するぞ」

「ちょい待ちぃや。なんで家主のウチやのぅて、ホコリちゃんに挨拶しとんねん」


 カウンターの陰からレジーナが姿を現す。『奥から』じゃないところがみそだ。


「……何やってたんだよ、そんなキノコが好みそうなじめっとした日陰で」

「アホやなぁ。そのじめっと感が落ち着くんやないかいな」


 こいつ、実はキノコの一種なんじゃねぇの?


「それで、今日はどないしたん? 香辛料が足りひんようになったんか?」

「いや……とりあえずお茶を一杯くれ」

「なんやのん。ウチは喫茶店ちゃうで? ……まぁえぇわ。適当に座っとき」


 言って、レジーナはカウンターの奥へと消える。

 カウンターの脇にあった椅子を持って壁際へ行き、そこに椅子を置く。

 すぐそばには、薬研やら、何かの粉が入った木の器が置かれた大きめのテーブルがある。


 椅子に腰掛けると、思わずため息が漏れた。

 相当疲れているらしいな、俺は。

 主に、精神面で。


「自分、知ってるかぁ?」


 お茶を持って現れたレジーナ。俺のそばに入れたてのお茶を置き、ニヤニヤした笑みを浮かべてこんなことを言う。


「ため息を吐くと、おっぱい縮むんやで」

「そういうのは、エステラに教えてやれよ」


 俺のおっぱいは縮みようがない。……って、おっぱいねぇわ。


「お疲れなんやね」


 俺のそばを離れ、カウンターの前に置かれた椅子へと腰を掛けるレジーナ。

 声は届くが、囁きは聞こえない。それくらいの、今の心境的には絶妙の遠さだ。


「最近、やたらと来客が多くてな」

「商売繁盛やな。えぇことやないの」

「そうじゃねぇんだよ」


 最近、やたらと俺を訪ねてくるヤツが多いのだ。

 昨日はウーマロが『街門完成後の、四十二区の開発案』を持ってやって来た。

 その前はヤップロックが、ポップコーンの品種改良について相談しに来たし、モーマットも、甘いトマトの栽培方法について議論をしに来ていた。

 ミリィも、ちょくちょく花を持ってやって来るようになったし、デリアも漁が無い時はずっと陽だまり亭に入り浸っている。


「それで、なんや疲れてしもぅたんやね」


 気が付けば俺は、レジーナに愚痴を言っていたようだ。

 静かで、時間の流れが他とは違う気がするこの場所と、多くを聞こうとしないレジーナの優しさに、安心感を覚え……つい、思っていることをしゃべってしまった。


「あいつらが言いたいことは分かるんだ……」


 どいつもこいつも、適当な理由をでっち上げては俺に会いに来やがる。

 そして「他意はないぞ」って顔をしながらも、妙に不安そうな目をして俺を見てくるのだ。



『ヤシロ。お前、どこにも行かないよね?』



 そんな思いを込めて。


 ……正直、勘弁してほしい。


 ヤツらが求めているのは、弱い者を助け、どんなピンチも必ず救ってくれる、スーパーヒーロー・オオバヤシロなのだ。

 そいつは、俺じゃない。


 俺は詐欺師で、この街に着くなり指名手配されちまって逃げてきた小悪党で、お人好しどもを利用してこの街での生活基盤を作ろうとしてる狡賢い男で……ただ、食い逃げをしちまった分の代金だけはきちんと返すと約束したから……だから、それでまだここに留まっているだけで………………


「マジで…………勘違いも甚だしいっつうの」


 静かで、薄暗くて、人の気配はあるのに無駄に話しかけてこない……聞いてんだか聞いてないんだか分からないヤツがそばにいて……だから、一人きりじゃなくて…………

 なんだか、レジーナの店にいると妙に落ち着く。

 だから、こんな弱音なんかが零れ落ちてしまうのだろう。

 いい迷惑だよな。悪い。


 悪い……ん、だけどさ、………………もう一言だけ……



「俺は、そんな大したヤツじゃねぇんだよ…………気付けよ、バカどもが」



 騙される方がバカなんだ。

 俺がいい人だなんて、すっかり騙されてよ……必死になって、時間使って……なんとか繋ぎとめようとかしてよ…………ホント、バカばっかだよな。


 …………まぁ、俺ほどバカなヤツはどこにもいないけどな。


 カップを手に取り、湯気の立つお茶に口をつける。

 ……苦っ。

 けど、不思議と不快感はなかった。

 今の俺には、これくらいの苦さがちょうどいい……とか、アホみたいなことを考えてしまった。


「なぁ、自分……」


 椅子に座り、カウンターに肘をかけて、ゆったりとした口調でレジーナが言う。


「もういっそのこと、なんもかんもぜ~んぶ投げ捨てて、尻尾巻いて逃げ出してしまうんも一つの手ぇなんやで」


 視線が交差する。

 レジーナは、どこか寂しげに笑っていた。


 何もかもを諦めたような、胸騒ぎを覚えるような、……空っぽの笑顔。


「カッコ悪い負け犬かて、生きる権利くらいはあるんやさかいな」


 その言葉を聞いて……レジーナの表情を見て……俺は、妙に納得してしまった。

 これまで、少しだけ気になりながらもずっと聞かずにいたことが、おそらくそこまで大きく外れていないのだと確信出来たからかもしれない。


 レジーナは、バオクリエアを逃げ出してきたんだ。

 それも、そうしなければいけない……そうでなければ自分でいることが出来ないような理由を抱えて。


 こいつの生き方や考え方、技術や知識、そして生活水準を考慮して推論を立てるならば……


 レジーナはバオクリエアの権力者、もしくはその身内で、自身も腕のいい薬剤師なのだ。

 俺が来る以前からこんな辺鄙な場所に建つ家に閉じこもり、ろくに商売もしていないレジーナだが、こいつは一切金に困っていない。そればかりか、バオクリエアから独自のルートで香辛料を仕入れ、オールブルームで出回る貴族が愛用するような香辛料まで手に入れている。

 どこかから金が発生しているのだ。もしくは、もうすでに使い切れないほどの財を成しているのか……

 どちらにせよ、十代のレジーナがそんな風に振る舞えるのは、家柄か、その腕により地位を得たかのどちらかだろう。

 結果として、現在のレジーナはバオクリエアではそれなりの地位にいるはずだ。


 そして、レジーナはとても若いうちにある偉業を成し遂げた……勘でしかないが、教会のガキどもを救った感染症の薬を発明した……とかな。

 もしかしたら、最年少ナントカ、なんて記録を打ち立てているかもしれん。

 注目を浴びた者は、様々な思惑の渦にのみ込まれることになる。

 すり寄る者、悪意を向ける者、利用しようとする者……


 こいつが極度の人見知りで、ポジティブでありマイナス思考だったのはそういう理由からかもしれない。


 そんな連中に嫌気が差し、こいつはバオクリエアを出てオールブルームにやって来たんじゃないだろうか。

『嘘が吐けない』この街に。

 底の浅い、権力主義者どもを自分に近付かせないために。


 この街に入れば、下手な嘘は吐けなくなるからな。

 レジーナを懐柔するのは難しいだろう。


「……どないする?」


 ふらりと立ち上がり、レジーナがゆっくりと近付いてくる。

 俺の横を通り過ぎ、背後へと回る。


 そして、そっと……俺の肩に手を載せた。


「もし……一人で行くんが寂しいんやったら…………ウチが付いてったってもえぇで」


 鼓膜を震わせるその声は、甘い蜜のように俺の背筋を痺れさせて…………脳みそをピリッと刺激した。

 はは……一瞬とはいえ……レジーナをいい女だなんて思わされる日が来るなんてな。


 こいつといると、きっと楽なんだろうな。

 察しがよくて、けれど何も聞いてこない。

 そして、自分のことは何も話さない。


 今、目の前にある物だけを見て、その日、その一日を楽しく生きていける。


 こいつがいれば……きっと寂しいなんて感情は、湧いてこない…………けど。


「……考えとく」

「ん…………そっか」


 肩に載っていた手が離れ、そして軽く頭をはたかれた。

「アホやな。せっかくのチャンスを無駄にしてからに」と、そう言われた気がした。


 カウンターへと戻っていくレジーナ。

 その背中を見つめながら、「逃げ出すのも一つの手だ」と言ったこいつの心を想像してみる。


 こいつはまだ、自分の行いを自分自身で許せていないのかもしれない。

 故郷を捨てたことを。

 もしかしたら、今こうして室内で燻っていることにも……


 レジーナの真意を知る術はない。その権利もない。

 けれど、レジーナの気持ちを慮ってやることくらいは、きっと俺にも出来るはずだ。


「レジーナ」

「ん? 帰るか?」

「……あぁ。そうだな」


 今のは、「もう帰った方がえぇんちゃうか?」という気遣いだろう。

 俺に気を遣わせないための気遣い。大した女だよ、お前は。


「お茶、サンキュな。すげぇ苦かった」

「ほっぺた落ちまくったやろ? 『ぽろーん』『ころんころんころ~ん!』や」

「すげぇ転がってんな、俺のほっぺた……」


 おむすびころりんかよ。


 カップをカウンターに置き、出口へと向かう。

 自然な動きでレジーナが俺に付いてくる。見送ってくれるのだろう。


 ドアを開け、外に出る……前に、俺は振り返る。


「レジーナ。ありがとうな」


 顔を見て、誠意を込めて礼を言う。

 するとレジーナは、少し驚いたように目を大きく開いて、その後困り顔で吹き出し、意地の悪い笑みを浮かべる。


「なんやのん、改まって。気持ち悪いなぁ……お茶くらいで大袈裟やで」

「いや、お茶じゃなくてな」

「愚痴くらいいくらでも聞いたるわな。そんなもん、いちいち礼なんかいらんよ。水臭いなぁ」

「愚痴のことでもなくてさ」

「ほなら、なんやのんな?」


 少し照れも混ざっているのだろう。レジーナはからかうような笑みを浮かべて、軽い口調で捲し立てるようにしゃべっている。

 ジッと見つめていると、色の濃いブラウンの瞳が微かに震えていた。どうしたものかと戸惑っているようでもあり……いつもと違う雰囲気に少し怯えているようでもあった。

 そんな、澄み切った瞳を見つめて――最初で最後になるかもしれないが――心からの素直な気持ちを、こいつに告げておく。



「お前に出会えてよかった。ここにいてくれてありがとうな」



 レジーナの瞳が大きく揺らめき、そして、潤み始める。


「え…………っ」


 顔から笑みが消え、真顔になって、目尻に大きなしずくが溜まって膨らんでいく。


「あ…………!」


 慌てて反転し、こちらに背中を見せて、袖で顔をグイッと拭う。二度、三度と、何度も顔を拭う。


「な…………なんやねんな、いきなりっ…………ホ、ホンマ……っ……かなんなぁ、もう……!」


 途中、何度か声が震えて、詰まる。


「ウ、ウチは、ここが気に入っとんねん。別に、誰に何を言われんでも、ここにおんねん。ホ、ホコリちゃんも、ほら、おるしな、ウチ、ここにおらなアカンねん……」


 小刻みに肩を震わせ、少し上を向き、心臓を落ち着かせようと何度も荒い呼吸を繰り返す。

 それでも、発する声だけはいつも通り、ひょうきんで明るく、軽い口調だった。


「ホンマくやしいわぁ。こんなしょーもないイタズラに引っかけられて……あぁ、もう、仕返ししたろかなぁ~! せや、メッチャおもろい顔して笑い転がしたろ!」


 言いながら、両手で顔を覆い隠す。指先が、忙しなく何度も目尻を拭っている。


「この顔見たら、自分、お腹よじれて苦し~なるからな! 逃げるんやったら今のうちやで!」


 泣き顔を見られたくないから、さっさと帰れ……ということらしい。


「じゃ、尻尾を巻いて逃げるとするか。カッコ悪い負け犬にも生きる権利くらいはあるみたいだしな」

「あぁ、せやせや。せやから、早よ逃げぇ」


 少しの間、レジーナの後頭部を見つめて、俺は店を出る。


「あぁ、せや」


 何かを思い出したかのような声に、俺は立ち止まり、振り返る。


「まぁ、自分も色々思うところはあるやろうから、返事はせんでもえぇんやけどな」


 後ろ手に、ドアノブを掴み、ゆっくりとドアを閉める。

 その間も、レジーナは一切こちらに顔を向けない。

 向けないままで、最後にこんな言葉を俺に投げかけた。



「また来ぃや」



 ぱたりと、ドアが閉じられる。

 それからしばらく、店の前に立ち尽くしてしまった。

 まるで留守かと思うほど、店の中からは物音ひとつ聞こえてこなかった。


 また来い……か。


「まぁ、とりあえずは…………保留で」


 誰にも聞こえない独り言を呟いて、俺は陽だまり亭へと戻ることにした。

 ……あ、香辛料………………ま、いっか。







「おかえりなさい、ヤシロさん」


 陽だまり亭のドアを開けると、ジネットが出迎えてくれた。


 ノーマの冷蔵庫がなくなっており、マグダとロレッタの姿がない。

 きっと二人で届けに行ってくれたのだろう。


 そして、ジネットは戻った俺を見ても何も言わない。

 香辛料をもらってくると言って手ぶらで帰ってきた俺に、何も言おうとしない。


 あぁ……気を遣われてんだなぁ。


 これはもう……いよいよ限界かもしれねぇな。

 これ以上、ここにいちゃ…………


「ヤシロさんはご在宅ですこと!?」


 突然、背後のドアが物凄い勢いで開け放たれ、心臓が「ビクッ!」っとなった。


「あら、いらっしゃいましたわね」

「……お前は、もうちょっと静かに入ってこいよ」

「そんな些細なことはどうでもいいのです!」


 いや、些細じゃねぇし、いいか悪いかをお前が決めるな。


「ちょっと、イメルダ! 今、ヤシロにあんまり変なことは…………っ!」


 イメルダから遅れること数分。

 エステラも陽だまり亭へとやって来た。

 ……なんかもう、トラブルの匂いしかしない…………


「とりあえず、帰ってくれる?」

「そうはいきませんわ! ね、店長さん!?」

「ふぇっ!? あ、あの? 一体、何が何やら……」

「ほら! 勢いだけでしゃべるから、ジネットちゃんが戸惑ってるだろう!? ごめんね、二人とも。イメルダのことは気にしないで」


 言われんでも、イメルダのことなんかいちいち気にしてられるか。

 さっさと追い出して、俺は俺の考えをまとめて……


「昨日測ったところ、胸のサイズが一つ上がっていましたわ」

「「気になるぅー!? えっ、どういうこと!? もっと詳しくっ!」」

「あ、あの……ヤシロさんはともかく、エステラさんまでそんなことを言うのはちょっと……」


 おい、ジネット。

 ヤシロさんはともかくってなんだよ?

 今後、おっぱいの話しかしなくなるぞコノヤロウ。

 か、語尾が「おっぱい」


「ヤシロさん。朗報ですわ」

「おっぱいか?」

「いいえ。木こりギルドの支部が完成いたしましたの」

「…………へぇ」

「もっと喜んでくださいましっ!」


 いや、俺的には巨乳のイメルダがさらに限界を超えて爆乳に進化するかどうかの方が興味深いもんでな。

 元がFカップだから……A、B、C…………Gカップかっ!?

 ノーマと一緒だ!

 そして……………………メドラとも一緒か……ふっ。


「おめでとうGカップ!」

「木こりギルドの支部が完成したんですの!」

「ギルドの『G』はGカップの『G』だっ!」

「違いますわ!」


 つっても、木こりギルドの支部が出来たって、俺にメリット特にないしよぉ……

 下水維持とか領主の仕事だし、街門さえ出来りゃ別に木こりギルドの支部にこだわる必要もないし……街道も出来たし。


「そういうわけですので、木こりギルド支部の完成披露パーティーを五日後に開いてくださいまし!」


 …………ん?


「あのな、イメルダ」

「なんですの?」

「そういうのは普通、『開くので、是非お越しください』って言うんじゃないのか?」

「ワタクシがもてなされたいので、ヤシロさんが開いてくださいまし」

「えっと…………アホ、なのかな?」


 なんで木こりギルドの完成披露パーティーを、俺が主催しなきゃいけねぇんだよ?


「あ、ワタクシ、サプライズプレゼントが欲しいですわ!」


 それを自分で提案したら、絶対サプライズ出来ないからね?

 分かるよね?

 知らないうちにプレゼントが用意されてて、「わぁ、ビックリこきまろ!」ってのがサプライズだからな?


「とびっきり素晴らしいプレゼントを用意してくださいましね。中途半端なものは認めませんわよ」

「ちょっと待とうか?」

「却下、ですわ。それで、料理は店長さん、よろしくお願いしますわね」

「え? あ、はい。任せてください」

「って! 待て待て待て! 何をサラッと流してくれてんだ!?」

「なんですの?」


 なんですのじゃねぇよ!?


 若干イライラしたような表情で腕を組むイメルダ。

 なんでこの人、こんなに態度デカイの?


「まず、なんで俺たちがそんなことをしなきゃいけないんだ?」

「ワタクシの頼みだからですわ」


 ……こいつは。


「断る」

「ヤシロさん」


 鋭い視線が俺を睨みつける。

 なんだよ? 圧力でもかけようってのか?

 やってみろよ。テメェがどんな策を弄しようが、俺に交渉で勝てると思ってんのかよ?


 どんな手で来るのか、とくと見せてもらおうじゃねぇか!


「泣きますわよ?」

「何その圧力!? ズルくない!?」

「………………みぃ」

「泣き方、可愛っ!?」


 両手で目頭を押さえ、イメルダがしくしくと泣き始めた。


「……ヤシロさんが、ワタクシの一生に一度の晴れの舞台を祝ってくれませんわ…………ワタクシのこと、お嫌いですのかしら…………しくしく。あぁ、しくしく」


 ……こいつは…………


「ヤシロさんがワタクシの『初めて』を奪って、ワタクシの人生は滅茶苦茶になってしまいましたわ! ……と、言いふらしてきますわ!」

「待てこらぁ!」


 この娘、超怖い!?

 なにこの娘!?


「ヤシロ……君……」

「なんでそんな表情になるの、エステラ!? え、今の一連、全部見てたよね!?」


 くそ……これは完全にアウェーだ。

 えぇ、陽だまり亭にいるのに、俺、アウェーなの?


「あの、ヤシロさん」


 俺の服をちょいちょいと可愛らしく引っ張り、ジネットが耳打ちをしてくる。


「わたしも、出来る限りお手伝いいたしますので」

「あんまり甘やかすのは感心しないんだが……」

「ですが、イメルダさんの夢の一つが実現するわけですし。それに、同じ区の仲間になるわけですから」


 どんな否定も、今のジネットならフォローをしてしまいそうだ。

 あぁ……もう。

 やるしかないのかなぁ……


「分かった。最善を尽くすよ」

「ホントですの!?」


 そう言ったイメルダは、なんとなく心底驚いていたようで……あれだけ強引に押しつけた割には純粋過ぎる反応に違和感を覚えた。

 …………あ、そういうことか。


「イメルダ」

「なんですの?」


 慌てて、また高飛車な仮面を付け直す。

 澄まし顔で、わがままなお嬢様が俺を涼しい目で見つめている。


「五日後を楽しみにしていろ」


 一瞬、ぱぁっとイメルダの表情が明るくなり、すぐさま澄まし顔が戻ってくる。


「それでは、期日に遅れませんよう、しっかり頼みますわ」


 居丈高にそう言って、イメルダはすたすたと、陽だまり亭を出ていく。

 開け放たれたドアが、ゆっくりと閉まる……のを、寸でのところで止める。

 そして、音を立てないようにそ~~~~っとドアを開けて外を覗き込む。


 ……と。


「はぁぁあ……緊張しましたわ……ヤシロさんを怒らせたらどうしようかと…………けれど、これでヤシロさんを五日間は留めておくことが出来ますわ…………これが終われば、街門の完成……その次は………………」


 俺は首を引っ込めて、そっとドアを閉める。


 こんな猿芝居を打ってまで、俺を繋ぎとめようとしていたのか……まぁ、だったらバレないようにやれって感じではあるが…………いや、ここでバレることも計算なんじゃないだろうな?

 あぁ、くそ! 断れなくなったじゃねぇかよ、パーティーの準備。

 ホント、どいつもこいつも…………お節介焼きで、お人好しで…………


「バカばっかりだな、この街は」


 俺の動向を見守るジネットとエステラ。

 その二人に向けて、俺は宣言をする。


「イメルダのパーティー。絶対成功させるからな!」

「はい!」

「しょうがないねぇ……ボクも手伝うよ」


 ったく、こいつらといい、イメルダといい……この街は…………




 バカがつくほどのお人好しばかりだ。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る