132話 微妙な変化

「ご……ご無体やで……自分……」


 レジーナが床の上に転がってぴくぴくと小さく痙攣している。

 ……ふんっ。毎度毎度ミリィにいらんことを吹き込んでいた罰だ。

 なぁに、ほんのちょっとキツめのお仕置きをしてやっただけだ、気にするほどのことじゃない。


「せ……せやけど…………ちょっとだけ、クセになりそうや……」


 ぴくぴくしているレジーナが、ぽっと頬を染める。

 気にしなきゃいけないかもしれないっ!? やめろレジーナ! そっちの道はいばらの道だぞっ!?


 というわけで、俺は今、レジーナの店にやって来ている。

 試作で使った分、香辛料が足りなくなって追加をもらいに来たのだ。

 本格的な入荷は来週になるそうだが、ここにはまだ幾分かの蓄えがある。まぁ、なんとか持つだろう。


「んじゃ、香辛料もらっていくぞ」

「ほいほい。ウチもまた、カレー食べに行くわ。アレはウチ的にも久方ぶりの大ヒットやさかいな」


 香辛料の国の変態薬剤師は、カレーライスを甚く気に入ったようだ。なんでも研究魂に火が点いたようで、各食材ごとによく合う配合を研究してくれるらしい。シーフードカレーとかも出来るかもしれんな。


「でも、これだけ香辛料もらって、本当にこんな値段でいいのか」


 かつてノルベールからくすね盗った……おっと、聞こえが悪いか……なんやかんやで俺の手元にやって来た香辛料の値段を考えると、レジーナから購入している香辛料の値段は、正直、破格なのだ。


「あぁ、えぇねん、えぇねん。それ、ウチが個人的なルートで仕入れとるヤツやさかい」

「いや、だとしてもさ、原価とか……」

「なに言ぅとんねんな。経済の素人でもあるまいに」


 いや、俺は経済のプロではないんだが……

 レジーナはからからと笑い、床に寝転がったままで俺を見上げてくる。


「この街の砂糖かて、貴族の砂糖はメッチャ高いやろ? それと似たようなもんや。わざわざ命がけで輸出するもんやからな、利益の上がるもんだけが違う街に持っていかれるっちゅうわけや」


 レジーナの言うことはもっともで、考えてみれば当然のことだ。

 この世界では、『貴族ブランド』的なものが存在する。

 この街、オールブルームで例えるなら、サトウキビから作られた砂糖は、いわゆる『貴族砂糖』で、非常に高価だ。庶民が手を出すことなど出来ない、超々高級品なのだ。

 一方、砂糖大根から作られた砂糖は、四十二区のド庶民が気軽に購入出来るような値段だ。

 現在四十二区でケーキが流行し、誰でも気軽に食べられるほど普及しているのは、そのお手頃価格のおかげなのだ。


 同じ『砂糖』でも、貴族が絡むと価格は数十倍から数百倍に跳ね上がる。

 もし、魔獣が跋扈ばっこする街の外を通り、広大な大地を旅して、命がけで運んで商売をするのであれば、俺は間違いなく価値の高い物を持っていく。

 命がけの行商で、薄利多売などやっていられないのだ。荷物は嵩張らず価値の高いものに限る。


 つまり、ノルベールが持ってきていたアノ香辛料はそういう香辛料だったってわけだ。

 ノルベールは三十区の領主と、バオクリエアの貴族との間に契約を結ぶ、貴族御用達の行商人だった。そのことを踏まえて考えてみても、ヤツが扱うものは『貴族に相応しい逸品』であることがうかがえる。

 それに、貴族ってのは見栄の生き物だ。あえて高価な物を欲しがる理解しがたい生き物なのだ。

 他国の貴族が認めた超々高級品であり、尚且つ、貴族御用達の行商人が命がけで運んできた香辛料だ。

 アノ香辛料が50万Rbってのも頷けるな。


「で、お前が個人的に仕入れてるのは、四十二区の砂糖みたいなもんだってことだな?」

「せや。輸送費のせいで、バオクリエアより割り高になっとるんはしょうがないけど……こういうもんはな、『使うことにこそ意味がある』んや。アホみたいな値段つけて自慢して回るような工芸品とは違うんや」


 まぁ、50万Rbの香辛料はなかなか使いづらいよな。


「輸送費言ぅても、他のもんと一緒に持ってきてもろぅとるさかいに、割引き価格なんやわ。せやから、値段のことは気にせんと遠慮なく持ってってんか。ほんで、美味しいカレーをリーズナブルな価格で売ったってや。ウチもその方が嬉しいわ」

「分かったよ。サンキュウな」

「なんでお礼やねんな。気持ち悪いわぁ」


 くつくつと笑い、レジーナは手をパタパタと振る。

 ……つか、いい加減起き上がれよ。いつまで床に転がってるつもりだ?


「そういやさぁ……」


 ついでなので、ちょっと気になっていたことも聞いておく。


「大雨の時に、香辛料が市場から消えたって言ってたけどさ、あれって……」

「あぁ、貴族の香辛料のことや。あとになって聞いた話やけど、どっかの行商人がなんかやらかしてもうたらしぃてなぁ。それでこっちの貴族連中と行商ギルドが、バオクリエアの貴族とのトラブルを恐れて香辛料の流通を制限しとったんやと。おかげでこっちは、薬に使う分すら手に入らんで難儀したでぇ」

「その、独自のルートってので手に入れられないのか?」

「アホやなぁ……そんな金になるもん、貴族が自由にさせるかいな。持ち出しも持ち込みもえっらい厳重に取り締まられとるんやで」

「……利権まみれの守銭奴どもめ」


 さらに聞くと、レジーナが個人的に輸入している香辛料は『植物の種』『香草(野菜)』として扱われ、入門税が香辛料に比べてべらぼうに安いのだとか。

 そこに、貴族の香辛料なんかを紛れ込ませると、他の香辛料まで税を上げられる可能性がある。

 なので、貴族の香辛料のような目立つものは、行商ギルドから購入するようにしているのだそうだ。


 まぁ、謎の薬剤師が謎の草を買っていても怪しまれないし、香辛料に興味を示してもただの酔狂だと思われるかもしれないな。

 こいつがこれまで平穏に暮らしてこられたのは、こいつの謎オーラが濃密だったせいかもしれない。


「ホンマはな、貴族の香辛料なんか高いだけで、値段ほどの価値なんかないんやで? けど、あの時の薬を作るにはどうしても欠かせへん材料でな……そういうことがいつまた起こるか分からへん以上、ウチは高い金を出してでも貴族の香辛料も手元に置いておきたいんや」

「それで、市場の調査は怠りなく行っているわけか」

「多少は見直したか? 褒めてもえぇでぇ~」

「それが無きゃ、褒めてやってたんだけどな」


 軽くあしらってやると、「それこそがご褒美や」とばかりに、レジーナがにししと笑う。

 そんな「おいしいわぁ」みたいな顔すんな。芸人じゃあるまいし。


「んじゃ、帰るな」

「ん~、気ぃ付けてな~!」


 店を出ようとして、ふと立ち止まる。


 ……こいつは気が遣えるヤツなのか、それとも、たまたまなのだろうか…………


「どないしたん?」

「あ、いや…………なぁ、お前さぁ」

「ん~?」


 問いかけようとして……やめた。


「いや、なんでもない」

「変なやっちゃなぁ。早よ帰らな、店長はんがおっぱいぷるぷるさせて待ってはるで」

「マジで!? ぷるぷるさせて!? 急いで帰ろう!」

「はは……ホンマ、あほやなぁ、自分」


 自分で振ったくせに呆れた表情を見せるレジーナ。

 乗ってやっただけだろうが。


「じゃあ……な」

「ほいほい。ほな……ね」


 ……マネされた。

 くそ、一瞬の迷いをまんまと見抜かれてしまったわけか。


 どうも最近、言いにくくなった言葉があるのだ。

 言うのも……聞くのも、ちょっと躊躇ってしまう。そんな言葉が。


 ま、俺は他所者だしな。






 陽だまり亭へ戻る道すがら、エステラに出会った。

 って、おい!


「エステラ!」

「やぁ、ヤシロ。随分遅かったじゃないか」

「お前、何してんだよ? 陽だまり亭に居てくれって頼んだろうが!」


 俺は、レジーナの店に行くにあたり、エステラに留守番を頼んだのだ。

 いや、ジネットがいるから留守番の必要はないのだが……ジネットしかいないから、一緒にいてやってほしいと、頼んだつもりだったのだが……


「さっきナタリアに仕事を押しつけられちゃってね」

「ナタリアは? 陽だまり亭か?」

「いや、ウッセのところだよ。いよいよ、狩猟ギルドが魔獣のスワーム討伐に乗り出してくれることになったんだ。これでやっと不安材料が一つなくなるよぉ」


 そうか、それはめでたい。

 だが、そんなことはどうでもいい!

 どちらにせよ、大食い大会が終わるまでウーマロたちは動けないわけで、街門の工事再開は大会後になるんだ。スワーム討伐なんか、その前までに終わっていればそれでいい。

 それよりも、だ!


「じゃあ今、陽だまり亭にはジネット一人きりなんだな!?」

「う、うん。でも、大丈夫だと思うよ、お店を開けているわけでもないから、お客さんもいないしね」

「だから頼んだんだろうがよ!」


 ジネットはここ最近、独りぼっちになることを怖がっている。とても不安そうな顔をするようになったのだ。

 だから、常に誰か一人でもいいから、ジネットが落ち着けるヤツをそばに置いておいてやりたいと思っているのだ。


「しゃあねぇ。急ぐか」

「ヤシロ」


 走り出そうとした時、エステラが俺を呼び止めた。


「何をそんなに焦っているんだい? ジネットちゃんなら平気さ。これまでも、君が来るまでは一人でお店を切り盛りしていたんだから」


 これまでとは状況が違うから焦ってんだっての。


「最近、ジネットの様子が少しおかしいんだよ。だから気になってんだ。気付いてないのか?」

「ジネットちゃんの様子?? ……特に?」


 なんてこったい。

 抜け目ないエステラが、ジネットの変化に気が付いていないなんて……


「おかしいのは、君じゃないのかい?」

「俺?」


 何を言ってんだ。俺は至って普通だろう。

 四十二区の中で一番……いや、唯一まともな人間だというのに。


「君は最近、ジネットちゃんを気にし過ぎなんじゃないのかい? まるで、幼い子供を世話しているようだ」

「あのな……それはジネットのヤツが最近……」

「それに」


 グッと体を近付けてくるエステラ。

 澄んだ瞳が、俺の目を覗き込んでくる。軽くお辞儀をすればキスしてしまいそうな、そんな距離で、エステラがジッと俺を見つめてくる。


「最近君は、どこか遠くを見ていることが多い。心ここにあらずって感じでね」

「そんなこと……」


 無いと、言おうとしたのだが……エステラの瞳が微かに揺れ、どこか寂しげな色に染まり……言えなかった。


「もし、悩みがあるなら相談に乗るよ。遠慮はいらない。ボクと君の仲じゃないか」


 軽く握った拳を、トンッと胸にぶつけられる。

 ……なんだか、やけに重い一撃に思えた。


 悩み?

 俺がか?


「それじゃ、ボクは仕事に戻るけど、夕飯は陽だまり亭で食べるから」

「金は払えよ」

「分かってるよ。じゃあね、ヤシロ。あんまり一人で抱え込まないでくれよ? 大会は近いんだから」

「そういうのは、俺じゃなくてベルティーナとマグダに言っとけよ。あいつらが万全の状態なら勝てる」


 そう言うと、また……エステラの表情が曇った。


「君がいなきゃ、始まらないだろ」


 その一言は、どこか寂しそうなニュアンスを含んでいた。


「それじゃ、また後でね」

「……メニューはカレーでいいか?」

「そうだね。あれはホント癖になるよね」

「だろ?」

「じゃ、またね!」

「頑張って働いてこい」

「…………」

「ん?」

「いや、なんでもない」


 片手を上げ、颯爽と走り去っていくエステラ。

 どこかのヒーローみたいな去り際だ。女子にモテそうだな、羨ましい。


「っと、早く戻ってやるか」


 ジネットが一人で留守番をしていることを思い出し、俺は陽だまり亭に向けて走り出した。

 エステラは気にし過ぎだと言うが……あれだけあからさまに寂しいオーラを出しているのに、本気で気付いていないってのか?

 なのに俺の方がおかしいだなんて……エステラのヤツ、疲れてんじゃねぇのか?


 そんなことを、走りながら考えていた。


 陽だまり亭に到着し、ドアの前で乱れた呼吸を整える。

 なるべく、普段通りに……


 ドアを開けると、ジネットがフロアの掃除をしていた。ブラシをかけていたのだろう、床が水浸しだ。


「あ、ヤシロさん!」


 俺を見つけると、ブラシを置いてパタパタと駆けてく……


「うにゃぁっ!?」


 ……滑って転んだ。



「大丈夫か?」

「イタタ……うぅ……お恥ずかしいです」


 尻もちをつき、目尻に涙を浮かべるジネット。

 凄い音がしたからな、相当痛かっただろう。


「さすってやろうか?」

「い、いえっ! さすがに、それは……お尻、ですし……」

「じゃあおっぱいの方をさすってやろう」

「そっちはさする必要ないですよ!?」

「いや、でも、物凄い『ぶるぅぅぅんんんっ!』ってしてたし」

「もう! 懺悔してください!」


 胸を押さえ、頬を膨らませる。

 けれどお尻が痛いようで再びさする。

 ぱたぱたと腕を振り回し、忙しいヤツだ。


「掃除してたんだな」

「はい。時間のある時に、徹底的にやってしまおうかと思いまして」

「んじゃ、手伝うか」

「い、いえ、そんな! 悪いですよ、ヤシロさん、帰ってきたばかりでお疲れでしょうし」

「まぁ、確かに、レジーナに会うと精神が疲弊するもんな……」

「あの、そういう意味で言ったわけでは……レ、レジーナさん、楽しい方じゃないですか。ね?」


 苦しいフォローをしつつも、苦笑は隠しきれていない。


「ほら、立てるか?」

「あ……、すみません」


 手を差し出すと、ジネットは両手で俺の腕にしがみついてきた。

 少し膝が震えており、立つのに苦労しているようだった。

 相当痛いのだろう……


「やっぱさすろうか?」

「お気持ちだけで……」

「遠慮しなくても、いくらでもペロペロしてやるぞ?」

「それはさする時の音ではありませんよ!?」


 いや、唾つけとけば治るとか言うしさ。


「あ……」


 と、ジネットが短い声を漏らし、お尻を押さえて顔を真っ赤に染める。

 あぁ……そうか。


「漏らしたか……」

「ち、違います! その、お尻が……濡れて…………スカートに丸い染みが……」

「え、どこだ?」

「見ないでください!」


 俺が覗き込もうとすると、ジネットは体をひねり俺とは反対方向へ尻を逃がす。

 ほぅ……その動き、俺とやろうってのか? 小学四年生の時に『カバディの鬼』と呼ばれた、この俺と!?


「カバディカバディカバディカバディ」

「なんの呪文ですか!?」


 腰を落とし、左右に短くスッテプを踏みながら相手の隙を窺う……わずかでも隙を見せたら、一瞬で背後に回り込んでやるぜ!


「カバディカバディカバディカバディ」

「怖い、怖いですよ、ヤシロさん!?」


 よし、今だっ!

 左足に体重をかけ、一気に右側へと跳躍する。

 この一瞬のフェイントで、ジネットは完全に虚を衝かれ無防備状態に……ガンガラガッシャーン! …………カランカラカラ……そんな、金属音が店内に響いた。


「……あの、ヤシロさん…………大丈夫ですか?」

「あぁ……ちょうどぬるくて、風邪引きそうだ」


 跳躍した先に、水の入ったバケツがあり、俺は見事にそいつをひっくり返してしまったわけだ。マンガみたいにすっ転んで、全身水浸しだ。


「掃除中に遊ぶのは、やめましょうね?」

「はい……先生」


 気分はまるで、先生に叱られた小学生だ。

 何やってんだかなぁ、俺。

 俺もいい歳なんだし、もう少し落ち着きっていうヤツを持たなきゃいけないよなぁ……


「よーっす! あんちゃん、店長さん、元気にしてっかぁ~って、床が濡れて滑っ……ぅわぁぁぁあああああっ!?」


 ズドシンと、鈍い音を響かせて、突然店に駆け込んできたパーシーが濡れた床で滑って転び、尻もちをついたかと思いきや、そのままくるくると後ろでんぐり返りをしながら再び店の外へと出ていった。


 ……ここに、俺以上に落ち着きのない成人男性がいる。俺、まだセーフじゃね?


「なんだよ!? なんなんだよ!? なんのトラップだよ、これはぁ!?」


 バッチリメイクを決めた目に涙を浮かべて、パーシーが再び店内へと駆け込んでくる。


「砂糖工場をほったらかして、またネフェリーのストーキングしてたのか?」

「ぎくぅ!? …………べ、べつに、そういうわけじゃ……ぴ~ぴ~」

「ジネット。ヤツに『精霊の審判』を」

「ダメですよ。確実にカエルさんになってしまいますから」


 ジネットにすら嘘だと見破られるお粗末な言い訳をして、パーシーは下手くそな口笛を披露している。


「ところであんちゃん。ここに砂糖が二袋あるんだけどよぉ……」

「お前の相談に乗ってる暇はねぇんだよ」

「まだ何も言ってないじゃんかよぉ~!」


 言わんでも分かるわ! 馬鹿の一つ覚えみたいに砂糖ばっかり持ってきやがって。

 たまにはもっと気の利いた物を持ってこいよ!


「見ての通り、これから掃除するんだよ」

「あぁ、これ掃除だったのか? 水遊びしてんのかと思ったぜ」

「どんだけ無邪気な人間だと思ってんだよ、俺らのことを?」


 俺とパーシーの会話を、ジネットがくすくすと笑って見ている。

 なんだ、エステラの言う通り、いつも通りのジネットじゃないか。

 俺が帰ってきた時も、普通に掃除してたし。


 やっぱ、俺の思い過ごしだったのかな。


 陽だまり亭の中にいるジネットはとても自然体で、おかしな気配は一切なかった。

 ……俺も、ちょっと疲れてんのかな。気にし過ぎだったのかもしれん。


「あ、じゃさ! オレも手伝うよ、掃除! したら、早く終わって、オレの相談にも乗れんじゃん? な? そうしよ! はい、決定!」

「……お前な。まぁいいや。じゃあ手伝え。バイト代としてあとで美味いもん食わせてやるから」

「マジで!? なに? 卵焼き!? ゆで卵!?」

「頭の中ほとんどネフェリーか!?」


 ったく、いいよなこいつは。なんかいつも楽しそうで。

 好きな女子がいて、仕事も上手くいっていて、ストーキングを許容してくれる心の広過ぎる身内がいて…………モリーよ、もう少し兄貴を締め上げてやってもいいと思うぞ。


 まぁ、パーシーの言う『相談』なんてのは、大方「大食い大会をネフェリーと一緒に観戦したいんだけど、『偶然隣の席になっちゃった~』みたいな感じを演出する方法ないかなぁ?」とか、そういうレベルのくだらない話なのだ。

 それなら、俺たちの陣営のそばに来ればいいと教えてやるだけで解決だ。

 ネフェリーは、ウチの応援団に内定しているしな。

 今現在、服屋のウクリネスにある服を作ってもらっているところだ。


「んじゃ、ちょっと外すから、お前はここら辺ブラシかけとけ」

「ほいよっ! ブラシかけはモリーにやらされまくってるからな、超得意だぜ!」

「……兄貴のプライドは無いのか……」


 妹にこき使われてます宣言をした後、嬉々としてブラシがけを始めるパーシー。

 その間に俺は、部屋に戻って濡れた服を着替えに…………


「あの……っ!」


 部屋に戻ろうとした俺を、ジネットが呼び止める。

 それと同時に、酷く慌てた様子で、俺の服をキュッと摘まんできた。


「……ど、どちらに?」

「え? ……あ、服をな、着替えようかと」

「あ…………そう、ですね。早く着替えないと風邪を引いてしまいますね」

「あぁ。そうだな」

「では、濡れた服は洗濯籠に入れておいてください。明日にでも、洗っておきます」


 俺の服を離し、エプロンを掴むように手を前で組んで、ぺこりと頭を下げる。


 ……寂しがり、気のせいじゃねぇじゃねぇか。

 さっきのジネットの目は、真剣そのものだった。


 その瞬間、ジネットは確かに一人になることを恐れていた。


 ……まぁ、鼻歌交じりにブラシがけしているパーシーの存在が完全に忘れ去られている点については、深く言及しないでおいてやろう。俺だって悪魔じゃないんだ。


 ……けど。


「すぐ、戻るから」

「はい。待っています」


 ジネットは、やっぱり……最近ちょっとおかしい。



 部屋に戻り、濡れた服を脱いで、体を拭く。

 その間も、考えてしまうのはジネットのことで……


 あいつ、もしかしたらどこか悪いんじゃないのか?

 子供は、体調を崩すと、本能的に親に甘えるようになるというし……

 どこか具合が悪くても、自分からは言いそうにないもんな、ジネットは。


 一度、レジーナに診察してもらった方がいいかもしれないな。


 とにかく、ジネットが『何か』を感じ、『何か』を秘密にしていることは確かだ。

 エステラがそれに気が付いていないのは意外ではあるが……まぁ、最近あいつは忙しくて陽だまり亭にいる時間も減ったしな。

 マグダなら、何か気が付いているかもしれない。

 ロレッタは…………うん、ないな。


 服を着替えてフロアへと戻る。


「……早いな」


 なんということでしょう。

 俺が戻ってみると、床掃除がきれいさっぱり終わっているではありませんか。


「え? 俺、そんなに遅かった?」

「いえ、パーシーさんが驚異的なブラシ捌きを披露してくださって。凄かったですよ」

「いやぁ、あんちゃんにも見せてやりたかったぜぇ! オレの、華麗なるブラシ捌き!」

「んじゃあ、もう一回水を撒くか」

「無駄に働くのは御免だっつの!」


 フロアが綺麗になってしまったので、俺は仕方なくパーシーのくだらない相談に乗ってやることにする。

 ジネットに、レジーナからもらってきた香辛料を渡し、カレーを作ってもらう。

 エステラもあとで来るそうだから、結構多めに作ってもいいだろう。


「いや、なに。相談ってのは他でもないんだけどよぉ……あ、砂糖三袋ほどいるか? やるよ」

「……いいから話せよ」


 もう砂糖はいらん!

 アッスントに転売するぞ、こら。


「実はな……」


 パーシーが真剣な面持ちで話し始める。


「大食い大会をネフェリーさんと一緒に観戦したいんだけど、『偶然隣の席になっちゃった~』みたいな感じを演出する方法ないかなぁ?」


 ……こいつ。本当~~~~~っに、バカなんだな。


「ウチの陣営に来い。ネフェリーは客席じゃなくて、俺らと一緒に応援してくれることになってるから」

「マジで!? オレ、そこ行っちゃっていいの!?」

「四十区がOKを出せばな」

「出すさ! 出させるに決まってんじゃん! 領主の許可くらい、ネフェリーさんのためなら、砂糖を使った外交的圧力で『うん』と言わせてみせるっつぅの!」


 ……あぁ、こいつは世間を舐めているんだなぁ。

 四十区から追い出されたら四十二区に来い。ノウハウを吸い尽くして四十二区の発展に役立ててやるから。


 その後、適当にカレーを食わせ、あまりの美味さに感動したパーシーのテンションだけの不思議な踊りを見せつけられ、散々騒いだ後で、パーシーは帰り支度を始めた。


「オレ、これから領主んとこ行って、『バシーッ!』つってくっから! 大会当日は、オレ、身も心も四十二区の人間だから、そこんとこ、ヨロシク!」

「ジネット~、塩ってある?」

「撒かないであげてくださいね」


 ちっ。にっこりと拒否されてしまった。


「んじゃ、帰るわ!」


 パーシーが上機嫌で陽だまり亭を出ていく。

 本当に、くだらないことで遠いところまで来るんだもんなぁ……


「じゃあ、店長さん、あんちゃんも。またな!」

「はい。またお待ちしております」

「モリーに『あんな兄貴で可哀想に』って伝えといてくれ」

「伝えるかよ、んなこと! じゃ、またな!」

「ネフェリーんとこ寄らないで、真っ直ぐ帰れよ~」


 手を振って見送ってやるも、パーシーはドアの前から動こうとしない。

 なんだよ? 早く帰れよ。


「あんちゃんよぉ……」

「なんだよ?」

「ま・た・な!」

「『股』、『股』言うんじゃねぇよ、卑猥なヤツだな」

「その『股』じゃねぇ! また会おうな!」

「……やめろよ、そういうの面と向かって言うの……なんか、キモい……」

「だから、そうならないように『またな』っつってんじゃねぇか」

「そんな何度も言わなくていいっつうの」

「だってよ!」



 パーシーは、ある意味で純粋で……だからこそ、空気を読んではくれない。



「あんちゃん、さっきから一回も『またな』に返事してくれてねぇじゃねぇか!」


 ……目は、逸らさなかった。

 ここで視線を外すのは、パーシーの考えていることが正しいと認めることになるからだ。


「あんちゃん、もうオレに会ってくれねぇのかよ?」

「んなこと言ってねぇだろ。大会もあるし、これから先、何年経とうが陽だまり亭はここにある。それで十分じゃねぇか。わざわざ言葉にして『お・や・く・そ・く』なんてガラじゃねぇだけだよ」


 最近はとみに……『またね』が言えない。それに、応えられない。



 ……だってよ、俺、他所者だから。




 いつ、いなくなるか、分かんねぇじゃねぇか。






『またね』なんて、約束出来るかよ。嘘が吐けない、この街で……








「いいから、さっさと帰ってモリーの手伝いでもしてこい! この放蕩兄貴!」

「なんだよ、なんだよぉ! もうオレとは会ってくれないのかよぉ!? 会うって言うまでここを動かねぇぞ! 言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え! またパーシー君に会いたいって、あんちゃんのその口で言えぇぇええー!」

「あぁ、鬱陶しい! 言おうが言うまいが、結果は変わらんだろうが!」

「言葉にしてくれないと、不安になっちゃうんだぞ!」

「お前は女子か!?」


 店先で駄々をこねるパーシー。

 ……っとに、こいつは………………こんなやり取りをジネットに見せたら余計な心配を……


「会います!」


 凛とした、堂々とした声だった。


「ヤシロさんは、必ず、またパーシーさんにお会いします。わたしが保証します」


 一片の曇りもない、清々しいまでの爽やかな笑みで、ジネットが断言をした。


「ですので、どうかご安心ください。ね、ヤシロさん」


 柔らかい笑みが、俺に向けられる。

 ……これは、ある種の脅迫なのか?


 俺が、今晩にでも姿をくらませたら……ジネットはカエルになる。

 いや、パーシーがそんなことをするとは思えないが…………


「それに、大会が控えてますから」


 何か、確信めいたものを覗かせて、ジネットは言う。


「四十二区の戦いに、ヤシロさんが参加しないはずがありません。なぜなら……」


 そして、誇らしげな顔をして言うのだ。



「オオバヤシロという人は、誰よりもわたしたちと、四十二区を愛してくださっている人ですから」



 ジネットよ……



 そりゃあ、ちょっとばかり……卑怯だろうよ。




「…………愛しているかは、まぁ、置いといて…………」


 しょうがない。

 今回だけだ。

 特別だからな。


 ジネットがカエルになるのは困るしな。

 だって俺、さっき『これから先、何年経とうが陽だまり亭はここにある』って言っちまったしなぁ。ジネットがカエルになったら陽だまり亭はなくなって、今度は俺が嘘を吐いたことになる……そいつは困る。俺は、カエルにはなりたくない。


 だから、……ホント、しょうがねぇな…………今回だけはお前に乗ってやるよ。


「俺が大会に出て四十二区を勝利に導いてやる! それは決定事項だ! パーシー、そんなに俺に会いたきゃそん時に『お前が』会いに来い」


 あっけにとられるパーシーに向かって、俺ははっきりと言ってやる。


「……待ってるぞ」

「へ、へへっ! ようやく言ったな! その言葉、忘れんじゃねぇぞ! 勝手にいなくなったら、ぶっ飛ばしに行くからな!」


 いなくなった後、どこにぶっ飛ばしに行くつもりなのか。

 やっぱりこいつはアホなんだな。


 言質を取って満足したのか、パーシーはアホ丸出しの顔で帰っていった。


「ったく……空気の読めねぇヤツだ」

「いいえ」


 パーシーの背中を見送って、ジネットはぽそっと呟く。


「察しのいい、気の利く方だと、思いますよ」

「…………感じ方はそれぞれだな」

「そうですね」


 なんとなく、ドアの前に二人並んで、ボーッと東の空を眺めていた。


 マグダとロレッタが、エステラと一緒に陽だまり亭へやって来るまでの数十分間、俺たちは二人きりで静かな時間を過ごした。


 とても静かで、……なんだか、落ち着く時間だった。






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