124話 最強王者不参加の可能性

「以上が、お嬢様からの伝言なんだからね」


 今日はエステラがデミリーに会うために四十区へ行っているらしく、エステラからの伝言をナタリアが届けてくれた。……わけ、なんだが。


「お嬢様には、ウチから護衛を二人つけたので心配は無用なんだからねっ」

「……お前はふざけてんのか?」

「ふざけてなんて、ないんだからねっ!」


 こいつは完全にふざけてやがる。


「……おかしいですね。ヤシロ様はこういうのがお好きだと、小耳に挟んだのですが?」

「どこの情報だ、それは……」

「喜んでいただこうとしたのですが、どうも失敗したようですね」

「普段通りにしていてくれていいから」

「わ、私が自宅ではほぼ全裸で過ごしていると知った上での発言ですか!?」

「誰が自宅と同じレベルで寛げと言ったか!? あと、とんでもない情報投下してんじゃねぇよ!」


 なんか、想像してもんもんとしちゃうだろうが!


「えっと、つまり、『大食い大会は二週間後に、予定通り四十一区の中央広場で行われる。道路の整備もハムっ子さんたちの頑張りにより順調である』と、いうことなんですね?」


 おふざけが過ぎるナタリアの説明をジネットが分かりやすく要約してくれる。

 まぁ、つまりはそういうことだ。


 大会までの期間は各区が協力体制を取り、区を越えた商売が許可されている。

 そのため、多くの者が四十一区に集まっており、現在陽だまり亭に客はいない。

 四十二区も街全体として、この期間は『休業日』扱いになることだろう。もっとも、店を開けたい者は開ければいい。だが、陽だまり亭もしばらくの間は四十一区の分店に力を注ぐ予定だ。


 分店は、四十二区内の複数の飲食店が共同の店舗で一緒に営業をしている、フードコートのような店だ。俺のアイディアが採用された結果だが、目新しさからかなり好評を博しているらしい。

 もちろん、一ヶ所に全部は入らないので数店舗に分かれて営業している。

 デミリーもフードコートを甚く気に入り、「真似させてもらうよ」と、早速取り入れていた。


 人と情報、物資に金。活気や意気込みや熱意や喜怒哀楽、そんなものまで含めて、今は四十一区に集まっているのだ。


 盛り上がっている。誰の目にも明らかに、大盛り上がりだ。


「ヤシロ様は四十一区へ視察等行かれないのですか?」

「あぁ、もう少ししたらな」


 現在、大食い大会の会場をウーマロたちトルベック工務店が総力を挙げて建設している。

 それが一段落するまでリカルドはそっちに付きっきりになるだろうから、それが済んだら顔を出すつもりだ。


「店長さんは、ずっとこちらにおいでなのですね?」

「はい。お客さんがいらっしゃらなくても、開けられる時はお店を開けたいと思いまして。それに、今でも日に何名かのお客さんがお見えになりますから」


 フードコートはマグダとロレッタ、それからデリアに任せてある。

 メニューが限られるフードコートなら、わざわざジネットが出向くまでもなくそのメンバーがいれば十分品質を落とすことなく営業が出来るのだ。

 デリアの焼く鮭がジネットに肉薄してきていると、常連のオッサンがべた褒めだった。

 他にも、「マグダたんの作るものは天国の味がするッス」と、これも常連の言葉だが、あいつは何回か天国に行ったことでもあるんだろうか?

 ただ、スペースの関係で全メニューを提供するわけにはいかないので、分店に無いレギュラーメニューが食いたい場合は本店に来てもらうようにしている。

 ここでなら、どんなものでも食べられる。


 やはり、本店を守れるのはジネットだけだ。

 それ故の配置なのだ。


「それにしても、陽だまり亭に人がいないのは……なんだか随分と久しぶりですね」

「お前が来るようになる以前は、人がいる方が奇跡みたいなもんだったんだがな」

「そ、そこまで酷い状態ではなかった……ですよ、ね?」


 一日のうち、来客が茶飲み仲間のムム婆さんしかいなかった日があったじゃねぇかよ。

 ムム婆さんは近所で洗濯物屋をやっていて、一日一度、お茶を飲みにやって来るのが日課なのだ。あの婆さんは例外中の例外だろ。客にカウントするのはどうかと思うな。


「大会で知名度が上がれば、ますますお客様でごった返しそうですね」

「そうなんですかね? よく、分かりませんね。まだ」


 苦笑混じりにジネットが肩をすくめる。


 陽だまり亭に、ごった返すほどの客、か。

 ジネットの夢だもんな。この陽だまり亭が、みんなの集まる楽しい場所になることが。

 爺さんがいた頃のように。


 客足が増えると予想された時に見せたジネットの苦笑は、謙遜なのか戸惑いなのか。

 まぁ、あまり有名になり過ぎるのも考えものだけどな。

 みんなでワイワイと楽しくがこの店の基本コンセプトだ。忙殺されゆとりがなくなるのは本意ではない。

 客をただの客として考えず、訪れた人一人一人に真摯に対応したい。そういうジネットの考え方や姿勢が、今の陽だまり亭をいい雰囲気の場所にしているのだと思う。


 忙しくなって回転率の早い立ち食い蕎麦屋みたいになっちまったら、それは『爺さんのいた頃の陽だまり亭』ではなくなってしまうだろう。

 そこの調整は難しいだろうな。


 ま、問題が起こればその都度対処して、俺がなんとかしてやるさ。

 この店は、俺にとっても重要な場所だからな。

 ………………いや、アレだぞ?

 こう……下地を作る上で、的な意味合いでな?


「貸し切りみたいで気分がいいですね」

「そうですか? でしたらどうぞゆっくりと寛いでいってくださいね」

「店長さん……それは、私が全裸の方が寛げると知った上での発言ですか?」

「いえ、あの……服は、着ていてください、ね?」


 やめろっちゅうのに。

 ジネットも対応に困ってこっちをチラチラ見んじゃねぇよ。助けを求められても対処出来ねぇよ、そいつは。むしろ俺が触っちゃいけないヤツだ。


「そういえば、お嬢様が『予選をするんぺたーん!』と、おっしゃっていたのですが?」

「本当にそう言ってたか? もう一回よく思い出してみろ、特に語尾!」

「…………あぁ、『予選をする』……だけだった、かも、しれません」

「しれませんじゃなく、完全にそうだろうが!」


 なんだ、ナタリア? 最近仕事でストレスでも溜まってるのか?

 なんなら足つぼでもしてやろうか?

 胃のツボとかグリグリしてやってもいいぞ?


「あの、ヤシロさん。予選というのは?」

「あぁ。大食いの選手を最大で六人は用意しないといけないからな。まぁ、全部勝つ必要はないからあと二人は予備程度でもいいんだが……」

「あと二人…………えっと、それはつまり、すでに四名は選手が決まっているということですよね?」


 なんだかジネットが不安げな表情を見せる。

 なんだ? 何かマズいことでもあるのか?


「今決まっているのはベルティーナにマグダ。それからデリアとウーマロだな」


 そういえばそいつらにはまだ話してないが……まぁ、そのうち通達すればいいだろう。


「あ、あの……確信は無いのですが……」


 ジネットが、なんだか申し訳なさそうな顔で言う。

 ……え、なに、すげぇ嫌な予感が…………


「シスターは…………出場されないかも、しれませんよ?」

「えっ!?」


 なんで!?

 ウチのエースだぞ!?


「う、美味いものが腹いっぱい食えるって言えば、あいつなら喜んで参加すんじゃ……?」

「えっと……確かに、シスターは食べることが大好きな方ではあるのですが、それ以上に教会のシスターとしての立場を最重要視されておられる方ですので……区同士の『争い』に加担するということは難しいのではないかと……」

「……げ…………」


 シスターとしての立場。

 そうだった……あいつ、シスターだ。

 全区に平等な教会が四十二区のために力を行使するわけにはいかないのではないか……何より『争い』に参加なんて……


 …………ヤバい。


「ちょ、ちょっと確認に行ってくる!」

「あ、あの、わたしは……っ?」

「店があるからな、俺一人で大丈夫だ! ナタリア、すまんがしばらくジネットのサポートをしてやってくれないか?」

「ナタリアねぇ~、美味しいケーキが食べたいなぁ~」

「好きなもん食っとけよ! 俺が奢ってやるよ!」

「申し訳ございません。まるで催促をしてしまったような格好になってしまいまして」

「あそこまであからさまな催促もそうそうねぇぞ!? とにかく、よろしく頼むな」

「はい。何があろうと、必ずやお守りいたします」


 まぁ、何もないだろうとは思うが、念のためにな。


「では、よろしくお願いしますね」

「はい。もっとも、これほど穏やかな日に、何かあるとも思えませんが」

「いえ、あの……」


 俺と同じ発想のナタリアに対し、ジネットが少し照れくさそうに頬を染めて、こんなことを言った。


「ここ最近、いえ、もっとずっと前からなんですが……賑やかで楽しい日が続きましたもので、その……一人になると不意に寂しくなってしまうようになってしまって……子供みたいでおかしいですよね、わたし」


 困った顔で笑みを浮かべる。

 その表情は、先ほどの発言に嘘がないことを如実に物語っていた。


 ……一人は、寂しい。


「ヤシロさん」

「え…………あ、なんだ?」


 ナタリアに向けていた体をこちらに向け、そしてゆっくりと腰を曲げる。


「お早いお帰りを、お待ちしていますね」


 顔を上げたジネットはいつもの笑顔を浮かべていて…………今のは、冗談……なの、かな? ……なんて、少しだけどぎまぎとしてしまった。


「き、教会に行くだけだろうが。大袈裟だよ」

「うふふ……すみません。お気を付けてくださいね。この前のように魔獣が入り込んでこないとも限りませんから」

「あぁ、それなら、メドラがもう討伐隊を差し向けてくれたらしいぞ」

「そうなんですか。では、もう安心ですね……よかったぁ」


 胸に手を置き、ほっと息を漏らすジネット。

 大きな胸がゆっくりと上下する。


「店長さん。エロい視線が狙っております」

「え? きゃっ!」

「いや、こら。そんな目で見えてねぇわ」


 ジネットもジネットで「きゃ」じゃねぇっての。


「ヤシロ様にその気がなくとも、ヤシロ様のエロスは抜き身の刃のようなもの……視界に入るものすべてが辱められていると言っても過言ではないのです」

「……お前、ホント仕事でなんかあったのか? ストレス溜まってんじゃねぇの?」

「溜まっているのはヤシロ様でしょう!?」

「卑猥な決めつけしてんじゃねぇよ!」


 まったく。誰が抜き身の刃のようなエロスか。


「俺の本気も知らずに、よくそんなことが言えるな……見せてやろうか? 俺の…………本気ってヤツをなっ!」


 はぁぁぁぁあああああっ!

 これが、俺の…………本気だぁぁあっ!


 ――カッ!


 ロックオン! 

 エネルギーフルチャージ――解放っ!

 喰らえ、コレが、全力の…………エロい目っ!


 おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!(ぽいんぽい~ん!)

 おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!(ゆ~っさゆさ!)

 おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!(挟まれたいな、あの谷間!)

 おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!(横乳下乳チクチラわっしょい!)

 おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!(まだ見ぬエルドラド!)

 おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい!(少年よお乳を掴め!)


「ヤ、ヤシロさんの目が、ヤシロさんの目がぁぁぁあっ!?」

「て、店長さん! ここは危険です! 早く避難をっ!」

「ジネットからの~……ナタリア、ロックオン!」

「きゃああああっ!」

「ナタリアさん、お気を確かにっ!」

「再びジネットォッ!」

「にゃぁああっ!?」

「店長さん! 早く逃げてっ!」


 ……何やってんだ、俺ら?


「……じゃ、行ってくるな」

「はぁはぁ……はい。お気を付けて…………はぁはぁ……」

「はぁ……はぁ……なんだったのでしょう……今の時間は……まったく、ヤシロ様は……まったく……」


 謂れなき非難はサラッとスルーして、俺は教会へと向かう。

 正直、ベルティーナが不参加になるとかなりマズい。

 苦戦するどころの話じゃない。勝利すら危うくなる。


「餌をチラつかせて動いてくれるような相手なら、交渉も楽なんだけどなぁ……」


 なんだかんだで、ベルティーナはシスターとしての職務をまっとうしている。

 教会のガキどもが体調を崩せば、新米ママのようにおろおろし、それでも絶対に諦めずに献身的に看病をする。

 ガキどもと同じ空間、同じ場所、同じ世界の中にきちんと存在し、一喜一憂を共有している。

 ガキどもの件だけでなく、慈善活動にも積極的で、一人暮らしの老人の家なんかを回っているらしい。

 陽だまり亭も、そんな中のひとつだったのかもしれない。昔は爺さん一人でやってたらしいからな。

「シスターは、何よりも人々の心の安寧を願っておられるんですよ」と、何かの時にジネットが言っていた。

 心の安寧。……争いとは対極にあるものだ。

 やはり、参加してもらうのは難しいのか……


 考えがまとまりもしないうちに、教会が見えてくる。

 門の前をお手製の竹ぼうきで掃き掃除している人影があり、それは紛れもなくベルティーナだった。


「あら。ヤシロさん」


 きゅるる~……と、ベルティーナの腹の虫が鳴く。


「うふふ。いけませんね。最近はヤシロさんを見るだけでお腹が鳴ってしまいます」

「パブロフのイヌかよ……」


 俺が美味そうに見えてるってわけじゃないよな?


「教会に何かご用ですか? お一人でお見えになるなんて珍しい。あ、まさかまたジネットに卑猥なことを言って怒られたのですか? 懲りませんね、ヤシロさんも」


 まぁ、卑猥なことは言ったが、懺悔しろとは言われてないな。


「少し、ベルティーナさんにお願いしたいことがありましてね」

「あらっ、私にですか? 少々お待ちください」


 ぱぁっと表情を輝かせて、ベルティーナは竹ぼうきを持って教会の敷地へと入っていく。ほうきを片付けに向かったらしい。


「お待たせしました。さぁ、中へどうぞ」

「あぁ……いや、ちょっと静かに話したいから、この辺でいいや」


 教会の中に入ればきっとガキどもに絡まれてゆっくり話が出来なくなってしまう。

 外で話す方がいい。


「でしたら、河原までお散歩でもいたしましょうか?」

「あぁ、そうだな。そうしてくれると助かる」

「うふふ……」


 口に手を添えて、ベルティーナが上品に笑う。

 なんだ? 俺、なんか変なこと言ったか?


「ヤシロさんは、最初は敬語を頑張るんですが、すぐに戻ってしまいますね」

「あっ……すみません」

「いいえ。ヤシロさんの言葉には悪気が感じられませんので……最近はその口調も可愛く思えてきました。出来の悪い子ほど可愛いと言いますしね」

「悪かったな……出来が悪くて」

「うふふ……可愛いですよ」


 微笑みながら、俺の頭をちょこちょこと撫でてくる。

 その手つきは、俺がガキだった頃女将さんに撫でられた時の手つきに似ていて……少し、言葉に詰まった。


「あ、そうだ。竹ぼうきは、どうだ?」

「えぇ。とても使いやすいです。葉っぱや大きなゴミだけが掃けて。重宝していますよ」


 ミリィに竹をもらってから、竹があるならと竹ぼうきを作ったのだ。

 ジネットにやったところ、非常に喜んでもらえて、「シスターにも是非!」とおねだりされた結果、教会へ三本ほど寄贈したのだった。


 そんなどうでもいいことを話しているうちに、俺たちは河原へとやって来ていた。

 う~む、どう切り出せばいいものか……


「何か、話しにくいことですか?」


 俺がうわべで会話をしているのは百も承知だったようで、川辺の少し落ち着ける場所まで来たタイミングで、ベルティーナがそう切り出してきた。……敵わないな、やっぱ。


「えぇ、まぁ。言いにくいというか……なんと言っていいものか……」

「おっぱいは見せませんよ?」

「なぜ話がそこに飛ぶ!?」


 一瞬とはいえ見直した瞬間に失望させる発言をすんじゃねぇよ!


「いえ。ヤシロさんはそういうのがお好きだと、噂を耳にしたものですから」

「……どこで広まってるんだよ、そんな噂…………発信源の薬剤師には心当たりがありまくるんだが……」


 まぁ、出所はアノ薬剤師だろう。……大会にエントリーしといてやろうかな、あいつに黙って。「バックレると四十二区が終わる」とか、脅しをかけつつ……


「街のみなさんが、ヤシロさんのことを好いている証拠ですね。ヤシロさんの噂はすぐに広がるんですよ?」

「大袈裟だし、ちっとも嬉しくねぇよ」

「大袈裟ではないですよ。仮に、『ヤシロさんは膝枕が好きらしい』という噂を私がこの後流したとしたら、明日のお昼には噂の真偽を確かめに来る人が現れるでしょう」

「……どこの田舎町だ、ここは」


 そういえば、女将さんもやたらと情報通だったっけな……


「ヤシロさんは、四十二区にはなくてはならない存在になっていますからね。いつも面白いものはヤシロさんから発信されるって、ウチのハムっ子たちも言っているんですよ」

「あいつら弟妹はそう言って遊んでいるだけだよ」


 まぁ、そのハムっ子たちも、教会の年少組を残してみんな四十一区で仕事をしている。変な噂が広まることは、しばらくはないだろう。

 ハムっ子弟妹の活躍で、四十一区の道路整備は驚異的な勢いで進んでいるらしい。

 これまでその労働力を使用していなかったってのが信じられないくらいの大健闘だ。


「それでは。お話を伺いましょうか」

「あぁ……そうだな」


 雑談で、緊張は少し解れたでしょうとばかりに、ベルティーナが優しい笑みを向けてくれる。こんな笑みを向けられたら、ガキどもは素直に言うことを聞くだろうな。隠し事なんて、出来るはずもない。


「実は……知ってるとは思うが、大食い大会を開催することになった」

「はい。存じていますよ。先日のデモンストレーションでは、美味しいものをたくさん、ありがとうございました」


 その礼はアッスントに言ってやってくれ。

 あれで相当な赤字を出したようだしな。

 もっとも、おかげで領民への説明がスムーズにいって、且つ領内のモチベーションは急上昇したわけで、ヤツの出費も決して無駄なわけではない。


 ……なんてな。

 あとでエステラがちゃんと立て替えたらしい。区の行うイベントだからと。

 アッスントはすげぇホッとした顔をしていたっけな。


「それで、その大食い大会なんだが……出場してもらうわけにはいかないか? シスターとしての立場的に難しいかもしれないと、ジネットは言っていたんだが……」


 おぅ……どうした俺。

 こちらの要望の後に言い訳じみた補足をつけるなんて、らしくないじゃねぇか。


 ちらりと顔を窺うと、ベルティーナは我が子を見つめる母のような、慈愛に満ちた目をして俺を見つめていた。

 そして、落ち着いた声で答える。


「そうですね。シスターとして、他者との争いに与することはあまり好ましいことではありませんね」


 はっきりと、そう言い切られてしまった。


「勝敗により、どちらかが大きな利益を得るような場合は、特に」


 ……だよ、なぁ。

 ベルティーナの参加によって、戦局は大きく変わる。

 冗談抜きで、この付近三区のパワーバランスをひっくり返すほどの巨大な一手だ。

 ……やはり、教会がそこまでの影響を与えるわけにはいかないか。


「ですが……」


 ふわりと、桜のような香りがして、柔らかい温もりが俺を包み込む。

 ベルティーナがそっと両腕を伸ばし、俺の頭を抱きかかえるようにして、自分の胸に引き寄せる。

 ぽっ、ぽぃ~んってしてるんっすけど!?


「ヤシロさんのことを思う一人の人間としてなら、参加は可能ですよ」


 服装のせいでそうは見えないダイナマイツなおっぱいに埋もれながら、そんなことを言われたら勘違いしてしまいそうになる。


「ふふ。といっても、母親が子を思うような感情ですけどね」

「は、母親……っ!?」

「ヤシロさんは、とても可愛いですから」

「い、いやいやいや!」


 そうか、子供扱いだからここまで躊躇いなくおっぱいをサービスしてくれてるのか。

 し……心臓の音が、聞こえる…………


「ヤシロさん……あなたは、何度も私の子供たちを救ってくださいましたね」

「何度もって……大雨の時だけだろ……」

「いいえ。ジネットも、私の可愛い子供ですから」

「……それにしたって…………何度もってほどじゃ……」


 頭を抱く腕にギュッと力がこもる。


「この街を救い、住みよい街へと発展させてくれた……そのことで、これから先、どれだけの人が救われるでしょう。そして……人々が裕福になれば、不幸な目に遭う子供たちも減ることでしょう…………」


 それは、落ち着いた声で……だが同時に、悲しい声だった。


「この街の人間はみんな、私の可愛い子供たちなのです。同じ家で暮らしていようとも、遠く離れていようとも……私は、みんなを平等に愛しています」


 年齢が俺たちとは一桁違うベルティーナは、この街の現住民たちが生まれた時のことを覚えているのだろう。

 かけがえのない、大切な、可愛らしい我が子のように思っているのだろう。

 独占するでも、おせっかいを焼くでもなく、ずっとあの教会にいて、いつでも誰でも、そこへ帰っていける……そんな場所を、ベルティーナはずっと守り続けているのだ。


「あなたは何度も子供たちを救ってくださいました。そのあなたが、大切な場面で私を頼りにしてくれた…………これがどれほど嬉しいことか、ヤシロさん、あなたには分かりますか?」

「いや……」


 俺には、ただ図々しい話だよなとしか……


「いつも一人で頑張るあなたの力になりたい。弱みを見せず孤独に戦うあなたを支えたい。そう思っている人は、きっとたくさんいるはずですよ」


 いや、いつも誰彼構わず巻き込んで……


「ヤシロさん。頼るというのは、自分の弱みを見せることです。重い荷物を誰かに背負ってもらうということです。あなたがこれまでしてきたことは、すべての責任を一人で背負い込み、成功して得た報酬をみんなに配る……そんな、孤独な戦い方なんですよ」


 俺は……孤独…………だったのか。


 いや、当然だろう。

 俺は詐欺師で……ここの連中みたいにお人好しが服を着て歩いているようなヤツを俺と同じ場所に引き摺り込むわけには……


「ヤシロさん」


 いちいち名を呼ぶ。

 その度に……くそっ……いちいち安心する。


「あなたの周りには、あなたに頼ってもらいたいと思っている人がたくさんいるのではないですか? 頭のいいあなたなら、それに気が付いているはずでしょう?」

「…………」


 …………あぁ、くそ。

 いい匂いだな……ベルティーナ。なんか、色々回りくどく考えるのが嫌になってくる……


「私は、あなたに頼ってもらえて嬉しかったですよ。あなたのためになら、教会にちょっと怒られるくらい、どうということはありません」

「ちょっ!?」


 ベルティーナの腕をはねのけ、体を離す。

 教会から怒られるって……それはマズいだろう!?

 もし、あの教会がなくなりでもしたら……いや、教会が存続しても、そこにベルティーナがいなくなっちまったら……っ!


「大丈夫ですよ」


 ベルティーナの腕が伸びてきて、再び俺の頭を抱え込む。

 また、ほのかに桜の香りがした。


「怒られると言っても、何があるわけではありません。それに、我が子のために頑張るのは、母として当然のことでしょう?」

「……母親なら、おっぱいの一つでも吸わせてもらいたいもんだな」

「うふふ……エッチな発言はダメですよ。ですが、そんなことが言えるのなら、もう大丈夫ですね。もう、泣いたりしませんね」


 そう言って、後頭部を優しく撫でてくれる。

 ……誰が泣くか、こんなもんで………………


「任せてください。ヤシロさんには、私が付いています。ヤシロさんの思うがままに突き進んでください。私が全力でサポートいたしますから」

「……あぁ。助かる」


 ベルティーナがいれば、ウチの勝率は跳ね上がる。

 あぁ……話しに来てよかった。


「その代わり、頑張ったらちゃんとご褒美をくださいね」

「……何が食いたいんだよ?」

「一度、ケーキの全部食べということをしてみたいです。あと、お子様ランチも食べてみたいです」

「……シスターがそんな取り引きしていいのかよ?」

「パパに甘えるのは、娘の特権ですから」

「あのなぁ……」


 母だったり娘だったり……忙しいヤツだ。


「任せとけ。ちゃんと勝てたら、新作ケーキも入れて、ケーキ全部盛りを作ってやる」

「それは……俄然頑張らないといけませんね」


 ベルティーナの静かな笑い声を聞きながら、「あぁ、花が咲く音がするなら、こんな感じかなぁ」なんて、ポエマーみたいなことを思ってしまった。

 絶対誰にも言わないけど。


 かくして、なんとかベルティーナの参加を確定させた俺は、少し茹だった顔を冷ましつつ、とぼとぼと陽だまり亭へと戻った。

 外出時間は一時間半くらいか。


 店内に入るなり、客が一人もいないフロアでナタリアがこんなことを言ってきた。


「ヤシロ様。こんな噂を小耳に挟んだのですが……ヤシロ様は膝枕がお好きというのは本当ですか?」



 噂……広まるの早過ぎるだろう…………






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