123話 四十二区の一品

 三者会談から、早くも三日が経っていた。

 領民への説明会、兼、王者二人の実力を領民に知らしめるイベントも無事終わり……まぁ、若干一名致命傷を負ったブタ顔の商人がいるが、あれは自分で言い出したことなので気にしないでおく……俺たちは四十二区を代表する料理を考えるために陽だまり亭に集まっていた。


 なんで陽だまり亭が会場になっているのかと言えば、ウーマロが設計したこのキッチンが、広く使いやすく、機能的だからに他ならない。

 なんでも、四十二区の飲食店の間では「リフォームするならトルベック工務店に!」というのがトレンドらしい。以前ケーキを教えた際に、ここのキッチンを見たシェフ連中が噂を広めたらしい。どいつもこいつも興味津々に見ていきやがる。

 なんつうか、凄い宣伝効果だな。今度ウーマロから広告費を取ろっと。


 んで、ここに集まったみんなというのは、四十二区に店を構える飲食店ギルドの加盟店の面々と、行商ギルドやマーケットの関係者、そして、エステラだ。

 生産者たちも立ち会いたいと言っていたのだが、いくら陽だまり亭のキッチンが広くともそこまでの数は入れない。


 可動式の壁をフルオープンにして、収容可能人数を最大にする。それでもちょっと狭いくらいだ。

 まずはフロアで話し合い、いい案が出たらキッチンで試しに作ってみる、という算段だ。


「これが、競技で使用されるお皿だ」


 エステラが直径30センチほどの大きなお皿を掲げて見せる。

 デカい。


 昨日一昨日と、エステラはナタリアを伴って他の領主たちと会談をしていた。そこで、皿の大きさや日程等、細かいことを決めてきたのだ。

 俺が参加しなかったのは、メドラやハビエルが参加しないからだ。不公平になると追い出されてしまった。

 完全に参謀扱いだもんな……俺は友人のよしみで助言してるだけなのに。

 友達がオーディション受けるっていうから一緒にノリで履歴書出しちゃった、くらいの軽いノリなのに。……あ、それ俺だけ合格しちゃうフラグだな。


「でもさ、これだけお店があって、その中から四十二区の代表を選ぶなんて、そもそも不可能なんじゃないの?」


 ゴールデンレトリバーのような耳を頭から垂れさせて、カンタルチカのパウラが発言する。

 少し不服そうな表情だ。


「大会じゃ、一度回ってくるかどうかってところなんだよね? だったら、みんな自分の店の料理を宣伝したいに決まってんじゃない」


 パウラの言葉に、多くの者が「うんうん」と頷く。

 他区の人間が大勢集まる場で、自分の店の名物料理が紹介されれば、それを食べてみたいと思った客がどっと押し寄せてくることだろう。人気は集中し、一強になるかもしれない。いや、なるだろう。

 まさに、『四十二区の名物』となるわけだ。


 ……出す料理が一品だけならな。


「その点は、ヤシロに案があるそうなんだ。ヤシロ、みんなに話してあげてくれるかい?」

「おう」


 エステラに促され、俺はのそりと立ち上がる。

 陽だまり亭の関係者である俺の話ってだけで聞く耳持たない者もいるかもしれんが…………と、思ったのだが。


「ヤシロが何か考えてくれてるんなら、まぁいいか」

「そうですね。彼ならいい案を出してくれるでしょう」

「ほら、みなさん。お静かに。ヤシロさんの話が始まりますよ」


 ……なんだ?

 なんか、みんなやけに素直な気が……あぁ、アレかな? ケーキの売り上げが思いのほかよかったから、とか?

 まぁ、話を聞いてくれるってんなら、それに越したことはない。下手な反発に遭うと時間と体力と精神力を浪費してしまうからな。


「え~、まず最初に。四十二区は美味い物が多い」

「おっぱいの話かしらね」

「きっとそうね」

「ヤシロさんだもんね」

「おい、そこ! 私語は慎め! そして、俺への評価を改めやがれ!」


 無駄口を叩いた参加者を注意して、俺は再び話し始める。


「飲食店の数だけ名物があり、どの店も自慢の一品を競技に出したいだろうと思う」


 俺の話を、参加者は「うんうん」と聞き入っている。


「どこかの店だけしか出品出来ないとなると、不平不満も出てくるだろう。そこで、俺からの提案なんだが……」


 ここで俺は、ベッコに頼んで作ってもらった食品サンプルを取り出す。


「大人用お子様ランチ、『大人様ランチ』を提案する!」


 大きな皿に、多種多様なおかずが載った、大人用のお子様ランチ。まぁ、プレート料理だな。


「わぁっ!」

「ちょっ! 立つな! 見えないだろ!」

「見せて見せて!」

「あ、ウチのフライが載ってる!」

「あれ、コレ、ウチのポテトか?」


 どっと、参加者が押し寄せてくる。

 ……子供か!?


「じゃあ、見ながらでいいから聞いてくれ」


 わいわいと賑わう参加者に向かって、俺は大人様ランチのコンセプトを発表する。


「どこか一つの店を選ぶと角が立つから、じゃあいっそ全部のっけちまえってのがコンセプトだ」

「あのぉ……ウチのメニューが無いんですけどぉ」


 おっとりしたご夫人が手を上げる。

 あれはオーガニック料理を扱ってる店のオーナーだな。


「エビフライにタルタルソースがついてるだろ?」

「あ、はい。ありますね」

「それがお前んとこだ。お前んとこのタルタルソースは、お世辞じゃなく絶品だ」

「まぁ~っ!」


 こいつの店では、タルタルソースでスティック野菜を食べるのだが、そのタルタルソースが驚きの美味さで、是非このタルタルソースでエビフライを食ってみたいと思っていたんだ。


「とりあえず、これは各店から聞き取りをした結果考えられた第一案だ。今から実際作ってみて、適宜修正をしていきたいと思う。全員、食材は持ってきてくれてるよな?」

「は~い!」

「よっしゃじゃあ、いっちょ作るか!」

「ウチもハンバーグ出したいなぁ」

「あとで教えてもらえないかな?」

「いや、無理でしょ」


 賑やかに、かしましく、各店の料理番たちが厨房へと入っていく。


「ヤシロさん。わたしたちも負けてられませんね」


 ジネットが俺の隣で腕まくりをして、力こぶを作ってみせる。……いや、すげぇぷにぷにだけどな。摘まみた~い。


 ……ぷにょん。


「にょっ!?」


 あ、いかん。摘まみたい衝動が抑えきれなかった。


「あ、あの……すみません、鍛えていませんもので……ぷにぷにで……」

「いやいや。ぷにぷにの方がいいんだよ。間違ってもメドラみたいにはなるなよ」

「わたしでは、あの高みには到達出来ません」


 うふふと、ジネットが笑みを零す。

 なんだか、最近ジネットの表情が前にも増して柔らかくなった気がする。


「……? どうかしましたか?」


 こうやって、俺をジッと見つめて、小さな変化に気付き、問いかけてきたり。なんてことを、最近はよくするようになっている。

 今までは店や自分のことで精一杯って感じがあったんだが……マグダたちが戦力として成長したおかげでゆとりでも出来たのだろうか。


「ジネット」

「はい」

「ゆとりがあるな」

「おっ、お肉のことでしょうかっ!? す、すす、すみません……最近なんだか食べる物がみんな美味しく感じられて……つい…………以後節制に励みます……」


 ん?

 いや、別にそういうつもりで言ったんではないのだが……

 ちょっと傷付けてしまっただろうか。


「……これ以上、大きくなると…………困ります、もんね」


 と、大きな胸を押さえて呟く。


「おっぱいが育つのは大歓迎だっ!」

「のゎぁああっ! こ、声が大きいです! あぅっ! あのっ! みなさん、なんでもないんです! これは、その、とにかく、なんでもないですっ!」


 こちらへと視線を向ける参加者たちにペコペコと頭を下げるジネット。

 耳まで真っ赤だ。


「ももももぅ! ヤシロさんのせいで、は、恥ずかしかったじゃないですかっ! もう! もう! もう!」


 俺を三度ほどぱかぱかと叩いて、赤い顔をしたまま「厨房に行ってきますっ!」と、俺を残して走っていってしまった。

 周りにいる連中がニヤニヤとそんなやり取りを眺めていた。

 んだよ。見んじゃねぇよ。


 ヤシロさんのせいで……なんて、これまではあまり口にしなかったよな。

 それだけ、俺という存在に心を許しているということなんだろうな。


 …………ふむ。


 なんだろうか、この感じ…………



「ヤシロ」


 考え事をしていると、エステラが突然目の前に現れた。


「ぅおう!? ……脅かすなよ」

「どうしたのさ、ボーっとして?」

「いや、おっぱいのことをちょっと考えていて……」

「聞いて損したっ!」


 エステラが呆れ果てたような目で見てくる。

 うん。なんだろう、こういう感じの方がしっくりくるんだよなぁ…………え、俺って罵られるのが好きなの? え、マジで?


「それにしても考えたよね。お子様ランチの大人バージョンだなんて」

「店の数に対し、出せる回数が絶対的に足りないからな」

「それで、全部載せちゃえって? 発想が極端過ぎるよね。でも、いい案だと思うよ」

「まぁ、大人プレートはどこに行っても食えないんだけどな」

「なら、期間限定でどこかの店で出してみたら?」


 エステラが思いがけないことを言ってきた。

 各店から一品ずつ提供してもらう大人様ランチは、どこかの店で出すことが出来ない。

 だが、期間限定でなら……例えば、大食い大会開催中に四十一区に借りる食堂でのみ販売するとか……それ以後は大通りに場所を設けて……いや待て、イベントがあるごとに特別販売ということにすればプレミア感がついて……


「エステラ! ナイスアイディアだ!」

「え? ホ、ホント!?」


 期間限定で食べられるスペシャルな料理。

 季節の定番になるかもしれんな。まぁ、季節が無いんだが……毎年この時期になると食べられる物ってのは一定数の売り上げを危なげなく叩き出してくれる。

 土用の丑とか、冷やし中華とか、クリスマスケーキとか。


 うん。悪くない案だ。


「へへ……ヤシロに褒められると、なんか嬉しいな」


 やけに上機嫌なエステラが、もじもじとしてはにかんでいる。


「俺に褒められるくらいなんだよ? そんな価値ねぇぞ」

「だって、ヤシロの頭の中ってボクたちには想像がつかないんだもん。そのヤシロが思いついてないことを提案出来たって……へへ、ちょっと自慢しちゃいそうだなぁ」

「大袈裟だっつの」


 俺は別に諸葛孔明でも真田幸村でもねぇぞ。


「でも、ホント。ヤシロがいてくれてよかった」

「なんだ? お世辞のお返しか? いらねぇよ、そんなもん」

「お世辞じゃなくて」


 エステラが俺の手を取り、真っ直ぐに目を見つめてくる。


「君がいなければ、きっと四十二区は何も変わっていなかった。……いや、きっと大雨の被害で壊滅していただろう……心から感謝しているよ。ありがとう、ヤシロ」

「………………が、柄じゃねぇよ」


 物凄く居心地が悪い。

 なんだろう……エステラが真面目だと不安になる……やっぱり俺って罵られるくらいのが好きなのかな?


「ヤシロはもう、四十二区には欠かせない存在になっちゃったね」

「……え?」

「いっそのことさ…………領主とか…………やってみ………………ぅああああやっぱりなんでもない! もう、ヤシロのバカッ!」

「どぅっ!」


 理不尽なパンチをみぞおちにもらい、俺はその場に蹲る。


「は、恥ずかしいっ!」


 そんな言葉を残して走り去っていくエステラ。

 どんな顔をしていたのかは知らん。蹲っていたからな。


 ……しかし、なんなんだよ、これ。

 この……言いようのない不安感は。


 何かがちぐはぐなんだ。

 大会前だってのに妙に穏やかだからか? 

 それはあるかもしれない。ここにいるヤツらは勝負のことなんか何も考えていない。

 宣伝の方に重点を置いている者は、今の状況を楽観的に受け止められるだろう。

 結果如何にかかわらず、自分の店の名物を宣伝出来るのだから……


 だが、もし勝負に負けたら……


「まさか、リカルドが四十二区を乗っ取るなんてことは……思っちゃいねぇが」


 街門を作ることで、四十一区にかなりの恩恵が出ることを説明し、納得させられれば、今回の大会でどの区が優勝したとしても街門は作れるだろう。

 だが、工期は遅れる。それも大幅にだ。

 今でさえかなり遅れてるってのに……早くしないと……………………早く、しないと………………どうしよう、特に困ることがない。


 いや、確かに、早いに越したことはないんだ。

 早く完成すれば、その分街道は早く開通するし、陽だまり亭は晴れて街道沿いという好立地を手にすることが出来る。


 それが遅れたとしたら…………特に、困らない、か?

 あれ? もしかして、今回の大会……負けてもいいの?


「いや、そんなわけねぇだろ」


 思わず自分にツッコミを入れてしまった。

 負けていい勝負なんかありはしない。負けても巻き返せるってだけで、勝つに越したことはないんだ。

 試合に勝って、正々堂々、誰にも文句を言わせずに街門を作るんだ。


 そのためには…………強力な選手が必要だな。

 ベルティーナとマグダは確定として、デリアとウーマロの実力を見ておくか……そして、残りのメンバーを誰にするか…………予選大会でもするか。


「ねぇ、ヤシロ」


 頭上から、パウラの声が降ってくる。


「床に蹲って何ブツブツ言ってるの?」

「……諸事情により立ち上がる気力を奪われたんだよ」

「そんなところで蹲られると、近くを通れなくて困るんだけど?」

「なんでだ?」

「なんでって……」


 顔を上げると、パウラの白く眩しい太ももが目に入った。もう少し姿勢を低くすれば短いスカートのその奥が覗けそうだ…………


「遠慮なく通ればいい。俺も遠慮なくスカートを覗き込むから」

「そうされるから通れないって言ってんの!」


 解せん。

 通ればいいのに。むしろ通ってください!


「ヤシロさ~ん、試作品が出来ましたよ~」


 ジネットが大皿を持ってフロアに戻ってくる。

 皿がデカくて、蹲っている俺にはその出来栄えが見えないが、その代わりふわふわと翻るメイドのミニスカが素晴らしい位置で堪能出来る!


「ジネット、ちょっとこっち来てくれるかな!?」

「いえ、その体勢ですと……その、見えてしまいますので」

「だからこそじゃないか!」

「もう! 懺悔してください!」


 見せられないということは、すけすけなんだろうか?

 きっとすけすけなんだろうな。

 今日は飲食ギルドの面々が集まる特別な日だもんな。きっとすけすけの勝負パンツなんだろう。そうに違いない! 反論の余地がない!


「おい、すけット」

「ジネットですっ!」


 テーブルに大人様ランチを置き、蹲る俺の腕を引っ張って立たせるジネット。

 なんか介護されてる気分だ。


「とにかく、出来栄えを見てください」

「ん? …………おぉ!」


 テーブルに置かれた大人様ランチに視線を向けると……


「デッカッ!?」


 凄まじいボリュームだった。

 俺はこれを一皿完食する自信がない。

 つうか、一般人には無理だ。


 大皿に山と積まれたおかずたち。

 ハンバーグやソーセージのような食べ物が、折り重なるようにして積み上げられていた。


「多過ぎだろ」

「で、でも。みなさんが普段使っている食材を使うとこれくらいのボリュームに……」

「なんでミートボール八個も載ってんだよ?」

「一つだと存在感が薄れるから、とおっしゃるもので……」


 こんなに我がが我ががとてんこ盛りにしたのではかえって逆効果だ。

 メインメニューじゃない連中は数で存在感をアピールしようとしているらしい。

 そのせいで、全体的にメリハリがなく、ごちゃ混ぜ感が半端ない。……これはダメだ。


「しょうがねぇな……」


 まさか、大人様ランチにもアレが必要になるとはな。


 一度厨房へと引き上げ、大皿の上から余剰分を取り除き、量を調節して見栄えをよくした。

 そして、存在感の薄いサイドの連中にとある仕掛けを施す。


「よし、これでいいだろう」


 単純な解決法で、ミートボールに店のエンブレム旗付きのつまようじを刺したのだ。


「おぉ! ウチのエンブレムが!」

「なんだか誇らしげなミートボールに!?」


 サラダやタルタルソース等、旗が刺せない連中がいるので。旗は皿ごとに順番に使用することにし、一皿に一本、ミートボールに刺すことにした。


「んじゃあさ、いっぱい食べてもらった方がいいんだよな?」

「そうだな。皿の数が増えれば、ウチの旗の登場回数も増えるもんな」

「載せる量、もうちょっと調整しねぇか?」

「賛成賛成!」


 方向性を見出すと、途端に議論が活性化し、ああでもないこうでもないと参加者全員がアイディアを出し合った。

 四十二区を代表する最高の逸品を作るために、時には身を引き他者を立て、時には我を通してでも主張し、大人様ランチはどんどんブラシュアップされていった。


「凄いよね」

「ん?」


 議論を交わす参加者たちを眺め、エステラが囁くように呟く。

 視線は参加者に向けたまま、声だけを俺に向ける。


「少し前までは、与えられた不遇を黙ってただ享受するだけの、よく言えば大人しい、悪く言えば無気力な街だったんだよ、ここは」


 俺が初めて訪れた時、四十二区の空気はどこか淀んで、陰鬱とした雰囲気が漂っていた。


「誰かに頼るにも、自分の口では伝えず誰かが動き出すのをじっと待つだけの人ばかりだった」


 今の生活をなんとか維持する。それだけのために生きていた連中がほとんどだった。

 悪意も理不尽も「まぁ、しょうがないよな」と甘んじて受け止め、今思えばあの頃の四十二区は消える直前のロウソクのような状態だったのかもしれない。

 まだ火は点いている。

 だが、それ以上何もすることは出来ない。改善することも、もう一度燃え上がることもない。

 まだ火が点いている。ただそれだけの、あとは消えるのを待つだけの……そんな状態だった。


「大通り劇場を見た人や、ケーキを食べた人たちが、『よし、自分も何かやってみよう』って喚起したんだよ」


 エステラの瞳がチラリとこちらを見る。


「……誰かさんのおかげでね」

「ふん…………結果論だろ」


 どんなきっかけがあろうがなかろうが、変われないヤツは変われない。

 きっかけがなくても、変わるヤツは変わる。


「その時期にたまたま俺が街をうろついてただけだ。そこに因果関係なんかねぇよ」

「ふふ……まるで善人アレルギーでも持っているかのような拒否反応だね。君は善行を積むと死んじゃう病気なのかい?」


 ……似たようなもんだ。

 俺は詐欺師で、悪人だ。


 お前ら全員、まんまと騙されてるだけなんだよ。気付けバーカ。


「ヤシロさん!」


 議論を交わす参加者の輪から離れ、壁際で会話をしていた俺たちの前に、ジネットが小走りでやって来る。

 お~お~、ぷるぷるさせちゃってまぁ。


「あの! トマトソースパスタを使ってもいいですか? 『もう、ここにはトマトソースパスタしかないのではないでしょうか』という感じになっているんですが!」


 なんだかジネットが興奮している。

 こいつが積極的に自分の意見を言うなんて……教会と食堂のこと以外では珍しい。

 よほど楽しいのだろう。


「好きにしろ。ここの店長はお前だ。トマトスパでもナポリタンでも」

「なぽりたん? なんですか、それ?」

「あれ、作ったことなかったっけ?」

「こ、今度是非教えてください!」

「おう。おっぱいプリンと一緒に教えてやる」

「そっちはいらないです!」

「なんでだよ? 俺、メニューがおっぱいプリンだったら大食いで圧勝出来るかもしれないぞ」

「そんなことしたら、四十二区がおっぱいの街だって思われちゃいますよっ」

「『おっぱいの街』!? なにそこ、住んでみたい! それ、全面的に押し出さねぇか!?」

「もう、ヤシロさんっ!」


 ぽこりっ……と、ジネットが俺の頭にネコパンチを落とす。

 ふわっと撫でるような優しい手つきの、げんこつだ。


 こんなスキンシップは初めてだ。


「『めっ!』ですよ」


 頬を膨らませた後、すぐにいつもの笑顔を見せる。

 嬉しそうに、そして、少し恥ずかしそうに。


「あ、あの。では、トマトソースパスタを……えっと、ヤシロさん、さっきなんておっしゃいましたっけ?」

「ん? トマトスパか?」

「では、『トマトスパ』を使わせていただきますね」


 跳ねるようにお辞儀をして、ひらひらのエプロンとスカートを風にふわりと舞い上がらせて、ジネットは議論の輪へと戻っていく。

 四十二区の一員、陽だまり亭の店長としての責務を果たすために。


「変わったね、ジネットちゃん」


 ジネットの変化に、エステラも気が付いていたようだ。


「凄く明るくなった。前は、あんなに声を張り上げるなんてことはなかったんだよ」

「その分、お前が騒いでいたからだろう」

「ボクは変わってないさ」


 いいや。お前は変わった。

 何よりも、すべてを一人で抱え込む秘密主義をやめた。

 お前は、他人に甘えることを覚えたんだ。……だからお前は、もっともっと大きくなれる。

 他人に甘えられないヤツは、他人を甘えさせてやることも出来ない。


 エステラは、大きく成長するための助走に入ったのだ。いつ化けるかは……時間の問題だろう。


「もしかしたら、この街で変わってないものなんて何もないかもしれないね」


 スラムがニュータウンとなり、大通りに活気が溢れ、人の気配すらなかったこの陽だまり亭に、入りきらないほどの人が集まっている。

 確かに、四十二区は大きく変わった。

 四十二区に関係するもので、変わってないものは……確かに何ひとつないのかもしれない。


 だとしたら……



 相変わらず悪人のままの俺は……やっぱ、四十二区にとっては異物なのかもしれないな。


「「「「おぉーっ!」」」」

「お、いいものが出来たみたいだよ」


 エステラが半歩進み、振り返って俺を見る。

 見に行こうと誘ってくれる。


「ヤシロさん! 見てください! 今度こそ完璧です! これは、ちょっとばかり凄いものが出来ちゃったかもしれませんよ!」


 興奮気味に、ジネットが俺を手招きする。

 ここに来てくださいと呼んでくれる。


 こいつらが俺の居場所を作ってくれているんだなと……柄にもなくそんなことを考えてしまった。


「これが、四十二区を代表する料理! 『大人様ランチ』ですっ!」


 提示されたその料理は、量もバランスも見栄えも申し分ない、豪華で美味そうなランチプレートだった。いや、このボリュームだとディナー向けか。

 お子様をとうの昔に卒業した大の大人が見ても、子供の頃のわくわくを思い出し、思わずにやりとさせられる、そんな遊び心たっぷりの『大人様ランチ』が、今、誕生した。


「これで、大食いで負けても悔いはないですね!」

「いや、そこは勝たなきゃダメだから!」


 なんか、作り上げた達成感で本来の目的を忘れられている。

 飯はジネットとパウラに任せて、俺とエステラは選手の方に力を入れるかな。






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