108話 守るための攻め

 陽だまり亭に戻ると、そこには異様な空間が広がっていた。


「あ、ヤシロさん……!」


 ジネットが俺を見つけて駆け寄ってくる。


「いつからこの状況だ……?」

「それが……もう一時間近くも……」


 陽だまり亭の中には、筋肉ムキムキの厳つい男どもが十数名突っ立っていた。腰には、これ見よがしにデカイ剣をぶら下げている。

 どいつもこいつもデカい体つきで、何をするでもなく突っ立っている。

 中央の席に、ただ一人椅子に座っているロン毛の男がいた。

 ニヤついた顔で店に入ってきた俺たちを見つめている。


 他に客はいない。

 これくらいの時間なら、普段は子供連れのママ友グループがケーキを食いに来ているはずなのだが……新作ケーキを作ったってのに、これじゃあ台無しだ。


「君」


 短い言葉を発し、エステラが一人で椅子に座るロン毛の前へと歩いていく。


「これはなんのつもりだい? 営業妨害ならしかるべき処置を取らせてもらうよ?」

「営業妨害~? はぁ? なに言ってんだお前~?」


 神経を逆撫でするようなしゃべり方だ。

 そして、ニヤニヤと吐き気のしそうな顔でエステラを見つめる。

 人をおちょくって楽しんでやがるのだ。


「そこの姉ちゃんが『ごゆっくり』つったから、ゆっくりしてるだけなんだけどぉ~?」


 ジネットに視線を向けると、ジネットは困った顔をしてこくりと頷いた。

 ジネットはいつも『ごゆっくり』と言っている。

 なるほど……今度はこういう手で来たか。


「それとも何かぁ? ゆっくりしちゃいけねぇのに『ごゆっくり』なんつったのかぁ? んじゃあ、あの姉ちゃんはカエルになってもらうしかねぇなぁ?」


 ロン毛の言葉に、フロアを埋め尽くす男どもが一斉に笑う。


「常識的に考えて限度があるだろう!?」

「悪ぃなぁ~、オレ、常識がねぇ~んだわぁ~」


 また、男どもがドッと笑う。


 エステラが腹立たしそうに唇を噛む。

 こういう、最初から話し合うつもりのないヤツ相手に、理詰めは通用しない。 

 エステラが苦手とするタイプだろうな。


 よし、俺がちょっと探りを入れてみるか。


「すまんが、ここは『お客様』が寛ぐ場所なんだ」


 突っ立っている大男どもに視線を巡らせる。


「注文すらしていない『お客様ですらない人間』が長期滞在するのは、営業妨害以外の何物でもないよな?」


 そういう反論も想定済みだったようで、ロン毛の男は「待ってました」とばかりに舌なめずりをした。


「オレは、紅茶を頼んだぜ?」

「周りの男たちは?」

「こいつらは何も頼んでねぇ。だから、座ってねぇだろ?」

「座ってないから『滞在』にはならないと?」

「あぁそうだ。邪魔なんかしてねぇぜ。他の客が来りゃあすぐにでも退けるさ。席も空けてあるだろう? 好きに座ればいい。そうだろう?」

「じゃあ言ってやろう。邪魔だ」

「店員がお客様に向かってその口の利き方は感心しねぇなぁ」

「客ではないと言ったのはお前だったろう?」

「あぁ、そうだ。だが、これから客になるかもしれねぇ人間だぜ? それをそんな邪険に扱っていいのか? えぇ、接客業さんよぉ。悪い噂ってのは、あっという間に広まるもんなんだぜ?」


 それは、暗に『あることないこと噂を広めて無茶苦茶にしてやるぞ』という脅しだ。


「客ではない者が長時間店内に滞在するのは営業妨害だ。バカでも分かる理論だが、バカだから分からんか?」

「おいおい。調子ん乗ってっと殺すぞ?」

「そうしたら、すぐにでも追い出せるなぁ。やってみるか?」


 ハッタリ野郎にはハッタリだ。

 こいつは手を出してはこない。というか、手を出した方が負けなんだ、こういうのは。


「……ちっ。なかなか肝の据わったヤツがいるじゃねぇか」


 ロン毛が顔を歪める。

 だが、すぐにニヤケ顔を浮かべて俺を睨む。挑発的に。


「分かったよ。ここにいるヤツらは全員オレのダチで、オレに付き添ってここに来てくれたんだが……付き添いのヤツがそう長時間いりゃあ文句も言われちまうよな? 当然だよ」


 なんだ? 次は何を仕掛ける気だ。


「おい」

「へい」


 ロン毛が声をかけると、ロン毛の後ろに立っていた男が一人、テーブルに着いた。

 そして、ジネットに向かって野太い声で言う。


「客だ。メニューを持ってこい」

「え? あ、はい!」


 ジネットがカウンターへ戻りメニューを持っていく。


「茶だ。一番安いヤツを寄越せ」

「は、はい……」


 ジネットが俺をチラリと窺う。……まぁ、出すしかないか。

 俺が頷くと、ジネットは厨房へ入っていった。


「くはははは! さすがに『ごゆっくり』は言わねぇか! けっ! サービス悪くなったんじゃねぇーの、この店ぇー!」


 ロン毛の言葉に、大男たちがげらげらと笑い出す。


「で? これはなんのマネだい?」


 静かに怒りを溜めるエステラが、怒りのこもった声で尋ねる。

 その神経を逆撫でするように、ロン毛はいやらしい目つきでエステラを舐めるように見つめる。


「俺の付き添いは、たった今、そっちの男の付き添いに変わった」

「はぁ!?」

「まさか、客以外が立ち入り禁止ってわけでもねぇだろ? 少しくらいの滞在は許されるよなぁ? 何分だ? 何秒か? どれだけでもいいぜ、お前が決めてくれ。その時間が経った時点でそいつの連れじゃなくなる。代わりにオレの連れになるがな」

「そんな屁理屈が……っ!」


 声を荒げるエステラを、俺は止める。

 目の前に腕を出し、言葉を遮る。


 お前はしゃべらなくていい。こういうクズいヤツは……俺の獲物だ。


「よく分かったよ」

「へぇ。じゃあ、オレの言うことが正しいって認めんだな?」

「好きなだけいろよ。一年でも十年でも。気が済むまで居座り続けろ」

「はっはっはっはっ! そりゃいいな!」


 ロン毛は腹を抱えて笑い、ゆらりと立ち上がって、俺の顔面を凄く間近から覗き込んできた。

 ギラついた目が、すぐ目の前に迫る。


「んじゃあ、そうさせてもらうわ…………へひゃひゃひゃ」


 気味の悪い声で笑い、勝ち誇ったように肩を揺らして座席に戻る。

 どっかと腰を下ろして、これ見よがしに足を組んだ。


「ロレッタ」

「はいです」


 俺はロレッタを呼び、店の隅っこへと連れて行く。

 端のテーブルに座り、胸ポケットから紙とペンを取り出す。


「おつかいを頼む。お前はアホの娘だから忘れないように必要な物を書いてやるな」

「あたしアホじゃないですよ!?」


 ロン毛と大男たちの視線が集まってくるのが分かる。

 だが無視をして、俺は紙に『必要なもの』を書き込んでいった。


 時刻は……十六時前…………時間的にギリギリか。


「もし人手が足りなけりゃ、お前の弟妹に助力を頼んでもいいからな」

「そんなに買うものが多いですか?」

「買うものは少ないが、お前はアホだからな」

「アホじゃないです!?」


 俺は書き上げたメモをロレッタに渡す。

 ザッと内容に目を通し、ロレッタの瞳がきらりと輝く。


「分かったです! あたしに任せるです!」


 ドンと胸を叩いて、ロレッタはエステラの元へと行く。


「さぁ、エステラさん。あたしと一緒にお出かけですよ!」

「え!? ボクも!?」

「あぁ、行ってこい行ってこい。お前がここにいてもイライラしてるだけだろうしな」

「けど、ヤシロ……!?」

「いいから。……ロレッタを手伝ってやれって」

「………………」


 エステラがジッと俺を見つめる。

 そして、口角をクイッと持ち上げて不敵な笑みを浮かべた。


「しょうがないな。手伝ってあげるよ」

「では、行ってくるです!」

「あれ、お出かけですか?」


 お茶を持って戻ってきたジネットが出て行くエステラとロレッタに問いかける。


「はいです!」

「ちょっとしたおつかいだよ」

「では、お気を付けて」


 ジネットが会釈をし、エステラとロレッタを見送る。

 その後ジネットはお茶を、客だと明言した大男のテーブルへと置いた。


「おい、何企んでんだ?」


 ロン毛が俺を睨んでくる。


「いや、なに。長期滞在されるかもしれない変わったお客様が二人もお見えなんでな。色々と入り用なんだよ」

「ふん……気に入らねぇ男だ」

「そりゃどうも。あ、そうそう。さっき言ってたことだけどさ。十七分な」

「はぁ?」


 きっと頭が悪いのだろう。十七という具体的な数字を聞いてロン毛が眉を顰める。


「さっき、言ってたろ? 許容出来る連れの滞在時間を言ってくれって。俺が決めていいんだよな? なら、十七分ごとだ。で、その時間ごとにどっちの連れかに変わる、と。違反したら、即退場な」

「テメェ……やっぱり何か企んで……っ!」

「大丈夫。今日だけだから」


 立ち上がりかけたロン毛を落ち着かせるように、落ち着いた声で言ってやる。

 今日だけだから。……それの何が大丈夫なのか、言った俺自身もよく分からんが、大丈夫だと言われたらなんとなく大丈夫だという気がしてしまうものだ。

 ほら見ろ。ロン毛もなんとなく流されて椅子に座り直した。「まぁ、大丈夫なのか」みたいな顔をしている。釈然としてなさそうだけど。


「おいジネット。俺が作った細かい時間が分かる砂時計があるだろう?」

「はい。あの、線が入っているヤツですね?」

「そうそれだ。そいつを持ってきてやってくれ。きっと役立つだろうから」

「はい」


 ケーキを作るようになり、正確な時間が分かった方がいいと俺が作った砂時計がある。一分刻みに線が引かれているだけの簡単な物だが、ケーキ作りには重宝している。


「では、カウンターに置いておきますね」


 そう言って、ジネットがカウンターに大きな砂時計を置く。

 全体で一時間を計れる大きめの砂時計だ。

 ジネットがひっくり返すと、さらさらと砂が落ち始める。


「じゃあ、今からスタートな」

「だからなんのマネだよ?」


 ロン毛がイラついて俺を睨む。


「時計があると、人は早く帰りたいと思うようになるんだよ」


 だから、喫茶店では時計が客から見えないようになっているところが多い。寛いでもらおうという配慮だ。遊園地やゲームセンターでも、時計を限定した場所にしか置かないところは多い。必要ではあるので置いてはいるが、なるべく時間を気にせずゆっくりしてほしい場合、そういう措置を取るものなのだ。


 の、逆をやる。早く帰れバーカ。という合図だ。


「んじゃ、ジネット。俺に飯を頼む。向こうで何も食えなくて腹減ってんだ」

「はい。では、何にしますか?」

「そうだなぁ…………陽だまり亭懐石~彩り~が食いたいな」


 この店で一番高いメニューだ。

 飾り切りを駆使し、たくさんのおかずを少量ずつ盛り合わせた、見た目にも華やかな逸品となっている。

 当然作るのにも時間がかかる。だが、今日はもう客は来ないだろう……しばらくは。

 なので、こういう日だからこそ、ゆっくりと時間をかけて作ってもらおうと思ったのだ。


「お時間、かかりますよ?」

「大丈夫だ。俺はお子様ランチの旗を作っておくから」

「では、少々お待ちください」


 ぺこりと頭を下げジネットが厨房へ入っていく。

 そうそう。お前はこんな面倒くさいゴロツキのことなど忘れて、大好きな料理を思う存分作っていればいいのだ。


「おいおい。客のことは放ったらしかよ!?」

「なんだ? 追加か?」

「ふざけんな!?」

「んじゃあ、『ゆっくり』してろよ、お客様」


 ロン毛のテーブルをこんこんとノックするように叩き、俺はその前を通過していく。旗を作る材料を持ってくるのだ。

 当然作業は食堂でやる。こんな危ないヤツらから目を離せるかってんだ。


 材料を揃え、黙々と旗を作り始める俺。

 食堂内には重い沈黙が下りる。

 途中、教会の鐘が鳴る。『終わりの鐘』――つまり、十六時になったという合図だ。

 それまで砂時計に集中していた男たちの視線が、鐘の音によって散り散りになる。いい具合に集中力を削いでくれたようだ。


「ヤシロさん。お待たせしました」

「おぉ、サンキュー」


 それからほどなくして、陽だまり亭懐石~彩り~が俺の前へと運ばれてきた。注文から約三十分といったところか。随分速くなったもんだ。

 おぉ、いつもよりも気合いが入っている。ジネットも、それなりにストレスを感じていたのかもしれない。会心の出来である料理を手に、どこか清々しい笑顔を浮かべている。


「うっは、美味そう~」

「けっ! これ見よがしに……ウゼェんだよ、テメェ!」


 ふふん。安いお茶一杯で時間を潰すようなお前たちには手が出せない料理だ。羨ましかろう。

 なんなら注文してもいいんだぜ? 金が払えるならな。


「食いたいか?」

「お、くれんのかよ?」

「いや、金は取るが?」

「んだよ、それ!?」

「人はこれを『商売』と呼ぶ」

「訳分かんねぇこと抜かしてんじゃねぇぞ!」


 訳分かんないか……そうか……残念な頭だな。


「では、いただきます」


 俺が大口を開けて飯を食い始めると、ゴロツキどもは揃って俺に視線を向けてくる。

 それにしても人選ミスだ。

 こんなに堪え性のない連中を集めて何がしたいのやら。


 こういうのは、ひたすら忍耐のあるヤツにやらせるべき仕事だ。……まぁ、飲食店に対する嫌がらせが仕事と呼べるかは甚だ疑問ではあるが。

 嫌がらせとは、すなわち根競べだ。

 店側に何を言われてもドカッと構えて知らぬ存ぜぬ、何も聞こえぬ見えぬ喋らぬ立ち退かぬを貫く。それが出来ないヤツには向かない。


 俺は、ガン見してくるゴロツキどもの視線にさらされながら、ゆっくり四十五分ほどかけて飯を食った。

 途中で一度砂時計をひっくり返しに席を立ったが、それ以降は隅っこの席で優雅な時間を過ごしていた。


「ヤシロさん。食後にデザートはいかがですか?」

「あぁ、いいな。フルーツタルトでももらおうかな」

「では、準備してきますね」

「あ、その前にジネット」

「はい?」


 厨房に戻りかけるジネットを呼び止める。

 こいつはずっと俺のそばに立っていた。ゴロツキどもがいることで居心地が悪かったのもあるだろうが、客がいないからすることがないのだ。

 暇で何も出来ない時間は体力と気力を容赦なく奪っていく。ジネットも相当疲れているだろう。


「俺のケーキの前に、三十分くらい休んでこい。飯も食ってないんだろ?」

「ですが……」

「大丈夫だ。今は腹もいっぱいだし、それに、接客なら俺がやる! こう見えて、得意だからな、接客は」

「くす……そうですね。では、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げ、ジネットが厨房へと引っ込んでいく。

 食堂のフロアには、十数名のゴロツキと、俺。

 しょうがねぇなぁ。接客でもしてやるか。


「お客様ぁ~、かゆいところはございませんかぁ?」

「うるせぇな! ムカつくからテメェは黙ってろ!」


 腹が減っているのだろうな。物凄くカリカリしている。


「おいおい。そんなにカリカリするなよ。今川焼きの周りについたオマケんとこじゃあるまいし……ぷぷぷっ!」

「面白くねぇよ! 笑うな、鬱陶しい!」


 面白くないとか酷くな~い!?

 悔しいんでうるうるした目でジィっと見つめてやった。そしたら、気味悪そうに顔を顰めて体ごとそっぽを向かれたけれど。

 酷くな~い?


 完全に無視されたまま三十分が過ぎる。


「ヤシロさん。フルーツタルトとアイスティーです」


 ジネットが休憩を終え、ケーキを持ってきてくれた頃には、窓の外は薄暗くなり始めていた。


「おぉ、ちょうど小腹が空いてきたところだったんだ。いや~いいタイミングで来ちゃって申し訳ないねぇ、こりゃこりゃ」


 有名なケーキ屋さんの看板娘のように舌を左の口角からぺろりと可愛らしく覗かせる。

 フルーツタルトは、別にママの味じゃないけどな。


 そんな俺の言動の一つ一つがゴロツキどもをイライラさせているのがありありと分かる。

 陽だまり亭の店内には、どろどろとした憎悪が渦を巻いて充満していた。


「ん~、おいちぃ~!」


 ケーキを一口食べて、ちょっと甲高い声で素直な気持ちを述べた時、突っ立っている大男の一人に動きがあった。……ぶち切れたんだろうな……固く握った拳を高く振り上げ、そばにあったテーブルめがけて振り下ろす。


「壊したら弁償な」


 大男の拳とテーブルが激突する直前、俺が発した言葉で大男はその動きを止めた。


「それから、関係者様全員、出入り禁止にするから」


 ぐるりと、壊れた人形のような動きで首を回し、おちょくるように大男に視線を向ける。

 ゴリッと、ここまで聞こえる歯ぎしりをして、大男は俺に向かって一歩踏み出した。


「やめろ!」


 それを止めたのはロン毛の一声だった。

 不満そうな顔でロン毛を睨む大男。だが、そんな大男よりも凄みのある顔つきでロン毛が一言呟く。


「俺の言うことが聞けねぇのか?」


 ほぉ……統率は取れてるんだな。

 恐怖による支配だけども。


 あのロン毛が、こいつらの中でどういう存在なのかは知らんが、大男はロン毛に反論することなど出来ないのだろう。

 大男は大人しく元の場所に戻り、顔面の筋肉を攣りそうなほど歪めて俺を睨んでくる。

 血管切れそうだな、その表情。


 ――と、その時。


「おにーちゃーん!」


 元気よく、一人のハムスター人族の男の子が店内に飛び込んできた。


「ふぉお!?」


 ハムスター人族の男の子は、店内の異様な光景に目を剥き、面白い格好で硬直した。


「こ、これは……まさしく…………筋肉の大入り袋やー!」


 ハム摩呂だ。


「おにいちゃん……」


 ハム摩呂が俺の顔を見つめてくる。

 俺がこくりと頷くと、ハム摩呂は「よかった」みたいな顔をした。


「汗臭さの、猛毒ガスやー!」

「んだとガキがぁ!?」

「きゃーーー!」


 言いたいことを言って、ハム摩呂は食堂を飛び出していった。

 ……あの視線って「言ってもいい?」って視線だったのかよ…………どんだけ言いたかったんだ、最後のセリフ。


 しかしまぁ、『いい知らせ』が舞い込んできたな。

 それじゃあ、そろそろ始めますか。『夕暮れのヤシロ劇場』を。


 砂時計に視線をやると、さらに十三分が経過していた。もうすぐ、砂がすべて落ちきる。


「おい、そこの大きいヤツ」


 俺は、俺を睨む大男に声をかける。


「そろそろ二時間が経つけどさぁ……」


 俺はアゴで砂時計を指して問う。


「お前今、どっちの連れだ?」

「…………はぁ?」

「いや、『はぁ?』じゃなくて。十七分『ごと』にどっちかの連れに変わってんだよな?」


 大男が、分かりやすく狼狽する。怒りで熱せられた脳みそがパニックを起こしている様がありありと伝わってくる。


「いや……」

「ん? 違うのか? どっちの連れでもないってんならまったくの部外者だから、今すぐ出て行ってもらうぞ?」


 大男は焦ってロン毛へと視線を向ける。

 ロン毛に意見を仰ごうってのか。まぁいい。好きにやれよ。


「確か最初は、そっちの大男の方の連れだったっけな? それでいいか?」


 ロン毛が砂時計を見る。

 そして盛大に顔を顰める。……あ、やっぱそうなんだな。


 思わず、笑みが漏れる。


「よぉし。じゃあ、お前たちにヒントをやるよ」


 そう言って、俺は砂時計の横に立つ。そして、中の砂が下から二つ目の線を越えたところで再度口を開く。


「あとちょうど一分で二時間マイナス一分……つまり、百二十マイナス一で百十九分だ」


 数字の羅列に男たちはもちろん、ロン毛までもが狼狽の色を見せる。頭の中が相当こんがらがっているようだ。


「そして、百十九割る十七は、七だ」


 単純な割り算なのだが……やはりこいつらには難しいみたいだな。顔面のしわが見る見る増えていく。


「従って、今は『七度目』の十七分間というわけだ」


『七度目』を強調して言ってやると、ロン毛はハッと顔を上げる。


「最初はお前からだったから……」


 言いながら、ロン毛は大男を指さす。そして「一回」と自分に指を向け、「二回」とまた大男を指す。あとは自分と大男を交互に指さしていき、七回目に止まった先は自分自身――ロン毛だ。


「――っ!? オレだ! なぁ、お前ら、オレの連れだよな!?」

「え、あ……はい! そうっす!」

「オレもっす!」

「自分も!」


 次々に大男が「自分はロン毛の連れだ」と、口にする。

 そうこうしている間に、砂はサラサラと落ち最後の線を超える。五十九分だ。


「オレもです!」

「自分も!」


 五十九分を越えたところでそう言ったのはわずか二人だけだった。


「あぁーっと、惜しいっ!」


 俺は思わず指を鳴らした。


「くっ! ノロマが! どん臭いんだよ、テメェら!」


 ロン毛が言い遅れた二人をなじる。

 責められている二人は肩を落とし、俯いてしまった。


 あぁ、なるほど。そういう勘違いね。

 いやいや。逆だから。


 んじゃまっと、俺はここいらで種明かしをしてやる。


「たった今、八度『目』の十七分が始まったな」


 俺は、冷や汗を掻きながらも勝ち誇った顔でこちらを見るロン毛に、今度は『目』を強調して言ってやる。

 と、ロン毛が違和感に気付いたように、眉を顰めた。


「一度目の十七分がそっちの大男の方の連れだったのだから……」


 俺は大男を指さし「一」と告げると、今度はロン毛を指して「二」と続ける。

 そのままロン毛がしたように交互に指しながら「三、四、五、六、七……」と数を数え、「八」と言ったところでその指を止めた。


「八度目である今からの十七分は、お前の連れじゃなきゃルール違反だ」


 指先の方向にいる人物――ロン毛に、俺は満面の笑みを向けて言ってやる。


「だから、さっきのターンでロン毛の連れだって言ったヤツは全員出て行け。いや~、全滅するかと思ったんだが、二人残っちまったなぁ。残念残念」

「んな……っ!?」


 ロン毛は目を見開いた後、眉間に深いしわを刻み込んだ。


「……てめぇ、はめやがったな?」

「なんのことだ? 俺は曖昧だったルールを明確にして、開始時間を宣言しただけだぜ?」


 それも、今日限りのルールだとまで明言している。

 お前たち専用のルールだってな。


「あとは簡単な計算が出来れば間違えることなんかないはずだし、そんな計算すら出来ないようだったからヒントまでくれてやったんだぞ。『七度目』ってな」


 それを『七回切り変わった』と勘違いして、大男からではなく自分から数え始めたのはロン毛自身だ。


「……おいおい、怖い顔で睨むなよ」


 邪悪な瞳で俺を見つめるロン毛を、小馬鹿にするように嘲笑って言ってやる。


「お前らが勝手に決めたルールに乗ってやったんだぜ? 感謝してもらいたいくらいだな」


 このルールを言い出したのはロン毛たちだ。

 俺が時間を決めていいというのも、それを超えたら出て行くというのもな。


「じゃ、長居した連中はさっさと出て行ってもらおうか」

「おい、待て! やっぱりそいつらはオレの連れじゃねぇ! よく考えたら……」


 俺は腕を真っ直ぐ伸ばして見苦しく言い訳をしようとするロン毛の鼻っ面を指さす。


「ん? なんだって?」

「…………くっ! なんでもねぇよ!」


 言葉とは、口に出した瞬間、そして文字に書いた瞬間、責任が生じるものなのだ。

 自分の発した言葉が独り歩きして、自分の思いもよらない場面で使われることもある。だが、その責任は発した者が背負わされるのだ。

 何十年も前の失言を延々責められ続けるなんてことはざらだ。


 ついさっき、テメェが自分で言った言葉だ。責任は取ってもらわねぇとな。


「さぁ、営業の邪魔になるんでお引き取り願おうか?」


 優雅に腕を振り、ドアへとお客様の『お連れ様』を誘導する。

 口を閉ざし俺の動きを見つめていたロン毛は、舌打ちをした後で大男どもに言った。


「………………おい」

「……へい」


 短いやり取りの後で男どもが食堂を出て行く。

 その際、ドアの脇に立つ俺を思いっきり睨みつけて。


「おいおい、なんだよ!? 邪魔な男どもだな!?」

「まったくさね。暑苦しいったらないねぇ」


 どたどたと店を出て行く大男どもの向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「客じゃねぇヤツはさっさと出て行きな!」

「まったく、図々しいったらないねぇ」


 ドア付近でごった返す大男たちをかき分けて入店してきたのは、デリアとノーマだった。

 よく来てくれたな。当然、ご招待客だ。


「ワタクシもいますわよ」


 そして、少し遅れてイメルダが入店する。

 目立ちたかったようだ。……一緒に入ってくりゃいいものを、小さいところにこだわるなぁ、こいつは。


 両手を広げ、華やかに登場したイメルダを無視して、デリアとノーマは突っ立っている大男の前に立つ。一対一。顔を覗き込み明確な声で言う。


「邪魔だ、どけ」

「目障りさね」


 はっきりとケンカを売られた大男が腰にぶら下げた剣を抜こうとする。

 が……


「「――っ!?」」


 剣の柄を押さえるデリア。

 それだけで、大男は剣が抜けなくなったようだ。デリアのパワーの前に、為す術もない。

 そしてノーマは、大男が柄を握る前に煙管を大男の首筋にピタリと宛がっていた。


 一目で分かる。実力に差があり過ぎる。

 故に、大男はデリアとノーマ、この二人に対して何も出来ない。


「まったく。騒がしいですわね。ワタクシは優雅に紅茶をいただきますわよ」


 イメルダはそう言って、椅子に座る大男の前へと行き、仁王立ちになる。


「おどきなさい。今日はワタクシ、この席で紅茶をいただきたい気分ですの」

「……あぁ!?」


 野太い声を出し、大男がイメルダに掴みかかろうとしたまさにその時、大男に引けを取らない、非常に暑苦しくも頼もしい、図体のデカい男どもがなだれ込んできた。


「「「「お嬢様に、気安く触れんじゃねぇぇぇえええあああああああっ!」」」」


 木こりギルドのイメルダ親衛隊だ。

 …………もう四十二区に来てやがったのか。


 イメルダを守るように立ち、そしてイメルダに狼藉を働こうとした大男を威嚇するように取り囲む。

 さすがの男も、これだけの数の暑苦しい……もとい、むさい……いやいや、ガタイのいい木こりどもに囲まれては平常心ではいられないようで、額から汗をダラダラ流し始めた。


「最後にもう一度だけ申し上げますわ。『お退きなさい』!」

「……は、はい…………」


 イメルダの言葉に、大男はゆらりと立ち上がり席を譲った。


「テメェら……やってくれんじゃねぇか!?」


 ロン毛が声を荒げ机を蹴り倒す。


「おい! テメェら! 構うことはねぇ! 全員入ってこい! こうなりゃまどろっこしいのはやめだ! この店ぶっ壊して営業出来なくしてやれ!」


 ロン毛の声に、外に出ていた大男は…………反応しなかった。


「おい!? どうした!? 入ってこいよ!」


 そう言われて、無数の大男が店内へと入ってくる。

 ただし……


「……え、誰だよ、てめぇら……?」


 ゴロツキどもではなかった。

 ロン毛が戸惑い、次々入ってくる大男たちを前に呆然としている。


「こいつらはあたいの仕事仲間だ」

「こっちが、アタシが可愛がってる連中さね」


 そいつらは、川漁ギルドの漁師たちと、金物通りで板金工や鍛冶師をしている職人たちだった。

 俺も何度か顔を合わせたことがある連中だが…………オッサンども、相変わらず顔怖ぇよ……ゴロツキどもが萌えキャラに見えてくるほどだ。


「こいつらはデリアやノーマの知り合いであると同時に、俺の知り合いでもある。十七分ごとにどっちかの連れってことでその都度変わっていくがまぁ気にするな。邪魔なら言ってくれ。退けさせるから」


 ロン毛の顔が分かりやすく歪む。


「……ふ、ふん。そうかよ。よく分かったぜ」


 ロン毛が、冷や汗を浮かべながらも口元に笑みを浮かべる。


「確かに、今日のところは引き下がった方がよさそうだな。だがな! これで終わりじゃねぇからな? この店は明日も明後日もずっと営業するんだろ? 今回みたいな総力戦が、いつまで続けられるかな?」

「総力戦? なんのことだ?」

「とぼけんじゃねぇ! 四十二区で腕に覚えのあるヤツを全員かき集めてきたんだろうが! 大方、お前がメモを渡した特徴のない普通な女が使いに走ったんだ!」


 ロレッタのことらしい。


「だが残念だったな! 今回は準備が足りなかっただけで、こっちには打つ手がいくらでもあんだよ!」

「ほぅ……」


 虚勢を張るロン毛の目は、盛大に泳いでいた。


「そ、そんな余裕かましてられんのも今のうちだぜ! こうなりゃ、手下をかき集められるだけかき集めて、この店を取り囲んで……っ!」


 意地になったロン毛が唾を飛ばしてがなりたてる。

 その時――


「「「りょーーーーーしゅさまあぁぁあああーー!」」 」


 突然、食堂の外から元気のいい声が聞こえてくる。

 ガキどもの声だ。


「な、なんだよ、今度は!?」

「兄貴っ! 大変ですぜ!」


 外に追いやられていたゴロツキの一人が、取り乱した様子で駆け込んでくる。


「そ、外に、恐ろしい軍隊が!?」

「軍隊だぁ!?」


 ロン毛は走り出し、ドアの前に立つゴロツキを押し退けて外へ転がり出て行く。

 俺もその後を追う。ゆっくりとな。


「…………なっ…………!?」


 外に出て、教会の方向へと視線を向けたロン毛は、先にその光景を目撃していた他のゴロツキ同様、驚愕の表情を顔に張りつけて硬直した。

 口を大きく、あんぐりと開けて。


 ロン毛たちが見つめる先……

 夕暮れが迫る薄暗い道に、五十人あまりの兵士たちの影が浮かんでいた。

 ザックザックと足音を響かせて、街門の方から街道予定地を行進してくる。


「ねぇ、あれ、りょうしゅさま!?」

「りょうしゅさまー!」


 陽だまり亭の前には、領主の紋章が描かれた小さな旗を持った子供たちが大挙して押し寄せていた。

 小さな腕で懸命に旗を振りながら、声の限りに叫んでいる。


「りょーしゅさまー!」

「りょーーーーーしゅさまぁぁああーーーーー!」


 いまだ遠い行進する兵士たちに向かって、夕闇を切り裂くような声援が飛ぶ。

 街道予定地に等間隔に設置された光るレンガが、威風堂々たる兵士たちの行進を一層威厳のあるものへと演出している。時折、光を反射して槍の刃がキラリと輝く。


「な…………なんなんだよ、ここは……」

「君たちは、ケーキの販売を邪魔したいんだろう?」


 背後から投げられた言葉に、ロン毛が肩を震わせ、取り乱したように振り返る。

 その先には、自警団の兵士を引き連れたエステラが美しくも冷酷な笑みを浮かべて立っていた。


「ケーキは今や、四十二区の主要産業になったんだ……それを妨害すると言うのなら…………」


 夕闇が、エステラの醸し出すゾッとするような美しさを増長させ、もはや恐怖すら覚えそうな冷やかさを演出する。

 赤く熟れた果実のような、その小さな唇から、悪魔のような呟きが漏れる。


「……君たちは四十二区の敵だ。全力で排除するよ?」

「く……っ!?」

「そうだな」


 後ずさったロン毛の前に、俺は進み出る。


「こいつらは自分から『客であること』を放棄したんだ。陽だまり亭をぶち壊すとまで口にした…………だったらもう、遠慮はいらねぇよな?」

「そ、それは…………っ!」


 俺たちが手出しをしなかった唯一の理由。

『お客様であること』を自ら放棄した瞬間、こいつの未来は決まっていたのだ。


 排除。


 手段を選んでやる必要はない。

 侵略者には、それなりの制裁が必要だろ?


「よ、四十二区に、こんな数の兵士がいるなんて聞いてねぇぞ!」

「そ、それに、なんだってんだこのガキどもは!?」


 ゴロツキどもが慌てふためいている。

 口々に何かを叫んでいるが、聞くに堪えない醜さだ。


「知らなかったのは君たちが無知だっただけだろう? ケーキの情報を得ておきながら、なぜ下調べをしなかったんだい?」


 エステラの言葉に反論出来る者はいなかった。


「ガキが熱狂するもんってのは、昔から決まってるよなぁ? どこの世界でもまぁ同じだろう」


 行進する兵士の影に、尽きることないパワーで声援を送り続けるガキども。

 そんな中の一人を抱き寄せ、ゴロツキどもに言ってやる。


「ドラゴンを倒した英雄……百戦錬磨の大勇者……いつだってガキが夢中になるのは、絶対的な強者だよな」

「りょーしゅさまー!」

「りょおおおおおしゅさまぁあああああっ!」


 悲鳴に近い絶叫が続く。

 熱狂的なまでに小さな旗が振られている。

 この光景は……相当な恐怖だろう。


 純真無垢なガキを虜にするほどの、絶対的な強者。

 それが、群れをなしこちらに迫ってきているのだ。

 エステラの後ろにも数人控えているしな。


「テメェらが自分の命を粗末にしたいなら好きにすればいい。だがその前に、テメェの雇い主に一言伝言を頼めねぇか?」


 ロン毛の頬を伝い落ちた汗が、アゴの先から落下していく。

 滴が地面にぶつかり姿を消すまで待って、俺ははっきりとした口調で言ってやる。



「ケンカ売る相手、間違ってんじゃねぇのか?」



 テメェ如きが手を出していい相手なのか、よく考えろ……と、伝えてくれればいい。


「あ、兄貴……!」

「う、うるせぇな! もらった前金、もう使っちまっただろうが! ここで引けるかよ!」

「けど!」

「うるせぇ! 増援が来る前に、ここにいるヤツら全員ぶっ殺して、あとは区の外に逃げりゃあなんとでもなんだろうが!」


 追い詰められて血迷ったのか、ロン毛が腰の剣を抜いた。

 エステラにデリア、ノーマと自警団、そして木こりを始めガタイのいい大男どもが身構えて殺気を放ち始める。

 空気が張り詰め、一触即発の雰囲気が辺りに漂い始めた頃……


「……ただいま」


 平坦で、小さな、とても耳に馴染んだ声が聞こえた。

 マグダだ。

 狩りから帰ってきたのだろう。


「……どいて。通れない」


 自警団や木こりたちがひしめき合う、その向こうからマグダの声が聞こえる。

 ……と、同時にどよめきが上がる。


 自警団、木こり、漁師、鍛冶師たちと、筋肉自慢の大男たちが、恐れおののくように道をあけていく。

 ズザーッと開かれた道の先に、マグダが立っていた。


「…………これは、また」


 俺も思わず言葉を失った。


「……今日は、大物が手に入った」


 マグダは、自身の五倍はあろうかという超ド級の魔獣、ボナコンを担いでいた。


「ボ、ボボボボ、ボナコン!?」


 ゴロツキどもの間から奇声が上がる。

 ボナコンは、狩猟ギルドに属する熟練の狩人でも仕留めるのが難しいとされている魔獣だ。

 しかも、こんな規格外のデカさともなれば……バケモノ以外には狩れはしない。


「……デリア、持って」

「んだよ、しょうがねぇな」


 不満を漏らしながらも、デリアが巨大ボナコンを片手で楽々持ち上げる。


 ……どよめき。


「なぁ、コレ店に入れりゃいいのか?」

「あ、はい。では中庭へお願いします」

「屋台が邪魔だな。ノーマ、退かせてくれ」

「まったく、気安く使わないでおくれな」


 言いながらも、陽だまり亭の庭に停めてあった二台の屋台をひょいひょいと端っこへ退けてしまう。


 ……戦慄。


「……ヤシロ」

「ん? なんだ」

「……ご褒美」

「はいはい」


 俺の腰にぽふっと抱きついてくるマグダ。その耳をもふもふと撫でてやる。


 ……悲鳴。


「なぁぁあああ!? あ、あいつ! ト、トト、トラ人族の耳を、耳を、もふもふって!?」

「命がいらねぇのか!?」

「ぶっ殺されるぞ!?」


 ゴロツキどもがギャーギャーと騒がしい。

 なんだよ。マグダが喜んでるんだからいいだろうが。


「…………むふー!」


 ほらな?


「な、なんなんだよ、お前ら!? どいつもこいつも滅茶苦茶だ! 聞いてた話と全然違うじゃねぇか!」


 ロン毛が地面をダムダムと踏み鳴らし、グシャグシャと髪を掻き乱す。


「……こんなもん、やってられっか………………ふざけんじゃねぇぞチクショウ!」


 ブレーカーが落ちたかのような静かな呟きの後、湧き上がる感情に任せて喚き散らす。


「あんなはした金で戦争なんかやれっかよ! なんだよ、あの兵士の数は!? なんだよ、このバケモノどもは!? んで、なんなんだよ、この男は!?」


 最後に俺を指さし、乱れたロン毛の隙間から血走った目をこちらに向ける。


「バカみたいなフリしてすげぇ頭キレるわ、ここぞって時に度胸見せるわ、トラ人族の耳を平気な顔して触りまくるわ…………お前、なんだよ!? なんなんだよ!?」

「なんだと言われても困るが……ま、ただの食堂従業員だ」

「ふっざっけっんっなっ!」


 気でも触れたかのように体をくねらせ、やり場のない激し過ぎる感情を発散させるロン毛。……壊れた人間を見ているようで、ちょっと怖い。


「いつからだ……お前はいつからこうなることが分かってた!? いつから準備してやがった!?」


 最終的には、泣きそうな表情になっている。

 もう、こいつ自身、何がなんだか分かっていないのだろう。自分がどうしたいのかさえも。


「それを聞いても、お前は納得出来ねぇよ」

「なんだと!?」

「それより…………いいのか?」


 アゴをクイッと上げ、ロン毛の後方を指してやる。

 ザッザッと足音を響かせて兵士の影がもうすぐそこにまで迫っていた。


「………………くそがっ! 逃げるぞ、テメェら!」

「え!? あ、は、はい!」


 マグダを通すために開いていたスペースを通り、ゴロツキどもは転びそうな勢いで逃げていった。

 そんなゴロツキどもの背中に向かって、俺は食堂の従業員らしく、正しいお見送りをしてやる。


「またのお越しをー!」

「やかましい! 二度と来るかボケェー!」


 ロン毛の遠吠えが暗くなった空にこだました。

 これでもう、あの手のヤツらが四十二区にちょっかいをかけてくることはないだろう。


「りょーしゅさまーー!」

「りょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……っ」

「はーい! ストップ! うるせぇよ! ガキども! 一回黙れ!」

「りょーーーーーーしゅさまぁぁああーーーーーーーーー!」

「りょーーーーーーーーーー……ぴぎゃあああーーーーーーーーー!」

「怪獣か!? だーまーれー!」

「「「りょおおおおおおおしゅさまぁあああああああああああああああっ!」」」


 ……このガキども…………何テンション上がってやがんだ!


「緊急告知ー! 今すぐ静かにしないと、せっかく溜めたパワーが没収されてゼロになりま~す!」

「「「…………」」」


 ピタッと、騒音が止まった。

 ……ガキども、どこまで現金なんだよ、お前らは。


「あ、あの……ヤシロさん」


 色々と危なそうだったので、さり気なく木こりに守ってもらっていたジネット。ゴロツキがいなくなったことで、俺の前へと姿を現した。

 ただし、その顔には無数の疑問符が浮かんでいた。


「わたし、何が起こったのか……ちんぷんかんぷんです」


 うっわ、久しぶりに聞いたな、ちんぷんかんぷん。なんでそのワードを選んだの、『強制翻訳魔法』?


「ふふふふ! 実は、すべてあたしが仕組んだことだったのです!」


 街門の方向から行進してきた兵士の影が、ようやく陽だまり亭の前へと到着する。

 その列の先頭にいたのは……ロレッタだった。


「あ、あの……これって…………」

「「「おにんぎょーーさーーーーん!」」」


 ロレッタの後ろで、弟妹たちが声を揃えて言う。

 弟妹たちは、各々、『兵士のような格好をした蝋人形』を抱えていた。


「これが、兵士さんの、……正体ですか?」


 ジネットが問いかけるような目を向けてきたので、大きく頷いておく。


 俺はメモを使い、ロレッタにおつかいを頼んだ。

 デリアやノーマ、イメルダに協力要請するように言ったのもあるのだが、一番のキモはこいつだった。


『ベッコに、兵士の蝋人形を五十体作らせろ。外が暗くなったら、それらを使って架空の大行進を演出しろ』


 そう書いておいた。

 ベッコは、俺の蝋像を四十分前後で仕上げる男だ。ディテールにこだわらなければ、二時間程度で五十個は行けると踏んだのだ。

 しかし、よく頑張ってくれたもんだ。

 二時間と言いつつも、もっと時間がかかるだろうと思っていたのだが……ハム摩呂が飛び込んできた時には「え、もう!?」ってビックリしたもんだ。


 そうそう。大行進の準備が出来た合図がハム摩呂の来店だったのだ。


「西側大行進は、あたしの功績で大成功です!」


 大したこともない胸を張り、自慢げに語るロレッタ。

 はいはい、凄い凄い。今度なんかご褒美やるよ。


 で、西がロレッタなら東はエステラだ。


「お前もよくやってくれたな」

「いや……」


 大成功を収めたにしては、少し表情が浮かない。

 どうしたんだ、エステラ?


「胸がなくったって張っていいんだぞ? 誰も怒らないし、泣かないから」

「遠慮なんかしてないから! って、誰が泣くの!?」


 こほんと咳払いを一つ挟み、エステラは首を痛めた系男子みたいな格好で恥ずかしげに視線を逃がした。


「正直、外に出るまでは冷静さを欠いていたよ。ヤシロのメモに指摘されて、ようやく自分のやるべきことが見えたんだ……その、悪かったね」

「ん? あぁ」


 エステラは、あのロン毛の思惑にまんまと嵌ってしまっていた。

 なので、ロレッタに渡したメモに『エステラを連れ出してやれ』と書き、そしてエステラ宛に『お前はお前が生きる場所で活躍すればいい』と記しておいたのだ。

 あぁいう輩は俺が担当する。

 適材適所だ。


「しかし、子供たちまで利用してしまうなんてね……」


 重苦しい空気を吐ききったように、エステラの表情がようやく元に戻る。

 そして、いつものように苦笑を浮かべた。


「ガキが夢中になるってのは、実は凄いことなんだよ。俺もあいつらも、その昔夢中になったものがあったんだ。その時のことを思えば、ガキを虜にするものの凄さってのが肌で分かるんだ」


 熱狂的と言っていいほど、四十二区のガキどもは『領主様』に夢中になっている。

 もっとも、それはゴロツキどもが『勘違い』したような、自警団に憧れて、とか、領主様に心酔して、とか、そういうことじゃない。


 俺はロレッタを使い、ガキどもにこう伝えたのだ。


「今日の夜、教会からやって来る自警団の行列に、領主の旗を見せながら声援を送ると『スーパー領主パワー』がどんどんたまり、それはそれは、メッチャ凄いことになる」――と。


 ……さて、『メッチャ凄いこと』の内容をこの後考えなきゃなぁ……大当たり十連発とか? あ、ビッグサイズ蝋型とかでいいか。うん、デカいのってなんか特別感あるしな。よし、ベッコに作らせよう。


「お子様ランチが、こんなところで役に立つなんてね」


 ガキどもが懸命に振っていた領主のエンブレムが記された小さな旗は、言わずと知れた、お子様ランチの旗だ。そして、『領主=いいもの』という刷り込みも、お子様ランチの功績と言えるだろう。


「では諸君、領主パワーが満タンに溜まった旗を持って、ジネットお姉さんのところへ行き、引換券をもらってくるのだ!」

「「「「はーい!」」」」

「え!? え!? ひ、引換券ってなんですか!? あの、ヤシロさん!?」

「本人が特定出来ればなんでもいいから。適当によろしく」

「え!? は、はい! やってみます!」


 物凄い数のガキどもにもみくちゃにされながら、ジネットは食堂の中へと入っていった。

 ……ごめんな、ジネット。俺、ガキどものそのパワーに付き合うのだけは、絶対嫌なんだ。しんどいから。


「これで、ゴロツキギルドは四十二区にちょっかいを出さなくなるかな?」

「無くなりはしないかもしれないが、しばらくは大丈夫だろう」


 下手に手を出すと大やけどを負うと、身をもって分からせてやったのだ。

 少しでも時間が稼げたなら、その間に対策が立てられるかもしれないしな。

 とりあえず四十区辺りと協力して、ゴロツキ対策を詰めていくとしよう。


「ヤシロさん。事件は解決ですの?」


 イメルダが日傘をくるくるさせながら近付いてくる。

 その後ろにはデリアとノーマの姿もある。


「おう。協力ありがとうな」

「いいってことよ! 頼れるあたいにドンと任せとけって!」


 デリアがドンと胸を叩く。


「アタシはもう御免だからね。呼ぶにしても、たまににしとくれよ」


 ノーマはひと仕事の後の煙管をスパーっとふかす。


「ワタクシにかかれば、造作もないことですわ!」


 日も出ていないのに日傘を開き、くるくると華麗に回す。……歌舞伎か。


「そっちのでっかい連中も、ご苦労だったな!」

「もう、や~だ、ヤシロちゃん。他人行儀なんだからぁ~!」


 ……鍛冶師連中だ。全部じゃない。決して全部がこういうヤツらなわけじゃない。だが、ノーマを使って集められる強面の連中となると、こういうのしかいなかったのだ……よかった、一言もしゃべらなくて。


「礼なんてよしてください、ヤシロさん! オレら、ヤシロさんのためならなんだってします! ですから、親方の甘い物と、オメロの兄貴の命を……」

「「「今後とも、どうか一つよろしくお願いいたしやす!」」」


 ……川漁ギルドの漁師たちだ。……オメロは慕われてるんだか見捨てられてるんだか分からないポジションなんだな。


「俺らはお嬢様のためにやっただけで、別にお前のためなんかじゃないんだからな!」

「ツンデレか、このバカ筋肉ども」


 木こりギルドの連中は、良くも悪くも相変わらずだ。


 またしても、大人数を使って盛大な芝居を一つ打ったわけだが……これで完璧ってわけじゃないよな。


「マグダの捕ってきたボナコンの頭蓋骨をベッコに見せて、レプリカを広場に飾っておくか」

「それはいいかもしれないね。その周りで、領主の旗を持った子供たちが走り回っていたら……」

「……偵察に来たゴロツキには、いい脅しになるかもしれないな」

「ウチの力不足の自警団だけじゃ心許ないからね。抑止力になるなら大歓迎だよ」

「じゃ、そんな感じで」

「うん。今回もお疲れさん」


 エステラとハイタッチを交わす。

 流れで、デリアやノーマ、イメルダともハイタッチをし、ロレッタをスルーするというボケを挟んでマグダの頭を撫でておいた。

 マグダは電池が切れたようで、気が付いた時には庭先で眠っていた。




 敵が不特定だから守りを固める。

 随分と回り道をさせられたが、これでしばらくは持ち堪えるだろう。


 クレーマーは、牙を持たないものを狙う。

 一度盛大に噛みついてやれば、しばらくは大人しくなるのだ。



 もっとも、粘着質の相手だった場合は、そこからもっと厄介なことになるんだが…………



 今は、とりあえずの勝利に浸るとしよう。

 そして、明日から頑張って、今日稼ぎ損なった分まできっちり稼いでやる!






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る