107話 向けられる悪意
狭い馬車に揺られ、俺とエステラは四十区へとやって来た。
……ホント狭いな。四十区領主デミリーの馬車とは雲泥の差だ。ケツが痛い。
まぁ、さすがに乗せてもらっておいて、本人の前で文句なんか言わないけどな。
「狭ぇな。ちきしょう」
「……本人の隣に座って堂々と文句を言うのはやめてくれないかな」
狭い馬車の持ち主が俺の隣で顔を引き攣らせている。
こうやって普通に座ってるだけで腕が触れるとか、日本の満員電車を思い出して不愉快なんですけど。
ちなみに、向かいにはエステラが一人掛けの座席に座っている。馬車へ乗り込むための階段が車内に収納されているために、三人しか乗れないのだ。
ポンペーオが向こうに座ればよかったのによ。エステラとなら肌の触れ合いもそこはかとなく楽しいのに。
だが、エステラが座っている席は下座なのだそうだ。
進行方向と逆向きだし、ドアに近い。まぁ、分からんでもないが……
「しかし不愉快だなぁ!」
「なら、貴様が向こうに座ればよかっただろう!」
「はぁ!? お前、何エステラに触ろうとしてんだよ!? スケベ! 変態! 貧乳マニア!」
「貴様、失敬だぞ! 貧乳ではなく『プリティ乳』と呼べ!」
……あ、こいつ、そうなんだ…………うわぁ……
「……君たち、ボクの胸の話題で盛り上がるのはやめてくれるかな?」
懐からナイフを取り出し、エステラが瞳をギラつかせる。
やばいやばい。この狭さじゃよけきれない。うん。大人しくしよう。
その後、静かに馬車に揺られた俺たちは、砂糖工場のそばで降ろしてもらい、ポンペーオと別れた。
「あぁ~っ! 窮屈だったなぁー!」
「うるさいぞー!」
遠ざかっていく馬車に声を飛ばすと、窓から顔を出したポンペーオに言い返された。ふん、地獄耳め。
「あっという間に仲良しになって…………ヤシロの特技だよね、それ」
仲良し? とんでもない。
無乳派のヤツとは一生分かち合えないと、俺はそう思っている。
「しかし、ちょっとお尻が痛いね」
「そうか……じゃあ仕方ない」
「……なんで撫でようとしているのかな?」
「親切心だ」
「……刺すよ?」
まったく。他人の厚意を素直に受けられないとは……心が狭いんじゃないのかね。……減るもんでもないだろうに、ケチッ!
「あっれぇ? 珍しいな、あんちゃん」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、目の周りにバッチリメイクをしたタヌキ人族のパーシーがいた。
「よう、アイメイク」
「わざわざケンカ売りに来たのかよ、あんちゃん……?」
パーシーが盛大に顔を引き攣らせる。
なんだよ。折角会いに来てやったんだからもっと愛想よくしろよな。まったく、これだから最近の若いヤツは……
「ヤシロ……もしかして君は、他人の引き攣った顔に性的興奮でも覚える変態なんじゃないのかい? どれだけ他人を引き攣らせれば気が済むのさ」
なんか酷いレッテルを貼られてしまった。
お前らが勝手に引き攣ってるだけだろうが。
俺はただ正直に事実を述べているだけだ。
「で、なんの用なんだ? 急に砂糖が必要にでもなったのかよ?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな」
「妹のプライベート情報なら、教えられないぜ」
「そんなもんを知りたがるのはお前だけだ」
「ネフェリーさんの情報もダメだ!」
「それも知りたがってんのはお前だけだ! つか、お前、そんなにネフェリーの情報を持ってんのかよ?」
どんだけストーカーしてんだ、こいつは?
「じゃあなんだよ?」
「ここ最近、変わったことはなかったか?」
「そういや、ネフェリーさんがこの前……」
「ネフェリーの情報はいらんと言ってんだろうが!」
こいつ、真面目に仕事してんだろうな?
「この工場付近で不審な人間を見たとか、何かおかしなことがあったとか、そういうことはなかったかい? あ、ヤシロ関連は全部除外して」
「エステラ……その注釈、いる?」
人をおかしなことの発信源みたいに……
「いやぁ、特になんもなかったぜ?」
「困ったことも?」
「あぁ。至って平穏。毎日平常運転だ」
「そうか……」
エステラが腕を組んで真剣な表情を見せる。じっくりと考えてから、俺に向かってこんなことを言ってきた。
「やっぱり、工場の責任者に話を聞いた方がよさそうだね」
「オレだよ、責任者!? あんたもなかなかヒデェヤツだな赤髪のねぇちゃんよぉ!?」
エステラの言葉に、パーシーの顔が盛大に引き攣る。
エステラめ……さてはお前、人の引き攣った顔に性的興奮でも覚える変態なんじゃないのか?
しかし、エステラの言うことも一理あるな。
「よし、モリーに会いに行こう」
「パーシー。お邪魔させてもらうよ」
「っておい! 無視すんなよ! 責任者ここにいるから! オレが責任者だから! オイ! 聞けよ!」
騒がしいパーシーを置いて、俺たちは工場へと入っていく。
だいたい、工場が稼働してる時に『外からフラッと戻ってくる』責任者がどこにいる。大方、また四十二区にでも赴いてストーキングしてきたんだろうが。ちょっと鶏臭いしな。間違いないだろう。
「あ、ごめん。犯罪者予備軍はあんまり近付かないでくれるかな?」
「誰が犯罪者予備軍だ、こら!?」
なんでかパーシーが付いてくる。まったく、構ってちゃんはこれだから……
「あれ、お客さん?」
「よぉ、モリー。邪魔するぞ」
「ようこそ、ヤシロさん。それに、エステラさんも」
砂糖工場の再稼働以来、モリーとは何度か会う機会があった。頭のいいモリーは俺たちのこともしっかりと認識してくれているし、砂糖工場の恩人だと言って、友好的な態度を示してくれている。実に可愛らしい女の子だ。
三角の耳が頭に生えている以外は獣特徴が特にないなと思っていたら、手のひらに肉球がついていた。ぷにぷにで、ちょっと癖になる感触だ。
「今日も肉球ぷにってるか?」
「もぅ、ヤシロさん。それ、セクハラですよ」
可愛らしく注意をしてくれる。
このちょっと背伸びした感じが、モリー最大の魅力だと、俺は思う。
「お、おい、あんちゃん! ウチの妹に変なこと言うのやめてくれるか!?」
「メイクをばっちり決めて髪型とかミリ単位で気にして、あまつさえ少しでもよく見える角度まで研究して『もし見つかるならこの角度で発見されたいなぁ』とか言って無理のある体勢で長時間木陰に隠れていたせいで腰をちょっと痛めたパーシー、言いがかりはやめてくれよ」
「オレに対しても変なこと言わないでくれるか!?」
注文の多いヤツだ。
「あれ、兄ちゃん…………いたんだ」
「ひでぇな、モリー!?」
「あはは、さすが責任者」
「うっせぇな、あんちゃん!?」
もう、砂糖工場は完全にモリーの物だ。よかったな。これで心置きなく養鶏場へ婿養子に行けるぞ。
「それで、モリー。一つ聞いてもいいかな?」
「はい、なんですか?」
「ここ最近、何かおかしなことや、困ったことなんかはなかったかい?」
エステラの問いに、モリーは首を傾げて考え込む。
「…………兄ちゃんが、働いてくれない?」
「うん、そういうことじゃなくてね……」
それは今に始まったことじゃないだろう。
「あと、鶏臭い」
「お、おい、モリー! ……誤解を生むようなこと言うんじゃねぇよ。そんな淫らなことは何もしてないんだからよ」
そんな誤解など生むものか。
大方、ニワトリ小屋の陰にでも身を潜め続けていたせいだろうが。
「でも、まぁ……そのうち、この香りに馴染むことがあるかもしれないな……そ、その……兄ちゃんに彼女とか、出来たらさっ! うっひゃ~! 恥ずかしい~!」
「自覚はあるようだな、お前の兄貴」
「ホント、恥ずかしい兄ちゃんですみません」
恥ずかしいパーシーは無視して、本題に入る。
「不審者、ですか?」
「そうなんだ。見かけなかったかい? ヤシロとパーシーを除いて」
「だからさぁ、エステラ。その注釈、いる?」
俺の訴えは軽くスルーされる。
こいつ、いつの間にこんな高度なスルースキルを……
「特には、何も思い当たりませんね。現状、工場は問題なく稼働していますし、材料も安定して供給されて、製品も適正価格で売れて……どこかから妨害されるようなことも、ありませんね」
まったくもって問題なし、か。
俺とエステラは目を合わせる。
エステラも、俺と同じことを考えているようだが……もう少し情報が欲しいな。
「アリクイ兄弟のところにも行ってみるか?」
エステラにそう尋ねたところ、モリーが小さく手を上げて話に割って入ってきた。
「あ、それならこの後……」
まさにそのタイミングで、工場に来客があった。
「やぁ、みんな! 今日は爽やかな天気だね! 僕はとても元気だよ!」
「僕もさ! 昨日はとても美味しいアップルパイを食べたんだ」
ネックとチック。砂糖大根を生産する農家のアリクイ兄弟だ。
「ややっ! 見てごらんよネック!」
「わぁお! 僕もちょうど今物凄い物を見かけたところだよ、チック!」
「あそこにいるのは……僕の目と記憶がもし狂っていないと仮定するならば……てんとうむしさんじゃないかい!?」
「おぉう! 今まさに僕もそう思っていたところなんだ。どうやら、君も僕も至って正常なようだね。ここ数日は働き詰めだったから若干の不安があったんだが、やっぱり毎朝食べているアップルパイが、僕たちを正常な状態にしておいてくれているようだね」
「あぁ、まったくその通りだ。アップルパイは実に素晴らしい食べ物だよ。ところで知っているかい? アップルパイには二種類あるってことを」
「なんだって!? 二種類? それはどういうことだい?」
「僕たちのよく食べるアップルパイとは別に、四十二区で新種のアップルパイが出来たのさ」
「わぁ~お、それは興味深いね。是非食べてみたいよ」
「だったら、打ってつけの人物に心当たりがあるよ」
「おいおい、穏やかじゃないね。どうしてそんなホットな情報を今まで黙っていたんだい? 余りに人が悪いじゃないか、チック」
「そう怒らないでくれよネック。反省している。あの時の僕はどうかしていたのさ。すぐにでも君に伝えるべきだった。まったくそのとおりさ」
「いや、もういいよ。それよりも、その人物っていうのは、一体誰なんだい?」
「それはね……そこにいるてんとうむしさんさ!」
「わぉ! てんとうむしさん、ご機嫌いかが!?」
「長いわ!」
何を二人でダラダラしゃべってやがんだ!?
「「てんとうむしさん。新しいアップルパイを食べさせてください。プリーズ」」
「お前ら、まだアップルカツ食ってんのかよ……」
こいつらの言うアップルパイは、まるごとのリンゴに衣をつけて揚げただけの代物で、とても美味いとは言い難い代物だ。
「ポンペーオには、タルトより先にアップルパイを教えてやるべきだったんじゃないかい?」
「いいや。どうせこいつらはラグジュアリーには行かねぇよ。どんなに金を稼いだって貧乏生活をやめるつもりがないんだから」
今、四十区と四十二区では砂糖大根を生産している農家が爆発的に増えている。利益が約束された新しい食材に、多くの農家が群がっているのだ。
その砂糖大根利権の中心にいるのが、このアリクイ兄弟だ。
良質な砂糖大根の種や育て方などのノウハウは、このアリクイ兄弟がほぼ独占している状態にある。……の、だが。こいつらは根っからのお人好しか、でなければ真性のバカで、その利権をあっさり他人に撒き散らそうとしやがった。
四十区の領主デミリーが注意しつつ、権利の拡散を食い止めなければ、今頃砂糖大根の価格は暴落し、市場は破壊されていただろう。
利益が上がらないと作る農家は減り、収穫量も落ちるのだ。
締めるところで締め、どこかに利益が集中する制度は、ある程度は必要なのだ。
で、利益を集めてかなりの金を手に入れたはずのアリクイ兄弟なのだが……いまだに吹けば飛びそうなボロ屋に住み、贅沢なんかとは無縁の生活をしているようだ。
たまに陽だまり亭に顔を出すようにはなったけどな。……マグダ目当てで。
「なっぽーぱーい!」
「なっぽーぱーい!」
「分かった! 今度食わせてやるから!」
「「イェーイ! おごりだー!」」
「金は払えよ、この成金兄弟!」
まったく。こんなおかしな二人が、砂糖大根の大元締めとか、世の中それでいいのかと問いたいね。
「君たち。一つ質問していいかな?」
「あぁ、いいとも。幸い、僕たちは今とても機嫌がいいんだ」
「一つでも二つでも質問してくれ。おっと、ただし、三つはダメだよ? そうでなきゃ、僕たちがアップルパイを食べる時間が無くなってしまうからね」
「へーい、チック! ナイスジョーク!」
「サンキュー、ネック!」
「……質問、していいかな?」
エステラがもう疲れた顔を見せている。
そいつらと絡むなら、もっと持久力が必要になるぞ。忍耐だ、忍耐。
「ここ最近、おかしな人を見なかったかい? ヤシロとパーシーと君たちを除いて」
ついに質問相手までを除外対象に含みやがったか。
「変な人ならたくさん見たが、おそらく君が聞きたがっているような人は見かけていないね」
「そうだね。ユニークな人ではなく、不審な人、だろうからね」
「そういえば、最近四十二区にストーカーが出るそうじゃないか」
「なんだって、それは一大事だね」
「あ、それ、お前らの『恩人さん』のことだから」
一体、どの程度ストーカーの噂が広がっているのやら。
あんまりネフェリーを怖がらせるなよ、パーシー。
「となると……」
エステラの目が俺を見つめる。
あぁ、そうだろうな。
やはり、狙いは四十二区のケーキだ。
バカ爬虫類ことオットマーの証言から、狙いはケーキであると予想されたが、『砂糖を使ったケーキ』がターゲットだった可能性も否定出来なかった。
もし貴族が絡んでいるなら、『貧民砂糖』を生み出したアリクイ兄弟とパーシーの工場にも被害が出ているはずだ。だが、そうではなかった。
このことから、ターゲットは純粋に四十二区のケーキであることが窺える。
これで完全に、容疑者から貴族を除外出来るだろう。
「四十区で得られる情報は、もうなさそうだな」
「そうだね。ゴロツキのたまり場に情報収集に行くわけにもいかないしね」
オットマーに仕事を依頼した人物の目撃情報でも得られれば話は早いのだが……ゴロツキどもが協力してくれるとは思えない。後々、自分たちに火の粉が降りかかるかもしれない案件だからな。
下手すりゃ、囲まれてボッコボコだ。
「じゃあ、ラグジュアリーに行って馬車を出してもらうか」
「……帰りも乗せてもらうのかい?」
「当たり前だ。『何往復』してもいいんだからよ」
タルトのレシピは、一連のゴタゴタが片付いたらということで話をつけてある。
ならば、利用出来るものは利用しないとな。
パーシーたちに別れを告げ、ラグジュアリーへと向かう。
四十区は下水も整備され、その際、掘り返した土を埋めるついでに道路も綺麗に均されていた。かつての歩きにくかったでこぼこ道はもう見当たらない。
「ここもいい街になったね」
「まだまだ改善の余地はあるけどな」
「はは。ヤシロは統治者に向いているかもしれないね」
「やめてくれ。責任ばっかり押しつけられるようなポジションはお断りだよ」
「そう思うなら、ボクへの負担をもう少し減らしてほしいね。いつも無理難題を吹っかけてさ……」
「何言ってんだよ。無理難題を吹っかけられるのが領主の仕事だろ?」
「…………まぁ、それはそうなんだけどさ」
がくりとうな垂れるエステラ。
我が領主代行様は、相当お疲れなご様子だ。
「そんなにつらいなら誰かに丸投げでもしてやればいい」
「誰が代わってくれるのさ……そんなの…………っ!?」
「ん? なんだ?」
突然立ち止まったエステラ。
目を丸くして俺を見つめている。
……なんだよ?
「…………な、なんでもない。忘れて」
呟いて、足早に俺を抜き去る。そのまますたすたと歩調を速めて遠ざかっていく。
……なんなんだよ。
仕事がきつければ誰かに丸投げしろって言っただけで…………ん?
エステラは領主の娘で、仕事を丸投げ出来るのは、まぁ領主である親くらいか。だが、その親は病で伏せっていてとても丸投げは出来ない。
となれば……他に丸投げする相手となれば………………将来の婿くらいしかいないか。
………………で、なんでそこで俺の顔見て頬を赤く染め、その後逃げるように足早に歩き去るんだよ……
「……ったく、意味が分からん」
そう呟いた俺の声も、なんでか分からんが、若干ひっくり返っていた。
……ったく。意味が分からん。……ったく。
無言のまま、競歩大会さながらの速度で歩き、ラグジュアリーに到着した。
店の前には品のあるご婦人方が列をなしていた。
相変わらず凄い人気だ。
「あら……」
「あちらの方……」
俺たちが店のそばまで来ると、列に並んでいる婦人たちの中の何人かが、こちらに視線を向けてきた。……どれも、好意的なものではなかった。
「……なんだよ。人の顔を見てひそひそと……感じの悪い」
こちらが視線を向けると顔を逸らされる。
一体なんなんだ……?
「ヤシロ、とにかく裏に回ろう」
「そうだな」
ポンペーオに話をつけて、サクッと馬車を貸してもらおう。
と、店の裏手へ回ろうとした時……
「偵察にでも来たのかしら?」
「ケーキの秘密を盗みに来たのよ」
そんな言葉が聞こえてきた。
なに言ってやがるんだ、こいつらは?
なんで俺がポンペーオの技術を盗まなきゃいけねぇんだよ。
そもそも、ここのケーキは俺が……
「おにーちゃーん!」
その時、遠くで俺を呼ぶ声がした。
あの声は、ロレッタか。
見ると、ロレッタが物凄い速度でこちらに駆けてくるところだった。
あそこの弟妹はみんな足が気持ち悪いくらいに速いんだよなぁ。
「どうした、ロレッタ」
ロレッタは俺の目の前まで来ると、膝に手をつき、激しく肩を上下させて呼吸を整える。
「ひ、陽だまり亭が…………っ!」
ようやく絞り出しされたその言葉に、俺は冷や水をぶっかけられたような、ヤな寒気を覚える。
……陽だまり亭が?
「と、とにかく、早く戻ってきてです! 店長さんが困ってるです!」
今日はマグダが狩りに出ていて留守にしている。
今、陽だまり亭にはジネット一人きりなのか……
「エステラ!」
「分かった! 至急手配してくれるよう、ミスター・ポンペーオに交渉してくる!」
慌てて駆け出すエステラ。
エステラが戻るまでの間、ロレッタに詳しい話を聞こうとしたのだが……
「あらあら、何かあったらしいですわよ」
「ほ~んと。大変ねぇ」
「こんなところに来ている場合じゃないでしょうにねぇ」
その場にいる全員とは言わない。
だが、確実に数人、こちらに悪意を向けてくる者がいる。
「……お兄ちゃん…………なんですか、これ? なんか怖いです」
ロレッタも、発せられる異様な空気を感じ取り、俺の腕にギュッと掴まってくる。
向けられる悪意。
だがその正体ははっきりとは分からない。
……まずいな。
そうか……その可能性をすっかり忘れていた。
「ヤシロ! 馬車を手配してもらったよ!」
戻ってきたエステラを連れ、さっさとその場を離れる。
馬車は、少し離れた場所に停車する予定だ。
「ヤシロ、どうしたんだい」
「お兄ちゃん、顔が怖いです」
「……今回の犯人は捕まえられないかもしれない」
「「え?」」
揃って目を丸くするエステラとロレッタに、俺は厄介な敵の名を告げる。
おそらく、今回の敵は……
「無自覚なる悪意の集合体だ」
「『無自覚なる』……? どういうことだい」
「つまり……『やっかみ』だ」
四十二区如きが、ラグジュアリーと同じケーキを販売するなんて生意気だ!
そんな、利益や損得とはかけ離れた動機。
パウラが抱いていた反発心なんかよりももっと単純で、その分性質の悪い感情。
それが原因なら、犯人の特定なんか不可能だ。
こちらとの接点が無さ過ぎる。
向こうが勝手にこちらを知り、勝手に反感を覚え……直接攻撃に出てきた。
容疑者は、ラグジュアリーの常連客をはじめ、最下層の四十二区を見下している人物。
こちらが取れる行動は……防戦。
四十二区の大躍進は、目について……そして、鼻についてしまったようだ。
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