105話 ……おいおい
「ケーキ?」
エステラが眉を顰める。
そう、ケーキだ。
「『カンタルチカ』も『檸檬』もケーキを出している」
ランチが終わり、客が引けた時間帯。
そんなガランとした陽だまり亭の店内で、俺とエステラは向かい合って座っていた。
テーブルには、甘味処『檸檬』のレモンパイが置かれている。テイクアウトしてきたのだ。
「ケーキなら、四十二区にある飲食店はどこも出しているじゃないか。君が広めたんだろう」
「じゃあ言い方を変えてやろう。『ケーキを出している店のうち、有名な店が上から二つやられた』わけだ」
「……ケーキを好ましく思っていない何者かが裏で糸を引いている?」
「二つの事件に関連性があるならな」
一口サイズに切ったレモンパイを口へと運ぶ。うん、美味い!
カスタードクリームに混ぜられたレモンのさっぱりとした風味が甘さにメリハリをつけている。
今日の昼間、俺はエステラと共に『檸檬』に赴いた。
先方にアポイントを取ったところ、今日の昼時なら都合がつくと言われたからだ。
が、それ故にジネットを一緒に連れて行くことが出来なかった。お子様ランチが功を奏したこともあり、ここ最近ランチタイムは大忙しで、ジネットが店を離れるわけにはいかなくなってしまったのだ。
そんなわけで、『檸檬』に出向いた俺とエステラはマスターから事情を聞き、厨房を見せてもらった。レモンパイの調理も見せてもらったが、当然問題はなかった。
で、折角作ったんだからとレモンパイをもらったのだ。
ジネットをはじめ、陽だまり亭で留守番をしていた面々にも食わせてやりたかったしな。
もともと、この街でのレモンの地位は限りなく低かった。ここの連中は丸齧りする以外の食い方をしてなかったからな。
それを、陽だまり亭が『レモネード』『レモン水』『レモンティー』と、レモンの活用法を示して見せたことで、徐々にその認知度は上がり、需要も増していったのだ。
そこで、殊更レモンに思い入れの強い『檸檬』のマスターがケーキに使えないかと試行錯誤して完成させたのが、このレモンパイだ。
リニューアル前は主に緑茶やほうじ茶を出す、割と和風な店だったそうだが、俺がケーキを教えた際にレモンティーに出会い、それに感銘を受けたのだという。
そんなわけで、二人の愛の標であるレモンを使ったケーキが誕生までの経緯も含めて女性客に大うけし、あれよあれよと人気店へと上り詰めたのだ。
……ったく、どこの世界でも女子は好きだよな、愛のあるエピソード。
「……はむはむ…………愛の味」
「美味しいですねぇ。あたし、このケーキのファンになったです」
マグダとロレッタも大いに気に入ったようだ。
「ヤシロさん。コーヒーを淹れてきましたよ」
「おう、サンキュ」
ジネットが香り高いコーヒーを淹れてきてくれた。
確かに美味いんだが、俺には少し甘過ぎる。……愛の味がしてな。
なので、キレのあるコーヒーで口の中をシャキッとさせる。
ふむ。コーヒーを飲むと、ちょっと頭がよくなった気になるのは、なんでなんだろうな。
「それで、さっきの話だけど、本当にケーキが狙われているのかい? カンタルチカで悪用されたのはハンバーグだっただろう?」
「まぁ、関連性の証明は難しいかもしれんがな」
レモンパイを頬張りつつ、エステラが真剣な目を向けてくる。
鼻から下はもっしゃもっしゃしてるけどな。
「カンタルチカは名実ともに四十二区ナンバーワンの飲食店だろうから、単純に狙われたのかもしれない。だが、ケーキも取り扱っている。その点を蔑ろにしちゃいけない気がするんだ」
「ケーキが、誰かの逆鱗に触れたってわけかい?」
「そうだと、俺は睨んでいる」
嫌がらせが始まったのはここ最近だ。
そして、四十二区内でここ最近、最も変わったことと言えば、ケーキの出現だ。
それまで、ろくな甘味もなかったような街にオシャレなケーキが並ぶようになったのだ。
砂糖の普及によってな。
「まさか……」
「その可能性も、無いとは言えない」
これまでは貴族たちが砂糖を独占してきた。
それが庶民に出回るようになったことに対し、何か思うところがあるのかもしれない。
「それはどうでしょうか?」
しかし、珍しくジネットが異を唱える。
「以前アッスントさんに伺ったのですが、貴族の方は今この辺りで出回っている砂糖に関しては無関心なんだそうです。えっと、その…………『貧民砂糖』と呼んで、高級な貴族の砂糖の模造品だと……」
なるほど。
まともに食えもしない『臭ほうれん草』こと砂糖大根から作られた新しい砂糖。
伝統や風格を重んじる貴族から見れば砂糖大根製の砂糖は浅ましい物なのかもしれない。
『貧民砂糖』なんて呼び方をしてるあたり、自分たちとは関わりのない取るに足らないものと思っているのかもしれんな。
大金持ちが駄菓子に見向きもしない、みたいなもんで。
「確かに、砂糖の流通に関して貴族から反発があったなんて聞いてないな。むしろ気にも留めていない様子だよ」
だとすると……俺の読みは外れているのかもしれないな。
最近起こった二つの事件に関連性はなく、各々の店が知名度を上げたばかりに変な連中に絡まれてしまっただけ……とか。
「んじゃあ、無駄になっちまうかもしれないな」
「え? ……あぁ、アレかい?」
『アレ』というのは、エステラに頼んで実施している嫌がらせ犯誘導作戦の第二弾のことだ。
今度は、甘味処『檸檬』の前に複数人の女子を配置し、「檸檬休みなのかぁ」「じゃあ陽だまり亭に行こうか」「そうだねぇ、あそこがケーキの元祖だからね」「陽だまり亭のケーキってホンット美味しいよねぇ~」的なセリフを、RPGの村人のように延々言い続けてもらっているのだ。主人公が話しかければ、何回でも同じ会話をしてくれる。ちゃんとその情報が伝わるようにな。
つか、店先で他店の宣伝を繰り返される『檸檬』の不憫さよ……まぁ、許せ。
だが、貴族が絡んでないとなると、ケーキの線は不発か……
ケーキに反感を覚えそうなヤツなんか貴族くらいしか思いつかないもんな。
「こりゃ、もう一回作戦練り直しかぁ……」
「そうだね。もう少し様子を見てみる方がいいかもしれない。なんなら、護衛をつけて『檸檬』の営業を再開させるとか……」
――と、そんな話をしている時だった。
「責任者はいるかぁ!?」
蹴破らんばかりの乱暴さでドアが開かれ、一人の男が店内へズカズカと踏み込んできた。
その男の顔は、THE・爬虫類。……俺の記憶が確かならば、あの顔は……イグアナ。
イグアナ人族の男が肩を怒らせて陽だまり亭へと突入してきたのだ。
…………来やがった!
イグアナ人族の男はぐるりと店内を見渡し、……おそらく一番身なりのいい格好をしていたからだろうが……、エステラに目をつけた。
「おう! テメェがここの責任者か!?」
「ボクじゃないよ」
「口答えすんな!」
「……してないだろう?」
「目がしてんだよ!」
「目が口答えを? そんな言葉は初耳だね」
「ごちゃごちゃうるせぇな!」
「鼻につくかい?」
「テメェ……ケンカ売ってんのか?」
190センチほどもある巨体が凄んでいるというのに、当のエステラは余裕の表情を浮かべている。
強者は身のこなしとかで相手の強さでも分かるのかね?
エステラのあの余裕ぶりを見るに、さほど恐ろしい相手ではないのかもしれん。
そうだとすればホッと胸を撫で下ろすところなのだが……
「……撫で下ろし型の胸」
「うるさいよっ!」
めっちゃ怖い顔で睨まれた。イグアナより怖ぇ……そりゃ余裕の表情浮かべるわ、うん。
「あ、あの!」
よせばいいのに、ジネットがズイッと一歩前に進み出る。
「んだよ!?」
「ふぃゆっ!」
睨まれて言葉に詰まるジネット。
しかし、大きく息を吸い込んで、「むん!」と気合いを入れて、ぐっと胸を張る。
……ばぃ~ん!
「……張り出し型の胸」
「だから、うるさいよ、ヤシロ!」
また怒られた。エステラ怖ぁ~い。
「あ、あの! わ、わたしです!」
「……は?」
突然の宣言に、イグアナ人族の男は眉間にしわを寄せる。
伝わっていないと悟り、ジネットがきちんと説明をする。
「わた、わたしが、責任者です!」
「そして俺が権力者だ!」
「……マグダが人気者」
「えっ、あ、あたしは、一番普通です!」
「なんなんだ、テメェらは!? ふざけてんのか!?」
「「「大真面目」」です!」
「なら余計にムカつくわ!」
ジネットを除く、俺とマグダとロレッタの陽だまり亭店員が声を揃えて大真面目だと宣言したのに、一体何が気に入らないんだろうなこの爬虫類は。
「あ、あの。責任者はわたしですが、何かご用でしょうか?」
緊張しながらも、ジネットがイグアナ男に声をかける。
すると、イグアナ男はジネットを見てニヤリと口角を持ち上げた。
「お前が責任者か。じゃあ、さっさと出すもん出してもらおうか」
「おっぱいのことか!?」
「違ぇ! テメェは黙ってろ! さっきからチョロチョロうっせぇな!」
イグアナ男は俺に牙を剥く。
どうも俺は初対面の人間に嫌われる率が高い気がするんだよなぁ。
「出すものというのは……?」
「金だ!」
ん?
おかしいな。前情報だと、こいつは金を要求はしてこないはずなんだが……
「とりあえず、10万Rb出せ。で、あとこの店潰せ。目障りだから」
うわ……こいつ、完全に味占めてる。
しかもすげぇ雑になってる。
「あ、あのぉ……」
「んだよ!? さっさとしろよ!」
「ですが……なぜ、ウチがそのようなことを?」
「あん!?」
マジで分かっていない風なイグアナ男。
エステラが見かねて口を挟む。
「君、用件言ってないよ。この店が君に対し金銭を譲渡する必要性がまるで語られていない。それとも、君は強盗の類いなのかい?」
それはいい。もしこいつが強盗ならば、問答無用でボッコボコにして自警団にでも突き出してくれるぜ! ……マグダとエステラが。
「違ぇよ! 俺は、ほら! あのぉ…………アレだよ!」
「もしかして、『この店の物を食った直後から気分が悪くなった。この店の物は腐っているのか!?』……って、言いたいのか?」
「そう! それだ、それ! それなんだぞ、責任者! 分かったか!?」
「え、は、はい」
この雑~な爬虫類は、言うべきセリフが出てこなかったようで、俺が助け船を出してやったところまんまと乗っかってきやがった。
……いや、だからな。気付こうぜ。お前の言うべきセリフを俺が知ってるってことは、お前の悪事は明るみに出てるってことだろ?
「おぉっと! 俺に『精霊の審判』は効かないぜ! なにせ、俺は『嘘は』言ってないからな!」
安い……この爬虫類、安過ぎる!
お前は嘘どころか言わなきゃいけないことすら言えてねぇんだよ。
すなわち舞台にすら上がってないんだっつの。
「ということは、君は今、気分がすぐれないわけだね?」
「見て分かんねぇのか、コラァ!?」
エステラのさり気ない指摘に、爬虫類はなんでか恫喝で返す。
こいつ、折角エステラが気を遣ってくれたのに、気付いてないのか?
『この店のケーキを食って気分が悪くなった』と言い、こちらに『食中毒になった』と思い込ませるミスリードのはずなのに、お前、そんなピンピンしてていいのか? ――と、エステラは暗に指摘してやったのだ……が、物凄く元気いっぱいに返事をされたわけだ。
さすがのエステラも、これには苦笑するしかないようだった。……うん、そんな「どうしよう?」みたいな目でこっち見られても、俺も知らねぇよ。こんな超ド級のバカ。四十二区で一番騙されやすいモーマットよりも短絡的なんじゃないか?
……ったく、しょうがねぇなぁ。
「ということは、食中毒にかかっているってわけかぁ! こいつは大変だ! 食中毒にかかっているってことはお腹が凄く痛くて普通に立っていられないくらい苦しいだろうから、乱暴には扱えないやぁ!」
と、俺ははっきりくっきりゆっくりと、このバカ爬虫類が守るべき設定を教えてやる。
いいからお前は腹痛で苦しんでる素振りくらい見せろよ。
「あ、あぁ! そうだった! いててて! 食中毒で腹が痛ぇ!」
それは口にしちゃダメだろ!? 今のでお前、完全に『精霊の審判』に引っかかるぞ!
「お前のとこのケーキのせいだぞ! 責任取って10万Rb寄越せ! あと、店潰せ!」
……なんで折角の『精霊の審判』対策を全部自分でぶち壊すのかなぁ?
なんかもう、こいつに口論で勝つのすら嫌になってきた……なんか、こいつと真面目にやり合うと俺の評価まで地に落ちそうな気がするんだよなぁ…………どうしよう? という思いを込めてエステラに視線を向ける。
すると、『そんな目で見ないでくれるかい? ボクも知らないよ。こんな超ド級のバカ。四十二区で一番騙されやすいモーマットよりも短絡的なんじゃないの?』みたいな視線を返された。
「ロレッタ……あいつをカエルに変えてくんない?」
「い、嫌です! なんか、あの人には関わると負けみたいな気がするです」
「いやぁ……俺も関わっちゃ負けな気がしてさぁ」
「そんなことないですから! お兄ちゃん、いつもみたいにパパーッとやっつけちゃってです!」
「えぇ~……俺がぁ?」
「ゴチャゴチャうるせぇぞ、テメェら! さっさとしねぇと……」
バカ爬虫類が唾を飛ばしながら怒鳴り、腰にぶら下げていた大きな剣を抜き放つ。幅広で切っ先が広がり歪曲している。カットラスと呼ばれる剣だ。
抜身の剣がギラリと光を反射させ、店内の空気が一瞬で張り詰める。
そんな中、最初に動いたのはマグダで……その動きは、まるでお手洗いにでも行くような、何気ない動きで……俺たちは何も反応出来なかった。誰も、何も考えられず、爬虫類でさえ身構えることすらしなかった。
てとてと~と爬虫類に近付いたマグダは、テーブルの上のマーマレードを手に取るかのような、そんなさり気ないアクションで……拳を繰り出した。
キュッと握られた小さな拳は、的確にカットラスの刃の付け根を狙っていた。振り抜かれたのと同時にその幅広の剣身を捉え、そして「ぱきーん!」と、小気味よい音と共に刃だけが宙を舞う。……すげぇ、剣が根元から真っ二つになったぞ。
「……店内での抜剣、及び暴力行為は禁じられている」
お前が今繰り出した拳は暴力行為から除外されるのか?
無残、抜き放たれた剣は数秒で叩き折られてしまった。
「……この次違反すれば…………壊す」
いや、この次も何も、もう壊してるじゃ…………え、人体の話!? 壊されるの剣じゃなくて持ち主!?
マズいな。さすがに流血沙汰は避けたい。
「マグダ。彼は食中毒だそうでな、それはつまり病人ということなんだ。病人は今すぐ横になって安静にしないといけない」
マグダと爬虫類の間に割って入り、爬虫類の肩に手を置く。
そして、爬虫類に『大人しく横になれ。さもないと……』という視線を送る。
さしもの爬虫類も、ご自慢のカットラスをいともあっさり破壊されたという事実を重く受け止めたのだろうな……大人しく俺の指示に従い、床にどっかと腰を下ろした。そして、そっと……遠慮がちに……横になった。
マグダにジッと見つめられているからだろうか……爬虫類は全身から大粒の汗をだらだらと流している。
本当に具合が悪そうに見えるな。最初からこれくらいの演技をしててくれりゃ、こっちも色々やり甲斐とか、からめ手を使ったりとか、それなりの対応が出来たってのに……
こんなバカには、最もバカな撃退法がお似合いだろう。
「ジネット。置き薬の中から、黒い袋に入った飲み薬を持ってきてくれ」
「え? あ、はい」
一瞬躊躇したジネットだったが、俺が頷いてみせるとこちらの頼みを承諾してくれたようだ。
「エステラ、水を頼む」
「沸騰させてくる」
「水! 水でいいから!」
サラッと怖ぇなぁ、こいつも。
「ロレッタ」
「はいです」
「お前は獣人族だよな?」
「こう見えて、とびきりプリティなハムスター人族です!」
「力は強いか?」
「マグダっちょを『100』とした場合、あたしは『2』くらいですかね」
「ってことは、ジネットの十倍くらいはあるか……」
「わたし、そんな非力ですか!?」
薬を持ってきたジネットが目を丸くする。
獣人族のパワーは人間のそれを大きく逸脱してんだよ。気にするな。
「じゃあ、マグダとロレッタ。お前らは二人で協力して……」
ぽん……と、バカ爬虫類の胸に手を置く。
そして、満面の笑みで言ってやる。
「こちらの病人が、『絶対』逃げられないように『しっかりと』押さえ込んでおいてくれ」
「なっ!?」
「「かしこまり~(にやり)」」
「ちょっ!? お前ら!?」
起き上がろうとする爬虫類の肩を、マグダがグッと押さえ込む。バタバタと暴れる両足を、ロレッタが上手い具合に押さえ込む。お~、膝を押さえるのか。なるほど、やんちゃな弟たちを時には力でねじ伏せている長女らしい、的確な判断だな。
んじゃまぁ……と、俺はバカ爬虫類の胸の上にどっかと腰を下ろす。ふふふ……動けまい?
「テ、テメェら!? な、何をする気だ!?」
「いやぁ、なに。ウチの料理を食って腹を壊したってんなら、ウチが『責任を持って』面倒見てやらにゃあいかんと思ってな?」
俺が爽やかな笑顔を向けると、バカ爬虫類の額からは大量の汗が噴き出し、だらだらと零れ落ちていく。
おいおい、失礼なヤツだなぁ。こんなに素敵な笑顔なのによ…………ニィィィ。
「ヒィィィィッ!」
バカ爬虫類の喉から、人間のものではないような、不気味な音が漏れ出ていく。
「ジネット、
「は、はい!
ジネットの目の前に、半透明のパネルが出現する。
こいつは非常に便利な代物で、様々な検索機能が付いているのだ。通貨のレートなんかも分かるし、日付を指定してその日の会話を見ることも出来る。
そして……
「昨日以前で、このイグアナ人族の男との会話を検索」
会話相手を指定して検索をかけることも可能なのだ。
そして、検索結果は…………『該当なし』
「あれれ~、おっかし~ぞぉ~?」
「ヤシロって、結構それ好きだよね」
コップを片手にエステラが呆れたような目で見てくる。
バッカ、お前。推理をする者のマナーみたいなもんなんだよ、これは。みんなやってるの!
「以前、ここで飯を食ったはずなのに、ここの店長のジネットと会話をしてないのか、お前は?」
「う……あ、いや……べ、別のヤツが対応したんだよ……確か」
「会計は?」
「それも、別のヤツが……」
「ご来店されたのはいつですか?」
「はぁ?」
「わたしが店にいる際のお会計は、すべてわたしが担当しています」
ジネットがきっぱりと言う。
最近、マグダもロレッタも計算を覚えてきてはいるが、まだジネットの方が早い。それに、出来る限りお客さんと会話をしたいというジネットの申し出もあって、陽だまり亭の会計はジネットが担当することになっているのだ。
もっとも、ジネットが言った通り『ジネットがいる時は』という条件はつくがな。
「ここ数日、わたしは店をあけていませんし……ですが、具合が悪くなられたのが最近なのでしたら、原因となる食事をされたのもそう昔のことではないはずですし……」
「いやっ、あ~、ち、違う! そうだ! み、店を間違えたんだ! そうだよ、たぶん! 似たような店が多いからよぉ~、へ、へへへ……」
「大通りから離れたこの付近には、この店以外に飲食店はおろか、商店はひとつもないけど?」
エステラの鋭いツッコミが入る。
店どころか、陽だまり亭の周りには建造物など建っていない。
この店は、道の脇にぽつんと建っているのだ。
「いや、だから…………あれ、俺、夢を見ていたのかなぁ……あは、あははは……」
このバカ爬虫類は、よく今までカエルにされずに済んだもんだな。
ここまであからさまな嘘を吐くヤツは初めてだ。
「まぁまぁ。いいじゃないか、諸君」
あまりにもあからさま過ぎる嘘の連発に、店の空気はバカ爬虫類の嘘を暴こうという雰囲気になりつつあった。
けど、そういうの、よくないぜ?
ほら、罪を憎んで人を憎まずって、言うじゃん?
見たところ、このバカ爬虫類も凄く反省しているようだしさ。
「真相とか、真実とか、そういうのにこだわるのはやめないか?」
俺は、まるで聖人のような、穏やかな心で言う。
慈愛に満ちた、優しい笑顔をしていることだろう。
「あ、あの……ヤシロさん……」
「ヤシロ、顔が物凄いことになってるよ……」
「……邪悪」
ジネットにエステラにマグダがそんな酷いことを言う。
俺は腰をひねって振り返り、心根の優しい、正直者のロレッタに問いかける。
「そんなことないよな、ロレッタ?(にたぁ……)」
「ひぃっ!? あ……悪魔がいるです」
どいつもこいつも失礼なヤツだ。
まぁいい。慈悲の心とは、誰かに見せつけるものではなく、ただ与えるものなのだから。
「爬虫類君……」
「は、はひ……っ!」
「今、お薬をあげるからね」
「え……いや、も、もう、大丈夫……かなぁ、なんて。お腹、もう痛くないし……」
「遠慮することはないよ、爬虫類君。ウチで食事をした形跡はなく、食中毒だという割には健康そうで、あからさまに大嘘を並べ立てていたとしても……病人は労わらないといけない……そう、思うよね?」
「…………ぁ、あう…………あの、いえ…………す、すす、すみま……」
「おぉっと! いいんだ! 何も言わなくていいんだよ! …………『こういうの』はね、お互い様なんだよ」
「お、おた……が…………」
「さぁ、……口を開けて…………」
俺は、レジーナが『自分が「もうアカン! 今にも死にそうや! おっぱいに挟まれて死にたいっ!」って思い悩むような重症になった時に飲んでな』と、置いていった、究極の薬の封を開ける。
中から、「これぞ薬!」と言わんばかりの得も言われぬ香りがして……
ボコンッ!
――酸素に触れた途端、『薬』が動き始めた。
ボコン……ボコン……ボコン…………
「ちょっ、そ、そそそそそ、それ……い、一体、な、ななな、なんだよ!? 何に効くってんだよ!?」
「さぁ……分からん」
「分からんって!?」
「けど、きっと体にいいものだ。あいつはふざけ過ぎてはいるが、体に悪いものは決して作らない……精神を蝕むようなものは喜んで作るんだがな……だから、きっと飲んでも死にはしない」
「そ、そんな危ねぇもん飲めるか!?」
「飲めるさ。……俺が押し込んでやるから……」
「そうじゃねぇ! そういうことじゃねぇよ!」
全身に力を入れ、なんとか拘束から逃れようとするバカ爬虫類。
だが、マグダとロレッタの拘束から逃れることは出来ない。……つかロレッタ、お前意外とやるよな。この爬虫類だって獣人族なのに、よく押さえ込んでるよ。
さてと……
俺はぐぐぐっと、体をバカ爬虫類に近付けて、薬の諸注意が書かれている部分をバカ爬虫類に見せた。
『 効能: 体にいい。たぶんいいはず。
副作用: お腹の虫が「スイッチョン」と鳴くようになる(三日間)。
諸注意: 空気に触れると奇妙な声を上げますが、仕様です。
飲もうと顔を近付けると、金切り声を上げますが、仕様です。
用法・用量: 適量を『ガッツ』で飲むべし 』
「と、いうわけだ。ガッツを見せてくれよ」
「やっ! やめろ! そんなもんを顔に近付けるな!」
「はい、あ~ん!」
俺は、懇願するバカ爬虫類の言葉のすべてを一切無視して、レジーナ特製の薬をバカ爬虫類の前で取り出し、顔面に近付けた。
その途端――
「きあああああああああああああああああああああああっ!」
蠢く薬が断末魔の声を上げた。
「いやだぁぁぁあ! 飲みたくない! ウソ! ウソウソウソ! 全部ウソ! 食中毒になんかなってねぇ! 俺はいたって健康体だぁ!」
「へぇ……そうなんだぁ」
うんうんと、二度大きく頷き、俺はまた会心の笑みを浮かべる。
「でも、それも嘘なんだろ?」
『全部ウソ』なら『健康体』ってのも嘘になっちまうよな。
んじゃあ、やっぱり……お薬飲まなきゃねぇ…………ひっひっひっ。
「待ってくれ! 頼む! なんでも言うこと聞くからっ!」
ほらまた。
そうやって『精霊の審判』によって悪用されそうなことを口にする。
こいつは、あの虫の二人組に比べて、あまりにバカ過ぎる。そのせいでこの二つの事件を結びつけるのが難しくなるのだ。
だから、直接聞くことにする。
「なんでもするんだな?」
「する! マジでするから!」
「じゃあ、これだけは絶対に嘘を吐かずに、本当のことを答えろ。そうすりゃ、これまでのクッソくだらねぇ嘘は全部見過ごしてやる」
俺は立ち上がり、腕を真っ直ぐ伸ばして寝そべるバカ爬虫類を指さした。
「だが、ここで嘘を吐けば…………テメェの人生を終了させてやる」
バカ爬虫類が、ようやく事の重大さに気が付いたようだ。
瞳孔が広がり、眼球が細かく震え出す。
口がわずかに開き、ガチガチと歯と歯がぶつかり音を鳴らす。
俺は、一切の感情を消した冷たい視線を向けて、バカな爬虫類に問う。
「お前をけしかけたのは誰だ?」
こいつは部外者だ。
どう考えてもしっくりこない。
虫の時の二人組は、自分が所属する組織を知られることを強く拒んだ。
だが、このバカならペラペラとしゃべりそうだ。
明らかに温度差がある。
虫の二人組に対して、このバカ爬虫類はあまりにも軽い。底が浅く、思慮に欠け、ペラペラだ。
そう、まるで……
誰かに言われるがままに犯行に及んだ、使いっ走りのような薄っぺらさなのだ。
「誰に言われてこんなことをした?」
バカ爬虫類の顔色がみるみる青ざめていく。
俺は、そんなに恐ろしい顔をしているか?
えぇ、どうなんだよ、三下……
「…………答えろ」
「し、知らねぇ……」
知らない、だと?
「ほ、本当だ! 道を歩いていたら、突然知らねぇヤツに声をかけられて、『四十二区のケーキを滅茶苦茶にしたら金をやる』って! マジなんだ! お、俺の道具袋を見てくれ! 前金でもらった金貨が入ってる! 俺みたいなチンピラがこんな大金持ってるわけねぇだろ!? なぁ、信じてくれよ! これだけはマジなんだって!」
バカ爬虫類の目を見つめる。
見開かれた目に色濃く浮かんでいるのは、恐怖の色……こんな目をして嘘を吐ける人間はいない。
こいつは嘘を言っていない――俺は、そう確信した。
「分かった。信じよう」
「本当か!? 助かった…………じゃあ、早いとここの小娘どもに手を離すように……」
「お前の言うことを信じてやろう」
「……? だからよぉ、こいつらの手を……」
「食中毒、つらいだろう?」
「――っ!? い、いや! バカ、お前! そ、そこは嘘だって、分かるだろう!?」
俺が「にやり」と笑うと、マグダとロレッタが同時に「にやり」と笑い、ついでにエステラまでもが「にやり」と笑みを浮かべた。
「お、おま……おまえら…………や、やめ…………っ!」
「大丈夫。す~~~~ぐ、楽になるから…………たぶん」
「やっ! やめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおっ!?」
「やめろ」と、バカ爬虫類が口を開けたので、俺はそこに、レジーナ作の蠢く絶叫とるぅん薬を放り込んだ。
「きあああああああああああああああああああああああっ!」
「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!」
謎の薬の奇声と、バカ爬虫類の悲鳴が重なり、やがて薬は飲み込まれていく。
「ふぉんっ!? ふふぉぉおおおおおおおんっ!」
変な声を上げ、数十回体をビックンビックンと痙攣させた後、バカ爬虫類はがくりと弛緩した。
…………ご臨終です。
……いや、嘘だよ? 気を失ってるだけだ。
「どうするの、これ?」
エステラが面白がるような、困ったような、複雑な表情で尋ねてくる。
そうだな……店に置いておいても邪魔だし……
「『檸檬』の前にでも捨ててくるか」
「……マグダが持っていく」
「『私は嘘吐きです』って張り紙でも貼っておいてやるです」
心なしか、みんなの顔がわくてかしているような気がする。
心配そうな表情を浮かべているのはジネットだけだ。大丈夫だ、気にすんな。
この手のヤツはちょっとやそっとじゃくたばりゃしねぇよ。
「さぁ、じゃあ捨てに行くか」
と、俺がバカ爬虫類に近付いた時――
「すいっちょん! すいっちょん! すいっちょん!」
突然そんな虫の鳴き声が聞こえてきた。
……あぁ、こいつ、腹減ってんだな。
いやぁ、レジーナ。お前の薬は本当によく効果を発揮するよなぁ…………副作用の。
「すいっちょん! すいっちょん! すいっちょん!」
そんな奇妙な腹の虫の声を聞きながら、俺は今回得た重要な情報を頭の中に思い浮かべていた。
ケーキを快く思っていない何者かが、やはり陰でこそこそ動いてやがるようだ。
これは、ちょっと考えるべき事態だよな…………うん。
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