103話 虫釣り

 その男たちが食いついたのは、エサをまいてから二日経った頃だった。


「おいおい、オメロ君。聞いたかい?」

「何がだい、モーマットさん」

「なんでもよ、カンタルチカの虫騒ぎ、あれは勘違いだったらしいぜ」

「なんだって、勘違いってのはどういうことだい?」

「プロが調べたところ、虫が混入する可能性は極めて低かったらしいんだ」

「な、なんだってぇー! ってことは、カンタルチカの飯は安全だってことかい」

「あぁ、まさしくそういうことだ。これで、毎日安心してハンバーグが食えるなぁ、俺は野菜の方が好きだけどなぁ」

「そいつは朗報だ! ハンバーグが食べられないなんて、人生が色褪せるようなもんだからなぁ、オレは魚の方が断然好きだけどなぁ」

「いやいや、あっはっはっ」

「こりゃこりゃ、あっはっはっ」


 陽気なワニとアライグマがデカい体を寄せ合って大笑いをしている。

 ……あいつらには芝居心ってもんがないのか。


 エステラに話を通し、一時的にカンタルチカに有利な条件での経営を許可してもらった。

 本来は、どこかの店で他店舗の宣伝活動は禁止されている。トラブルの元だからな。もっとも、陽だまり亭とカンタルチカのように双方合意の上で協力関係にある場合は除外される。

 まぁ、禁止と言ってもマナーみたいなもんだ。


 だが、無理を言って四十二区内にある飲食店に協力を要請した。

 カンタルチカに悪質な嫌がらせ行為がなされた。これを放置しては、他の店にもゆくゆく被害が及ぶ可能性がある……と、言ってな。


 四十二区飲食ギルドに加盟している飲食店を領主権限で緊急招集してもらい、ことのあらましを説明した。同時に情報提供を求め、ついでに、他ギルドへも協力要請を出した。


 その結果行われたのが、さっきのオッサン二人による大根芝居だ。

 あの二人だけではなく、様々な協力者に四十二区内でさっきのような芝居を打ってもらっている。


 これはエサだ。


 虫を作為的に混入させたヤツらの目的がカンタルチカを潰すことなのだとしたら、自分たちの行為が効力を発揮していないと聞けば行動を起こすはずだ。

 もし違うなら、また別の作戦を立てるまでだ。

 あからさまなステマ行為も、領民すべての理解を得ていればいやらしくもなるまい。みんながカンタルチカの汚名返上のために協力してくれているのだ。

「問題が起これば売名行為が出来るのか。じゃあウチも自作自演で……」なんてバカは出てこないだろう。


「あ、ヤシロ! あの二人だよ! 間違いない!」


 カンタルチカの厨房の窓から外を窺い、ターゲットを確認する。

 見覚えのない顔で、かつ旅人ではないとなれば他区の人間である可能性が高い。

 そう思って、区の境界に弟たちを張り込みさせ『ガタイのいい二人組が来たら全部知らせろ』と言っておいたのだ。

 散々人違いを重ねた後、ようやく本物が引っかかったらしい。


 ガタイのいい二人組は、真っ直ぐにカンタルチカへ近付いてくる。

 どこかの剣闘士か? 筋肉が盛り上がって服がはち切れそうだ。


「あの、ヤシロさん。ハンバーグは準備しますか?」

「そうだな。絶対に不備の無い完璧なヤツを一つ作っておいてくれ」

「はい」


 ここ数日、俺とジネットはカンタルチカに助っ人に来ていた。

 パウラが接客と調理を担当していたのでは、ターゲットを釣るための準備が入念に出来ない。

 そこで、ハンバーグを完璧にマスターしているジネットを連れてきたのだ。


 厨房には、ジネットの他にエステラとナタリアも控えている。数人掛かりで、確実に異物混入の無いハンバーグを作ってもらうのだ。過剰なほど徹底的に管理をして、100%不備の無い完璧なハンバーグを。


「それに、もし虫が入ってるなんて言い出したら……」

「黒だな」


 現行犯で取っ捕まえてやってもいいんだが、あまり露骨に監視していると犯行自体をやめかねない。

 さり気なく見張る程度に留めておくべきだろう。


「おい! 注文だ!」

「早くしろよ!」


 ガタイのいい二人組……面倒くさいので右筋肉と左筋肉でいいや……が、イライラと声を荒らげる。


「行かなきゃ」

「待て」


 接客に向かおうとするパウラを呼び止める。

 あの客どもには警戒心を持たせたくない。

 前回見かけた店員よりかは、初めて見るヤツが接客した方が警戒心は薄れるだろう。二度目のヤツよりかバレる確率が下がるからな。


「俺が行く」


 パウラの頭をポンと一叩きして、俺は襟を正す。

 今日はカンタルチカの雰囲気に合わせたウェイターの衣装を着ている。

 カンタルチカでは男は雇わないようで、ウェイターの衣装は自前だ。……俺一人だけコスプレじゃねぇか……


 ホールに出ると、右筋肉が大きな身振りで手招きしていた。

 左筋肉は俺を睨み殺そうとばかりに鋭い視線をぶつけてくる。


「はいは~い、ただいま~!」


 ぽや~んとした口調で言い、俺はふわふわとした足取りで接客に向かう。

 こういうタイプの店員を見るとこの筋肉どもはこう思うだろう。「あ、こいつには絶対バレないぞ。ふっふっふっ、チョロいな」と。


「ご注文はなんですかねぇ?」

「ハンバーグだ。十秒で持ってこい」

「じゅ~びょう~? え~~~………………………………っと」


 たっぷり十秒ほど考え込んだ後、俺は可愛らしい笑顔を右筋肉に向ける。


「はい、大至急」

「もうとっくに十秒過ぎてんだろうがっ! 舐めてんのか!?」

「え? ハンバーグを舐めてからお出ししろと?」

「違ぁぁああうっ!」


 右筋肉がテーブルをダンッと叩く。作りのしっかりした重厚なテーブルが一瞬たわんで見えた。……腕力すげぇ…………


「おう! オレは酒だ! この店で一番高い酒を持ってこい!」


 料金がタダになると踏んで、左筋肉は調子に乗ったオーダーを入れる。


「料金は前払いになりますが、構いませんかねぇ?」

「う………………、ま、まぁ、最初は安い酒でいいかな……」


 カンタルチカは前払い制度だ。

 一番高い酒が飲みたきゃ、ポンと大金を出せるようになってからにしな。


 結局、右筋肉はハンバーグとワインを、左筋肉はエールと特製ソーセージを注文した。

 料金を受け取り、厨房へ戻る。


「……ヤシロ。君は人をイライラさせる天才だよね」


 厨房の入り口でエステラに称賛を浴びせられる。


「憧れるか? サインやろうか?」

「呪われそうだから遠慮しておくよ」


 憎まれ口の減らんヤツめ。

 俺が煽ってやったおかげで、あいつらは思い切り悪に徹することが出来るんじゃないか。「ムカつくからぶっ壊してやろう」ってな。

 これも作戦なんだぜ?


「ヤシロさん、ハンバーグ完璧バージョンです」


 ジネットから、見ただけでよだれが出そうな完璧なハンバーグを受け取る。

 ……ちょっとくらいなら齧ってもバレないかな?


「ジネットさん。ソースをかけ忘れていますよ」

「あっ! すみません。完璧じゃなかったみたいです」


 可愛らしく舌を覗かせ、ジネットが恥ずかしそうに頬を掻く。


「くっ! これが、女子力か!?」

「見習いたいですが真似出来そうにありませんっ!」


 エステラとナタリアが謎のダメージを受けている。


「いいなぁ、天然!」

「いいですよねぇ、天然は!」

「あ、あの……わたし、別に天然では……」

「「「「天然はみんなそう言う!」」」」

「どうしてヤシロさんとパウラさんまで参加されてるんですかっ!?」


「おっちょこちょいなのてへっ☆」なジネットがかけ忘れたソースを、俺が直々にかけてやる。

 美味しくなるおまじないと共にな。


「おいしくな~れ、らぶらぶきゅん☆」

「……なんだい、その確実に呪われそうな呪文は……」


 エステラが二歩、俺からススッと遠ざかる。

 まったく、なんにも分かってないんだから……美味しくなる魔法だぞ? 世界中の男が鼻血ブーもんで狂喜乱舞する魔法の言葉だぞ?


 ついでだから、ハンバーグにかけるソースで名前でも書いておいてやろう。子供も大きなお友達も大喜びだ。


 そんなわけで、俺は愛情と丹精を込めたハンバーグを持って右筋肉の元へと運んでいく。

 ハンバーグにはソースで『ムッキムキ』と書いておいてやった。


「てめぇ、舐めてんのかっ!?」

「いやいや、まだ舐めてないよぉ」

「『まだ』ってなんだ!? 舐めようとしてんじゃねぇよ! 舐めんなよ!」


「お前はネコか」……って、言っても絶対伝わらないだろうから言わないけどね。


 ハンバーグを置き、その他、酒やらソーセージを置いて、俺は筋肉どもの席を離れる。

 う~わ、背中にめっちゃ視線刺さってるわぁ。すげぇ睨まれてる。


 ざっと店内を見渡す。

 客の入りは上々。適度に混み合いつつも、移動の妨げになるようなすし詰め状態ではない。

 ……って、当たり前だ。

 ここにいる連中は全員『仕込み』なのだから。


 現在、カンタルチカは事実上の休業中なのだ。

 今ここにいる客はすべてが事情を知っている連中で、俺たちの行動の邪魔にならないように動いてもらっている。

 とはいえ、芝居心の無い連中ばかりなので簡単な二つの命令をしてある。

 一つは『ターゲットを見るな』。バレるからな。

 で、もう一つが『普通に飯食ってろ』……これが一番有効なのだ。こいつらは背景。大道具に分類される連中なのだ。エキストラですらないのだ。


 さて……『大道具』に隠れて様子を窺うか…………

 とはいえ、ジッと見ているわけにはいかないので仕事をしているフリをして、耳をそばだてておくくらいしか出来ないけどな。なにせ、警戒されたらそこで終わりだからな。


 カンタルチカの汚名を返上するだけなら、現行犯で逮捕するだけでいい。実に単純な解決策だ。

「これは嫌がらせでした。カンタルチカは無罪です」ってな。


 だが、それじゃあ筋肉どもへのダメージが無さ過ぎるのだ。

 いいとこ出禁にするくらいが関の山だろう。


 それじゃあ生温い……二度と逆らおうなんて考えを持たないようにしなければ。


 ヤツらの手口は、パウラに会話記録カンバセーション・レコードを見せてもらったので分かっている。

 ヤツは間もなく、ハンバーグに切れ目を入れ、そして、大声でこう言うのだ――


「おいおい! どうなってんだ、これは!?」


 うん。まったく同じセリフだ。

 こいつらバカなのか?

 同じ店でまったく同じことをやるかね……


 けれど、これではっきりした。

 こいつらは金目的ではなく、確実にカンタルチカを潰しにかかっている。

 何度も同じ難癖をつけて、悪いイメージを植えつけようというのだ。

 周りの人間がどれだけ「カンタルチカは悪くない。悪いのは筋肉どもだ」と言ったところで、こいつらはやめはしない。それが事実かどうか、信じる信じないは関係ないのだ。ここで騒ぎ、人々の記憶に残すことが目的なのだから。


 だから、分からしてやらなきゃな……お前らがやってることがどれほど危険なことかをな。


「どうかされましたか?」

「どうしたもこうしたもねぇだろ! これを見ろよ!」


 右筋肉がハンバーグを指さす。


「……『ムッキムキ』……ぷっ。なんですか、これ?」

「それはお前が書いたんだろうが! 見るのはそこじゃなくて、ハンバーグの中だよ!」


 言われて、ハンバーグに視線を向けると……これ見よがしに巨大なバッタが顔を出していた。

 ホント……どうやって入ったって設定なんだろうな……


「よく見ろ、コラ! 虫が入ってるだろうが! この店は客に虫を食わせようってのか!?」


 会話記録カンバセーション・レコードで見たセリフと、同じ言葉だ。一言一句違わない。

『虫が入っていた』ではなく、『虫が入っている』なのだ。現状入っているので嘘ではない。そして、『客に食わせようってのか』というセリフで、「虫が入っていたのは店側の責任である」と周りの者に錯覚させるのだ。


 誰かに入れ知恵されたのか、身の丈に合っていない詐欺をするヤツらだ。

 おそらく「お前らが虫を入れたのだろう」と問えば、こいつらはこう言うだろう。「証拠はあるのか」「見たのか」「言いがかりをつける気か」と。俺が黒幕ならそう言うように指導する。逆切れして、論点をすり替えて、有耶無耶にする。あとはデカい声で威嚇し続けて相手が正論を言う体力と気力を削り続ける。

 心が折れて「もういいや。言うことを聞いて早くこの状況を終わらせよう」なんて考えたら、店側はおしまいだ。完全降伏したことになる。


 厄介だが、心を強く持ち、「違うものは違う」と言い続けなければいけないのだ。


 もっとも、俺はこういうみっともない、クズ以下の恫喝しか出来ないバカが死ぬほど嫌いでな…………心を強く持って理路整然と立ち向かう……なんて大人しいことはしてやらねぇ。

 ……けんかを売る相手を間違えたな、チンピラ。いや、三下。いやいや、不燃ごみが。


 こいつらは、神が世界を作る際にどうしても出さざるを得なかった産業廃棄物なのだ。

 ゴミはゴミ箱へ。

 クズには、クズに相応しい仕打ちを。


「う~ん……おかしいなぁ」


 腕を組んで、盛大に首を傾ける。

 ふふん、イラッてするだろう、この動き。……ワザとだよ?


「何がおかしいんだよ! 現に虫が入ってんだろうが! どう責任取るつもりだコラ!?」

「入ってる……ではなく、『入れた』の間違いでは?」

「なんだテメェ!? 証拠でもあんのか!?」

「見たのか!? 適当なこと抜かしてっとただじゃおかねぇぞ!」


 うむ、予想通りというか……教科書通りの返しだな。


「まぁまぁ、いいからとりあえず落ち着いて聞いてくれよ」


 ヒステリックに叫ぶ男たちを両手で「どうどう」と御しながら、俺はゆっくりとした口調で説明を始める。

 そう。バカにもよく分かるように、懇切丁寧にな。


「この場合、二つのケースが考えられると思うんだが……まず一つは、焼く前に入った可能性だ」


 人差し指を突きたて、一つ目の可能性を挙げてみる。

 男たちを見やるが、特に口を挟んでくる素振りは見られない。『精霊の審判』に引っかかることを恐れて下手なことは言わないように努めているのだろう。

 いい選択だ。

 ならば、さっさと結論を出してやるか。


「が、それはありえない。見てみろよ。肉には火がきちんと通ってるのに、この虫、足の一本一本まで綺麗なままだ。ハンバーグを焼く温度知ってるか? 中に入ってたとしたら、こんな綺麗なままじゃいられないぞ」

「うっ……」

「それがなんなんだよ!? なら、あとから入ったってことだろうが!」


 左筋肉が小さなうめき声を上げた途端、右筋肉が我慢ならないとばかりに言葉を発した。

 おいおい。だんまりを決め込まなくて大丈夫か? 下手にしゃべると自分の首を絞めることになるぞ。


「それこそあり得ないだろ」


 だが、そこはあっさりと否定してやる。

 すると、案の定、右筋肉が喚き出した。


「なんでそんなこと言い切れんだよ!? お前らが目を離した隙に入ったんだったら分かんねぇだろうが!」


 やっぱりこいつは危ういな。このまま煽っていけばそのうち勝手に自爆しそうではあるが……まぁいい。都合のよいいい言葉を吐いてくれたので、ここはそれに乗っかってやるとしよう。


「ってことはだ。この虫が自らの意志でハンバーグの中に入っていったってことになるが……もう一度よく見てくれよ」


 俺は、ハンバーグの切れ目から顔を出すバッタを指さす。

 そう、バッタは、ハンバーグから『顔を出している』のだ。


「なんで、尻から入ったんだろうな? 寝ようかっつってベッドに入ったわけでもあるまいに」


 普通、虫が食い物に入るなら頭から突っ込むものだ。

 別のところから突っ込んできた可能性? ないね。なぜなら、切れ目以外のどこにも穴が開いていないから。

 ハンバーグは空気を抜くために何度も打ちつけられているのだ。肉の中に空洞は少ない。そんな中に割って入るのだから穴くらいは開くはずだ。それが無い。

 よって、このバッタは自分の意志でハンバーグに入ったわけではない。


「それに、このバッタね…………おかしいんだよなぁ……」

「だから何がおかしいんだよ!?」


 右筋肉と左筋肉が俺を挟むようにして立ち、般若みたいな顔で睨んでくる。

 ふん、怖かねぇよ、そんなもん。

 いいか? もし俺に手を出そうものなら……ただじゃおかないぜ…………ナタリアが。

 よろしくね! 出来れば、手を出される前にカッコいい感じで防いでね!

 ナイフとか突きつけて「そこまでです」的なヤツでね!


 で、話を戻すが……


「このバッタが四十二区に生息してるなんて、聞いたことがないんだよなぁ……」

「そんなもん、お前が知らねぇだけだろうが! 無知なんだよ!」

「無知? ……かつて、『虫博士』と言われたこの俺がか?」

「な、なに……っ!?」

「四十二区や四十区の森にまでわざわざ出向いてあれこれ見ている、この俺が……無知だってのか?」

「…………う、嘘……だろ、どうせ? でまかせだ」

「『精霊の審判』をかけてみるかい?」

「…………くっ!」


 やってもいいぞ。

 小学生の頃、ヒラタクワガタとミヤマクワガタの孵化に成功した俺は、男子連中から『虫博士』と呼ばれていたし、ミリィやアリクイ兄弟に付いて、『四十二区や四十区の森にまでわざわざ出向いてあれこれ見て』きたのも事実だ。まぁ、見てたのは虫じゃなくて花だけどな。


「でだ、そんな俺が断言してやるが……『俺は、このバッタが四十二区に生息しているという情報を聞いたことがない』」


 うん。

 バッタのことを俺に話しに来るヤツなんかいないもんな。そんな情報集めてもないし。

 聞いたことないぞ。興味ないから。


 でも、この筋肉どもにはこう聞こえていることだろう。


「こんな虫は四十二区には存在しない」と――


「さて……この虫は、一体どこから紛れ込んだんだろうな?」

「し…………知るかよ…………こ、この店のヤツが、ワザと入れたんじゃねぇのか!?」

「『この店の者が虫を入れた』とそう言うのか?」

「そのとお……」

「待て!」


 口を滑らしかけた右筋肉を、左筋肉が制止する。

 ……ほぅ、冷静だな左筋肉。


 もし今、右筋肉が「そのとおりだ」と言い切っていれば、こいつは『精霊の審判』に引っかかることになる。こいつらは、『虫を入れたのがこの店の人間ではない』ということを知っているはずだからな。

 よく思い留まれたな。


 でもそれってよ、「自分が犯人です」って自供したようなもんだろう?


「どうやって混入したかよりも、今現在、現にこうして虫が入っていることが問題なんじゃねぇのか、えぇ、店員さんよぉ!?」


 左筋肉にバトンタッチしたようだ。

 右筋肉は後ろで小さくなっている。


「例えばの話なんだが……」


 俺はもう一度、ハンバーグに入っているバッタを指さして言う。


「お前なら、これを美味しく食べられるなんてことは?」

「あるかっ!? お前、バカにしてんのか!?」

「なぜそれをっ!?」

「してんのかよ!?」


 額に青筋を浮かべ、左筋肉が俺の胸倉を掴む。

 ナタリア! そろそろ出番な気がするんだけど!? どうした!? もしかして今休憩中!?


 助けは来そうにないので、自分でなんとかする方法を取る。


「あれれ~、これはなんだぁ?」


 俺は、ググッと接近してきた左筋肉の懐に手を突っ込む。


「何しやがんだ!?」


 慌てて、左筋肉が俺を解放し、俺から距離を取る。

 そして、頬を少し赤らめ、襟元をギュッと握りしめて、俺を恨めしそうに睨む。


「へ、変態か!?」


 おいおい、やめてくれよ。そんな反応されたら、俺がソッチの気がある人みたいに見えるじゃねぇか。


「…………こ、困るぞ。さすがに」


 だから、頬を赤らめるな!

 そういう反応をしていいのは美女か美少女だけなの!


「気持ちの悪い反応を見せてくれているところ悪いんだが…………こいつの説明をしてもらえるかな?」


 俺は、左筋肉の懐に突っ込んだ方の手を高々と掲げる。

 そこには、ハンバーグに入っているバッタと瓜二つの『ブツ』が握られていた。


「バカなッ!? なんでそんなもんがここに!?」


 言いながら、左筋肉は自分の懐をまさぐる。

 盛大に焦っているようだ。

 それはそうだろう。

『四十二区にはいないと虫博士が断言した虫が』『自分の懐から出てきた』わけだからな。


 もっとも、そいつはどっちも勝手な解釈ではあるのだが……


「説明、してくれるよな?」

「や、ちが…………俺じゃ……お、おい! お前、俺の服に虫入れたのか!?」

「い、いい、入れてねぇよ! マジだって! そんなことしてねぇ!」


 逃げ場を失った左筋肉が右筋肉に矛先を向ける。

 突然の責任転嫁に右筋肉は盛大にテンパって、『とてもいい発言』をしてくれた。


「だって、今日は一匹しか持ってきてねぇんだからよ!」


 言い終わった後、右筋肉と左筋肉は同時に表情を強張らせた。

 だが、ここで有耶無耶にはさせない。


 零れた言葉は、すぐにちゃ~んと、拾ってやる。


「で? 『今日持ってきた一匹』ってのは、今、どこにあるんだ?」


 筋肉どもは口を閉ざし、視線を逸らす。


「今、どこに、あるんだ?」


 改めて問う。だが、返事は返ってこない。


「なら、しょうがない……お前たちの名前と住所、所属するギルドを教えてもらおうか」

「な、なんで、そんなこと……俺たちが答えなきゃいけねぇんだ」

「そ、そうだ、そうだ!」

「なぜ、か……じゃあ答えてやろう」


 淡々と、あくまで事務的に、決定事項を伝える事務員のような口調で言う。


「統括裁判所に提訴するためだ。お前たちと、お前たちの所属するギルドをな」

「なっ!?」

「俺たちのギルドは関係ねぇだろ!?」

「ふざけるな。『精霊の審判』に引っかからないやり方をレクチャーまでして、組織的な嫌がらせをしておいて……無傷で済ませられるとでも思っていたのか?」


 こいつらの後ろには、何者かがいる。

 そいつをダシに使えば……


「わ、悪かった! すべて認める! だから、ギルドを巻き込むんだけは勘弁してくれ!」

「も、もう、二度とこの店には来ねぇ! いや、この街には来ねぇよ! だから、頼む!」


 筋肉どもが床に手をついて頭を下げる。

 組織を巻き込みたくないってことは……こいつらは自分の判断で行動したってことか?

 命令に従ったのではなく?


 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 悪事が露呈した後で行われる謝罪は懺悔ではない、懇願だ。「どうも申し訳ありませんでした」と言わなければいけない場面で、こいつらは「どうか助けてください」と言っているのだ……そんな図々しいヤツを、俺が許すと思うか?


 こいつらが所属するギルドなんか、調べればすぐに分かる。

 そうさせないためにこいつらが姿をくらますならそれはそれで結構。二度とこの街に戻れないように追いつめてやる。


 俺のテリトリーで好き勝手な行動を取ったことを…………後悔させてやるぜ。


 さぁ、選べ。

 カエルとなって人権を捨てるか…………

 人間の姿のままヒト以下の存在に成り下がるか………………


 と、本来ならそれくらいキツいお灸をすえてやりたいところなのだが――

 俺は厨房を振り返り、その向こうへと声をかける。


「だ、そうだが……どうする、パウラ?」


 声をかけると、厨房からパウラが姿を見せる。

 今回、被害を受けたのはパウラだ。

 俺が出しゃばってすべての方を付けるのは、ちょっと違う気がする。


 パウラは腰に手を当て、土下座する筋肉どもを軽蔑の眼差しで見下ろす。

 さて、どう出るかな?


「前回と今回の代金、それから、店を閉めなきゃいけなかった間の想定売上金を保証してくれるんなら、許してあげる」


 ……しっかりしてるな、こいつは。

 売り上げ最優先かよ。


「は、払う! いや、払わせてもらいます! ですから、どうか、ここだけの話ということに!」


 筋肉、必死の懇願に、一番の被害者だったパウラが折れた。


「もういいから、お金を置いてさっさと帰って。分割にする場合は何回払いかを最初に言っておいてね」


 やっぱり、しっかりしている。


 が、俺に言わせれば甘い。甘過ぎる。

 こういう輩に情けをかけてやったところで何もいいことはない。むしろ悪いことを引き込むきっかけにもなり得る。

 とはいえ、制裁を加え過ぎるのも考えものだし、何よりパウラがそれでいいと言っているのだ。ならば、よしとしといてやろうじゃねぇか。


 あとは当事者同士に任せておくとしよう。

 とりあえずこれで、俺たちの仕事は終わったようだ。

 商売が上手くいくと、こういうトラブルに巻き込まれたりもするんだな……陽だまり亭も気を付けなきゃな。


「ヤシロさん。お疲れ様でした」

「いや。助かったよ。エステラにナタリアも」

「いいよ。四十二区内の悪評は、ボクも見過ごせないからね」

「私は、何もしておりませんので」


 本当に何もしてくれなかったよな、ナタリア。

 なんであそこで飛び出してこないんだよ?

 まぁ、おかげで上手いこと解決出来たからいいけどな。


 あぁ、そうそう。

 俺が左筋肉の懐から取り出した『ように見せた』巨大なバッタは、パウラがとっておいた前回のバッタを見本にベッコに作らせた模型だ。

 それを手のひらに忍ばせて左筋肉の懐に手を突っ込み、手を引き抜くと同時に、さも懐から取り出したかのように見せたのだ。

 まぁ、手品でよくあるトリックだな。


 勘違いが三つも四つも重なれば、事実なんて簡単にねじ曲がる。


 俺は虫に詳しくはないし、四十二区にこのバッタがいないとは限らないし、懐にバッタは入っていなかったし、そもそもこのバッタはただの模型だし、何よりも俺はここの店員じゃない。

 何もかもが、あの筋肉どもが勝手に思い込んだだけのことだ。……まぁ、俺がそう思い込ませたんだが。


 少しは懲りて、もうこの付近をウロウロしないでいてくれればいいんだけどな。

 こっから先は、こういう面倒に巻き込まれずに過ごしたいものだな。



 そんなささやかな願いくらい、聞いてくれてもいいだろう。なぁ。神様よぅ。






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