94話 新しいもの 懐かしいこと

「……むぁぁあああ」


 マグダが口を大きく開け、悶絶するカエルのような声を上げる。


「……に、苦い…………」


 コーヒーを飲ませてみたのだが、やはり口に合わなかったようだ。

 親の敵を見るような目でコーヒーの入ったカップを睨みつけ、腕が伸びる限界まで伸ばしてカップを遠ざける。


「これは……ないです…………」


 ロレッタもダメだったようだ。

 リストラされたサラリーマンのようにガックリと肩を落としうな垂れている。


「最初はそうなりますよね、やっぱり」


 苦笑を浮かべながらジネットがコクコクとコーヒーを飲む。


「わたしも最初は、『これは人の飲むものじゃない』と思いましたから」

「でも、飲むようになったんだよな?」


 俺は断然コーヒー派なので、がぶがぶ飲んでいる。

 マグダとロレッタの飲み残しもいただくつもりだ。……あ、こいつら砂糖入れてやがる。…………分かってないなぁ。コーヒーっていうのはブラックで飲むからこそ豆本来の香りと風味が……なんてウンチクを垂れたい衝動が湧き上がってきたところで、ジネットが「くすり」と笑いを零した。

 静かな笑みを浮かべ、唇をきゅっと噛んだ。その表情は、どこかノスタルジックな雰囲気を纏っていた。


「お爺さんが、大好きだったから……ですかね」


 手に持ったカップをゆっくりと傾けるように回し、カップの中を見つめている。 

 揺れ動くコーヒーを見つめているのだろうか。


「お爺さんがいなくなって……なんとなく寂しくて……それで飲むようになったんです…………ふふ、子供みたいですね、わたし」


 ジネットがそんな話をするのは珍しい。

 ただでさえあまり過去の話はしないのに、みんなの前でお爺さんの話をしたのは初めてなんじゃないだろうか? 個別に話していたかどうかまでは知りようがないが。


「あ、すみません。こんな話……」


 少し照れた風に肩をすくめて、ジネットはコーヒーをこくりと飲む。


「ヤシロさんと一緒にコーヒーを飲んだからでしょうかね」


 そして、カップをソーサーに置き、ふわっ……と、俺に視線を向けてくる。


「ヤシロさんは、お爺さんにどこか似ていますから」


 それは、以前にも言われた言葉だ。

 ジネットを引き取り、人生が終わるその日まで守り続けた祖父。

 こいつは、そんな人間の面影を俺に見ているのか? ……荷が重いっつの。


「……店長さんのお爺さんって……おっぱいマニアだったです?」

「そこじゃないですよ、似ているのは!?」

「で、その言いようだと、俺がおっぱいマニアだってことを肯定していることになるのだが?」

「……ヤシロだから、しょうがない」


 好き勝手言ってくれる。

 俺は自分の分のコーヒーを飲み干して、マグダの分をもらい受ける。


 時刻は昼過ぎ。

 実はコーヒーを焙煎するのに時間がかかりこんな時間になってしまったのだ。


 もうそろそろコーヒーゼリーも完成する。

 その頃にはぞろぞろと人がやって来るはずだ。


「こんにちは」


 真っ先に顔を出したのはベルティーナだった。……試食となるとやたらと張り切るシスターだ。


「おや、それが新しい食べ物ですか?」

「これはその素だ。飲んでみるか?」


 知らないということは、おそらくまともに飲めないだろう。なので、ロレッタが飲んでいた甘めの物をベルティーナへと手渡す。

 にこにことしながら、両手でコーヒーを受け取るベルティーナ。まず香りを嗅ぎ、その深い香りを胸いっぱいに吸い込む。


「ん~…………いい香りですね。では……」


 香りを堪能した後、コーヒーをこくりと一口含む。


「………………ぺっ!」


 吐いたぁっ!?


「…………毒です」

「違うわ!」

「苦いものはみんな毒だと教わりました」

「間違ってるよ、その解釈!?」


 誰だ、そんなおかしな知識を教えたヤツは!?


「……今回の食べ物は期待が出来ません…………教会に戻って泣いてきます……」

「待て待て! コーヒーゼリーは美味いから! コーヒー飲めなくても食えるから!」

「いえ……無理して食べなくても、私にはケーキがありますし」


 なに遠回しに催促してんだこのシスター?


「よぉ、ヤシロー! あたいが来たぞぉー!」

「お招きありがとうね、ヤシロ」


 デリアとネフェリーが同時に店にやって来る。

 入り口でどっちが先に入るかで体をぶつけ合っている。……相変わらず仲悪いな、お前ら。


「ワタクシ、参上っ! ですわ! 大いに喜びなさい、ヤシロさん!」


 ヒラヒラと、夏らしいワンピースドレスを身に纏い、華やかにイメルダが登場する。日傘をくるくると回しながら、優雅に店内へと入ってくる。

 ……いや、傘は閉じろよ。


「まったく、こんな暑い日に呼び出すなんて……あんたも人が悪いさねぇ、ヤシロ」


「これでもか!?」と、胸元がガバッと開いた服で、ノーマがやって来る。

 ようこそ! 歓迎しよう!

 谷間に粒のような汗が浮かび、まるで美しい結晶のよう……


「暑いからさっさと入ってくれるかな?」

「ご招待いただきありがとうございます、ヤシロ様」


 ノーマの巨乳に僻み心剥き出しのエステラとナタリアがやって来る。

 その後ろから、大きなテントウムシの髪飾りを揺らしてミリィがひょっこり顔を出した。


「ぁの…………こんにちは」

「随分呼んだですね。これで全員です?」

「あたしもいるわよ」


 ゴールデンレトリバーのようなイヌ耳を揺らして、カンタルチカのパウラが店内へと入ってくる。こいつはこいつで、うちで新商品を出すと言ったらすぐに食いついてきた。ケーキの時もそうだったし、取り入れられそうなものには飛びつこうって腹だろう。


「しかし、見事に女性ばかりだね、ヤシロ?」


 エステラが何か言いたげな視線を向けてくる。

 さぁて、なんのことかなぁ。


「三……四…………九名様ですね」


 ジネットが来客の数を数えている。……相変わらず算数は苦手なようで、数を数えるのも遅い。数字が苦手なのかもしれないな。


「あぁ、ジネット。あともう一人来るから」

「レジーナさんですか?」

「いや。一応誘ったが、あいつは来ねぇよ」


 本当に人の集まる場所を嫌うヤツだ。


「じゃあウェンディかい?」

「あいつはセロンと一緒じゃなきゃ来ないだろ」

「一緒に呼べばいいじゃないか」

「ちょっと事情があるんだよ」

「……ウーマロ?」

「ベッコさんです?」

「どっちも違う。諸事情により、な」


 今日は、男子禁制なのだ。

『あること』をしたいからな。


「では、一体どなたなのでしょうか?」

「私、ですよ」


 そこへ、最後の招待客が顔を出した。


「お招きいただきありがとうございますねぇ、ヤシロちゃん」


 羊顔の洋服屋店主、ウクリネスだ。


「ウクリネスさんだったんですか?」

「ジネットちゃん、こんにちは。お邪魔させていただきますね」


 ちゃん付けで砕けた口調かと思わせておいてのですます調。

 この違和感を覚える口調は相変わらずだ。


「なんでウクリネスなんだい?」

「ん? 不満か?」


 小声で、エステラが俺に問いかけてくる。

 まったく何を言っているんだ、とばかりに俺はさらりと返す。


「不満なわけないだろう。ただ、ちょっとなんでかなって思っただけさ」


 そりゃ思うだろうな。この面子にウクリネスは、さすがに違和感がある。


「まさか、また何か企んでるんじゃ……」

「よし! 全員揃ったところで、いよいよ新しいスウィーツのお披露目と行くか!」


 エステラの勘繰りを遮るように大きな声を出す。……こいつは本当に鋭いヤツだ。

 いいじゃねぇか、ウクリネスが混ざっていたって。勘繰るなよ。


「ところでウクリネス……」


 準備をしに行くと見せかけて、俺はウクリネスに耳打ちをする」


「もう準備が出来たのか?」

「当然です。こういうのはスピードが命ですからねぇ」


 おっとりとした口調ながら、儲けに敏感なその姿勢はさすがだ。


 実は今朝。寄付が終わった後に、俺は一人で四十二区内を歩き回ったのだ。

 クッソ暑い中を駆けずり回って、『今回の一大プロジェクト』に必要な人材に片っ端から声をかけまくった。

 そして、このプロジェクトの要。最も重要な役割を担うのがこのウクリネスだ。


 朝のうちに話をつけて、わずか数時間でもう成果を上げてきてくれたらしい。やはり、こいつは頼りになる。


 さて……大物を釣るために使えそうな餌は………………


「マグダ、デリア。あとノーマとナタリア。ちょっと手伝ってくれないか?」

「え? あの、ヤシロさん。お手伝いでしたら、わたしが……」

「あぁ、ジネットはいいんだ。今は座っていてくれ」

「でも……」

「お前はメインディッシュだから」

「メイン…………?」


 不思議そうに小首を傾げるジネットを椅子に座らせて、俺は選抜メンバーを連れて厨房へと向かう。

 さり気なく、ウクリネスが荷物を持って付いてくる。いいぞ、そのさり気ない感じ。


 四人の美女とウクリネスを連れた俺は、厨房を素通りして中庭へと出る。


「あれ? 厨房じゃないのか?」


 デリアが疑問を口にするが、すぐにマグダがそれに答えてくれた。


「……井戸で冷やしてある。今回は冷たいデザート」

「へぇ、それは美味そうだなあ!」

「なるほど、夏にはもってこいのデザートですね」

「面白いことを考えるねぇ、毎度毎度。感心するよ。で、また煙管は禁止なのかい?」


 各々が上手い具合に勝手に解釈して納得してくれる。

 あ、煙管は禁止な。


「じゃ、俺は厨房でデザートの準備してくるから、ウクリネス、あとは頼むな」

「はいはい。お任せあれ~」


 井戸から簡易冷蔵庫を引き上げ、その場に五人を残して俺は厨房へ戻る。

 さすがに、男が居合わせるのはマズいからなぁ。


「え? あたいらなんの手伝いするんだ?」

「ヤシロ様。詳しい説明を求めます」

「トラの娘、あんたは何か知っているのかい?」

「……皆目、見当が付かず」


 あぁ、いいんだいいんだ。

 お前らは、ウクリネスの言う通りにしていてくれれば。


 これで、このクソ暑い猛暑が……一気に楽しくなるぞっと。……むふっ。


 厨房に戻ると、早速簡易冷蔵庫からコーヒーゼリーを取り出す。

 おぉ、ちゃんと固まっている。

 これならちゃんと商品になるだろう。

 ただし、作るのに時間がかかるから数量限定になりそうだが……

 作り置きすればいけるかな?


 コーヒー豆はあまり需要が無いらしく、小分けでの販売は行われていない。手間ばかりが増えて利益は上がらないからな。

 だから、コーヒー豆を買う時はある程度まとめて購入するしかないらしい。

 おかげで、陽だまり亭では毎年大量のコーヒー豆を無駄にしてしまっているのだそうだ。

 じゃあなぜ買うのか……俺はその理由に察しがついたから質問はしなかった。けれど、ジネットの方から教えてくれた。


「毎年、お爺さんの命日にコーヒーを作って、一緒に飲むんです」


 こっちの世界では墓という習慣が無く、仏壇なんてものも無い。死者を弔うのは魂に対し祈りを捧げるという形が取られているようだ。

 なので、ジネットも陽だまり亭でコーヒーを二杯淹れて、爺さんを偲んでコーヒーを飲んでいるのだとか。

 誕生日の概念はなかったのに命日はあるんだなと、そんなことを思った。


 ジネットは毎年、その一日のためにコーヒー豆を購入していたのだ。

 ……これからは、もっと盛大に使ってやらなきゃな。その方が爺さんも嬉しいだろ?


「さて、盛りつけるか」


 しんみりしかけた自分の心を切り替えるために、あえて声に出す。

 これから凄く楽しいことが待っているのだ。しんみりしている暇はない。


 簡易冷蔵庫から取り出したコーヒーゼリーを賽の目にカットし、小鉢に入れていく。

 ガラスの入れ物があれば最高だったんだが……それは今後の課題だな。高いんだよな、ガラス。……どうせ貴族がまた利権云々で出し渋ってやがるんだろうが…………


 陶器の小鉢に盛りつけることになるので、少々和風な面持ちになる。まぁ、これはこれで有りだろう。

 ぷるんと、弾力を感じさせる揺れ方をするゼリーの上に生クリームを盛っていく。

 少な過ぎれば苦いと言われるだろうが、多過ぎてもコーヒーゼリーの爽やかさが損なわれてしまう。この分量がとても重要なのだ。


 コーヒーゼリーのデビュー戦だ。華々しく大成功を収めさせなければ。

 俺は、人生において五本の指に入るほどの集中力で生クリームを盛る。…………絶妙。これぞ、匠の技。素晴らしい配分だ。こいつは絶対、美味い!


 と、満足のいくコーヒーゼリーが人数分完成したタイミングで、マグダたちが厨房へと戻ってきた。


「おぉっ!?」


 思わず声が漏れた。

 素晴らしい! 素晴らしいよ、君たち!

 完璧にして最高だ!


「なぜ、私たちがこのような格好をしなければいけないのか……説明を求めます」


 冷たい視線をこちらに向け、ナタリアが無表情で問いかけてくる。

 その問いには、あとで答えてやる。

 全員の前でな。


「『そんなことよりも』、見てくれ! これが新しいスウィーツだ! 見た目からして涼しそうだろ?」

「おぉ! なんかぷるぷるして、面白いな、これ!」


 デリアが早速食いついてくれた。


「黒いねぇ……不思議な見た目さね」


 ノーマも興味深そうに視線を注ぐ。


「…………苦そう。マグダはクリームだけでもいいかもしれない」

「まぁ、そう言わずに食ってみろって」


 眉間にしわを寄せるマグダの頭をもふもふと撫でてやる。


 これで完全に話が逸らせた。

 是非とも、多くの人に知っておいてもらいたいものだ。

『そんなことよりも』を多用し、こちらの質問をはぐらかすヤツの言うことは絶対に聞いてはいけない。信用するな以前に聞く必要が無い。――と、いうことを。

 詐欺師が真っ先に覚えるのが、この『そんなことよりも』だ。ねずみ講なんかの勧誘員がやたらと連呼しやがる。そして、ありもしない『輝かしい未来』とやらに目を向けさせるのだ。

 なので、詐欺に引っかかりたくないヤツは、『そんなことよりも』という言葉を一度でも使ったヤツの言うことは耳を塞いで「あーあーきこえなーい」と、していればいい。


「なんだか……はぐらかされた気がしますね」


 ナタリア。大正解だよ。

 だが、そう言いつつも俺の言うことを素直に聞いてくれるお前が好きだぞ。とてもいいヤツだ。何より、……今の格好は凄まじく俺好みだ。


「さぁ、最新スウィーツを運んでくれ」


 俺はコーヒーゼリーを持った美女たちに、「俺の言う順番で一人ずつ出てきてくれ」と指示を出し、ウクリネスと一緒に一足早く食堂へと戻った。


 さぁ、始めようか……


「待たせたな! いよいよお披露目だ!」


 これが、この夏イチ押しのイベント!


「四十二区水着コレクション・in・陽だまり亭!」


 食堂内がざわりとどよめく。

 気にせずにトップバッターに登場してもらおう!


「まずは! デリアだ!」


 俺が呼ぶと、デリアが厨房から姿を現す。


「えっ!?」

「わぁっ!」


 など、多様な声が上がる。

 それもそうだろう。


 デリアは足とお腹が大胆に露出されたビキニ姿をしているのだ。

 とはいえ、普段から露出の多い格好をしているデリアなのでいやらしさは感じさせない。

 むしろ、カラフルな色使いで可愛らしくすら見える。


「これは、健康的な肉体美を美しく、そして可愛らしくアピールするショートパンツビキニですね」


 ウクリネスがこの水着のおすすめポイントを解説してくれる。


「あ、や……な、なんか、こうも注目されると、ちょっと照れんな…………あ、あんま見んなよ」

「大丈夫だ。ここには女子しかいない」

「あ、それもそうか」


 俺の言葉に、デリアの緊張が少し解れたようだ。

 ……まぁ、男子がここに一人いるんだけどな。


 そう、今日は水着の披露をするために男子禁制にして美女を掻き集めてきたのだ。

 もちろん、ここにいる全員に水着を着せるためにだ!

 計画を持ちかけると、ウクリネスが物凄い勢いで食いついてきて、俺の伝えたデザインの水着を凄まじい速さで作り上げてきてくれた。この服屋……出来るっ!


 デリアは持ってきたコーヒーゼリーを配り終えると、俺の隣までやって来る。


「な、なぁ? 似合う……かな?」


 腕を後ろで組んで、恥ずかしげにそう問いかけてくる。

 そんなことを聞かれたら、返す言葉は一つしかない。


「凄く可愛いぞ」

「かわ……っ!? 可愛いのか、あたいが!?」

「あぁ。少し露出が多いが、それが健康的で明るい印象を与えている。デリアの素直なところと、溌剌とした明るさがよく活かされたいい水着だ。似合ってるぞ」

「むはぁっ! ヤシロに褒められたっ!」


 嬉しそうに身悶えるデリア。

 露出の多さはもはや恥ずかしくもないようだ。


 大事だろ? こういう空気作り。


「じゃあ、次はノーマ!」


 声をかけると、ノーマがゆったりとした歩調で厨房から姿を現す。


「えっ!?」

「これは……っ」


 先ほどよりも、少し緊張した声が上がる。

 ノーマは、モンキニと呼ばれる、前から見るとワンピース水着に見えるが後ろから見るとビキニに見える水着を着ている。背中と腰の部分が大胆なくらい露出されている。むしろ、お腹を覆うことで露出された部分が強調されて、普通のビキニよりも幾分セクシーさが増している。

 出せばいいというものではないのだ、肌というのは!


「……あんまり見るんじゃないよ」


 珍しく、ノーマが照れている。普段はこれでもかと胸の谷間を見せつけているのに。

 やっぱり、普段と違う格好は恥ずかしいようだ。


「これは大人の女性がより魅力的に見える水着ですね」

「大人の色気が卑猥な方向ではなく美しいというベクトルで強調されているからな。着こなすのは難しいが、ノーマにはよく似合っているな。神秘的ですらある」

「まぁ……そこまで褒めてくれるんなら、着ていてやってもいいかねぇ」


 満更でもなさそうな顔でノーマは口元を緩める。こいつは、褒められるのが好きなんだよな、何気に。

 しかし……後ろから見るとヤバいな、この水着は。


「じゃあ、次だ。ナタリア!」


 少し不機嫌そうな無表情で、ナタリアが姿を現す。


「へぇ……」

「これは素敵ですね」


 水着にも慣れてきたのか、上がる歓声が肯定的なものになってきている。

 ナタリアは黒いビキニで、腰にパレオを巻いている。巻きスカートのような長いパレオから、ナタリアの細く白い足が覗いている様はなんとも色っぽい。


「品のある女性にはやはりこれが一番ですね。露出は抑えられているので色香にも静淑さがありますよね」

「ナタリアみたいな淑やかな女性にはこういうのを着ていてほしいよな。大人の余裕と少女の素直さを兼ね備えたデキる女の遊び心が垣間見れる水着だ。グッとくるものがあるよ」

「…………グッときますか、そうですか………………ふふ、そうですか」


 表情から不機嫌さが消え、流れるような無駄のない動きでコーヒーゼリーを配り終える。

 そして、一回無駄なターンを挟んでから、俺のそばにやって来てノーマの隣に並んだ。

 ……なぜ回った?


「……けどさ、やっぱり水着って……」


 と、エステラがジネットにネガティブな感情を注ぎ込もうとしたところで、俺はそれを阻止するべく最後の一人を呼び込んだ。


「さぁ、マグダ! お前の出番だ!」


 厨房から姿を現したマグダを見て、食堂内の雰囲気は一変した。


「わぁ!」

「か、可愛いですぅ!」


 大人の色香漂う水着ショーに、可愛らしい少女が登場したことで一気に雰囲気が和んだのだ。


 マグダはタンキニという水着を着ている。

 これはタンクトップとビキニを合わせた言葉で、その名の通りビキニの上にタンクトップを着る仕様だ。タンクトップといっても、キャミソールなんかでもOKで、今マグダが着ているのは胸元に可愛らしいフリルをあしらったキャミソールだ。

 このキャミソールを脱げば、ビキニになるわけだが、ビキニはちょっと恥ずかしいという人にはこういう上に一枚着られる水着がおすすめだろう。

 ……胸の小ささもフリルで誤魔化せるしな。


「……脱いだら、もっと凄い」


 可愛らしさを高く評価されたマグダだが、どうも色気部門でのランクインを狙っているらしく、キャミソールを脱ごうとしている。

 いや、いいから。マグダにそこは求めてないから。


「……ゼリーが行き渡っている?」

「あ、それは俺らの分だ。こっちに頼む」

「……なるほど」


 マグダはコーヒーゼリーを持ったまま俺のそばまでやって来る。


「さぁ、コーヒーゼリーを楽しんでくれ」

「いやいやいや! その前に物凄く気になることやっておいて、説明は無しかい!?」


 エステラも、ちょっと水着に興味を示しているようだ。

 詳細が知りたいのだろう。


「いや、なに。あまりにも暑いんで、川遊びでもしようかと思ってな」

「いいな、それ! あたいが穴場を教えてやるよ! 泳げるぞ!」


 デリアがいれば、安全な遊び場所が確保出来るだろう。


「で、その際、ウクリネスが作ってくれた最新の水着を着てみてはどうかと思ったんだが……お前らは普通に渡しても『露出が~』とか『わたしはこういうのは~』とか『ボクは抉れてるから』とか言うだろ?」

「抉れてる人の一人称が『ボク』なのには、何か意味があるのかな?」


 エステラから立ち上る怒気には触れず、俺はプレゼンを続ける。


「水着は、決していやらしいものじゃない。このように美しさと可愛らしさをアピールしてくれる、オシャレ着なんだ! 健康的な露出は『エロ』ではない! 『美』だ!」


 まぁ、それを『どんな目で見るか』は、こっちのさじ加減一つだけどな!


「折角、ここまで暑くなったんだ。なら、むしろそれを逆手にとって楽しんでやらなきゃもったいないだろう?」


 もったいないのはよくない。

 無駄はなくし、活用出来るものは最大限利用する。それが、人として素晴らしいと言える生き方だ。


「みなさんに合わせた水着も用意してあるんですよ。是非試してみてください」


 少し興味を惹かれたところで『自分のために用意された』水着を手渡される。ウクリネス、さすが顧客の心理をよく分かっている。

 水着に興味はある。だが自分が着るとなると恥ずかしい。

 そんな時、手渡された水着が……


「わぁ、可愛いですっ!」


 思っていたよりも可愛らしく、いやらしくないと感じれば…………着たくなるだろうそりゃあ!

 しかも、今ここでは集団心理が働いている。

「みんな着替えるのに自分だけ拒否するのはなんだか悪い」「場の空気を壊してしまいそうだ」とな。


「どうだ、ロレッタ? 可愛いだろ?」

「はいです! あたし着てみたいです!」

「ミリィはどうだ? そういうのなら似合うかと思ったんだが」

「ぁ…………う、うん。これなら…………着られ、そう」


 アホを釣り、もっとも大人しい娘をこちらに引き寄せれば、ここはもう完全に「みんなで一回着てみる空間」になるのだ!


「でも……ボクは……」


 そして、最後の難関はこいつ。エステラだ。

 胸の無いコンプレックスをはねのけてやる必要がある。


「エステラ。お前の水着は、お前の長所でもある細くて長い手足を魅力的に演出してくれる作りになっているんだぞ。フリルがたくさんで可愛いだろ? お前ならきっと似合う」

「そ、……そう、かな?」


 胸元のフリルで無い乳を誤魔化し、あとは長所を伸ばす。そんな水着だ。

 エステラがその気になれば完了だ…………メインディッシュを釣り上げる準備がな。


「あ、あの…………あの…………えっと……」


 周りが『着る気』になる中、一人おろおろしているのがジネットだ。

 こいつは、肌の露出を極端に恥ずかしがる。

 だが、最早お前は俺の手中に落ちたのだ…………脱いでもらうぜ、その余分な布地をなっ!


「ジネット」

「は、はい……」

「水着は、恥ずかしいか?」

「え、えっと…………はい。やっぱり、わたしには、少し……」

「きっと似合うぞ」

「ですが……」


 ふふふ……俺は、ジネットの弱点を知っている。

 お前は、俺から逃れることは出来ないぜ……


「折角の夏だ。『みんなで』楽しい思い出を作ろうぜ」

「…………みんなで……」


 こうして出会えた仲間が、みんなで同じ楽しみを共有しようとしている。

 それを拒絶出来るようなヤツじゃないのだ、こいつは。


「……そう、ですね」


 真っ赤な顔ながらも、ジネットは納得したような笑みを浮かべる。


「はい。では、頑張って着てみます」


 やったぁー!

 夏、ばんざーい!

 猛暑日ありがとー!

 異世界さいこうー!


「じゃあ、着替えを手伝ってやろう!」

「それは結構ですっ!」


 ……流れで誤魔化すことは出来なかったか……残念。


 さぁ、みんな!

 水着に着替えるのだ! そして俺を楽しませろ!


「おや……まぁ…………。今日はたくさんだねぇ、ジネットちゃん」

「あっ! ムムお婆さん!」


 水着で盛り上がる女子たちのかしましい声に、落ち着いた老婆の声が混ざる。

 ジネットの爺さんが生きていた頃からの常連、洗濯屋のムム婆さんだ。


「今日は、出直してこようかねぇ」

「いいえ! どうぞ、お入りください」


 ジネットはこのムム婆さんが大好きなのだ。帰すわけがない。

 空気を察し、女子たちが声のトーンを落とす。


 あ……これ、水着ショー中止の流れだ。


「あらっ!」


 ジネットに案内され、店内奥の涼しい席へ向かう途中で、ムム婆さんはコーヒーゼリーを見て声を上げた。


「懐かしいわねぇ……コーヒー。あら、でも、固まっているのねぇ」

「これは、コーヒーで作ったデザートなんですよ。よければ試食してみますか?」

「あら、いいのかしら?」

「はい。ムムお婆さんは大切な常連さんですから」


 そんな会話を聞いて、水着に夢中だった面々もコーヒーゼリーの存在を思い出す。


「あ、そうそう! あたい、これ食べたいな!」

「そうだね。見たことのない食べ物だし、興味深いよ」

「ではお嬢様。私が『あ~ん』で……」

「いや、それはいい」


 あぁ、完全に水着ショー中止のお知らせだな。

 まぁ、今度の川遊びで堪能させてもらうさ。


「……これは、苦い塊」

「ですね……あたしも、あまり期待出来ないです」

「そう言わずに食ってみろよ」


 難色を示すマグダとロレッタ。コーヒーを先に飲んでるからな。

 だが、コーヒーとコーヒーゼリーは全然違うぞ。


「んっ! 美味い! 甘いっ!」


 甘いもの大好きなデリアが一口食べて声を上げる。


「甘いのにさっぱりしていて……不思議ですね、微かな苦みがこんなに美味しく感じるなんて……」


 ベルティーナが初めての味に瞳を輝かせる。


「へぇ。オシャレな味だね。見た目もいいし、夏にピッタリだよ」

「私も同じ感想を抱きました。お嬢様も、少しは物が分かるお歳になられたのですね」

「……それ、自分をアゲてるの? ボクをサゲてるの?」


 エステラとナタリアも気に入ったらしい。


「さぁ、どうする?」

「…………試すだけなら」

「ですね。期待はしてないですけど」


 恐る恐る、コーヒーゼリーを口に運ぶマグダとロレッタ。

 口に入れた瞬間、「カッ!」と目を見開いた。


「……マグダは、こういうのをずっと待っていた」

「美味しいです! コーヒーの香りがキリッと際立ちつつも、生クリームの甘さの中でしっかりと主張していて、この微かなほろ苦さが甘さをくどくないものに演出しているです。猛暑期のうだるような暑さで疲弊した胃が元気になるようなさっぱり感で、見た目、舌触り、香り、味、そのすべてが涼しさを感じさせてくれる、まさにこの時期のためのデザートですっ!」


 大絶賛だ。

 お前らの手のひらクルックル変わるんだな。


「ジネット」

「はい」

「ムム婆さんには俺の分を。お前も食って感想を聞かせてくれ」

「よろしいんですか?」

「あぁ。俺のは、また作ればいいさ」

「はい。ありがとうございます」


 コーヒーゼリーを渡してやると、ジネットはムム婆さんの向かいに座り、一緒に口へと運んだ。


「…………あぁ、美味しいですね」

「本当にねぇ……陽だまりの爺さんを思い出す、懐かしい味だねぇ……」


 なんだか、そこだけが切り離され、『あの日の陽だまり亭』に浸っているような、そんな雰囲気になっていた。

 これは、しばらくそっとしておいてやろう。


「イメルダとネフェリー、それからパウラはどうだ?」

「おかわりが欲しですわ! あと、ベッコさんに至急これの食品サンプルを作らせてくださいまし!」

「なんだか、大人の味って感じだね」

「うんうん。これならうちのお客さんにも受けそう」


 イメルダはもう完食しており、ネフェリーは大人に憧れる少女のような目で、そしてパウラは興味津々な熱い眼差しで、それぞれにコーヒーゼリーを堪能したようだ。


「ぁ…………みりぃ、これ、好き」

「苦くないか?」

「ぅ…………へいき、だよ?」


 ミリィには、少しだけ苦いらしい。

 でも、気に入ってくれたようだ。


 これだけ幅広い層の支持を得られたのだから、コーヒーゼリーは成功するだろう。

 猛暑期の間に飛ぶように売れるかもしれん。……仕込みが忙しくなりそうだ。


「本当に、懐かしいねぇ……」


 小さな口でもちゅもちゅコーヒーゼリーを食べるムム婆さんが、ぽつりと呟く。


「昔は、こうやってみんなでコーヒー飲んでたんだよねぇ、ここで。陽だまりの爺さんが好きだったからねぇ……」

「…………はい。そうですね」


 騒がしくしていた連中も口を閉ざし、静かに流れるその一角の空気を、ただ見つめていた。

 なんとなく、これは壊しちゃいけない気がしたんだ。この空気は。


「よく頑張ってるねぇ、ジネットちゃんは。陽だまり亭が元気になって、わたしも嬉しいよ」

「………………」


 ジネットが、言葉に詰まった。

 一瞬、眉毛がうねり泣きそうな表情が浮かぶ。

 だが、次の瞬間には柔らかい笑みが顔中を覆い、ふわりと花が咲くような声で言う。


「はい。わたしも、とても嬉しいです」


 見守る者たちは何も言わない。

 何も言わないけれど、みんな何かを感じている。そんな顔をしていた。


 水着ショーは中止になってしまったが…………まぁ、これはこれでいいだろう。


 俺は、なんだか穏やかな雰囲気になった空気を壊さないよう配慮をしつつも、最重要事項がこの流れで有耶無耶になってしまわないよう、ジネットに忠告をしておく。


「ジネット」

「はい」

「お前の水着、おっぱいが物凄いことになるけど、それが魅力だから、恥ずかしがらずに着るように」

「なんで今言うんですかっ!? いい空気でしたのにっ!」


 バカヤロウ! いい空気よりいいおっぱいの方が大事だからに決まってんだろうが!


「ヤシロ……」

「ヤシロ様……」

「……ヤシロだから、しょうがない」

「お兄ちゃんは……まったくです」


 なんだか周りから向けられる視線が冷たい気がする。

 …………ちっ、どいつもこいつも分かってない!




 けどまぁ、今は引き下がってやるとしよう。特別だからな。ふん。






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