93話 俺、それ、すげぇ好きなのに

 なぁ……

 昨日まで、夜ってちょっと肌寒かったんだぜ? 信じられないだろ?


 汗だくだっ!

 ものすっごく不快!


 だくだくと流れる汗で、ベッドに敷き詰められたワラが首に張りつく。

 さすがに気持ち悪くて、まだ眠いにもかかわらず起きてしまった。あぁ、朝シャンしたい。


 窓に嵌め込まれた木の窓を開放するも、風は吹いておらず、むわっとした熱気が舞い込んでくる始末だ。……湿気が多いせいだな。日差しがないのに暑過ぎる。

 砂時計を見ていないので正確には分からんが、おそらく四時前だろう。階下から美味そうな匂いが漂ってきていない。


 ……と、耳を澄ますとじゃぶじゃぶという水音が聞こえてきた。……一体なんだ? なんて、もったいぶる必要もない。

 ジネットが中庭で何かをしているのだろう。


 まだ頭はボーっとしているが、二度寝も出来そうにない。

 俺は諦めて起床することに決め、ジネットのもとへ向かうことにした。


「ふぉっう!?」


 ドアを開けると、廊下にマグダが転がっていた。

 ピシッとした気を付けをして、ボーリングのピンみたいに転がっている。


 ドアを開けていきなりこれを目撃したら、誰だって驚くわ。すっげぇ低い声出ちゃったし。


「おい。寝るなら部屋で寝ろ」

「…………無理」


 まぁ、廊下の方が幾分か涼しいと言えば涼しいが……誤差程度だが。

 だからといってこんなところに転がっていては風邪を引きかねない。


「寝れないなら起きろ。ダラダラすると逆にしんどくなるぞ」

「……おんぶ」

「暑いから却下」

「………………お姫様抱っこ」

「俺も寝起きでダルいんだよ……勘弁してくれよ」

「…………仕方ない。起きる」


 墓場から出てくるゾンビのように、もっそぉ~っとした緩慢な動きでマグダが起き上がる。

 髪の毛がぼさぼさだ。そろそろ切ってやらなきゃな。


「あとでブラシやってやるな」

「……むふー」

「いや、まだやってねぇし」

「……思い出しむふー」


 え、そんなんあるの?


 まだ瞼が開かないのか、マグダは俺のズボンを掴んでフラフラと歩く。

 ……ジネットの前で躓いて、俺の下半身「ぷる~ん!」とか、マジで勘弁してくれよ。


「おい、マグダ。階段だぞ。ちゃんと目ぇ開けとけ」

「……む~」


 瞼をこすり、マグダは中庭へと続く階段の踊り場へと出る。簡単な手すりが設けてあるだけの、割と危険な階段だ。寝ぼけていると落っこちてしまいかねない。

 しっかりとマグダを見ててやらないとな。


 と、マグダをしっかりと見ている俺の前で――


「……とぉー!」

「「えぇぇぇぇえええっ!?」」


 ――マグダは特撮ヒーローばりの綺麗なフォームで踊り場から庭へとジャンプした。

 下にいたジネットもそれに気付き悲鳴を上げる。

 わたわたとするジネットの影。

 どうやら、上手くキャッチしたようだ。

 …………何やってんだよ、マグダ。


「おい! 二人とも大丈夫か?」

「は、はい。わたしは、なんとも。マグダさんは?」

「……頭から落ちても、この高さなら平気」

「こっちの心臓が平気じゃねぇっての」


 少々乱暴に頭を掴みグリグリと撫で回す。ちょっとは反省しろ。


「………………むふん」


 小さな「むふー」を漏らすマグダ。……褒めてんじゃねぇっての。反省しろよ。


「それにしても、お二人とも今日は早いんですね」

「あまりに暑くてな。寝ていられなかった」

「そうですね。今日は特に暑かったですね」


 この暑さには、いつも平然とした顔をしているジネットも参っているようだ。


「今日は水着で営業したらどうだ?」

「無理ですよ」


 にこやかに却下された。……ちっ。


「それじゃあ、普段のメイド服を着て、上から大量の水を……」

「ダメです」


 またしてもにこやかに。


「でも暑いだろ?」

「猛暑期は暑いものです」

「だから、お客様のために、見た目から涼しさをアピールしてだな……!」

「諦めてください」


 くっ……今日のジネットは一味違うようだ。押しても引いてもビクともしない。


「しょうがない。じゃあ、今日は特別に、普段通りの服装で営業をしよう」

「どのあたりが特別なんですか!?」


 なんとも残念だ。

 夏なら夏の装いというものがありそうなものだがな。


「それで、こんな時間に何やってたんだ?」

「はい。お洗濯をしてしまおうと思いまして」

「手伝おうか!? うん、手伝うよ! 是非!」

「あの…………下着ではないですよ、念のため」

「……………………」

「…………?」

「………………分かっているさっ!」

「今、物凄くがっかりしましたよね!? 一瞬言葉を失いましたよね!?」


 今日の洗濯はタオル類らしい。

 食堂では、毎日大量の布巾を使う。これの洗濯だけでも大変だ。

 せめて、干すくらいは手伝うか。


「あれ? マグダは?」

「……マグダは、ここ」

「マグダさん!? ダメですよ、洗濯物の中で寝ては!?」

「……ひんやり」

「濡れちゃいますよ!?」

「……いい」

「よくないですっ」


 ジネットが、洗濯物を入れた籠からマグダを引っ張り出す。

 あ~ぁ……濡れちゃってんじゃねぇかよ。


「顔洗ってこい。少しはスッキリするだろう」

「……了解」


 マグダが井戸へ向かう。

 俺も顔を洗ったりしたいのだが……まぁ、あとでもいいだろう。


「では、こちらをお願いします」


 手渡されるタオルをパンッと広げ、張り巡らされたロープへとかけていく。

 こいつは、毎日こんな仕事を、日も昇る前からこなしていたのか。

 ありがたいことだ。

 何か、礼でもしないとな。


「なぁ、何か俺にしてほしいこととかないか?」

「え?」

「ほら、こうやって毎日頑張ってくれているお礼っていうか……俺に出来そうなことがあったら聞いてやらんでもないぞ?」


 俺が言うと、ジネットは少し動きを止め、そしてにっこりと微笑んだ。


「これは、もう日課のようなものですから」


 礼をされるようなものではない、と、そう言うのだろう。


「あ、でも。そうですね。何か冷たいメニューがあれば嬉しいです」


 聞けば、昨日は定食の売れ行きが今一つだったらしい。

 きっと、客もこの暑さで食欲を落としているのだろう。

 なんとかしてやりたいものだが……


「お食事のメニューというより、デザートメニューで、冷たいものがあるといいですね」

「デザートか……」

「はい。冷たいデザートです。何か心当たりはありませんか?」


 ないことは、ない。


 昨日の買い出し中に、アッスントのところでも考えたことなのだが、かき氷なんかが出来ればきっとみんな喜んでくれるだろう。

 だが、肝心の氷がない。

 冷蔵庫がないからな。

 精々出来るのは、ノーマ作の『簡易冷蔵庫(防水加工された箱)』で冷やすくらいだ。

 アイスクリームすら作れない。


「やっぱり、アイスティーくらいしかご用意出来るものがありませんかねぇ」


 現在、陽だまり亭ではアイスティーの提供をしている。

 作った紅茶を瓶に入れ、井戸の中へ入れて冷やしているのだ。

 ガムシロップもないので、あらかじめある程度の甘みをつけてから冷やしている。

 実は俺は、このアイスティーがあまり好きではない。俺には少々甘過ぎるのだ。

 飲み物は、さっぱりとしたものがいいなと、俺は思う


「コーヒーでもあればなぁ……」


 アイスコーヒーなら砂糖なんかなくても、ブラックでいけるのにな。


 しかし、この街にコーヒーはない。

 陽だまり亭はもちろん、カンタルチカや四十区の高級喫茶店ラグジュアリーでも取り扱っていない。それはすなわち、この世界にコーヒーが存在しないということだ。

 まぁ、なんだかよく分からない豆をなんとなく焙煎して、偶然にもミルで挽いて、運命的な確率でフィルターの上にその挽いた豆を載せ、天文学的な奇跡が重なってそこにお湯を注いだとしよう。そうすればコーヒーが誕生する。しかし、それを口にした者は「苦っ!?」という反応とともに、二度と見向きもしないだろう。


 マジで、世界で初めてコーヒーを飲んだヤツは、何がどうなるつもりであんなものを作ったのか……しかしよくやってくれたものだ。

 コーヒー好きの俺としては称賛せざるを得ない。


「コーヒー、淹れましょうか?」

「ん?」


 ……今、なんつった?


「あ、そういえば……」


 固まる俺をよそに、ジネットはくすくすと笑い始める。


「以前、ヤシロさんがおっしゃっていましたよね? 『一緒にモーニングコーヒーを飲まないか』って……もう随分前のような気がしますね」


 それは、俺が『強制翻訳魔法』の聞こえ方、翻訳のされ方を試す際にジネットに言った言葉だ。

 そういえばあの時……


「そういえば、あの時って…………」


 俺が頭に思い浮かべたのと同じ言葉をジネットが呟く。

 ただ、思い浮かべた内容は違っていたが……


「ヤシロさんはこうやって干してあったわたしの……洗濯物を『いただいた』なんて言っていたんですよね」


 少し照れたように頬を膨らませる。

 微かな抗議。

 可愛らしい抵抗だ。


『いただいた』が『盗んだ』と翻訳され相手に伝わっていた件に対し、俺があれこれ検証していた時の話だろう。

 ……そう、その日俺は確かに言ったのだ。『一緒にモーニングコーヒーを飲まないか』と。

 それで、あの時……ジネットは確かにこう言った。

『淹れましょうか?』と。


 今の今まで失念していたが、ジネットには最初からコーヒーという言葉が伝わっていたのだ。

 つまり……


「…………あるのか、コーヒー?」

「はい。わたしは好きですよ、コーヒー」

「で、でも……メニューに無いよな?」

「そうですね。みなさん、苦いと言って飲まれませんので」


 まさか……


「陽だまり亭にコーヒー豆とか、……あるのか?」

「ありますよ。お爺さんがコーヒー好きでしたので、ミルやサイフォンなんかも揃っています」


 ジーザス……


「……もっと早く教えてほしかった…………」

「えっ!? あ、あの……すみません」

「いや……いいんだ。すまん」


 完全に勘違いしていた。

 思い込みというやつだ。


 陽だまり亭やカンタルチカという飯屋にコーヒーが置いていなかったこと。

 そして何より、ラクジュアリーにもコーヒーは置いていなかったのだ。

 その時点で俺は、『この世界にコーヒーはない』と結論づけてしまっていた。

 それが、…………ある、だと?


「これが終わったら、ちょっと淹れてもらおうかな」

「はい。わたしも久しぶりに飲みたくなりました」


 いそいそと、洗濯物を干していくジネット。

 結局、大した手伝いも出来ないまま洗濯物は干し終わってしまった。


「では、コーヒーの準備をしますね」


 本来ならば、これから教会への寄付の下ごしらえをする時間なのだが、俺の頼みを優先させてくれるらしい。


「少し、時間がかかるかもしれません」

「じゃあ、俺が下ごしらえを進めておくよ」


 本来であれば、俺がコーヒーを淹れてジネットが料理という方が適材適所と言えるのだろうが、なんとなく飲んでみたいと思ったのだ。ジネットの淹れるコーヒーを。

 もしかしたら、俺の知ってるコーヒーとはまるで別物かもしれないしな。


 洗濯カゴを階段下のスペースに置いた後、ジネットが食糧庫へと入っていく。

 これまで何度も入っているのに、食糧庫でコーヒー豆を見かけたことはなかったな。


「見てください。これがコーヒーになるんですよ」


 それは紛れもなくコーヒー豆で、焙煎前の生の豆だった。


「焙煎はどうするんだ?」

「自分でやります。お爺さんに一通りやり方を教わりましたから」


 それはなんとも本格的だな。


「これは、どこで手に入るんだ?」

「アッスントさんに言えば持ってきてくださいますよ」


 取り扱ってんのかよ、アッスント!?

 言えよ!


「好きな人は好きなようで、売れ行きもそこそこだと、以前に聞いた気がします」


 コーヒーは好き嫌いが分かれる。

 最初はみんな「苦い」と思うものだ。

 その「苦い」に慣れると、癖になる。それを知らなければ、コーヒーをあえて飲む理由などないだろう。

『コーヒーとはこういうもの』という知識がなければ、あの苦さは拒絶してしまうかもしれない。


 だが、確かにコーヒーは存在している。


「久しぶりなので、わたしもわくわくします」


 道具を取ってくると、ジネットは二階へと上がっていった。


 俺はコーヒー豆と、下ごしらえする野菜を持って厨房へと向かう。

 で、その途中……


「戻ってこないと思ったら…………」


 井戸のそばに転がってるマグダを発見した。

 顔を洗っている最中に眠ってしまったようだ。水辺で多少涼しいからだろうか?


「おい、マグダ。こんなところで寝るな」

「……むにゅう…………」


 ウーマロに聞かせたら悶絶死しそうな可愛い息を漏らすマグダ。

 こいつに早起きなんか無理だったんだろうな。

 俺は野菜を厨房へ運ぶと、眠るマグダをお姫様抱っこで食堂へと運ぶ。

 おそらく、ベッドへ連れて行っても暑くて眠れないだろう。

 なら、空間の広い食堂の方がまだ幾分か涼しい。ここでもう少しだけ眠っていればいい。

 コーヒーの香りでも嗅げば目を覚ますかもしれないしな。


「ん…………」


 冷たいデザートが欲しいと、ジネットは言った。


「これ、イケるんじゃないか?」


 陽だまり亭には、コーヒーがある。

 ケーキに使う生クリームがある。

 そして、みつ豆を作った時に使った寒天がある。

 これらが揃っていれば……、アレが作れる。


 夏になれば無性に食べたくなる、シンプルでオシャレなデザート――


「コーヒーゼリーでも作るか」


 今日もきっと暑い一日になることだろう。

 きっと、冷たいコーヒーゼリーは格別な美味さを発揮するはずだ。


「そうと決まれば……」


 俺は野菜の下ごしらえと並行して、コーヒーゼリーの準備に取りかかる。

 なにせ冷蔵庫が無いのだ。冷やすとなれば冷たい井戸を利用するしかない。

 ちゃんと固まってくれればいいんだが……まぁ寒天はみつ豆の時に実験しているから問題ないだろう。

 クリープの代わりは生クリームでいい。


 なんだか楽しくなってきた。


 高まる俺のテンションに呼応するかのように、高らかに鐘の音が鳴り響く。

 目覚めの鐘だ。



 今日もまた、暑い日になりそうな、そんな予感がする。

 そんなことを考えながら、俺は手始めに、ジャガイモの皮を剥き始めた。






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