91話 真夏の日の足の裏

 暑いっ!

 なんじゃこりゃ!?


「どうなってんだ……じゅ、十二月だろ……?」


 アゴを伝い落ちる汗を腕で拭う。

 この暑さ……八月にも感じたことなかったのに……常春の街、どこいったよ!?


「この時期は毎年猛暑日が続くんですよね」

「……マジか……」


 確か25℃以上で夏日、30℃以上で真夏日、35℃以上で猛暑日だったはずだ。

『強制翻訳魔法』を信用するのであれば、35℃超えの日が続くってのか?

 十二月だぜ?


「この暑さを感じると、年の瀬を感じますね」

「そんなもんなのかぁ……」

「ヤシロさんは、初めての猛暑期ですよね」

「前に何度か『暑いな~』くらいの時はあったけどな」


 祭りをやった時などは、浴衣がいい感じに着こなせる気温だった。

 それが、ここまで暑いと……もう、家に閉じこもって出てきたくなくなるレベルだな。

 あ、それで昨日レジーナが珍しく外にいたのか。

 こうなることが分かっていたから、涼しいうちに買い出しを済ませようと……くっそ、教えろよな!


「何を買いに行くんだ?」

「三週間分程度の食料と、年の瀬のあれこれですね」

「アッスントに持ってこさせようぜ……」

「では、アッスントさんには、陽だまり亭用の食材をお願いしに行きましょう」


 店用と自宅用を分ける必要あるのか?


「さぁ、出発です!」

「……ぉおうっふ」


 ジネットに腕を引かれ、俺は炎天の真っ只中に引っ張り出される。

 さらば陽だまり亭。

 さらば日陰……


 時刻は昼前。

 朝から今までジネットは、今日一日、店で提供する料理の下ごしらえをしていた。

 これで、マグダとロレッタだけでも店は回るだろう。


「おそらく、これからしばらくお客さんは減ると思いますよ。みなさん、年の瀬の準備で忙しいですから」

「年の瀬だからこそ、外食で簡単に済ませるんじゃないのか?」

「外出出来るうちはそれでいいんですが……」


 え、なに?

 外に出られないほど暑くなるの?

 やめてくれよ、マジで……


「まずは、アッスントさんのところへ行きましょう」


 じりじりと肌を焦がす日差しを浴びながら、俺はジネットに手を引かれ大通りへと向かった。







 アッスントは、いつの間にか支部を四十二区へと移していた。

 かつては四十区にあったらしいのだが、祭りの前後でこっちに引っ越してきたらしい。

 トルベック工務店には頼まず、すぐに着工出来る業者を選んだらしい。

 そんなに早くこっちに来たかったのかよ……まぁ、金は素早いヤツが掻っ攫っていくものだからな。



「おや、お二人ご一緒にようこそ」


 ハンカチで汗を拭いながら、アッスントが俺たちを出迎えてくれる。


「いやぁ、おアツいですね」

「ふぇっ!? い、いえ! あの、これはっ、別に、そういうことではなくてっ!」


 アッスントに言われ、ジネットは繋いでいた手を慌てて離す。

 いや、ジネット。気温の話だ。


「外はお暑いでしょう、中へどうぞ」

「あ…………はい」


『おあつい』の意味を理解し、ジネットが顔を赤く染める。

 まぁ、無暗に突っ込んだりはしないけどな、俺も。


 アッスントに案内され、行商ギルド内の応接室へと入る。

 ……クーラーとか、効いてないんだよな。当然だけど。


 高級そうな革張りのソファを勧められ、俺とジネットは二人掛けの方へ腰を下ろす。

 向かいにアッスントが座り、様々な商品が記された紙を机に広げる。メニューみたいなもんだな。


「今日はどのようなご用向きでしょうか?」

「あの、年の瀬の準備をしたくて」

「なるほど。では、大豆などいかがでしょう?」

「いいですね。大豆」


 ジネットがあれこれと欲しい食材をアッスントに伝えている。

 俺はというと、……もう無理だ。暑くて耳に入ってこない。

 こう暑いと食欲もなくなる。食い物の話とかどうでもいい……………………あ、そうだ。


「なぁ。素麺とかないか?」

「ございますよ」


 あるんだ!?


「ソバもうどんもご用意出来ますが、いくつかお持ちしましょうか?」

「そうだなぁ」


 夏バテには素麺。だが、意外と飽きるのが早いからな、ソバやうどんがあってもいいだろう。


「じゃあ、とりあえず頼む」

「かしこまりました」


 あぁ、流しそうめんとかやってみたいなぁ……

 冷やし中華とか……

『冷やし中華はじめました』も、ついに異世界デビューしちゃうか?


「そうだ。もち米なんていかがですか?」


 アッスントがニコニコと俺を見つめている。

 もち米…………この暑いのにモチを食えと?

 あ、でも、山菜おこわとかなら美味いかもしれんな。ちょうど野草とかもらってきたし。


「どうしますか、ヤシロさん」

「じゃあ、もらっておくか」

「今ですと、小豆もお安くご提供出来ますが?」


 ……なに、こいつはこのクソ暑い中ぜんざいでも食えと言いたいのか?

 ガマン大会かよ。


「小豆は、どうやって食べるものなんですか?」


 ジネットが俺に尋ねてくる。

 って、いやいや。


「今川焼きの中身だぞ」

「今川焼きの!? ください! アッスントさん、それ、ください!」


 いや、すげぇ食い付きだな……知らなかったのかよ。


「小豆でカボチャを煮込むと、甘くておいしいですよ」


 冬至カボチャか。……それも寒い時に食いたいもんだよな。

 もうちょっと夏向きなものはないのか。

 例えばかき氷とか。


「なぁ、どっかに大きな氷が取れる場所とかないか?」

「氷……ですか?」


「この暑いのに、何言ってんだこいつ?」みたいな目で見られている。

 分かってる、分かってるよ。無茶なこと言ってるってことくらいは。

 でもな、かき氷とか、そうでなくてもカチ割り氷を浮かべたタライにスイカだとか飲み物を入れて冷やしたりさ、したいじゃん。


「すぐにご用意するのは無理ですが……二週間ほど時間をいただければ」

「本当か!?」


 この世界には冷蔵庫なんかないから、たぶん洞窟の奥とかで凍らせるんだろうが……二週間後にかき氷が食えるかもしれないのか…………買うか?

 いや、その前に氷を掻く機械が必要だ。かき氷器がな。シロップもないし……。


「まぁ、まだいいわ」

「そうですか。まぁ、氷などにお金を出すのもバカバカしいですからね」


 ほほほと、上品に笑うアッスント。

 こいつも変わったな。昔なら、何がなんでも売りつけていたに違いないのに。


「では、明日……遅くとも明後日にはこれらの食材をお届けしましょう」

「暑い中、大変かと思いますが、よろしくお願いします」

「いえいえ。商売ですので」


 偉いな。

 真夏の引っ越し屋くらい尊敬するぜ。俺には絶対真似出来ん。


「あ、そうだ。大量購入していただきましたので、ちょっとサービスをさせていただきましょう。少々お待ちを」


 そう言って、いそいそと応接室を出て行くアッスント。

 数分後戻ってきた時には、手に団扇を持っていた。


「おぉっ! 団扇じゃねぇか!?」

「さすがヤシロさん。よくご存じで。こちらは十区で発明されたアイテムなのですよ」


 団扇を受け取り早速煽ぐ。……あぁ、涼しい。

 俺のマネをしてジネットも団扇を動かす。


「本当ですね。とても気持ちいいです」

「それを差し上げましょう」

「よろしいんですか?」

「はい。それ自体はさほど高価なものではありませんので。いつもお世話になっている方に差し上げるつもりなのです。お二人が第一号ですよ」


 どうも、珍しい上に便利なアイテムなので、お得意さんにでも配り歩くつもりらしい。

 そういう方向に意識が向くようになったんだな、こいつも。


「なら、アッスント」


 いい物をもらった礼に、一つだけアドバイスをしておいてやる。

 俺は団扇の紙の部分を指さして言う。


「団扇のここんところに行商ギルドの宣伝でも書き込んでおけ。そうすりゃ、使うヤツにも、ただ見かけただけのヤツにも宣伝が出来る。珍しい物なら尚更目を引く」

「陽だまり亭シャツと同じですね」


 まぁそういうことだ。


「なるほど……宣伝効果ですか……。いや、これは盲点でした。まだまだヤシロさんには敵わないようです。そのアイディア、使わせてもらっても?」

「あぁ、使え使え。こっちの懐は痛まん」

「では、遠慮なく」


 アッスントがニコニコしている。きっと、頭の中でより効果的な宣伝文句はどんなものか、なんてことを考えているのだろう。


「それでは、わたしたちはこれで」

「これからまたどこかへ?」

「はい。今日は一日買い出しです」


 炎天下の中をな。

 俺は団扇で首筋に風を送りつつ、うんざりする暑さに溶けかけていた。


 ……この団扇、骨は竹で出来てるのか…………竹、ねぇ。


「この竹は生花ギルドから買ってるのか?」

「おそらくそうでしょうねぇ。詳しい入手ルートは存じ上げておりませんが。私の管轄外ですので」


 十区の職人がどこかから調達した竹で作った団扇だ。

 アッスントがその製造過程を知らなくても頷ける。材料の入手先なんか、いちいち明言しないからな。


「まさか、団扇を自作されるおつもりで?」

「いや……そういうわけではないんだが……」


 流しそうめんがしたい。だが、これはまだ誰にも言わない。

 変に期待されるのだけは勘弁だからな。


 とりあえず、どうでもいい情報でも提供しておくか。


「青い竹を踏むと健康にいいんだぞ」

「えっ?」


 そう言うと、ジネットは自分の足に視線を向ける。


「……まさか、足の裏から何かしらの成分を吸収して……」

「そんなこと出来るか!」


 足の裏に口でも付いてるのか、お前は。


「足にはツボってのがたくさんあって、刺激すると体内の老廃物を出してくれるんだよ」

「そうなんですか?」

「立ち仕事をしているお前なんか、老廃物の塊みたいなもんだぞ」

「な、なんだか分からないですけど……今、悪く言われたような気がします」


 ジネットが軽く頬を膨らませる。


「足の裏に、……ツボ? ですか? いまいちピンと来ない話ですねぇ」

「よし、アッスント。足を出せ」

「足を? 何をなさるおつもりで?」

「これからちょっと、足つぼマッサージをしてやろう」

「そ、そんな! ヤシロさんにマッサージしていただくだなんて、恐れ多い!」


 敬うな敬うな、なんか気持ち悪いから。


「ジネットさん、やっていただいてみてはどうですか?」

「ふぇえ!? わたしですか!?」

「私も、少し興味がありまして、もし話題になりそうなものでしたら、前向きに取り入れていきたいなと……是非、参考までにこの目で見てみたいのです」

「で、でも……」


 ジネットが膝をギュッと閉じ、恥ずかしそうに俯く。


「き、汚い、ですし……」

「オーイ! 水と手拭いを! あと、アロマオイルも持ってきてください!」


 アッスントが声をかけると、応接室の外に待機していたのであろう小間使いの者が速やかに桶に入った水と布巾とアロマオイルを持ってきた。

 アロマオイル、あるんだな。


「では、お靴を……」

「ふぉぉ!? いつの間にかやる方向に話が進んでいますね!?」


 アッスントが興味を持ったのだ。ジネットをエサに知識を手に入れるくらい、平気でやるさ。

 流されるままにブーツを脱ぎ、素足を水の張られた桶につけるジネット。


 ……なんだろう。妙にドキドキする。

 ジネットの入浴を覗いているような気分だ。


 ちゃぷちゃぷと水音を鳴らし、ジネットが足を洗う。

 おい、アッスント。あんまり見るな。何かが減りそうで嫌だ。


「で、では…………あの…………ヤシロさん」


 視線を逸らしつつ、ゆっくりと水から引き上げた足を俺の目の前へと差し出してくる。

 ジネットの顔は真っ赤だった。


「よろしく……お願いします……っ」

「お、おぉ!」


 恐る恐る……なんでこんなに緊張してんだよ、足に触るくらいで。中学生かっ!?

 足だ、足。ただの足。なんてことはない。

 サッと掴んで「あたたたた」っとツボを押して「お前はもう死んでいる」って言ってやればいいんだ。……いや、死にゃしないけども。


 よし、全然大丈夫。全然余裕。俺、超全然。

 余裕な素振りで、特に何も気にせず、軽~い気持ちで、俺はジネットの足を手に取った。


「ひゃんっ!」

「わぁっ!? ごめん!」


 ドッドッドッドッ……なにこれ!? 俺、なんか変!


「す、すす、すみません。ちょっと、くすぐったかったもので……」

「あ、あぁ、うん。そうだよな。初めてだもんな」

「はうっ…………は、はい、……その、経験は……ありませんもので……」

「『足つぼマッサージの』経験がないんだよな! なにせ、四十二区ではジネットが初めてだもんな!」

「そ、そうですねっ!」


 足つぼマッサージ!

 足つぼマッサージ!

 さぁ、足つぼマッサージを始めようかっ!


 ソファに座るジネット。

 その前に片膝をついて、反対の膝は立て、立てた膝の上に布巾を置いて……その上にそっとジネットの右足を載せる。左は、水桶から出して、脱いだブーツの上に置かれている。


「あ、あの……なんだか…………ドキドキしますね。ヤシロさんに足を向けるだなんて…………申し訳なくて……」


 だから、なんでみんなほんのりと俺を敬ってんの?

 俺、そこら辺にいる普通の詐欺師だぜ? ほんのちょっと、組織とか壊滅させただけの。


「じゃあ、始めるけど、痛かったら言うんだぞ」

「は、はい…………」


 ジネットがキュッと唇を引き結ぶ。

 ……なに、この『俺がこれからセクハラしますよ』みたいな空気? マッサージだからな? 健全な行為だぞ、あくまで!


「あ、あのっ……ヤシロさん…………」


 土踏まずに親指をあてがい、力を込めようかとした時、慌てた様子でジネットが声を発した。

 視線を向けると、少し泣きそうな顔で、ウルウルした瞳をこちらに向けている。

 そして、勇気を振り絞りました感満載な声で、こんな要求を投げてきた。


「…………優しく……してくださいね…………?」


 ――ギュッ!


「いたっぁあああああーーーーーーーいっ!」


 ……お前。

 今のはワザとだろう?

 ワザとでなくても、今のはアウトだ!

 なんだ、そのタイミングで発せられたそのセリフ!? 狙ってんのか!?


「いたひっ! ぃたひれすっ! ヤヒロしゃん…………っ!」

「……ごめんなさいは?」

「ほぇ!? あ、あぅ……ご、ごめんなさい、です……」

「よし……」


 無駄にドキドキさせやがって…………まったく、お前は、まったく…………


「本来は、痛過ぎないように、これくらいの力加減でやるもんなんだ」

「あ…………っ、ん……はい……それっ…………でしたら…………んんっ! ……痛くはぁあぁあっ!」


 喘ぐなっ!


「あの、お二人とも……そういう行為は、夜、ご自宅で……」

「そういう行為じゃねぇよ! マッサージ!」


 アッスントが視線を逸らして気まずそうな表情をしている。

 あぁ、もう! まったく、どいつもこいつも!


「あ、でも…………慣れてくると、確かに……はい、気持ちいいかもしれないです」


 両目に涙をためて、ジネットが言う。

 ……なんか、もう、そういう表情にしか見えねぇよ。


「痛みはないのですか?」

「はい。強くされると痛いですけど、手加減していただければ」


 ようやく、ジネットに笑顔が戻る。

 手加減というか……俺、もうほとんど触ってるだけなんだが。押しているなんてレベルじゃない。……ジネット、相当老廃物溜まってんじゃないのか?

 青竹踏み、本当に作るか?


「最初は凄く痛かったんですけど、ヤシロさんがとてもお上手なので、今では痛かった分まで気持ちよくなってぇっぇぇえええええええっ!? いぃぃいたいですぅぅぅううううっ!」


 ……だから、お前。ワザとやってないか、そのセリフのチョイス?


「……うぅ…………ヤシロさんがいじめました…………」


 マッサージを終えたジネットがソファで三角座りをしながら泣いている。

 右の足の裏をさすさすとさすっている。じんじんとした痛みがなかなか引かないようだ。

 右足をちょっとやっただけで終了にしておいた。人前でやるのは危険だ。

 ……まぁ、どうしてもってんなら、今度は俺の部屋でやってやっても…………他意はないけどなっ!


「しかし、そんなに痛かったのですか?」

「はい。土鍋がつむじに直撃した時と同じくらい……」

「……そんなに、ですか?」


 なんだか喩えが生々しい。こいつ、実体験だな?


「不健康だから痛いんだよ。俺なんか、押されても痛気持ちいいくらいだぞ」

「確かに、少々大袈裟な感じはしましたね」


 くすくすとアッスントが笑い、それが少々気に障ったのか、ジネットが頬を膨らませる。


「だったら、アッスントさんもやってもらってみてください! 絶対痛いですから!」


 ムキになるジネットも珍しい。

 しかし、アッスントも余裕の表情だ。


「失礼ながら……ヤシロさんは筋肉ムキムキのパワー系の方ではありませんし、親指で軽く押されただけであの痛がりようは…………やはり少々大袈裟だとしか……」

「よしアッスント。そこに座って足を洗え」


 ふっふっふっ……お前は知らんようだな。テレビで足つぼを舐めていた芸能人がどれだけ悶絶させられていたかを。


「いえ、構いませんが……面白いリアクションは取れませんよ?」


 そういうのを、『ネタ振り』と言うんだよ。

「全然痛がりませんよ……痛ぁぁ!?」って、お前、お笑い分かってるな。


 じゃぶじゃぶと、ジネットに比べかなり乱暴に足を洗うアッスント。

 ジネットと同じようにソファに座り、俺へ右足を差し出してくる。


「…………俺の国に、『豚足』って食い物があってな」

「なぜ今その話を?」


 いや、ブタの足じゃないんだなぁ、と思ってよ。

 アッスントの足は普通の人間の足だった。これならツボも押しやすいだろう。

 蹄だったらどうしようかと思ったところだ。


「少しだけ、ドキドキしますね」


 浅く腰掛けたアッスントが背もたれに体重を預ける。


「絶対痛いですからね」

「ほほほ……ジネットさんほど大騒ぎはしませんよ」


 アッスントは余裕だ。


「なら、ジネットよりも大騒ぎしたら、今日注文した食材を値引きしてくれな」

「えぇ、構いませんよ。ただし、あり得ないような乱暴な行為は御免蒙りますよ? ワザと騒がせようとして……」

「フェアにやるさ。精霊神に誓ってな」

「そうですか。では、安心です」


 なぁに。お前みたいな不健康そうなヤツ、フェアにやったって泣かせることは余裕だ。


「じゃあ、行くぞ」

「はい。お願いします」


 ――ギュッ!


「ぴぎゃあああああああああああああああああああああああああっ!」


 よく晴れた、とてもとても暑い夏の日、ブタが鳴いた――


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ! 無茶苦茶やっていませんか!? ナイフとか突き立てていませんか!?」

「親指で軽く押してるだけだろうが、ほら」

「ぎゃああああああああああああああああっ! ぎゃいん! ぎゃいん! ぷぎゃああ!」


 ソファーの上でジタンバタンともんどりうつアッスント。


「ジネット。アッスントが落下しないように押さえておいてやれ」

「そうですね。お怪我をされては困りますし」


 ジネットは素直に俺の言うことを聞き、アッスントの両肩をソファに押さえつける。


「なっ!? や、やめてくださいっ! 押さえつけないでくださいって!」

「ですが、危ないですので」

「悪魔っ! 悪魔ですか、あなたは!? もしかして、過去のことを根に持っていたりするんですか!? 恐ろしい、恐ろしい人ですね、ジネットさぁぁぁああああああああんっ!?」


 土踏まずを、外側から中央へ向かって親指で押し進める。ゴリゴリした筋のようなものがあるので、それをこりこりするように親指でマッサージしていく。


「ふぎゃっ! ぎゃあ! すみません! 謝ります! さっき笑ってすみませんでしたぁァぁぁアッ!」


 本気の泣きが入ったので、全然やり足りないのだが、解放してやる。


「はぁ………………はぁ……………………はぁ…………………………」


 ソファにぐったりと寄りかかり、激しく肩を上下させるアッスント。

 ちらりとこちらを向き、涙に潤む両目で俺を見つめる。

 そして恨みがましい口調でこんなことを言いやがった。


「……もう………………ヤシロさんってば……乱暴なんですから……」


 お前んとこで竹を取り扱ってなくてよかったな。

 もしここに竹があったら、先端を斜めにカットして確実にお前を突き刺していたところだぞ。


「じゃあ、値引きよろしくな」

「…………はぃ………………ぜぇぜぇ…………お任せください…………」


 まるで拷問にでもあったかのような疲弊ぶりで、アッスントが頷く。

 見送りは出来ないと、ぐったりした姿勢で言われ、俺たちは二人で外に出て、行商ギルドを後にした。


 ……結局、何やってたんだろうな、ここで。


「今度は、わたしがヤシロさんにやってあげますね」


 まだ少しご機嫌ななめなジネットが復讐を誓ったような目で俺に言う。

 おぅ、やってみろ。

 俺は足つぼには強いからな。


「…………今度、お暇な時に、お時間を作ってください」

「…………ん?」


 陽だまり亭が暇になるのは夜だけだ。

 そこで時間を作れということは………………


「あ…………あぁ、…………まぁ、そのうちな」

「はい。……そのうち」



 まぁ、考え過ぎ…………だよ、な?



 なんとも微妙な空気の中、俺たちは大通りを歩いていく。

 太陽はまだまだ高い空の上にいて、日差しは容赦なく降り注いでくる。


 そのせいだろうな。


 俺が今、こんなに変な汗をかいているのは。






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