90話 ある日の森の中の

 目を疑う。そんな言葉がある。

「あれ、俺のコレ……本当に目か?」

 ……ということではなく、実際目にしているものが信じられない場合に使われる。


 そう、例えば、こんな時にだ。


「ぁ……れじーなさん、こんにちは」

「あぁ、ミリィちゃんやん。元気してたかぁ?」

「はぃ。れじーなさんも元気そう」

「ウチは元気でもどこにも行かへんから、あんま意味ないんやけどな」


 レジーナとミリィ。

 極度の人見知りコンビが談笑している。


「何がどうなってんだ!?」

「きゃぅっ!? ……ぁ、てんとうむしさん」

「なんやねんな、自分。急に大きい声出さんとってんかぁ。ビックリしておっぱい縮むか思うたわ」

「縮むの!? マジで、ごめん!」


 いや、そんなわけがない。

 ちょっとビックリな光景を目の当たりにして、動転してしまったのだ。

 とりあえず落ち着こう。


 俺は今、レジーナの店に行こうと、大通りを抜けて四十二区の東側へと来ていた。

 よく晴れている。少し汗ばむような陽気だ。

 こんな日は、レジーナは木戸を締め切ってじめっとした暗い部屋で膝を抱えながら床を転がる綿ぼこりと会話をしている違いない。そう確信出来るような快晴だったのだ。


 なのに、なぜかレジーナは外にいて、あまつさえ、ミリィと会話をしている。


 つまり、アレだな。まず、俺が最初に言うべき言葉は……


「ミリィ……ウツるからあんまり近付いちゃダメだぞ」

「ぇ……、なにがウツるの?」

「ほぉ……自分、えぇ度胸しとるやないか……」


 俺はな、将来有望な美少女がくだらない小石に躓いて人生のレールを踏み外さないようにしてやっているんだよ。


「ぁ……れじーなさんとは、以前から、よく……たまに、お話……するよ?」

「そうや。ウチの名前を覚えてくれてた、数少ない友達やねん」

「お前ら、仲良かったんだな」

「…………う~ん…………うん」

「せやなぁ………………まぁ」

「言うほどではないんだな……」


 道端で会えば軽く言葉を交わす程度か。


「それでどこに行くんだ?」

「ウチか? ウチは夢の国や」

「自分の家をそう表現するのはお前だけだよ。どんだけ内向的なんだ」

「こんな太陽の眩しい日は木戸を締め切ってじめっとした暗い部屋で膝ぁ抱えながら床を転がる綿ぼこりとしゃべってるんが一番なんや……」


 マジでやってんのかよ、それ!?


「聞くだけ無駄だったレジーナと違って、活動的なミリィはどこに行くんだ?」

「ぇ……あの…………普通に答えていいの?」


 もちろんだ。ミリィにボケとか求めないから。

 ミリィに求めるのは癒しだ。

 そのままでいてくれればいい。


「みりぃはね、これから野草を採りに行くの」

「花じゃなくてか?」

「ぅん……乾燥させて、保存食にするの」

「あぁ、せやな。もうそんな時期やもんなぁ」


 レジーナがぽんと手を打つ。

 なんだ? 旬なのか?

 この街には四季が無いから、イマイチ旬とかそういう感覚が分かんないんだよな。


「よかったらウチも一緒に行ってもえぇかな? 今のうちに集めておきたい薬草もあるし」

「ぅんっ! 一緒にいくと、たのしい」

「ほなら決まりやな。荷物が仰山になっても、男手がおるから安心やなぁ」

「ちょっと待て。なんで俺まで一緒に行くことになってんだ?」

「ぇ……?」

「え?」

「いや……『え』じゃなくて……」


 なんでミリィまで「来ないの?」みたいな顔してんの?

 俺、「行く」なんて言ってないよね?


「野草が生えとるんは深い深い森の中……美女と美少女だけやと、何かと不安やなぁ……なぁ、ミリィちゃん」

「ぅ、ぅん…………ふあん、だね」

「ミリィ使うのは卑怯だぞ、レジーナ」


 ミリィはこう、なんつうか……雑に扱っちゃいけない気がしてんだからよ、切り札に使うなよな。断りにくいだろう。


「手伝ってくれたら、お礼にえぇ薬プレゼントしたるわ」

「薬? なんのだよ?」

「男のプライドッ! 精力増きょ……っ!」

「さぁ、先に行こうか、ミリィ」

「ぇ……でも……」

「あ~いいからいいから。さぁ行こう」

「ちょっ、待ちぃや! そういうん、よぅないで、自分!」


 歩き出す俺たちを追ってレジーナが駆けてくる。

 俺の隣に並ぶとガシッと肩を掴んできやがった。なんて荒っぽいボディータッチだ。色気も何もあったものじゃない。


「……はぁ……はぁ…………アカン……今日の体力使い切ってもうた……」

「どんだけ少ないんだよ、お前の体力……」


 わずか2メートルほどの駆け足でもうガス欠とか……気の毒になってくるわ。


「ぁ……じゃあ、乗っていいですよ?」

「えっ!? ホンマに!? えぇのん!?」


 ミリィが、いつもの荷車を指して言う。

 アリクイ兄弟に会いに行く時にマグダも乗っていたが、レジーナでも余裕で寝転がれそうな大きな荷車だ。これを、こんな小さいミリィが軽々引いているのだから、獣人族のパワーは計り知れない。まぁ、獣じゃなくて虫だけど。


「いやぁ、なんや悪いなぁ。ほな、遠慮なく」


 手刀を切りながら、荷台へと乗り込むレジーナ。どこのオッサンだ、お前は。

「ちょっと、前失礼しますね~」じゃねぇっつの。


「今日は花を積んでないんだな」

「ぅん。野草、たくさん採るから」

「……コレ一杯にか?」

「野草、おいしいから」


 ……獣人族って燃費悪いよな。マグダといいミリィといい、力を使った後は腹が減るようだ。


「あ! ほならウチ、帰りは荷台に乗られへんやんな?」


 そりゃ、野草を積み込むからな。


「自分。ウチの分も頑張って薬草摘んでな!」

「レジーナ。お前本当に荷車が似合うなぁ……お荷物って意味で」


 こいつを放り出していった方が、確実に手間は省けるだろうにな。


「てんとうむしさん、野草の摘み方、教えてあげるね」

「プロの業か……拝見しよう」

「そんな……たいしたものじゃ、ない……ょ?」


 やや照れたように、しかし確固たる自信の見え隠れする表情を覗かせてミリィが笑う。

 本気でこのデカい荷車一杯に野草を採るつもりなのだろう。


 そんなことがあって、俺は流されるまま森へと同行することになった。なんかミリィも俺が付いてくること前提で話しかけてきてるし。まぁ、ついでに俺も野草でも採って帰るか。







 俺・IN・食虫植物・IN・森ん中。


「たーすけてー!」

「ぁう……、す、すぐに!」

「もう! これで何度目やねんな、自分!? しっかりしぃや!?」


 深い深い森の中。

 俺は「ちょこん」と指先が触れてしまった巨大食虫植物に、まんまと捕食されてしまったのだ。

 指先が触れただけで捕食って……日本の怖いお兄さんたちだって肩でもぶつからない限り因縁つけてこないってのに、なんて草だ! 理不尽にもほどがある!


「ぅ…………はい、今のうちに……」

「すまないねぇ、ミリィさんや……」

「ぁう……は、早く……この花びらを開いていると、匂いに釣られて獣が来ちゃうから……」


 なんだか想像以上にサバイバルだ。

 つうか、その『匂い』を全身に纏った俺は獣に襲われたりしないのだろうか?


「レジーナ。抱きしめてやろうか?」

「あ~、ごめんなぁ。ウチ、外ではイチャつかへんタイプやねん。淑女やし」


 ちっ……道連れを作ろうと思っていたのに。


 四十二区内にある森だと聞いていたので、完全に舐めきっていた。

 この森は生花ギルドが管理する森で、一般人は立ち入り禁止なのだそうだ。生花ギルドの許可が下りれば立ち入ることは可能らしいが、その際は生花ギルドの組合員の同行が必要になる。


 レジーナは過去に何度か薬草を採りに訪れたことがあるらしい。

 ジネットも入ったことがあるんだよな。


「ジネットも、結構捕食されてただろ? あいつ、ぽや~っとしてるから」

「ぅうん。じねっとさんは一度も……」

「残念やなぁ、仲間が出来へんで」


 ……なぜ俺ばかりが食虫植物に捕食されるのか…………


「イケメンって、つらいっ!」

「そんだけポジティブなんやったら大丈夫やな。野草採り続行や」

「ぅん」


 誰も俺の話を聞いてくれない。


 この辺りは、不法侵入を防ぐためにわざと大量の食虫植物を植えてあるらしいのだ。それも、人を捕食するような巨大なヤツをだ。

 ……こいつら、何を食ってここまで育ってきたんだ? ……何人か食ってんじゃないだろうな?


「この花は、ソーセージとビールが好物なの」

「オッサンか」


 ソーセージとビールが大好きで、たまに人を捕食する。オッサンか! ……いや、オッサンは捕食しないか。


「てんとうむしさん、ソーセージみたいな匂い、するのかも……」

「あぁ、そうかもしれへんなぁ。自分、こん中で唯一ソーセージぶら下げ……」

「さぁ、ミリィ! 先を急ごうか!」


 レジーナの話はまともに聞いてはいけない。……あいつは何を言おうとしてんだ。


「この先に……野草いっぱい。てんとうむしさんにも採ってあげるね」

「いやいや。舐めるなよ、ミリィ。こう見えて俺は、山菜採りの名人なんだ」

「名人がアホみたいに食虫植物に捕食されるかいな」


 うっせぇな! 日本にはいなかったんだよ、このサイズの食虫植物が!

 俺はな、幼少期より女将さんに付いて山菜採りに行っていたのだ。おじいさんは山へ、おばあさんは川へなどというイメージが蔓延ってはいるが、ウチは逆だったのだ。

 女将さんは山へ山菜を採りに、親方は川へ川魚を捕りに行っていた。

 その両方のスキルを伝授されたのがこの俺だ! 山菜採りだろうが川漁だろうが、なんだってかかってこいってんだ。俺に不可能などないのだ!


「ぁ……あそこが野草の生息地帯だよ」


 ミリィが指さす先には、何本ものひょろ長い木が生えていた。

 直径は1メートルあるかないか程度で、背丈は4メートルほどもある。

 そのひょろ長い木の上の方。地上から3メートルほどの位置に緑色の草のようなものが生えている。木の葉っぱという感じではなく、その木に寄生しているような生え方だ。ちょっとだけ、イソギンチャクを思い出した。


 って。おいおい、まさか……


「ぁの、上に咲いているのが目当ての野草だよ」

「無理だな」


 あれは無理だわ。

 羽でも生えていないと採りに行けない。

 木の幹は、まるで百日紅のようにつるつるで足を引っかけられるような枝や洞すらない。

 野草の生息地帯は、人間の到達出来る場所ではないのだ。


「なんや、自分。得意なんとちゃうんかいな?」


 だから、日本にはこんなふざけた植物なんかなかったんだよ!

 そう反論してやろうとして、俺は硬直した。


 レジーナの向こうに、トラのような大きさの獣が現れたのだ。

 牙を剥き、確実にこちらを睨んでいる。

 威嚇するように「グルル」と喉を鳴らし、頭を低くして飛びかかる直前の格好をしている。


 あんなヤツに襲われたら、怪我どころじゃすまないぞ。


「お前ら……っ!」


『逃げろ』と、そう言う前に、獣は俺たちに向かって飛びかかってきやがった。

 いや、確実に、俺に向かって。


 ……俺!?


 そういえば、食虫植物の匂いをさせていると獣が寄ってくるって言ってたっけな…………こんなに効果あるのかよ、その匂い!?


 俺は走る。

 懸命に逃げる。

 レジーナとミリィのそばを離れ、ひたすらに走り続ける。


 ……そして、捕獲される。


 背中に強い衝撃を感じ、気が付いた時には地面に押し倒されていた。

 マグダの腰ほどもある太い腕に押さえつけられ、俺は完全に動きを封じられてしまった。


 これって、万事休すってやつか?

 俺…………ここで、こんな獣に襲われて…………終わりか?


 そんな絶望的な思考にのみ込まれかけた時、レジーナの声が鮮明に聞こえてきた。


「チャンスや。今のうちに野草採っておいで」

「ぅん」


 いやいやいや! 助けて! 今すぐ助けてくれないかな!?

 なんつうの? ピンチの時に覚醒したり、秘めた力が溢れ出したりとか、そういうの一切ないから!

 放っといたら、俺、確実に食われるよ!?


「てんとうむしさん」


 ミリィが不安げな瞳を俺に向けてくる。

 そして……


「……がんばって」


 何をっ!?


 答えの見えない言葉を発し、ミリィはするすると木を登っていってしまった。

 わぁ、ミリィ木登り上手……


 とか言ってる場合じゃない!

 俺絶賛大ピンチっ!


 なの、だが……


「はふっ! はふっ! はふっ! はふっ! はふっ!」


 獣が俺の顔をべろべろ舐め出したのだ。

 ……食われ…………る?


 その後、獣は俺の匂いを嗅いだり、乗っかってきたり、甘噛みしたり…………まるで、またたびにじゃれつくネコのような行動を繰り返す。

 ……これって…………


「その獣な、図体はデカいけど、人懐っこ過ぎてちょ~っとばっかり煩わしいねん」


 獣に玩ばれる俺を見て、レジーナがぽそりと呟く。


「いやぁ、自分が引き受けてくれて、ホンマに助かるわぁ」

「引き受けたつもりは…………わぶっ! …………ね、ねぇぞ! ……って、こら! 顔を舐めっ、顔を舐めるなっ、獣っ!」


 全身をべろんべろん舐められながら反論の声を上げる。

 つか、臭い! この獣の唾液、超臭い!


「ほなら、ウチも……」

「ちょっ! どこに行くんだ!?」

「ウチ、薬草採らなアカンねん」

「そ、そうだ! お前の代わりに俺が薬草採りまくらなきゃいけないんだろ!? だから、お前、俺と代われ!」


 俺の必死の訴えに、レジーナはにこりと笑みを浮かべた。


「せやかて、ウチ、嫁入り前やさかい」


 そんなもん、俺だってそうだよっ!


 そして無情にも、ミリィの巨大な荷車が野草薬草でいっぱいになるまでの間、俺はこの訳の分からない獣に「はふっはふっ」され続けたのだった。


 ……もう、お嫁に行けない。







 酷い目に遭った……

 食虫植物の体液でドロドロになり、それを巨大な獣にべろんべろん舐められ、俺は全身ぐっじょぐじょだ……今日は朝から物凄く気持ちのいい快晴だったのに……なんでこんなことに。


「ぁぅ……元気、だして? ヒラールの葉っぱ、たくさんあげるから。ね?」


 歩くのがやっとというほど疲弊した俺を心配して、ミリィが陽だまり亭まで送ってくれた。

 ん? レジーナ?

「あ、ウチ、家こっちやさかい。ほなな!」とか言ってさっさと帰りましたけど?

 あいつ……マジで覚えてろ…………


「ぁの……ね、ヒラールの葉っぱは、スープにすると体が温まって、すごく、いい……よ?」


 表情が死に切っている俺を気遣って、ミリィが優しい言葉をかけてくれる。

 この娘は本当にいい子だ。ウチに欲しいくらいだ。……ロレッタと交換でどうだろう?


「悪かったな、送ってもらって。寄っていくか?」

「ぅうん。野草を干さなきゃいけないから」

「そっか」


 玄関先でミリィと別れる。

 またいつものように、遠くまで行っても「ばいばーい!」と何度も繰り返すミリィ。

 完全に姿が見えなくなるまで見送って、俺は陽だまり亭のドアを開いた。


「あ、おかえりなさい、ヤシロさどうしたんですかっ!?」


 俺を見た途端、ジネットが駆け寄ってくる。

『ヤシロさん』を言い切る前に次の言葉が出ていたので、なんだかよく分からない感じになっていた。まぁ、慌てるか。レジーナのところへ行くと言って出ていった俺がぐっじょぐじょになって帰ってきたら。


「ミリィ他一名と野草を採りに行っていたんだ」

「あぁ……あの獣にじゃれつかれたんですね」


 ジネットが苦笑を漏らす。あの獣の煩わしさは森に入ったことのある者の中では常識らしい。

 すぐにタオルを持ってくると言って、ジネットは厨房へと入っていく。二階へ上がるのだろう。風呂の用意もしてほしいところだな。


「…………すんすん」


 マグダがすささっと近付いてきて、俺の匂いを嗅ぐ。


「……他の女の匂いがする」


 ……あの獣、メスだったのかなぁ……


「……そして、ちょっと齧りつきたくなる匂いも…………むずむず」

「やめてくれな……今日はもう体力残ってねぇんだ……」


 トラ人族の中のネコ的要素が、俺から漂うまたたび成分に反応したようだ。


「わっ!? どうしたです、お兄ちゃん!?」


 厨房から顔を出したロレッタが俺の前まで走ってくる。

 あぁ、お前も心配してくれるのか。レジーナとは大違いだ。


「うっわっ! クッサいです、お兄ちゃん!」


 鼻を摘まんでUターンして厨房へと戻っていきやがった。

 …………トレードに出すぞ、マジで。


「ヤシロさん、今お湯を沸かしていますので、もうしばらく待ってくださいね」


 タオルを持ったジネットが戻ってくる。さすがはジネットだ。言わなくても風呂の用意をしてくれたようだ。分かってるなぁ。


「お兄ちゃん。体が綺麗になったら、あたしもちゃんと心配するです!」

「うっさい、お前はもう何もしゃべるな」


 厨房から顔だけを出すロレッタ。

 あいつはそういうヤツなのだ。よぉく分かったよ!


「あ、そだ。ほい、お土産」

「なんですか?」


 ミリィにもらった野草をジネットに手渡す。えっと、なんて名前だったかな? 日本では見たこともない野草だが……


「わぁっ! ヒラールの葉っぱですね!」


 あぁ、そうそう。ヒラールの葉っぱだ。


「そうですか。もうそんな時期なんですねぇ」

「旬なのか?」

「しゅん?」


 一年中、すべての食い物が手に入るこの街には、旬なんて概念はないのかもしれないが。

 だが、季節感のある食べ物ではあるようだ。


「この野草を食べると、納め期なんだなって思うんです」

「『おさめき』?」

「はい。一年を納める、総まとめの時期です」

「あ……そういえば」


 と、俺は指を折って数えてみる。

 ふむ……確かにそうだ。

 俺がこの世界に来てからもう八ヶ月近くの時間が経っている。


 もう、十二月なんだな。


 時間と暦が日本と非常に近しいこの世界でも、やっぱり十二月は締めの時期なのか。『納め期』ね。なるほど、それで合点がいった。

 ミリィやレジーナが野草や薬草を採りに行ったのも、十二月だからなのかもしれない。年越しの準備でもしているのだろう。

 言われてみれば、街中、どこもかしこも忙しそうだ。


「あの、ヤシロさん」

「ん?」


 ヒラールの葉っぱを抱きしめて、ジネットが真っ直ぐ俺を見つめてくる。


「明日、一緒にお買い物へ行ってもらえませんか? 色々と買っておきたいものがありますので」

「おう、いいぞ」


 ウチも年越しの準備を始めるのか。

 そうだ。ソバとかないかな? 年越しそば。あ、あとモチな。

 アッスントにでも聞いてみるか。


「では、明日は一日買い出しに行きましょう。マグダさん、ロレッタさん、お店をお願いしますね」

「一日? そんなにかかるのか?」

「はい。とても大切なことですので、抜かりなく行わなくてはいけません!」

「ふ~ん。まぁ、いいけどな」


 四季の無い四十二区は常春のような街だ。最近は少し涼しくなって秋のような気候になっている。秋晴れの爽やかな風を浴びて、ジネットと一日、買い出しのために街を歩き回るのもいいだろう。


 少しテンションが上がってきた。

 そうと決まれば今日は早めに休まなけりゃな。

 別に、明日が楽しみだから「早く明日にならないかなぁ」とか、そういうことじゃないぞ?

 今日は獣のせいで体力が尽きかけているし、明日も明日で歩き回るみたいだし、体調は万全にしておかないといけないからな。

 そんなわけで、今日は早く休むのだ。…………くぅ~! 眠れないかもしれない!


 と、そんな、若干浮き立った心でその日を過ごし、そして待ちに待った翌朝。

 抜けるような青空が広がり、太陽はさんさんと輝き――




 うだるような暑さの、猛暑日がやって来た。






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