79話 夜中の会談

 夜。

 閉店後の陽だまり亭にアッスントがやって来た。

 四十区から戻ったその足でアポを取り付けておいたのだ。

 砂糖の話だと伝えたら即食いついてきた。

 そこで軽く打ち合わせなんかをして……現在に至る。


「いや~、さすがヤシロさん。もう砂糖の供給に目途をつけられるなんて……これは本当に、尊敬に値します。敬意を表して『ヤー様』とお呼びしたいくらいです」

「敬意を表する気があるならそんな呼び方はすんじゃねぇよ」


 登場からずっと上機嫌のアッスントは、ブタ顔にシワを浮かべでニコニコしている。

 笑いジワが増えたと、この前嬉しそうに文句を垂れていた。


 薄暗い中でも、その笑いジワがはっきりと確認出来た。

 陽だまり亭の庭が薄暗いのは、庭に設置された光るレンガに布を被せて光を遮っているからだ。密約は薄暗いところで……っていう雰囲気作りもあるが、これも一つの演出なのだ。

 敵が罠に引っかかりやすいように、な。


 店側にアッスントを座らせ、俺は通りに背を向けるような格好で座っている。

 庭にそんなもんがあるのかは知らんが、下座だな。


「いやぁ、儲けが確約されているのに手が出せなかったんですよ、砂糖。それが取り扱えるなんて……これは、ヤシロさんに何か恩返しをしなければいけませんねぇ」

「恩返しか……んじゃあよ」


 庭に出した木製の丸テーブルに肘をつき、グッと身を乗り出してアッスントに小声で伝える。


「これから起こる災難を、チャラにしといてくれ」

「は? ……災難?」


 アッスントの頬に一筋の汗が流れる。その瞬間だった――


「ぁぁああああっ!」


 叫び声を上げて、暗闇から突然男が飛び出してきた。

 俺の背後に駆け寄り、一層大きな声を上げる。


「死ねぇぇえっ!」

「ひ、ひぃぃいいいっ!?」


 向かいに座っていたアッスントが情けない悲鳴を上げ椅子から転げ落ちる。

 おそらく、振り上げられたナイフでも見て腰を抜かしたのだろう。度胸がないヤツだからな。


 一方の俺はというと――


「……ようこそ、陽だまり亭へ……ってか」


 余裕だった。

 こうなることは予測済み……いや、俺がこうなるように仕向けたのだから。

 俺の背後に立ち、今まさに俺の首にナイフを突き立てようとしている男――パーシー。

 妹思いで、中途半端に善人で、イザとなったら振り切った行動を起こせるこの男を、俺はおびき出したのだ。


「ヤシロさんっ!」


 アッスントの汚い声が俺の名を心配そうに呼ぶ。

 そういうのはジネットの声で聞きたいもんだな。まったく、ちっとも嬉しくない。


 そんなことを思った瞬間――ガキィン! と、金属がぶつかる音がした。


「……ヤシロに、危害は加えさせない」


 マグダがテーブルの下から飛び出し、パーシーのナイフをマサカリで弾き飛ばしたのだ。

 速さでマグダに敵う人間はいない。少なくとも、俺の知る範囲ではいないと断言出来る。


 それと同時に、光るレンガに被せてあった布が一斉に取り払われる。

 一瞬のうちに眩い光が庭に溢れ出す。


「な、なんだ、これはっ!?」


 パーシーが驚いた声を上げ、突然の光に腕で目を隠す。隙だらけだぞ、お前。


「動かないでもらおうか」

「……っ!?」


 スタンバイしていたエステラが、パーシーの喉元にナイフを突きつけ警告する。

 チェックメイトだ。


「……は、嵌めやがったのか…………っ!」


 掠れる声で、パーシーは恨み節を漏らす。

 あぁ、そうだ。嵌めたのさ。

 俺は、詐欺師だからな。


「お前を追い詰めれば、こういう行動に出ることは分かっていた」


 生活が困窮し、立ち行かなくなった時に人間が取る行動はそう多くない。

 誰かを頼るか、ヤップロックみたいな行動に出るか……邪魔者を排除するか。


「妹思いのお前は、自分一人でこの世から逃げ出すなんてことはしない。絶対にだ。だから、お前の取るべき行動は、お前の人生を滅茶苦茶に引っ掻き回す邪魔な存在……俺を抹殺する以外にないってわけだ」


 徐々に目が慣れてきたのだろう。パーシーが目を覆っていた腕を下ろし、辺りを見渡す。


 そこには、俺、アッスント、マグダにエステラ。そして、ジネットとロレッタの姿もあった。

 布を撤去してくれたのはジネットとロレッタだ。


 光の中におびき出されたパーシーは、手負いの獣のような目で俺を睨む。

 今にも飛びかかってきそうだ。


「オレに何をさせたいんだ?」

「話をしたいだけだ。とりあえず座れよ」


 椅子を勧める俺に、パーシーは牙を剥く。


「ふざけんじゃねぇよ! 話だけなら、昼間、あの畑でも出来ただろうが! なんで、わざわざこんな……っ!」

「あのまま畑で話してたら、アリクイ兄弟がお前の正体を知っちまうだろうが」

「…………え?」


 手を洗いに行っただけのアリクイ兄弟は、比較的早く戻ってきていた。

 あのまま話を続けていれば、話は有耶無耶に終わっていただろう。

 それではダメなのだ。徹底的にカタを付けないと。


「まぁ、落ち着いて話がしたかったんだよ」

「……ケアリー兄弟の前で洗いざらい話してもよかったんじゃないのか? こんな面倒くさい手順を踏まなくても……」

「ケアリー?」

「臭ほうれん草農家のアリクイ人族の兄弟だ! ネックとチックのことだよ! 名前くらい覚えてやれよ! 可哀想だろう!?」


 いや、初耳なんだが……


「あいつらに話すのは全部が終わってからだ」

「まさか……ケアリー兄弟に不利な条件で搾取するつもりか?」

「だとしたら、どうする? お前に何かを言う資格があるのか?」

「…………ねぇよ…………オレは今まで、あいつらの優しさを利用して……散々…………」


 パーシーは握っていた拳を緩め、力なくうな垂れる。

 ようやく毒気が抜けたようだ。


 エステラに視線を送ると、エステラは小さく頷いた後でナイフをどかした。


「座れよ」

「……あぁ」


 パーシーに椅子を勧め、俺はその隣に腰を掛ける。

 向かいの席はアッスントなのだが……まだ地面の上に転がっていやがる。さっさと椅子に座り直せよ、みっともない。


 今度はジネットに視線を向ける。それで意図を察してくれたのか、ジネットはぺこりと頷くと食堂へと入っていった。


「あの場でお前のやってきたことをバラすという選択肢はなかった」


 腰を落ち着けて、ゆっくりと話を始める。

 そう。そんなこと出来やしなかったんだ。


「アリクイ兄弟にとって、お前は『いい人』で、生活を支えてくれた『恩人』だ。利用されていたのはともかく、騙されていたと知れば、いくらあの兄弟が救いようのないアホでも爪の先ほどはショックを受けるだろう」

「……ヤシロ、言い過ぎ。そこまで酷くはないはず」


 マグダがフォローする。

 まぁ、あいつらのアホさ加減などどうでもいいので甘んじて受け止めておく。


 そんなことをしていると、ジネットがお茶を持って食堂から出てきた。

 ご丁寧に、全員分ある。

 他の面々は、用意した別のテーブルについてもらう。ここは俺たち三人だけでいい。


「少し間を開けたかったんだよ。お前も色々考える時間が必要だったろうし、こっちも、メンツを揃える必要があった」

「……まんまと考えさせられたよ、色々とな」


 腹を決めたのか、諦めの境地か……吹っ切れた様子でパーシーが呟く。

 何より、人を一人殺そうと決意して、それが失敗に終わった。その過程はパーシーの心に大きな負荷を与えたことだろう。

 元々、こいつは悪人ではない。そんなもんは会話の端々から感じられる。

 そいつを追い詰め、もうそれしかないと決意させ、行動に移させて、失敗させる。

 そうして頭を冷やさせた後、こいつの頭に浮かぶ感情は何か…………『安堵』だ。

「あぁ、よかった。殺さずに済んだ。取り返しがつないことにならなくて、本当によかった」

 今パーシーの心の中は、そんな安堵の気持ちでいっぱいだろう。


 安堵は疲労を連れてくる。『ドッと疲れる』というやつだ。


 事実、今現在のパーシーは脱力したような表情を隠すこともなくさらしている。

 完全に無防備だ。まな板の上の鯉状態だな。


 からっからに乾いたスポンジが水を一気に吸うように、水泳中に空になった肺が一瞬の息継ぎで満杯に空気を吸い込むように、出し切った後はいつもより多く吸収しようとする力が働く。

 感情を一気に叩きつけたパーシーは、これで俺たちの話を素直に聞いてくれるだろう。


「砂糖を流通させたい。それも、安く、安定してだ」


 変わらない、俺の望みを告げる。

 裏工作などせず、真っ直ぐにだ。


「……無理だぜ、そりゃあ。オレも、そうなってくれりゃあいいとは、思うけどよ」


 テーブルに肘を載せ、頬杖をつく。

 ……やめろ、その気だるげな感じがアイドル雑誌のグラビアみたいで、尚且つ妙に似合っててイラッてする。


「親父がよ……まぁ、今から思えば、俺らのためだったんだろうが……貴族に尻尾を振る人間でな…………土下座なんざ当たり前。時には、ご機嫌をとるために賄賂まがいのことまでやってやがった…………ガキの頃のオレには、その姿が酷く醜く見えたもんだ」

「おい。アッスントの悪口はそれくらいにしろ」

「ヤシロさん、あなたが一番酷いです。すみませんが、こちらの方の話を聞きたいのでしばらく黙っていてくれませんか?」


 1Rbのために平気で頭を下げられそうなアッスントが険しい表情を見せる。

 分かったよ、お口チャックしてりゃいいんだろ。ふん。


「子供ってさ、そういうの敏感じゃん? だから、近所の子供らからは、結構いじめられてな……『貴族に媚び売って自分たちだけいい暮らししてる』って……」

「それのどこがいけないのか、皆目見当がつきませんね! そんなふざけた発言をしたガキ……おっと、お子様たちに是非真意と、成長した今現在社会の厳しさを知った上で同じことが抜かせるのか……失礼、口に出来るのか問い質したいところですね!」

「アッスント。パーシーの話を聞きたいからちょっと黙れ」


 金儲けのためには手段を選ばないアッスントの逆鱗に触れる発言だったらしい。が、無視だ。


「まぁ、実際。親父はペコペコとバッタみたいに頭を地面にこすりつけて金を得、俺たちはその金でそこそこの暮らしをしていた。それは事実だから何を言われても仕方ねぇ、そう思ってた。……だが」


 テーブルの上で、パーシーの手が握られる。

 拳に力がこもり「ギュッ」と、微かな音を立てる。


「両親が事故でいなくなった時……近所のヤツがこう言ったんだ……『ざまぁみろ』って…………そんなに、酷いことをしたのかよって……家族守ることが、そんなに悪いことなのかよって……スゲェ悔しかった。……あんなに嫌いだった親父なのに……ふざけんなって……そいつのこと殴り飛ばしてたよ」


 金は人をおかしくさせる。

 それは、金を持った者はもちろん、周りにいる者にまで少なくない影響を与えてしまうのだ。

 嫉妬や、腹黒い企みを抱く者は、どこにだって存在するのだ。


「両親がいなくなって、オレと、生まれたばかりのモリーの二人きりになって……オレ、モリーだけは絶対、何があっても守ってやろうって思った……」


 たとえ、自分が泥を被り…………悪の道を行くことになっても…………か。


「気付いたら……親父より汚ぇこと、しちまってたわけだけどよ……」

「それだけ、必死だったのでしょう……分かりますよ、私には」


 驚いたことに、アッスントがパーシーに共感を示した。

 こいつ、他人を思いやる心なんて持っていやがったのか? それとも、交渉を優位に進めるための芝居か?


「実は、私にも妹がいましてね……」

「気の毒過ぎるっ!」

「ヤシロさん、今からいい話をするんで、黙っていてもらえませんかねっ!?」


 アッスントがテーブルをバンと叩く。

 自分でいい話とか言っちゃって……寒ぅ~い。


「私も、唯一の肉親である妹を守るため、必死になって働きました。汚いことにも、少々手を染めたりもしました」


 ……少々だぁ?

『精霊の審判』で一発アウトだぞ、それ。


「そうしたら、ある日妹に言われましてねぇ……」

「汚い仕事はやめてくれ……ってか?」

「いいえ……」


 パーシーの問いに、アッスントは小さく首を振る。

 そして、握り拳を握って力強く言い放つ。


「『まだまだ甘い! 絞りカスをもう一回絞るくらい貪欲でないと商人はやっていられないわよ!』……と」

「怖ぇよ、お前の妹……」


 アッスント以上のがめつさを誇る妹……嫌過ぎる。


「妹というのは、兄のことを分かってくれるものですよ」

「そりゃ……あんたんとこの妹は逞しいからそうかもしれねぇが……オレんとこのモリーは……繊細で、可愛くて、声とかマジイケてて、たまに朝寝癖がついてる時があるんだが、それがもう堪らなくマブくて……」

「妹自慢、いい加減にしろよ、このシスコン」


 話が脱線し過ぎだ。


「……けど、オレがそんな汚い人間だって知ったら…………きっと」

「アホか」


 しょぼくれるパーシーに、俺はハッキリと言ってやる。

 お前はアホだ。


「お前はモリーのことをなんにも見ていないんだな」

「は……、はぁ!? ざけんなよ! オレはモリーだけを見て、これまで頑張って……!」

「頑張る過程で、お前はモリーを見失っていたんだよ」

「なんで、あんちゃんにそんなことが言い切れんだよ!?」

「モリーは、全部知ってるぜ」

「…………は?」


 砂糖工場で会ったモリーは、周りがよく見えていた。

 おそらく、パーシーの偽装工作に俺たちが気付いたことにも気が付いていたはずだ。

 モリーは、恐ろしく勘がいい娘だ。

 だから、伝言を頼むだけで連れてくることが出来ると踏んだんだが……どうやら読みは当たっていたな。


「ヤシロ様。ご指名の方をお連れしました」


 夜道からスッと姿を現したナタリア。その傍らにはモリーがいた。


「モ、モリー!? お前、なんでここに……」

「兄ちゃんが、無茶するつもりだって聞いて…………」

「聞いてって……」


 パーシーが俺を見る。

 そう、俺がそう伝言を頼んだ。


「お前が早まった真似をするとは思っていなかったが、念のためにナタリアに監視を頼んでおいたんだ。そのついでに、モリーに伝言を頼んだ」

「監視…………全然気が付かなかった……」

「当然です。私はメイド長ですよ?」


 いや、その肩書きはここで名乗りを上げるようなもんではないと思うけどな。


「モリー、お前…………知ってたのか?」


 対面する兄妹。

 モリーは立ったまま、俯いている。

 微かに顔を上げると、小さく頷いた。


「……知ってた。兄ちゃんがやってること、全部…………」

「……なんで…………」

「毎日、工場稼働させてたら分かるよ、そりゃ……」

「…………え、マジで?」


 アホだ。アホがいる。

 こいつ、どこまでも隠し事が下手なヤツだな。


「ケアリーさん兄弟には、本当に申し訳ないと思ってる…………けど、兄ちゃん、私のために頑張ってくれてるの、知ってるから…………何も言えなくて……」


 ぼとぼとと、モリーの瞳から涙が零れ落ちていく。


「……ごめんね、兄ちゃん。兄ちゃんにばっかりつらい思いをさせちゃって……」

「バ、バカッ! いいんだよ! 悪いのは全部オレなんだから! モリーが泣くことなんて何もねぇ! なぁ、そうだろ!? オレが悪いんだよな!? モリーには、関係ないよな!?」


 すがるような目が俺を見つめている。


「な、なぁ、あんちゃん! 罰ならオレが一人で全部受ける! ケアリー兄弟に与えた損害も全部保証する! だから、モリーだけは見逃してくれねぇか!? こいつ、マジで何も悪いことしちゃいねぇんだよ!」

「違うっ! 兄ちゃんは私のために……私のせいで悪いことしてたんだよ! だから悪いのは私! 罰なら私が受けるべきなの!」

「そうじゃねぇよ、モリー!」

「兄ちゃんはバカなんだから黙ってて!」

「酷ぇよ、モリー!?」


 その反省を、他人に指摘される前に出来ていれば大したものだったんだが。


「俺に知られなきゃ、明日も明後日も同じことをしていたんだろ?」

「…………そ、それは……」

「今お前たちがしているのは反省じゃない。後悔だ。バレて追い詰められるようなことをしてしまったと後悔しているに過ぎない。反省しているフリはやめろ。アリクイ兄弟に失礼だ」

「…………」

「…………」


 バレてから口にする「ごめんなさい」は「申し訳ない」ではなく「許してください」の意味合いが大きい。それは、反省ではなく保身だ。身勝手な現実逃避だ。


「あの……ヤシロさん…………」


 ジネットが、俺の隣にそっと歩み寄り、何かを言いたげな瞳で見つめてくる。

 またそういう目をする……


「マグダ」

「……なに?」


 アリクイ兄弟に実際会ったのは俺とマグダだけだ。

 俺以外の人間の、客観的な意見が聞きたい。


「あのアリクイ兄弟は、不幸に見えたか?」

「……否定。この上もないほどに、幸せそうだった」

「あいつら喜んでたよな。自分たちの作物が売れて」

「……そして、たまに差し入れなんかを持ってきてくれる『いい人』に出会えたことも」

「あ、あんちゃんたち……一体、何を……?」


 戸惑うパーシーに、俺は尋ねる。

 とても根本的な問いだ。


「お前らが、あのアリクイ兄弟に、何か悪いことをしたのか?」

「……は?」

「誰も価値を見い出せなかった野菜の利用法を見つけて、街で唯一購入してやっていたのが、お前なんだろ? それのどこが悪いことなんだよ」

「だ、だから、それは……えっと、さっきも言ったろ? ケアリー兄弟が受け取るべき正統な利益を、オレが……横取りしたって……」

「価値? 売れもしない臭ほうれん草にか?」

「それは、本物の価値を知らないから……」

「知らなきゃ商品になんて出来ねぇだろうが」

「はぁ?」


 パーシーが混乱したような表情で頭をかく。

 そんなパーシーにアッスントが声をかける。


「少しいいですか、パーシーさん。我々商人は、商品の価値に対価を支払って売買しています。いくら秘められた価値があろうと、それを提示出来なければその商品は無価値……こう言ってしまうと根も葉もありませんが……ゴミも同然です」

「ゴ、ゴミ……」

「そんな使えもしないゴミを、お金を出して引き取るようなお人好しを、私は一人しか知りません……んふふ」


 アッスントがこちらに視線を向ける。

 やめろ、見んな、キモイ。


「手にしたゴミをどう利用するかは、手にした方個人の問題なのではないでしょうか?」

「だ、だが……」

「もしそれでも良心の呵責に苦しむようでしたら…………そうですねぇ……とある方の受け売りで申し訳ないのですが……そのゴミの正しい使い方を教えて差し上げればよろしいのではないですか?」

「……正しい、使い方……?」

「えぇ。そうすれば、自分たちが作っている作物に価値があることも分かり、誇りも持てるでしょう。当然、作物の値は上がりますが、それでも貴族ほどまでは値を釣り上げることはないでしょう」


 アッスントの意図が読めず固まるパーシーとモリー。

 ただ、責められているわけではないということは察しているようで、モリーの涙は止まっていた。


「えっと……つまり…………どういうことだ?」


 パーシーが頭をかき、こめかみを押さえ、腕組みをして空を仰ぎ……最終的にお手上げ状態で俺へと視線を向けた。


「『これまで黙っててごめん。実はそれは凄い作物なんだ。今度から適正価格で買うからこれからもよろぴくね☆』って言やあいいんだよ」

「だ、だけどよぉ……!」

「いいんだっつの!」


 テメェがきっちりケジメをつけりゃ、あとはこっちが、文句なんて言う必要もないほどヤツらをバックアップしてやるっつってんだからよ。


「パーシー。お前の工場は明日から休みなしでフル稼働だ」

「は? え……うん?」

「ロレッタ、工場とアリクイ兄弟のところへ派遣出来る弟妹を十人ずつ確保出来るか?」

「はいです! 今月、年少組から年中組にクラスアップした子たちがいるです! もう働けるお年頃です!」

「アッスント。貴族からの締めつけを喰らっている弱小砂糖工場と、農地を無駄にさせている優良農家の洗い出しを頼む」

「はいはい。私のように心根の美しい面々をピックアップいたしましょう」


 アッスントのように……だと、スゲェ不安だが。まぁ、こっちの意図は汲んでくれるだろう。ならよしだ。


「エステラ。貴族の抑え込みを頼む」

「無茶ぶりにもほどがあるよっ!?」

「ナタリア。エステラの応援を」

「フレーフレーお嬢様」

「そのまんま過ぎるよ、ナタリアッ!?」


 最初の一ヶ月ほど貴族の目を逸らすことが出来れば、販売の土壌は構築出来るだろう。


「ジネット」

「はい」

「パーシーが作る『新砂糖』の普及のために、陽だまり亭に新しいメニューを作りたい。許可してくれるか」

「はい。喜んで」

「あと、ベルティーナに話があるんだが」

「では、明日の朝一番にお話し出来るよう、お願いしておきますね」


 許可を取らなければ販売出来ないからな。

 まぁ、ベルティーナなら、即OKを出してくれるだろうが。なにせ、ベルティーナは甘党だからな。


「そして、マグダ」

「……なに?」


 マグダが俺をジッと見上げてくる。

 今日の昼、ジッと俺を見つめていたあの目で。


「これでいいか?」


 頭に手を載せて、髪をくしゃくしゃと撫でる。


 本当に珍しいことに、あのマグダが俺におねだりをしたのだ。

 あの時。

 アリクイ兄弟の畑で土下座をして、「妹を守りたい」と懇願したパーシーを見て、マグダは無言で俺を見つめてきた。

 その瞳は如実に『彼らをなんとか助けてやってほしい』と物語っていた。

 ジネットのお人好しが感染したんだな。俺にも多少は自覚症状があるし……やはりひとつ屋根の下に暮らすとそうなってしまうのだろう。パンデミックだ。もう手がつけられない。


 なので諦めて、人助けくらいしてやる。

 ただし、そのついでに俺に大いなる利益をもたらす仕組みは組み込ませてもらうけどな。


「砂糖が流通するようになれば、あいつらの生活は安定するだろうし、もう二度と、あんな真似をしなくて済むだろうよ」

「……ヤシロ。もしかして、マグダのために?」


 まぁ、そういう節も、あるっちゃあるかもな。


「…………ヤシロ」


 マグダは瞼を閉じ、自分の髪を撫でる俺の手にそっと触れる。


「……ありがとう」


 ゆっくりと瞼を開けたマグダの顔は、少しだけ……微笑んでいるように見えた。


 こいつにも、歳の近い友人が出来ればいい。

 なんとなく、大切にしたい人が増えることはいいことだ。教育上な。


「あ、あの……」


 各々に仕事を割り振ったところで、モリーが俺に声をかけてくる。


「に、兄ちゃんはバカだから理解出来ないだろうから、……私に教えてくれませんか?」


 その前置き、いる?

 ほら見ろよ、すぐそこで「え~っ!?」みたいな顔してんぞ、お前の兄ちゃん。


「何を、するつもりなんですか?」

「砂糖を流通させるんだよ」

「でも、そんなことをしたら貴族が…………ウチの工場、ちょっと砂糖を市場に流しただけで潰されかけたし……」

「だからこそだよ」

「……え?」


 三ヶ月もサトウキビが入ってこないなんてのは、工場経営者にとっては死活問題だ。

 そんなことがまかり通っているシステムが狂っているんだ。


 だから、ぶっ壊す。

 ぐうの音も出ないほどに。


「バンバン作って、ガンガン流通させる。あとから貴族が足掻いても収拾がつかないくらいに、ドンドン市場に放流するんだ」

「そんなこと……出来るの?」

「アッスントがなんとかしてくれるさ。なぁ?」


 向こうでそろばんを弾いて何かの計算を始めていたアッスント。

 その瞳がきらりと光る。


「計算しましたところ、最も低く見積もって、六つの工場で『新砂糖』の生成が始まれば貴族は手出しが出来なくなります。下手に工場へ圧力をかければ、工場経営者がすべて『新砂糖』へと流れ貴族の砂糖から離れてしまう構造を構築出来ます」

「で、工場の宛てはあるのか?」

「三つまでは宛てがあります」

「んじゃあ、早急に残り三人探しておいてくれ」

「なかなか難しいことを……分かりましたよ。やってみせましょう」


 アッスントは眉を寄せながらも、妙に生き生きした目をしている。

 策略を張り巡らせていた頃とは違う、楽しそうな目だ。


「あ、そういえば……工場が火事で全焼した砂糖職人がいますね。工場さえ建てられれば彼も入れて四つになりますね」

「よし、四十二区に来てくれることを条件に、四十二区に一つ建てよう。エステラ、金あるか?」

「ないよ! ないけど……もう、好きにしなよ。今更だよ、工場の一つや二つ……はは」

「よし! じゃあ、マグダ! ヤツの近況は?」

「……ちょうど明日、四十区の下水工事が完了して、ウーマロは一週間ぶりの休暇になる」

「よし、ラッキー! じゃあ休暇の間にちゃちゃっと工場を作ってもらう!」

「あの、ヤシロさん……さすがに、それは酷なのでは……」

「……店長」

「は、はい。なんでしょうか、マグダさん?」

「……マグダは、一生懸命頑張る人が、大好き」

「やるッスー! その工場! オイラが完璧に建ててやるッスー!」

「ぅひゃあああっ!?」


 どこから現れたのか、突然陽だまり亭の庭にウーマロが出現した。

 突然の出現に、ジネットが可愛らしい悲鳴を上げる。


「ど、どど、ど、ど、どうしてウーマロさんが、ここに……?」


 速まる心臓を押さえ…………届いてるのかな、あんな弾力のある壁に阻まれて……ジネットがウーマロに尋ねる。


「ひゃ、ひ、ふぁ、ふぁのっ! ひ、ひひひ、ひつふぁれふふぇっ!?」


 ……ダメだこいつ、まだジネットに免疫が出来ないのか……

 しょうがない、俺が聞いてやるか。


「なんでこんな時間にここにいるんだよ?」

「あ、実はッスね。さっきまで残業してて今から帰るところなんッス」


 この態度の変化は、若干ムカつくんだよなぁ。

 別に、俺相手に緊張しろとは言わねぇけどさ……


「じゃあ、下水工事は終わったのか?」

「バッチリッス!」

「あの、ヤシロさん……ウーマロさん。酷くお疲れのようですけれど……」


 ジネットが心配そうに尋ねてくる。……俺は通訳か。


「死にそうだな」

「はは…………まぁ、一週間休みなしだったッスからね……」


 そんな感じがスゲェ出ている。ウーマロはボロボロでげっそりとやつれていた。

 つか、毎日こんな深夜まで残業してたのか。

 大変だったろうな……少しは癒してやるか。


「マグダ」

「……任せて」


 マグダは、ジネットが持ってきたティーセットから、お茶を一杯カップに注ぐ。

 そしてそれをウーマロに手渡しながら、いつもの平坦な口調でこう言った。


「……お疲れ様。よく頑張りました」


 はい。みなさん、避難してください。

 などと言うまでもなく……

 俺たち、顔馴染みはみんな一斉に、自然と、無言で、一歩距離を取った。


「なっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああんっ!? 疲れもぶっ飛んだッスぅぅぅぅううー! マグダたん、マジ天使ッスぅううー!」


 ……これだけ元気なら、工場の一つや二つ半日で完成出来るだろう。

 ウーマロ、あと一週間は不眠不休で働けるな。


 と、思ったのだが……ウーマロがフラフラとよろけて、地べたに座り込んでしまった。


「だ、大丈夫ですか、ウーマロさん!?」

「は、はわわわわわ、だだだだだ、だいじょ、いじょ、じょ、いじょ、異常ッス!」


 大丈夫が真逆の意味になってんじゃねぇか。


「ジネット、お前じゃダメだ。ウーマロの体力を削り取っちまう。ここはやっぱり……」

「……ふむ、マグダの出番」


 マグダが地べたに座り込むウーマロの前まで歩いていき、いつも俺がするような手つきで、ウーマロの頭をもふもふと撫でた。


「……いいこいいこ。えらいこ」

「工場、1ダース建てるッス!」

「いや、そんな要らねぇよ」


 いいな、ウーマロは。バカで。


「な……なんなんだよ、こいつら……なんで、そこまで突き進めるんだよ?」


 パーシーが困惑の表情を浮かべている。


「もし失敗したら……貴族に目をつけられたら、お前ら全員終わりなんだぞ!? この街で暮らしていけなくなるかもしれないんだぞ!? なのに、なんで……そんな、自信満々で行動に移せるんだよ!?」


 これまで、結果を恐れて思い切った行動に出られなかったパーシー。なら、戸惑う気持ちは分からんではない。

 だが、行動しないヤツは成功を手にすることは出来ない。絶対にだ。


「あ、あの、パーシーさん」


 ジネットがパーシーの前に立つ。

 胸の前で手を組み、慈しむような笑みを浮かべる。


「失敗は恐れるようなものではありません。本当に恐れるべきは、孤独になることです」

「……孤独?」

「人は、誰かと共に生きるために、少なからず摩擦を生みます。それを恐れて行動をやめてしまえば、誰かと共に生きることは出来なくなってしまいます……」


 パーシーの目が大きく見開かれる。

 思い当たる節でもあるのだろう。行動することをやめ、失ってしまったものが。


「孤独はとても寂しいことです。喜びを分かち合うことも、悲しみを分け合うことも出来ず、つらい時に手を差し出してくれる方もおらず……何より、大切な人が苦しんでいる時に何も行動出来ない……それはとても不幸なことです」


 行動を起こさなければ人との縁は生まれない。

 縁が無ければ、誰かのために何かをすることは出来ないのだ。


 それを悲しいと、ジネットは思うのだろう。……お人好しだからな。


「モリーさんのために、パーシーさんはたくさん行動を起こしました。それは怖いことでしたか? 不安なことでしたか?」

「……それは……」

「わたしたちも同じです。大切な人と、素晴らしいことを行うために、躊躇う必要などないのです」

「でも……」

「それに……」


 くるりと、ジネットが振り返る。

 夜風に、ジネットの長い髪がたなびく。



「わたしは……ヤシロさんを信じていますから」



 大きな月の下で微笑むジネットは、とても綺麗で……俺は思わず息をのんでしまった。



「あ、違いました。わたし『たち』は……です」


 お茶目な笑みを浮かべて、ジネットが肩をすくめる。

 ……俺に言うな、俺に。説得するなら向こうの落ち込みタヌキに言ってやれ。……ったく。


「……あんたら…………そんな理由で…………」

「そんな理由だからこそ、強くなれるのかもしれませんよ」


 大切な人のために頑張る。

 それ以上に原動力になる理由もそうそうないだろう。


「兄ちゃん」

「モリー……」

「頑張って、みようよ」

「………………あぁ。そう、だな」


 パーシーが涙に声を詰まらせる。

 モリーのために頑張ってきたものが、一人でずっと背負ってきたものが、フラッシュバックしたのかもしれない。

 こいつは、ちょっと不器用で、人よりも頑張り過ぎたのだ。


「オ、オレ! オレやるよ! 工場フル稼働させりゃあ、ここいら一帯の砂糖くらい余裕で作れんだぜ!」


 強がり、声を張り上げて、パーシーは立ち上がる。

 目尻から溢れた涙をグイッと腕で拭い、きらっと白い歯を見せて笑う。


 ……って。


「おいっ! パーシー!?」

「ん? なんだよ? 変な顔して」

「……元々」

「すまないね、彼は生まれつきなんだ」

「お兄ちゃんのデフォです」

「耐えていれば三日で慣れます」

「あ、あのっ、みなさん! そういう意味では、ない……と思いますよ?」


 よぉし、マグダにエステラにロレッタにナタリア。お前ら覚えとけよ。

 あとジネット、それ微妙に否定出来てないからな?


「じゃなくて! パーシー! お前、目の周りの黒いの取れてるぞ!」

「ええっ!?」


 慌てて自分の腕を見るパーシー。そこにはべったりと黒い物がつき、逆に、目の周りを縁取っていた黒い色はすっかり取れていた。


「あぁ!? 墨が落ちちまった!」

「墨っ!?」

「兄ちゃん、獣特徴が全然なくて、女みたいだっていうのがずっとコンプレックスで……」

「ばか、モリー! 言うなよ!」

「あれ、毎朝自分で書いてるんだよ」

「バラすなって!」


 うわぁ……

 なんか、パーシーって……


「しょっぼ」

「うっせぇな! 体質なんだからしょうがねぇだろう!」

「……救いようがない隠蔽体質」

「おいおい、なんでそんな憐れんだ目で見るんだよ!?」

「体質じゃなく、心根がなんか女々しいです」

「言いたい放題だな、あんたら!?」


 マグダとロレッタにも痛いところを突かれ、パーシーはタジタジになる。

 うん。まぁ、悪いヤツではなさそうなんだけどな。


「よぉし! 分かったよ! あんたらの言いたいことはよぉく分かった! いいか見てろよ! オレはこれから砂糖をバンバン作って、そりゃあもう男らしく作って、で、いつか立派な獣特徴が表れるような、そんな男の中の漢になってやるからなぁ!」

「……頓挫するに10Rb」

「あ。あたしは、挫折するに5Rbです」

「じゃあボクは、投げ出すに20Rbってとこかな?」

「私は、心半ばでこと切れるに15Rb……」

「あんたら、酷ぇな!? で、それ全部失敗してんじゃねぇか!」


 パーシーがウチの女子たちと遊んでいる間に、アッスントが計算を終えた。

 砂糖の流通経路やその方法。ひと月に必要な流通量と、市場の均衡を保つための価格。

 やっぱり、こういうのはアッスントに任せるのが一番いいな。使えるヤツなんだよな。一時期性根が腐りきっていただけで。


「さすがだな、クサッテント」

「アッスントですけど!?」


 どっちでも似たようなもんじゃねぇか。


「……あの、私たちって……」

「えぇ。もう、何も心配いりませんよ。ここにいらっしゃる方全員、とても楽しくて、とても頼もしい、ステキな方たちですので。きっと、みんなが幸せになる方法を導き出してくださいます」


 モリーとジネットがそんな会話をしていた。


「私たちがやるべきことって、なんでしょうか?」

「頑張ることだと思います」

「……そっか」

「はい」

「じゃあ、頑張ります」

「はい。頑張ってください」


『何を』かを明確にしないまま、ジネットとモリーは微笑み合っていた。


 そうそう、急に静かになったウーマロだが……疲れてたんだろうなぁ。

 気が付いたら陽だまり亭の庭先で眠りこけてやがった。……今晩は俺のベッドを貸してやるか…………明日からこき使うしなぁ。まったく、やれやれだ。


「オレは、男らしくなぁる!」



 そんなアホな叫びと共に、俺たちの『新砂糖』流通計画は動き出した。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る