77話 ソレイユ~太陽の花~
早朝。
つか、夜じゃん! 夜!
空真っ暗じゃん!
……あぁ、超眠い。
大あくびを噛み殺し隣を見ると、俺以上に大きなあくびをしているマグダがいた。
陽だまり亭の朝弱いツートップは、ジネットの優しくも温かい声で早朝に叩き起こされ、なんとか集合時間までに身支度を整えることが出来た。
口調は優しいのに、二度寝には厳しいんだな、ジネット……割とスパルタだったぞ。
「では、お二人とも。お気を付けて」
三人分の弁当を手渡しながら、ジネットが俺たちを送り出してくれる。
こいつの早起き能力は尊敬に値するな。
何より、こんな朝早くから百万ドルの笑顔を振り撒けるお前は、本当にスゲェよ。
教会への寄付へは参加出来ないので、代わりにエステラに頼んでおいた。ナタリアを連れてきてくれるということで、ジネットの負担も少しは減るだろう。
それから間もなくしてミリィが迎えに来て、俺たちは四十区へ向けて歩き出した。
……マグダはミリィの荷車に乗り込んで二度寝を始めてしまったようだが。
「ミリィは眠たくないのか?」
「ぅん。へいきだよ」
出始めの声が小さくなるのは、まだ緊張しているからなんだろうか?
しかし、こうして顔を合わせても逃げ出さないばかりか、普通に会話が出来るようになったのは凄い進歩だ。
今日もぷらぷらと、ナナホシテントウがミリィの頭で揺れている。
四十区に着く頃になり、ようやく遠くの空が明るくなり始めていた。
あぁ、日が昇る。ありがたいことだ。……闇は嫌いだ。
「ぁ……っ」
四十区に入ってしばらく歩くと、突然ミリィが短い、嬉しそうな声を上げた。
「ネック、チック」
ミリィが指さす方向に、二つの小さい人影があった。
ずんぐりむっくりとした体形で、細長い顔をした…………あれは、アリクイだな。
「やぁ、ミリィ。清々しい朝だね。今日はとてもいいことが起こりそうな予感がするんだ。君もだろう?」
「やぁ! 君がてんとうむしさんだね。僕は弟のチック。ボール遊びが趣味なんだ。よろしくね」
「お、おぅ……」
差し出された手を握る。と、チックは体をくるりと回転させ、握手をしたまま俺の肩に手を置いた。……首脳会談か。
つか、なんなんだ、この中学生英語の教科書みたいな連中は?
「おや、ミリィ。それはスコップですか?」
「ぇ? ぅうん、これは、お弁当」
全然違うじゃん!? どっからどう見てもスコップには見えないじゃん!?
「てんとうむしさんは、ミリィのお父さんですか?」
「ぇ……? 違う……よ?」
「「僕たちも、違います」」
なんか、イラッてする双子だな……英語の例文かっての!
つか、まぁミリィが説明したんだからしょうがないんだが…………お前らも俺を『てんとうむしさん』と呼ぶのか? てんとうむしの要素が一切ないこの俺を。
「ぁの、てんとうむしさん……こっちがお兄ちゃんのネックで、そっちが弟のチック……」
「よろしく、てんとうむしさん。僕の名前はネックです。十四歳です。趣味は、ボール遊びです。昨晩僕は、とても一生懸命畑仕事をしました。あなたはどうですか?」
「……ノー、アイアム、ノット」
こいつら、疲れる。
「……ミリィ、すまん……帰りたくなってきた」
「ぁ……が、がんばって。たぶん、一時間くらいで慣れてくるから……」
幼馴染を庇う美少女。
くそ、なんて健気なんだ。
「ぁのね……てんとうむしさんは、ソレイユが、見たいって」
「わぁおっ! なんだって!? もう一回言ってくれないかい?」
「ぇ……あの、ソレイユが、見たい……」
「わぁおっ! こいつはスゲェや。なぁ、そう思うだろう、チック」
「あぁ、そう思うよネック。僕たちは今、奇跡に遭遇しているんだ!」
「分かった。帰らないから、殴らせろ」
「ぁう……あの…………てんとうむしさん……がまん……おねがい」
ったく。ミリィがいなきゃ今頃お前ら、その細長い顔が俺の右フックでくの字に曲がってるとこだぞ!
「実は昨日、ソレイユが開花したんだ」
「信じられるかい、このタイミング。嘘みたいだろう!? でも、真実なんだ!」
「マジでか!?」
「本当さ。今日の午後までは咲いているはずだよ」
「今スグ見に行くかい? それとも、我が家で美味しいアップルパイでも食べるかい?」
「今スグ見たい! 連れて行ってくれ」
「OK! それじゃあ、君を我が家に招待するよ!」
「本当に美味しいアップルパイなんだ!」
「そっちじゃねぇよ! ソレイユの方!」
「オ~ゥ、ノゥ……」
「オォ~ゥ、ゴッド……」
あぁ、イライラする!
「いいかい、てんとうむしさん、よく考えてくれ。頭を冷やして、冷静にね」
「ソレイユは、今日、このタイミングを逃したら一年以上見ることが出来なくなるけれど、アップルパイはいつだって焼けるし、嫌というほど見ることが出来るんだよ?」
「だからソレイユを見に連れてけつってんだよ!」
「………………」
「………………」
「…………あ」
「あぁ、そっか」
おいおい、大丈夫か、こいつら!?
ちゃんと社会に適応出来てるか!?
「それじゃ、早速向かおうか」
「ハリーアップ、二人とも」
「……お前らに振り回されてたんだっつの」
俺たちに手招きをし、出発を急がせるアリクイ兄弟。
ミリィが荷車に手をかけると、そこで眠っていたマグダがひょっこりと顔を出した。
「……着いた?」
「おぉ、マグダ。起きたか」
「……うん。…………あれは、誰と誰?」
マグダが寝ボケ眼をこすってネックとチックを指さす。
ネックとチックは突然現れたマグダに驚いたのか、目をまんまるに見開いて固まっている。
「へぃ、ミリィ。君の荷車に乗っているってことは、彼女は、花の精霊かい?」
「ぇ……ぅうん。陽だまり亭さんの従業員さん」
「HAHAHA! 冗談だろ? 花の精霊でないなら妖精だ。そうに違いない」
「ぅうん……陽だまり亭さんの従業員さん……だよ?」
「……マグダは、精霊でも妖精でもない」
「HEY! 聞いたかい、チック! 今の美しい声を!?」
「あぁ、しっかりと、この両耳で聞いたさ!」
「信じられないことに、彼女は精霊でも妖精でもないらしいんだ」
「信じがたいことだが、彼女がそう言うのなら真実なのだろう」
「それじゃあ、彼女は一体なんだ!? 精霊や妖精以外で、これほど純粋で美しい生命体が存在するというのかい!?」
「まぁ、落ち着きなよネック。君は一つ、とても大切なものを失念しているようだ」
「それはなんだい、チック? 教えておくれ」
「それは、精霊や妖精よりも、もっと、ずっと純粋で穢れなき存在なのさ」
「あっ!?」
「そう! 今、君の頭に思い浮かんだ存在。それがアンサーだよ」
「なんてこったい……じゃあ、彼女が」
「あぁ、そうだ。『マグダ』という名の麗しい彼女こそが……あの存在だ!」
散々身悶え、大袈裟な身振り手振りで何やら相談していたアリクイ兄弟が揃ってマグダを見つめる。
そして口を揃えてこう言った。
「「マグダたん、マジ天使……」」
え、それってどこかのルールなの? 宗教?
それとも病気なの? 感染すんのかな!? まったく同じ症状のヤツ知ってるんだけど?
「……ウーマロの関係者?」
「ではないようだが、まぁ扱いは同じでいいだろう」
「ぁうぅ…………ネックとチックが、…………変」
いや、最初から変ではあったけどな。
と、マグダが姿勢を正し、ネックとチックに向かって声をかける。
「……ネック、チック」
「「イエスッ!」」
「……ヤシロのお願いを、聞いてあげて」
「「イエスッ!」」
あれ、この感じ……なんか知ってる。
「さぁ! てんとうむしさん、ぐずぐずしている暇はないよ!」
「そうさ! ソレイユは今日の日の出と共にしおれ始め、昼には完全に枯れてしまう。急ぐんだ!」
「マジでか!?」
「ハリーアップ! てんとうむしさん!」
「ミリィもハリーアップだ!」
「ぁ……う、うん!」
「「そして、マグダたん、萌え~!!」」
「関係ないことしてねぇで急げよ!」
深刻な病に感染したアリクイ兄弟。その尻を引っ叩き、俺は日の出の近い四十区を疾走した。
四十区の中にある深い森の中へと踏み入り、アリクイの背中に付いてどんどん遠くへ進んでいく。
……こんなの、案内がいなきゃ絶対見つけられねぇぞ。
狩りで森に慣れているマグダと、生花ギルドのミリィ、元生花ギルドのアリクイ兄弟はみんな森に慣れているようで、全員俺より背が低いのに、速い速い。付いていくので精一杯だった。
「へい! ルック! あそこだよ!」
「よかった。間に合ったようだね!」
「え、ど、どこだ!?」
目を凝らして森の中を探す。
暗くてよく見えない。
……くそ、どこだ? つか、どれだ!?
「てんとうむしさん……あれ…………ずっと上の、木の上……」
「木の上…………?」
ミリィが指を差す方向へと視線を向ける。
グッと天に向かって伸びる大木。その枝に、手のひらほどの大きさをした鮮やかな花が咲いていた。
オレンジ色をして、花弁の大きい、美しい花だった。
「……木に咲く花だったのか……」
「不定期に……たった一輪だけ咲く花…………幸運になれるかも」
ソレイユを見つけた者は幸運になれると言われている。ミリィが昨日そう言っていた。
何か願いでもあるのか、ミリィは手を合わせ瞼を閉じて花に向かって頭を下げた。
お祈りでもしているのだろう。
見ると、アリクイ兄弟とマグダまでもが同じことをしていた。
……俺もやっておくか?
…………いや。
森には朝の光が差し込み始めていた。
日が昇れば、ソレイユはしぼみ始める。
なら俺は、お願いなどせず、その姿を一秒でも長く、しっかりと見続ける。
脳に刻み込んで、二度と忘れないように。
森に差し込んだ朝陽を浴びて、ソレイユは眩いまでの輝きを発した。
朝露に陽光が反射でもしたのか、本当に黄金色に輝いたように見えた。
だが、それから急速に萎れ始めてしまった。
目を閉じなくてよかった。
それは、本当に一瞬の出来事だった。
辛うじて花弁は茎についているものの、最早見る影もない。
「……見られてよかった」
心底、そう思った。
「……ヤシロ」
いつの間にか、願い事を終えたマグダが俺の隣に来ていた。
「…………見られたい願望は、度が過ぎると犯罪になる危険が……」
「そういう意味の『見られてよかった』じゃねぇから」
俺の言った「よかった」は快楽を表してはいない。
……陽だまり亭の風紀が深刻な状況になりつつあるな。とりあえずレジーナの出入りを制限しなければ。
「マグダは、何をお願いしたんだ? なんか真剣だったけど」
「……うん。真剣にお願いした」
「内容は、やっぱ秘密なのか?」
「…………ヤシロと」
マグダがこちらを向く。
朝陽を浴びたマグダの顔は……
「……ヤシロと、ずっと一緒にいられますように」
……なんだか、微笑んでいるように見えた。
「ちなみに、僕は臭ほうれん草がもっと売れるように願ったよ。君はどうだい、チック」
「奇遇だね、ネック。僕も同じさ。君も同じだろう、ミリィ?」
「ぇ…………あの、みりぃは……お花がたくさんの人に喜んでもらえるように…………」
「なるほどね! 叶うといいね、その願い!」
「てんとうむしさんは? 何をお願いしたんだい?」
「俺はソレイユを見てて、願い事をしてる暇はなかったよ」
けど、もし……願い事をするとしたなら…………
ジネットの誕生日を盛大に祝ってやりたい……って、とこかな。
「じゃ、帰るか。すげぇ助かったよ、ありがとうな、お前ら」
「ぅん……なら、よかった」
「気にすることはないよ。当然のことをしたまでだからね」
「そうだね。僕たちはもう、友達じゃないか」
あはははははー、それはどうだろうなー。
「そうだ! このあと我が家に来ないかい?」
「それは名案だね、ネック! 我が家には、とても美味しいアップルパイがあるんだ」
「結局アップルパイ食わせたいだけじゃねぇか」
まぁ、アップルパイがあるなら食ってみたいけどな。
……砂糖とか、どうしてんだ? まさか、リンゴの甘さだけか?
アップルパイという言葉に、ほのかな期待を寄せつつ、俺たちはアリクイ兄弟の家へと向かった。
出てきたのは、まるごとのリンゴを生地で包んで油で揚げたものだった。
「これのどこがアップルパイだ!?」
リンゴカツじゃねぇか、これじゃあ!
「パイだよ、これはパイさ!」
「あぁ、パイだ! 紛れもなくパイったらパイだ!」
「……パイパイと、まるでヤシロのように……」
「おい、マグダ。人聞きの悪いことを言うな」
誰がいつパイパイなんか言ったか。
しかし、このアップルパイもどきは酷い。
砂糖を使ってないどころの話じゃない。別の食い物だ、これは。
一口齧ってみたが、…………油臭いしなびたリンゴだった。
「…………砂糖が手に入ったら、本当のアップルパイを食わせてやるよ……」
「それは、これよりも美味しいのかい?」
「比べるなと言いたいレベルだ」
「それは楽しみだけれど、期待は出来ないね」
「確かに。砂糖なんて……僕たち庶民には手の届かない調味料だからね」
臭ほうれん草農業は相当厳しいらしく、アリクイ兄弟の家は質素……というよりビンボー丸出しだった。
両親は、随分前に…………ということらしいので、今は兄弟二人で臭ほうれん草農家を切り盛りしているようだ。
ちなみに、この臭ほうれん草を栽培してるのは、四十区の中でもこいつらだけらしい。
……被害が拡大しなくてよかったよ。
「ってことは、露店で売ってたのも、お前らか?」
「それはないね。本当さ、信じておくれ。トラストミー」
「僕たちの臭ほうれん草を買ってくれる優しい人が一人だけいてね。その人にすべてを売っているんだ」
聞くところによると、こいつらの臭ほうれん草は価値がないという判定が下され、行商ギルドは引き取ってくれないのだそうだ。
行商ギルドとの取引がないのであれば、こいつらがどこの誰とも知れないヤツ相手に作物を売っても問題はない。ここは事前にアッスントに確認を取ってあるので間違いない。
つまり、俺が臭ほうれん草を個人で買い付けることに関して、誰も何も文句を言ってくることはないのだ。……買うだけの価値があれば、だけどな。
「しかし、その買ってくれる人ってのは、なんでこんな臭いほうれん草を買ってくんだろうな?」
「彼はとても優しいからだよ」
「いつも僕たちを気遣ってくれるし、たまに食べ物を持ってきてくれたりもしているんだ」
「養われてんのか?」
「HAHAHA! 近いものはあるかもしれないね」
ビンボーな中にいて、明るさを失わないのは凄いことかもしれない。
しかし、なんのメリットもなく他人の生活を……人生とすら呼べるものを背負ってやれる人物などいるのだろうか?
こいつらが気の毒だから? それだけでそこまで面倒を見ているのか?
いや、もしそうなら、臭ほうれん草ではなく、ほうれん草を栽培出来るように働きかけてやればいいのだ。双子の兄弟を金銭的に支えられるような人間なら、それくらいの発言権は持っていそうなもんだが……
じゃあなんだ?
本当にただの善意なのか?
「よかったら見てみるかい、ウチの畑を」
「広さだけはあるから、見応えはそれなりにあるはずだよ」
「そうだなぁ、見せてもらうか」
売れもしない臭ほうれん草を育てている畑をな。
「畑はこの家の裏手なんだ」
「さぁ、レッツゴー!」
アメリカンなジェスチャーで手招きをされ、俺たちはアリクイ兄弟に続いて畑へと出た。
アリクイ兄弟の言う通り、畑は広く二人ではとても手が行き届かないほどの広さだ。モーマットなら迷わず小作人を雇うだろうな。これだけの広さだったら。
だが、実際使用されているのは家に近いわずかなスペースだけだった。
三分の一から半分程度、畑が余っている。
売れないものを大量に作っても仕方ないし、そこまで手を広げるほどの金銭的余裕もないのだろう。
「さあ、その二つの目を見開いて、よぉく見ておくれ。おっと! ただし、見開き過ぎて目玉を落とさないでくれよ。後片付けは僕の仕事なんだ」
「HAHAHA! ナイスジョーク!」
ナイスじゃねぇよ。
「ほら、これが、僕たちの誇る世界で最も売れないほうれん草たちさ!」
「ポジティブなのか、バカなのか判断に困る連中だな…………どれ」
と、俺は畑にしゃがみ込み…………そして、気が付いた。
「お、おい…………これって……」
そこでようやく俺は理解した。
散らばっていたピースが綺麗に組み上がっていく。
まったく無関係だと思っていたことが複雑に絡み合って……
「そういうことかよ……」
すべての謎が解けた。
頭の中を覆っていたモヤモヤしたものが払拭され、視界がクリアになった気分だ。
こんなことを見落としていたなんて…………
「オーイエースッ! なんてタイミングなんだ! 見ろよ、チック」
「ワァオ! 噂をすればだね、ネック」
アリクイ兄弟が喜色をあらわに声を上げる。
畑にやって来た噂の人物――
売り物にもならない臭ほうれん草を買ってくれる『優しい彼』が姿を現したのだ。
「…………なんで、あんたがここにいんだよ?」
『優しい彼』は、俺の顔を見て表情を強張らせていた。
目の周りだけが黒く塗り潰された、そこそこのイケメン。優男でチャラい印象のタヌキ人族。今日も今日とて細いサトウキビを咥えた、俺の顔見知り。
「よう、奇遇だな。…………パーシー」
砂糖職人のパーシーが、そこにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます