76話 似てるけど違う

 ミリィ先生によるドライフラワー講座が一段落した。

 各々、自分の花束を束ねて涼しい場所に吊るし終わったようだ。

 これからしばらくは乾燥期間となる。

 ポプリの場合、この後にエッセンスオイルなんかで香りをつけるんだよな。

 ドライフラワーや葉っぱを、瓶に詰め、微かに香るハーブのフレグランスを楽しむポプリ。陽だまり亭のテーブルに飾ってもいいかもしれない。

 食堂のテーブルに生花は飾れないからな。

 花びらが落ちたり、虫が来たり、倒して水を零したりする危険があるからだ。



「楽しみですね、ポプリ」


 壁に吊るした花を見て、ジネットが嬉しそうに言う。

 もらった方がここまで喜び、その喜んでいる様を贈った方が眺める。ともすれば有頂天になりそうな、変な高揚感がある。


 花を贈るイベント……定着すれば凄いことになるぞ。


「こうやって、ドライフラワーやアレンジメントの講習会を開けば、花に興味を持つ人がもっと増えると思うぞ」

「ぁう…………で、でも……人前で話すのは…………苦手……」


 う……そうか。

 それは盲点だったな。


 いい案だと思ったのだが……


「けど………………てんとうむしさんが言うなら…………考えて、みる」


 お、意外と好感触だ。

 それが上手くいけば、ハーブティーやケーキとセットで、オシャレ女子の取り込みに有効かもしれない。

 四十区のあんなふざけたケーキ屋が一定の客を集めているのであれば、きちんとしたものを提供すれば四十二区という立地的不利くらい跳ね退けられそうだ。


「ちょっとボク、もう一回自分の花を見てくる」

「……マグダも」

「あ、あたしもです!」

「うふふ。じゃあ、わたしも便乗させてもらいます」


 間隔をあけるように各所に吊るした各々の花を、持ち主が見に行く。

 もう少し生花として飾ってもよかったのだが、折角ミリィがいるというのもあり、ちょっともったいないけれどすぐドライフラワーにしようということになったのだ。

 なので、少しでも生花としての美しさを見ておきたいのだろう。


 花に群がるのは、蝶々だけではないのだな。


 と、上手い具合に周りから人がいなくなった。

 ドライフラワーもいいけれど、俺はミリィに聞きたいことがあったんだ。

 ……出来れば、他の誰にも聞かれないように。


「ミリィ……ちょっといいか?」

「……? …………なぁに?」


 ミリィが近付いてきてくれるが……やはりここで話すのは避けたいな。

 さりげなく外へ誘い出すか。


 俺は、カウンター付近にいるジネットに向かって声をかける。


「ちょっとミリィの荷車を見せてもらってくる」

「あ、はぁい」


 ジネットの返事を聞きながら俺はミリィの手を引いて、食堂の外へと移動する。

 やや急ぎ足で移動したもんだから、ミリィは小走りになっていた。

 頭の上でナナホシテントウがふわふわと揺れている。


 外に出ると、ドアをしっかりと閉め、ミリィに向き直る。


「……? 荷車、見るの?」

「いや。荷車はいいんだ。……あ、いや、今ちょっと見ておくか」


 さささっと、なんの花も載せられていない荷車を見渡す。

 くだらないところで嘘を吐くわけにはいかんからな。とりあえず見ておけば嘘にはなるまい。

 思ってたよりも中は広い。俺でも、大の字で寝転がれるくらいのスペースがあるんだな。


 荷車を見る俺の横に、ミリィはピタリと付いてくる。

 俺が荷車に興味を持っているのが嬉しいのか、なんだかずっとにこにこしている。


「それでな、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「なぁに?」

「ソレイユって花を知っているか?」

「うん。綺麗なお花……オレンジ色で花びらが大きくて、太陽みたいなお花」


 相当綺麗な花なのだろう。

 ソレイユの話をするミリィの笑顔はいつも以上にほころんでいた。


「それが欲しい。いや、せめて見てみたいんだ」

「ん………………難しい」

「難しいってのは……高いのか?」

「ぇっと…………滅多に咲かない」


 咲かない?


「ソレイユは、森の奥でたまに咲くお花で……見つけられた人は幸運になれるって」

「じゃあ、流通はしてないんだな?」

「たぶん……一生しない…………ソレイユは、摘んでしまうと一晩で枯れてしまうから……」


 また、厄介な花を好きになってくれたもんだ……


「じねっとさん…………前に話してくれたよ……」


 ソレイユと聞いて、思い当たったのだろう。

 ミリィは、こんな話を俺に聞かせてくれた。


「じねっとさん……一人ぼっちになった時…………おじいさんがソレイユをくれたって……」


 それは、ジネットが陽だまり亭へ迎えられる以前のことらしい。

 親のいないジネットが寂しさに押し潰されそうな時、ジネットの義祖父がどこからかソレイユを摘んできて、ジネットにプレゼントしたのだそうだ。


「『これで、お前は幸せになれるよ……』って、言ってたって……」


 幼少期のジネットを支えた義祖父。そんな大切な人との思い出。

 そりゃ、一番好きな花になるわな。


「……探しに、行く?」


 ミリィが俺の顔を覗き込んで、首をこてんと傾ける。

 ……随分と警戒心を解いてくれたようで嬉しい限りだね。

 見つかる保証はないが……


「あぁ。頼む」

「うん。頼まれる」


 心強い味方を得た。

 よし、じゃあ明日にでも探しに……


「ヤシロさん」

「のほぅっ!?」


 突然ドアが開き、そこからジネットが顔を出した。

 ……心臓、飛び出すかと思った。


「……あ、あの……わたし、ひょっとしてタイミングが悪かったでしょうか?」

「い、いや、……ちょっと驚いただけだ。気にするな」


 俺はもちろんだが、ジネットもなんだか焦った表情を見せている。

 お互いにドキドキとして、向かい合わせで各々の胸を押さえる。

 心臓が痛い……


「それで、なんだ?」

「あ、そうでした。エステラさんのキノコのお話がとても面白かったので、夕飯にキノコを使った料理を出そうかと思うのですが」


 あいつは、どこのキノコ大使なんだよ?


「ほうれん草とキノコのソテーはお好きですか?」


 そう言って、手に持ったほうれん草を掲げて見せる。


「美味そうだな」

「では、それをお作りしますね」

「あぁ。そこに卵を落とすとさらに美味くなるぞ。半熟目玉焼きっぽくなるようにな」

「卵…………確かに、美味しそうですね」


 ポパイエッグってヤツだ。ベーコンが入っていると、なおグッドだな。

 味が想像出来るだけに、期待もひとしおだ。

 夕飯と言わず、今からちょちょっと作ればいいのに。


「あ……」


 ミリィが、いつもの消えそうな声ではなく、比較的はっきりとした声を上げる。

 何かに気付いたようで、ジネットの持つほうれん草を凝視している。


「どうかしましたか、ミリィさん?」

「それ…………違う。ニセモノ」


『ニセモノ』と、ミリィはジネットの持つほうれん草を指さして言う。

 ……ニセモノ?


 言われて、俺もジッとその『ほうれん草』を見つめる。

 確かに、葉っぱがほうれん草というには少々ギザギザしているような……ほうれん草の葉っぱはもっと丸みがある。それに、茎も少し太いか……


「それは、臭ほうれん草……」

「ク、クサホウレンソウ!?」


 なんだ、それ?

 また異世界独自の奇妙な植物か?


「とても、泥臭くて……食べられない」

「そうなんですか?」


 と、ジネットが葉っぱを一齧りする。


「んっ!?」


 途端に口を押さえ、ジネットが悶絶する。

 体をよじり、身もだえる。「んっ! ん~っ!」と、鼻から苦しそうな息を漏らし、眉を切なげに歪ませる。…………なんか、エロいぞ、ジネット……


「く…………臭いです……」


 食堂経営者の意地なのか、ジネットは決して口にしたものを吐き出すことはなかった。

 しかし、相当きつかったのだろう。両目が真っ赤に染まり、涙目だ。


「これは……食べられません」


 心底悲しそうに呟く。

 ……そんなに臭いのか?


「どれ……」

「あ、やめた方が……」


 ジネットの言葉も聞かず、俺はその臭ほうれん草を一齧りする。


 ……栽培したヤツを殴り倒したくなった。


「クッッッッッッッッサッッッッッッッッ!?」


 俺はジネットほどお行儀よくないので、即座に吐き出した。

 その後、口に残った唾液もすべて吐き出してやった。

 なのにまだ臭い。ずっと臭い。

 なんだこれ!? 呪いか!?


「……ぅぅ…………夏の日差しで熱せられたアスファルトが突然の雨で濡れていく時のにおいがする……」

「あすふぁると?」

「いや……なんでもない…………気にしないでくれ……」

「土……いえ、泥臭いですよね……」


 なんだよこれ、なんでこんなもんがウチに……


「アッスントに騙されたのか?」

「あ、いえ。これは昨日、四十区に行った時に購入したものです。帰り道で見かけた露天商で……」

「……四十区で騙されたのか…………」

「いえ……わたしが勝手に勘違いして…………お安かったものでつい……ですので、騙されたというよりかは、わたしが無知であったという方が正確です」


 いや、こんな食えもしないものを売っていたこと自体が悪だ。

 知らない人間を引っかけてやろうとする悪意がひしひし伝わってくる。


「ぁの……四十区は、ほうれん草の栽培が盛んで…………でも、中には美味しいほうれん草が作れない人もいて……」


 ミリィが、そんな四十区のほうれん草事情を教えてくれる。

 味が悪いから騙してでも売りつけようってのか……ろくでもねぇヤツだ。


「悪気は、ないの……でも、あの人たちも……どうしていいか分からなくて……」


 ……ん?

 あの人たち?


「ミリィ。この臭ほうれん草を作ってるヤツに心当たりがあるのか?」

「…………ぅん。幼馴染」


 びっくりだ。

 世界って狭いんだな。


 でもあれ?


「じゃあ、ミリィは四十区の子なのか?」

「うぅん……元々、ネックとチックは…………ぁ、幼馴染の双子の子は、四十二区にいたの。ウチと一緒で生花ギルドに所属していたんだけど、二人のお父さんがある日突然、『ほうれん草始めます』って……」


 冷やし中華でも始めるような軽いノリで心機一転、四十区へと引っ越してほうれん草農家を始めたらしい。

 だが、新参者に優しくする農家はなかったようで……まんまとハズレのほうれん草を掴まされちまったってわけだ。


「ぁ……でも、ネックとチックはお花を探す名人なの。だから、ソレイ……」

「おっと! ミリィ……それは、オフレコだ」

「……ぉふ?」

「ないしょ、な?」

「…………ぁ。うん。ないしょ」


 ジネットをチラリと見て、ミリィは納得したように頷いた。

 そして、嬉しそうににっこりと微笑む。


「てんとうむしさん……やさしい」


 何をもってそんな感想に行き着いたのかは知らんが……やめてくんない? なんかむず痒いから。


「あの、ヤシロさん。一体なんのお話で……?」

「いや、まぁ、こっちの話だ。な、ミリィ」

「ぅん……へいき」

「そう、ですか?」


 なんだかよく分からないままに納得をしたらしいジネット。

 こういう時はジネットがお人好しで助かる。


 ジネットに笑顔を向け、ささっと荷台の陰にミリィと共に身を隠す。

 しゃがみ込んで顔を近付け、こっそりと打ち合わせを行う。


「あした、……探しに行く?」

「そうだな……行ってみるか」

「ぅん。じゃあ、今から行ってお願いしてくる」

「一人で平気か?」

「平気。…………ぅふふ……やっぱりやさしい」


 なんか知らんが、ミリィの中で、俺は優しい人に仕立て上げられているようだ。

 いい人ぶった悪人に騙されるなよ。


 ちょいちょいと手招きをして、口元に手を添える。

 俺が耳を近付けると、こっそりと、小さな声で囁いた。


「じゃあ、あしたの朝、迎えに来るね」


 とびきりの秘密を共有しているかのように、嬉しそうな顔をしている。


「分かった。朝の鐘くらいでいいか?」

「ぅうん。目覚めの鐘が鳴る頃」

「…………マジで?」

「早く行った方がいいから」

「…………マジかぁ……」


 朝四時集合らしい。

 起きる自信がねぇ。


 肩に子泣きジジイが百人乗ってんじゃねぇかと思うほど体が重くなった。早起きは苦手だ……


「ど、どうされたんですか、ヤシロさん?」

「ん? あぁ、……明日ミリィと四十区に行くんだが……集合が目覚めの鐘が鳴る頃でな……」

「まぁ……早いですね」

「あぁ、早い。起きる自信がないとかいうレベルじゃなく、起きるのが不可能な時間だ。徹夜するしかないんだろうな……」

「あの……もしよろしければお起こししましょうか?」

「ホントかっ!?」


 救いの女神が手を差し伸べてくれた。

 あぁジネット。今のお前、後光が差して見えるぜ。

 思わずジネットの手を両手で握りしめちゃったもんな。


「……頼めるか?」

「は、はい。わたし、目覚めの鐘の三十分前には確実に起きていますので」


 こいつ、すげぇな。

 実はニワトリ人族なんじゃねぇの?


「それじゃあ、よろしく頼む」

「はい。お任せ下さい」


 これで、寝坊の心配はなくなったとはいえ……なんか、カブトムシでも捕りに行くみたいなスケジュールだな。

 ジネットがいなければ、実行不可能だったろう。


「それで、その……ヤシロさん」


 ジネットが少し照れた風に前髪を弄る。

 珍しいな、ジネットがこんな仕草をするなんて。


「その、寝ているヤシロさんをお起こしするわけですから…………あの、……お部屋には……」

「あぁ、入ってくれていいぞ。確認も取らなくていい」

「は、はい…………あの、失礼します」


 今言われてもな……


「ぁ……それから」


 注意事項でもあるのか、ミリィが小さく手を上げながら大きな瞳でこちらを見つめている。


「ぁ……あしたは、ご飯……四十区で食べることになると思う」

「でしたら、わたしがみなさんの分のお弁当を作ります」

「大丈夫か? そんななんでもかんでも……無理しなくていいんだぞ?」

「平気です。いつもやっていることですから」


 ホント……いつもありがとうございます。

 花束、また贈らせていただきます。……と、頭が下がる思いだ。


 明日の流れを確認した後、ミリィは大きな荷車を引き、手を振って帰っていった。

 相変わらず「ばいばーい」を延々と繰り返して。……子供だなぁ。


「それで、明日はどちらへ行かれるんですか?」

「え……あぁ、え~っと……臭ほうれん草を作ってる双子とやらに会ってくるよ」


 ソレイユを探しに行くとは言えない。


「最近は大忙しですね」

「まぁ、しょうがないだろう」


 半分は自分のためにやっているようなもんだ。

 ……いや、自分の利益のために、だな。うん。そこは間違っちゃいかんよ、うん。


 にしても……

 ここ最近、本当に頻繁に四十区へ行っている。

 いい加減、バスでも走らせたい気分だ。


「あまり、無理はしないでくださいね」


 そう言ったジネットの顔は、少し寂しそうに見えた。

 心配してくれているのか……それとも、一緒にいられないから、寂しい…………な、わけないか。


「臭ほうれん草の代金、取り返してくるよ」

「いえ。これはもう済んだことですので」


 あくまで、確認しなかった自分が悪いのだというスタンスか。


「さぁ、中に入りましょう。ほうれん草がなくなってしまいましたので、違う料理を考えないと」

「あぁ、そうか……くっそ、食いたかったなポパイエッグ……」

「では、また後日作りますね」


 ニコリと微笑むジネットがドアを開けると、そこにマグダが立っていた。

 ……ドアにピタリと張りつくように。


「きゃっ!?」


 思わず悲鳴を上げるジネット。咄嗟に俺の胸に飛び込みすがりついてくる。

 ……あ、いい匂い。


「……ヤシロと店長が、庭先で卑猥な抱擁……」

「え……きゃ、きゃあ!? す、すす、すみません!」

「あ、いや! これは、違うぞ! お前が驚かせるからだろうが!」

「すみません、卑猥な店長で、すみません!」

「いや、そこは認めちゃダメなところだ! 違うなら違うと言い切るべきところだぞ!」

「はぅ!? ……そ、そうですね…………すみません」


 俺からそそそと距離を取り、ジネットが後ろの方で肩を小さ~くすぼめる。

 顔が真っ赤だ。……やれやれ。


 ……でだ。


「ドアにピッタリ張りついて、何やってんだ、マグダ?」

「……マグダ、早起きは得意」

「いやお前、俺より朝弱いだろう?」

「……明日から得意になる」

「あぁ…………つまり、明日連れて行けと?」

「……肯定」


 マグダの鼻息が「すぴー!」と音を鳴らす。

 まぁ……いいけど。


「あの、マグダさん……もしよろしければ、お起こししましょうか?」

「……是非」


 朝、得意になってねぇじゃん。

 ま、俺も人のことは言えないけどな。



 明日の朝は早い。

 とりあえず、今日は早寝をしようと心に決めたのだった。







 その日の夜――

 深夜。


 俺の部屋のドアがノックされた。

 トン……トン……トン…………と、三回。

 そして、ゆっくりとドアが開く…………ギィィ…………


 わずかに開いた隙間から、光る瞳がこちらを覗き込んでいる…………



「……ヤシロ。もう寝た?」

「楽しみなのは分かったから、早く寝ろ」


 こいつは絶対明日の朝起きられないなと確信して、俺は布団を頭から被った。






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