72話 ケーキ……?

 エステラがいる。

 もとい。

 不審者がいる。


 朝。教会への寄付を終え、適当に準備をして、中央広場へと向かう。そして、集合時間よりも少し早めに広場へと到着した。いや、正確にはまだ到着はしていない。中央広場入口で、俺は立ち止まってしまった。


 不審者がいる。


 まだ開店準備をしている露天商の大荷物の陰に隠れ、こちらを窺っている怪しい女がいるのだ。

 ……何やってんだ、あいつは。アレでバレてないつもりなのか。つか、露天商のお姉ちゃんが苦笑いしてるぞ。邪魔みたいだからどいてやれよ。


 いやしかし、隠れているのであるから、何かしらしたいことがあるのだろう。

 それを、空気も読まずに「バレてるぞ」と言ってしまうのはいかがなものか。

 何より、今日はエステラの奢りでケーキを食べるわけで……機嫌を損ねるのは避けたい。

 ならば、乗っかってやるのが得策か。


「あれー、エステラのヤツ、まだ来てないのかー」


 さり気ないセリフと共に、広場へと足を踏み入れる。

 エステラの隠れている露天との距離、10メートル。まぁ、聞こえていただろう。あ、嬉しそうな顔してる。「よしよし。バレてないバレてない」とか思ってんだろうな。


 気付かないフリをしたまま、俺は中央広場のど真ん中、ちょうどベッコが英雄像とかいう俺の蝋像を設置していた場所に立つ。…………なんか、「まさかのご本人さん登場」みたいな気分だな。


 俺がそんなことを思っていた時、朝の鐘が高らかに鳴り響いた。

 八時だ。露天が開き、街が動き出す時間だ。

 農家などはもうひとつ前の目覚めの鐘と同時に働き始めているけどな。

 ジネットも毎朝そのくらいには起きて仕込みを行っている。

 手伝おうとした時期もあったが、寝ぼけた俺では足手まといにしかならず、結局朝の仕込みはジネット任せになっている。マグダも、朝は弱い。俺より弱いかもしれない。


「ヤシロ~!」


 朝の鐘が鳴り止んでから五分程が経過した頃、エステラが手を振りながら小走りでこちらに向かってくる。

 ……さっきいた場所から、ぐるっと回って広場を出て、そしてさも今到着したかのような素振りで戻ってきたエステラ。その一部始終を、俺は見ていた。

 だが、今日はエステラの機嫌を損ねるのは避けると決めたのだ。こいつは接待だ。

 俺はしっかりと、エステラの小細工に乗ってやる。


「よぅ、エステラ」

「ごめ~ん。待ったかい?」

「いや、俺も今来たところだ」

「……ぅっし!」


 なんか、小さくガッツポーズしてんですけど……

 え、こういう定番って、異世界にもあるの? 人間の考えることなんて、結局同じなんだねぇ。


「ね、ねぇ。どう……かな?」


 そう言って、エステラはスカートの裾をちょいと摘まんで見せる。

 ドレスではないスカートは初めて見るかもしれない。


「似合うな。可愛いぞ」

「かわっ!? ……ちょ、ちょっと待ってね!」


 ぐゎばっ! と、半回転し、エステラがごそごそと肩にかけたバッグを漁る。

 何か、資料の束のようなものをめくっている。……分厚い資料だな。


「……おかしい。『可愛い』なんて反応載ってないよ……『彼の回答が、まぁ、いいんじゃね? だった時は、可愛らしく拗ねましょう。全然似合わねぇ、だった場合はショックを受けた様をはっきりと見せることが重要です。そうすることで、デート中彼は罪悪感からあなたに優しく接してくれるでしょう』…………褒められた場合は? どこだ!? どこに…………」

「なぁ……」

「ぅひゃい!?」


 声をかけると、エステラは分厚い資料を背中に隠し、慌ててこちらに向き直る。

 エステラが背中に隠した資料の表紙がチラッとだけ見えた。


『初めてのデート・完全マニュアル~これであなたもモテ女~』


 って、書いてあった。

 ……そういうの、どこの世界でもそうなんだけどさ、当てにしない方がいいぞ。


「そろそろ、行かないか?」

「そ、そうだね! さっさと行ってちゃっちゃと片付けてしまおう! 別にこれは、デートってわけじゃないんだからね!」


 いや、思いっきりデートのつもりで来てんじゃねぇか。


「いや、折角だからデートでいいんじゃないか?」

「ヤシロのスケベっ!」

「なんでだ!?」


 まったく、意識し過ぎなんだよ。

 デートくらい、普通にするっつうの。

 もっと軽い気持ちでやればいいんだよ。ただケーキ食いに行くだけなんだから。


「デ、デートなら……花束くらい用意してくれたってよかったんじゃないのかい? ボクは、初めてのデートなのにさ」


 そんな、バブル絶頂期みたいな真似出来るかよ。

 ホテルの最上階のラウンジで夜景を見ながら「この夜景は君のものだよ」とか、そういうデートならお断りだぞ。

 だいたい、デート前に花束なんか渡したら荷物になるだけじゃねぇか。


「花束はないが……コレをやろう」

「あっ!? こ、これって!?」


 花束の代わりに、俺は昨晩仕上げたシイタケの髪留めをエステラに手渡す。


「裸で悪いけどな。プレゼントだ」

「ううん! いい! 全然いいよ! 嬉しい! ありがとう!」


 メチャクチャ喜んでる。

 シイタケだぞ?

 精一杯可愛くはしてみたけれど、シイタケだからな? そんな喜ぶほどのものか?


「世界に一つしかない……ヤシロが作ってくれた髪留め………………」


 両手で持ち、頭上に掲げてシイタケの髪留めをじっくりと眺めている。……神にでも捧げるつもりか?


「……可愛いなぁ」


 予想では、もっとこう、にへらっと笑ったりするのかと思ったのだが、エステラは至って落ち着き、静かに笑みを湛えていた。

 なんだからしくないなと思っていたら、不意にエステラがこちらを向いた。


「ねぇ、つけてくれないかな?」


 そう言って、俺にシイタケを差し出す。

 つけるったって……パッチン留めなんだから自分でも出来るだろうに。

 言われるままにシイタケを受け取り、全体のバランスを見ていい感じのところにシイタケをつける。

 パチンと、留め具の音が鳴り、エステラの頭にシイタケがくっついた。大きなシイタケに小さなシイタケが寄り添う可愛らしい髪留め。


 指で触れ、きちんとそこにくっついていることを確認すると、エステラは嬉しそうに破顔し、そして――


「ありがとう、ヤシロ。大切にするね」


 ――目も眩むような眩しい微笑みを向けてきた。


 こいつ……こんなに可愛かったっけ?

 え、まさか、シイタケパワー!?

 シイタケって、体にいいだけじゃなくてそんな作用もあるのか!?


「あ……ま、まぁ…………喜んでもらえたようで、何よりだ」


 くそっ、直視出来ないだと?

 頭にシイタケをくっつけたエステラだぞ? 言葉だけで聞けば指さして笑えそうなシチュエーションなのに……可愛いだと?

 なんか納得出来ない。認めたくない。


「じゃあ、さっさと行くぞ! デートじゃないんだからな!」

「えっ!? さっき、デートだって言ったじゃないか!」

「うっさい! 下見だ! 仕事だ仕事!」

「デートだよ! 誰がなんと言おうと、これはデートなの! ボクがそう決めたから! もう変更は無理だからね!」


 あぁ、うるさい!

 若い男女がみだりにデートなんてしてんじゃねぇよ!

 何がデートだ。ただ一緒に遠出してケーキ食うだけじゃねぇか!

 遠足だ、こんなもんは!


 だいたい…………緊張して、ケーキの味が分かんなくなったらどうすんだっての。







 四十区の大通りから脇に逸れた、落ち着いた雰囲気の小洒落た小路にその店はあった。

 紅茶とケーキが売りの店で、朝のこの時間は比較的空いていた。

 ……ここにもコーヒーは置いていないのか。ないのかなぁ、コーヒー。


 席に案内される。

 店員がエステラの座る椅子を軽く引きエスコートする。俺の方はなしだ。……けっ。


「ヤシロ。ケーキと紅茶でいいかい?」

「ケーキにはどんな種類があるんだ?」

「種類?」

「いや、ほら。いくつかあって、その中から選ぶ、みたいな」

「ケーキはケーキだよ。種類なんてないよ」


 マジか……

 一種類のみ?


 ケーキは色んな種類があって、「どれを食べようかなぁ」って悩むのが楽しいんじゃないか!

 それなのに……一種類のみ!?

 ちょっと神経を疑うね。


「じゃあ、ケーキセットで」

「セットなんてないよ」

「セットにしとけよ! だいたいケーキ食う時はなんか飲むんだから!」

「ボクに言わないでよ!」


 なんて行き届かないサービスなんだ。陽だまり亭を見習えってんだ。


「じゃあ、お前と同じものでいい」

「は、半分こするのかい!?」

「いや、一個ずつ頼んでくれ」

「……だよねぇ」


 エステラが立ち上がり、店員に注文を伝えに行く。

 ……なんで客が言いに行くんだよ。お前が来いよ、店員!


「言ってきたよ。……どうかしたの?」

「三流だなぁっと思ってな」

「ちょっ!? 聞こえたら追い出されるよ。凄く人気のお店で、昼過ぎにはもう入れなくなっちゃうくらいなんだから」


 それで客より優位に立っているのだとすれば、最悪だ。最悪を通り越して凶悪だ。

 これで、少しでもケーキに不満があったら「これは本物のケーキじゃない」とか言い出して、グルメ漫画よろしく難癖つけまくるぞ、コノヤロウ。


「まさか、出来たものも取りに行くんじゃないだろうな?」

「そこは、ちゃんと持ってきてくれるよ」


 と、そんなエステラの言葉通り、ケーキと紅茶を店員が持ってくる。

 ……男かよ。それだけでマイナスだ。あ、そうか。ケーキメインだから客層が女なんだな。じゃあ仕方ないか。


「…………」


 カチャカチャと、食器が立てる音が響く。


 …………なんかしゃべれよっ!

「お待たせしました」とか! 

「ケーキです」「紅茶です」って!

「ごゆっくりどうぞ」くらい言えねぇのか、ここの店員はよぉ!


「……陽だまり亭だったらクビにしているレベルだ…………」

「四十区の高級店の店員なんだけど……」


 なんだよ?

 こんな店如きが陽だまり亭より格上だってのか?

 ざけんなよ。

 格なんてもんは、その名声に胡坐をかいた途端一気に失墜するもんなんだよ。


 で、無言で差し出され、なんの説明もされなかったケーキと紅茶に視線を落とす。

 ………………え?


「……なにこれ?」

「これが、ケーキだよ」


 若干誇らしげに、エステラが胸を張る。


 ……え? いや、冗談だろ?

 …………黒い。

 そして…………何も載っていない。

 フルーツも、クリームも、なんにも載っていない、黒いスポンジケーキが皿の上に横たわっている。盛りつけも落第点だ。


「さぁ、食べてごらん。美味しいから」

「お、おぅ……」


 にこにことケーキ(自称)を俺に勧めてくるエステラ。

 そうだ。こいつは今初デートのつもりなんだ。遠出して、高級なお店でケーキを食べる。

 それは、前日から楽しみにするに値する特別な行為なのだろう。

 ……それを台無しにはしたくない。だが…………


 俺は、見るからにパッサパサのスポンジをフォークで小さく切ってから口へと運んだ。

 ………………パンだ、これ。黒糖パン。給食で食べた記憶がある、懐かしい味だ。

 だが、ケーキではない。


「どうだい? 美味しいだろ!?」


 うん。まぁ……マズくは、ない、かな。ただ……パンだな。


 思い出してほしい。

 凄く凄く幼い頃、祖母に「ゼリーをあげる」と言われ、大喜びした後に出てきたのがアメ玉みたいな包装をされた寒天を固めたようなゼリーだった時のあの「これじゃない」感。

「ケーキ食べる」と言われ喜んだ後に出てきたのが、パウンドケーキだった時の「これじゃない」感。

 あの時のような、悪くないんだけど、美味いんだけど、求めてたのと違うんだと叫びたくなるような、なんともモヤモヤしたものを感じてしまうのだ。


「ヤシロ……もしかして、口に合わない?」


 エステラが、少し寂しそうな表情を見せる。

 楽しみにしていたのに相手がつまらなそうにしてれば、そんな顔にもなるわな…………悪いなぁ。


「いや、美味い。黒糖を練り込んであるんだな」

「そうだよ。あと、このふわふわの生地が若い女性に受けているんだ」


 こっちのパンは硬いからなぁ。

 だが、レジーナがベーキングパウダーを作っているから、四十二区ならもっとふわふわに焼き上げることが出来る。


「こいつは、なんで『パン』に含まれないんだ?」


 ケーキのスポンジは、小麦を材料とし、オーブンで焼いている。

 ならば、この街では『パン』と見做され、教会の許可なくしては作れないはずなのだ。


「先代の王妃様が大のケーキ好きでね。ケーキだけは、事前に登録して許可証があれば焼くことが出来るんだよ」

「じゃあ、ケーキということにしてパンを焼いたらどうなるんだ?」

「『精霊の審判』」

「……微妙に規制出来てねぇと思うぞ、それ」


 王族のわがままには教会もお手上げってことか?

 ん……そうか。その許可ってのがミソなんだな。


「その許可は、領主からじゃなく、教会からもらうもんなんだな?」

「よく分かったね」

「主食のパンを独占することで一定の利益を上げている教会が、パンの価値を脅かすかもしれないケーキの流通を許可するとなれば、相応の対価を得ていると考えるのが自然だ」

「小麦粉の使用量によって、相応の税金がかかるんだ」

「売れれば売れるほど多く税が課せられるわけか」

「そうなるね。けど、そこまで法外な額ではないよ」

「例えば、陽だまり亭でケーキを売る場合、パスタに使う小麦粉はカウントされないんだよな?」

「もちろん、ケーキに使用した小麦粉の量によって税がかけられるんだよ」

「量りに来るのか?」

「量りはしないよ。申告制さ。けれど、虚偽の申告は直ちに『精霊の審判』によって罰せられる」

「……『精霊の審判』に頼り過ぎなんじゃないのか?」


『精霊の審判』は、どんな過去のものでも裁ける代わりに、裁く範囲が意外と狭かったりする。

 例えば、俺がエステラに「今日、財布忘れたから飯奢って」と嘘を吐いたとする。その後、「今、よその女見てたでしょ!?」「見てねぇよ!」「『精霊の審判』!」……みたいな展開があったとする。

 この場合エステラは、俺が発した『よその女を見ていない』という発言に対し『精霊の審判』を発動させているため、俺が実際よその女を見ていなければカエルになることはない。

 その前に財布を忘れたと嘘を吐いていようとも、そこを指摘されなければ、俺がカエルになることはないのだ。


『精霊の審判』は、意外と穴が多い。

 俺がこの街に半年以上住んで学んだことだ。


 話を戻すが、小麦の使用量に関し、毎朝教会の人間が「虚偽はないか」と『精霊の審判』を発動させることで、正確に税を徴収することが可能になるのだ。

 ケーキを取り扱う者は、毎月教会の人間に『精霊の審判』をかけられるらしい。


 一応、厳重に管理しているつもりなのだろう、それで。


「試作したい時はどうすればいい?」

「教会に申請すれば、監視官の前でのみ試作することを許可されるよ」


 監視官…………

 俺の脳内に、嬉しそうな顔でよだれを垂らす美人エルフが思い浮かんだ。


「ヤシロは、ケーキを作るつもりなのかい?」

「出来れば、だけどな」

「ヤシロが作るケーキかぁ……どんな味なんだろうなぁ」

「少なくとも、ここのコレよりは美味いぞ」

「大きく出たね」


 大きいもんか。

 コレはケーキとすら呼べないレベルなんだっつうの。


 口直しにと、俺は紅茶を啜り……吹き出した。


「ちょっ!? 何してんのさ、汚いなぁ!?」

「…………し、渋ぃ…………っ!」


 なんだ、これ!?

 渋っ!?

 どんだけお湯に茶葉を浸けてんだよ!?

 苦いっ、渋いっ、不味いっ!


 あぁ、イライラするっ!


「エステラ……ここの紅茶は美味いか?」

「え? ……う~ん、実を言うと、ボクはちょっと苦手なんだよね。ナタリアの淹れてくれる紅茶の方が好きだから」


 よし!

 この街の基準がこれじゃなくてよかった!


「……エステラ、悪い」

「え、なに?」

「やっぱ、今回のこれはデートじゃない」

「え…………」


 こんな…………こんな中途半端なもん、エステラの初デートには相応しくない。


「今度改めてデートに誘わせてもらう! その時は、花束を持って、もっとずっと美味いケーキと紅茶をご馳走してやる! だから、今回のこれはデートじゃないってことにしといてくれ!」


 ……怒るだろうか?

 ……がっかりするだろうか?

 …………泣く、だろうか?


 勢いに任せて言いたいことを言い、頭を下げた。

 顔を上げるのが怖い。

 顔を上げた時、エステラはどんな顔で俺を見ているのだろうか………………そろぉ……


「…………えっ」


 ゆっくりと、顔を上げると、エステラと目が合った。……いや、合って、ない?


 エステラは、インフルエンザにでもかかったかのように顔を真っ赤にして、虚ろな目でボヘ~ッとこちらを向いている。


「…………ホ、ホントに?」

「え?」

「……花束……」

「あ、あぁ」


 …………あっ!?


「いや、違うぞ! プロポーズとかじゃないからな!?」

「――っ!? わか、分かってるけど、そんなことっ!?」

「ホントに分かってるか!?」

「分かってるって! どうせあれでしょ? ここのケーキが美味しくないから、こんなの認めたくなくて、ちゃんとやり直したいんでしょ!?」

「あぁ、その通りだ! この店のケーキはケーキとすら呼べない! 論外だ! こんなもんで喜んでいるお前が不憫過ぎて、俺が本物のケーキを食わせてやろうと、そういう優しさから出た再デートの申し込みだからな!」

「わか、分かってるってば! ボクだって、そんな言うほど美味しいと思ってなかったし!」

「どうだか!? こんなパッサパサのパンみてぇなもんを食って、幸せそうな顔してたじゃねぇか」

「してないね! 一口食べて、ちょっとお腹の調子が悪くなったくらいだよ! ボク、高貴な生まれだから」

「陽だまり亭の常連のくせに、高貴な生まれとか……」

「陽だまり亭は一流の店だろ!?」

「そこは同意だ!」


 立ち上がり、固い握手を交わす。

 で、そこで俺たちは怖い顔をした店員に囲まれていることに気が付いた。


 …………あ~らら。


「「「「「出て行け! 二度と来るなっ!」」」」」






 ケーキ屋を追い出された俺たちは逃げるように四十区を後にした。

 帰りの道すがら、ケーキの販売に関する細かい制約を聞いていたのだが、陽だまり亭で販売することは可能そうだ。

 むしろ、ケーキを販売するには、ジネットのような人物が店長をやっていると都合がいい。あいつは嘘なんか吐かないだろうし、教会の関係者の心象もいいだろうしな。


 問題は価格だ。

 税金分を上乗せすると、どうしても割高になる。

 そして、一番の問題は…………上白糖。


 この街では黒糖が一般的に使用され、白い砂糖は上流階級の者のみが口にする超高級品なのだ。

 それが手に入らなければ、俺の思うケーキは作れない。

 価格と味。このバランスが非常に難しい。



 陽だまり亭に戻ったのは、夕方頃だった。



 ケーキがあれば、この客足が遠のく時間をカバー出来る。

 ケーキは必要だ。



「ヤシロさん。難しい顔をされていますね」

「ん? いや。なんでもない」


 ジネットが心配そうに尋ねてくるが、今はまだ話すわけにはいかない。

 ケーキが作れるという目途が立つまでは……砂糖を確保するまではな。







 夜になり、陽だまり亭の営業は終了した。

 今日は手伝えなかった分、店の戸締まりは俺が一手に引き受けた。

 一つ一つ窓とドアを確認して回る。


 そんな中、玄関のドアを閉めようかとした時に俺は――庭先に黒い人影が佇んでいるのを目撃した。


「ぎゃぁぁぁぁあああああっ!?」

「私です」


 またナタリアだった。二日連続だ。


「いちいち脅かすな!」

「そんなつもりは毛頭ありません。お話があります」


 こちらの話はスルーして、自分の用件を俺に伝えるナタリア。

 ……なんて女だ。


「一つお聞きしたいことがあるのですが」

「なんだ?」

「お嬢様が、あなたに戴いたというシイタケを頭に貼りつけていたのですが…………あなたにはセンスというものがないのですか?」

「お前んとこのお嬢様に言ってくれ、それは!」


 シイタケを選んだのは俺じゃない!



 おかしいのは誰かを切々と語り聞かせてから、ナタリアには帰ってもらった。

 とりあえず、ナタリアの話を聞く限りでは、エステラはあまり落ち込んでいないようで……ホッと一安心した。


 デートのやり直し、ちゃんとしてやんなきゃな。




 …………随分あとになるだろうけど。






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