挿話9 ヤシロ、ハード・トゥ・ゲット・テクニックを試みる……?

 オオバヤシロ、十六歳。

 俺は飲食店従業員だ。

 魚をおろし、お米をふっくらと炊き、お肉を食べやすい一口サイズに切った人間。それが、俺だ。


 さぁ~て、人参でも剝~こう~っと………………はは。


「ヤ、ヤシロさんがっ!? ヤシロさんがなんだか大変なことになってます!」

「……凄まじい負のオーラを感じる」

「ちょっと……近寄りがたい雰囲気です」

「な、何か、ヤシロがああなっちゃった理由に心当たりのある人はいないのかい?」

「ワタクシは特に……」

「ウチも特に思いつかへんなぁ……シスターはんは?」

「申し訳ありませんが、何も……数日前、教会のために募金活動をしてくださった時はお元気だったようにお見受けしたのですが……」

「昨日からちょっと変だったッス。こう……いつものヤシロさんじゃないというッスか……」


 なんだか、人がたくさん集まってこそこそと何かを話している。

 声を潜めているようだが丸聞こえだ。

 どうせ聞こえるように話すなら……


「あ~ぁ、誰か俺のこと褒めてくれたりしないかなぁ……」


 …………チラ。


「な、なんか言い出したッスよ!?」

「え、ほ、褒めればよろしいんですの?」

「いや、待って! ヤシロがああいうことを言う時は、いつも何か裏があるんだよ!」

「……迂闊な発言は命取り」

「試しに褒めて差し上げればよろしいのではないですか?」

「そうですね。わたしもそう思います」

「シスターさんも店長さんも危機感が無さ過ぎです! お兄ちゃんですよ!? あのお兄ちゃんがあからさまな催促をしているですよ!? 絶対罠です!」

「なんや、絶対的な信用に基づいた信用の無さやねぇ」


 …………ほらみろ、

 誰一人として褒めてもくれない。

 やっぱり俺なんて、褒められるところが一つもない、ダメな男なんだ………………くすん。


「泣き始めましたよっ!? やっぱり褒めるべきだったのでは!?」

「……たぶんもう手遅れ。それよりも次の行動に移るべき」

「あぁっ、お兄ちゃんが、あんなに小さくなってるですっ!」

「緊急事態だ! みんなで力を合わせてこの状況を打破するんだ!」

「でも一体どうすればよろしいんですの?」

「なんや、元気になるようなことしたったらえぇんとちゃうか?」

「例えば、どんなことッスかね?」

「そうです。精霊神様のありがたいお話を語り聞かせてあげるというのは……」

「「「「それはちょっと……」」」」

「え、どうしてですか?」

「シスター。あの……言いにくいのですが……」

「なんですか、ジネット?」

「ヤシロさんは……あまりそういうお話はお好きではないかと……」

「そうでしょうか? 五時間くらい夢中で聞き入る気がしますが……」

「長いッス……オイラでも無理ッス……」


 なんか、向こうの方でベルティーナが物凄く丁寧に隔離されている。

 会話に参加しないで、大人しくポップコーンでも食ってろとばかりに、離れたテーブルに山盛りのポップコーンが置かれ、そこにベルティーナが誘導されていく。

 そして大喜びでポップコーンに食らいつくベルティーナ。

 ……いいな、みんな楽しそうで…………どうせ、俺なんて……


「あぁ……なんでしょう、この気持ち……」

「……店長、ヤシロが心配過ぎて、胸が苦しい?」

「少し……ほんの少しだけ…………可愛いです、ヤシロさん」

「店長さんも、たまにちょっと壊れるですよね」


 マグダとロレッタがジネットを優しく椅子に座らせている。

 なんだか、敬虔なアルヴィスタンから順に除外されていっている気がする。


「まずは、ヤシロがおかしくなった要因を考えるのが先決だと思うんだ」

「はい!」

「はい。じゃあ、レジーナ」

「遺伝っ!」

「……うん、もっとこう、外的な要因で、ここ数日のうちに起こった出来事に限定して考えてくれるかな?」

「昨日店で、そこの狐の人とイチャイチャしとったで」

「なんだって!?」

「なんですって!?」

「ちょっ!? ま、待ってッス! それは誤解ッス!」


 なんか、エステラとイメルダがウーマロを店の隅まで連行していった。

 吊るし上げだ。気の毒に。

 あ、レジーナがニコニコしながらエステラたちに近付いていった。またろくでもないことを吹き込みに行くんだろうな。


「もしかしたら、『目覚めてもぅた』んかもしれへんで?」

「えっと……『何に』かな?」

「せやから! 狐の人と、男と男の行き過ぎた友情にやな……」

「レジーナ。ヤシロにはそういう趣味はないよ……」

「何言うてんねんな! 自分かてよぅ二人で仲良ぅしとるやん!」

「あれ……もしかして、ボクのこと男だと思ってる?」

「大丈夫や、ただの『男』やのうて、ちゃ~んと『美少年』や思ぅとるで」

「…………まだいたのかぁ……そう思ってる人……」

「さすがエステラさん。男前ですこと」

「うるさいよ、イメルダ!」


 何やら賑やかだが、その間にレジーナがウーマロに耳打ちをして、ウーマロが嫌そうな表情を浮かべた。

 あ、今ろくでもないこと仕込まれたな。

 なんだかレジーナが「いいから、いいから」みたいな感じで、ウーマロをこちらへ寄越してくる。


 ウーマロが一人でとぼとぼと俺のもとへやって来る。


「あ~……そのッスね…………本当に言うんッスか?」


 後半のセリフは、後方で見守るレジーナに向けて発せられたものだ。

 レジーナは「うん、うん!」と、大きな身振りで首肯する。

 盛大なため息を漏らして、ウーマロが俺へと向き直る。

 そして、真剣な表情を作り、俺に向かってこんなことを言った。


「落ち込んだ顔は似合わないッスよ、マ、マイハニー…………元気が出ないなら、オイラの腕で温めて上げるッスよごろっふぉるべぶすっ!」


 なんか知らんが激しくイラッてしたので、剥いていた人参を全力で投げつけてやった。

 上から下へ、抉り取るような回転を加えながら、尖った人参がウーマロのみぞおちにめり込む。……チッ、貫通しなかったか。


「……ヤ、ヤシロさん……違うんッス……オイラは、嫌だって言ったッスけど……レジーナさんが…………」

「ガルルルルッ……」

「ひぃっ!?」


 短く悲鳴を上げ、ウーマロがみぞおちを押さえながら、転がるように逃げていく。


「や、野生化してるッス!」


 向こうの方でどよめきが起こる。

 だが、俺にはどうでもいいことだ。

 俺なんて、人参を剥くくらいしか能のない………………あれ? 人参どこ行った?

 ……人参を見失うなんて……あんなデカいものを…………俺、もう終わりかもしれない……人参すらろくに剥けないだなんて…………


 ……新しいのを剥こう…………


「はぁぁあ…………ヤシロさんが、小さく、どんどん小さくなって…………あ、あの……今だけ、今だけでいいので、ぎゅ~ってしてきていいでしょうか!?」

「店長さん、落ち着くですっ!」

「……レジーナ、鎮静剤を」

「ホンマ、賑やかな店やなぁ……」


 賑やか……そう、賑やかなのだ。

 俺が落ち込もうが、消えてなくなろうが……世界は変わらず回るのだ。


 詐欺師じゃない俺なんて……折角のパンチラシチュなのに下にブルマを穿いている女子みたいなもんじゃないかっ。

「ざーんねんでした。下はブルマだよー」って、スカートを捲り上げて見せつけられて………………それはそれで楽しそうっ!


「あっ! ヤシロがちょっと持ち直したよ!」

「なんだか、キラキラした瞳をしていますわっ!」

「どうせ、エロいことでも考えとんねんやろうなぁ……」


 ……とはいえ。

 俺に何が出来るってんだ。

 今の俺には、『ハード・トゥ・ゲット・テクニック』すら扱いきれないだろう……

 特別感を与えて相手に商品を購入させる手口だ。

 スパムメールで出回っている「あなただけに朗報!」みたいなヤツだ。

 携帯屋の前で無料のくじ引きをさせて、「おめでとうございます! 携帯本体が当たりました!」と、さもその客が幸運であるかのように見せかけて、「つきましては、新規登録をお願いします」と契約を結ばせる手口もこの『ハード・トゥ・ゲット・テクニック』だ。実際、携帯本体に価値などないのだが、『当選した』という事実が客に『特別』感を抱かせるのだ。


 ……特別。

 ふっ…………俺には無縁の言葉だよな……

 俺みたいな、人参を剥くしか出来ないくだらない人間なんて、掃いて捨てるほどいる……俺なんて……


「んなっ!? なんッスか、これはぁっ!?」


 突然、ウーマロが大声を発する。

 チラ見すると、さっき俺が投げつけた人参を凝視している。……あ、あんなところにあったのか、人参。


「どうしたんだい、大きな声を出して」

「こ、これを見てほしいッス!」

「どれですの?」

「あの、わたしにも見せてくださいますか?」

「あっ! あたしも見たいです!」

「……マグダを優先してもいいよ」

「ウチにも見せてぇな」

「ぽりぽりぽり……私も……ぽりぽり……拝見したいです……ぽりぽりぽりぽりぽりぽり」


 そして、その場にいた者たちが全員人参を覗き込む。

 そして静寂。

 ……………………静かだ。



「「「「「「「なんじゃあ、こりゃぁあーっ!?」」」」」」」



 そして、全員が一斉に叫んだ。

 なんだ? 何か変だったか?


「ヤシロさんっ、これっ!?」

「……聞きたいことがある」

「お兄ちゃん、これ、どうなってるです!?」


 陽だまり亭のメンバーがドドドと詰め寄ってきて、ついでにエステラやイメルダ、レジーナまでもが目の色を変えて俺を見ている。

 ……な、なんだよ?


「ヤ、ヤシロ! こ、この人参、ちょっと切ってみてもらえないかな?」


 エステラに言われ、俺はウーマロに投げつけた人参をトントンと切っていく。


「「「ふぉぉぉおおっ!」」」


 そんな、よく分からん歓声が上がる。


「ヤシロさん、……凄いです」


 ジネットが、俺が切った人参を見つめてそう呟く。

 凄い?

 人参に視線を向けると……人参は四葉のクローバーの形をしていた。

 …………皮を剥いていたつもりが、無意識でこんな形に彫っていたらしい。金太郎飴のように、輪切りにしていけば人参まるごと一本分の四葉のクローバーが出来上がる仕様だ。


「スープにこれが入っていたら、なんだか幸せになれそうな気がするッスね!」

「……幸運のクローバー」

「さすがお兄ちゃん! 器用です!」


 なんだか、絶賛されている。


「あ、あのっ、ヤシロさんっ!」


 ジネットが俺の顔をググッと覗き込んでくる。……近いっ! いい匂い!


「こ、この切り方、教えていただけませんか!?」

「え?」


 四葉のクローバー型の人参を指でつまんで、真剣な表情でジネットが訴えてくる。


「わたし、この切り方をマスターして、お店の料理に活かしたいです! 是非! どうか、お願いします! ご教示ください!」


 そして、物凄い勢いで頭を下げられた。


「オ、オイラも! この技術は大工にとっても興味深いッス!」

「ウチも聞いときたいなぁ。こんな形の薬が出来たら、子供らぁも喜んで飲んでくれるかもしれへんしな」

「私も……ぽりぽり……子供たちのために……ぽりぽり……是非……ぽりぽりぽりぽり……」

「ボクも聞きたいな。ナイフ使いとしてはマスターしておきたいよ」

「でしたら、ワタクシも教わって差し上げますわ!」

「……これは、覚えるべき技術」

「何を隠そうあたしは、店長さんに近付くために今修行中です! 覚えるです!」


 なんだか、物凄い食いつきだ。

 なんというか……みんな目が真剣そのものだ。


「そんなに……知りたいか?」

「「「「「「「「是非っ!」」」」」」」」


 こ、これは……

 これはつまり、俺が……俺自身が……『特別』ってことか?


 ならっ!

 ここで使えるんじゃないだろうか……『ハード・トゥ・ゲット・テクニック』をっ!


「よぉし! じゃあ、お前たち『だけ』に、『特別』に教えてやろう!」

「「「「「「「「いぇーーーーーーーーいっ!」」」」」」」」

「その代わり! ……条件がある」

「「「「「「「「……ごくり」」」」」」」」


 俺は、この『ハード・トゥ・ゲット・テクニック』を使って、先ほどは引き出せなかった対価を得るっ!


「俺のことを褒め称えろっ!」

「男前っ!」

「天才っ!」

「かっこいい!」

「イケボっ!」


 ふふふ…………ふはっふはっふははははははっ!

 もっとだ!

 もっと褒めろ!

 褒めて、俺に自信を与えやがれ!


「君は四十二区の救世主だ!」「陽だまり亭の希望ッス!」「好青年ですね!」「頼れる男や!」「包容力がありますわ!」「決断力もあるですよ!」「……二枚目」「聞き上手だ!」「お兄ちゃんはセンスがいいです!」「懐の深い方ですわ」「リーダーシップがありますね!」「親分肌ッス!」「太っ腹や!」「手が、大きかった……ですわね」「……二重瞼」「頭が切れるッス!」「若々しいですね!」「湯上がり卵肌でもあるですよ!」「ユニークだ!」「ややミステリアスですわ!」「両刀使い!」「……二枚舌」


「あ、あのっ!」


 次々に上がる俺への賞賛の言葉をかき分けて、ジネットが一歩踏み出してくる。

「わたしにも言わせてください!」と、顔に書いてある。

 いいだろう。聞いてやろう!

 大きな瞳をキラキラさせて、ジネットが俺に向かってありったけの声で言う。




「ヤシロさん、大好きですっ!」




 ――ざわっ。


 陽だまり亭を、張り詰めた静寂が覆う。


 …………正直、この発言は想像出来なかった。


「はっ!?」


 そんな中、今しがた自分が口走ったセリフを理解して、ジネットが全身から「ぴーっ!」と蒸気を噴き上げる。


「ちっ! ち、ちち、違うんですっ! あの、そういう意味ではなくてですね!」


 手に持った人参よりも真っ赤な顔をして、ジネットが両腕をぶんぶんと振り回す。


「人として、ヤシロさんという方が、その、とても素晴らしいと、思いましてっ! ですので……あの、深い意味は、その…………わた、わたしっ、アルヴィスタンですし! そ、そういうことは……ですので、そうではなくて……………………ぅぅぅぅうっ! そんなに見ないでくださいっ! 違うんですぅーっ!」


 耐え切れなくなったのか、ついには顔を覆い隠し、ジネットは厨房へと駆け込んでいった。


 ま、まぁ……他意はないのだろう。うん。きっとそうに違いない。

 ……だから、お前ら。そんな刺すような目で俺を見るのはやめてくんない?



 かくして、詐欺師としての自信を取り戻した俺であったが…………




『ハード・トゥ・ゲット・テクニック』は危険過ぎるので、封印することにした。






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