59話 来ちゃった

「本日よりお世話になります、イメルダ・ハビエルですわ。よろしくさせて差し上げますわ」


 朝っぱらから、アホがアホなことをのたまっている。


「……ジネット~、塩~」

「追い返さないでくださいますこと!?」


 木こりギルドの視察が行われたのは一昨日のことだ。

 夜中まで騒ぎ倒し、そのままトルベック工務店が用意した宿泊施設に泊まってもらって、木こりギルドの面々が帰っていったのが昨日の昼頃。


 で、今朝。

 目の前に木こりギルドのお嬢様、イメルダが立っている。

 しかも、よく分からないことを言っている。


「……ジネット~、コショウ~」

「焼く気ですのっ!? ワタクシを熱した鉄板でミディアムレアにするつもりですの!?」


 朝からテンション高いな、こいつ……

 一昨日の疲れがいまだ抜けきらず、俺はまだちょっと眠たかったりする。

 頭が回らない。


「えっと……木こりギルドの支部が四十二区に出来るのは決定したんだよな?」

「えぇ、そうですわ。ワタクシの一声で実現したと言っても過言ではありませんのよ?」


 いや、そもそも、お前の一声で却下されかけたんだよ。


「支部のことは、このワタクシ自らが一手に引き受けて差し上げますので、大船に乗ったつもりでいてくださいな」

「大きくても、素材が泥だと不安なんだけどなぁ……」

「鋼鉄ですわ!」

「じゃあ沈みそうだな」

「う………………軽い、鋼鉄です」

「むしろ逆に不安」


 この勢いだけで発言しているお嬢様の操縦する船になんか乗り込んだら、港を出る前に転覆すること請け合いだ。大船だったら、逃げるのに苦労しそうだもんな。


「というかだな……そういう話は領主に言いに行ってくれ」

「何をおっしゃっていますの? あなたの行動が、言葉が、ワタクシの心を動かしたんですのよ? あなたが責任者に決まっているでしょう?」


 いやいや。

 責任者と行動した人間は別物だぞ。

 工場でも、物を作るのは作業者だが、責任を取るのは上司の役目だ。

 ここいらの責任は全部エステラに丸投げするのが俺なりのルールなのだ。こっちに持ってこられて堪るか。


 ……居留守でも使うか?


「あ~、すまん。今気付いたんだが、オオバヤシロは現在取り込み中なんだ。また出直してきてくれ」

「じゃあ、あなたは誰ですのっ!?」


 くぅ~……面倒くさい。


「おはようッス~! あれ? ハビエルさんとこのお嬢様じゃないッスか?」


 そこへ、ウーマロが朝食を食いにやって来た。

 いいところに来た! お前、元四十区民で顔見知りだろ? 上手いこと言って追い返せ。


「あら、ちょうどいいところに。トルベックさん、先日の宿、アレ、木こりギルドの支部にしますので明け渡しなさい」

「ほゎあっ!?」

「なかなかの居心地でしたわ。少々改良が必要ですが……及第点といったところかしら?」

「ヤシロさん、この人何言ってんッスか?」

「俺に聞くな。お前の方が付き合い長いだろう?」

「オイラが女性と付き合いなんかあるわけないじゃないッスか!?」


 あぁ、言われてみれば、こいつ一回もイメルダの顔見てない。全部俺経由で会話してやがるな。


「とにかく、場所とかに関しては、お前のオヤジとウチの領主で話し合って決めてくれ。俺らじゃどうすることも出来ん」


 と言っても、木こりギルド支部の場所はほぼ確定しているけどな。

 下水処理場のそばに広大な土地を確保してある。そこに支部の建物を建て、ギルド構成員の住む寮を作り、木材の加工場と保管庫を作る予定だ。

 ちなみに、イメルダが言っているのはニュータウンにある宿なので、イメルダの要望がのまれることはないだろう。


「それじゃあ、ワタクシは今日からどこで眠ればいいのです!?」

「家に帰れよ! 徒歩圏内だろう!?」

「ワタクシにはもう、帰る家などございませんっ!」

「いや、あるだろう!? 四十区のくっそ目立つところにドーンっとでっかい家が!」


 この娘、何言ってんの?


「とりあえず、オイラは関係ないんで、飯食わせてもらうッスね」

「あ、こら、ウーマロ!?」


 ……ちっ、逃げやがったか。


「朝から何を騒いでるんだい?」

「おぉ! エステラ! いいところに来た!」

「あら、あなたは……」

「えっ!? な、なんでイメルダが?」

「エステラ、ちょっと来い」


 俺はエステラを連れて、イメルダから距離を取る。


「なんか、今日からこっちに住むとか言い出してるんだが?」

「は!? 家、どうするのさ?」

「ニュータウンの宿を寄越せって」

「誰がそんなの許可するのさ!?」

「……あのお嬢様が、じゃないか?」


 どうやら、エステラにも話は通っていないらしい。

 この調子じゃあのお嬢様、父親にも話してないんじゃないだろうか?


「領主権限でなんとかしてくれ」

「あのねぇ、ボクは領主『代行』であって、決定権はないんだよ。決定を下すのはあくまで父なんだよ」

「じゃあ父を呼んでこいよ」

「父は病気で外には出られないんだよ」

「じゃあ父のとこに連れて行けよ」

「だったらまず、あのお嬢様をあの場所から動かしてみせてよ」


 お前は一休さんか!?


「とにかく、彼女一人の一存では事態は動かせないよ。ギルド長のミスター・ハビエルがここにいれば、また話は別だろうけど……」

「ワシならここにいるぞ!」

「ミスター・ハビエルッ!?」


 突然降りかかってきたデカい声に振り返ると、イメルダの後ろにハビエルが立っていた。


「お、お父様っ!? どうしてここへ!?」


 イメルダも驚いているところを見ると、やっぱりイメルダはこっそり抜け出してきたんだな。


「ワシの部屋にこんな手紙が舞い込んでおってな。『陽だまり亭へ行きます。探さないでください』」

「行き先言っちゃってんじゃん!?」


 探さないで以前の問題だ!

 何が『どうしてここへっ!?』だ!? そりゃ来るわ!


「この文面から読み取るに……イメルダ、お前、ここに住みたいんだな?」

「その通りですわ、お父様っ!」


 読み取れちゃうもんなんだなぁ、あんな文章から……


「改革には、迅速な行動力が必要なのです! バッと速く! ガッと力強く! 強引なまでにっ!」

「しかし、イメルダ。こちらにも色々準備しなければいけないことがあるのだ。従者の選定から、引継ぎ、それにだな……」

「大丈夫ですわ! ワタクシ、一人暮らしをいたしますから!」


 結論言おうか?

 絶対無理だよ。賭けてもいい。


「絶対無理ッスよね」


 ハビエル登場で騒がしくなったからか、ウーマロが再び入り口付近までやって来て、状況を見守っている。

 お前も無理だと思うなら賭けにはならねぇな。


「イメルダ。お前に一人暮らしなどさせられるわけがないだろう? 食事はどうするのだ?」


 ……スッ。と、イメルダが俺を指さす。


「……差さないでくれるか?」

「では、寝床は?」


 ……スッ。と、ウーマロを指さす。


「……差さないでほしいッス」

「危険な目に遭ったらどうする!? 悪い男に言い寄られたりでもしたら!?」

「………………」


 ……スッ。


「だから、俺を差すなっつうのに」


 結局こいつは、自分では何も出来ないんじゃねぇか。


「決意は、固いんだな……」


 おいおい、ハビエル?

 今の流れでどうしてそういう結論に行き着く?

 完全に思いつきの突発的な行動だろうが。

 二、三発引っ叩いて連れて帰れよ。


「相分かったっ! ワシもここに住む!」

「いいから帰れ、お前ら!」

「ここに住んで、屋台に通う!」

「妹目当てだろうが、テメェは!?」


 くそ……こいつらが木こりギルドでさえなければ、四十二区への出入りを禁止するのに……っ!


「あの、みなさん。とりあえずお食事にしませんか?」


 店先で騒ぐ俺たちのもとに、ジネットがやって来る。


「よし、ジネット。ハビエルの奢りで全員に日替わり定食を頼む」

「はい。かしこまりました」

「お、おい、ちょっと待て!?」

「ハビエルさん、ご馳走様ッス!」

「ボクも、ご相伴にあずかりますよ、ミスター・ハビエル」

「これも、家長の務めですわ、お父様」

「……太っ腹。包容力は重要」

「ありがとうです、ハビエルさんっ!」

「食べるー!」

「ありがとー!」

「太っ腹ー!」

「ハビエルいい人ー!」

「あぁ、妹ちゃんたちが可愛いっ! よし、いいだろう! ここにいるヤツ全員分、奢ってくれるわ!」


 さすがは金持ち。羽振りがいい。

 ……ウーマロと同じタイプの人間っと…………メモメモ。


 そんなこんなで、俺たちは結構な大人数で朝食を食べることになった。

 弟妹たちが厨房にいたからな。屋台の準備中だったのだ。

 ちなみに、俺たち陽だまり亭の従業員は教会で食ってきているのだが……奢りとなれば食わないわけにはいかないだろう! 他人の金で食う飯は別腹なのだ。


「なぁに! 構わん構わん! こうなりゃあ、十も二十も同じじゃい!」


 と、本人が豪儀なところを見せているので問題ないだろう。


「とにかく、ワタクシはあの宿に住み、この四十二区で木こりギルド支部の陣頭指揮を執ることに決めましたの」

「……とか、言ってるけど?」

「すまんなぁ。ウチの娘は、顔は世界一可愛いんだが、言い出したら聞かない部分があってなぁ」

「なに、サラッと身内自慢入れてんだよ、この親バカ」

「あの娘が幼女だった頃はそりゃあもう可愛くて、目の中はもちろん、どこの穴に入れても痛くないどころかちょっと気持ちいいんじゃないかって思うほどだったんだぞ」

「娘をそういう目線で見てんじゃねぇよ、クソロリコン!」


 なんというか、全区に影響力を発揮する凄いギルドのトップのはずなのに、平気で罵倒出来てしまう。ハビエルも満更嫌そうでもないし、こういうフランクなのが好きなオッサンなのかもしれん。


「まぁ、ワシがこっちに来て陣頭指揮出来りゃあそれが一番なんだが、さすがに本拠地を放ったらかしにするわけにゃあいかねぇんだわ。組織のトップってのはしがらみが多いもんだからよぉ」

「……だ、そうだぞ、組織のトップ」

「オイラには何も聞こえないッス……他所は他所、ウチはウチッス」


 同じ四十区に拠点を置き、共に名の通った大きな組織のトップ同士。どうしてこうまで思考が違うんだろうかね。


「……日替わり定食、お待ち」

「お待ちー!」

「はぁぁああんっ! マグダたんっ、マジ天使ッス!」

「ふふぉおおおっ! 妹ちゃんっ、今日も可愛いっ!」


 ……いや、めっちゃ似てるわ、こいつら。

 なに? 四十区ってつるぺた教の総本山でもあるの?


「聞いているのですか、みなさんっ!?」


 突然、イメルダが叫びながら立ち上がる。

 なんかめっちゃ怒ってる。


「あぁ、聞いてるよ」

「ではなんの話をしていたのかおっしゃってみてくださる!?」

「つるぺた教の総本山の話だろ?」

「そんなお話はしておりませんわっ!」

「おい、その総本山の話、あとで詳しく聞かせてくれねぇか?」

「お父様はお黙りになっていてくださいましっ!」


 娘に怒られ、しゅんとうな垂れる筋ムキ親父。……弱ぇ。


「聞くところによると、木こりギルドの支部はあの下水処理場のそばに建設されるそうですわね?」


 という話を聞いたとするならば、情報源は…………

 エステラに視線を向けると、両手を合わせてこちらに向かって頭を下げる。

 余計なことを言って機嫌を損ねたらしい。……こじれるのかなぁ、また。


「ニュータウンは明かりに溢れ、素敵な場所でしたわ! それに比べ下水処理場付近は…………」


 素敵な場所と絶賛しているそのニュータウンが、数日前『スラム』と言って毛嫌いしていた場所だとはつゆとも思っていないようだ。


「これから開発が進む場所なんだ。今は暗くて当然だろ?」

「ナンセンスですわ!」


 熨斗つけてお前に着払いで送りつけたいよ、その言葉。


「このワタクシが住まう場所が、いまだ未完成だなんて…………作業が遅過ぎるのではなくて、トルベックさん!?」

「す、すいませんッス!? 今は四十区の下水工事がメインッスから、そこら辺は後回しで……」

「言い訳は聞きたくありませんわ!」

「………………あの、オイラ、なんで怒られてるッス?」


 うな垂れつつ、ようやくその理不尽さに疑問を抱き始めたウーマロが、尋ねるような視線を俺に向けてくる。

 俺だって知らん。怒られている理由が「ワタクシの思い通りじゃないから」だもんな。


「ワタクシ、暗いのは好きではありませんの」


 俺だってそうさ。


「一人暮らしで、夜に暗いだなんて…………その…………困りますでしょう、色々と」

「夜中トイレに行けないからな?」

「そんなハッキリ言わないでくださいますっ!?」

「……ヤシロみたい」

「はいです。お兄ちゃんと一緒です」


 お~い、おいおい。何も今バラさなくてもよくないかそれ?

 つか、水洗トイレが出来てから怖くなくなったっつうの! 外のトイレでなければ、室内なら、まだ怖さは半減だ。

 …………あ、そうか。


「そう言えば、お前にトイレを見せてやるっつってたんだっけな」

「そう言われてみれば、そんなお話もありましたわね」


 そうそう。真面目な話なのに、なんか勘違いされて頬を殴られたんだよな。……まったく。


「ちょっと見てみるか」

「お食事が運ばれているというのにですの!?」

「すぐ済むよ。そこだから」

「え…………室内ですの?」

「あぁ。ちょっと来てみな」


 立ち上がりトイレの前までやって来る。

 驚いた表情のまま、イメルダが俺に続いてトイレの前にやって来る。

 ハビエルと、ロレッタの弟妹たちもやって来る。

 そして、なんでかエステラとウーマロまでやって来た。……お前らは何回も見てるだろうが。


「この向こうにお手洗いがありますの? まったくにおいませんけども」

「におわないさ。そういう造りになっているからな」


 ドアを開けてやると、イメルダとハビエルが競うように中を覗き込む。


「まぁ……」

「へぇ……綺麗なもんだ」


 まず、その外観を見て驚いたようだ。

 輝くような純白のボディ。ほのかに香るポマンダーの爽やかな香り。

 そこは、まさに清潔という言葉を具現化したような空間だった。


 ポマンダーってのは、柑橘系の果物に香辛料をまぶして作る、虫除け効果のある芳香剤みたいなものだ。

 においと虫。食堂の二大天敵を一挙に防いでくれる優れものだ。


「どうやって使いますの?」

「使ってみるか?」

「み、見せませんわよ!?」

「見ねぇよ!」


 俺はどんな変態だ!?

 ドアが閉まることと、音が外に漏れない構造になっていることを説明し、次いで使い方をざっとレクチャーしてやる。なにせ、この世界は和式が標準だからな。便座に座って用を足すのはこれが初めてだろう。


「ほ、本当に大丈夫ですのね?」

「あぁ。一回使ってみりゃその凄さがよく分かるぜ」

「で、では……………………出て行ってくださる?」


 そんなわけで、俺たちはトイレを出て、出口の前にて待機する。

 …………なんか、妙な沈黙が辺りを包む。

 主に、男子がそわそわと落ち着きをなくし、誰とも視線を合わせないようにあさっての方向を向く。


「……なんでトイレの前で待機してるのさ? 席に戻りなよ」

「いや、それはほら……なんとなく…………なぁ?」

「あぁ、なんとなくだ!」

「そうッスね! なんとなくッス!」

「……君らね」


 エステラの視線が氷点下を記録する。

 冷たい、冷たいぞエステラ。

 違うんだ。なんというか…………ここで退いたら「あれ、なんか変なこと考えたの?」みたいな妙な雰囲気になって、以後「あの人、トイレで変な妄想する人だ」みたいなレッテルを張られかねないのだ。

 だからこそ、ここは上手く切り抜ける必要がある。

 それは、俺たち男子全員の共通認識だ。


「御免!」


 と、その時陽だまり亭に張りのある声が響いてきた。

 ベッコだ。

 今日は、食品サンプルが上手くいったことをきちんと報告しようと呼んでおいたのだ。


 ちょうどいい、巻き込んでやろう。


「ベッコ! ちょっと! ちょっとこっち来い!」

「やや。どうされたのですかな、みなでそのようなところに集まって」

「俺たちは今、ある重要人物を迎え入れる準備をしているんだ」

「ふむふむ、重要人物でござるか」

「だからお前も、このドアから人が出てきたら、盛大な拍手をもってお出迎えするんだぞ」

「相分かった! 拙者、誠心誠意、心よりの拍手を送るでござる!」


 そして、俺たちの準備が整うのと同時に、ドアが静かに開かれた。


 今だっ!


 パチパチパチパチパチパチパチパチパチッ!


「なっ、なんですの!? なんで拍手がっ!? は、恥ずかしいですわっ! なんだか恥ずかしいですわっ!」

「…………バカばっかりだ」


 戸惑い照れるイメルダに、呆れてため息を漏らすエステラ。

 しかしこれで、我々男子の面目が保たれたのだ。よしとしようではないか。


「で、どうだった?」

「素晴らしいですわね! 室内にお手洗いが設置出来るなんて」


 どうやら甚く気に入った様子だ。

 最初にこれを見せていれば、もう少し楽に支部の話を進められたのか…………いや、四十二区への偏見がなくなった今だからこそ、これだけ素直に称賛するようになったのだろう。

 一度認めればとことん素直になれる。

 意地っ張りなお嬢様は本当にツンデレなんだな。


「これがあれば、夜中のトイレも怖くないだろ?」

「ワ、ワタクシは別に、そんなものを怖がったりはいたしませんわ!」


 …………素直じゃないなぁ、やっぱ。


「とにかく、木こりギルドの建設場所はもう決まっているんだ。街門のそばに作るのが最も効率的だろう?」

「効率よりも、もっと優先されるべきことがありますわ」

「なんだよ?」

「ワタクシに相応しいかどうかです!」


 うわぁ……この一片の迷いもない言い切った顔。

 こいつ、マジでこれを言ってるんだからな……痛い娘だなぁ。


 教育方針を間違えまくった父親に責任を押しつけようと視線を向けると……


「うむ。もっともだ」


 ……と、バカ丸出しで首を縦に振っていた。

 組織のトップがイエスマンって、聞いたことねぇぞ、俺は。


「街門から遠くなると、加工前の木材を運ばなきゃいけなくなるだろう?」


 しかも、加工した後、下水処理場へおがくずを運ぶ手間も発生する。


「どう考えても、街門のそばに建設するのがベストなんだよ」

「でしたら、街門の位置を変えればよろしいのですわ」

「なっ!?」


 こいつ……なんてことを……


「そうですわ。街門はまだ作ってないのでしょう? でしたら、門の位置をちょっとずらせば済む話ではないですか。簡単な解決策ですわ」

「それはダメだ!」

「あら、どうしてですの?」

「えっと……モーマットの、農業ギルドの畑がある。だから、道は作れない」

「でしたら、その畑を木こりギルドで買い上げますわ」


 この金持ち思想め!


「そうしたら、取れ高が減って物価が……」

「木こりギルド建設予定地を畑にすればよろしいんですわ」

「……距離が」

「誰か小作人を派遣すればよいのですわ」

「…………」


 こいつ、なんでこう、嫌な方向には頭が回るんだ……


「とにかく、ダメなもんはダメだ! 街門の位置も、木こりギルドの位置も、今更変更は出来ない! なぁ、エステラ!?」

「う~ん、どうかな? モーマットと相談して了承が得られれば、出来なくはないと思うけど」



 裏切り者ぉぉお!?



 ダメなんだよ!

 街門の位置も、木こりギルドの位置も、変更は利かないんだ!

 でなければ…………街道のルートが変わるじゃねぇか!


 ニュータウンから真っ直ぐ南下して、一番近い外壁に街門を作ったとする。すると、ニュータウンから街門、そして大通りへのルートが街道として整備されるだろう。

 そうなると…………街道が陽だまり亭の前を通らないではないか!

 それではダメだ!

 街道沿いにある店と、街道から一本入ったところにある店では集客率が雲泥の差なのだ。


 俺は今、大通りと教会を結ぶ道を大きく拡張して、信者たちが教会へ出向きやすくなるようにしようと働きかけている。そしてその道は新しく作られる予定の街門へと続いているので、『ついでに』そこまでを大きな街道にしてしまおう。と、そう訴えかけているのだ。


 だがもし、街門の位置を変えられてしまったら……

『街道が最優先、教会への巡礼道はまた次の機会にね』となるのが目に見えている!

 そして、ことこの四十二区において、道路整備なんて大掛かりな工事はそう頻繁に行われないのだ。『また次の機会にね』の『次』が何年先になるか分かったもんじゃない!

 俺にとっては、『ついでに』という枕詞が何より大切なのだ。


 街道は、四十二区を横断するように作られなければいけない。

 街門とニュータウンを結ぶ、四十二区を縦断するものではどこも利益を上げられないのだ。


 一つの事業で周りの者がみんな潤う。それこそが理想の公共事業というものだ。

 ある一つの目的のためだけに作られるものは得てしてその成果を発揮出来ないまま廃れていくのだ!

 社員専用の保養所なんかがまさにそれだ。だいたい使われずに寂れている。


 いろんな人が使ってこそ、公共事業は上手くいく!


 つか、後回しになんかさせて堪るか!

 俺がどんだけ頑張ったと思ってんだよ!?


 俺は今回、街門を作って、陽だまり亭の前に街道を通すためだけに、ここまで頑張ってきたんだよ!

 行商ギルドとやり合って、取引額を適正価格に戻してみたものの、俺たちだけが割を食う結果になり、起死回生をかけて考え抜いた結果たどり着いたのがこの街道計画だ!



 絶対に、邪魔はさせない……



「…………よぉし、分かった」



 とことんやってやろうじゃねぇか……



「俺が、スペシャルな贈り物をしてやろう……」



 この、わがままお嬢様め…………



「お前が、木こりギルド建設予定地に対し『どうしてもここに住みたい!』と思うような、最高の演出をしてみせてやるよ!」



 もう決めた。俺は一歩も譲らない。

 街門は下水処理場のそばに作るし、そこに街門も設置する。

 そして、街門から大通りに続く道を完全完璧に舗装して、最高の街道を作ってやるっ!


「それは、面白そうですわね」

「あぁ、絶対面白いことになる。『覚悟』しておけよ」

「えぇ、『楽しみに』しておきますわ」


 バチバチと火花を散らし、俺はこのわがままお嬢様を最高に楽しませることになった。

 ………………火花、散ってるのか? なんか俺が一方的に燃えてるだけのような気がしてきた。


「とにかく、準備があるから今日はもう帰れ。引っ越しは、色々手続きが済んでからだ」

「そうですわね。もうしばらくだけ、時間を差し上げますわ。その間に、精々ワタクシを楽しませる案をお考えになることね」


 挑発的な瞳と、遠足前の子供のような笑顔をごちゃ混ぜにした顔でイメルダが言う。

 面倒くさいヤツに絡まれてしまったな……


「それでは、ワタクシは帰りますわ。あっと、その前に……お食事をいただいてから、ですわね」


 優雅な所作で日替わり定食を食べるイメルダ。その顔を見ながら俺は次の一手を考えていた。とても、同席して食事をする気にはなれなかった。






 イメルダとハビエルが帰ってから数時間。

 空はすっかり赤く染まり、本日の営業時間も、残すところあとわずかとなった。

 朝の賑やかな食事以降、客足はまばらで……とはいえ、当初に比べれば増えた方なのだが……やはり、改善しなければいけないとつくづく思った。


「ヤシロさん、お茶でもいかがですか?」

「ん? あぁ、サンキュウ」


 頭を抱える俺に、ジネットがお茶を勧めてくれる。

 マグダとロレッタは、現在屋台への応援に向かっていていない。

 店にいても客が来ないのでは仕方がないのだ。

 相変わらず、陽だまり亭の収入の大半が屋台による収入である以上、今はそちらで頑張ってらうしかない。


 陽だまり亭・本店は、俺たち二人だけでも回ってしまうほど暇なのだ。


「客が来ないな……」

「でも、以前より随分と増えましたよ」

「……『以前より』、ねぇ……」


 その『以前』が、俺がここに来た当初のことを差しているのなら、それはそうだろう。あの頃は日に二人も客がいればいい方だったのだから。


「ヤシロさんも彫刻を始めてみたらどうですか?」

「彫刻?」

「はい。ベッコさんに教えてもらって、何かお店を盛り上げるようなものを作ってくださると、わたしはとても嬉しいです」

「…………無茶ぶりにもほどがあるわ」

「そうですか? ヤシロさんなら、なんだってやってしまいそうな気がしますけど」


 まぁ、その気になれば出来なくはないのだろうが……手先の器用さには自信があるからな。

 だが、今はそんなことをしている時ではない。


 あぁ、ちなみにベッコは、ここに来て早々『新しい物が作れそうな予感でござる!』と、自宅へ戻っていった。

 ……まさか、トイレに入っているイメルダを彫ったりはしないよな?


 まぁ、そんなわけで二人きりだ。

 ジネットは厨房に戻らず、ずっと俺の向かいに座っている。

 おそらく、俺を気遣ってくれているのだろう。

 ジネットは、気が付くといつも、とてもさりげなく、俺の一番近くにいてくれる。


 そんなことに気が付いても、「ありがとう」なんて礼を言うのは……ちょっと違う気がする。

 なので、俺は特に何も言わない。

 きっとジネットも何も期待などしていないだろう。


 この間隔が、俺とジネットの距離なのだ。


 それは、少しだけ……心地のいい距離感だと、そう思う。


 なんとなく頭を悩ませていた毒気を抜かれたような気がして、不意に無駄話がしたくなった。

 なんでもいい。他愛のない話がしてみたい、そんな気分なのだ。

 折角の機会なので、ずっと聞きたかったことを聞いてみることにした。


「ジネット、お前さぁ」

「はい、なんですか?」

「どこかに出かけたいとか、そういう欲はないのか?」

「外に、ですか?」


 こてん、と首を傾げ、ジネットは大きな瞳をこちらに向ける。


「お前は、ずっとここにいて、ずっと働いているだろ? 息抜きとか、ちゃんとしてんのか?」


 こいつは以前、四十二区の外に出かける俺を羨ましそうに見ていたことがある。

 それはそうだろう。早朝から寄付のために厨房に入り、日中は一日中食堂内にこもり、店が終われば掃除をして早々と就寝だ。

 その間に家事までこなしているのだから、外に遊びに行っている時間などないだろう。


 こいつは、それで満足なのか?


「わたしは、このお店でいろんな方にお会い出来るのが嬉しいですし、楽しいですよ」


 嬉しくて、楽しくて…………それで、満足しているのか?


 ジッと、ジネットの顔を見つめる。

 嘘は吐いていないだろう。

 だが、無理はしていそうだ。


 いつか、店を休みにしてパーッと遊びに行けばいい。……と、そうは思うのだが、ジネットのことだから店を休みにはしたくないのだろう。

 じゃあ、店番を誰かに頼んで…………というわけにもいかない。陽だまり亭の料理は、ジネットだからこそ出せる味なのだ。

 店番を頼むにしても、作り置きのものを提供するしか方法はない。

 そいつは、店を開けているとは言えない。

 屋台と同じだ。


 いつか、こいつに、たっぷりと息抜きをさせてやりたいものだな。


「息抜きといえば」


 ぽんと手を叩き、ジネットが朗らかな笑みを浮かべる。

 こいつのこの顔、一体どれだけの人間が知っているんだろうな。

 この笑顔を大衆に向けて発信すれば、こいつのファンがドッと増えるだろう。マグダやロレッタでは太刀打ち出来ないかもしれない。

 性分として、こいつは人前に出るのが得意ではないようだが……人見知りはしないが、でしゃばりもしない。三歩下がって、というスタンスなのだ。


 そんなジネットが、たま~に、凄く話を聞いてほしそうな顔をする時がある。

 ちょうど、今俺に向けているような、こんな顔だ。

 俺は、割とこの顔が好きだった。


 それじゃあ、拝聴しましょうかねぇ。


「キャンドルって素敵ですね」

「…………俺の蝋像のことか?」

「いえ。あれも可愛らしくて素敵ですけれど、今は違うものの話です」


 はっきり言っとくぞ、あの蝋像は一切可愛くないから。

 こいつの感性は、どこかおかしい。


「表のキャンドルです」

「表のキャンドル?」

「視察団のみなさんとご一緒だった時に、庭先に設置して陽だまり亭を明るく照らしていたものですよ」

「あぁ、アレな。あの時はスゲェ助かったぜ。暗い道の中で、目的地がはっきり分かると、それだけで人は安心するものだからな」

「マグダさんの発案ですけどね」


 フフッと笑って、舌先をチロリと覗かせる。

 こういう時、こいつは本当に楽しそうに笑う。


「キャンドルの炎ジッと見ていると、なんだか心が落ち着く気がします」

「炎のように不規則にゆらゆら動くものを見ると、人間は落ち着くもんなんだよ」

「では、今ここで少し灯してみましょうか?」

「ん?」

「ヤシロさん、少しお疲れのようですから」


 言い残して、ジネットは立ち上がり、カウンターへと向かう。

 そこから小さなキャンドルを持ってくる。ベッコが置いていったものだろうか? 手のひらに収まる程度の大きさで、ハチミツのような色をしている。


「火を点けると、とてもいい香りがするんですよ」


 嬉しそうに言って、キャンドルに火を点ける。


 テーブルの上でキャンドルの灯が揺れる。


 薄暗くなり始めた店内に、淡く柔らかい光が広がっていく。

 キャンドルを挟んで向かい合うように座る俺とジネット。俺たちの影がキャンドルの炎に照らされて壁や床でゆらゆらと揺れている。


「綺麗ですね」


 俺に向けられた微笑みには、激励の思いがたっぷりと詰まっていた。

 元気を出せと。小さなことでは悩むなと。言葉ではない、もっと強い感情で訴えかけてくる。


 ……こいつは。

 こっちが気を遣う暇も与えないほど、気ばかり遣いやがって……


 なんだか、意地でもこいつをどこかに連れ出してやりたくなってきた。

 旅行でもなんでもいい。一度仕事から離れて、何も考えずに遊べるような場所へ…………


「ヤシロさんは……」


 静かに揺れるキャンドルの炎を見ながら、ジネットが囁くように言う。


「陽だまり亭を繁盛させるために、頑張ってくださっているんですよね」

「まぁ…………約束、したからな」

「覚えていてくださったんですか?」

「当然だろう……俺が言い出したことだ」

「……そうですね。でも、嬉しいです」


 ジネットがくすりと笑い、そのせいかは分からんが、炎が小さく揺れた。


「ヤシロさんのおかげで、陽だまり亭は以前よりずっとずっと、お客さんが来てくださるようになりましたよ」

「爺さんがいた時と比べると、どうだ?」

「……それは…………」

「じゃあ、まだまだだな。陽だまり亭はまだまだ繁盛出来る」


 俺はまだ、こいつの本当の、腹の底から溢れ出してくるような笑顔を見ていない気がする。

 たぶんそれは、この店が、爺さんがいた頃の陽だまり亭に戻り、それを越えた時に見ることが出来るのだろう。――と、俺は勝手に思ってる。


「不思議ですね……」

「ん?」

「ヤシロさんがそう言うと……」


 …………あ。


「本当にそうなりそうな気がします」


 …………揺らめく炎は赤い。

 だから、たぶん大丈夫だ。


 悔しいくらいに、ジネットの微笑みが可愛く見えて……

 柄にもなく頬を染めてしまったことは、気付かれていないだろう。


 くっそ……中学生じゃあるまいし。目が合ってときめくとか…………なんの冗談だよ。


 きっとアレだな。

 このキャンドルのせいだ。

 キャンドルの炎とか、このちょっと香るハチミツの香りとか、くっきりとした揺らめく影とか……そういう、普段と違う雰囲気が変に心を騒がせるのだ。

 アレと一緒だ。

 中学生の時に祭りとか行って、クラスの女子の浴衣姿を見た時みたいな感じだ。しかも、それが夜で、裸電球の赤々とした光に照らされていたりしたら尚のことトキメキが………………


 ………………祭り? 普段と違う雰囲気………………か。


「……ふむ」

「……? どうかしましたか、ヤシロさん」

「やってみる価値はあるかもしれんな……」


 あとは、どれだけ協力者を募れるか……だな。


「ジネット、協力してほしいことがある」

「はい。なんでも言ってください」


 だからさぁ、『精霊の審判』があるこの街で、そういう軽はずみな発言はするなと何回…………まぁ、いいか。俺の前でしか言わないみたいだし。


「お祭りをやるぞ」

「……おまつり?」


 理由づけはなんでもいいんだよな。

 とりあえず、精霊神へ感謝を捧げる……とかでいいか。


 現在の街道予定地を使って祭りを行うのだ。

 出店を並べ、蝋燭や松明を使って夜の闇を煌々と照らし、オリエンタルな雰囲気の中、精霊神への祈りを捧げるというイベントだ。

 精霊教会の信者たちはその光景に感動し、夜の闇と炎の赤が混ざり合う美しい光景にカップルはロマンチックなムードを味わい、ガキどもはバカ丸出しではしゃぎ、俺たち商人は夜店でがっぽり儲けさせてもらう。


 そして、そんな祭りが行われた道には意味づけがされて、住民たちの『特別な道』へと変わる。

 俺だって、祭りが行われる通りは、他のところよりちょっとお気に入りだったしな。「あぁ、ここでお祭りやってんだなぁ」とか思って。


 あわよくば住民を味方につけてやる。「街道はここ以外あり得ない」という風潮を作れればしめたものだ。

 それに、炎を煌々と焚いて、その印象を植えつけてやれば、イメルダも「暗い」だのなんだのといちゃもんはつけてこなくなるだろう。


 そうとなれば、街中の住民を巻き込んでやる。

 四十二区総出で盛り上げてやるぜ!


「くす……」


 不意に、ジネットが笑いを漏らす。


「どうした?」

「いえ……ヤシロさんがまた、アノ顔をされていたもので」


 ジネットの言う『アノ』顔というのは、以前教会で湯を沸かしてもらった時に聞いたヤツだろう。

 ジネット曰く、その顔というのは「『ここは任せろ』って、そう言われている気になる、そんな表情」なのだそうだ。……俺にはそんな自覚はないのだがな。


「ヤシロさんがその顔をされたということは、もう何も心配はいりませんね」

「そんな思い込みと決めつけはするんじゃない。上手くいかないことだってある。いや、むしろその可能性の方が高い。……今まではたまたまなんとかなっていただけだ」

「そうなんですか?」


 くりっとした目で俺を見て、再びその目を細める。


「では、わたしは、上手くいくかどうかを楽しみにしておきますね」


 ……はぁ。

 まったく…………


 その顔は、絶対上手くいくと確信している顔じゃねぇか。


 そして、お前がそんな顔をする時は……

 なんだかんだで、俺が走り回ることになる。あ~ぁ、億劫だ、憂鬱だ。


 と、同時に――あの顔を見ると、なんだか頑張れそうな、そんな気がしてくるんだから、不思議なもんだ。






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