58話 木こりギルドの視察・後編

 燃えるようだった空の赤が徐々に静かな藍色へと変化していき、俺たちの影を長くしていく。

 隣を歩く者の顔が辛うじて分かる程度の薄暗さに包まれ、俺たちは程よい疲労感を感じていた。

 昼食後に始まった視察とはいえ、さすがにこの時間まで歩き続けていたのでは腹も減る。

 視察団の胃袋もそろそろ断末魔の叫びを上げそうな雰囲気だ。


「いかがでしたか? 下水を完備したことにより、現在の四十二区は衛生面で他区から一歩抜け出したと自負しています。木こりギルドの支部を置くことが汚名になることはないと、自信を持って断言いたしましょう」

「確かに。よくぞここまで変わったものだと感心しきりだったぞ」


 ハビエルがそんな感想を寄越す。

 実際、ハビエルは道や建物など、あらゆるものに興味を示し、見て、触って、質問をして、四十二区の変貌ぶりに感嘆の息を漏らしていた。


「今後、こいつが四十区にも出来るのか……アンブローズめ、いい買い物をしやがったな」


 アンブローズ・デミリーは四十区の領主で、先ごろ下水工事の契約を結んだばかりだ。

 四十区から四十二区へ引っ越してきたばかりのウーマロが、ほぼ毎日四十区へ『出かけていく』のも、その工事のためだ。タイミング悪いんだよな、あいつ。


 なんにせよ、ギルド長のハビエルは四十二区の現状に満足しているようだ。

 元々ハビエルは四十二区に木こりギルドの支部を作ることに賛成していたのだ。

 今回の視察も、前向きに参加してくれたのだろう。


「けれど、何もなさ過ぎて不便ですわね」


 一方のお嬢様だが…………こいつは、どこかしらにケチをつけては「所詮は四十二区ですものね」と高飛車に帰結する。

 なんというか……「四十区に拠点を構える木こりギルドの息女であるワタクシが、最底辺の四十二区をそうやすやすと認めるのはプライドが許しませんわ」……とでも思っているのであろうことがありありと見て取れる反発の仕方なんだよなぁ。

 イメルダにしても、下水の処理工程には素直に感心していたし、環境や設備に関する質問も大量に寄越してきていた。興味はあるのだ。

 そして、それらの質問がすべて「もし木こりギルドが支部を置くのであれば」という前提を元にしたものばかりだったことからも、否が応でも支部の設置を阻止したいということではないようなのだ。


 ただ一点――『最底辺の四十二区をそう簡単に認めたくない』という一点だけが、イメルダの色よい返事を阻害しているように見受けられる。というか、それ以外に考えられない。

 ごねることで好条件を引き出そうというタイプにも見えないし、このお嬢様は本当に意地っ張りでプライドの塊のような性格をしているのだろう。

 ……面倒くさい性格をしている。


 だが、逆に言えば、ネックはそこだけなのだ。



 そこさえ突き崩せれば、この誘致は確実に成功する。



「それじゃあ、そろそろ食事にするか」

「待ってましたっ!」

「ぅうおおおっ! 飯だっ!」


 よほど腹が減っているのだろう、木こりたちが獣のような雄叫びを上げる。

 これだけ飢えてりゃ何食っても美味いだろう。

 …………頼むぞ、マグダ。店の飾りつけを普通にしておいてくれよ…………


「では、みなさん。こちらへ」


 エステラが先頭を切り、来た道を引き返していく。

 少し急いだ方がいいかもしれないな。

 この周りには畑が広がっているだけで、店も民家もない。日が落ちると完全な闇に包まれるのだ。

 そんな中を歩かせるのはマイナス点だ。


「随分と暗いですわね。夜道は危険ですわ」


 ほらな。早速突かれちまった。


「怖いんなら、手でも繋いでやろうか?」

「ふぁっ!?」


 イメルダがキジのような声を発する。

 もう日は落ちたというのに、いまだに日傘を差してくるくると回転させている。

 その回転速度が物凄いことになっていく。……なに、お前はボールとかをその上で回したいの?


「け……結構ですわっ! そんな……こっ、こい……子供じゃあるまいし!」


 ツンと顔を背け、足早に歩いていってしまう。

 さっき恋人って言いかけたろ、あいつ?


 それはそうと、背後から筋ムキ木こりーズの負の念がビシバシぶつけられているのが怖いんですが……木こりギルドの誘致に成功したら、こいつらがここに住むことになるのか? うわぁ……メンドクサソウ…………


 少し足早に、田園地帯を進んでいく。


「あれ?」


 前方にぼんやりとした明かりが灯っている。

 なんだ?


 明かりを目指して歩いていくと、それはランタンの明かりだということが分かった。


「視察ご苦労様です」


 ランタンの揺らめく淡い光に照らされて、シスター・ベルティーナが聖女のような微笑みを浮かべて俺たちを迎えてくれた。

 暗くて分からなかったが、そこは教会の前だった。

 ……夜の教会、こんな暗いの?

 ガキどもが倒れた時は看病のために明かりをつけていたんだな。まぁ、貧乏教会だから節約しているのも納得か。


「道が暗くなりましたので、私たちが陽だまり亭までお送りさせていただきます」

「私たち?」

「わたしたちだよ!」


 と、ベルティーナの足元からわらわらと子供たちが出てきた。

 教会の子供たちと、最近教会に世話になることになったロレッタの弟妹たちだ。

 視察団は、あっという間に二十にも及ぶ数の子供たちに取り囲まれた。


「危ないからねー」

「足元気を付けてねー」

「明かりあるよー」


 子供たちの何人かがランタンを持っている。それで、俺たちを取り囲むようにして足元を照らしてくれるようだ。

 なんだよ。スゲェ気が利くじゃねぇか。

 見ろよ、イメルダが嬉しそうに子供たちを眺めている。効果絶大だろ、この演出。

 それにギルド長のハビエルも、ランタンを持つ幼女たちを愛おしげな眼差しで見つめて……


「ワシ……支部が出来たらここに住もうかな」


 住むな! お前は速やかに帰れ!

 だからよぉ、支部にトップが来ようとしてんじゃねぇよ!

 四十区の職人はバカばっかりなのか?


 ……………………あぁ…………ウーマロもつるぺた派だ…………


 なんだか嫌な共通点に気付いてしまった俺は、子供たちに守られるようにして陽だまり亭への道のりをとぼとぼと歩いていった。


「ヤシロ」


 陽だまり亭が近くなると、エステラが小声で俺を呼ぶ。


「マグダがやってくれたよ」

「ん? …………おぉっ」


 思わず息をのんだ。

 これは、俺も予想出来なかった……マグダ、やるなぁ。


 陽だまり亭の前の道に、大きなキャンドルが数本置かれており、暗い道を照らしていた。

 ゆらゆらと揺れ動く明かりに照らされた陽だまり亭は、まるで夜の闇に浮かび上がるように幻想的で、夢の世界へ迷い込んだかのような錯覚に陥る。


「綺麗……ですわ」


 思わず漏れたのであろうイメルダの言葉は、その場にいる者全員の心を代弁しているようだった。


「ようこそ、陽だまり亭へ」


 揺らめく幻想的な景色を眺めていると、ジネットの声が俺たちを迎えてくれた。

 陽だまり亭の前に従業員一同が整列している。

 制服も、今日のために新たに作り直したおもてなしバージョンだ。

 色合いを少し大人し目にして、いつもの可愛いふりふりメイドから、シックで落ち着いた上品な給仕服へと変更されている。


「これは……美しい」


 ハビエルがウチの従業員をそのように評価する。

 ま、当然かな。


 整列する従業員に視線を向けると、ジネットは優しく微笑み、ロレッタが「頑張ります」と言わんばかりの力強い笑みを浮かべ、マグダは静かな無表情でVサインをこちらに向けてくる。

 よくやったぞマグダ。

 ここで俺の蝋像が明かりを灯して並んでいたら素通りして大通りで飯を食うところだった。

 さすがマグダだ。あとで褒めてやらねば。


 そして…………ジネットはあとでちょっとお説教かな?


「ふにゅっ!?」


 何かを察知したのか、ジネットが肩をビクッと震わせ身を縮める。

 ……大丈夫。この後の頑張りによっては手加減してやるから…………


「そ、それでは! 皆様、こちらへどうぞ!」


 若干上擦った声で、ジネットが視察団を店内へと誘導する。

 店内へ入っていく木こりたちの背中を見送って、俺は庭に待機していた妹たちのもとへ向かう。

 そこは、いつも屋台が置かれている場所なのだが、今は空いている。屋台は今夜、ちょっと貸し出しているのだ。


「そろそろ準備するように言ってきてくれ。あと二十分ほどで来れるように」

「分かったー!」

「伝えるー!」

「夜のおつかい、わくわくー!」

「夜道も怖くないよー!」

「お兄ちゃんと違うからー!」


 やかましい。

 俺も一人じゃなけりゃ怖くねぇわ。


「念のため、私がお供をいたしましょう」


 静かにサポートに回っていてくれたナタリアが申し出てくれる。

 そうしてくれると助かる。四十二区の治安が良くなったとはいえ、妹たちはまだ子供だからな。


「頼む」

「こちらこそ、お嬢様をよろしくお願いしますね」

「細工は流々だ、あとは仕上げを御覧じろって」

「上手くいけば、四十二区はまた大きく変わるのですよね?」

「あぁ。それも、いい方向ヘな」

「そうですか…………では、行ってまいります」


 どことなく嬉しそうにナタリアは言う。

 立場を弁えてはっきりとは言葉にしないけれど、あいつも喜んでいるのだろう。自分が仕える領主の治める四十二区が、どんどんといい方向へ向かっているのを。

 妹たちを連れて遠ざかっていくナタリアを見て、そんなことを思った。


「ひゃっほほ~い!」

「――っ!?」


 ナタリアが……飛んだ!?


「なにそれー?」

「なにー?」

「なんでもありませんよ」

「教えてー」

「気になるー」

「仕方がありませんね。では、みなさんでやってみましょう。せーの」

「「「「ひゃっほほ~い!」」」」


 滅茶苦茶テンション上がってんじゃん!?

 立場とか関係なかった!


「まぁ、嬉しそうで何よりだ」


 ナタリアと妹たちを見送ってから、俺は食堂へと入る。


 食堂の中は明るかった。

 エステラから提供されたトーチが壁に沿って設置されている。まぁ、松明だ。

 クロスされた二本の松明が数セットあるだけで、店内は見違えるほど明るくなっていた。

 これなら料理も映えるだろう。


 ジネットは厨房に入っているのか姿が見えなかった。

 店内には堪らなくいい香りが立ち込めている。

 この香りだけで白米が進みそうだ。


 店内ではマグダとロレッタが忙しく、テーブルに着いた木こりたちに水を配っている。

 浄水器の話もしてあるので、木こりたちは「これが、アノ……」と興味心身だ。


「美味しい…………お水ですのに清々しくて」


 イメルダが陽だまり亭のレモン水を気に入ったようだ。こくこくと飲み干している。


 エステラは壁際に待機して、着席している木こりたちを見つめている。何かあった際、サポート出来るようにだろう。

 そして、木こりたちとは違うテーブルにベルティーナたち教会の一同が座って…………って、こら。


「……なにちゃっかり居座ってんだよ?」

「何か、特別なものが出てくると聞きましたので」


 こいつ……さっきのイカした送迎演出はウチで飯にありつくためだったのか……ガキどもも完全に食うつもり満々の表情をしていやがる……しょうがない。ここで無理矢理追い返すのはこちらの心象が悪くなる。なんたって、教会関係者だからな。四十区でも当然精霊教会は支持を得ている。木こりどももきっと信者なのだろう。

 …………まぁいいさ。代金はまとめてエステラに払ってもらおう。


「お待たせしました~!」


 明るい声と共に、ジネットが厨房から姿を現す。

 その後ろから、可愛らしい制服に身を包んだ妹たちがわらわらと出てくる。

 いつもマグダに付いてポップコーンを作っているメンバーだ。

 今回は、人数を使って一気に配膳してしまう予定だ。

 各々が座ったテーブルに、置ききれないほどの料理が次々に運び込まれていく。


「おぉ、これは…………なんと美しい……」


 ハビエルが唸り声を漏らす。

 イメルダの親だけあって、ハビエルもかなり美意識の高い人物らしい。物を見る目は確かなのだそうだ。

 飯を見たらすぐにがっつきそうなガタイのいい木こりたちもただただその料理の美しさに目を奪われている。



 テーブルに並べられた料理は、陽だまり亭で普段出されているものだ。

 それがこれほどの評価を受けたということからも、いつもジネットがどれだけ頑張っているかが分かるというものだ。


「今日は本当にお疲れ様でした」


 料理が出揃ったところで、エステラが口を開く。

 料理に気を取られていた一同がみんなエステラに視線を向ける。


 イメルダが一瞬遅れるが、何事もなかったかのようにすまし顔を作る。

 料理に見惚れていたようだ。

 色味を考慮し、配膳の場所までこだわって決められている定食という料理は、実はとても美しいものなのだ。我が母国が長い歴史の中で培ってきた技や、侘びだの寂びだのそういうものが盛り込まれ、余分なものが省かれ、研磨された究極の形なのだ。

 食事を「ただ食べる物」としてしか考えていない連中には衝撃的な美しさだろう。


 食事は五感のすべてで楽しむものなのだ。

 味はもとより、香り、見た目。そして「サクッ」とか「ジュワァ~」という音でも美味さが伝わってくる。箸で触れた時の「ほろっ」と崩れる感触や分厚い肉の弾力なんかも食欲をそそる。

 人類の生命に関わる総合芸術。それが食事なのだ。


「いかがだったでしょうか、我が四十二区は。街並み、インフラ、人々、どれを取っても恥じ入ることのない素晴らしいものであると自負しています。さらに、他の区にはない革新的な独自の技術を元に、今後ますます発展していくでしょう。それには、木こりギルドの協力が不可欠であり、また、木こりギルドにとっても四十二区の存在が不可欠になると、そう確信しています」


 エステラのスピーチは続いている。

 グイグイと相手の懐に入り込んでいくような語り口だ。俺とは真逆のバカ正直な話の組み立て方だな。

 俺はどちらかというと、引いて、追いかけてきたヤツを罠にかけるやり方だ。


 特に、こんなへそ曲がりがいる場合はな。


「それではまるで、四十二区と木こりギルドが対等であるかのように聞こえますわね」

「え…………」


 エステラのスピーチを遮って、イメルダが立ち上がる。

 ……顔が怖いぞイメルダ。そんなに気に障ったか?


「確かに、下水の技術は大したものですわ。街も随分と美しくなっていました」


 懐から扇子を取り出し、そしてそれをビシッとエステラに突きつける。


「ですが、所詮は四十二区ですわ! 底辺がどれほど努力をしたところで、遥か高みにいる者に追いつくことなど不可能ですのよ! 現在の四十二区は……そうですわね……表面だけを見よう見まねで取り繕った、猿真似に等しいですわ!」

「…………猿、真似……?」


 エステラの頬がぴくっと引き攣る。


「そもそも、革新的な技術とおっしゃいますが、それは木こりギルドなしには成立しないものではありませんか。木こりギルドの力を借りて初めてその威力を発揮する技術を、当の木こりギルド相手に誇るなど……恥という概念がありませんのかしら?」

「恥…………だって……っ!」

「エステラさんっ、ダメですよ」


 一歩、足を前に出したエステラを、ジネットが素早く制止する。

 一触即発……そんな不穏な空気が漂い始める。


 惜しかったな、エステラ。

 イメルダのように、自分が一番でなければ気に入らない、そうでなければ許せないタイプの人間に、自分たちの功績を説いたって逆効果にしかならないんだ。

「そんなに優秀なら、是非一緒に事業をしましょう」とはならずに「ウチの方がもっとずっと凄いですけどね、ふーんだっ!」となってしまうんだよ。


「木こりギルドにおんぶに抱っこで、その恩恵にあずかろうという者の発言にしては随分と横柄でしたわね。木こりギルドにとって、四十二区如きが不可欠な存在になる……? 笑うところですの?」

「イメルダ。その辺でやめておきなさい」

「お父様は、ワタクシより、彼女の意見が正しいとおっしゃいますの!?」

「い、いや……そういうことじゃなくてだな…………その……………………」


 イメルダにすごまれて、グリズリーのような筋ムキのハビエルがたじたじになる。

 弱いなオッサン……

 視線をさまよわせ、俺と目が合った瞬間に嬉しそうな表情を浮かべた。


「つ、続きは、彼が話す!」


 う~っわ、丸投げしやがった。

「続きはウェブで」か?

 誰がウェブだ。


「何か、言いたいことがありますの?」


 イメルダが俺を睨みつけてくる。

 辺りを見渡すと、エステラが不機嫌そうな目で、ジネットが不安そうな目で、そしてハビエルが「説得出来たらなんでも協力するから、お願い!」みたいな目で俺を見ている。

 ……ったく。しょうがねぇな。


 もっとも、端っから締めくくりは自分でするつもりだったけどな。


「イメルダ。お前は、四十二区には革新的な技術がないと、そう言うんだな?」

「下水の技術は認めますわ。ですがそれは木こりギルドがあればこそ……そんなもので恩を着せようだなどと……」

「恩を着せる……か……」

「なんですの? そんなつもりはない、とでも?」

「いやぁ。恩を着せようとしてんのさ。四十二区に声をかけてもらえてよかったなってな」

「ワタクシたちが? ご冗談でしょう?」

「それが、そうでもねぇんだな」


 ゆっくりと移動し、イメルダの目の前へと歩いていく。

 俺の動きをジッと見つめ、視線で追ってくるイメルダ。瞬きすらしやがらなかった。


「木こりギルドがいなくても、四十二区はどんどん発展していく。こいつは決定事項だ」

「根拠がありませんわ」

「技術がある」

「ですから、それは木こりギルドがあればこそ……!」

「それだけじゃない」

「…………え?」

「それだけじゃないんだよ、俺たちの革新的な独自の技術はな」

「…………他にも、何かあるというんですの?」


 その問いには、言葉ではなく笑みをもって応える。

 技術ならいろいろある。ポップコーンや屋台、ろ過装置なんかもそうだな。


 だが、今は最も効果的でこいつらを黙らせることが出来る技術を紹介するとしよう。


 俺は、人差し指を立ててイメルダの目の前へ突き出す。


「…………上、ですの?」


 上に向いていた人差し指を、ゆっくりと下降させ、テーブルに並ぶ料理を指さす。


「以前、お前が美しいと絶賛していた料理だ」

「なっ!? ぜ、絶賛などしていませんわ! ただ……それなりには見られるものだっただけですわ!」


 ふふふ……はい、食いついた。

 これでこいつは、小さなことにまで反発するようになる。


「見てみろよ。壮観だろ?」

「ふん! だからなんですの?」

「美しいじゃねぇか」

「だ・か・ら、なんだと聞いているのです」


 ……もう少し泳がせて…………


「美しいものが好きなんだろう? 存分に楽しめよ」

「以前も言ったと思いますが、料理がいかに美しくとも、食べればなくなってしまいますし、食べなければ朽ち果てて無残な姿をさらすことになるだけですわ!」


 捲し立てたことではらりと垂れてきた前髪をかき上げ、イメルダは高飛車な笑みを浮かべる。


「数で勝負しようとしたのでしょうけれど……お気の毒でしたわね。数が増えればそれだけ無残な姿をさらすというだけですわ。ワタクシの心には響きませんわ」

「食いもしないで料理の良し悪しを語るな」

「嫌ですのよ!」


 ヒステリックな叫び。

 それは、触れられたくないものに触れられた者が発する警告の音。

 発した直後に、発した本人が一番驚く、本能による警告。


「…………」


 気まずい沈黙の後、イメルダは仕方なしにという風に小さな声で捲し立てる。


「ワタクシは、そこにあるものが失われることや、醜く朽ち果てる様を目にするのが……堪らなく嫌なんですの…………」


 何がこいつをそこまで美しさに固執させるのかは知らん。

 過去のことやトラウマなんざ、知りたくもないからな。知るつもりもない。

 だが、拒絶する理由がそれなら、これ以上の抵抗は出来なくなるぜ?


「ここにあるものは大丈夫だよ」

「…………え?」

「今ここに並んでいるものは減りもしないし、朽ち果てもしない」

「どういう、ことですの? ……そんなこと、あるはずがないですわ!」

「ジネット」

「は、はい!」


 敵対心剥き出しのイメルダから目を逸らし、ジネットに合図を送る。


「例のものを」


 すると、ジネットは「待ってました!」とばかりに顔を輝かせて、大きく頷いた。


「はいっ!」


 ジネットが厨房へと駆けていく。


「何をするつもりですの?」

「まぁ、見てのお楽しみだ。それを見れば、俺が言ったことが真実だと納得するさ」

「この世に、朽ち果てもしない料理などあるはずが……っ!」

「ほら、来たぜ」


 話の腰を折られ、不機嫌さを隠そうともせず俺を睨むイメルダ。

 だが、ジネットが運んできたものを見た途端、目と口が同時に限界まで開かれた。


「…………なっ!?」


 その場にいた全員の顔が、驚愕の色に染まる。


「フォ………………フォークが浮かんでいますわっ!?」


 ジネットが持ってきたもの。

 それはミートソースパスタだった。ただし、ソースの絡まったパスタを持ち上げたフォークが、重力に逆らうように宙に浮いているのだ。


「ど、どどどど、どうなっていますの!? 見えない人がフォークを支えていますの!?」


 見えない人ってなんだよ。そんな気味の悪いヤツ置いておくかよ。即座に叩き出して玄関に盛り塩するわ。


「ヤ、ヤシロッ、これは?」


 エステラも驚いて俺に駆け寄ってくる。

 こいつの正体を知っているのは、俺たち陽だまり亭の従業員と彫刻家のベッコ・ヌヴー、そしてスペシャルサンクスのレジーナだけだ。

 もっとも、ベッコはもはや彫刻家ではなく『蝋芸術家』とでも呼ぶべきだろうが。


 そう。このフォークが浮かんだパスタの正体、そして、ここに並んでいる料理は――


「食品サンプルだ」

「食品……サンプル?」


 これらはすべて、蝋で出来た精巧な偽物なのだ。

 デパートの中のレストランでお馴染みの、あの食品サンプルだ。


「こ、これが、全部…………偽物?」


 イメルダが驚いてそばにあったチキンカツに指で触れる。


「…………本当ですわ、じゃあ、こっちも!? これも!?」


 そうして、目の前にある料理に次々触れていく。

 どれもこれも、すべてが蝋で出来た偽物だ。


 ベッコが「大量に余っている」と言っていた蝋を可能な限り精製し、それを使って作り上げたのだ。

 本物そっくりな形と共に重要になるのが、本物そっくりな色なのだが、そこはレジーナに頼んで食紅を作ってもらったのだ。

 飲み間違え防止のためにと、レジーナは錠剤に色をつけることがあった。そこでピンと来たのだ。薬に色をつけるのは食紅に違いないと。ならば、他の色も作れないかと。

 結果は素晴らしいものだった。

 おかげで、どこから見ても本物にしか見えない食品サンプルが出来上がったのだ。


「こいつは、たとえ十年、百年放置しても朽ち果てることはない。もっとも、しっかりと保管する必要はあるだろうけどな」


 蝋で出来てるのだから食べることはもちろん出来ない。その代わり腐ることもないのだ。

 ……まぁ、寂れた商店街にある蕎麦屋で、悲しいくらいに薄汚れた「おいおい、これ客を呼ぶ気ねぇだろ」みたいな残念な食品サンプルもあるっちゃあるけどな。


「すげぇ……本当に偽物だ」

「この距離で見ても本物にしか見えない……」


 木こりたちが興味津々に食品サンプルを眺める中、イメルダの動きが止まっていた。

 ピクリともせず、俯いたまま静止している。


「…………ここに並んでいるものは、実在しますの?」

「あぁ。どれもこれも、みんなこの店のメニューだ」


 食品サンプルを作るにあたり、ジネットに実際作ってもらったものばかりだ。

 なにせベッコは『自分の目で見たもの』をそっくりそのまま再現することは出来るが、見ていないものを想像で作ることは出来ないのだ。

 ここに並んでいるのは、実際にジネットが作ったものの精巧なコピーなのだ。


「ジネットも、ご苦労だったな」

「いえ。お料理はわたしの生きがいですから」


 そう言って微笑むジネット。

 当然、サンプル作成のために作った料理は後ほど従業員で美味しくいただいたぞ。


「……そう、ですの…………実在……するんですの……」


 イメルダの肩が小刻みに震え始める。


「……ワタクシは、美しいものが好きなんですの。特に、美しいお料理が大好きですわ……ですが、お料理は一口食べた瞬間完璧な美しさを損なってしまう。食べ差しのお料理の美しくないこと……食べ残しの醜さ……完食した後の、空いた食器の虚しさ……それらがどうしても好きにはなれなかったんですの」


 ポツリポツリと、イメルダが語り始める。


「これまでも、目に美しいお料理には幾度も出会いましたわ……その度に、ワタクシはやり切れない思いに胸が張り裂けそうでしたの。ワタクシは、美しいお料理を、美しいまま、ずっと残しておきたいんですの! 美しければ美しいほど、その思いは強まりましたわ! ……ですが、それは不可能なこと……食べなければ、お料理は朽ちていき…………無残な姿に変わり果てる……」

「ん、まぁ…………永久不変なものなんか、あり得ねぇからな。これだって時間が経てば……」

「分かりますわ、それくらい! 汚れもするでしょう、壊れることもあるでしょう……それでもワタクシは…………今……………………感動しています……わ」


 顔を上げたイメルダは、ボロボロと泣いていた。


「これと同じお料理がいただきたいですわ! このお料理の味が知りたい、香りを嗅ぎたい、食感を楽しみたいですわ! そして、……これを見て、その度に何度でも何度でも幸福な気持ちに浸りたいたいですわ」


 自分で食う分はなくなってしまうが……サンプルがあればまた思い出せる、か。

 こいつ日本にいたら、出てきた料理を全部写メに収めてブログとかで味の感想とか載せちゃうタイプなのかもな。

 こっちの世界じゃ、現物を見なければその姿を見ることは出来ないからな。

 悲しくなる気持ちは、ちょっと分かる。


「店長さん!」

「はい」

「ここにあるもの、全部いただけますかしら?」

「もちろんです!」


 ジネットが注文を受けると、木こりたちが一斉に手を上げた。


「じゃあ俺、ミートソースパスタ!」

「あぁ、俺も俺も!」

「俺もそれ! 二つ!」


 あんなに空気だったミートソースパスタに注文が殺到している…………計画通りっ!

 食品サンプルを作る際、俺は絶対にパスタだけは作ると決めていたのだ。

 食品サンプルのパスタは、子供なら誰もが興味を惹かれるものだからな。

 こっちでも絶対注目されると確信していた。


 これで、パスタが売れるっ!

 ちょっとしたアレンジで種類が豊富に用意出来る、コスパ最強のパスタがなっ!


「こ~んばんわ~!」


 そして、絶妙なタイミングで来店してきた者がいた。

 ゴールデンレトリバーのようなイヌ耳を生やした、カンタルチカの看板店員、パウラだ。


「キンキンに冷えたビールの移動販売で~す!」

「「「「ぅぅぉおおおおおおっ! ビーーーーーーールゥゥゥゥゥウゥアアアッハァッ!」」」」


 絶叫だ。

 ムンクがいたら、その禍々しさに耳を塞いで真っ青な顔をしそうな、男どもの魂の叫びだ。


「タイミングはばっちりだったようですね」


 おつかいを頼んでおいたナタリアが戻ってくる。

 先ほど呼びに行ってもらったのはこれだったのだ。

 陽だまり亭には酒類は置いていない。普段の客ならそれでもいいのだが、暑い中一日中歩き回った男どもを癒すには、キンキンに冷えたビールをおいて他にはないだろう。

 そういうわけで、屋台を二つとも貸し、パウラにここまで売りに来てもらったのだ。

 二号店はカンタルチカ専門で、ビールが大量に詰み込まれている。

 七号店の方はカンタルチカ以外の店からおすすめの酒を何種類か持ち寄ってもらっている。


 店名入りのグラスを使用することで、どこの酒がどの店に売っているのかが分かる。気に入ったのがあれば後日個人的に行ってもらおうという算段だ。


「お料理、お待たせしましたぁ~!」


 木こりたちがビールをがぶ飲みし始めた頃、店内から空腹にクリティカルな刺激を与えるかぐわしい香りが漂ってくる。


「くわぁあっ! 堪らん!」

「俺、もう、ここに住む!」

「四十二区最高!」

「陽だまり亭最高!」

「妹たんたちペロペロ!」


 おいこら、ギルド長。娘に逐一チクるぞ?


 店の大窓を全開放し、庭と店内を繋げる。巨大なビアガーデンの様相を呈しているが、こういう日にはうってつけの賑やかさだ。


「美味しい……美味しいですわっ! でも、食べてもここにちゃんと残っている…………素晴らしいですわ!」


 イメルダは夢中でパスタを啜っていた。

 あ~ぁ、高そうな服にミートソース飛ばしちゃって…………あとでムム婆さんを紹介してやろう。ジネットの友人で洗濯屋をしている陽だまり亭の常連だ。しみ抜きの技術だけは俺以上で、脱帽したものだ、


「あれぇ? なんか凄く賑やかッスねぇ!?」


 そこへ、ウーマロ率いるトルベック工務店の面々が顔を出す。


「ウーマロ。宿の手配はどうなった?」

「バッチリッス! 団体様が安心して快適に過ごせる宿を用意したッス!」


 今回のために、ビップ客用の宿泊施設を作ってもらっておいたのだ。

 女将までは用意出来なかったので、そこは自前の付き人を活用してもらうとして、建物や部屋の内装はトルベック工務店に任せたのでまず間違いはないだろう。


「ご苦労だったな。お前らも好きな物を食べていってくれ」

「やったッス! それじゃあ、オイラは………………パスタが飛ぶように売れてるッス!? ぅええええっ!? フォークが飛んでるッス!?」


 あぁ、どうりで……あっちこっちでカチャンカチャン音がすると思ったら……木こりたちがこぞって、食品サンプルみたいにフォークを浮かせようとしてるのか。

 俺もやったなぁ……三歳くらいの時に。


「ヤシロさん」


 ジネットが駆けてきて、満面の笑みを俺に向けてくる。


「大成功ですねっ!」

「あぁ」


 大成功。そう言っていいだろう。

 イメルダを見る限り…………これで反対はしないだろう。

 ハビエルもそう確信しているのか、上機嫌でビールをかっ食らっている。


「それでは、いよいよ最後の仕上げですね」

「ん? 仕上げ?」


 デザートでも用意していたのか?

 ポップコーンの実演販売なら、確かに興味を持たれそうではあるが……


「お食事を楽しみながら、ヤシロさんの蝋像を観賞していただくんです!」

「はぁっ!?」

「では、準備してきますね!」


 いつものおっとりした雰囲気からは想像出来ない軽やかステップで厨房の奥へと消えていくジネット。

 あいつは、マジであの蝋像が人に喜ばれるものだと思い込んでいるようだ…………まずいっ!


「誰かぁ! ジネットを止めてくれ! 店長がご乱心だっ!」


 その後、中庭に敷き詰められていた蝋像を持ち出そうとしていたジネットを、俺とエステラの二人掛かりで取り押さえる。

 冗談じゃない。

 あんなもんを二十何体も並べられたら、折角決まりかけた支部誘致の話がおじゃんになる可能性すら出てくる。


「で、ですが、こんなに可愛いですのに!?」

「可愛くないよ!? ジネットちゃん、よく見て! ヤシロは全然可愛くないから!」

「……いや、それはどうだろうか、エステラ? 言っても、そこそこ可愛らしいところが……」

「君は止めたいんじゃないのかい!?」

「止めたいけど、可愛くないは言い過ぎだろう!?」

「メンドクサイよ、もう!」



 そんなこんなで、裏側ではバタバタしつつも、その日の陽だまり亭は夜遅くまで絶えず笑い声が響いていた。






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