56話 不器用な器用者

「今日こそ捕まえてやるぜ!」


 目覚めてすぐ、俺は意気込みを新たに、拳を突き上げつつ宣言した。

 やってやる!

 やると言ったらやってやる!


「今日一日をフルに使って、何がなんでも彫刻家を捕まえてみせる!」


 その場にいた者たちが俺に視線を注ぐ。

 背水の陣たる鬼気迫る決意表明に甚く心を打たれてのことであろう。分かる、分かるぞ、うん。


「ヤシロ……」


 陽だまり亭のテーブルに着いていたエステラが立ち上がり、ゆっくりと近付いてくる。

 そして、俺の肩に手を載せ、静かな視線を俺に向ける。


「……もう、夕方だから」


 窓の外は、鮮やかな赤色に染まっていた。


「こんな時間まで寝ていながら、よく一日をフルに使ってなんて言えたもんだね」


 ものすご~く呆れた目で見られてる。

 なにそれ、蔑み? 憐れみ? 可哀想な子を見るような目?


 しょうがないだろ!?

 昨日変な時間に寝ちゃって夜眠れなかったんだから!

 全員が寝静まった後の暗く静かな夜の闇が、これまた凶悪に怖くて全然眠れなくて……そのくせそろそろ陽が昇るかなぁっていう頃になってようやく眠気がやってきて…………で、気付いたら夕方だったのだ。


「俺、悪くなくね?」

「君の頭は、悲しいほど悪いのではないかと疑念を抱き始めたところだよ」


 失敬なヤツである。


「ヤシロさん。とりあえずお食事はいかがですか? お腹空いたでしょう?」

「ん……そう言われてみれば」

「では、用意してきますね」


 ぱたぱたと厨房へと姿を消すジネット。

 ロレッタはさっきまで誰かが飯を食っていたのであろうテーブルの片付けをしている。

 マグダは店に居並ぶ蝋像にはたきをかけている。……それ、掃除しなくていいんじゃね?

 そして、俺の前にエステラがいる。


「……なんつーか、この店、いつも同じヤツしかいないよな」

「さっきまではお客さんがいたんだけど、君が寝てただけだよ」

「客がいたといっても、どうせこの蝋像よりも少ない数だろう?」

「う…………ま、まぁ、そうだけど」


 陽だまり亭に並んでいる蝋像は全部で二十五体…………また増えてやがる。


「単純計算で、一人五体だな」

「五体もいらないからね」


 仮に持ち帰るならばという例え話だ。

 俺もこんな彫刻はいらん。だが、こいつを捨てるわけにもいかんのだ。


 そろそろ、店のスペースを圧迫してきているな……早く、彫刻家を捕まえなければ。


「すまん、ジネット! 飯はまた今度にする!」

「えっ!?」


 俺が声をかけると、ジネットが慌てて厨房から顔を出す。


「お食事、されないんですか?」

「早く捕まえなきゃいかんからな。どういうわけか、もう夕方だ……ゆっくりしている時間はない」

「どういうわけか、じゃ、ないけどね」

「で、ではせめて、お弁当を……! い、今すぐ作り直しますから!」

「いや、大丈夫だから」

「ダメです!」


 ジネットがカウンターを越えて、つかつかと歩み寄ってくる。

 珍しく、眉を曲げて少し怒ったような表情を見せている。


「しっかり食べていただかないと、ダメです。ヤシロさんにもしものことがあったら……わたしは…………」

「あ、いや…………だからな……」


 なんという気迫だろうか……

 俺が、言い逃れられないなんて…………


「それとも……わたしの作る料理では…………ヤシロさんのお役に立てませんか?」


 これはズルい!

 これはズルいだろう、ジネット!


 なんだ、その今にも泣きそうな顔は?

 両親の離婚が決まって父親が出て行く時の幼い子供みたいな表情しやがって……


 こんな顔でこんなことを言われたら…………いくら俺でも……


「おにーちゃーん!」

「にぃぃーーちゃーーーんぁ!」


 その時、勢いよくドアを開けて妹たちが食堂内へと駆け込んできた。


 でかしたぞ!

 そのままなんやかんやと騒ぎまくれ!

 ジネットがお前たちに気を取られて、有耶無耶な空気になった隙を突いて、俺はこそこそと逃げ回る彫刻家をとっ捕まえて……っ!


「彫刻置いてた人捕まえたー」

「捕まえたのかよっ!?」


 とんだ肩すかしだ!?


「確保ー!」

「ゲットだぜー!」


 俺のこれまでの努力と、この今の意気込みをどうしろってんだ!?

 俺が寝てる間に確保とか…………そりゃねぇだろ。


「それで、そいつはどこにいるんだい?」


 騒ぐ妹たちを落ち着かせ、エステラが問う。

 妹たちは揃って入り口を指さし、「もうすぐー!」「連れてくるー!」「でも暴れるー!」と口々に言う。


 もうすぐ、ここに俺の蝋像を作った彫刻家がやって来る…………一体、どんな人物なのか……


「大人しくするのー!」

「暴れないのー!」


 徐々に、表が騒がしくなる。

 下手人のご到着のようだ。


「おにーちゃーん!」

「犯人、連れてきたー!」


 妹たちが四人がかりでロープを引っ張っている。 

 そして、ロープで体をぐるぐる巻きにされた一人の男が、引き摺られるようにして陽だまり亭へと来店した。


「えぇい、幼き者どもよ! 離すでござる! 拙者は、このようなところで挫折するわけにはいかぬでござるよっ!」


 ……侍っ!?

 連行されてきた男は、ぼさぼさの髪の毛に、芋っぽい丸メガネをかけた若い男だった。

 ただやっぱり気になるのは、その口調だ。

『拙者』に『ござる』ときたか…………まさか異世界で侍口調のヤツに出会うとは……


「むっ? …………ぬはぁぁぁあああっ! ヤシロ氏っ!? あなた様はヤシロ氏ではござらぬか!?」


 …………あれ、そっち?

 侍じゃなくて、ちょっとアッチ系の感じなの?


「ほ、ほほほほ、本物でござるっ! いや、待て、落ち着け拙者! ヤシロ氏がこんなところにいるのはおかしいでござる! ヤシロ氏は天上人故、このような下界においでになるわけがないと思われ……いやしかし、だがしかし、今拙者の目の前におわすお方こそ紛れもなく英雄ヤシロ氏に相違なく……あぁ、拙者何が夢で現実か分からなくなってきたでござ候っ!」

「妹、叩き出せ」

「ちょっと、ヤシロ、落ち着いて!」


 素直な俺の要求に、エステラが待ったをかける。


「いや、たぶんそういう反応だろうと思ったけど、話を聞かなきゃ始まらないから!」

「じゃあお前が話を聞いてくれ」

「いやぁ………………ボクはちょっと…………」


 物凄く嫌そうな顔だ。


「でゅふふ……何やら拙者、婦女子に敬遠されているようでござるな。いやしかし、だがしかし、それこそが普通の反応。拙者、微塵も気にしておらぬ故、御仁もお気になさらぬよう」

「……ヤシロ」

「そんな助けを求めるような視線を俺に向けるな……俺の手にも余るタイプのヤツだ」


 さて、この灰汁の強過ぎる男をどうしたものかと考えていると、ジネットがすっと一歩踏み出し、ござる口調の男の前に立った。

 そして、ぺこりと頭を下げる。


「ようこそ、陽だまり亭へ。わたし、この店の店長のジネットです」

「ややっ、これはこれはご丁寧に。痛み入るでござる」

「よろしければお名前を伺ってもよろしいですか?」

「拙者、名乗るほどのものではござらぬ故……」


 イラ……


「名乗れや、コラ」


 余りにイラッとしたために、思わず顔面を足蹴にした俺を、誰が責められよう。


「ヤシロさん、ダメですよ」


 おぉう……責められた。


「むふぅゎああっ! え、英雄が! 英雄が拙者の顔を足蹴にぃぃぃ! か、感激のあまり、拙者、体中の筋肉がおかしな動きを始めたでござるぅぅ!」

「えぇい! 奇妙な動きをしてないでさっさと名乗れ!」


 ロープを掴んでいた妹たちが思わず逃げ出すほど気持ちの悪い蠢き方をして「むはー! むはー!」ともんどりうつござる男。

 ……なにこれ。今すぐ山に不法投棄したい。


「……ヤシロ。君の知り合いは、こんなのばっかりなのかい?」

「知り合いじゃねぇよ!」


 初対面だ!


「ごほんごほん……いや失敬。少々取り乱してしまったでござる」


 ござる男がのたうち回るのをやめ、床に正座をし、スッと背筋を伸ばす。

 ……あの悶えっぷりから急に冷静になる切り替えの早さと、両手を縛られた状態でスッと体勢を立て直せる体の柔軟性がまた一層気持ち悪さを際立たせている。

 つか、さっきのが少々だったら、お前が本気で取り乱した際は人間のカテゴリーから外れるんじゃないのか?


「名を問われ、答えぬは失礼でござるな。では、つまらぬ名前でござるが記憶の片隅に覚え置いていただきたく候…………そもそも、拙者がこの世に生を受けたのは今から十八年前のある雨の日で……」

「さっさと名乗れ!」


 凄くいい位置に顔があったので、もう一発顔面を足蹴にする。

 なんだろう、このフィット感。こいつの顔、足蹴にするためにあるんじゃねぇのと思わせる、そんな一体感を感じる。


「ヤシロさん。乱暴はダメですよ?」

「いやいや、ジネット氏。拙者、これはこれでちょっと気持ちいいでござる故」

「……うわぁ…………」

「……末期」

「……お兄ちゃん……」


 おいおい、エステラにマグダにロレッタよ。

 なんでそこで俺を見る? 悪いのはあいつで、キモイのもあいつだろ?


「ごほり、と……。では、改めて。拙者、名をベッコ・ヌヴーと申すでござる。しがない表現者故、それ以上に紹介出来ることは何もござらん。つまらぬ男でござる」


 ベッコ・ヌヴーか。


「おい、ベッコ」

「むふぅゎああっ! 英雄が拙者の名をっ! 拙者の名をぉぉぉおおおっ!」

「やかましい! いちいち悶えるな!」


 両腕を拘束されながらも、自由気ままに動き回るベッコ。こいつ、きっとどんな状況に置かれても人生楽しく生きられるんだろうな。

 あの動きを見るに、体の柔軟性とか筋力とか高いだろうし……スペックの高い変態はほとほと始末に負えない。


「ベッコ。ここにある蝋像は、お前が作ったもので間違いないか?」

「む…………これは、行方不明になったと思っていた拙者の作品たち…………どうしてこんなところに?」

「広場にこんなものを置いておかれると迷惑だからな。俺が持ってこさせた」

「なんとっ!? 英雄自ら拙者の作品の収集を!?」

「収集じゃねぇよ!」

「サインならいくらでも書くでござるよっ!?」

「いらん!」


 こいつと話をしていると、普段の三倍くらいエネルギーを消費する。

 なんでこうも直情型なんだ? ちょっと血でも多いんじゃないか?


「どうしてこんなにたくさん、ヤシロの像を作り、そして広場に置いたりしたんだい?」


 エステラが静かな声で問うと、ベッコは少しテンションを落ち着け、そっと瞼を閉じた。


「拙者……昔からモノを作るのが好きでござった。泥団子から始まり、お絵描き、粘土細工と、幼少の頃より多くのものを作ってきたでござる」


 瞼を開けたベッコの瞳は、慈しむような優しさをもって立ち並ぶ蝋像たちを見渡している。


「いつかは、彫刻家として人々に認められたい……そう思うようになるのに、時間はかからなかったでござる」


 いつの世も、どこの世界にも夢を抱く若者はいて……


「けれど、拙者の生み出すものはご覧の通り……芸術家としては一切認めてもらえない出来栄えのものばかりでござる」


 ……そして例外なく、現実は厳しい。


「拙者は感性が乏しいのか想像力が欠如しているのか…………見たものをそのまま形にすることしか出来ない、芸術家としては三流以下の落ちぶれでござる」


 夢を見る者の多くは、あまりに厳しい現実に直面し、そして叩き潰される。


「拙者ももう十八……いい加減、夢を見る年齢はおしまいだと、そう思っていたでござる」


 この世界では十五歳で成人としてみなされる。

 その頃までには手に職をつけて、今後の生活基盤を築いておく必要がある。

 それが出来なければ、そいつは大人として落第の烙印を押されてしまうのだ。

 十八というのは、この世界では所帯を持つことを考え始める年齢だ。自分以外の者の人生を背負う覚悟を固めるような、そんな年齢なのだ。


 夢などと言っていられる年齢ではない。


「だが……」


 だが……


「その時、拙者は出会ったのでござる! 英雄に!」


 夢を諦めなければいけないというルールはどこにもない。

 ジジイになるまで、いや、ジジイになってもずっと、夢に生きることだって立派な人生だ。


 俺は好きだけどね、こういう、キラキラした目をしているヤツは。男女問わずな。


「拙者は、二ヶ月半前の大通りでのあの大立ち回りを見て、ヤシロ氏の言葉を聞いて、『もう一度頑張ろう!』『投げ出さずに最後まで足掻いてみよう』と思ったのでござる!」

「それで、俺そっくりの蝋像を作って広場に置いていたのか」

「いかにも! 見たものを、見たまま形にすることしか出来ぬ拙者ではあるが……それでも、この目にしかと焼きつけた光景なら寸分の狂いもなく形に出来るでござる! 拙者は、己の持てるすべてをあの像に注ぎ込んだのでござる!」

「見たものを、見たまま形に……か」

「左様……拙者、不器用でござる故」


 シニカルに微笑むベッコに、俺は笑みを向ける。

 ……若~干、額に血管の浮いた、禍々しい笑みを。


「俺は、あんなふざけたポーズを取っていたか?」


『燃焼』とか『雨の日の休日』とかの像を指さして問い詰めると、ベッコは屈託のない笑みを浮かべてこう言った。


「そこはそれ。拙者、脳内で見た光景同士を合成させることには長けてござる故、別人の取ったポーズにヤシロ氏の顔を合成したでござるよ」

「お前の知り合いに『俺色に染めてやるぜ』みたいな格好をするヤツがいるのか? 一回病院へ連れて行ってやることを勧めるぜ」

「ポーズもさることながら、大根や玉ねぎにヤシロ氏の顔を生やすことも可能でござるぞ!」

「余計なことしなくていいから!」


 まぁ、こいつのやってることのほとんどが余計なことだと言えばそれまでなのだが。


「余計でも……」


 唇を引き結び、ベッコが遠くを見据える。

 その瞳には強い意志がこもっていて……もはや迷いは見る影もなかった。


「たとえ無駄だと言われようとも、それでも拙者は構わないと思ったでござる! 自分の信じる道をひたすら前に進みたい、ヤシロ氏の言葉を聞いてそう思ったのでござる!」


 半ば吠えるように、ベッコは声を上げる。

 それは遠い未来にいる自分に届けるように。

 かつて立ち止まっていた過去の自分を叱咤するように。


「拙者は、拙者の心に強く焼きついたあの日の光景を形で表したい! そして、その感動を多くの人に共感してもらいたい! それが、今の拙者の素直な気持ちでござる! この今の気持ちを、拙者はなくしたくないと、本心からそう思うでござる!」


 そして、晴れ晴れとした顔で真っ直ぐに俺を見つめる。


「そんな気持ちから、ヤシロ氏の像を作り多くの人が行き交う中央広場に設置したのでござるよ」


 極端に突き抜けたヤツだ。

 非常に迷惑な突き抜け方だ。

 だが、一度突き抜けたヤツは、大きく化ける。それが芸術の分野であれば尚更な。


「一つ、お前に問いたい」

「なんなりと!」


 真剣な表情を見せるベッコ。

 こちらも真剣な顔で問いかける。


「……やっぱ質問二つにしていい?」

「ホント締まらないよねぇ、君は」


 うるさいぞ、エステラ。

「質問二つにしていいか」という「一つの質問」をまずしたんじゃねぇか。

 ……あれ、そしたら結局質問出来るのはあと一つか? …………ん?


「いくつでもお尋ねくだされ。拙者、嘘偽りなく、すべて包み隠さずお答えすると誓うでござる」

「じゃあ、巨乳と貧乳どっちが好きだ?」

「なぬっ!? いやぁ~あの~それは~その~拙者はぁ~なんといいましょうか~うう~……」


 包み隠してんじゃねぇか。カエルにするぞ。


「えぇい! 拙者も男! 男に二言はないでござる! 実は拙者は、恐ろしいほどにぺったんこな胸が好きでござるっ!」

「やったなエステラ! 需要があたっぞ!」

「誰の胸が恐ろしいかっ!?」


 素早くナイフを抜き、俺の首筋に宛がうエステラ。……お前、なんかレベル上がってない?


「あ、あの! 拙者はどちらかといえば、おしとやかな女性が好みでござって……」

「残念、エステラ。またしても供給過多だ」

「供給なんかしていないよっ!」


 ナイフが首筋の皮膚を圧迫してくる。……これで少しでもスライドさせれば俺の頸動脈はスッパリ切れるだろう。


「あの、エステラさん。ヤシロさんもきっと反省されているでしょうし……その辺で」

「甘いよ、ジネットちゃん。ヤシロがこれまで、反省なんてしたことがあるかい?」


 あるわい、失敬な!

 ……えっと、ほら…………アレだよ、アレ…………その………………

 まぁ、パッと思い浮かびはしないけども、反省くらい俺だってするわい。今はちょっと出てこないけどな。


「ちなみに、おしとやかなぽいんぽいんと、ちょっと気の強いスッカスカならどっちだ?」

「むむむむ……拙者、いまだかつてこれほどまでに悩ましい二択に出会ったことはござらぬ………………しかし、どうしても答えを出すとするならば………………いや、しかし……」

「……そろそろ真面目に話してくれないかな、二人とも」

「なんだか、妙に気が合ってるですね、お兄ちゃんとござるさん」

「……同類。同じ匂いがする者同士だから」


 おい待てマグダ。誰が同類だ。その意見だけは断固否定させてもらうぞ。


「聞きたかったのはな、お前がどうやって俺の目を掻い潜って広場に蝋像を設置していたのかってことだ」


 あれだけ張り込んで尻尾すら掴めなかったのだ。

 ただの偶然というわけがない。こいつは、人の気配を察知する能力に長けているのかもしれない。


「……? 拙者は特に何もしてござらんが? 気が向いた時に置きに行っていただけでござる」


 偶然だったのっ!?

 あんだけ張り込んで、たまたま俺がそこを離れた時に、たまたまこいつがやって来てただけなのか!?


「昨晩など、広場で一体彫り上げたくらいでござる」


 昨日頑張って広場まで行っていれば確実に出会えたのかぁ!?

 なんて偶然だよ!?

 神の悪意すら感じるレベルだ!


「…………ヤシロ。ドンマイ」

「なぁ、マグダ。それは励ましか? それとも小馬鹿にしてるのか?」


 なんにせよ、絶妙のタイミング過ぎて心がちょっと抉られたぞ。


「ま、まぁいい。偶然なら仕方ないよな。そういうこともあるさ。別に俺の行動のすべてが無駄だったというわけでもないし…………気にしないことにしよう…………」

「物凄くへこんでるじゃないか……」


 だって……こっちはあんなに頑張って張り込みしたのに……「たまたま会わなかっただけ」って…………


「で、でも、ヤシロさんの頑張りは、ここにいるみんなが見ていましたよ」


 ジネットが俺を励ましてくれる。

 ……この娘、いい娘だよなぁ。泣いていいかな?


「お兄ちゃん」

「兄ちゃん」

「にぃに」


 妹たちが俺を囲むように集まってくる。

 そうかそうか、お前たちも励ましてくれるのか。

 やはり、心がピュアだとこういう優しさが自然と身に付くんだろうな。


「全部無駄でも大丈夫ー!」

「みんな見てたから無駄でも平気ー!」

「無駄足乙ー!」

「…………ロレッタ?」

「はゎゎっ! す、すす、すみませんです! あとでちゃんと言い聞かせておくです!」


 ピュアな心って、たまに何よりも残酷に心を抉るよね。


「あの、ヤシロさん…………お茶でも、入れましょうか?」

「いや……平気だ」


 大丈夫。

 俺は詐欺師だ。名探偵や刑事じゃない。

 張り込みでミスをしたってなんら問題はない。なぜなら俺は素人だからだ。

 素人の読みが外れて、一体誰がそれを責められる?


 本業で上手くやればいいんだよ!


「でだ、ベッコ」

「なんでござろう」


 こっからが本題だ。


「お前は、彫刻以外でも、このクオリティのものが作れるか?」

「このクオリティ…………その英雄像のような出来栄えという意味でござるか?」

「そうだ」

「無論でござる。拙者、実を申せば彫刻はまだ始めたばかりで熟練度は最も低いでござる。手前味噌ではござるが、絵や粘土細工の出来栄えはこの比ではないでござる」

「だったら、今回彫刻にこだわったのはなぜだ?」

「それはその…………拙者、稼ぎが無い故……粘土や絵の道具を買うことが出来ず……」

「この蝋はどうしたんだよ?」

「それはウチに大量に余っていたものでござる故、お金はかかっておらんでござるよ」


 蝋が大量に余っている家?

 こいつの家は何をやっているんだ?


「拙者の父は、この区で養蜂を行う者でござる」

「養蜂……ハチミツか」


 ってことは、こいつは蜜蝋ってヤツだな。


「それで少し黄色いのか」


 蜜蝋は、蜂が巣を作る際に体内から分泌する成分を集めたものだ。

 ハチミツを取り終わった蜂の巣を湯煎で溶かし、不純物を取り除いて作られる。全体的に黄色がかっているのは、蜂が運んでくる花粉が混ざっているからだ。


「もっと精製をすれば、白くすることも可能でござる」

「その蜜蝋が、『大量に』余っているんだな?」

「いかにも! 売り歩く程でござる。……もっとも、売り歩いたところで誰も買う者はおらぬでござるが」


 この世界の明かりは基本的にランタンであり、その燃料となるのはオイルやアルコールだ。

 この世界ではあまりロウソクは見かけない。

 だから、蜜蝋も需要がないのだろう。


 …………なら、そいつを俺が有効に利用してやろう。


「ベッコ! お前は芸術家になりたいのか?」


 こいつにとって今後の人生を左右するかもしれない、そして四十二区と陽だまり亭にとってとても重要になる質問を投げかける。



 これの回答いかんによって、ここにいる全員の未来が大きく変わる。



「芸術家となり、作品が認められ、世界中から称賛を浴びるのがお前の夢なのか?」

「……芸術家となり……称賛を………………」


 ベッコが瞼を閉じ、アゴをスッと上げる。

 瞼の裏に、芸術的な作品を作り上げ、世界中から称賛される己の姿を想像しているのだろう。

 その割には、表情が優れない。


 なら……


「それとも、己を曲げず、目先の欲に揺るがず、本当に作りたいものを、全力で、感情の赴くままに、己のすべてをかけて作り続けていくことがお前の夢か!?」

「――っ!? ……己を曲げず……本当に作りたいものを…………」


 ベッコの全身が小刻みに震え始める。

 閉じた瞼の裏には、どんな光景が見えているのだろうか……


「せ、拙者は…………」


 ベッコの目尻から一筋の涙が零れ落ちる。


「金のため、名声のために、芸術と呼ばれるものに迎合し、己を捨てるなど到底出来ぬでござる! 拙者は誰になんと言われようと、拙者自身が納得したものを、この手で! この手で作り続けていきたいでござる! それが、拙者の唯一無二の夢でござるっ!」


 これで、こいつの迷いは吹っ切れただろう。

 夢を追いかけることはつらい。

 他の人とは違う道を歩いているという自覚があるからこそ不安になり、行き先を見失いがちになるのだ。最初に目指した場所から目を逸らし、安易な道に逸れ、それっぽいだけの紛い物を目的地だと思い込もうとしてしまうのだ。


 そいつが挫折の正体だ。


 夢を掴みたいなら、迷いを捨てなくてはいけない。

 ベッコだって最初は分かっていたはずなのだ。己の夢がなんなのかを。

 しかし、時が流れ、環境が変わり、周りからの目も冷たくなり……いつしか目的地を見失ってしまう。

 そして、自分はもう、この道を歩けないのではないかと思い始めるのだ。

 名声を得られれば、金が稼げれば、もう少しここに留まれる気がして……道を踏み外す。逸れてしまう。

 そして、逃げ出した自分に言い訳を始める。

 ベッコは、まさにそんな最中にいた。


 だが、今目が覚めたはずだ。

 金が欲しくて始めたわけじゃない。認められるならそれに越したことはないが、そのために自分を曲げ、偽るのは違う。絶対違う。


 こいつは今、そのことに気が付いた。気が付いてしまったというべきかもしれん。


 こいつはもう、後戻りは出来ない。

 気が付いてしまった以上、前に進む以外に選択肢はなくなったのだ。

 悩み、堕ち、迷走していた頃の自分になど、戻りたいはずがないからな。


「ベッコ。俺がお前に生きがいを与えてやろう」

「……え?」


 そうだな。

 こいつはベッコに夢の行く先を気付かせてしまった俺にも責任がある。

 ならば、俺に出来ることはしてやらねばならない。そうは思わないか? なぁ?


「芸術的な感性がなく、見たものを見たまま形にするしか出来ないが故に世間からは認められず、だからといって自分の磨き上げた腕を捨てることすら出来ない、もどかしくも難解な道を突き進むお前に、俺が一条の光を見せてやる」

「お…………おぉ…………英雄が…………またしても拙者の標となってくれるというのでござるか!?」


 んな、大袈裟なことじゃねぇ。

 ちょ~っとしたお仕事を依頼するだけだ。


「ヤシロ……君、今度は何をする気だい?」


 訝しげな瞳を向けてくるエステラに、俺は会心の笑みをもってそれに応える。

 勝者の余裕が滲み出した、勝利の笑みでな。


「こっちの準備が出来次第、四十二区にご招待する木こりのお嬢様に伝えておいてくれ」

「準備って、何をする気なんだい?」

「お前は大通りの清掃と飾りつけ、その他四十二区の領民にあれこれやらせる手筈を頼む。切り札はこっちで用意するから」

「大丈夫なんだろうね? イメルダの視察は一度きりだよ? これで失敗したら……」

「なぁに、心配すんなって!」


 眉間にシワを寄せるエステラの背中を叩き、俺はきっぱりと言い切ってやる。


「任せておけ。全部まるっと解決してやる」


 ジネットの手料理と、水洗トイレ、そして――


 この恵まれない天才芸術家のベッコ・ヌブーを使ってな。






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