54話 木こりギルドのお嬢様

 四十区の領主、アンブローズ・デミリーと会談してから数時間後、俺たちは四十区の中ほどにデデンと居を構える木こりギルドの本拠地、ギルド長スチュアート・ハビエルの屋敷へと来ていた。

 豪華さという点では領主の館に軍配が上がるだろうが、純粋な広さではこちらがややリードしているかもしれない。

 ギルド長の館の他に、木材を補完する倉庫や、加工するための工場、それにギルド構成員が寝泊まり出来る簡易寮のようなものまでが併設されている。

 街の中央にこれだけの敷地を占有しているあたり、木こりギルドの権力の影響力が窺えるというものだ。

 本来であれば、領主の館よりも豪勢で広い建物など存在してはいけないのだろうが、この木こりギルドに関しては例外らしい。


「しかし、ラッキーだったよね。すぐに返事がもらえるなんて」


 エステラが上機嫌で言う。

 デミリーに紹介状をもらったとはいえ、相手は全区に影響力を持つ木こりギルドの長だ。当然日を改めて出直す必要があると思っていたのだが、俺たちはその日のうちに面会を許可された。

 デミリーが「あいつはせっかちなんだ」と笑っていたが、こちらとしては都合がいい。

 契約は早くに結んでしまった方が助かるからな。


「話は伺っております。こちらへどうぞ」


 ガタイのいい使用人たちに案内され、豪勢な建物の一室に通される。

 ……木こりギルドだからこんなにガタイがいいのか? こいつも木こりなのだろうか?


 そうして通された部屋には、使用人よりも一回り……いや、二回りはガタイのいい大男が待ち構えていた。


「よぉ、よく来たな。ワシが木こりギルドのギルド長、スチュアート・ハビエルだ」

「お目にかかれて光栄です、ミスター・ハビエル」


 エステラがあごひげを豪快に蓄えたオッサンに笑みを向けている。

 人のよさそうな笑顔を見せるこのオッサンが木こりギルドのギルド長らしい。

 さすが木こりギルドの長と言うべきか……上半身の筋肉が凄いことになっている。

 怒ったら服がビリビリに破れてしまいそうだ。


「いきなりのお願いでしたのに、こんなに早くお時間を作っていただいて、本当に感謝しております」

「気にするな。仕事は他の連中がやってくれるからな。ギルド長ってのは割かし暇なのさ」


 ガハハと豪快に笑う大男。

 ハビエルは実に質実剛健な男のようだ。


「アンブローズからの手紙は読ませてもらったぞ。木こりを派遣してほしいそうだな」


 ハビエルがデミリーのファーストネームを呼び捨てにする。

 領主なのにいいのか、とも思わなくもないが、デミリーが「旧知の仲だ」と言っていた通り本当に仲がいいようだ。まぁ、年齢も近そうだしな。


「えぇ、そうなのです。四十二区に街門を設置し、そこから外の森の最深部へ直接行き来出来るようにしたいと思っています」


 エステラは、木こりギルドにとってメリットになる部分を強調して説明をしている。

 現在、木こりギルドは四十区から外に出て森の中を移動し、活動している、

 森の中は魔獣が跋扈し危険だ。それ故に、あまり長居は出来ない。

 そのため木こりたちは比較的森の手前……すなわち、四十区の門に近い部分にしか進出していない。


 四十二区に門が出来れば、木こりギルドの活動の場は格段に広がる。

 おまけに、これから先ほぼ恒久的に大量のおがくずを購入すると言っているのだ。これは木こりギルドにとってもかなりプラスになる商談に違いない。


 入門税や誘致に関する条件等でもう少し煮詰めるべき事柄はあるだろうが、契約自体は上手くいくはずだ。

 ここから先はエステラの領分だ。俺が口を挟むところではない。

 なので、俺はナタリアの隣に立ち、お付きの者に徹している。……デミリーに対する接し方で怒られたところだ。余計なことはすまい。


「うむ。条件も待遇も問題ない。ワシら木こりギルドにとってもいい話のようだな」

「はい。そうなると確信しております」

「美人にこうまで言われちゃ無碍には出来ねぇよなぁ」


 また、ハビエルがガハハと笑う。

 エステラもそれに合わせて笑みを見せる。


 これはもう決まったな。


 よしよし。これで四十二区に街門が出来、そこへ続く幹線道路が整備され、棚ぼたで陽だまり亭は大繁盛だ。

 ようこそ明るい未来!

 そしてさようなら、閑古鳥!


 ――と、その時。


「お父様、お呼びでしょうか」


 商談がまとまりかけ、エステラが完全外交スマイルを振り撒きながら筋肉ダルマと呼ぶべきハビエルと談笑していると、不意に部屋の外から声がかけられた。

 見ると、使用人が押さえる大きな木製の扉の向こうに、きらびやかなお嬢様が立っていた。


 輝くようなブロンドの髪は、毛先にゆるくパーマが当てられているようにふわりと軽やかに踊っている。 

 華奢でスラリとした手足、そのくせ出るところはしっかりと出ている完璧なまでのスタイル。

 上質のパールのように艶めく白い肌は穢れを知らぬ純潔さと高貴な美しさを感じさせ、小さな赤い果実のような唇は見る者の視線を釘付けにして離さない。


 そして、何より特徴的なのが切れ長で涼やかな瞳。


 深い海の底のような静けさと、燃え滾るマグマのような力強さを併せ持った魅力的な瞳をしている。

 この瞳に見つめられた者は迷わずこう思うことだろう。


「その瞳に睨まれて叱られたい! 罵られたい!」


 どこか、そこはかとなくSっ気を感じさせる気の強そうなお嬢様がそこにいた。


「……へぇ」


 まぁ、綺麗だな。

 木こりどもが熱を上げるのも頷ける。


「おぉ! イメルダ、来たか」


 ハビエルのオッサンが顔面の筋肉を融解させる。

 筋組織が崩壊したのかと思うほどのふにゃけた顔になっている。

 そんなに好きか、自分の娘が。


「紹介しよう。娘のイメルダだ」

「……どうも」


 俺たちを一瞥して、イメルダは素っ気なく挨拶をする。

 ……ん?

 なんか感じ悪いぞこいつ。


「イメルダ。彼女たちは四十二区の領主様の代理の方々だ」

「四十二区の…………そうですの」


 イメルダの値踏みをするような視線がエステラに向けられる。

 エステラはあからさまなその視線に顔を引き攣らせながらも、なんとか笑みをキープしている。


「それで、ご用件はなんですの?」


 エステラに関して、特に感想はないようだ。

 つか、こいつ………………何様だ?

 一応エステラは領主の一人娘だぞ?


「実はな、四十二区に街門を作るということで、木こりギルドから支部を誘致したいのだそうだ」

「誘致ですって?」

「あぁ。悪い話じゃないだろう? 四十二区に街門が出来れば、これまで行きにくかった森の奥へ行きやすくなるし、四十二区では今後恒久的に木材の需要が……」

「納得出来ませんわ」


 上機嫌に語っていたハビエルの言葉を遮るように、氷のような声を上げるイメルダ。

 ハビエルは固まり、同時に室内の空気が凍った。


 …………こいつ、何言ってんだ?


「あ、あの。イメルダ、さん?」

「なんでしょうか、『四十二区の』領主『代理』さん?」


 節々にイヤミな強調を加えて、イメルダがエステラを見る。

 首を傾げ、見下すような面持ちで視線を向けている。


 ……俺の隣から、分かりやすい殺気が立ち上り始めている。落ち着けナタリア。お前が動くと死人が出るから。


「納得出来ない……と、いうのは、どういった意味でしょうか?」

「言葉の通りですわ」

「詳しく、お聞かせ願えませんか?」


 エステラは立派な貴族だ。

 こんな態度を取られてもなお、怒りをあらわにすることなく笑顔で対応している。


 ……その分、俺の隣の女のはらわたがグツグツと煮えくり返っているようだが。


「説明の必要がありまして?」


 両手を広げ、肩をすぼめる。

 アメリカ人が「呆れたよ、まったく」とか言いながらするジェスチャーだ。

 実際やられるとこんなにムカつくのか、あのポーズ。


「だって、四十二区ですわよ? オールブルームの最底辺。街は汚く、領民はみすぼらしく、食べるものと言ったら痩せた野菜に硬い黒パン。見るべき名所も無ければ、語るような伝統も歴史も何もない。どこを見ても美しい物など一つもない。そんな無価値な区へ、どうして栄光ある我が木こりギルドが支部を置かなければいけませんのかしら?」


 ………………あと、二回だけ、我慢してやる。


「幼少期に一度だけ赴いたことがありますけれど、行ったことを後悔しましたわ。街中おかしなにおいが充満していて、病気になるかと思いましたもの。二度と行きたくない場所ですわね。それに、四十二区にはいまだにスラムがあるのでしょう? 危険ですわ」


 ……あと、一回。


「それは誤解です、イメルダさん」

「あら? どういうことかしら?」

「確かに、かつての四十二区は自慢出来るような街ではなかったかもしれません。ですが、ここ数ヶ月で我が街は大きく変わったのです。街は美しくなり、人々は活気に満ち溢れています。それに、スラムについてですが、現在はこちらに拠点を置くトルベック工務店主導のもとニュータウンとして生まれ変わり、平和で開けた地域になっているのです」

「けれど、『所詮四十二区』でしょ?」


 ………………ゼロ。


「ワタクシ、美しいものを愛でるのが何よりも好きですの。その生まれ変わったという今の四十二区に、ワタクシが愛でるに値するものが何か一つでもお有りになりまして? このワタクシの美しさに見合うものが何か一つでも……」

「エステラ」


 俺は、尊大にふんぞり返る金髪お嬢様を無視して、エステラに声をかける。

 こんなヤツに構ってやる必要などないのだ。


「その話は後にして、さっさと契約を結んでしまおう。木こりギルドの責任者はギルド長のミスター・ハビエルだ。彼の承認を受け、書類にサインをもらおう。説得は、あとから何時間でも何年でも何世紀でもかけてやってやればいい」


 そして俺は、眉根を寄せ嫌悪感をあらわにするお嬢様の目に侮蔑を込めた視線を向けてきっぱりと言う。


「美しさだけが取り柄のマスコットに構うのは、お出迎えとお見送りの時だけで十分だ」

「なんですってっ!?」


 そうだ、それでいい。

 お前は俺に視線を向けていろ。


 重要なのはテメェじゃなく、テメェの親父だ。

 もっと言えば、テメェの親父の直筆のサインさえあればそれでいいのだ。


 条件的に、ハビエルが今回の契約を断る理由はない。

 領主直々に紹介された客人を蔑ろにするとも考えにくい。


 ちやほやされて勘違いしちまったお嬢様が何を言ったところで、実務レベルでこの交渉は既に終結されているも同然なのだ。

 ならば、こんな感じの悪いヤツの相手などするだけ無駄だ。


 一つ分かったことは、木こりどもは脳みそまで筋肉で出来てるってことだな。

 こんな女にこぞって夢中になるとか……あり得ねぇだろ。

 顔がいいだけじゃねぇか。

 いや、顔にしたって、エステラの方が数段上を行っている。


 …………おっぱいだけは惨敗だが。


「俺たちも暇ではないんでね。ミスター・ハビエル。お美しいお嬢様のお話は日を改めてじっくりとお聞かせいただくとして、今は仕事の話をしましょう」


 部外者の立ち入る隙をシャットアウトして、俺は話を進める。

 お嬢様は部屋の隅っこで俺のことでも睨んでいればいいのだ。

 綺麗なお顔が屈辱に歪んでゾクゾクするねぇ。

 悪いな、俺もなかなかのドSでね。お前如きに屈伏してやるつもりはねぇんだよ。


「では、ミスター・ハビエル。お話の続きを……」

「お父様っ!」


 エステラが書類を差し出し、話を再開しようとしたところで、邪魔な金切り声が割り込んでくる。


「四十二区などに支部を置けば、我が高貴なる木こりギルドの名が穢れますわ! 美しくもない街に木こりがいること自体が屈辱です! ワタクシは絶対に、絶対に絶対に反対ですわ!」


 何が美しくもない街だ。

 テメェんとこの道路をなんとかしてから言いやがれ。


 わがままお嬢様は無視してさっさと契約を……と、ハビエルに目をやって、俺は絶句した。


「この契約、結ぶわけにはいかんな!」


 ハビエルが、手のひらを返した。


 はぁ!?

 さっきまでにこにこと「悪くない」「木こりギルドにとってもいい話だ」って言ってたじゃねぇか!?


「おい、ミスター・ハビエル!」


 堪らず、俺はハビエルに詰め寄る。

 大人しくしていようと思ったが、こんなバカバカしい空気に当てられちゃ、俺の癇癪も起きまくって盛大にフィーバーしちまうぜ。


「あんた、娘に嫌われたくない一心でそんなこと言ってんじゃないだろうな?」

「オイ、若いの…………」


 何十年もの間、危険な森の中で生き続けてきた荒ぶる男の目が、俺をギロリと睨みつける。

 凄まじい迫力に全身に鳥肌が立つ。

 ……こいつに逆らうのは危険だと、細胞が騒ぎ出す。


「…………その通りだが、何かっ!?」

「『何かっ!?』じゃねぇよ!」


 細胞の警告など聞いてられるか!

 このオッサン、アホだ!

 物凄い親バカのバカ親だ!


「ワシの生きがいはイメルダだ! イメルダに嫌われないためにならどんな意見をも覆す! それがワシのジャスティスじゃいっ!」

「堂々と情けないこと抜かしてんじゃねぇよ!」


 ダメだ!

 このギルド長、公私混同どころか、私的な感情を最優先しやがった!


 そんな育て方してるからここまでわがままなお嬢様になっちまったんだろうが。


「さぁ、美しいワタクシがお見送りして差し上げますので、どうぞお引き取りを!」


 くっそ、さっきの俺の言葉を引用してイヤミを……ホント、ヤな女だ。


「ヤシロ様……」


 思いがけないハビエルの手のひら返しにいまだ動転している俺の耳元で、ナタリアが静かに囁く。


「……私なら、誰にも気付かれずに仕留めることが可能ですが?」

「…………それは、やめとこうな」

「……そうですか」


 怖ぇ……ナタリア、エステラが受けた侮辱を静かに溜め込み続けてたんだ……どっかで爆発しなけりゃいいけど…………


「さぁどうぞ、こちらへ。出口までご案内いたしますわ!」


 くるりと背を向けさっさと部屋を出て行くイメルダ。

 ……このままドアを閉めて、もう一回交渉をやり直すことは出来ないだろうか?


「……すまんな、二人とも」


 イメルダが部屋を出た後で、ハビエルが小声で謝罪を口にする。


「あの通り、一度言い出すと聞く耳を持たん娘でな」

「……あんたの育て方が間違ってたからだろうが」

「だって、可愛いんだもん!」


 ……「だもん」じゃねぇよ、この髭筋肉!

 が、こうして素直に詫びを入れてくるあたり、己の非常識さを自覚してはいるんだな。なら、大人しく契約書にサインすればいいものを……


「交渉は、残念なことになったが、おがくずに関しては融通すると約束しよう。アンブローズからの紹介でもあるしな。それでなんとか、手打ちをしてくれねぇか?」


 木こりギルドの支部は置けないが、おがくずは融通する……落としどころとしてはそれがいいところなのかもしれんが…………それじゃあ俺が困るんだよ!

 木こりギルドが来てくれなければ、街門は作られないだろう。

 そうなったら幹線道路もなくなる。


 そしたら、陽だまり亭はどうなる!?


「……仕方ないですね。無理に推し進めても関係を悪化させるだけですし」


 と、エステラも諦めたようなことを言い始める。

 こいつにしてみれば、四十区の領主アンブローズ・デミリーと下水契約が結べただけで万々歳なのだ。

 門にまで固執しなくてもいいとか思ってやがるに違いない。


 だから、それじゃ困るんだよ! 俺が!


「イメルダ! ちょっと話を聞いてくれ!」


 こうなりゃ、なりふり構っていられねぇ!

 要は、あのわがままお嬢様を納得させればいいんだろ!?

 そうすれば、このバカ親は娘可愛さに木こりギルドの支部をホイホイ寄越すに違いない!


「イメルダ! ちょっと戻ってきてくれ!」


 しかし、呼べど叫べど、イメルダは姿を見せない。

 そんな遠くまで行っているとも思えないのだが………………はっ、まさか。


「世界一美しいイメルダお嬢様! もう一度そのお美しいご尊顔をこの愚民めにお見せください!」

「しょうがないですわね。少しの間だけですわよ?」


 イメルダが優雅な足取りで戻ってきた。

 …………こいつもアホだ。


「それでなんですの、愚かなる愚民よ?」


 幾分か機嫌が戻ったのか、イメルダがにまにまとした笑みを浮かべている。

 こいつ、もしかしなくてもおだてに弱いんだろうな。


 だが、おだてるだけでどうこうなるとは思えない。


 こいつが幼少期から持ち続けている四十二区に対する負のイメージを塗り替えなければ首を縦には振ってくれないだろう。


「一度、四十二区の視察をしてくれないか? 生まれ変わった四十二区をその目で見てもらいたい」

「いやですわ。臭いですもの」

「その臭い元だが……おそらくそれに関しては、今や四十二区は四十区よりも清潔であると断言出来るぜ」

「四十二区が、四十区よりも? ご冗談にもほどがありますわ。あまりに大それた方便ですと、カエルにしてしまいますわよ?」

「あぁ、いいぞ」


 俺の言葉が嘘だと思うなら、『精霊の審判』をかければいい。

 断言してやる。

 こんな道路も整備されていない四十区なんかよりも、下水が完備された四十二区の方が清潔だ!


「…………自信がおありになるんですのね」

「その技術を売り込みに来て、ついさっき領主と契約を結んできたところだからな。ここより進んだ技術である証左にはなると思うぜ」

「…………そう、ですの………………」


 よし、もうひと押しだな。


「お嬢様。四十二区には、あんたにとってとても魅力的な、美しいものがあるんだ」


 それは、俺の自信作だ。

 こいつだけは、このオールブルームの中でナンバーワンだと胸を張って言える。


「そんなものが…………本当にありますの?」


 訝しみつつも、興味深げな視線を向けてくる。

 食いついたな……

 ここから畳みかけて、絶対「うん」と言わせてやる!


「お嬢様、あんたは毎日……どんな感じでトイレしてる?」



 スパーンッ!



 甲高い音がして、俺の頬に激しい痛みが走った。


「ふ、ふ、不埒にもほどがありますわっ!」

「……いや、違うんだ…………別にセクハラするつもりじゃなくてだな…………」


 まったく、せっかちなお嬢様だぜ。


「この街で最も不潔で不衛生なのは、言わずもがな、トイレだ。だが、四十二区には清潔で美しいトイレがあるんだ」

「ワ、ワタクシにトイレ…………お手洗いを見に来いとおっしゃるんですの!? 非礼極まりありませんわっ!」


 なぜだ!?

 水洗トイレだぞ!?

 見たら絶対欲しくなるぞ!?

 美しいもの好きのお嬢様なら、あまりの美しさに頬ずりとかしちゃうかもしれないぞ!?


「お話になりませんわ。誇れるものが……お、お手洗いだけだなんて……これだから四十二区は……」

「待て! 誰がトイレだけだと言った! 他にも色々あるぞ!」


 ポップコーンとかタコスとか…………まぁ、プレゼンするにはちょっと地味ではあるけども。せめて現物があれば交渉のしようもあるのに………………あ、あるじゃん。


「今、この場で、この美しいワタクシに、美しさを納得させられないようでは視察する価値すらありませんわ」

「ならば見せてやろう。四十二区自慢の逸品をな。ナタリア、弁当を用意してくれ!」

「かしこまりました」


 今朝、ジネットにもらった弁当だ。

 どこかで食べようかと思ったのだが、木こりギルドとの交渉を前に満腹になるのを避けるためにいまだに手を付けていなかったのだ。

 人は満腹になると思考が鈍るからな。戦いの前は適度に空腹な方がいいのだ。

 そして、ジネットの弁当は『途中でやめる』なんてことが出来ない仕様なのだ。

 美味くてつい食っちまう。特に、エステラと一緒にいる時はな。……奪い合いになること請け合いだ。


「ご用意出来ました」


 木こりギルドの応接室。その中央のテーブルに、見慣れた陽だまり亭の弁当箱が置かれる。

 興味を示し、イメルダとハビエルが近付いてくる。


「さぁ、とくとご覧あれ……」


 これが、四十二区最強の手料理!

 ジネットの弁当だっ!


「こ、これは…………」

「ほぅ……」


 弁当を覗き込んだイメルダとハビエルが思わず声を漏らす。


 ジネットの弁当は全体的なバランスや色遣いはもちろん、おかずの一つ一つに細かいか飾り切りや心憎い一手間が加えられており、まさに芸術と呼ぶに相応しい出来栄えなのだ。

 俺は、親方仕込みの手先の器用さと、詐欺師稼業で鍛えた技術で、大抵のものなら最高級品を作り上げられる自信がある。だが、然しもの俺も、これには対抗する気すら起こらない。

 ジネットの手料理に勝る料理はこの世界にも、日本にだってありはしない。

 思い出補正で女将さんが対抗馬ってくらいだ。


「なんと……これは美しい」


 ハビエルが感嘆の息を漏らす。

 イメルダは何も言わず、ただジッと輝くような料理の数々に見入っている。

 しかし、その沈黙こそが美しさを肯定していると言える。

 まさに、『言葉もない』というヤツだ。


「どうだ? これが、四十二区が誇る最高級の料理だ」

「ふむ。本当に四十二区は生まれ変わったんだな」


 感心したようにハビエルが頷く。

 そうだ! もっと食いつけ!

 そして、書類にサインを……


「確かに美しいですわ! ですけど……」


 …………『ですけど』?


「こんなもの、時間が経てばあっという間に朽ち果ててしまう、仮初めの美しさに過ぎませんわ」


 ………………

 ………………

 ………………はぁぁぁあああっ!?


「ワタクシは、永久不変の美しさにこそ価値を見出すのです」

「ちょっと待てよ! 咲き誇る満開の花とか、移ろいゆく街の景色とか、不変でなくとも美しいものはいくらでもあるだろうが!」

「花は時が来ればまた美しく咲きます。移ろいゆく風景は形を変えてもまた美しいものです。ですが、これはどうですか?」


 弁当を指さし、イメルダは眉を吊り上げる。


「食べればなくなり、食べなければ朽ち果て見るも無残な有り様になります。ほんのひと時飾り立てて美しいフリをしているだけに過ぎないこのような物を、ワタクシは認めませんわ!」


 …………ダメだ。

 こいつには、きっと何を言っても通じはしないのだろう。


「ですが…………」


 がくりと肩を落とした俺に、イメルダはこんな言葉をかけてきた。


「美しい料理であることは認めますわ。この一時の美しさに免じ、一度だけ、たったの一度だけ、四十二区の視察に赴いて差し上げます。その一度で、ワタクシを説得出来ればよし。でなければ…………永久に木こりギルドは四十二区に出向くことはありません。それでもよろしいかしら?」


 これは、チャンスなのか…………それとも、ムリゲーのオープニングか?

 俺は、霞の向こうで揺らめく蜃気楼を見つめているような、そんな気分になっていた。







 ハビエルの館を出て、俺たちは四十二区へと戻ってきた。

 途中で休憩がてら弁当を食うことになったのだが、俺は一口も口にしなかった。食欲など湧いてこなかった。


 一度……たったの一度…………それであのわがままお嬢様を納得させることが出来なければ、陽だまり亭の立地条件は改善されない。

 物価が正常化され、今後飲食店の競争は激化していくだろう。

 ジネットのことだ、陽だまり亭の移転など納得しないに違いない。

 あの場所で、あの店で、俺たちは他の店とやり合わなければいけないのだ……


 くっそ…………目の前が真っ暗だ。


「もう、すっかり真っ暗だね」


 隣を歩くエステラの声に顔を上げると、本当に目の前が真っ暗だった。

 いつの間にか日が落ちていたらしい。

 木こりギルドに寄ったせいで、帰るのが随分と遅くなってしまった。

 当初は夕方には戻れるはずだったのだがな。


「おや? アレは……」


 四十二区に入り、間もなく中央広場に出るというところでナタリアが何かを見つけたようだ。

 前方を指さし目を凝らしている。

 そちらに視線を向けると…………


「あっ! ヤシロさ~ん!」


 ジネットがいた。

 小さなランタンを片手にぶら下げて、中央広場の前でこちらに手を振っている。


「ジネット。お前どうしたんだよ、こんなところで?」


 そばまで行くと、ジネットが駆け寄ってくる。

 そして、どこか嬉しそうな顔をして俺を見上げてくる。


「その……夕方には戻られるとおっしゃっていたのに、少し遅いなと思いまして……」

「それで、様子を見に来てくれたのか?」

「あ、あの……わたしは、あまり出歩いたことがありませんので、ここまでしか来られませんでしたけれど……」


 知らない場所に一人で行かれるよりずっとマシだ。


「随分と待たせたか?」

「いいえ。さっき着いたところですよ。このランタンが証拠です」


 ランタンを持っているということは、暗くなってから店を出たということだ……という主張らしい。


 あんまりこういう無茶なことはしてほしくはないのだが…………今は礼を言うべきだろう。


「ありがとうな、迎えに来てくれて」

「はい! みなさん、お疲れ様でした。どうでしたか? お話は上手くまとまりましたか?」

「それがね、ジネットちゃん」


 エステラが今日あったことをかいつまんで説明していく。

 話しながら、俺たちは中央広場へと入り、歩き続ける。


「そうですか。木こりギルドさんがそんなことを…………でも、下水が決まってよかったですよね」

「うん。それだけでも一安心だよ」


 ほっこりとした笑みを浮かべるジネットとエステラ。

 ……下水だけじゃダメなんだよ。

 木こりギルドが誘致出来ないと…………陽だまり亭……は……………………


「んぬぁぁぁああっ!?」

「きゃっ!?」

「なっ、ど、どうしたんだい、ヤシロ!?」


 俺は中央広場のど真ん中に佇む不気味な影に向かって全力で駆け寄った。


「あ、また……」


 ジネットも今気が付いたようなので、もしかしたらつい今し方置かれたのかもしれない。


 今朝撤去したばかりだというのに……大急ぎで作ってきやがったのだろうか…………そこには、俺の姿を模した等身大の蝋像が堂々と立っていた。


「これで三体目ですね」

「しょうがない。ナタリア、運ぶのを手伝ってあげて」

「かしこまりました。切り刻んで手分けをいたしましょう」

「……いや、それは…………見栄え的にも…………」


 ナタリアが恐ろしいことを言っているが、そんなことはどうでもいい。

 そう、どうでもいいのだ。



 俺は、この蝋像を見て………………閃いてしまったのだから。



 いける…………

 これは…………いけるぞっ!


「ふ…………ふふふふふ………………ふはははははははっ! いい! いいぞ! これはいい! 最高だ! いける! こいつがあれば、いけるったらいけるぞぉぉぉぉおおおおっ!」

「ヤ、ヤシロさん!?」

「ちょ、どうしたのさ、ヤシロ!?」


 俺の隣でわたわたするジネットとエステラも、うるさい俺を力技で黙らせようとそっとナイフを構えるナタリアも、今はもうどうでもいい! ……あ、いや、ナタリアは止めておこう。


 とにかく、勝機が見えた!

 神はまだ、俺を見放してはいなかった!

 いいとこあんじゃねぇか神よぉ!


「ジネット!」

「はいっ!」

「エステラ!」

「な、なにっ!?」

「ついでにナタリアも!」

「なんでしょう?」


 俺はその場にいる一同を見渡して、見え始めた勝機の尻尾をガッチリ掴むための指示を出す。


「犯人を捕まえる! この蝋像を作り、ここに設置したヤツを、何がなんでも捕まえるんだっ!」



 こうして、俺は謎の彫刻家捕獲作戦を開始したのだ。






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