52話 悩みの種と新たな可能性

「凄いですっ! まるでヤシロさんの生き写しのようですっ!」


 ジネットが大はしゃぎをしている理由は、俺が持ち帰った例のアレが原因だ。


「これは、蝋ですね。ヤシロさん型キャンドルですね」

「そうしたら頭からドロドロ溶けてきて、かなりグロテスクなことになると思うよ、ジネットちゃん……」


 喜ぶジネットとは対照的に、エステラは少し引き気味だ。


「……インテリア」

「それはよいです! お店に飾ればお客さんきっとわんさか来てくれるです!」


 おいこら、マグダにロレッタ。こんなもん店に飾ったら客が逃げちまうわ。

 蝋人形の館じゃないんだから。


「それにしても……ホンット、よく似てるッスね、この蝋像」


 俺が出かけている間に来店していたウーマロがまじまじと眺めて顔をしかめるそれは、中央広場に不法建設されていた俺の等身大蝋像だ。

 最初は木彫りかとも思ったのだが、よくよく見るとその像は蝋で出来ていた。

 少し黄みがかった色合いで、触るとつるつるしている。


「くっそ! 一体誰がこんなもんを作って放置していきやがったんだ!」


 この蝋像。重さはそれなりにあったが特に固定されていることもなく、誰かが無断で勝手に置いたものだと分かる。エステラに聞いたところ、こんな像の設置を許可したことはないらしく、誰かが勝手に作って勝手に設置したことは明白だ。


 もし犯人を見つけたら、二度とこんな頭のおかしな行為が出来ないよう脳みそがとろとろにとろけるまで振り振りシェイクしてやるっ!


「『解放の英雄』ねぇ……歴史に名を残しそうだね、ヤシロ」

「やかましい……っ!」


 この蝋像の最も醜悪なところは、像が乗る土台にでかでかと『解放の英雄』などというクソ恥ずかしい文言が刻まれていることだ。

 ……誰が英雄だ。


「さっき、ポップコーンの補充に戻ってきた妹が『英雄像』だって言ってたです」

「やめろ。英雄像なんかじゃない。蝋人形だ、こんなもんは」


 しかしよく出来ている。

 顔なんかそっくりだ。服のシワや髪の毛の躍動感まで、まるで実物をスキャンして3Dプリンターで出力したような出来栄えだ。

 ……ないよな、3Dプリンター?


「くだらないことに全力を傾けているようだな、この街の芸術家は」

「芸術家?」


 皮肉を込めた俺の言葉に、エステラが小首を傾げる。


「いや、彫刻家かなんかだろ、これだけのものを作れるのは」


 モチーフの件はともかくとして……

 技術面だけで言えば、正直、寂れた温泉街にあるようなしょぼい蝋人形館に「お前らもこれくらいは頑張れよ」と見せてやりたくなるほどのクオリティだ。

 モチーフさえまともなら、大英博物館に飾られていたって納得してしまいそうな程だ。


「もっとまともなものを彫ればいいのによ」

「これを作ったのは彫刻家かもしれないけれど、間違っても芸術家ではないよ」

「ん? なんでだよ?」

「ヤシロ……君は芸術というものを知らないのかい?」


 イラァ……

 なに、こいつのこの人を見下したような面。

 知ってるわ、芸術くらい! 散々、名画や彫刻や陶芸に触れてきたっつうの! それこそ、見分けがつかないくらいそっくりに模倣…………あ、いや。なんでもない。これは忘れてくれ。

 とにかく、俺の芸術品を見極める目は確かだ。

 ゴッホの筆のタッチだって、ミケランジェロのノミ使いだって完全に頭に入っている。精巧な偽物だって見分ける自信がある。


 その俺が言うのだ。

 この蝋像を彫ったヤツは相当な技量を持つ芸術家だと。

 俺といい勝負をする腕前だと認めてやってもいいレベルだ。


「そうッスよヤシロさん。こんなに似てると気持ち悪いッスよ」

「気持ち悪い言うな!」

「いや、モデルがじゃないッスよ!? ……この像は、似過ぎているッス」

「だから凄いんだろうが。写実的で繊細だ。相当なもんだぞこれは」

「ん~……なんて言えばいいッスかねぇ?」


 食堂内に変な空気が広がっていく。

 なんだよ? 俺、そんな変なこと言ってるか?


 ジネットに視線を向けると、ジネットは慌てた様子で両手をぱたぱたと振った。


「あ、あの、わたしは芸術とかよく分かりませんので、説明を求められても困りますよ」


 まぁ、この食堂には絵画の一つもないからな。


「……芸術とは、もっと訳の分からないもの」


 キリッとした表情でマグダが俺を見上げる。

 耳がピーンと立ち、マグダ流のドヤ顔を炸裂させている。……まぁ、半眼で無表情なんだけども。


「まぁ、訳が分かんない芸術とかもあるけどさぁ……」


 キュビスムとかな。

「分からないのが芸術」って意見は分からないではない。

 が、「分かりやすい芸術」もあるだろうが。


「しょうがないな。ヤシロ、これからボクの家に来ないかい? 本物の芸術ってやつを見せてあげるよ」


 エステラから、そんなお誘いの言葉がかけられる。

 なぁにが、「本物の芸術」だ。


「いや、俺は別に……」

「……(下水の件で、少し話したいこともあるし)」


 誘いを断ろうとしたところ、すすっと近寄ってきたエステラが耳元でそんなことを囁いた。

 ……そういう意図があるなら最初からそう言え。


「分かった。芸術に触れておくのも後学のためになるだろう。拝見しに行こうか」

「そう来なくっちゃ」


 エステラは満足そうに微笑んで、出発の準備を始める。

 ジネットに預けておいた外套を受け取り肩に羽織る。


 俺がここに来たのが四月で、雨季関連のドタバタがあったのが五月から六月。

 その時期がちょうど日本の梅雨と被っていたもんで、梅雨が明ければ夏が来るものだとばかり思っていたのだが、この街に夏は来なかった。

 今現在、この街は九月に突入している。だが、気候は春のような陽気だ。少し曇るだけで肌寒く感じる。花見の時期に薄着をしてきてしまった時のような、もう一枚上着が欲しくなるような気候だ。

 この街は、常春のようだ。

 過ごしやすいといえば、まぁ過ごしやすいのだが……それでもやっぱり、ちょっとくらい夏の暑過ぎる日差しを感じたかったぜ。やっぱりメリハリって大切だよな。


 どうやら、日本でいうところの四季的な気候の変化はないらしい。たまに雨季や乾季が訪れたり、一時的に暑かったり寒かったりはするそうだが。

 そのせいだろうか……この街にはイベントが少ない。


 夏だ! 海だ! ――とか。

 秋だ! 焼き芋だ! ――とか。

 クリスマスだ! リア充爆発しろ! ――とか。

 そういう季節ごとの楽しみというものがないのだ。

 それには、然しもの俺も物足りなさを感じている。


 なんか、俺がイベントを企画しようかな?

 イベントの時期はそれに関連する食い物が飛ぶように売れるからな。

 クリスマスのケーキとか、バレンタインのチョコレートとか、ハロウィンのカボチャとかな。


「お待たせ。行こうか」


 短めで、明るい色合いの外套を羽織ったエステラが戻ってくる。

 今日は曇っていて少し肌寒い。

 ……こんな日はコーンスープとかがあれば売れるかもしれないなぁ……


「またお金のことを考えてるのかい?」

「それが俺の生きがいだからな」

「なら、少しボクにも知恵を貸してもらいたいね。……下水工事の費用を捻出して、かなりの財政難なんだよね」

「外食を控えろ」

「それは断る。……前にも言ったと思うけど、ウチで出てくるご飯はあまり美味しくないんだ」

「なら、ジネットを雇ったらどうだ?」

「それは魅力的な提案だね」


 名案だとばかりに目をくりっとさせて俺を見るエステラだったが、すぐに物悲しい笑みを浮かべて首を振る。


「けど、無理だろうね。ジネットちゃんは陽だまり亭を離れたりはしない」

「まぁ、そうだろうな」


 陽だまり亭にこだわり続けているジネット。

 あいつは、これから先もここで食堂を続けるのだろう。それが、あいつの生きる意味なのだから。


「じゃあ、ちょっと行ってくる」

「はい。お気を付けて」


 クロークを整理していたジネットがこちらに駆けてきて見送りをしてくれる。

 マグダとロレッタ、あとウーマロはいまだに俺の蝋像を眺めてあれやこれやと話している。

 ……ってこら、ウーマロ。俺の頭を叩いてんじゃねぇよ。あまりに似過ぎてるからちょっとイラッてしちまうぞ、それ。


 あの蝋像は溶かしてロウソクにでもしてしまおう。

 あれだけあればしばらく明かりに困ることもないだろう。


 最悪な現状をポジティブに活用することにして、俺はエステラの家――領主の館へと向かった。







 壁に掛けられた巨大な絵画には、落ちていたモヤシを拾い食いして腹を壊してしまったもがき苦しむブナシメジのようなものが描かれていた。


「……なんだこれは?」

「『佇む女神の像』というタイトルの絵だよ」

「この世界の女神はモヤシを拾い食いするシメジなのか?」

「あまり失礼なことを言うと、ホントいつか天罰が下るよ?」


 なら、女神をこんな奇妙な姿で表現したこの作家がとうの昔に天罰を喰らっているべきだろうが。

 街角の似顔絵師に、悪意満載のデフォルメをされるよりもまだ酷い。金を返せと言いたくなるレベルだ。


 抽象画ともキュビスムとも違う。

 こいつに名前を付けるのであれば『感性派』とでも呼ぶべきだろう。感性の赴くままに勢いで描き上げたような作品だ。勢いだけは感じるが……なんというか、荒い。子供の落書きに近い自由さがある。


「まったく理解出来ん」

「まぁ、ヤシロには難しいかもしれないけれど、これが芸術だよ」


 その物を写実的にではなく、印象的に受け取り、感性に任せて吐き出した。そんな感じだ。

 もし、こういうのが芸術として一般にまで浸透しているのであれば、以前、ウサギさんリンゴを作った際に、それを食べようとしたことに物凄い反発を喰らったのもなんとなく頷ける気がする。

 アレはウサギという生き物をイメージして生み出された抽象的な造形だからな。こいつらにはウサギそっくりなものよりも、あぁいうデフォルメされたものの方が感性にビンビン来るのだろう。


 ……すげぇリアルなウサギさんリンゴを作ったらこいつらはどうするだろうか…………?


「あ、ウサギですね。凄いです、そっくりです。では、いただきます」頭からパクー! シャーリシャリシャリシャリ!


 ……なんてな。

 ジネットが本物そっくりのウサギリンゴを頭から丸齧りしている映像が浮かんでしまった。

 ないな。そんな光景、シュール過ぎる。


 ま、これが至高と捉えられているのであれば、あの写実的な蝋像は歯牙にもかけられないだろうな。方向性が真逆だ。


「さて、芸術鑑賞はこれくらいにして、本題に移ろうか」


 俺は現在、領主の館の応接室にいる。

 以前通された少し小さめの部屋だ。これよりももっと大きな応接室があるらしいのだが、「君を、あまり目立ったところに連れて行きたくないんだよ……その…………色々と、問題があるから」と、エステラが言っていた。

 ……俺は、領主の館をうろつくと問題になるような男なのか?


 まぁ、狭い部屋の方が落ち着くからいいけどな。


 ナタリアがお茶を入れてくれて、俺とエステラは話し合いを始める。

 差し向かいで二人きり。なんの密談だ?


「実は、おがくずが足りなくなりそうなんだ」

「おがくず? 下水のろ過の話か?」

「そうだよ。今はトルベック工務店から譲り受けているんだけど、それもずっとというわけにはいかないんだ」


 雨季以降、四十二区ではトルベック工務店の支部や、ハムっ子たちの新居など、建設ラッシュが続いている。それに伴い、大量のおがくずが発生している。

 そいつを融通してもらっているのだが、それも無限ではない。そろそろ建築ラッシュも一段落しそうだしな。

 おがくずを別のルートで手に入れる必要が出てくるだろう。


「森があるだろう、陽だまり亭の裏とか、ヤップロックの近所とか、スラム……あっと、今はニュータウンって呼んでんだっけ? そこの周りとか」


 ロレッタたちが住んでいる、かつて『スラム』と呼ばれた地区は、トルベック工務店の支部を迎え入れたことで大きく発展し、集合住宅が立ち並ぶ近未来的な(もっとも、その「近未来的な」には「この街では」という枕詞がつくが)新しい街『ニュータウン』へと生まれ変わっていた。

 もうあそこを『スラム』と呼ぶ者はいない。


 そのニュータウンの周りには、森が広がっている。木ならばたくさん生えているのだ。


「素人が勝手に原生林を伐採するのはいただけないな。環境破壊に繋がるしね」


 まぁ、素人が手当たり次第木を伐り始めれば、あっという間に森はなくなってしまうだろう。

 森で木の実を集めている連中もいることだし……自然破壊はよくないな。


「じゃあ、外に取りに行こうぜ」


 たしか、四十二区の外壁の向こう側は深い森になっていたはずだ。

 そこなら、多少木を伐ったところでビクともしないだろう。


「木を街に持ち込むのには法外な税金がかけられるんだよ。下水処理を賄えるほど大量に持ち込むとなれば、ウチは破産するよ」

「そんなにか?」

「四十区以外の門ではかなり重い税がかけられるね」

「四十区『以外』?」


 海に近いから三十五区の街門では魚に重税がかかる。と、いうのであれば分かる。領主の利益になるからだ。税金をかけたところで、輸送費や人件費を考えればそこを使う方が得になるから他の門に利用者を奪われる心配もない。

 だが、四十区『以外』が高いとなれば、全員が四十区から持ち込むことになるだけなんじゃないのか?

 四十区の領主はウハウハだろうが、他の区の領主がそうする意味が分からん。税金が取れなければ領主の収入は減るのだ。多少値下げしてでも税金を徴収した方が得策だと思うんだが……


「四十区は木こりギルドの本拠地だからね」

「木こりギルド?」


 初めて聞く名だ。

 まぁ、薪が生活に欠かせないこの街において、木こりは必要不可欠な職業だろう。木造の家も多いしな。


「木こりギルドは街の外の木に対する大きな権限を持っているんだ。さすがに『許可なく木を伐るな!』とまでは言ってこないけどね。不測の事態もあるから」


 森での活動において、必要に迫られて伐採することはあるだろう。

 それにいちいち許可が必要だというのなら、森での活動など出来ない。最悪、命に関わるような出来事だってあるのだから。臨機応変に対応出来なくなるような決まりは作るべきではない。


「ただし、樹木の大量伐採に関して木こりギルドはそれを糾弾する権利を与えられている。これは、自然環境保護の観点から、かなり強い強制力を持つ権限なんだ」


 どこかの領主が薪代をケチるために外壁の外の木を大量に伐採し領内へ持ち込んだりした場合、木こりギルドがその領主を糾弾し、以降相当きつい制裁を加えることが出来るのだそうだ。……それってかなりな特権じゃないか?


「木の独占じゃねぇか」

「まぁね。でも、彼らはプライドの高い職人たちだからね、職権乱用に走る心配はあまりされていない。ただ……」

「ただ?」

「さっきも言った通り、木こりギルドが拠点を構える四十区以外の入門税が高過ぎるんだよ。それにも一応、環境保護という理由はつけられているけど……正直、不満も出ている」

「まぁ、権力を使って利益を独占してると思われても仕方ねぇわな」


 エステラが補足したところによれば、木こり以外の者がいたずらに木を伐採しないように制限するための措置なのだそうだ。森のバランスはマクロな視点で捉える必要があり、一部でも滅茶苦茶にされると生態系が狂ってしまうのだとか。

 住処を壊された獣が他の場所へ移動し、元からそこにいた獣を追いやってしまう……みたいな悪影響を考えてのことだろう。


「ただ、木こりギルドの人間がいればどの門を通っても税金は限りなく安くなる。その区の領主も木こりギルドとは懇意にしておきたいからね」

「夜、寒いもんな」

「木がなければ料理も出来ないし、家も建てられないからね」


 木こり最強説が浮上してきたな。


「んじゃ、木こりを呼んで木を伐ってもらうしかないってわけか」

「そうしたいんだけど……」


 エステラの表情が冴えない。

 そんなものはとうに検討したと言わんばかりの諦め顔だ。


「高いのか?」

「技術職だからね。それに、彼らの多くは木こりギルドに義理立てして、四十区の街門以外は使わないんだ。そうなると輸送費もかかる」

「なんだよ、義理立てって……」

「四十区の領主が木こりギルドのおかげで潤えば、領主は木こりギルドを優遇するだろう?」


 そのために、ギルド構成員は四十区の街門だけを使ってるってのか?

 オタサーの姫が「あたしぃ、春のパンのお祭りの点数集めてるのぉ~」と言ったら、サークルメンバーがこぞって点数シールを献上しに来るような構図か?

 なんだ、そのご機嫌取り……


「それに、自分の腕前や成果を見せつけたいとも思っているようだよ」

「ギルドの偉いさんにか?」

「偉いさん……と言えばそうだけど」

「違うのか?」

「ギルド長にはとても美しい一人娘がいてね。確か今年で十八歳だったかな」


 それで、猛アピールしてるってのか、その『花婿候補(自称)』どもは。

 ……まんまオタサーの姫状態じゃねぇか。


「彼女は美しいものが好きみたいでね……そのせいか、ここ最近市場に出回る木材は傷も少なく反りもほとんどない美しいものばかりらしいよ」

「丸太の美しさで求婚してんのか? どうかしてんだろ」

「もちろん、それだけで決まりはしないだろうけどね」


「まぁ、綺麗な丸太っ! 結婚してっ!」って。……そんな女がいたらこっちから願い下げだけどな。


「けどよ、全員が全員そんなヤツばっかじゃないんだろ?」

「もちろん、効率優先で他の門から入る木こりもいるよ。主に、妻子持ちや昔気質の職人さんなんかがね」


 つまり、若い連中は木こりの国のお姫様に夢中ってわけか。


「んじゃ、ジジイをメインに仕事を依頼してみるか」

「けど、四十区に比べて高い税金と輸送費は相当痛手だよ。老齢のベテラン木こりを雇うのもお金がかかりそうだし……」

「外で加工するのはどうだ? 森で木を伐って、その場でおがくずにしちまうんだ。丸太を持ち込むより税金は軽くならないか?」

「外でおがくずに…………いや、無理だ」

「なんでだよ?」

「あんな魔獣が跋扈する森の中で、誰がおがくずなんかを作るのさ。丸太を切り刻むのだって相当時間がかかるはずだよ」

「狩猟ギルドの連中でも護衛に付けて……」

「余計に高くつくよ」

「…………だな」


 実に面倒くさい話になってきた。

 この街に住む以上、入門税と輸送費はどんなものにも絡んでくる。

 それが物の値段の半分くらいを占めていると言っても過言ではない。


 どうにかして入門税と輸送費を節約出来ないものか………………あっ、そうか。


「あるじゃねぇか。簡単な解決方法が」

「えっ!? な、なんだい!?」


 ググッと身を乗り出してくるエステラ。目がキラキラしている。相当頭を悩ませていたのだろう。ま、でなきゃ俺に相談なんかしないよな。

 ならば、そんな悩めるエステラに天啓を授けてやろう。


「四十二区に街門を作ればいいんだよ」

「…………はい?」


 入門税と輸送費を節約するにはどうすればいいか。ここに街門を作ってしまえば一発解決だ。

 入門税は領主の権限で決められるし、四十二区の門を使えば輸送費もいらない。

 これで一気に解決じゃねぇか。


「無理だよ」


 返事は割と早く、それでいてきっぱりと返ってきた。


「街門を作るのにいくらかかると思ってるんだい? それに、門を作ればそれで終わりじゃないんだよ? 維持費もあるし、警備に人員も割かなきゃいけない。万が一にも、街に魔獣が侵入でもすれば、どれほどの賠償を払わされることか……四十二区は消滅しちゃうよ!?」

「そこはほら、お前……頑張ってお金を稼いで……」

「どうやって稼ぐのさ!?」


 バンッ! と、テーブルを強く叩き、エステラが身を乗り出してくる。

 上半身をググッと俺に近付け、怒り顔で急接近してくる。

 後方に体を逃がすも、ソファの背もたれに阻まれてこれ以上後ろには下がれない。

 上半身を可能な限り反らすも、それも限界で…………間もなく唇が触れそうなほど距離が縮まる。


「こほん」


 わざとらしい咳払いが耳に入ると、エステラがハッとした表情を見せる。

 少しだけ冷静さを取り戻し、現在の状況を顧みて、一瞬で顔面を沸騰させる。


「ふゎあああっ! ご、ごごご、ごめんっ!」


 真っ赤な伊勢海老が真っ青になるような速度で、エステラが後方バックジャンプを決めソファに深く深く身を沈める。

 膝を抱えそのままコロンと横倒しになり、俺の視線から逃れるように体を背もたれの方向へと回転させる。


「…………ちょっと、取り乱しちゃって…………今の、忘れて……お願い…………」


 忘れてと言われても…………


 入り口付近に視線を向けると、危機一髪の状況を打破してくれたナタリアが涼しい顔をして立っていた。

 なんにせよ、グッジョブだったぞ、ナタリア!


 そういう思いを込めて親指を立ててナタリアに突き出すと、…………懐から取り出したナイフを向けられた。鋭い刃が不気味にきらりと輝く。

 ……なぁ、俺、悪くないだろ?


「とにかくお金がないから街門は無理だよ」


 ソファに丸まり、顔を埋めたままでエステラがくぐもった声を向けてくる。

 ちゃんとこっち向けや。

 話し合いの状況じゃねぇぞ、これ。


「何か他の手を考えて」


 わ~ぉ、丸投げだ。


「街門を作って木材に対する税金を限りなく安く設定する。そいつをエサに木こりギルドから木こりを派遣してもらう」

「だからぁ、それは……」


 顔を上げたエステラに、はっきりと言ってやる。


「それ以外に、四十二区で下水を維持する方法はない」

「………………」


 寝起きのネコのような格好ながらも、エステラは真剣な表情を見せる。

 ………………スフィンクスか、お前は。


「…………じゃあ、もう無理だぁ……」


 エステラが溶けた。

 ふにゃ~とソファの上でだらしなく脱力していく。


 お前は自分が領主の代理であることと、うら若き乙女であることを失念していないか?


「要は、金があればいいんだろ?」

「あればいいけどね……ないんだよ、もう……どこにも」

「ないなら作るまでだ」

「まさか……領民に重税をかけて巻き上げろとか言わないよね?」

「それが出来りゃ手っ取り早いんだけどなぁ」

「却下」


 だと思った。

 が、まさか即決とはな。……いい領主様だこと。


「幸いにして、俺は素晴らしく有益な情報を手に入れたところだ。こいつは金になる。俺の嗅覚がそう言っている」

「……情報?」


 上体を起こし、エステラが真剣な眼差しを向けてくる。

 おいおい、お前が言ったことだぞ?


「四十区には木こりギルドがあり、領主に対してかなりの発言力を持っているそうじゃないか」

「別に圧力をかけるような関係性ではないよ。四十区の領主は話の分かる人だけど、決して弱腰ではないんだ。物分かりは凄くいいけど。そうすることが有益だと思えば、結構なチャレンジも臆することなくやってしまうような人だよ」

「知り合いなのか?」

「父の友人なんだ」

「おっぱい友達か……」

「『乳』じゃなくて『父』だよ!」


 ふむ、それは好都合だ。

 知り合いなら話を通しやすくなるだろう。


「その領主は、物分かりがよくて先見の明があるわけだな?」

「そうなんだろうね。木こりギルドがあそこまで成長出来たのは四十区の領主とタッグを組んでいたからだよ。トルベック工務店も、かなり好きに活動しているだろう?」


 そうか。トルベック工務店は四十区に拠点を構えているってウーマロが言ってたっけな。

 確かに、随分と自由に仕事をしている印象がある。そのおかげでトルベック工務店の名があちらこちらに轟いているわけだ。


「ならばもう、勝ったも同然だ」

「何をする気なのさ?」

「木こりギルドが最も大切にしているものはなんだと思う?」

「え………………自然環境、かな?」

「いや、娘だろう、たぶん」


 構成員の多くが熱を上げているあたり、本当に美しい娘なのだろう。

 父親なら、そんな一人娘を大切にしないわけがない。


「その娘を取り込む」

「どうやって…………まさか、君も花婿候補に!?」

「誰が立候補するか、そんなもん!」

「……よかった」


 そんなことをする必要はない。

 ほら、思い出してみろよ、エステラ。その一人娘のお嬢様に関して、お前が自分で言っていた言葉を。


「そのお嬢様は、『美しい』ものが好きなんだよな?」

「そう聞いているけど」

「なら、四十区を『美しく』してやろうぜ」

「四十区を『美しく』………………あっ、そういうことか!」


 エステラは気が付いたようで、表情に明るさが戻ってきた。


「下水を売り込むのに、もってこいだと思わないか?」

「……確かに。下水があれば街は綺麗になるし、何よりも悪臭がなくなる」

「おまけに、木こりギルドや領主ほどの金持ちの家にだったら、アレが作れるぜ?」

「……………………あっ、水洗トイレっ!」


 この街の中で、今、最も美しいもの。それは、陽だまり亭に設置された水洗トイレに他ならない。


 きっと、どこの区でも、どんな金持ちでも、トイレをする時に侘しい気持ちになっているはずなのだ。あんな……穴に板を被せているだけの物を使っているのならな。


「確かに……ウチにも欲しいもんなぁ、水洗トイレ。室内に設置出来るなんて夢のようだよ……」

「おまけに、従来の便所よりも格段に清潔だ」

「……これは………………ひょっとしたら……」

「莫大な利益を生むかもしれねぇぜ?」


 エステラの表情に活力が戻ってくる。

 口角がぴくぴくしている。

 それはそうだろう。下水工事の権利はすべて領主にあるのだ。受注出来れば大儲けだ。

 そして、他区に下水が広がっていけば、需要はどんどん増していくだろう。


「……木こりギルドが気に入ってくれれば、力強い後押しになるね」

「まぁ、そこは交渉材料の一つ程度に留めておいて、まずは領主に話を聞いてもらうところからだな。先見の明があるなら、下水の有用性に気が付くはずだ」

「ナタリア! すぐ父上に紹介状を書いてもらって! 四十区の領主に重要な商談を持ちかけたいって!」

「はい。かしこまりました」


 ナタリアが部屋を出て行き、エステラがソファの上に立ち上がる。……行儀悪いぞ。


「よし! 四十区に殴り込みだ!」


 戦争するんじゃないんだぞ。


「ヤシロも来てくれるよね!?」


 期待を込めた瞳を向けられる。

 まぁ、細かい説明は俺がいた方がいいだろう。


「もちろんだ。俺が絶対受注をもぎ取ってやる」


 そして、四十二区に街門を作るのだ。

 絶対に、失敗は許されない。

 なぜなら……



 この街門は、俺にとって、とても重要なものになるのだから。






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