挿話3 深夜の物音
その日の朝、大きな音を立てて……我が家の床が抜け落ちたです。
「あぁ…………アンビリーバボー……です」
「ロレッタ姉ちゃん、穴あいちゃったよー」
「床なくなっちゃったよ、ロレッタお姉ちゃんー」
幼い弟妹たちがすでに分かりきった事実を口にしながら、わらわらとあたしの周りに集まってきたです。
老朽化に大雨でのダメージ。
それに加え連日繰り返される両親の激しい……いや、これはいいです。忘れてくださいです。
とにかく、それらの蓄積されたダメージが、ここに来て一気に牙を剥き……我が家の床がごっそりと抜け落ちてしまいましたです。
壁や屋根や柱の補強は、ウーマロさんたちがパパパッとやってくれていたですが……新築の集合住宅が一段落し次第すぐに建て替えるつもりとのことで、そこまで頑丈には修繕されていなかったです。
弟妹たちは、工務店や農家など、働き口の方で住まいを提供してもらい、多くが実家を出て行ったです。ですが、幼い弟妹と両親、そしてあたしは実家暮らしだったです。
…………どうしよう…………です。
「では、しばらくウチに泊まるといいですよ」
出勤後、今朝のことを店長さんに相談したら、そんな嬉しいことを言ってくれたです。
しかも、幼い弟妹たちは教会で預かってくれるよう話をつけてくださいました。
これで安心です。
……え、両親?
あの人たちは大丈夫です。きっとどこでも眠れますし……というか、どうせ寝ないで今晩も……いや、これも忘れてくださいです。
そんなわけで、今日からあたしは陽だまり亭にお泊まりです。
陽だまり亭の二階に、一室だけ空き部屋があり、そこを使わせてもらうことになったです。
三つ並んだ部屋の、一番北側がお兄ちゃんの部屋で、その隣がマグダっちょ。あたしはその隣の、一番南側の部屋を借りるです。
「何もない部屋ですけど、我慢してくださいね」
「とんでもないです、店長さん! ベッドがあるだけで幸せです!」
あたしの家では、何もないのに誰かいるのが当たり前ですから、ベッドがあって誰もいないこの部屋は楽園のようです。しかも、以前独り暮らしをしていた部屋のように隙間風が吹き込んでくることも、なんだか分からない巨大な野生動物が紛れ込んでくることもないです。
この部屋、素晴らしいです!
「……あぁ………………ワラのいい香り……」
こんな贅沢をして……あたし、明日死ぬかもですね……でも、悔いはないです。ベッドふかふかぁ~…………あたしもう、ここの家の子になるですっ!
「むふぅ…………興奮して眠れないです…………」
そんな感じで、ふかふかのベッドの感触を楽しむこと数時間。
夜も更けて、世界が静寂に包まれた頃……微かな物音を聞いたです。
みなさんと別れて自室に入って、もう三時間ほど経っているでしょうか……みなさんとうに眠っているはずですが…………廊下から、何か音が聞こえるです。
……泥棒?
だとすれば大変です。ここは、居候のあたしが、陽だまり亭の貴重品を死守しなければですっ!
…………なんですが、やはり少し怖いので…………そろ~っとドアを開けるです。
気付かれないように…………そっと…………そ~~っと……………………
「――っ!?」
思わず悲鳴を上げそうになったです。こらえた自分、マジすげぇです!
「……な、何してるですか…………『二人で』……」
廊下には、お兄ちゃんとマグダっちょがいたです。
マグダっちょの部屋の前で、二人で何やら話しているです。
マグダっちょは、ちょうどあたしに背を向ける格好で、顔は見えないですが、お兄ちゃんの方は月明かりでぼんやりと見えるです。あたしは夜目が利くのでそれだけでばっちりです。
「……お兄ちゃん、凄く優しい顔してるです…………」
誰かに聞かれないためか、お兄ちゃんはマグダっちょに囁くように話しかけているです。
あぁっ!? 頭撫でたです! 耳、もふもふし始めたですっ!
膝をついて、マグダっちょの目線に合わせ、顔を覗き込むような格好でお兄ちゃんがマグダっちょの耳をもふり続けているです。
こ、これは……ひょっとして…………あたし、見てはいけないものを見ているです!?
数分間の会話の後、マグダっちょがこくりと頷くと……お兄ちゃんはとても嬉しそうな顔をして笑ったです。
……なんです? 何を了承してもらったんですか、お兄ちゃん?
ダ、ダメですよ……マグダっちょはまだ子供……そんな娘をこんな夜中に…………あぁぁぁああっ!? お兄ちゃんがマグダっちょの肩に腕を回して、二人でどこかに行こうとしてるです!?
お兄ちゃんの部屋に連れ込むです!?
ウチの両親的な激しいことしちゃうですか!?
いやーーーっと、ちょっと待つです! 部屋を通り過ぎたですっ!
外っ!? 外ですかっ!?
それはいくらなんでも…………っ!?
「あ…………行ってしまったです……」
お兄ちゃんとマグダっちょは、二人連れ立って階段を降りていってしまったです。
…………ど、どどど、どうすべきですか?
「そういうのはダメです」と割って入るべきですか?
けど、タイミング悪く踏み込んだりしたら……………………無理ですっ!
あたしにはお手上げです!
あたしはベッドに潜り込み、何も見なかったことにして、無理矢理眠りに就いたです。
「……と、いうことがあったです」
「よし、ヤシロ。そこに正座して」
「ちょっと待て、こら!」
翌朝。教会への寄付が終わり陽だまり亭へ戻ったタイミングで、あたしはすべてを打ち明けたです。
お兄ちゃんの謎の行動、その一部始終を。
「君は……よりによって、マグダに…………」
「そうです! 同じぺったんこでも、エステラさんの方ならまだ許容出来るですのに!」
「……ロレッタ、さりげなく、刺さってるからね」
なんだか、エステラさんが急にしょんぼりしてしまったです。……はて?
「誤解だ、バカモノ!」
「お兄ちゃん、往生際が悪いです!」
「……そう、誤解」
「そうなんですか、マグダっちょ?」
「おい、ロレッタ……あとで覚えてろよ」
被疑者ではなく、被害者の意見ならば聞く価値があるです。
「……夜、トイレに行くのは…………怖い」
「あ…………そう、だったんですか」
その一言ですべて合点がいったです。
お兄ちゃんは、夜トイレに行けないマグダっちょに起こされて……怖がるマグダっちょを慰めるためにあんな優しい顔を…………納得です。
「もう、……お兄ちゃん、ややこしいですから、犯罪者顔するのはやめてほしいです」
「した覚えねぇわ!」
「でも意外ですね。夜中のトイレが怖いだなんて……」
「別に意外でもなんでもねぇだろ」
「だって、そうは見えないですもん」
「バカヤロウ! 俺は昔からお化けが苦手なんだよ!」
「お兄ちゃんが怖いんですかっ!?」
「……マグダ、付き添い。もう慣れた」
「なんでお兄ちゃんがマグダっちょに付いていってもらってるですか!?」
「バッカ、お前! この店で一番頼れるのはマグダなんだぞ!? お化けにも動じない、獣が来ても返り討ち、どれだけ心強いか!」
堂々と胸を張り、堂々と情けないことを言うお兄ちゃん。
……お化けが怖いって…………ウチの最年少の弟妹でもそんなこと言わないです。
「ちょっとカッコ悪いです……」
「カッチーン! よぉし、上等だ。お前らそこに座れ! ……俺が、俺の国に伝わる怖い話を聞かせてやろう…………今晩、トイレに行けなくなっても知らねぇからな?」
「そんな、お化けだなんて……いないですよ、そんなものは」
「まったく、ヤシロは……どうしてそういう子供じみたことを」
「あ、あの……わたしは、怖いのは苦手ですので……し、仕込みをしてきます! みなさんだけでどうぞ!」
店長さんが厨房へと逃げ、残された者たちだけでお兄ちゃんの話を聞くことになったです。
と言っても……どうせたかが知れていると思うですけど………………
シャレにならなかったです!
なんですか『事故物件』って!?
怖いですっ!
ちょっとだけ開いたドアの隙間とか、窓の隅っことか、超怖いですっ!
「むぁぁぁああっ! 怖くて眠れないですぅ~…………!」
その日の深夜、あたしはベッドで布団に包まり、まるで来る気配がない眠気をひたすら待ち続けていたです。
羊が一匹羊が二匹……あぁ、眠れないです…………
と、その時…………
ギィ……
という音が聞こえたです。
「――っ!?」
だ、誰かが廊下の向こうにいるです…………
こ、ここ、怖いです。寝るです! むぁああ、寝れないですっ!
「しょ、正体が分からないから怖いんですっ!」
あたしは腹を決め、思い切ってドアを開けたです。
「誰です、そこにいるのは!?」
「……マグダ」
「ほえ?」
飛び出したあたしが目にしたのは、いつもの無表情で廊下に立つマグダっちょと…………
「……ヤバいヤバい。ちょっとだけ開いたドアの隙間とか、窓の隅っことか、超怖ぇ……事故物件とかあり得ねぇ……」
マグダっちょにしがみついてガタガタ震えるお兄ちゃんだったです。
「……自分の話を思い出して、怖くなったもよう」
「お兄ちゃん………………残念です」
やっぱり、ほんのちょっとカッコ悪いかも……と思った、そんなある日の夜だったです。
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