挿話2 節約お嬢様

 少し、マズい状況になっている。


「エステラお嬢様。どちらにおいでですか?」

「ここだよ、ナタリア」

「あぁ、そちらでし……っ」


 ガタン! ――と、重いものにぶつかった音がする。


「……ナタリア、大丈夫?」

「……………………平気です。私にスネなどありません…………っ」


 物凄いやせ我慢だ。

 おそらく、テーブルにスネでもぶつけたのだろう。

 この暗闇の中ではそれも致し方ない。


 ここは、領主の館の、ボクの私室。

 広さはそれなりにあるのだが、如何せん物が多い。日頃から整理しろとナタリアに口やかましく言われていたのだけど……言う通りにしておけばよかった。

 少し乱雑な方が仕事が捗るので、私室の中はナタリアにも触らせていない。ここだけは、ボクの完全なるプライベートエリアなのだ。


 ……で、それが裏目に出てしまったわけだ。


「私はまったくもって平気なのですが……近いうちにお嬢様の私室から大量の物がなくなるかと思います」

「悪かったって! 今度からちゃんと片付けるから捨てるのだけは勘弁してよ」


 ナタリアは本気だ。……相当痛かったんだな、スネ。


 さて、どうしてこんなことになっているのかというと……今が夜だからだ。

 そしてもう少し付け加えるのであれば…………今、我が家には明かりが灯っていないから、いや、灯せない状態だからだ。



 今、我が家にはお金がない。



「売りましょう。この部屋にあるものはみんな売ってしまいましょう」

「待って、ナタリア! 大切なものとかいっぱいあるから!」

「お嬢様の収集癖には少々困っていたところです。値の付くものは売ってしまいましょう!」

「ダメだよ! プレミアのついているレアナイフとかあるんだから!」


 異国の行商人と交渉を重ねなんとか手に入れたナイフや、他国の民芸品など、ボクはそういうのが好きでよく買い集めている。それを売るだなんて……


「それが、『彼』のためになるとすれば、どうですか?」

「う…………っ」


 そう。こんなにもお金がないのは、ヤシロが原因だ。

 いや、ヤシロのせいというわけではない。むしろ、ヤシロには感謝しているくらいだし……


 ヤシロが推し進めた四十二区の活性化プロジェクトの費用は、区の責任者である領主が一手に負うことになっていた。

 正直、そこまで財政にゆとりがあるわけでもない我が家には、少々重過ぎる額だ。


 けど……


 大通りでヤシロが見せた大立ち回り。

 それに感化された領民たちのあの歓声、笑顔、エネルギー……アレを見せられては何も言えない。

 アレこそが、ボクが長年求めていた表情なのだから。

 ヤシロのおかげで四十二区は生まれ変わる。

 そのためには、お金がかかる。


 だから、ボクたちがこうして、少しでも節約をして……


「おや、このナイフはいい値が付きそうですね」

「それはダメェー! それだけはぁ! 他のものなら何をどうしてもいいからぁ!」


 ……貧乏って、つらい。





 夜が明けて太陽が昇るとともに、ボクたちは目を覚まし仕事を開始する。

 夜間に明かりがないため、陽のあるうちに仕事を処理させなければいけないのだ。

 早く寝て、太陽が昇っているうちは働き続ける。

 ここ最近、ボクはずっとそんな生活を続けている。


 ……だから、教会でジネットちゃんの朝ご飯も食べていない。…………食べたいなぁ、ジネットちゃんのご飯。


「お嬢様。朝食でございます」


 ナタリアがボクのもとにお皿を持ってやって来る。

 仕事が最優先なので、食堂ではなく自室で食事をとる。これがなかなか侘しい。

 大きな皿には銀製のクロッシュが被せてある。あのドーム状の蓋の下に、いつものメニューが並んでいるのだろう。

 カスカスのパンに、塩味の濃いチーズ。ハムは……確か一昨日なくなったはずだから、パンとチーズだけに違いない。

 なんとも期待出来ない朝食にため息が零れる。

 領主と言ってもこの程度なのだ。


「なんか、食べたくないなぁ……」

「いけません。健康は資本です。嫌でも食べてください」

「……分かったよ」


 説得に負け、ボクは朝食をとることにする。

 見飽きた、いつものパンを……………………あれ?


 皿の上には、土のついた、見覚えのない草が載っていた。他には何もない。


「……これ、何?」

「何かの草です」

「……ご飯は?」

「これです」


 ………………おぉ、ゴッド……


「これって、食べられるんだよね?」

「…………」


 無言っ!?


「ど、どうやって食べればいいのかな?」

「頑張って食べてください」


 食べ方を聞いたら精神論が返ってきた!?


「お嬢様……この世に食べられないものなどないのですよ?」

「あるよ!? 割とたくさん!」


 この謎の草なんかは特に怪しい部類に属していると言える。……あぁ、草臭い!


「もう無理だぁ! ボクはもう貴族なんかやめてやる! 領主なんかやめて陽だまり亭の従業員になって慎ましく生きてやるー!」

「駄々をこねないでください、子供みたいに」

「だってぇ!」


 反論しかけたボクの前に、一つの包みが差し出された。

 立方体のそれは、陽だまり亭で使用されているお弁当箱だ。


「……これは?」

「そろそろお嬢様も限界かと思いまして……勝手ながら『彼』に相談を持ちかけました」

「ヤシロに……?」

「はい。そうしたところ、早朝に取りに来るのであれば朝食を提供すると」

「嘘だ!? ヤシロがそんなことを言うはずがない! きっと何か裏が……」

「では、こちらは返品してまいります。食べなければ契約は不成立ということになっておりますので」


 言うなり、ナタリアはそそくさと部屋を出て行こうとする。

 ボクの机に謎の草を残したままで。


「待って! 分かった! ボクが悪かったから、お弁当を食べさせて!」


 もう限界だった。

 今あのお弁当を食べ損なったら、ボクは人間として大切な何かを失ってしまう。そんな気がしていた。


「そうですか」

「……で、契約ってことは、この後ボクは何かをやらされるのかな?」

「いいえ。私の私物で、『彼』が興味を示したものがありましたので、それと交換することにしました」

「ナタリアの私物と!? ……いいのかい?」

「確かに、とても大切なものでしたが……お嬢様の健康には代えられません」

「ナタリア………………」


 ボクは思わず泣きそうになりつつも、一つの懸念を抱いていた。


「…………パンツじゃないよね?」

「発想が卑猥ですよ、お嬢様」


 いや、ヤシロだから……


「ですので、お嬢様はお気になさらず、朝食をおとりください」

「……ありがとう、ナタリア。じゃあ、お言葉に甘えて、いただくとするよ」


 お弁当箱の蓋を開けると、ジネットちゃんの手料理の香りがした。

 あぁ……やっぱりいいなぁ。

 一口食べると、これまでの疲れや苦労が吹き飛んでいった。

 これでまた、ボクは頑張れる。


「ところで、そのヤシロにあげてしまった物って一体なんだったんだい?」


 もし、代わりの物が手に入るならプレゼントしたいと思った。


「ノートです」

「ノート?」

「はい。お嬢様の可愛らしい寝言を密かに書き綴っていた、私の宝物。『エステラお嬢様の赤裸々寝言集~甘えん坊発言編~』です」

「ちょぉおおおっと!? 何それ!? そんなの書いてたの!?」

「えぇ」

「『えぇ』じゃないよ!?」

「手放すのは惜しかったのですが、『彼』が、『じゃあ、ここで朗読すれば会話記録カンバセーション・レコードでいつでも確認出来るぜ』と教えてくださったので、取り引きに応じることに……」

「朗読したの!?」

「はい。例えば……『ぎゅってされるのしゅきぃ~』とか『意地悪すると泣いちゃうんだからね』とか」

「嘘だぁ! そんなこと言ってないよ!?」

「お嬢様は、割と寝言が多いのですよ?」


 そんなこと、初めて言われた…………はっ!? そうだ!


「こうしちゃいられない! 今すぐ取り返しに行かなきゃ!」

「ですが、お嬢様はもうすでにお弁当を食されていますので」

「お金払うよ! 普通に購入するから!」

「我が館に、そのようなお金はございません!」

「自腹を切るさ!」

「それに、朗読をしましたので『彼』の会話記録カンバセーション・レコードにもバッチリ記録されていると思いますよ」

「ノォォォオオオオッ!」

「さぁ、お食事が済みましたらじゃんじゃん仕事を処理してくださいね」

「もぉ~~~~~~~っ! 貧乏ヤァーダァーッ!」


 それからしばらくの間、ボクは自室に閉じこもって仕事に没頭していた。

 ……とてもじゃないけど、陽だまり亭に顔を出すなんてことは出来なかった。






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