挿話1 わたしに出来ること
それは、いつもと同じように楽しくも穏やかな朝でした。
「ジネット。ウクリネスのところに生地が届いたらしいからちょっと受け取ってくる」
ヤシロさんが大きな袋を肩に担いで厨房で作業をするわたしに言います。
ウクリネスさんというのは、大通りにお店を構えるヒツジ人族の洋服屋さんの女将さんです。
ヤシロさん、ロレッタさんの妹さんたちに可愛い帽子を作るんだって張り切っているんです。本当に、ヤシロさんはとても優しい人ですね。
「すぐに戻ってくるつもりだが、もし遅くなるようならお前はモチャリってムミューってもぬま~んだぞ」
「え? なんですか、ヤシロさん? 後半、言葉がよく分からなく……」
「ぴっこりろる~んっ!」
「ヤシロさんっ!?」
「…………きゅう」
そんな小さな音を漏らし、ヤシロさんは直立の姿勢のまま床に倒れました。
頭蓋骨が割れたのではないかというような激しい激突音がし、ヤシロさんが動かなくなりました。
「ヤシロさんっ!?」
「…………もにゅ」
「ど、どうしましょう…………ヤシロさんがちょっと可愛いですっ!」
「店長さん、落ち着いてくださいです!」
「……ヤシロ、体調不良。休養が必須」
「そ、そうですね! わたし、ヤシロさんを部屋に寝かせてきます!」
マグダさんに手伝ってもらい、ヤシロさんを部屋までお連れしてベッドへと横たえます。
額に汗が浮かび、苦しそうです。少し、熱があるようです。
ヤシロさんは、ここ最近ずっと働き詰めでした。
わたしたち、四十二区の住民の暮らし向きがよくなるようにと、方々に足を運び、難しいお話をたくさんして…………
「ヤシロさん………………知恵熱というやつですね」
「……お前は俺をバカにしてるのか?」
「ヤ、ヤシロさん!? 気が付かれたんですか?」
「あぁ。ちょっと眩暈がしただけだ、心配いらん」
「ダメです。今日は一日寝ていてください」
「そうもいかんだろう。ウクリネスを待たせているし」
「マグダさんにお願いして取りに行ってもらいます」
「それに俺は、海賊王になって龍の玉を七個集めるただの流浪人でござるよ」
「ヤシロさんっ!? 大丈夫ですか!?」
「伊達にあの世は見てねぇぜ!」
「寝ましょう! なんだか意識が混濁しているようです! 今日一日はぐっすり休んでください!」
ヤシロさんが一大事ですっ!
ここはわたしが責任を持って看病をして差し上げなくては!
まずは……
「そうです! お薬です!」
陽だまり亭には置き薬があるので、そこからヤシロさんに効くお薬を………………わたし、お薬を選べません……
いつもヤシロさんが診察をして、適切なお薬を選んでくださっているのです。
わたしに適切な薬が選べるでしょうか? もし、変な薬を渡してしまい、ヤシロさんにもしものことがあれば………………
「わたし、死にますっ!」
「……生きろ、そなたは美しい…………」
「ふぇっ!? ヤ…………ヤシロ、さん? …………寝てますね」
今がチャンスです!
もう迷っている暇はありません!
レジーナさんのところへ行って、お薬を売ってもらいましょう!
レジーナさんなら、適切なお薬を処方してくださるはずです!
「へぇ、あの彼が倒れたねぇ~……意外やなぁ」
レジーナさんはメガネの向こうの目を丸くして驚いておられました。
確かに、ヤシロさんはいつも元気で頼りになる方ですので、まさか倒れるなんて考えもしませんでした。
「ウィルスですら騙くらかして、逆にウィルスを病気にさせてまいそうやのにな」
「……さすがにそこまでは」
ヤシロさんは、一体どんなイメージを持たれているのでしょうか?
「それで、何かお薬を売っていただきたくて」
「よっしゃ、任しとき! それやったら、めっちゃ面白い……もとい、よぅ効く薬があるさかい、いくつか持ってたって」
「そんなに……いいんですか?」
「かまへん、かまへん! その代わり、あとでその時のリアクション聞かせてな」
「リアクション……? は、はい。分かりました!」
「ほな、どの薬がえぇかなぁ……この『良薬でもないくせにメッチャ苦い薬』とか、『よぅ効くけど副作用で一定時間オネェ言葉になってまう薬』とか……ん~! 楽しみ過ぎて選べへん!」
レジーナさんが何やら真剣に薬を選んでくださっています。
こういうところでもヤシロさんの人望を感じられるのですね。凄いです、ヤシロさん。
そんなわけで、いくつかのお薬を持って陽だまり亭に戻ってきました。
「あれ、ヤシロさん? 起きていたんですか?」
「あぁ。食堂に降りたらロレッタに寝ていろと言われてな。今戻ってきたところだ」
「お薬をいただいてきましたので、飲んでくださいね」
「ただの過労だ。心配するな」
「では、わたしたちに安心感を与えるためにも、お薬を飲んでください」
「…………分かったよ。ったく、どいつもこいつも……」
それはですね、ヤシロさん。
ヤシロさんが、みなさんにとっていなくてはならない存在だからなんですよ。
……もちろん、わたしにとっても。
「まずは、『良薬でもないくせにとても苦い薬』と、『よく効くけど副作用で一定時間オネェ言葉になってしまう薬』です」
「飲めるかぁ!」
薬が投げ捨てられてしまいました。
「……レジーナめ……他の薬はないのか?」
「はい。こちらが『飲むと面白い動きをしてしまう薬』です」
「なんのための薬だよ、それ!?」
「それで、こちらが『副作用でずっと半笑いになってしまうけども、その代わり全身からカニみたいな匂いがし始める薬』です」
「副作用しかねぇじゃねぇか、その薬!?」
「『何を食べても、これは本物じゃない、と思ってしまう薬』」
「煩わしいし、面倒くさい! 黙って食えと言いたくなるな!」
「『心に
「ネタに走り過ぎだろ、レジーナ!? そもそも、俺の体調不良に効く薬がねぇじゃねぇか!」
ヤシロさんが納得してくれません。これだけお薬があるというのに……
けれど、レジーナさんに託された最後の薬があります。
「ヤシロさん。レジーナさんが、『彼が怒り出したら、このホンマにちゃんと効く薬飲ませたってな』とおっしゃっていた薬があります」
「じゃあ、最初からそれを寄越せよ!」
ですが、『怒り出したら』と言われていましたので……
「では、こちらです」
「これはちゃんとしてんだろうな?」
「はい。『体調不良によく効き、口当たりもまろやかな飲みやすい薬』だそうです」
「……出来たら全部の薬をそうしてほしいもんだな」
ヤシロさんはお薬を手に取り、包みを開けました。
と、包み紙に文字が書かれています。どうやら、説明文の続きのようです。
ヤシロさんが手のひらに載せているお薬は少し大きくて、黒くとぅるんとした、直径3センチほどのお薬です。それを飲もうとヤシロさんが冷まし湯を手に取りました。
その途端――
『おやめにな~って、パヤパヤ~、あたしに気安く、触らないでよ~、パパヤパ~♪』
お薬が「ぷよん!」と立ち上がり、くにくにと腰(?)をくねらせながら不思議な声で歌い出したではありませんか!?
わたしはハッとして、包み紙を手に取りそこに書かれた文章を音読しました。
「『ただし、飲もうとするとイラッとする声で歌い出し、これまたイラッてする踊りを踊り出すので注意』」
「まともな薬はないのかっ!?」
あぁ、無残。
蠢く黒い薬はヤシロさんによって床に叩きつけられ、なんだかよく分からないゲル状の物体へと変質してしまいました。
……少し可愛かったので、残念です。
「俺はもう寝る。寝りゃあ治るから」
「はい。では、もう行きますね。おやすみなさい」
「…………なぁ、ジネット」
立ち上がり、部屋を出ようとしたわたしに、ヤシロさんが声をかけてきました。
「はい。なんですか?」
「………………ありがとな」
布団にもぐり、背中を向けたままでしたが…………わたしはそれで、とても満たされた気持ちになりました。
「はい」
わたしは、お薬には頼らず、自分に出来る方法でヤシロさんを看病しようと決めました。
まずは、目を覚ましたヤシロさんに、温かくて精のつくものでも作って差し上げましょう。
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