50話 大通り劇場

 ある晴れた日の朝。

 俺は人気のない大通りで懐かしい顔に出会った。


「よぉ、久しぶりだな」


 大通りを一人で歩いていたそいつは、俺の顔を見ると一瞬表情を曇らせた。

 だが、すぐに営業用の笑みを浮かべて軽く会釈を寄越してくる。

 小奇麗な衣服に身を包んだブタ顔の男。


 そいつの名は――


「アッスント」

「ご無沙汰しております」


 アッスントは笑みを浮かべつつも、俺を警戒しているのがよく分かる。

 懐を開かないのだ。

 人間の心理的に、胸や腹を『敵』と認識している相手に見せるのは居心地のいいものではない。なので、苦手な相手の前に行くと、腕を組んだり、お腹の前で手を組んだりしてしまうのだ。上半身を少し引くのも似た心理が働いている。


 顔には笑みを張りつけつつも、アッスントは胸の前で手を組んでいる。商人らしい仕草と言えばそう言えなくもないが……まぁ、俺から声をかけられて用心しているのだろう。


「私に何か御用ですかな? お取引のない陽だまり亭さんとは、特別お話することもないかと思われますが……」


 イヤミをふんだんに含んでくるヤツには、一切合財スルーするのが効く。気にしないのがベストだ。


「いや、ちょっと小耳に挟んだんだけどよ。お前って、この近辺のまとめ役を行商ギルドに任されてるんだってな」

「えぇ。僭越ながら、こちらの支部長を務めさせていただいておりますが……、それが何か?」


 意訳すれば「っせぇな、テメェにゃ関係ねぇだろうが!」ってとこか。


「いや、なに。支部長なんて肩書きを持った偉いさんだったんなら、仲良くしておこうかなぁと思ってな。世間話をしに来たのさ」

「いえいえ。支部長など、大したものではありませんよ。雑用と嫌われ役を押しつけられる損な役回りです」

「謙遜なんて、らしくないんじゃないか?」

「おや。私はそんな横柄な人間に見えていましたか? だとすれば少し心外ですね。傷付きますよ」


 アッスントは肩をすくめて流し目でこちらを窺う。

 少しずつ、落ち着きを取り戻しているようだ。

 こちらの腹積もりを探るような視線を向けてくる。


「世間話というと、何か面白いことでもあったのですか?」

「実はな、屋台販売を始めた。もちろん、領主の許可を取ってな」


 アッスントの瞳の色が変わった。

 俺に対する対応が決まったのだろうか? なんとなく「スイッチが入った」ように見えた。


「えぇ。ご噂は聞いておりますよ」

「さすが、耳が早いな。それとも、誰か知り合いでも見に来ていたのか? カマキリっぽい男とか……」

「そういうお話でしたら、私から申し上げられることは何もございません。失礼します」


 肯定も否定もしない、か。賢明な判断だ。

 だが、カマキリと聞いた時のお前の目は完全に肯定していたぜ。お前たちに何かしらの関係があるってことをな。


 が、まぁそんなことはどうでもいい。

 あの一件はもう済んだことで、領主直々に警告がなされたのだ。再発することはないだろう。

 何より、あれは俺がアッスントに喰らわせた一撃に対する意趣返しのようなものだったのだろう。ゴミ回収ギルドの件で多少なりとも被った損失分の鬱憤をああいう形で晴らしたのだ。

 あまり調子に乗るとあとが怖いぞという、脅しを込めてな。


「そんなことよりも、一つ頼みたいことがあるんだけどよ」

「私に、ですか?」


 アッスントに頼み事をするということは、何かしらの交換条件を……それもかなりこちらに不利益となる条件を吹っかけられることを意味する。

「お前はそのことをよく理解しているよな?」と言いたげな疑問文だった。

 アッスントは目を丸くして、驚いた表情を見せる。


「『カンタルチカ』って酒場、知ってるか?」


 そこは、この近くにあるイヌ耳店員パウラの父親が経営する酒場だ。


「えぇ。私が取り引きさせていただいているお店ですね」

「へぇ、そうなのか。なら話は早い」


 なんて、実際は事前にパウラから聞いていたので知っている。

 けど、こういうのは演出も大切なんだよ。


「『カンタルチカ』は現在、仕入れ値の高騰で店を開けることすら出来ない有り様なんだ」

「災害というものは、いつも非情なものですよね」

「なんとか食料を融通してやることは出来ないか?」

「『カンタルチカ』さんだけ特別に、……ということは出来ませんね。状況はどこも切迫しておりますので」

「おいおい。どうしたよ。本当に、らしくないじゃないか」


 そっと目を眇め、アッスントを見つめて言ってやる。

 声のトーンを落として、ゆっくりと、イヤミをたっぷりと込めて。


「『みんな平等に』、なんて……そんな平和主義者でもないんだろ?」

「……どうも、勘違いをなさっているようですね」

「平和主義者なのか?」

「『和』を大切に、とは思っておりますよ。お客様あっての商売ですから」

「仲良くしたいと思ってるのか?」

「可能な範囲で、でしたらね」


 さすがはアッスント。『精霊の審判』に引っかかるような危うい発言は回避している。


「らしくないと言えば、あなたの方こそそうではないですか?」

「俺が?」


 今度はアッスントが俺に仕掛けてきやがった。


「他人のために頭を下げるなど、あなたが最も忌避しそうなことのように思えますけどねぇ」

「何を言ってんだ。俺はいつだって『大切な人のために』全力を尽くす男だぜ?」


 むろん、その『大切な人』というのは、俺のことだ。オオバヤシロ。オンリーワン。

 他人のために頭を下げるのを忌避する? 当然じゃねぇか! なんで俺が他人の重荷を肩代わりしなきゃなんねぇんだよ?

 が、ここでは言葉を濁しておく。


「ふふ……やはり、私はあなたが苦手なようです。何を話していいのか、見当がつきません」

「へぇ、そいつは『気が合う』じゃねぇか」

「…………ふふふ、おかしな人だ」

「仲良くなれそうな気がしないか?」

「いいえ、まったく」


 ここまできっぱりと拒絶されるのも珍しいな。

 この街では唯一かもしれん。

 面と向かってこういうことを言うヤツは。


「でも、取引先とは仲良くするんだろ?」

「それは当然ですよ。お互いの信頼があってこそ、よりよい取引が可能になる。私は、信頼関係こそ、最も大切だと考えているんですよ」

「へぇ…………信頼関係か……」

「そうです。だが残念ながら、あなたとの間には構築出来そうもありま……」

会話記録カンバセーション・レコード

「――っ!?」


 俺が会話記録カンバセーション・レコードを呼び出すと、アッスントは目を見開き、顔に張りつけていた笑みを消した。


「……何を、なさるおつもりで?」

「ん~? いやぁ、別にぃ……」


 アッスントの質問を軽く聞き流して、俺は目の前に出現した半透明のパネルをスクロールする。

 おぉ、これってリアルタイムで書き込まれていくのか。初めて知った。


 さてと……では。


「(自主規制)ーっ!」

「ぶふっ!?」


 俺が、とても人には言えないような卑猥な言葉を叫ぶと、目の前でアッスントが吹き出した。汚いヤツだ。


「な、なにを……急にっ!?」


 アッスントが素っ頓狂な声を上げる。

 その向こうには、何事かとこちらを窺う住民の姿がちらほらと見える。

 朝っぱらから放送禁止用語を叫ぶ者がいたら、そりゃ見に来るわな。危険人物かもしれないし。


「いや、放送禁止用語を言った時、会話記録カンバセーション・レコードにはなんて記載されるのかなぁって…………あ、見てみろ、ちゃんと卑猥な言葉が載ってる。『自主規制』とかって表現にならないんだな」

「それはそうでしょう……これはただの記録。もし、伏字などが存在するのであれば、それを使った隠語が大流行し、会話記録カンバセーション・レコードの意味合いはなくなるでしょう」


 なるほど。

 隠語を使って取引か。そりゃダメだわな。会話記録カンバセーション・レコードのシステムを全否定することになる。


 さて、と。


 俺は半透明のパネルをスクロールし、とある部分で指を止める。

 そこにはこんな文字が記されている。


『俺が、卑猥な言葉を叫んだら作戦開始だ』と――


「ちょ、ちょっとあんた、待ちなさいよ!」

「あ? なんだオイ、やんのか、こら!?」


 大通りの真ん中で、ゴールデンレトリバーのような垂れたイヌ耳を生やした女の子と、ワニ丸出しの顔をした恰幅のいい男が突然口論を始めた。…………物凄く不自然な棒読みで。


「あ、あんたんとこが野菜を出し惜しみするから、ウチの酒場がてんやわんやのてんてこ舞いよ!」

「こっちだって、生活が懸かってるんだ。あまり安い値で買い叩かれちゃ堪ったもんじゃないんだよ!」

「だからって、法外な値段で売りつけないで!」

「これ以上安くしたら、俺たちギルドは壊滅しちまう! だから、えっと、お前たちが、え~っと…………」


 言葉に詰まったワニ男は、こっそりと、懐に忍ばせてある半透明のパネルに視線を走らせる。そして、「あ、『むしろ』か……」と呟き、再度イヌ耳少女へと視線を向ける。


「むしろ、利益をぼったくってるお前たちがもっと高値で野菜を買いやがれ!」

「な、なんですって!? 言わせておけば!」


 イヌ耳少女の言葉を合図に、イヌ耳少女とワニ男は取っ組み合いのケンカを始める。

 ……とはいえ、なぜかワニが物凄く遠慮して一方的にパカパカ殴られているだけにしか見えないが……


「やめてください、お二人ともぉ~!」


 そこへ、とんでもない爆乳の美少女が現れる。

 内側から衣服を引きちぎらんばかりに押し上げてくるその膨らみに、胸に書かれた文字が歪む。

 爆乳美少女の着ている服にはこんな文字が書かれていた。


『 陽だまり亭・本店

  安いっ! 美味いっ! 可愛いっ!

  野菜炒め 20Rb~ !! 

  四十二区にて絶賛営業中!!

  年中無休

  来なきゃ損っ! 友人・家族を誘って是非お越しくださいっ!! 』


 まぁ、要するに、取っ組み合うパウラとモーマットのもとへ、宣伝シャツを着たジネットが仲裁に入ったのだ。

 ただし、両手で半透明のパネルを持ち、ガッツリと覗き込みながらたどたどしくも音読していく。


「モーマットさんそれはちょっと聞き捨てならないですねー」


 抑揚も間もない、のぺーっとした音声が垂れ流される。しかも一度も顔を上げず、相手を見もせずにだ。

 こいつはセリフを暗記する気すらないらしい。


 そう、セリフだ。


「……これは、一体なんの催しなんですか?」


 アッスントが引き攣った表情で俺に問いかける。

 しかし、俺はそれに答えるわけにはいかない。いかないのだ。

 俺はただ黙ってジネットののっぺりとした音読に視線を注ぐ。


「わたしたち飲食店は限界までコストの削減をして物価の上昇を抑えようとしているのです。これ以上はもう無理なのです。生産者が搾取をしているからです」

「ちょっと待ちなさいっ!」


 そこで颯爽と登場したのは、養鶏場の一人娘、ニワトリ顔のネフェリーだ。


「今の発言は聞き捨てならないわね! 私たち生産者こそが、たゆまぬ努力によって物価の上昇を抑え込んでいるのよ! ねぇ、そうでしょう、デリア!?」

「あー、まったくそのとおりだー」


 やたらと熱のこもった演技派のネフェリーの問いかけに、棒読みという表現すら生ぬるい超棒読みでデリアが応える。

 ネフェリーはこういうのに興味があったらしく、演技がやたら上手い。ただ、周りが酷いなんてレベルではないので浮いてしまい、逆に悪目立ちをしてしまっているが。


「私たち生産者は日々努力を積み重ね、大地と対話をし、動植物と心を通わせて、美味しい食べ物を作っているの! その食べ物の美味しさこそが、生産者の誇りであり、魂の叫びよ!」

「え? え? …………え?」


 ネフェリーがアドリブを入れてきた。

 おかげでジネットがオロオロし始めてしまった。


 この脚本、実は俺が作成し、ここにいる連中の前で朗読したのだ。

 そのため、こいつらは自分の会話記録カンバセーション・レコードを参照することで脚本を確認出来るというわけだ。

 そこには、俺が読み上げた脚本のセリフがすべて記録されているのだから。


「卵を食べてごらんなさい! 美味しいでしょ!? それが、私の叫びよ!」


 いやいや、それは怖いだろう。

 もし卵からお前の叫び声が聞こえたら、俺は躊躇いなく卵を床に叩きつけるぞ。


「あ、あの……今は、一体どのシーンを……?」


 この後、『生産者vs店の経営者』の対立が描かれ、お互いの苦労を語り合うのだが……まぁ、もういいか。

 いい具合に観客も増えてきたしな。


 辺りを見渡すと、この騒動を聞きつけて相当数のやじうまが人垣を形成していた。


 折角作った中盤のシーンをガッツリとカットすることになるが……


「あれれぇ~、おかしい~ぞぉ~!?」


 俺は、クライマックスの合図となるセリフを口にする。

 日本仕込みの、素晴らしい演技力だ。

 我ながら惚れ惚れするぜ。


「これは一体、なんの真似なんですか?」


 アッスントの声に若干の苛立ちが感じられる。

 訳の分からない芝居を見せられ、しかも人垣のせいでその場を離れることも難しい。

 意味が分からないままこんな状況に置かれたのでは、相当イライラも溜まるというものだ。


 だが気にしない! ここからが大事なところなんだ。

 さぁ、御用とお急ぎでないお客様は、とくとご覧あれ!

 オオバヤシロ、一世一代の大演技!


「生産者に支払われるお金は減っているのに、物価は上がってるのって、おかしいなぁ」


 見た目は子供で頭脳が大人の名探偵ばりの好演技だ。

 詐欺師たるもの、演技力は必須スキルだからな。


「……あなたの演技は、また一段と酷いですね」


 なんだと、アッスント!? 俺の演技のどこが酷いってんだよ!?

 ちょっと子供っぽい雰囲気も見事に再現されてて、そこはかとなく可愛いやろがぃ!

 可愛いやろがぃ!?


「はぁ……私は忙しい身ですので、これで失礼させていただきます」


 大きなため息を吐いて、アッスントがその場を離れようとする。

 が、人垣が上手くその行く手を阻む。…………というか、その人垣には見覚えのある顔が並んでいる。

ハムっ子たちやヤップロック一家、そしてオメロたち川漁ギルドの面々に、米農家のホメロスその他、四十二区で働いている生産者と、店を経営している店主たちがずらりと顔を揃えている。


「……あなたたちは」


 顔ぶれに気付いたのか、アッスントの表情が微かに強張る。

 自分たちの取引相手が、このいかにも胡散臭い三文芝居の場に雁首揃えて登場したのだ。そりゃあ焦るだろう。

 アッスントは今、確実にこう思っているはずだ。


「ハメられた」と――


 俺の集めた協力者の向こうに、騒動を聞きつけて部外者連中も集まってきていた。

 いや、こいつらもある意味で部外者ではない。だからよく見て、しっかり聞いておくといい。


「俺の知り合いの、とあるワニ顔の農家に聞いたんだが……」

「モーマットさんですね」

「いや、まぁそこは匿名希望だ」

「モーマットさんですよね?」

「詮索するなって」

「…………」


 アッスントは、俺に何かを言うのを諦めてモーマットに視線を向ける。

 視線を向けられたモーマットはあからさまに狼狽し、わざとらしい口笛と共にぎこちなく顔を背けた。……あいつは役者にはなれないな、絶対。


「野菜の取引値を落とすよう言ったそうじゃないか」

「えぇ……まぁ、そうですね」


 腹を決めたのか、アッスントがゆっくりとこちらに向き直る。

 俺を睨みつけるその瞳は、完全に戦闘モードになっていた。


「災害の影響でしばらくは品質が落ちるでしょうからね。今までと同じ取引値でというわけにはいきません」


 この辺りの話は、事前にモーマットから詳しく聞いてある。

 パウラが言っていたことと同じような条件で取引を持ちかけられていた。

 すなわち、「これまで100Rbで引き取っていた野菜が、今後は20Rbになる。ただし、今ある在庫を5Rbで譲ってくれれば、今後40Rbでの取引をしてもいい」――と。値段の動きが逆向きではあるが、手法は同じだ。

『今損をすれば、今後の損失が少なくて済みますよ(ただしどっちにしても損失は出るんですけどね、ケケケ)』という戦法だ。

 まぁおそらく、アッスントあたりがマニュアルを作って支部の人間に同じようなことをさせているのだろう。同様の取引を持ちかけられた者が余りに多かった。過半数超えだ。


「それから、この通りにある酒場で働く某イヌ耳の店員に聞いたんだが……」

「パウラさんですね」

「匿名希望だ」

「……それで、なんですか?」


 アッスントもようやく分かってくれたらしい。

 こういうのは、情報提供者の身分を開示しないのが大人のマナーだ。

 テレビで犯罪者にインタビューしたりする際も、視聴者の「いや、逮捕しろよ!」という意思は無視されて協力者の身元は徹底的に隠される。

 そういうもんなのだ。


「飲食店には、『災害で食糧が減ったから』卸値が高くなると、そう言ったな?」

「広義の意味では不足していますからね」


『街全体を見れば』確かに食糧は減っただろう。


「農家の方が野菜の取引に難色を示されていましてねぇ。……いえ、農家だけでなく、生産者の方々が、ですね」


 アッスントに責任の矛先を向けられて、生産者一同は視線を外し押し黙ってしまう。

 だが、何も目を逸らす必要はない。買い叩かれているのがハッキリ分かるような値段でなど売れない。そんなもん、どこの世界の人間だって同じだ。恥じる必要などない。


「物が入ってこなければ物価は上がります。私どもには、どうすることも……」


 ……「出来ない」とは、言わなかった。フェードアウトだ。その後で首を横に振るジェスチャーをしてみせる。

『嘘』を『口にしなければ裁けない』……、『精霊の審判』の欠陥を上手く突いた手法だ。


「確かに、物が入ってこなければ物価は上がる。だがな……」


『精霊の審判』が欠陥品なので、こういうところで俺が苦労しなければいけなくなる。

 もし精霊神に会うことが出来るのならば、聞かせたい文句は山ほどある。


 だが今は、目の前の敵に集中する場面だろう。


「物をあえて入ってこさせなくても物価は上がるよな?」

「…………」


 その無言は肯定か?

 要するに、市場に流通しなくなればその物の価値は上がる。

 当然のことだ。


「常々疑問に思っていたんだが……行商ギルドは『区を越えて』商売が出来るギルドだよな? 支部もたくさんある」


 俺を睨み、視線を逸らさないアッスント。

 勝負どころを弁えているヤツだ。

 今俺から目を逸らせば、心に『やましいところがある』と自白するようなものだ。

 つらくても、視線は外せないだろう。


「なぜ、他の支部から食料が回ってこないんだ?」


 各区にネットワークを張る行商ギルド。

 なら、どこかの区で不足している物があれば、余剰分を融通するのが普通だ。

 だが、こいつらはそれをしない。


 なぜか?


「私は、行商ギルドでも下っ端……最底辺の区画を任されているだけの身ですから。上層部に意見することなどとてもとても」


 そんな組織があって堪るか。

 現場の意見がすべて黙殺されるようなシステムでは破綻してしまう。


 四十二区に食糧が流通していない理由はただ一つ。


 こいつらが儲けるためだ。


 けれど、折角意見を言ってくれたんだ。そいつを利用させてもらおうかな。


「なるほど。四十二区では、飲食店が店を開けられないほどに物価が上昇し、住民が飢えに苦しむほどに食料が不足しているにもかかわらず、行商ギルドとしてはそんな瑣末な話に傾ける耳など持っていないと、……そういうわけか?」

「そうではありません」

「ほう、では言い分を聞かせてもらおうか」

「一度他区の食品を流通させると、その後も同様に品物が入ってくるようになります。どこも、売り上げは伸ばしたいですからね。今回のことを恩に着せ、不利な交渉を持ちかけられることでしょう。格下の私には太刀打ち出来ません」


 同情を誘うように、アッスントは肩をすくめて泣きそうな表情を見せる。

 当然、泣くわけなどないが。


「そうなれば、四十二区内の価格は崩壊。生産者の方々はさらに窮地に追いやられます。なにせ、ここよりも上位のギルドから、よりよい品物がより安く入ってくるのですから……」


 そこでたっぷりと間を開けて、舐めるように一同を見渡す。


「……それでもよいと、おっしゃるのでしたら、私は別に…………」

「今も似たようなもんだろう」


 アッスントのイヤらしい視線にさらされ委縮していた四十二区の住民たち。

 これまではそれで上手くいっていたのだろう。今以上の不利益があることを分からせ、不敵な笑みを浮かべて「どうしますか?」と判断を迫る。

 立場の弱い者はその条件を受け入れざるを得ない上に、自分の意思で決断をしたという事実を作り上げられて、反論も抗議も出来ない。


 だが……


「なぁ、モーマット。お前、今蓄えはいくらある?」

「蓄え!? そんなもんあるわけねぇだろ! 仮にあったって、スズメの涙ほどだ」


 モーマットの答えは、周りにいる者たちからうんうんと賛同を得ている。

 どこも同じようなものなのだろう。


「じゃあ、ここにいる四十二区の住民すべてに尋ねる!」


 俺は両手を広げ、声を張り上げる。 

 この場にいる者すべてに問いかける。


「今現在、窮地に立たされていない者はいるか!? ゆとりがあり、現在の生活に満足している者はいるか!?」


 返事は………………ない。


「分かるか、アッスント」


 水を打った静寂の中、俺はただ一人――アッスントのためだけに声を出す。

 ターゲットはただ一人。そう、お前だよアッスント。

 俺はお前に問いかける。よく聞け。そして考えろ。


「今の四十二区は、価格が崩壊している状態なんじゃないのか?」

「…………いや、それは……」


 アッスントが、言葉に詰まった。

 無言という選択をする時ですら迷うことなく判断していたアッスントが、言葉に詰まったのだ。


「四十二区の生産者はもうダメだ。どう転んでも長くは持たない。つい先日も、家業を辞め、家族を捨てて冒険者になろうとした者が現れた。……まぁ、全力で止めたが、それは何もそいつが極端だったわけじゃない」


 冒険者になるというのは、いわば、徳川埋蔵金を探すトレジャーハンターになるようなものだ。

 そんなわずかな可能性に賭けなければいけないほど、ここの生産者は追い込まれているのだ。


 そんな状況にいて、その商売が長続きするはずがない。

 心が折れたら、あっという間に廃業だ。


「四十二区の生産者はもう無理だ。見捨ててしまえ」

「お、おいっ、ヤシロ……っ!」


 辛辣な俺の言葉に、モーマットが喰ってかかろうとする。が、それはいいタイミングでいいところにいたエステラによって無言のままに制された。

 エステラは今回、あまり前に出てこない予定だ。その分、裏で俺のサポートに徹してくれている。

 モーマットが状況を把握し、黙って一歩身を引いた。

 そうだ、それでいい。黙って見ていろ。


「なかなか、厳しいご意見ですね」


 アッスントも、少し動揺している。

 まさか見捨てろと言われるとは思っていなかったのだろう。


「ならせめて、食料を他区から仕入れて飲食店やマーケットだけでも救ってやったらどうだ?」

「それは、ご自分が食堂関係者だから、ですか? 他人を切り捨てて自分を助けろと……」

「あ、そうか! いっけね、忘れてた!」


 自分の見解を述べようとしていたアッスントの言葉を、突然の大声で遮る。

 お前のターンはまだ先なんだよ。あとでたっぷり話させてやるから、もうちょっと俺の話を聞けよ。


「他区から物を運ぶには輸送費がかかるよな? しかも、さっきアッスントが言った言葉を踏まえると、きっと足元を見られて法外な値段を吹っかけられるに違いない! ……違うか?」

「…………」

「なぁ、アッスント。どうだよ?」

「……まぁ、そうなるでしょうね」


 探り探り、おそらくそうなるであろう未来の結果を口にするアッスント。

 分かるぜ。今お前、戸惑ってるだろ? 目が泳いでいる。


「ってことはだ。従来の仕入れ値の三倍から四倍くらいは覚悟した方がいい……でもそうなると利益が上がらなくなって……結局いつかは潰れちまう。だよな、パウラ?」

「え!? あ、あたし? え~っと……そう、ね。…………うん。なんとかやりくりしても、値上げは避けられないし、値が上がればお客さんは遠のくから…………そう時間もかからず潰れると思う」

「おまけに、生産者たちは失業して金がない。客の数も必然的に減るだろう」

「それは……致命的だよ」


 パウラが灰色の未来を幻視して肩を落とす。


「あれあれ? でも待てよ!?」


 俺が声を上げると、アッスントがうんざりした表情でこちらを窺う。

 構わず続ける。


「なぁ、パウラ。従来の仕入れ値の三倍って、今と同じ状況じゃないか?」

「え…………あ、ホントだ」


 大雨の被害に遭い、住民が全体的に貧しくなっているのも同じだ。


「今のこの状況があと一ヶ月続けば……お前の店はどうなる?」

「潰れる。確実に。一ヶ月も持たないよ」

「おぉ~ぅ……なんてことだ…………」


 俺は大袈裟に頭を抱えて、盛大にため息を吐いた。


「ってことは、どちらに転んでも、一ヶ月後には生産者も、店も、みんな廃業しちまうってことか」

「いや、それはちょっと飛躍し過ぎなのでは」


 アッスントが堪らず割って入ってくる。

 ここいらで歯止めをかけたいところなのだろう。

 だが、俺の話に聞き入っている群衆の心は、そんなことでは動かない。

 最早、俺の言葉以上に響く言葉など、今この状況下においては存在しない。


「食い物がなくなったら、ここの住民全員で四十一区に買いに行くことになるな。けどそうすれば、今度は四十一区で食糧不足が起こり、同じように物価の高騰が起こり、経済が死ぬ。そうすれば今度は四十区に買いに行くのか……」

「いい加減にしなさい! イタズラに不安を煽って私に対する敵愾心を煽るおつもりでしょうが、そうは問屋が……」

「何言ってんだよ」


 真っ直ぐに瞳を見つめて、アッスントにはっきりと言ってやる。


「お前は、敵じゃねぇか」


 空気が凍る。


「…………なるほど。そういうことですか」


 アッスントから不穏な空気が漂ってくる。

 無表情になったブタの顔は、まるで悪魔の使いのように不気味に見えた。


「私ども行商ギルドと、生産者ならびに事業主を対立させることでこちらを窮地に追い込もうというおつもりですか。それで、私から譲歩を引き出そうと? 下手な芝居まで打って……ふふふ」


 アッスントがゆらりと体を揺らす。

 機械仕掛けの作り物のように生きている温かさを感じさせない動きで、アッスントはモーマットたちを睥睨する。

 ジネットたちはその視線に委縮して、デリアを中心に一ヶ所に固まる。


「そちらにいらっしゃる方々が賛同者ということでしょうか? んふふふ……なるほど……そうですか」


 一人で呟き、一人で納得をするアッスント。

 声は静かになったが、相当頭にきているようだ。

 額に六角鉛筆くらいの太い血管が浮かび上がっている。


「構いませんよ。憎い我々との取引など止めていただいても。ご自分たちが不利益を被っていると思い込んでいるのでしたらそれで結構! そう思っていてください。我々は一向に構いません。皆様との契約が破談になれば、『他の方と』新たに契約を結ぶまでです! 代わりなどいくらでもいるんです! もっとも! ……皆様にとって行商ギルドの代わりになる組織があるのかどうかは知りませんけどね」


 これがアッスントの勝ちパターンなのだろう。

 己の優位性を説き、相手を自分のフィールドへ引き摺り込む。

 ここにいる連中程度なら、それだけで泣きが入るだろう。

 怖いお兄さんたちが揉めた相手をすぐに事務所に連れ込むのと同じ戦略だ。相手に「早く解放されたい」と思わせるような圧力をかけ、まともな思考を出来なくさせる。


 それを打ち破るには、そいつが思い描く「流れ」をぶった切ってやるしかない。


「『信頼関係が何より大切』……だったか?」


 横から口を挟まれて、アッスントが隠しもしない不機嫌顔をこちらに向ける。


「信頼ってのは、嘘吐き相手には築けないものだよな」

「……私を嘘吐き呼ばわりするのですか?」

「嘘ってのは、大きく二種類ある。知ってるか? 一つは『事実と違うことを言うこと』、そして二つ目は…………『真実を隠すこと』だ」

「私が何を隠していると?」

「さっきの芝居、どうだった?」

「は?」

「あれでも練習したんだ。なんかこう、心に来るものがなかったか?」

「今は関係ないでしょう、あんな下手くそな……」

「下手でもなんでもいい! ……心に来るものはなかったのかよ?」

「…………」


 しばし睨み合う。

 先に折れたのはアッスントの方だった。


「……ありませんね。何も」


 視線を逸らし、ふんっと鼻から息を漏らす。

 ……そうか、伝わらなかったか。


「あの芝居が訴えていたことは二つある。見ていた者で気が付いたヤツはいなかったか!?」


 俺たちを取り巻く観衆たちに声を向ける。

 気が付けば、大通りには人が溢れ返っていた。通りの先が見えなくなるくらいにぎゅうぎゅう詰めだ。

 四十二区すべての住民はここに集まっているのではないかと思えるほどだ。


「なんだよ……芝居を楽しむ心に欠けた連中だな。まぁ、しょうがないか。なら教えてやろう!」


 俺は胸を張り、身振りを加えながら説明を始めた。


「あの芝居の中で生産者は『食材を限界まで安値で買い叩かれている』と主張し、逆に飲食店側は、『法外な値段で売りつけられている』と主張している。これは、俺が直接その仕事に従事している者から聞き取った事実をもとにした芝居だ」


 俺の主張が正しいというように、モーマットたちが大きく頷いてみせる。

 観衆にもそれが伝わったようで、あちらこちらからひそひそとした話し声が聞こえ始める。これで、芝居の信憑性が上がるってもんだ。


「安く買われた食材が、法外な値段で売られている。…………じゃあ、その莫大な利益はどこに消えた?」


 観衆からざわめきが起こる。

 これまでよりも安く食材を買い、高く売りつけた者がいる。その者は従来の何倍もの利益を上げたことだろう。

 それは誰だ?


「なぁ、行商ギルドさんよ。……どこに消えたと思う?」

「私には、なんとも言いかねることですね」


 その対応はマズったな。

 アッスントの言葉に、観衆たちはあからさまに不快感をあらわにした。

 それはそうだろう。ここにいる観衆たちもまた、搾取される側の人間なのだから。

 行商ギルドの中抜きのせいで、今現在の食糧難が発生していると知れば、誰だって怒りを覚えるだろう。

 そこに来て、弁解するでもなくアノ開き直りは、焚火にガソリンをぶちまけたようなものだろう。


「くだらないこじつけ、でっち上げですね!」

「本当にそうか?」

「そこまで信用出来ないのでしたら結構! そちらにいらっしゃる方々とは、今後一切取引をしないということでも構いませんよ! たった数人が集まって、己の不満を相手にぶつけて……そうやって孤立していけばいいのです!」


 静かに、デリアが一歩踏み出す。

 が、俺が右手を上げると、その足を止めてくれた。

 力で解決しちゃダメなんだよ、これは。まぁ、任せとけ。


「あの芝居が伝えたかったことはもう一つある。こっちの方がお前に気付いてほしかったんだが……残念だな」

「もう結構です。これ以上話すことはありませんので、失礼します。色々手続きが必要になりますからね。他の生産者との契約や、商品を卸すお店も探さないといけませんので!」


 四十二区内で、自給自足の生活をしているヤツもいる。これから新規に店を開こうというヤツもだ。

 そういう連中を新規に引き入れるという脅しなのだろうが……


「その手はもう通用しねぇぞ」

「…………なんですって?」


 すげぇ怖い顔で睨まれた。

 なので、あえて余裕の笑みを向けてやる。


「この芝居のメインテーマは、『仲良きことは美しきかな』」

「芝居の話など、もうどうでもいいのです! いい加減にしなさい!」

「美しいってことは強さでもある。人は、美しいものに対し一種の畏怖を感じるからな」

「付き合いきれません。失礼します!」


 振り返り、立ち去ろうとしたアッスントの前に、数人の男が歩み出て進路を塞ぐ。


「…………っ!」


 方向を変え、再び歩き出そうとするアッスントだが、今度は別の者たちに行く手を阻まれてしまう。


「……なんなのですか、一体?」


 そいつらは、四十二区で生活をする生産者ならびに個人事業主だ。食材以外にも、綿や麻、染料や香料などを作る者たちがいる。

 そして、食事関連以外にも、四十二区で作られる材料で商売をする者がいる。


 これは、彼らにとっても重要な案件なのだ。

 一軒一軒を回り、真摯に話し合いを重ねるうち、彼らは重い腰を上げてくれた。

 今日、この日、この場所に集まるよう頼んでおいたのだが、きちんと来てくれたようだ。


 自分たちの手で、未来を切り開こうという者たちが。


「アッスント。お前は本当に気が付かなかったんだな。この芝居の持つ、本当の意味を。いや……警告を!」

「け……警告?」


 そう、警告だ。

 これは、四十二区の住民から、お前たち行商ギルドに対する警告だったのだ。


「よく見りゃ、人ごみの中に行商ギルドの商人も何人かまぎれてるみたいだな」


 人垣の中に、ちらほらと見たことのある顔があった。あいつはネフェリーの養鶏場で見かけた商人で、あっちのは米農家のホメロスの米を躊躇いなく切り捨てたヤツじゃないか。


「ちょうどいい、テメェら全員耳の穴かっぽじってよく聞いておけ!」


 はたして、『かっぽじる』なんて言葉がちゃんと翻訳されているのかは分からんが……


「俺たちは、手を取り合った。……これまでお前たちが食い物にしてきた『獲物』たちは、もう独りじゃない。個体じゃない。弱く反撃の牙を持たない搾取されるだけの存在ではない!」


 張り上げた声で、空気が震えた。

 水に波紋が生まれるように、空気の振動が強い思いを伝えていく。


 静寂。

 沈黙ではなく、静寂。

 この静けさは待っているのだ。

 俺の言葉を。

 導きの福音を。

 ならば言ってやろう! お前らが求めてやまない言葉を!


「聞け! 四十二区に住むすべての者たちよ! 弱者のままい続けるな! 搾取されるままの今に疑問を持て! 拳を振り上げろ!」


 俺たちを取り巻く観衆がピリピリと殺気立っていく。

 これまで抑圧されてきた不満が、苦しみが、エネルギーへと変換され外へと向かう。

「変わらなければ!」という、激しい感情に突き動かされて。


「振り上げ方が分からないなら、俺が教えてやる! 今、テメェらの頭ん中にはっきりと思い浮かんでる不満を、声の限りに吐き出してみろ! どうした!? やれぇ!」

「「「「「ぅぅうううううおおおおおおおおおおっ!」」」」


 地響きのような唸りが大通りを震わせる。

 眩暈がしそうなほど濃密な感情の渦がその場所に発生する。


 群衆の心は、俺が掴ませてもらったぜ、アッスント!


「俺たちは一つだ! これまでのように個別に圧力をかけるやり方にはもう屈しない! 孤立を恐れる弱者はもうここにはいない!」


 顔をしかめたまま、じっと俺の話を聞いていたアッスントは、突如、堰を切ったように笑い出した。


「ふはははははっ! それで、どうするのです? 群れたところで何も変わらない! 今度はその群れが孤立するだけだ!」


 取り囲む群衆一人一人の顔を覗き込むようにして、アッスントは言葉を発していく。


「この地区が孤立したらどうなるか、分からないわけではないですよね? 完全に自給自足というわけにはいかないでしょう? 薪は? 四十二区に木こりがいますか? お肉は? 見たところ、狩猟ギルドの方はお見えにならないようですが? 魚は!? 海漁ギルドの方もいらっしゃいませんね! それだけではないですよ。あなたたちの生活は、多くのものに支えられて成り立っているのです! 多少の不平不満を誇張させ、理性を欠いたようにバカ騒ぎして、幾年もかけて築き上げてきた信頼関係を崩してしまうなど言語道断! ハッキリ言います! あなたたちに選択肢などありません! あなたたちは! 一生! 何があっても! このまま、我々と協力しこの街での生活を送り続けなければいけないのです! それが出来ないのであれば…………それはもう、人としての生活を捨てるということです」


 沈黙。

 湧き上がっていた勢いは一気に沈静化されてしまった。


 アッスントは勝ち誇ったように、俺を見て、嫌らしく笑う。


「そこの新参者に唆されたみなさんには同情します。出来もしないことをさも可能かのように吹聴して回り、耳触りのいい言葉で人心を惑わせる。その結果、皆様に待っているのは『こんなはずじゃなかった』という苦しく、貧しい、獣同然の生活……さぁ、目を覚ましなさい。今なら、今日のことは大目に見ましょう。誰にだって、間違いはありますから」


 群衆は何も答えない。

 ただ、押し黙って俯いたままだ。


 ……まったく。


「お前は本当にバカなんだな」


 呆れて物が言えなかったが、なんとか言葉に出来た。


「……なんですって?」

「お前は、自分の置かれている場所がまるで見えていない」

「ほほぅ……興味深いご指摘ですね」


 勝ちを確信している者特有の、反吐が出そうな笑みを浮かべるアッスント。

 その薄ら笑いを、すぐに消し去ってやるよ。


「耳触りのいい言葉で人心を惑わせているのはお前だ、アッスント」

「言いがかりです」

「じゃあ、さっきのお前の言葉を、この俺が特別に、分かりやすく翻訳してやろう」

「ほぅ、伺いましょう」

「要はこういうことだろ? 『お前らは知恵などつけずに黙って搾取され続けていろ』」

「違いますね」

「違わないさ。お前はずっと論点をすり替えて自分のやましいところを誤魔化しているに過ぎん」

「人聞きの悪い……」

「積み上げてきたものを壊すと、生活が成り立たなくなるんだっけか?」

「……その通りでしょうに」

「ならなぜ、陽だまり亭は今もなお営業していられる?」

「それはあなたが奇妙なギルドを作って……」

「そうだ! 俺が作ったんだよ、新しい可能性を! 俺の国では、そういうのをこんな言葉で表現する。『イノベーション』と」


 イノベーションのない、守りに入った企業は遠くない未来に衰退し消滅する。

 それは街も国も同じことだ。


「イノベーションは未来を切り開く。マグダ! ロレッタ!」

「……待っていた」

「さぁみなさん! これを食べてみてくださいです! 一度食べたら病みつきになること間違いなしの、夢の国のお菓子ですよっ!」


 俺の呼びかけを合図に、売り子スタイルのマグダとロレッタが群集にハニーポップコーンを配り歩く。

 夢の国のお菓子という表現が、なんだか妙にピッタリくる。


「そいつは、かつて行商ギルドが『価値のないゴミだ』と烙印を押したもので作られている」


 俺の説明の間にも、あちらこちらから「美味しい」の声が上がる。


「それから、これを見て!」


 バッチリのタイミングでネフェリーが声を張り上げる。

 ネフェリーが掲げて見せているのは、山積みになった大きな卵だ。五十個近くはある。


「これはみんな、今朝採れた卵なの! これを産んだニワトリは、かつて卵が産めなくなって『ゴミ』になるはずだった鳥たちよ」


 群衆が目を丸くして、大量の卵に視線を送る。


「彼が救ってくれたの! 『ゴミ』として処分されるはずだった命を!」


 ネフェリーは度胸があり、言葉も上手い。

 こういうのに向いているのかもしれない。いつか大女優になったりしてな。


「アッスントの言葉を借りるならば、これらは『新参者の耳触りのいい言葉に唆された結果もたらされた【こんなはずじゃなかった】未来』の形だ。これらは、『ゴミ』として処分されるべきだったのか?」

「…………」


 黙秘。

 アッスントは何も言わない。

 なら、畳みかけてやる。


「俺たちには『可能性』がある。成功が約束されているわけではない。なんだってそうさ。絶対なんてものはこの世に存在しないんだからな。……だが、望む未来に向かって歩いていく権利と自由は、俺たちに等しく存在している」


 誰もが口を閉じ、瞼を開いて成り行きを見守っている。

 ここが、四十二区のターニングポイントだ。


「懸命に働いているここの住民が、まともに生きられないような制度を作りやがって…………なぁ、アッスントよ」


 俺は、この街の人間に最も『効く』であろう言葉を投げかける。


「お前たちの行いを、精霊神は許してくれると思うか?」


 どよめきが起こる。

 ここにいるほとんどの人間が信仰している精霊神。

 その女神が、苦しむ民を見殺しにするなどとは、誰一人として思っていない。

 だから、この場にいる者すべてが「精霊神がそんな非道な行いを許すはずがない」と思うに違いないのだ。


「ここにいる者たちには選択肢がある」


 アッスントが先ほど言った言葉を全否定する、真逆の意見だ。


「このまま行商ギルドと取引を続け、家畜以下の存在に成り下がるのか…………俺たちゴミ回収ギルドと契約をして、イノベーションをその肌で感じるのか……」


 ここだ! とばかりに、俺は両腕を大きく広げ、天を仰ぐように高らかに問う。


「お前たちは、どうしたい!?」

「「「「ぅぅぅぅううううおおおおおおおっ!!」」」」


 野獣のような雄叫びが上がる。

 回答にはなっていないが、これで十分だ。


 アッスントの顔から表情が完全に消えていた。

 群衆の心がどちらに向いているかくらい、アッスントなら分かっているはずだ。


「それで。どうする、アッスント? こちらの条件をのんで取引を続けるのか……四十二区での売り上げを『0』にするか……」


 アッスントの頬を、一粒の汗が伝い落ちていく。


 どんなに強気に出ようとも、売り上げを『0』にすることは出来ないだろう。

 最底辺の支部を任されたアッスントが「利益は無しです」と、上に報告出来るはずがない。

 こいつのことだ。利益を上げて出世し、中央に食い込んでいこうとでも考えているに違いない。

 こんなところで己のキャリアに傷を付けるわけにはいくまい。


「…………分かりました」


 ついに、アッスントが折れた。


「これまでの額で取引を持続いたしましょう」

「まだ分かってないのか?」

「…………え?」


 すっとぼけた顔をしやがって。

 これまでの額というのが、もうすでに搾取するための不平等契約なのだ。


「お前は、『取引を継続してやる』立場じゃない。こちらの条件をすべてのんで『なんとか取引を継続してもらう』立場なんだよ」


 のらりくらりと核心から逃げ続けてきたアッスントだが、俺はそれを許すほど甘くない。

 今ここで、群衆の前で、はっきりと知らしめておく。


「今後は『適正価格』で取引をすること。そして、各品目ごとに商人を変えている今の制度を改め手数料を削減すること。最後に、これがメインなんだが……行商ギルドの得ているマージンの比率をこの先ずっと公開し続けること」

「なっ!?」

「以上の条件を呑むと誓うのなら、取引を継続させてやってもいいぞ」

「どれもこれも無茶苦茶です! 特に、マージンの比率を公開など……企業秘密を衆目にさらすなど言語道断です!」

「そうでなければ、お前たちはまた搾取に走るだろうが」

「…………くっ!」


 マージンの比率を公開する、とは。

 簡単に言えば、『○○Rbで買った食材を、□□Rbで売りました。利益は△△Rbです』という詳細を公表するということだ。

 これによって不当な買い叩きや売り渋りが防げ、食材本来の価値が保証される。

 不当な行いが発覚した際は、こちら側が行商ギルドとの取引中断を武器に交渉出来るということだ。


「…………調子に乗るなよ」


 アッスントの声が変わった。

 これまでの猫なで声は影を潜め、闇に蠢く澱のようなくぐもった声が漏れる。


「新参者が……オレを怒らせるとどうなるか、思い知らせてやるぞっ!」


 一人称まで変わったアッスントが俺に向かって腕を伸ばし、人差し指を突きつけてくる。

『精霊の審判』の構えだ。


「残念だったな。俺はお前には嘘を吐いていない」

「……だからなんだ? やりようはいくらでもある。例えば……」


 そう言って、アッスントは俺に向けていた指をジネットへと向ける。


「あの迂闊なお嬢さんなら、どうかな?」


 俺が知らないところで何か失言をしている可能性がある。

 ここで強気に出ることは出来ない…………



 …………と、考えると思ってんだろ?



「やってみろよ」

「…………いいのか?」

「あぁ。ただし……」


 今度は俺が腕を伸ばし、アッスントに人差し指を向ける。


「……出来れば、だけどな」

「ふふふ……それは脅しにはならないぞ」


 勝ち誇った顔で、アッスントが言う。


「オレは、お前たちと違って、一言一句に気を遣い発言している。絶対にカエルにはならない。絶対的な自信がある。嘘だと思うならやってみるがいい」


 自分は完全武装をしながら、相手の油断を突く。

 それがアッスントの戦い方なのだろう。地味で卑怯だが有効的で手強い戦法だ。

 だが、……折角さっき教えてやったのに……


「絶対など、この世には存在しない」


 俺の言葉を合図に、その場にいた数十人の人間が一斉に腕を伸ばし、ピタリとアッスントを指さした。


「…………なっ!?」


 さすがに戸惑ったのか、アッスントが一歩身を引いた。

 しかし、背後からもアッスントを差す指が狙っている。


 俺は一度指をアッスントから外して、真正面から話しかける。


「確かにお前は頭が切れる。『精霊の審判』に引っかからないよう言葉を選んでいたのも知っている。そしておそらく、お前の目論見は上手くいっているのだろう。だが……」


 アッスントは相手に合わせるのが上手い。

 相手のボロを引き出すのが上手い。

 だからこそ、一つ重大な欠点がある。


「整合性は取れているのかな?」

「せ、いごう、せい……?」


 モーマットの前で嘘を吐かないように行った会話と、パウラの前で嘘を吐かないように行った会話。その二つの間に矛盾は存在しないのか、ということだ。

 一対一ではアッスントをカエルにすることは出来ないかもしれない。

 だが、アッスントの発言に明らかな矛盾があった場合…………果たして、精霊神はどう判断するのだろうか?


「こんな、悪用しかされないくだらない魔法をかけやがったんだ。たまには精霊神にも死にそうな程の苦労をかけてやらないとな?」

「ま、まさか……」

「今からここにいる全員で一斉に、お前に『精霊の審判』をかける。あの全身を包み込む淡い光が掻き消えた後……果たしてお前は、今と同じ姿をしていられるのかな?」


 アッスントの全身が目で見て分かるくらいに震え出し、額から大量の汗が拭き出した。


「どうしたんだよ? 絶対的な自信があるんだろ? なら、正々堂々胸を張って『精霊の審判』を受けてみればいいじゃねぇか」


 窮地に立たされたアッスントをさらに追い込むように言葉を放つ。


 善人であるほど、躊躇いや罪悪感を持つ者ほど、たとえ行使出来る立場にあっても使えないのが『精霊の審判』というものの実情だ。

 銃を構えたところで相当な覚悟がなければ引き金を引くことが出来ないように。

 ならば、俺がその引き金を引かせてやるまでだ。


「さぁ、みんな! せーので行くぜ! せー……っ!」

「ま、待ってくれ! いや、待ってください! この通りだ!」


 アッスントが、土下座した。

 手足がおかしくなっちまったのかと思うほどガクガク震えている。こいつはおそらく、しばらく立ち上がることも出来ないのではないか。


「分かった! 全部言う通りにする! すべての条件をのむ! だから、それだけは勘弁してくれ!」


 アッスントが、負けを認めた。

 俺たちは勝ったのだ。


 俺が右腕を高々と突き上げると、観衆から「わぁっ!」っと歓声が上がった。


 歌うようなバカ騒ぎが大通りの中を駆け巡る。

 停止していた世界が一気に動き出し、めまいがするほど鮮やかに色づいていく。


「ヤシロさん!」


 ジネットが俺に飛びついてくる。

 興奮でもしているのか、普段では考えられないような力でギューッと抱きついてくる。

 ……パイオツ、カイデー。


 と。

 まぁ、このまま大宴会にでも突入したいところなのだが。


「ちょっと静かに!」


 俺の一声で、浮かれていた声はピタリとやむ。


「アッスント」

「は……はい」

「それから、四十二区の住民全員に言いたいことがある」


 その場にいるすべての者が俺に注目をする。

 これは、今この場所でやらなければいけないことだ。

 コレをおろそかにすると、今後恨みの連鎖が始まってしまう危険がある。


 長年緊張を保っていた糸を断ち切った反動は、必ず起きる。

 その中で最悪のものだけは、俺の責任で防がなければいけない。


「最後に一つ、全員で契約を結びたい。恨みの連鎖を起こさないために。今後の生活を前向きで、明るいものにするために」


 そう前振りをして、俺は契約内容を発表する。


「アッスント。お前たち行商ギルドは、俺たち四十二区に拠点を置く者たちに、今後一切『精霊の審判』を使うな」

「……え?」

「その代わりに、今この場にいる四十二区の住民はアッスントに『精霊の審判』をかけない」


 ざわめきが起こる。

 唯一にして最強の武器を取り上げられたような不安があるのだろう。たとえ行使するのに余程の覚悟が必要なものでも、手元にある安心感には代えられない。

 だが、こうでもしなければ、四十二区内で『精霊の審判』合戦が起こってしまう。

 一度カエルになった者は、その瞬間に人生が終わってしまうのだ。

 こんないさかいで、そんな悲惨な状況を起こしたくはない。


「当然、『精霊の審判』が使えないからといって、嘘を吐こうものなら、統括裁判所へ突き出させてもらう」


 双方の『精霊の審判』を抑止するのは、新たな火種のためじゃない。

 和平のためだ。


「誓って、くれるな?」

「………………よく考えてみましたが、どちらかが一方的に不利になる契約ではないようですね」

「当たり前だ。商売をするには信頼関係が一番大切なんだろ?」

「ふふふ……私は、あなたのことを誤解していたのかもしれません……己の利益を邪魔する者と見れば憎しみも湧きますが……こうして公正な目で見れば…………あなたはとてもいい人なのかもしれませんね」

「やめてくれ。柄でもねぇよ」

「……確かに。ふふふ…………」


 アッスントは立ち上がろうとするが、膝に力が入らないようで顔だけをこちらに向けた。


「このような格好で申し訳ないですが…………その契約、お受けしましょう」

「ありがとう」


 アッスントと握手を交わす。

 そして、首だけで振り返りながら俺たちを取り巻く群衆に問いかける。


「お前たちも、それでいいな!?」

「「「「ぅぉおおおおおおっ!!」」」」


 これで、契約が集結された。

 憎しみによるカエル合戦は起こらないだろう。







 こうして、大通りで繰り広げられた行商ギルドと四十二区住民の戦いは、和睦という結末を迎えて幕を下ろした。

 行商ギルドが適正価格での取引を始めることになり、住民たちの生活は一気に向上するだろう。

 もしかしたら、ゴミ回収ギルドはお役御免かもしれないな。

 モーマットたちのところでも、野菜が余るなんてことはなくなるかもしれない。


「ヤシロ」


 日が落ちて、辺りが薄暗くなっている。

 俺たちは陽だまり亭に戻り、大宴会を開いていた。

 各々が材料を持ち寄り、それらをジネットが料理していく。

 酒も持ち込んで、どんちゃん騒ぎに発展している。


 そんなバカ騒ぎの会場を抜け出し、外で風に当たっていた俺のもとに、エステラがやって来た。

 頬が少し赤い。軽く飲んだのだろうか。


「お見事だった。言うことなしだよ」

「酔ってるのか? 素直に褒めるなんて珍しいじゃないか」

「あれだけ頑張ってくれたんだからね。たまには褒めてあげないと」


 よしよしと、俺の頭を撫でてくるエステラ。

 やはり少し酔っているようだ。


「これで、四十二区内の貧富の差はかなり解消されるだろうね。何十年も、誰も手を出せなかったところに、よくぞ切り込んでくれたものだよ」

「その方が、俺の利益になるからな」

「ふふ……そういうことにしておくよ」


 火照った顔を手でパタパタと仰ぎながら、エステラはアゴを上に向ける。

 吹いてくる風にさらされて心地よさそうに目を細める。


「あ、そういえば」

「ん?」


 以前から聞こう聞こうと思っていたことがあったのだ。

 ついでだから、今聞いてしまおう。


「俺がここに来て、もうすぐ三ヶ月になるんだがよ」

「もうそんなになるんだね。毎日賑やか過ぎてアッという間だったよ」

「三ヶ月間四十二区内に住んでいれば住民登録をしてもらえるんだったよな?」

「そうだよ。手続きの方は任せておいて。書類はこっちで用意するから。あ、でも、最後の署名だけは本人の直筆が必須だから、そこは頼むね」

「そうか。分かった」

「そうか、もうすぐしたら、君もいよいよ四十二区の住民に……………………あぁっ!?」


 何かに気が付いたのか、エステラが飛び上がり、俺の顔を覗き込んでくる。


会話記録カンバセーション・レコード!」


 そして、大急ぎで何かを調べ始めた。

 …………ふふふ。


「あぁーっ! やっぱりだ!」


 眉を吊り上げ、エステラが半透明のパネルをこちらに見せ、突きつけてくる。

 そこには、こんな言葉が記されていた。



『その代わりに、今この場にいる四十二区の住民はアッスントに『精霊の審判』をかけない』



 俺が言った言葉だ。

 この言葉に乗っ取り、あの場にいた者たちは契約を結んだ。


「き、君はまだ『四十二区の住民』ではないから、この範疇に含まれてないんじゃないのかい!?」


 ご明察!

 その通りだよ、エステラ君!


『今この場所にいる四十二区の住民』は、アッスントに『精霊の審判』をかけられない。

 だが、その時その場所にいなかった住民と、『その場所にいた住民ではない者』はその限りではない。

 そして、契約の内容が『今この場所にいる四十二区の住民』と明記している以上、『あの場所にいた住民でないものが後々住民になったとしても』この契約に縛られることはないのだ!


 しかも!

 アッスントに誓わせた契約は『お前たち行商ギルドは、俺たち四十二区に拠点を置く者たちに、今後一切「精霊の審判」を使うな』なので、アッスントは俺に『精霊の審判』をかけることは出来ない。

 俺は、アッスントに『精霊の審判』をかけられるけどね!


「…………君というヤツは」


 エステラが険しい表情で俺を見つめる。


 まぁ、そう心配すんなって。

 保険だよ、保険。

 アッスントがトチ狂って、他の誰かを引き込んで四十二区を破壊しようなんて考えたりした際、こちら側に武器を使えるヤつがいた方がいいだろう?

 だから、あえてだよ、あ・え・て。



 吹き抜ける風は心地よく、食堂の中から聞こえてくる声は楽しげで、おまけに俺はとても気分がいい。

 今日は本当にいい一日だったなと、俺はその日を締めくくることにした。





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