47話 被害の後に

「また、大量に持ってきやがったな、このヤロウ……」

「いやぁ、ギルドのみんなも困っててよぉ」


 モーマットが申し訳なさそうに頭をかいている。

 ……そんなもんで誤魔化せると思うなよ?


 大雨の被害を受けた野菜をゴミ回収ギルドで引き取るという話をした翌日、モーマットは朝も早くから陽だまり亭のドアを叩き、アホみたいに積まれた野菜を俺の前に差し出してきやがった。


「凄い量ですねぇ」


 山盛りの野菜を見て、ジネットが喜色を浮かべる。

 ……買わされるんだぞ、これ。喜んでる場合か。


「ですけど、ロレッタさんのご兄妹やトルベック工務店の方々もいらっしゃいますし、賄い料理を提供するにはちょうどいいんじゃないですか?」


 大量の野菜を見て即賄い料理という発想に結びつく。

 本当に、お人好しの見本みたいなヤツだ。

 国語辞典を引いたら名前載ってんじゃないのか? 【お人好し:ジネットのこと】みたいな感じで。


「形は崩れちまってるが、味は折り紙付きだ。もちろん、腐ってるものなんか含まれてねぇ」

「まぁ、そこら辺は信用してるがなぁ……」


 モーマットは、自分たちの野菜に誇りを持っている。

 中途半端な商品は渡してこないだろう。

 形が悪いのだって、本当は売りたくなどないのだろうが、背に腹は代えられないという状況なのだろう。


「ヤシロさん。これを細かく刻んで、タコスにしてみるのはいかがでしょうか?」

「タコスか……」


 ヤップロックのところから買い付けているトウモロコシはポップコーンだけではない。

 フリントコーンをトウモロコシ粉に製粉してから卸してもらっている。トウモロコシ粉で作ったトルティーヤは教会の定めるところの『パン』には分類されず、陽だまり亭での調理が可能な主食だ。


 傷付いた野菜は刻んでしまえば分からない。

 タコスのソースに刻み野菜を入れるのは有りだ。


「じゃあ、タコスと……あとはミネストローネ風野菜スープでも作るか」

「美味しそうですね。わたし、頑張ります!」


 と、ウチの店長が大張り切りをしてしまったので、これらの野菜を購入することが決定してしまった。きっとこいつは百人前でも二百人前でも平気で作ってしまうのだろう。


「妹さんたちがお手伝いしてくださるので、お料理も今はスムーズに出来るんですよ」

「教えたのか?」

「見学しているうちに覚えてしまったそうですよ?」


 なんだ、そのスポンジみたいな吸収力。

 未来の天才はハムスター人族から誕生するんじゃないだろうか。


「え、えっと……つまり、この野菜は……?」

「全部もらおう。いくらだ?」

「ぉ…………ぉおおおおっ!? 本当か!?」

「これが嘘を言っている目に見えるか?」

「………………………………ちょっと見えるんだよなぁ……」

「じゃあ嘘だ。帰れ」

「あぁー! 見えない見えない! 全然見えてない!」

「『精霊の……』」

「わぁああああ、嘘です! ちょっと見えてるけど気を遣って『見えない』って言ってましたぁ! ごめんなさい、勘弁してくださいっ!」

「ヤシロさん。いじめちゃダメですよ?」


 くすくすと笑いながらジネットが優しく諌めてくる。

 ふん。そもそもこのワニが失礼なことを抜かすからだ。


「で、全部でいくらだ?」


 移動販売初日の収入が結構あるので、足りないなんてことはないだろう。

 確か、諸経費諸々差っ引いても1500Rbくらいは余裕があるはずだ。


「1500Rbでどうだ!?」


 わぁ~お。


 だからさぁ、RPGのチュートリアルかって。

 なんでピッタリ持っていこうとするかなぁ、この世界の神様は。


「1トンあるんだ! 今ゴミ回収ギルドは10キロ20Rbで買ってくれてるだろ? 1トンだと2000Rbだ。そこを1500Rbでいいって言ったんだから、お買い得だろ!?」

「本当ですね! お買い得ですよ、ヤシロさん!」

「ジネットはちょっと黙ってろ」


『2000Rbを1500Rbでいい』だと? …………は?


「これを行商ギルドに売ったら、いくらになるんだろうなぁ?」

「う……そ、それは……」

「そもそも、値が付くのかなぁ?」

「………………いや、あの…………」

「800Rb。これ以上は無理だ。災害に遭って不利益を出してるのはお前のところだけじゃないんだぞ?」

「…………………………ヤシロっ!」


 言葉に窮したモーマットが急に大声を張り上げてデカい体を揺さぶった。

 殴られるのかと身構えたが、モーマットは地面に四肢をついた。

 雨上がりでぬかるむ地面で土下座しやがったのだ。


「頼むっ! 俺にはギルドの連中を守らなきゃなんねぇ責任があるんだ!」

「ちょ、お、おい……モーマット」

「調子がいいこと言ってんのは分かってる! お前がこんなお涙頂戴に揺らがないことも重々承知だ! その上で、今回だけ! 今回だけはどうか折れてはくれねぇか!?」

「そんなこと言われてもだな……」

「これを1500Rbで買ってくれたら、この後俺はなんだってする! 奴隷になれというならなったっていい! 今回だけは、どうしても金が必要なんだ! 頼む!」


 これは……正直予想外だ…………


 以前の俺なら、目の前にさらけ出された後頭部を踏みつけてやるくらいのことは出来ただろうが…………

 今現在、陽だまり亭に入ってくる野菜はすべてモーマット率いる農業ギルドからゴミ回収ギルドを経由したものだけだ。行商ギルドからの仕入れルートはこちらから遮断してしまった。

 それを、上手いこと恩を着せることでこちらが優位であると思わせているが、実のところ、野菜の供給を断たれると困るのはこちらの方なのだ。

 まぁ、モーマットはバカだから気付かないだろうけど、でも、ここで関係を拗らせると、後々俺にとって不利益となって……


「何を難しい顔をしてるんだい?」


 いつの間にか、土下座をするモーマットの向こうにエステラが立っていた。

 モーマットの頭上を通り越して、俺の顔を見つめて微笑を浮かべている。……なんかイラッてする余裕を感じる笑みだ。


「善行を行うのに理由が必要とは、君も難儀な生き方をしているよね、ホント」

「言ってる意味がよく分からんが。俺ほど善良な人間もそうそういないだろうに」

「ははは。君がカエルになる時は、ボクの機嫌を損ねた時かもね」

「それは気を付けないとな……お前、胸に弾力がないからすぐ心が傷付きそうだし」

「あれあれぇ? それは遺言のつもりなのかなぁ?」


 エステラの笑顔からどす黒いオーラが吹き出してくる。

 ほら見ろ。弾力不足だからす~ぐ怒る。弾力不足だから!


「モーマット、ちょっといいかい?」

「ん? な、なんだよ?」


 エステラが地べたに這いつくばるモーマットの腕を引き立ち上がらせる。

 そして、俺から遠ざかるように距離を取って、こそこそと耳打ちをし始めた。

 エステラの視線はチラチラとこちらを窺っている。

 なんつーか、探られているみたいで非常に不愉快だ。


 っていうか、モーマット。

 お前気付いてないかもしれないけど、そいつ、お前が「一度くらいは話をしてみたい高嶺の花だ」つってたヤツだぞ。


 モーマットがエステラにつられるように俺を見て、「なるほどぉ」と言わんばかりの表情で大きく頷いた。

 ……何を入れ知恵されやがった…………


「さぁ、モーマット。交渉の再開だ」

「こら、エステラ。お前何を……」

「ヤシロォ!」


 声がデカいよ、モーマット。

 俺がモーマットのバカ声に耳を塞いでいる隙に、エステラはモーマットの背後へと避難しやがった。

 くそ……こんな当て馬の相手してないで、サクッと敵の将を仕留めるのが得策だってのに……


「俺たちは困っているんだ! この野菜を1500Rbで買ってくれ!」


 入れ知恵された結果がそれか?

 泣き落としの声がデカくなっただけじゃねぇか……なんとも稚拙な……


「とりあえず一度、責任者と話し合ってみてくれ!」

「……責任者…………」


 背中にじったりと汗が浮かぶ。

 ……そうか、エステラ。そういうことか…………


「さぁ、後ろにいるジネットちゃん……いや、『陽だまり亭・本店』の最高責任者と協議してくれ!」


 …………くそ。

 俺がこの体勢から、絶対に視線をずらさなかったことに気が付いていやがったのか…………


 俺の左斜め後ろには、ジネットが立っている。

 俺は、この交渉が終わるまで、絶対にそちらを見ないと決めていた……なぜなら…………


「さぁ、ジネットちゃんを見ろ、ヤシロォ!」

「……くっ!」


 呪いにでもかかったかのように、俺の首がゆっくりとジネットの方へと向いていく。

 これはなんだ……ジネットの念か? モーマットの執念か!?

 嫌だ……見たくない…………今、こんな状態でジネットの顔なんか見ちまったら…………


「…………ヤシロさん……」


 もし、ジネットが夜の闇を引き裂く朝陽なのだとしたら、俺はそれに照らされた吸血鬼か何かなのだろう。

 ジネットの顔から発せられる『なんとかしてあげられないでしょうか?』オーラに当てられ、俺の体細胞が塵と化していく。

 他人の足元を見て、欺き、己の利益を少しでも得ようとする俺の中の邪悪なる闇の部分が、天上から差す聖なる光に照らされて浄化されていくのが手に取るように分かる。


 だからな、ジネット。

 そのウルウルした瞳にすべての想いを詰め込んで、囁くように俺の名前呼ぶの、やめてくれるかなぁ……

 つか、その技、使用限度設けない?

 チートだ、チート。


 ズッリィよなぁ…………


「あ~ぁ…………………………………………分かったよ」

「ヤシロさんっ!」

「ぅぉおおおっ!」

「ふふ……」


 ジネットが手を鳴らして表情を輝かせ、モーマットが握りしめた二つの拳を振り上げて雄叫び、エステラが遠くで腕を組んだまま余裕の笑みを漏らす。

 ……あぁ、あぁ、もう……煩わしい。


「その代わり、さっきの言葉を忘れるなよ?」

「へ? なんだ?」


 すっとぼけモーマットに釘を刺しておく。

 こいつ、マジで忘れかねないからな。


「俺が何か協力を要請した時は、何がなくとも協力しろよ! 最優先でだ!」

「あぁ! 任せとけ!」


 任せられねぇ……


「……ヤシロ。ポップコーンが出来た」


 店のドアを開けて出てきたのは、ポップコーンを手に持ったマグダだった。

 野球場の売り子のように、箱状のトレーを持ち、肩紐を斜め掛けにして、出来立てのポップコーンをそのトレーに入れている。

 屋台では行けない場所へも売り歩けるようにと、俺が考案した『売り子スタイル』だ。

 マグダは気合い十分なようだな。


 というのも……


 昨日、溜め池の拡張工事を終えた俺は、夕飯の席でそこであったことをみんなに話して聞かせたのだ。

 妹が少女の帽子を拾ってやったこと。

 そして、その少女から礼を言われたこと。

 最後に、屋台の再開を望む声があったこと。


 その話を聞いて分かりやすく喜んだのはロレッタとジネットだったのだが、実はマグダもかなり喜んでいたようで――

 今朝、俺が目を覚ますよりも早く厨房に入って、ポップコーンのもととなるトウモロコシを選り分けていたらしい。「……再開初日は、高品質をご提供」と、静かに闘志を燃やしていた。


「……ヤシロ、試食して」

「おう」


 差し出されたポップコーンを口に含む。

 ん!? なんかいつもより美味い気がする。


「……ハチミツとバターの割合を変えた。こっちの方が癖がなく食べやすい」


 なんと、マグダは独自にレシピを改良してきたのだ。

 しかも、グレードが上がっている。

 こいつ……ポップコーン職人の座を不動のものにするつもりだな。最近、妹たちが作れるようになってきたこともあり、ここいらで格の違いでも見せつけようって魂胆か。

 だが。


「美味い!」


 正直脱帽だ。

 ポップコーンに関しては完全に追い抜かれてしまったな。


「……ふふん」


 無表情ながら、マグダの表情は嬉しそうに見えた。

 ネコ耳がぴこぴこ揺れているから間違いはないだろう。


「……店長。試食」

「はい。では、いただきますね」


 お上品に一粒摘まみ、口に入れた瞬間……ジネットの瞳が大きく見開かれた。


「…………ハチミツとバターが、口の中でルリルリルララ……」


 あぁ、またよく分からない表現が誕生してしまった。

 今度ハム摩呂に比喩表現のなんたるかを教わるといい。あいつはプロだから。


「……エステラ。試食」

「ん? ボクもいいのかい? じゃあ、一つ……」

「わぁ、どんな表現で美味しさを伝えてくれるのか、ヤシロ、た・の・し・み☆」

「……なんだい、それは?」

「ヤシロ、た・の・し・み☆」

「…………別に、何かコメントとかしないからね。変な期待しないように!」

「………………じぃ~」

「しないからねっ! ……もう! 食べにくいじゃないか!」


 ふふん。

 さっきの仕返しじゃい。


「まったく…………んっ! 口に入れた瞬間、ハチミツの香りが、こう、ふわっと……いや、でもバターの風味も…………あ、これは牛乳の……………………無くなっちゃった」

「語彙力のないヤツめ」

「ヤ、ヤシロが変なプレッシャーかけるからだろう!? もう! 味もよく分かんなかったじゃないか!」


 あ~、そうやってなんでも人のせいにするの、どうかと思うなぁ。


「……モーマット。食べる?」

「え、いいのかい!? じゃあ、遠慮なく!」


 モーマットがデカい手でポップコーンを掴んで口へ放り込む。

 ……本当に遠慮なく食いやがったな。


「おぉっ! こりゃあウメェな! なんつうか、懐かしい甘さなんだけど、すっきりと洗練された風味と相まって、なんだかスタイリッシュなお菓子にランクアップした感じがするぜ」


 ………………なんか、ちょっといい感じのコメントを寄越しやがった。


「モーマットのくせに」

「モーマットのくせに」

「ヤシロさん、エステラさん。お二人とも、モーマットさんが可哀想ですよ」

「俺、なんか悪いことしたか……?」


 何が悪いかと言われれば……そうだな、一言で言うなら…………


「なんか気に入らない」

「どうしろってんだよ、そんなもん!」


 困り顔で吠えるモーマット。

 そんなモーマットに、マグダがそっと手を差し出す。手のひらは上を向いている。


「……まいどあり」

「…………へ?」


 突然のマグダの言葉に困惑するモーマット。

 マグダはトレーに添えていた両手をそっと離す。すると、両手によって押さえられていた紙がぺろ~んと垂れ下がり、トレーの前面にこんな張り紙が出現した。


『 新作ハニーポップコーン 一人前 1500Rb 』


「ぶふぅっ!?」


 その張り紙を見てモーマットが盛大に吹き出した。

 なんだ、その凄まじいぼったくり料金は……そりゃモーマットじゃなくても目玉飛び出るわ。


「や……いや、あの……マグダちゃんよぉ…………これ、試食……だよ、な?」

「……試食? 誰がそんなことを?」


 あれはマグダがすっとぼける時の表情だ。

 モーマットの焦りはピークに達する。


「い、いや、だって! マグダちゃんが俺に『食べるか?』って聞いたんだよな!?」

「……会話記録カンバセーション・レコード


 マグダの呟きに合わせて、マグダの目の前に半透明のパネルが出現する。

 マグダはそれを指でスクロールさせ、該当部分の会話を表示させる。


『……ヤシロ、試食して』

『おう』


 まず、俺に試食を勧めた時の会話だ。


『……店長。試食』

『はい。では、いただきますね』


 そして、ジネット。


『……エステラ。試食』

『ん? ボクもいいのかい? じゃあ、一つ……』


 エステラと来て――


『……モーマット。食べる?』

『え、いいのかい!? じゃあ、遠慮なく!』


「うん。『試食』とは言ってないな」

「えっ!? えぇっ!? いや、でも、『食べるか』って聞いたじゃねぇか!?」

「……『いかがですか?』は、接客業の常套句」

「うっ……そ、そりゃ…………そう、なんだろうけど…………」


 マグダの言葉に、ぐうの音も出ないモーマット。

 マグダ……お前、いつの間にこんなに逞しく……


「エ、エステラさん! ど、どど、どうしましょう!? マグダさんがヤシロさんみたいに!?」

「今すぐレジーナのところに行って毒素を抜いてもらおう! ヤシロウィルスが蔓延してしまう前に!」

「お前ら、あとで覚えてろよ」

「あぅっ、ち、違いますよ! ヤシロさんがダメなのではなくて、マグダさんがヤシロさんみたいになってしまうのはちょっと問題かと……あぁ、そうではなくて! ヤシロさんはいい人なんですけれど、ヤシロさんのようなタイプという大きな括りにするとその限りでは……いいえ、これも違います! えっと、つまり……!」

「ジネットちゃん。素直に『ヤシロは二人もいらない』って言ってやればいいんだよ」

「そ、そんなつもりは……っ! あの…………………………マグダさん、頑張って第二のヤシロさんになってください……」

「諦めちゃダメだ、ジネットちゃん!? こんなのが増えたら四十二区は食い尽くされてしまうよ!?」

「もう一回言うぞ。お前ら、あとで覚えてろよ」


 まったく、失礼な連中だ。


 で、モーマットがどうなったかというと……

 蛇に睨まれた蛙のように、ただひたすら脂汗を垂れ流していた。


「……せ、せせせ、せ、1500Rbっていやぁ……」

「……ヤシロを困らせた罰」


 無表情のマグダが、抑揚のない声で言ったその言葉に、俺は正直驚きを隠せなかった。

 こいつが、そんなことを思うなんて……


「そ、そんなつもりは…………なかったんだが……」


 モーマットがうな垂れてしまった。

 完全に諦めモードだ。こいつ、まさか払う気じゃないだろうな?


「分かったよ……最初に確認しなかった俺が悪かったんだ……1500ルー……」

「真に受けんなよ、バカワニ」


 全部を言い切る前に、モーマットの額にチョップを落とす。


「マグダも。冗談は冗談と分かるように言ってやるべきだ。悲しい気持ちにさせてしまっては、あとで笑えない」

「……マグダは、冗談は…………」

「冗談だよな?」


 やや不機嫌そうにピンと立った耳を少々乱暴にもふってやる。


「…………ふにゃぁ……」


 途端にマグダの力が抜け落ちる。

 しゃがみ込んでしまったマグダの頭を撫で、俺もしゃがんで耳元で囁く。


「ありがとうな。怒ってくれて。けど、許してやってくれねぇか?」

「…………ヤシロがいいなら、別に、いい」

「そっか。いい娘だ」


 こいつの目には、俺が強引に押し切られたように見えたのかもしれない。

 エステラやジネットのように、相手の言葉の裏に含まれる感情を汲み取ることには、まだ慣れていないのだろう。

 エステラほど狡猾になられるのは困るが、ジネットくらいにはなってもらいたいものだ。

 そうだな。もう少し、素直に甘えられるくらいにはな。


「マグダさん。モーマットさんの野菜に関してですが」


 俺とマグダが向かい合ってしゃがみ込んでいるところへ、ジネットがやって来て同じようにしゃがむ。

 そして、幼い子に言い聞かせるように優しくも聞きやすい、温かい声で囁きかける。


「ヤシロさんは最初からモーマットさんを助けるつもりでいたのだと思いますよ。ヤシロさんは、口は悪いですが、とてもいい人ですから」


 悪かったな、口が悪くて。


「……困っているように、見えた」

「照れ隠しです」


 いや、照れてはいないけどな。


「でも、マグダさんのその優しい気持ち。わたしは大好きですよ」


 モーマットにとっては悪魔のような仕打ちだっただろうけどな。


 まぁ、あとはジネットに任せておこう。

 上手く宥めてくれるだろう。


「ヤ、ヤシロ…………俺、嫌われたのかな?」


 不安な表情を顔面に張りつけて、モーマットが俺に近付いてくる。

 心配性め。


「大丈夫だよ」

「そ、そうか……」

「元々好かれてたわけじゃないんだから」

「それはそれで悲しいんだよっ!」


 いいじゃねぇか。ゼロがマイナスになったくらい。


「マ、マグダちゃん! 俺は、ヤシロとマブダチなんだよ! たまにキツイ冗談も言い合うが、本当は仲良しだからな!?」


 勝手に肩を組み、勝手なことを抜かすモーマット。

 いつからマブダチになったって?

 俺のマブダチは月額料金発生するぞ? 入会費も。


「それにしても、今回は随分強引だったよね。普段の君らしくもなくさ」


 しれっと他人事ですよ~みたいな顔を決め込んでいるエステラ。俺を追い詰めた張本人なんだからお前も糾弾されろよ。まったくズルい女だ。


「実は、ギルドの仲間に……農家を辞めるとか言うヤツが出てきてよ……」

「辞めてどうする気なんだい?」


 転職か?

 この世界に職業選択の自由ってあるのかね?


「冒険者になって、一発当てるって……」


 おぉ無謀!

 冒険者がどんな方法で金を得るのかは知らんが、『一発当てる』と言ってるヤツが当てられた試しがない。

 きっと、相当切羽詰まってのことなんだろう。


「そいつの家、この前子供が生まれたばかりなんだが……このままじゃ、家族がバラバラになっちまう……」

「それは……悲しいことですね」


 ジネットが泣きそうな表情を浮かべる。


「それでっ、1500Rbありゃあ、なんとか農家を続けられるんだ! それで持ち堪えられるのはしばらくの間だろうが、それでも、今すぐ辞める必要はなくなる!」

「それじゃあ、君たちの利益をすべてその家族にあげるっていうのかい?」

「俺らは……まだ、なんとかやっていける。少ないが、蓄えもある。…………仲間の苦労には代えられねぇよ」

「……モーマットさん…………」


 そんな事情があったのか。

 それで、あの土下座か。


 ってことは何か?

 こいつは自分たちの利益を度外視で俺に1500Rbで買えと言ったのか?

 素直に2000Rbで押し通しておけば自分たちの利益にもなったろうに。


 はぁ……バカというか、正直というか、バカ正直というか、…………うん、バカだな。


「……ヤシロ」


 モーマットの話を聞いて、マグダが少し悲しそうな表情を見せる。

 耳がぺた~んっと寝てしまっている。


 こいつも、親から離れて狩猟ギルドで暮らしていたのだ。独りぼっちのつらさはよく知っているのだろう。


「…………一人前、1500Rb」

「俺に売ろうとしてんじゃねぇよ」


 ポップコーンのトレーを差し出しながら言うマグダ。この娘、将来が怖いわぁ……


 それにしても……


 オールブルームで最も貧しいと言われる四十二区。中央区と比べれば、その差は天と地ほどの差と言えるだろう。

 だが、そんな最底辺である四十二区の中でさえも貧富の差は激しい。


 言ってしまえば、たかが1500Rbだ。

 四十二区の中に限っても、その額をなんら躊躇いなくポンと出せてしまうヤツは少なくない。

 大通りの酒場にいたヤツらなんかがその筆頭と言えるだろう。一口1000Rbの賭けに、ほいほい乗ってきやがったのだから。

 もちろん、賭けに負けてまったく懐が痛んでないわけでもないのだろうが、あいつらにしてみれば「損をした」程度で済ませられる額だったのだ。


 だが、農業ギルドの連中が同じ目に遭ったなら……人生終了の合図が高らかに鳴り響くことだろう。


 みな、分かっているのだろうが、気付いていない。気付かないフリをしているわけではなく、本当に気付いていないのだ。

 農業ギルドをはじめとする生産者たちの犠牲の上に、現状が成り立っているということを。


 俺が来る以前の陽だまり亭ですら、ギリギリとはいえなんとかやってこられていたのがいい証拠だ。

 日に一人二人の来客数で、五人も来れば諸手を挙げるほどで、けれどその中には食い逃げが半数近くも含まれているというお粗末さで。

 にもかかわらず、潰れずに済んでいたのだ。

 そのしわ寄せがどこに行っていたのかなんて、考えるまでもない。


 ゴミ回収ギルドの野菜の買い値は、行商ギルドに比べれば良心的過ぎると思われるくらいに高い。故に、ジネットもモーマットもバカみたいに喜んでいた。

 が、俺に言わせれば、あんな額での取引など『買い叩いている』以外の何ものでもない。もしかしたら、そんな言葉で表現するのもおこがましいと言えるほどかもしれない。


 トルベック工務店の連中が足しげく通ってくれるおかげで、陽だまり亭はもはや安泰と言えるくらいの状況にまでなっている。

 もちろん、まだまだ贅沢なんて出来ないし、俺が自由に出来る金もまったくないが、ここで生活していく分にはもう十分と言えるほどなのだ。

 この上で移動販売が上手く回り出せば…………両手に巨乳美女をはべらして、好きな酒を好きなだけ飲めるような生活も夢じゃない。


 だから、俺が生産者たちのことを憂慮してやる必要などどこにもないのだ。

 販売側の身としては、仕入れ値が抑えられれば抑えられるほど、利益は上がるのだから。


 俺が散々言ってきたことじゃねぇか。「騙される方がバカなんだ」と。

 おかしな現状に、気付くことも、疑問を持つこともしないヤツらがそもそも悪いのだ。悪条件であるにもかかわらず、行商ギルドに言われるままに承諾し、考えることを放棄したヤツらこそが悪なのだ。

 幸いなことに、ジネットは何も気付いていない。頭の働くエステラですら、そのことに考えが及んでいない。

 みんな、貧富の差があることは当たり前だと、それはそういうものなんだと、享受してしまっている。

 ならば、俺がそのことを気付かせてやる必要などどこにもないのだ。


 だが……こうも考えられる。


 金は天下の回りものだと。経済が回ってくれなければ、俺が将来受け取るべき額もグッと押し下げられてしまうと。


 モーマットたち生産者は、おそらく大通りの店に入ることもほぼないのだろう。

 陽だまり亭が移動販売を再開させたところで、そんな状況じゃお客として取り込めない。そもそもポップコーンすら贅沢品扱いで、そう簡単には手が出せないものかもしれない。


 そんなヤツらが四十二区の半分を占めるのだ。

 いくら移動販売が上手くいったところで、それではいずれどこかで頭打ちする。

 つまり、俺が両手に巨乳美女をはべらして、思う存分飲み食い出来る未来が遠ざかるということだ。


 だから、まぁ、なんというか…………つまりそういうことってことだよ。


「店長。ご相談があります」

「はい。伺いましょう」


 背筋を伸ばしてジネットに向き合うと、ジネットもピッと背筋を伸ばした。

 おっぱいどーん。

 ……これくらい言わせてくれ。今から反吐が出そうなセリフを吐かなきゃいけないんだから……


「この野菜を定価で買い取ってやりたいんだけど、店のどっかに500Rb落ちてないか?」

「はい。日替わり定食のヒットと、トルベック工務店のみなさんが通ってくださっているおかげで、それくらいの蓄えならありますよ」

「そいつぁよかったぁ。これで農業ギルドと交渉が出来るぜー」

「お、おいおい、ヤシロ!」


 俺とジネットのミーティングに、モーマットが割り込んでくる。


「いくらなんでも、お前らにそこまで迷惑かけられねぇよ! これは、こっちの問題なんだ!」

「お前んとこ、土地余ってたよな?」


 モーマットの話は無視して、俺は違う問いを投げかける。

 素直に答えろ。そうすりゃ、いいことがあるかもしれんぞ。


「あ、あぁ、まだ耕してない土地がそれなりにはあるぜ」


 水路の水を避難させる穴を掘った場所も、相当な広さがあったが、荒れ地と化していた。


「なんで耕してないんだ?」

「いや、人手がな……それに、今農業ギルドは金銭的に綱渡り状態で……新しいことに挑戦している暇は……」

「遊ばせている土地があるんだな?」

「あ、あぁ……」

「じゃあ話は早い。その土地を貸してくれ」

「土地を!? な、何をする気だ!?」

「ハムスター人族に農業をやらせる」

「…………っ」


 モーマットの目が見開かれる。

 さすがに驚きを隠せないようだ。


「遊ばせている土地を使って、農家の見習いをやらせてほしい。出来れば、お前の畑の小作人扱いで、野菜の取れ高に応じて報酬を支払うシステムにしてくれると助かる。あいつら、計算が出来ないから個人事業主になって野菜を売るなんて交渉、絶対出来ないんだ」

「俺が、……あいつらを、雇うのか?」

「もちろん見習いだから格安でいい。現品支給でもいい。なんなら、ハムスター人族の野菜はすべてウチで現金化してやってもいいしな」


 モーマットは腕を組み、そして低い唸り声を上げて首をひねった。

 深く深く思案の海に飛び込み、ぐるぐると思考を巡らせている。


「……なぁ。なんでそこまであいつらの面倒を見るんだ?」


 かけられたのは、農業とはまるで関係ない、そんな問いだった。

 これまで見たこともないような、真剣な眼差しが俺を見つめている。


 俺は一度深く息を吐いて、きっぱりと言ってやる。


「気に入ったからだが?」


 単純明快。

 それ以外に言いようがない。

 そんな分かりやすい解を。


「……そう、か」


 モーマットが頭をポリポリとかき、また「……あぁ、やっぱ俺はまだまだだよなぁ……」と呟いた。


「じゃあよぉ、もしかしてお前が俺たちを気にかけてくれてるのって………………」


 そこまで言いかけて、モーマットは口を閉じる。

 そして、鼻で笑い、自嘲するように呟いた。


「いや……それを聞くのは野暮ってもんだな」


 どこか吹っ切れたような、そんな声色をしていた。


「分かった! 外壁側に結構な広さの土地が余ってる。そこを貸してやろう!」

「本当ですか!?」


 喜びの声を上げたのはジネットだった。

 これでまた、ハムっ子たちの働き口を確保出来たわけだ。

 トルベック工務店と、農業ギルド。

 そして、ウチの移動販売の売り子と調理補助。

 これだけあれば、なんとか食いっぱぐれなくて済むだろう。

 しかも、ハムっ子たちはローテーションで仕事が出来る。

 ずっと同じヤツが農業でも構わないし、何人かで交代で働いても構わない。

 あいつらなら、どんどん技術を吸収していくことだろう。

 雨が降ったらこっちの手伝い。

 怪我人が出たら誰かが穴埋め。

 そんな働き方が出来るのだ。


「ただし、俺が教えるからには厳しくしていくから、覚悟しておけと伝えといてくれよ! 『泣き言言いやがったら叩き返すからな』って!」


 厳しい指導員ぶっているのかもしれないが……


「一番泣き言言ってんの、お前だろうが」

「確かに、モーマットはよく泣くよね」

「……泣きワニ」

「みなさん、事実は時に人を傷付けるんですよ」

「いや、ジネットちゃん……それが一番辛辣だぜ……」


 指摘されて頬を赤らめるジネット。

 モーマットの表情も柔らかいものになっている。

 マグダも、涼しい顔をしているが機嫌はよさそうだ。

 これが、みんなの望んだ結末なのだろう。楽しそうで何よりじゃねぇか。


 手に入った野菜をさっそく調理しようと、ジネットとマグダは厨房へ向かうようだ。

 モーマットがせめてもの気持ちにと、大量の野菜を運んでくれるらしい。

 三人がぞろぞろと食堂へと入っていく。



 こうして、陽だまり亭の蓄えがすっからかんになった代わりに、ハムっ子の新しい働き口が見つかった。

 そして…………



 俺が口出ししやすい畑が手に入ったのだ。



 ふっふっふっ……またしても俺は、他人の持ち物で自分の利益を得るシステムを組み上げたのだ。

 どーだ! すげぇーだろー!

 実は品種改良とか、やってみたかったんだよなぁ。

 色々実験して、コストを削減出来ればダイレクトに利益に繋がる。

 ブランド品種でも誕生した日には、億万長者も夢ではない。

 ふふふ……俺の未来は明るいっ!


「ヤシロ」


 一人、心の中でひっそりほくそ笑む俺の肩を、エステラがポンと叩く。


「善行に理由づけするのも、大変だよね」


 それだけ言い残して、食堂の中へと入っていく。

 …………なんだよ。ったく。


「俺は、善人じゃねぇよ」


 そう呟いてみたものの、聞く者は誰もいなかった。






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