46話 ハムっ子のお仕事

 俺の予想通り、午後には雨が上がった。


「おにぃちゃん! 虹ー!」


 空にかかる虹に歓声を上げたのはロレッタの弟だ。

 俺は今、ハムっ子たちを引き連れて四十二区の中を歩いている。

 隣には、ウーマロ。


「はぁ……やる気が出ねぇ」

「なんでッスか!? なんか、軽く傷付くッス!」


 今ここには女子がいない。


 ジネットは教会の手伝いに向かい、ロレッタはスラムの洞窟で兄妹たちとろ過装置に使う材料を集めている。そして、それらの材料を運ぶのがマグダの仕事だ。

 エステラは館に戻り、ナタリアと再度打ち合わせを行うと言っていた。領主を納得させて金を引き出してくるのだそうだ。


 洞窟でのミーティングの後、ウーマロは一度トルベック工務店へ戻り人手を確保してきたようだ。

 取り急ぎグーズーヤと数名の大工が駆けつけ、現在スラムの洞窟内でろ過装置を作り始めている。

 ヤンボルドは他の大工に声をかけて回り、あとで合流するのだそうだ。夕方にはトルベック工務店全員集合となるだろう。


 それまでの間、俺たちは特に被害の大きな場所を回り水害の応急処置を施すことになった。

 四十二区を往復したウーマロが、何ヶ所か深刻な被害状況の場所を見たらしいのだ。

 それで、エステラから正式に依頼され、俺たちは一足先に慈善事業を開始することとなった。


 で、最初に訪れたのがここ、モーマットの農場だ。

 俺もこの前知ったのだが、モーマットは四十二区の農業ギルドの代表者らしい。……頼りねぇ。

 この付近の土地の大部分はモーマットのものらしく、モーマットはその土地を人に貸し与え農作業をさせているのだとか。豪農というヤツか?

 もっとも、儲かっている感じは一切しないけどな。


「おーい! モーマット!」

「おぉ、ヤシロー!」


 田んぼの中に立ち、モーマットが俺に挨拶を返してくる。

 ……いや、違うな。ここはモーマットの『畑』だったはずだ。


「……酷いな」


 俺は、完全に水没してしまっている畑を見て率直な感想を言う。

 水嵩はモーマットの膝下程度もあり、サヤエンドウやナス、トマトなんかが完全に水の中に沈んでいる。


「雨が上がって来てみればこれだよ……まぁ、ある程度予想はしていたが…………さすがに参ったぜ」


 畑は水浸しでビッチャビチャだが、モーマットの顔に浮かぶ笑みはカッサカサに乾いていた。

 もう笑うしかない状況なのだろう。……まぁ、笑えてないけどな。


「どうすんだよ、この野菜? さすがに売れないよな」


 沿道にしゃがみ畑を覗き込む。

 水路が溢れ、水に埋もれてしまっている。もはやなんの意味もなしていない。

 濁った水の中にぷかりと浮かぶ収穫前の野菜がなんとも物悲しい。


「これじゃあ、買い取ってはくれんだろうなぁ。まぁ、食えるもんは食うが、大半は廃棄だな。なぁ、ゴミ回収ギルドの方でいくらか引き取ってくれねぇか? こんな状況だから可能な限りまけさせてもらうからよぉ」

「まけるも何も、元々値の付かない野菜じゃねぇか」

「ゴミを回収してくれるのがゴミ回収ギルドだろう!?」

「建前はな!」


 こいつはゴミ回収ギルド設立の一部始終を見ていたはずだ。

『使えもしないゴミを買い取る商売』ってのが、行商ギルドを追い詰めるための建前だと知っているはずだ。

 基本的に、俺は慈善事業などするつもりはない。……まぁ、今こうして似たようなことをやってはいるが、これは決して慈善事業などではない。ゆくゆく俺の利益に繋がる、いわば労働の投資なのだ。


「生活は大丈夫なのか?」

「まぁ……雨の前に早摘みした分があるから、貧弱な野菜だが……売れないことはないだろう」

「なるほど……で、それが売れたとして、生活は大丈夫なのか?」

「……大丈夫じゃねぇよ。完全にお手上げ状態だ」


 モーマットがしょげ返ってしまった。

 相当被害が大きかったのだろう。

 あ~ぁ、もう。この場に居もしないジネットの顔が浮かぶようになりやがった。で、きっとこんなことを言うのだろう。

「ヤシロさん。なんとかしてあげられませんか?」と。

 で、俺が何か対策を立てると満面の笑みでこう言うんだろ?

「はい! ありがとうございます」ってな。

 …………あぁ、これはもう、アレだな。ちょっとした病気だ。知らんぷりすりゃいいのによお……もう。


「……分かった。売り物にはならないけど、まだなんとか食えそうな――売り物にはならないがダメにはなっていない野菜を集めて、明日の朝にでも陽だまり亭へ持ってきてくれ」

「本当かっ!?」

「この話をウチの店長が聞いたらなんて言うと思う?」

「そりゃお前、可愛らし~ぃ顔して、こう、瞳をウルウルッとさせて『可哀想ですっ』って」

「違う。最近は自分の感想は口にせず、ただ一言……『ヤシロさん……』だぞ?」

「はっはっはっ! 信頼されてんじゃねぇか、ヤシロ!」

「……そりゃどうも」


 遠慮なく馬鹿笑いするモーマットを泥水に沈めてやりたくなったが、言い返せないからといって力に訴えるのは俺の信条とするところではない。……えぇいくそ、忌々しいワニめ。

 つか、水浸しの畑にワニがいるって……日本じゃ住民が大パニックになる事案だぞ。


「どうせ、どこも同じような状況なんだろう? ついでだからお前んとこのギルドの連中んとこのもまとめておいてくれ」

「そりゃありがたいが……自分で言っといてなんだが、大丈夫か? そんなに使えるのか? 傷んだ野菜はそんな長持ちはしねぇぞ」

「なぁに。ちょっと理由があってな。ウチの関係者が大量に肉体労働に従事することになったんだよ。そいつらの賄い料理にでも回すさ。どっちみち、放っといてもジネットが作っちまうだろうから破格の値段で手に入るならそっちの方がいい」

「そうかい? いや、実際買い取ってくれるとなると、なんか悪い気がしてきてよぉ」

「じゃあまけろよ。大まけしろ」

「そりゃそのつもりだが……」


 変な罪悪感を覚え、農家のワニが柄にもなくもじもじし始めやがった。……可愛くねぇぞ。


「見栄えが悪いと売り物にはならねぇが、味が良ければ食い物にはなる。お前んとこの野菜なら大丈夫だよ」

「ヤ、ヤシロォ…………ッ!」


 両手を広げ、涙目のワニがバッシャバッシャと水を蹴り飛ばしながら駆け寄ってくる。

 怖い怖い怖い! 水辺のワニは怖いんだよっ!


 40センチほど低くなっている畑に立つモーマットの首の根元を足蹴にして、俺はワニの襲撃を回避する。


「……ひでぇなぁ」

「オッサンに抱きつかれて喜ぶ趣味はねぇ」


 首をさすりながらも、モーマットはどこか嬉しそうだった。……そういうので喜ぶヤツじゃないだろうな?


「で、被害状況はどうだ?」

「ご覧の有り様だよ。水が抜けるまで手の施しようがねぇ」


 溜め池のようになってしまった畑を見渡し、モーマットは諦めたような息を漏らす。

 水が引けるのは、何日後になることやら……


「実は今、領主からの命令で慈善事業キャンペーン中でな」

「領主様からの?」

「お前見たことあるか? 四十二区の領主」

「当たり前だろう。俺は農業ギルドのギルド長だぜ?」


 知ってるよ。いつも泣き言を言ってる頼りにならないギルド長だよな。


「領主様には美しい一人娘がいてな。俺もチラッとしか見たことがないんだが……かぁ~、一度くらいお話をしてみてぇもんだなぁ。まぁ、高嶺の花だから無理だろうがなぁ。ヤシロも、見たら絶対同じことを思うぜ」


 いいえ。特には。

 つか、お前ここで話したことあるぞ。


 モーマットも領主の娘がエステラだとは気が付いていないようだ。


 夢を見るって大切だよな。

 つーわけで、お前は高嶺の花に憧れ続けてろ。


「で、慈善事業って、なんなんだ?」

「こいつらがお前の畑の水を抜いてくれる」

「どもッス! トルベック工務店の棟梁、ウーマロッス! あと、こっちはオイラんとこの見習いッス。今日は手伝いをさせるッスよ」

「へ、へぇ……そう、なのかい……」


 引き攣った笑みを浮かべた後、モーマットは俺にだけ聞こえるような声でこっそりとこんなことを言ってきた。


「なぁ、ヤシロ。お前、そいつらのこと、……その、知ってるのか?」


 知り合いか、という質問でないことは明白だ。

 先ほどから視界に入っていながらもずっと無視をし続けていたもんな。

 モーマットも、スラムにはいい印象を持っていないようだ。……ま、それがこの街のスタンダードなんだろうが。


「ウチの従業員の弟たちだ。割と使える連中なんだぜ?」

「お、おぉ……そうか。まぁ、ヤシロの知り合いなら……うん……大丈夫か…………野菜も、とられて困るようなもんはねぇし……ま、いっか」


 こいつ、弟たちが野菜をくすねると思ってるのか?

 ねぇよ。躾はきっちりされてんだ。

 まぁ、そこんとこよく見とけ。


「で、水をどうやって抜くつもりなんだ?」

「穴を掘る。お前ら出来るな?」

「出来るー!」

「水路の隣に大きな水溜まりを作るー!」

「水の避難所やー!」


 おい、最後のヤツ。『食の宝石箱やー』みたいに言うなよ。……え、いないよね、こっちにそういうグルメリポーター的な人?


「ヤシロさーん! この空き地がいいッス!」

「おー!」

「おい、いいって……何すんだよ?」

「あそこの土地お前んだよな?」

「あぁ。ここら一帯は俺の土地だが……」

「じゃあ貸してくれ。あとで領主から正式に契約書が届くと思うから」

「は? や、まぁ……いいけどよ」


 持ち主の許可を得て、その場所を借り受けることになった。

 畑に水を引き入れる水路の上流部分のちょうどいい場所にある空き地で、追々畑にしようとしていた場所らしい。

 ここに大きな穴を掘り、水路からの水を逃がしてやるのだ。下水が完成するまでの間、農地の水調整はここで行ってもらうことにする。


「よし、じゃあ、総員! 掘るッス!」

「掘るー!」

「超掘るー!」

「土の大革命やー!」


 いや、だから最後のヤツ!?

 お前、『何摩呂』だよ!?


「おぉ…………こいつぁ……」


 弟たちの働きぶりに、モーマットが言葉を失う。

 それもそのはず。弟たちはまるでバターを抉るようにすいすいと土を掘り返していくのだ。

 …………マジで速いな。こいつら、こんなに穴掘れるのかよ? 本当はモグラ人族なんじゃねぇの?


「これ、どうなるんだ?」


 俺の隣に並び、ウーマロの指揮下で働く弟たちを眺めているモーマット。視線を弟たちに向けたまま尋ねてくる。

 目が離せないらしい。確かに、見ていて飽きない。感心するような働きぶりだ。

 弟たちは至って楽しそうだけどな。


「まず、水路の脇に巨大な穴を掘る。で、深さを確保した後で、水路の壁を一部破壊する。そうすると水が今掘っている穴に流れ込んでいって、お前んとこの畑の水も、水路の高さまでは一気に引いてくれる。あとは自分で頑張って水路に水を捨ててくれ」

「だが、ここは水路の一番上流だ。水が引いた後はどうすりゃいい?」

「破壊したところに木の板を立てかければ、穴の方には流れ込まなくなるよ」

「板は倒れたりしねぇのか?」

「ある程度嵌るように作っておけば、あとは水圧で水の方が板を押さえておいてくれんだよ」

「へぇ……そうなのか」


 う~んと唸るモーマット。

 その視線はずっと弟たちに注がれていた。


「……俺も、まだまだだなぁ…………」


 モーマットが漏らしたその言葉が何を意味するのかは聞かない。

 だが、最初の仕事をここにしたのは正解だったと、俺は確信した。


 モーマットの顔にはもう、スラムの住人を忌避する感情は浮かんでいない。あるのはただ、感心と少しの罪悪感だけだ。


 それから俺たちは黙って弟たちの穴掘りを眺めていた。


 あれよあれよと穴は深くなり。あっという間にタテヨコ3メートル、深さ5メートルほどの巨大な穴が誕生した。

 …………速ぇよ。


 水路の一部を破壊すると水がどんどん流れ込み、思惑通りに畑の水位はどんどん下がっていった。あとは、モーマットたちだけでなんとかなるだろう。


「よくやったな、お前たち」

「褒められたー!」

「お兄ちゃんに褒められたー!」

「兄の大絶賛やー!」


 こいつら、なんでそんなに俺が好きなんだろうな。……ったく。

 で、最後のヤツ。お前はハム摩呂に決定な。


「いやぁ、思った以上に働けるッスね、弟たち」

「だな。予想以上だ」

「これなら、今日中に深刻な箇所は回り切れるかもしれないッス」


 弟たちの働きぶりに、ウーマロも感心したようだ。

 なんだか活き活きした表情を見せている。


「んじゃ、モーマット。あとはしっかりやれよ」

「お、おぉ!」


 挨拶もそこそこに、穴掘り道具を載せた荷車を引き、俺たちは歩き出す。


「あっ、あのよっ!」


 慌てたように声をかけてくるモーマット。

 振り返ると、なんとも言えない表情で俺を見ていた。いや、弟たちを見ているようだ。


「あの…………なんつうか…………いや、すまん。なんでもない」


 まぁ、長年染みついた忌避感情はそうそう払拭出来るものではないだろう。

 そうやって行動を起こそうとしてくれただけで良しとしとくさ。

 こっちも、一朝一夕でどうこうなるとは思ってねぇからよ。


「が、頑張れよ!」

「お前もな~。んじゃ」


 軽い挨拶をして、俺たちは歩き出す。

 弟たちは今の反応をどう思っただろうか。

 特に気にしている様子は見受けられない。

 穴掘りが楽しかったとか、誰が一番掘っていたかとか、次は競争だとか、楽しそうに話をしている。だがそれは、自分たちの中だけで完結していることで、対外的な部分は俺というフィルターを通してでしか見ていない。こいつらにとっては『お兄ちゃんのお手伝いをしている』に過ぎないのだ。誰からの依頼かは関係ないのだ。……移動販売の時に変に悟っちまったのかもしれねぇな。何も期待していなければ、傷付くことも少なくて済むからな。

 それはそれで、悲しいことだけどな。…………って、俺が言える立場かよ。


「次は金物通りだ。まだまだ掘るところは多いからな。前半でバテたりすんじゃねぇぞ」

「「「は~いっ!」」」


 こいつらの元気は、たまに切なくなる時がある。

 ……なんとかしなきゃな。俺が切なくならなくて済むように。






 次に訪れたのは、以前マグダがネコ化した際に逃げ込んだ、非常に入り組んだ通りだ。

 この通りも水捌けが悪く、道が水没していた。


「あんたらは?」


 盾を作っている工房の前で、煙管をふかした狐っぽい美女が俺たちに声をかけてくる。

 この人は確か、マグダを探しに来た際に会ったことがあるな。

「お久しぶりです! 以前お話を伺った『すっぽんぽん幼女』の男です!」とでも言えば思い出してくれるだろうか?

 ……そんな思い出され方されて堪るか。


「領主の命で、この通りの水をなくしにやって来た」

「そりゃありがたいけど…………そっちのソレがやるのかい?」


 狐のお姉さんは訝しげな表情で弟たちを睥睨する。

 電車の中で大騒ぎをする学生を疎ましく思うお疲れのサラリーマンみたいな表情だ。


 これが、住人たちの素の反応なんだろうな……根が深い。


「こいつらがこの通りに溝を掘るんだよ。今回、蓋するまでは出来ねぇからそこは自分たちでなんとかしてくれ」

「いや、それくらいは構わないけどねぇ…………でも、ソレがやるのかい?」

「じゃあ、誰か人材を寄越してくれるか?」

「いや……アタシらも、自分の店のことで手一杯だし……」

「じゃあ放置するか?」

「いや……」

「『いや』なんだよ?」

「ヤシロさん!」


 ウーマロが俺と狐のお姉さんの間に体を割り込ませてくる。

 知らず知らず、俺はイライラしていたらしい。


「気持ちは分かるッスけど……弟たちのイメージアップのためッスから……」

「うっ…………分かってるよ」


 俺がキレて住人といざこざを起こすわけにはいかない。

 落ち着け……落ち着け、俺。


「ここはオイラに任せてほしいッス」

「あぁ……頼む」


 俺は身を引き、荷車のそばで待機することにした。


「じゃあまぁ、そういうことなんで、オイラたちに任せてほしいッス」

「…………まぁ、背に腹は代えられないねぇ」


 仕方なく。と、そんな表情をありありと浮かべて、狐のお姉さんは肩をすくめた。

 周りを見ると、こちらを窺う者たちも同じような表情を浮かべていた。

 俺と目が合うと気まずそうに視線を逸らす。

 全員同じ気持ちなのだろう。

「スラムの住人は信用出来ないが、水害を放置は出来ないからしょうがない」と。


「ヤシロさん。実はこの先にもう一ヶ所危険な場所があって、そこが優先度の高い最後の現場なんッス」

「んじゃ、手分けしてさっさとやっちまうか?」

「その方がいいと思うッス。向こうの方は溜め池に汚水が流れ込んで、決壊間際になってるッス。急がないと教会で起こったこような悲劇が起こるッス」


 汚水が溢れ出すのは危険か……


「おい、この中で一番足の速いヤツは誰だ?」

「はーい!」

「んじゃあ、ちょっと家に戻って人員を集めてきてくれ。そうだな十人ほどだ」

「はーい! 行ってくるー!」


 言うや否や、弟は70年代のギャグマンガの如き有り得ない速度で走り去っていった。

 もしこの世界にアインシュタインが生まれていたら相対性理論ももっと違ったものになっただろう。


「よし! じゃあお前らは、この通りに沿ってずっと溝を掘るッス! 最終的には通りの外に作った穴に水を逃がすッス! いいッスね!」

「「「「はーい!」」」」

「じゃあ、A班とB班に分かれるッス! A班は溝、B班は穴を掘るッス!」

「僕A班ー!」

「僕溝ー!」

「僕Bー!」

「穴ー!」

「溝ー!」

「溝の…………えーと…………通りの…………えーっと……」


 ハム摩呂。例えが出て来ないなら無理しなくていいからな。


「よし、じゃあ始めるッス!」


 ウーマロの合図に従い、作業が開始された。

 弟たちは懸命に穴を掘っている。

 脇目も振らず、文句も言わず、怠けず、サボらず、手を抜かず。

 感じの悪い視線を向けるだけで、一切手を貸そうとはしない住人共に何も言わずにだ。

 ……ったく。誰がよく使う通りなんだよ、ここは。ちょっとは良心の呵責でも感じろってんだ。


「「「お兄~ちゃ~ん!」」」


 割と早く、増援部隊が大量に投入された。

 妹たちも含まれている。

 じゃあ、俺もそろそろ出発するとするか。


「おい、ハム摩呂」

「はむまろ?」


 あ、そうか、俺が勝手に付けたあだ名だから分かんないか。


 ウーマロはA班に付いて、通りの上から順に溝を掘り進めている。

 水を溜める穴担当のB班は現在俺が見ていたのだが、ここでバトンタッチだ。


「いいか。今からここのリーダーはお前だ。他の連中の仕事状況を確認して、指示を出せ。完成形は分かってるな? 任せるぞ」

「ぼ、僕が…………弟たちのリーダーやー!」


 お、おぅ。そのまんまだけどな。比喩はどうした。


「もし何か分かんなかったり問題があったらすぐ俺を呼びに来い」

「うん!」


 一度出した指示は確実にこなす弟たちを信用し、俺は第二部隊を引き連れて次の現場へ向かった。







 向かった先は大通りの向こう、養鶏場のある方向だ。

 肥溜めと溜め池が溢れて一つになってしまったようで、溜め池の拡張をしてほしい場所だそうだ。

 汚染された池の水は、もう使うことは出来ない。だが、放置すればその汚水が溢れ出して住宅や道路に被害が出てしまう。それを防ぐのだ。


 現場は住宅のそばにあった。

 溜め池は道よりも低い位置に作られていたようで、道はまだ無事だった。すぐそこにまで汚水は迫っているが、まだ溢れてきてはいない。


 そんな道の真ん中に、一組の親子が立ち尽くしていた。

 五歳くらいの女の子と、その母親らしい。

 大泣きをする女の子に、母親は困り果てた表情を浮かべている。


「ぼーしー!」

「もう諦めなさい。あんな遠くに行っちゃったら取れないわよ」

「いーーーーーーーやぁーーーーーーーーーーー!」


 ギャン泣きだ。

 鼓膜がどうにかなりそうだ。


 近付きたくねぇなぁ……なんて思ってると、妹の一人がとととっと、泣き喚く少女に駆け寄っていった。

 妹を見た母親は「ひっ!」と、身を引く。……失礼極まりねぇな。


「どうしたの? なんで泣いてるの?」


 突然現れたハムっ子に、ギャン泣き少女は最初キョトンとした表情を見せたが、次第に涙が溢れ出しまた泣き出した。


「な、なんなのよ、あんた! ウチの娘に近寄らないで!」

「あーすいません。領主から話がきてないですかねぇ?」


 妹に暴言を浴びせる母親の前に体を割り込ませ、妹を背に庇う。

 大人げねぇババアだ。美人じゃなきゃ汚水池に叩き込んでるところだぞ。


「領主様……? ……あ、そういえば朝、領主様の使いの方がお見えになって、困ってることはないかって……」

「で、派遣されてきたのが俺たちです。働き手に攻撃するのはやめてもらえますかねぇ?」


 あ、いかん。

 俺、イラついてる。

 母親を威嚇してどうする。ハムっ子たちのイメージアップが目的なのに……


「……その子たちが? ……でも、その子たちって……」

「じゃ、あんたがなんとかするか?」

「………………」


 笑顔で汚水池を指さすと、母親は視線を逸らして口を閉じた。

『でも、その子たちって』の続きを口にしていたらここを放置して帰っていたところだ。


「ぼうし……」


 俺の背後でギャン泣きしていた少女は、泣き疲れたのか少し声のトーンを落としてそう呟き、汚水池に向かって指を差した。

 池の中央付近に真っ白な帽子がぷかぷかと浮かんでいる。

 風に飛ばされでもしたのだろう。

 早く引き上げないと、汚れが染み込んで落ちなくなりそうだ。


「もう諦めなさい」

「やぁー! ぼーしー!」


 よほど大事な物なのか、少女はまた烈火の如く泣き始めた。

 つか、このオバサン、母親としてのスキル低過ぎないか?

 あからさまに、『自分がこの場所に居たくないから』娘に我慢を強いているようにしか見えない。……そんなにスラムの人間が嫌いか? 


「あたしが取ってきたげる! 待ってて!」


 言うが早いか、妹は汚水池の中に飛び込んだ。

 迷いのない行動だった。……これ、俺がやるべきことだったよな?


 すいすいと器用に泳ぎ、妹は帽子を掴み、自分の頭に載せると、またすいすいと器用に泳いで引き返してきた。


 水から上がった妹の服は、黒く汚れた水でドロドロになっていた。


「はい。ちゃんと洗えばまた使えるよ」


 自分の頭に載せていた帽子を泣き止んだ少女に手渡す。

 少女は帽子を受け取ると、強張っていた顔を徐々に和らげていく。


「あ、…………ありが」

「さぁ、もういいでしょ。帰りましょう」


 少女が笑顔を作る前に、母親が乱暴に少女の腕を引き連れて行ってしまう。

 礼を言わないばかりか、礼を言わせることすらさせなかった。


「よく洗ってから使いなさいね。汚いから」


 それは……汚水池に落ちたから、だよな? だよな?

 さすがにキレそうになり、追いかけて一言物申して、その澄ました面に一発ビンタをくれてやって、「テメェは最低だ!」と事実を伝えて、汚水池に突き落とし、「ちゃんと洗えよ、汚ぇから」と言い放ってやろうかと、足を一歩踏み出したところで、妹が俺の袖を掴んだ。

 小さな手が、キュッと。


「帽子……可愛かったねぇ」


 そう言って、弱々しい笑みを俺に向けた。

 こいつ……気にしてないわけないんだよな。でも、何も言わない。

 自分が汚れることを厭わず、誰かのために何かをしても報われず、でも、それでも何も言わない。

 ……そんなことに慣れんなよ、バカが。


 だが、俺がこいつらの我慢を踏みにじるわけにはいかない。

 チキショウ。モヤモヤする。


「よぉし、ヤロウども! 溜め池拡張工事を開始するぞー!」

「「「「おぉー!」」」」


 兄妹たちが一斉に土の上へと飛び降りていく。

 増水している汚水池の隣に大きな穴を掘っていく。

 汚水池との間に50センチ程度の幅で土を残して、最終的にその土を壊して池を一つに繋げるのだ。


 急ピッチで作業は進み、見る見るうちに大地が抉られていく。

 今思えば、スラムの入り口にあった巨大な落とし穴。アレもこうやって短時間で掘られた簡易的なものだったんだろうな。……こいつらを敵に回すのはやめよう。負けはしないだろうが絶対厄介なことになる。

 そうだな、友好の印に――


 今度、帽子でも作ってやろうかな。


「よぉし、お前ら! 頑張ったヤツには俺からご褒美をやろう!」

「「「「ぅおぉおおおおおおおおおっ!」」」」


 ハムっ子たちのやる気に火がついた。

 ……火がついてしまった。

 …………いや、おい……火、つき過ぎだから! そこまで深くする予定ないから! そんな勢いで掘ったら貫通しちゃうから!


 本当に、マントルにまで到達するつもりなんじゃないだろうかと思うような勢いでハムっ子たちは穴を掘り進める。

 呆れるやら頼もしいやら……


 ……と、その時。

 ハムっ子の働きぶりを見守っていると、視線を感じた。

 振り向くと、いつの間に集まっていたのか、十数人もの住人が遠巻きにこちらを窺っていた。

 どいつもこいつも辛気臭い表情をして、一言も口を開かず、俺と目も合わさず、ただ遠巻きに見つめているだけだ。

 こいつらが余計なことをしないように見張ってでもいるつもりか?


 だったらよく見ておきやがれ。

 誰が、誰のために、どれだけ頑張っているのかをな。

 そして、テメェらが今現在、何をしているのか、何が出来ているのかを顧みやがれ。


「よぉし! もういいぞ、お前たち!」

「「「「は~い!」」」」


 元気のいい返事をして、全員が一斉に作業を終える。

「もうちょっと」とか「最後にこれだけ!」とか、そういうヤツもいない。

 こいつらはいつも平等であり、助け合うことも出来、今やるべきことに全力で取り組める。

 経営者目線で見れば最高の人材なのだ。もっとも、リーダーシップに関しては疑問が残るがな。あと、遊び好きなところも。


「誰が一番頑張ってた~?」

「ご褒美は~?」

「僕~?」

「あたし~?」


 泥だらけのハムっ子たちが俺にわらわらと群がってくる。

 こら、やめろ。俺まで汚れるだろうが。

 分かった! 分かったから!


「全員同率一位だ。全員にご褒美をくれてやるから楽しみに待っとけ」

「全員~!?」

「ずげぇー!」

「みんな一緒だ!」

「奇跡だ!」

「なんも言えねぇー!」

「今まで生きてきた中で一番幸せ!」


 ハムっ子たちが大喜びをしている。……何人か水泳選手っぽいのが混ざってるけどな。


「兄妹全員ー!」


 ……ん?


「お兄ちゃんスゲー!」


 いや、待て待て待て。誰が兄妹全員だなんて言った?

 お前ら百人以上いんじゃねぇか。

 俺は、今ここにいるヤツ全員って意味で……


「兄妹ばんざーい!」

「ばんざーい!」


 ………………分かったよ。なんか作ってやるよ。作りゃいいんだろ、ったく。


「じゃあ、壁を壊すぞ!」

「「「「わぁぁああっ!」」」」

「危ないから下がってろ! ここは俺がやるから!」


 小さいハムっ子は、水流にのみ込まれて流されてしまうかもしれない。

 俺は安全を確認しながら、50センチの土壁の一部にツルハシを突き立てる。


 亀裂が入った土壁は、押し寄せる水圧に耐え切れずあっという間に決壊する。


 こうして、増水した溜め池は新たに掘られた穴の中へ余分な水を吐き出し水位を下げていく。

 これでもう大丈夫だろう。


「うっし! 今日はここで最後だ! 金物通りの連中と合流して帰るぞ!」


 ツルハシを荷車に放り入れ、その荷車を引く。ギシッと木製の車輪が軋みを上げゆっくりと動き出す。動き始めるまでが割と重い。

 と、年少の妹がわらわらと荷台に乗っかりやがった。


「おい、こら!? 何してんだ!?」

「あぁー!」

「いーなぁー!」

「僕もー!」

「ふざけんなお前ら! 全員は無理だ! お前らは歩け、ほら!」

「ズルーイ!」

「ズルー!」

「ヅラー!」

「誰がヅラだ、こら!? 地毛だよ!」


 騒がしいハムっ子たちを連れて現場を離れる。

 相変わらず、住人たちは遠巻きにこちらを窺っているだけだった。

 ……人助けなんか、報われないもんだよなぁ…………


「……あっ」


 荷台に乗っていた妹が声を上げ、そしてぴょんと荷台から飛び降りた。振動と気配でそれを察知し、振り返る。


 見ると、先ほどのギャン泣き少女がこちらに向かって走ってくるところだった。

 その後ろからは母親も駆けてきている。


「あ、ありがとうねっ!」


 茶色く汚れた白い帽子を抱きしめ、ギャン泣き少女は大声で言う。


「これ、とても大事な帽子なの!」


 飾らない、率直な言葉を発する。

 だからどうだとか、つまりこうだとか、大人が無意識につけてしまう周りくどい表現を一切排した、子供独自の単純な意思疎通法。


「うん! 凄く可愛い帽子だね!」

「うん!」


 余計な言葉など、必要ないのだ。


「こら……邪魔しちゃ、悪いでしょ」


 ギャン泣き少女の腕を掴み、母親が言う。

 その裏に「さっさと帰ってもらいたい」という思いがこもっているのだろう言葉を。


「おい。もう行くぞ」

「うん!」


 全身を泥だらけにして、それでも満足そうに笑う妹を……その笑顔こそを、俺は誇らしいと思った。

 お前の方が全然可愛いぜ。

 俺がもっと可愛い帽子作ってやるからな。楽しみにしてやがれ。


「あ、あの…………」


 車輪が軋みを上げ、今まさに動き出そうという時に、母親が恐る恐る声をかけてきた。

 一番力が必要なところで呼び止められ、荷車の稼働に失敗した。また次動かす時に力を込めなければいけない。荷車は動き出しが一番疲れるのだ。

 そんな苦労を無駄にさせやがって……


 そんな怨嗟の念を込めてじろりと振り返ると……


「……ポップコーン…………」

「……は?」

「あれ……もう、販売しないのかしら?」


 ばつが悪そうに表情を歪めながらも、その表情には少しの後悔が滲んでいて……


「こ、この子が! ……この子が、好きなのよ、ポップコーン…………再開するなら、知らせてちょうだい。……それじゃあ」


 耐え切れなくなったのか、母親は逃げるようにギャン泣き少女の手を引いて立ち去る。


 …………なんだよ。

 こいつら、意外と…………


「お兄ちゃん!」


 妹がキラキラした瞳で俺を見上げてくる。


「また、屋台やるの!?」

「……お前はやりたいか?」

「やるー!」


 こいつらは、きっと以前の失敗や嫌な思い出なんてのをいちいち覚えてはいないのだろう。

 今あった嬉しいことや楽しいことにどんどん上書きされていってしまうのだ。


 じゃあ、まぁ……こいつらがそう言うんだったら…………利益にもなるし。


「じゃあ、近々再開するかぁ!?」

「「「「おぉー!!」」」」


 その声を聞いて、遠巻きに見ていただけの観衆からも安堵の雰囲気が漂ってきた……気がしたんだが、それはさすがに楽観的過ぎるか?


「じゃ、今度こそ帰るぞ!」

「「「「はーい!」」」」


 重い荷車を引き、車輪を軋ませて、俺たちは歩き始めた。

 初日の成果としては十分だ。

 住人にこれだけの変化が見られたのなら……これを続ければいつかこいつらはきちんと受け入れられる。


 確信に近い感触を覚え、俺は暮れ始めた空のもと帰路についた。

 きっと、今日の夕飯は美味いんだろうなぁ、なんてことを思いながら。






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