45話 ギブアンドテイク

「それでは、私は人員の手配、および領内住人への注意勧告並びに状況確認、それからろ過装置に必要な材料の手配を行ってまいります」


 ナタリアがエステラに告げ頭を下げる。

 病み上がりとは思えない行動力だ。


「ナタリア、ボクの持ってきた傘を使うといいよ」

「ですが、それでは……」

「ここにはみんなもいるし、それに、ナタリアの風邪がぶり返したら大変だからね」

「……はい。かしこまりました。お気遣い、ありがとうございます」


 深々と頭を下げるナタリア。その表情は、どこか満たされているようだった。


「雨、少し弱まってきましたね」


 窓の外を見ていたジネットがそんなことを言う。

 確かに窓に当たる雨の音が少し静かになっていた。


 ウーマロが来てから、俺たちは本格的なミーティングを行った。

 時間的にもいい頃合いだったので、ジネットが作った朝食を食べながら。

 レジーナも呼んだのだが、「知らん人が仰山おるところではご飯食べられへんわぁ」と、子供部屋で食べると譲らなかった。

 あいつ、もう少しコミュ力鍛えた方がいいんじゃないだろうか?


 で、ろ過装置の構造や今後の動きに関する話し合いを終え、準備のためにナタリアが領主の館へと戻っていったのだ。


 とりあえずは、これ以上被害者を出さないことが最優先。

 次いで、住民の飲み水の確保だ。


「ヤシロさん。このろ過装置、かなり大きいッスよね?」


 俺が書いたろ過装置の設計図を手に、ウーマロが眉根を寄せる。


「これだけの大きさッスと、それなりに広い場所がないと作れないッスよ。もちろん、雨が入ってこない屋内ででッス」

「お前んとこに工房とかないのか?」

「あるッスけど、この大きさのものを四十二区まで運ぶのは、相当大変ッス。出来れば四十二区内で作業出来る場所が欲しいッス」


 ウーマロに依頼したろ過装置はかなりの大きさになる。

 高さ2メートル直径80センチのタンクに、高さ80センチのろ過装置が四つ。それらを、傾斜のなだらかな水路が繋いでいる。

 まず、タンクに水を溜める。ここで、ある程度のゴミや汚れを沈殿させた後、限りなく緩やかな傾斜で作られた密封形の水路をゆっくりとした速度で通過させる。この間に、落としきれなかった細かい不純物を沈殿させ、汚れの少ない上澄みのみをろ過装置へと送るのだ。


 このろ過装置は樽の中に繊維、木炭、砂、砂利、小石を敷き詰め、外側の下部にコックを取り付けたもので、このコックをひねればろ過された水が樽の下に用意された入れ物へと注ぎ込まれる仕組みだ。コックを付けた理由は、ろ過装置に異常が発生した場合に水を止められるようにするためだ。折角ろ過した水が、あとから注がれる『問題の発生した水』のせいで台無しになるのは忍びないからな。


 という、割と大掛かりな装置を依頼した。これを領主の館や教会のような場所に設置し水を提供するのだ。

 もちろん、完成までに時間がかかるだろうから、樽のろ過装置だけを先に作り、水の提供は今日の午後からでも行うつもりだ。

 この装置はその後、災害の後処理と復興が完了するまでの間、自動で水をろ過し続けるためのものだ。もっとも、タンクに水を溜めるのは手動だけどな。


「領主の館を借りられないか?」

「無理だろうね。さすがに、室内にこれだけ大きなものを作れるようなスペースはないよ」


 装置を作るとなると、木材を持ち込んで、組み立ててと、作業をするスペースはかなり必要になるだろう。

 日本にいた時、組み立て式の本棚を作ったことがあったが、六畳間では狭過ぎて作れなかった記憶がある。材料を広げるためのスペースというのは、結構幅を取るのだ。


「じゃあここはどうだ?」


 教会の談話室と厨房を使えば、なんとかなるかもしれない。

 だが……


「子供たちがまだ眠っていますので、騒がしくなるのはご遠慮願います」


 ベルティーナが丁寧に、しかし毅然とした態度で拒否をする。

 まぁ、何日かかるのか知らんが、その間厨房と談話室が使えないのはキツイよな。

 病み上がりの子供たちにこれ以上我慢を強いるのは酷というものだ。


「あの、ヤシロさん。陽だまり亭を使っていただくというのは……? こういう事態ですし、しばらくお店はお休みにして……」


 ジネットの言う案が一番理に適っている気がする。

 ……しょうがない、陽だまり亭を使うか。


「傷を付けたら無償で修理しろよ?」

「あそこ、ほとんど無償でオイラたちがリフォームしたようなもんじゃないッスか」


 何を言う! きちんと報酬を払っているではないか!

 人聞きの悪いことを言うヤツだ。


「陽だまり亭のろ過装置を使うにしても、あれ一つじゃ心許ない。取り急ぎ、あと二つ分くらいは欲しいところだな」

「そうですね。飲料水だけでしたら、それなりに賄えるとは思いますが、生活用水全般となるとさすがに……」


 飲み水は、酒などを飲んでもらうとして、料理に使う水は必要になる。

 洗濯や風呂は、ちょっと我慢してもらおう。

 飲食最優先だ。


「あとは材料だね」


 難しい表情でエステラが呟く。


「石や砂利は、川へ行けば手に入るとは思うんだけど……」

「でも、この雨で川が増水して立ち入り禁止になっているそうですよ。デリアさんが以前おっしゃっていました」


 材料調達に頭を悩ませるエステラは、ジネットに指摘を受けてさらに表情を曇らせる。


「大丈夫だ、ジネット。川漁ギルドにはオメロがいる」

「オメロさん、泳ぎが得意なんですか?」


 そうか、ジネットは知らないのか。


「オメロはな、万が一のことがあっても大丈夫な人材だ!」

「ダメですよっ!?」


 だって、この前泳げないからって川で洗われてたぞ?

 あれ? アレは泳ぎを教わっていたんだっけか?


「あのぉ、ちょっといいですか?」


 俺が、オメロのポジションが『将棋の歩』や『チェスのポーン』と同じなのだと解説してやろうかとしたところで、ロレッタがそろっと手を上げた。


「ウチの近所で手に入るですよ、石や砂利、それからサラサラの乾いた砂も」

「本当かい!?」

「は、はい!」


 エステラに急接近されて、ロレッタが体をビクッと震わせる。


「ロレッタ。大丈夫だ。驚くほどぺったんこだが、そいつは女だ」

「あ、いえ。知ってるですよ。今のは、大きな声に驚いただけで」

「とりあえず、ヤシロ……雨降ってるけど、表出ようか?」

「すまん、エステラ。俺、雨に濡れると天パが縮むから」

「ド直毛が何を言ってるんだい?」


 ぐるると唸るエステラ。

 まったくこいつは……小さいことでイライラして……一回ビシッと言っといてやるか。


「エステラ。小さいからってイライラするな」

「イライラさせてるのは誰かなっ!?」


 あ、しまった。ほんのちょっとだけ言い間違えてしまった。

『小さいことでイライラするな』

『小さいからってイライラするな』

 ほとんど同じなんだけどなぁ……おかしいなぁ。


「そ、それでですね。ウチの近所に、弟たちが掘った洞窟があってですね……」

「洞窟?」


 ちょっと気になるワードに、思わず尋ねてしまった。

 つか、弟たちが掘った洞窟ってなんだよ?

 なに掘ってんだよ?


「二十九区との間に崖があるです。そこを弟たちが遊び場にしているです」


 穴掘り遊びか?

 まぁ、秘密基地みたいなノリで楽しいだろうな。


「そこの中なら、雨も入ってこないですし、砂も取れるです」

「それじゃあ、一度見に行ってみるか」


 使えるかどうか、それは見てから判断すればいいことだ。

 教会を出ると、少し雨脚が弱まっていた。この分なら、今日の午後には雨が上がるかもしれない。

 雨が上がってくれれば色々と行動を起こしやすい。

 テルテル坊主でも作っておけばよかったなどと思いつつ、俺たちはスラムへと移動した。






「ここです」

「「すっげぇぇぇぇええええっ」ッス!」


 ロレッタに案内された洞窟を見て、俺とウーマロは声を上げた。上げずにはいられなかった。

 そこは、地底王国さながらの、超巨大な洞窟だったのだ。

 ドラゴンの住処だと言われても信じるね、俺は。


「これ、君の弟たちが作ったのかい?」

「はい。毎日毎日、暇ですので」


 エステラが呆れたような感心したような息を漏らす。


 そこは、コンサートホールがすっぽり収まるくらいの巨大さで、上にある二十九区の建物が地盤沈下しないか不安になるような空間だった。

 どうやって掘ったんだよと言いたくなるくらいに天井も高い。


「この地区は水捌けもそこまでよくないですし、家もボロ屋なんで強い雨が降ったらこっちに避難してくるです」


 言われて見渡すと、確かに生活用品があちこちに転がっている。


「で、今お前の家族は?」

「……お兄ちゃんたちが来ると、あの子たち暴走するですから、自宅待機を命じているです」


 なるほど。賢明な判断かもしれん。


「どうですか? この付近の石や砂、使えるですか?」

「あぁ、問題ない。これだけあれば十分だろう」

「……マグダが運ぶ」


 力仕事で誰よりも頼りになるマグダがドンと胸を叩く。

 こいつなら、10トン車くらいの働きをしてくれることだろう。


「それから、もし薪があればですが、ここでまとめて薪を焼いて木炭を大量生産するのはどうですか? そうすれば、弟たちも温かいですし、一石二鳥ではないですか?」


 これくらい広ければ問題はないかもしれんが…………


「それはやめておこう。万が一にも一酸化炭素中毒になったら大変だ」

「『いっさんかたんそちゅうどく』……?」


 げっ……ないのかよ、一酸化炭素中毒って言葉?

 危ねぇなぁ。


「洞窟みたいな密閉されたところで大量に火を燃やすと、酸素が減って一酸化炭素が発生するんだ。その一酸化炭素を大量に吸い込むと命を落とす」

「えぇっ!? あたしたち、ここでしょっちゅう焚火をしてるですっ!?」

「少しなら平気だよ」


 この洞窟は出入り口もかなり広い。ただし、巨大な崖を掘ったものだから出入り口以外に空気の通る場所がない。それが少し怖いのだ。


「入り口付近で少しするくらいなら問題ない。が、あまりに大量に火を起こすのは危険だ」

「へぇ……さすがお兄ちゃん。なんでも知ってるですね」


 なんでもじゃねぇよ。

 そういう『頼りになるキャラ』を俺に植えつけるな。


「木炭は教会に任せておきましょう。きっと今頃シスターが寮母さんたちと作ってくれていますから」


 教会の厨房には、ちゃんと煙突も換気口もある。あそこの方がはるかに安全だ。ただ、すげぇ暑いと思うけどな。


「しかし、これで材料は揃ったわけだね」

「あぁ。繊維質は使い古しの服とか下着を洗って利用すればいいだろう」

「あの、ヤシロさん……使い古しの下着は、ちょっと……」


 ジネットやエステラのなら特別料金が発生してもおかしくない気がするのだが……ウーマロのだったら毒水になってしまうな。


「なるべく清潔な、服になる前の生地を用意させるよ」


 と、太っ腹で薄胸なエステラが言う。

 さすが、金持ちは言うことが違う。


「よっ、薄胸! あ、間違えた。よっ、太っ腹!」

「今のは絶対ワザと間違ったよね!?」


 いちいち小さいことを気にするヤツだ。二つの意味で。


「ろ過装置が完成すれば、街のみなさんは喜んでくださいますでしょうか?」

「当然だよ、ジネットちゃん。きっと多くの人を悲しみと苦しみから救ってあげられるさ」

「はい。そうですね」


 住人の生活に責任がある領主と、博愛主義の精霊教会信者が人々を救済するために手を取り合っている。

 これが、信じる者は救われるというやつなのだろうか。

 なら、なぜ俺はこうまで外れを引かされ続けているのやら。俺には住民の生活を守る義務もなければ責任もないし、博愛の精神も持ち合わせてはいない。

 これが今後、きちんと利益に繋がってくれなければやってられない。俺の目論み通りに事が進めばそこそこ利益を得ることは出来るだろうが……頼むぜ『神様』よ。ここぞって時は救い、惜しみないご利益を与えてくれよ。俺だってお前のことを信じてんだ。ただ、大っ嫌いなだけで。


 だが……と、思う。


 果たして、飲み水の確保だけで人々は救われたと言えるのだろうか……

 そもそも、井戸が汚染されるような構造自体が間違っているんじゃ……


「あ、あの、ヤシロさんっ!」


 俺の中に、とある構想がモヤモヤと浮かび上がり始めた頃、ウーマロが瞳をキラキラさせて俺ににじり寄ってきた。

 ……なんだよ、気持ち悪ぃな。


「こ、ここ、ここここここここここ……」

「『恋人が欲しい』?」

「いや、欲しいッスけど、そうじゃないッス!」

「『公衆の面前で下腹部を露出する癖が治らない』?」

「オイラにそんな癖はないッス!」


 むがーっと憤慨して、ウーマロはとりあえず平常心を取り戻したようだ。

 大きく息を吸い込むと、はっきりとした口調でこう言った。


「ここを、トルベック工務店に貸してほしいッス! ここならかなり大掛かりな物作りが出来るッス!」


 まぁ、確かに。ここならスペースもあるし、雨も入ってこないし、騒音を出しても問題ないだろう。


「あ、あの、この洞窟は現在、ウチの家族の避難場所になっていてですね……」

「そこをなんとか、お願いするッス!」

「いや、でも、ウチの家は雨漏りが酷くて……一時的に帰る分にはいいんですけど……あの装置を作るのって結構時間かかるですよね? そうなると、さすがに、ちょっと……」

「オイラが雨漏り直すッス!」

「あ、いえ……雨漏りもそうなんですが、そのせいで床や柱も傷んでいて……雨期が終わったら修繕しようかと……」

「するッス! その家、快適に住めるようにするッス!」

「えぇ……っと………………お兄ちゃん……」


 ウーマロの勢いに押され、ロレッタが俺に助けを求める視線を向ける。

 つか、ウーマロが女子にそんなグイグイ食ってかかるなんて……相当ここを使いたいらしいな。確かに、造船くらいなら出来そうな場所だもんな。


「ウーマロ。トルベック工務店は今、仕事がないんだよな?」

「雨季のせいもあるッスけど、三十区のウィシャート様のゴタゴタが収まるまでは仕事が出来ない状態なんッス。……ウィシャート様は他人事だから時間とか気にしてないみたいッスけど……」


 他の仕事を入れて、先に受けていた仕事に支障をきたしてはいけない。ウーマロは以前、そんなことを言っていたっけな。

 相手が貴族でなけりゃ、さっさと断っているのだろうが……貴族の機嫌を損ねると後々面倒くさい目に遭わされそうだもんな。いや、確実に何か嫌がらせを受けるだろう。


「貴族ってのは、自己中なヤツしかいないのかねぇ? どう思う、エステラ?」

「なんでボクに話を振るのかな?」

「参考までに意見を聞きたくてな」

「まったく……みんなじゃないよ。住人のことを最優先に考えている領主もいる。これでいいかい?」


 上出来だ。

 今ここでウーマロたちに新しい仕事を依頼して、その途中でウィシャートの仕事が再開されたとしても、エステラならこちらの仕事の中断を断罪することはない。

 そういう臨機応変な対応が出来るのだ。

 だからこそ、今、この隙間に仕事を捩じ込める。


 …………ふむ。

 これはなかなか、いいアイディアを思いついたかもしれないぞ。


「アテンションプリ~ズ!」


 右手を真っ直ぐ上げ、大きな声で言う。

 全員がビクッと肩を震わせ、半ば呆れたような表情で俺を見つめる。


「……な、なんなんだい。急に大きな声を出して。ビックリするじゃないか」


 本当だ。ビックリし過ぎて胸が縮んでるぞ、エステラ。


「諸君に、大変素晴らしいお話がある」

「…………ヤシロがそういう顔をする時って」

「…………まぁ、だいたい自分に利益が回ってくる時ッスね」

「……そして、そのしわ寄せはウーマロに」

「マグダたんがオイラの名前を呼んでくれたッス! オイラ、感激ッス!」

「……いや、ウーマロ。いいのかい、その反応で? しわ寄せが君のところに……まぁ、いいか、本人が幸せなら」


 こちょこちょ話すエステラとウーマロにマグダ。

 やや不安げな表情を残すロレッタ。

 そんな中、唯一表情を輝かせたのがジネットだ。


「なんですか、大変素晴らしいお話って。聞きたいです」


 うんうん。素直でよろしい。


「まずロレッタ」

「は、はいです!」


 何を言われるのかと、緊張の色を隠せないロレッタ。背筋がピーンと伸びている。

 まぁ、そう緊張するな。お前にとってもいい話だからよ。

 なにせ、お前の悩みがすべて解決する、素晴らしい計画なのだから。

 すべてだぞ、すべて。


 まぁ、そのためにもちょっとだけ代償を払ってもらう必要があるけどな。


「この洞窟をトルベック工務店に譲ってやってくれ」

「ぅええっ!? で、でも……」

「ロレッタ。俺の国には『笠地蔵』という大変素晴らしいお話があってだな。説明するのが面倒くさいので内容は省くが、その話の教えの通り、ここを譲ってほしいんだ」

「内容を省かれたら、一切納得出来ないですよっ!?」

「あぁ……要は、最初にいいことをしておくと、何倍にもなって返ってくるということだ」

「そんな、ヤシロがよく言う都合のいい話があるのかい?」


 おい、エステラ。俺がいつ都合のいい話なんかしたよ?

 俺の提案はいつも、俺以外のヤツもいい思いをしているじゃねぇか。俺が最も利益を上げているだけで。


「ヤシロさん。そのお話、聞かせてほしいです!」

「いや、時間がないから……」

「……マグダも、聞きたい」

「あたしも。お話を聞けば納得出来るかもです!」

「えぇ……」


 仕方なく、俺は幼稚園の先生さながら、見知った面々に『笠地蔵』を語って聞かせる羽目になった。なに、この羞恥プレイ……

 まぁ、折角なんで、いかに主人公のジジイババアが貧しいながらも慎ましく生きている善人かを強調し、最後にカタルシスを感じられるように配慮した。

 その結果……


「おじ…………お爺さんとお婆さん…………よかったです……よかったですねぇ……」

「……まさか、ヤシロに泣かされる日が来るとはね…………」

「……しくしく、えーんえーん」

「あぁ、マグダたん! 涙する姿も天使ッス!」


 号泣である。

 後ろ二人は置いておくとして、エステラまでもが涙を流すとは思わなかった。

 で、肝心のロレッタなのだが……


「あたしたちに足りなかったのは、誰かに施しを与える慈愛の心だったです……自分たちのことしか考えていない、小さな人間だったです…………あたし、恥ずかしいです! ウチの家族も恥ずかしいですっ!」


 なんだか猛省していた。

 まぁ、一番恥ずかしいのは、貧乏なのに子供を増やすだけ増やして育児放棄してるお前の両親だけどな。


「分かりましたです! この洞窟! 大黒柱の権限でトルベック工務店さんにお渡しするです!」

「ホントッスか!? やったッスー!」


 諸手を挙げて大喜びをするウーマロ。

 機嫌がいいのはいいことだ。これで多少の無茶は通るだろう。


「というわけでウーマロ。ロレッタの家を新しく建て直してくれ」

「はいッス! こうなったら新築をドドーンとプレゼントするッス!」

「そうだな。とりあえずは五棟くらいあればなんとかなるかな」

「は………………棟……?」

「集合住宅だ。一軒の建物に八世帯ほど住めるヤツがいいな。二階建てくらいで」

「それを……五棟も?」

「大丈夫。報酬はきちんと払う」

「また陽だまり亭無料券ッスか!? そんな規模の大建築だったら、一生分はかかるッスよ!?」

「大丈夫だ! 今回はきちんと現金で支払う。一括とはいかないだろうが、きちんと適性の料金を支払うよ…………エステラが」

「はぁっ!? なんでボクが!?」


 ウーマロを押し退けて、今度はエステラが俺の前に詰め寄ってくる。


「いくらボクでも、そこまでの金額は自由に出来ないよ!?」

「いや、やってもらう。こいつは慈善事業だ」

「現領主が納得するわけないじゃないか!」

「納得させるだけの材料があればいいんだな?」

「………………あるのかい?」


 一瞬で、エステラの目が真剣なものに切り替わる。

 その察しのいいところ、割と好きだぞ。


「順を追って説明していく」


 立ち上がり、詰め寄ってきていた連中を、全員地べたに座らせる。

 話は落ち着いて聞くものだ。


「まず、この洞窟はろ過装置を作るためには不可欠だ。なので譲ってもらう。だがそうするとロレッタの家族がまともに生活出来なくなる。だからウーマロに家を建ててもらう。そのためには莫大な費用が必要になるから、そこはエステラの担当だ」

「今現在は、すべてのしわ寄せがボクに来ている構図だね」

「まぁ、そうカリカリするな。先立つものがなければ計画は動き出さない。先立つものはお前のところにしかない」

「なんて理屈だよ……拒否権はあるんだろうね」

「もちろんだ。だが、先行投資をしておけば、お前は必ず得をする。それも、相当大きな利益になる」

「……笠地蔵のようにかい?」

「おぉ、そうだな。まさにそんな感じだ」


 納得出来ないとばかりに頬を膨らませるも、話の続きを促すように、エステラは俺に「どうぞ」と揃えた指を向ける。


「少し話は飛ぶが、飲料水だけを確保しても、四十二区は救われない。飲料水の確保はあくまで応急処置だ。これ以上被害者を出さないための対策でしかない」

「確かに……また大雨が降れば、今回のようなことが起こり得ますね」

「……毎年の恒例行事」


 ジネットが的確な指摘をし、マグダが嫌な未来予想図を打ち立てる。


「なので、抜本的な解決策を提案したい」


 全員の視線が俺に集まる。

 企業のプレゼンのようだ。パワーポイントでもあれば、もっと説得力があったかもしれんが、まぁいいだろう。


「下水を作るぞ」

「……『げすい』?」


 聞き慣れない言葉に、ジネットは首を傾げる。

 一から説明してやるから聞いてろ。


 そもそもだ。

 下水がないからこんなことになったのだ。

 大雨が降った際、雨水を逃がす下水があれば井戸に水が流れ込むことはなかった。

 排泄物を溜めていたせいで被害は拡大した。汚水を正しく処理していれば、こんな事態は起こり得なかった!


 そこで、下水だ!


「汚水を地中に埋めた水路を通して一ヶ所に集め、巨大なろ過装置を使って汚れを取り、綺麗になった水は壁向こうの海へ排出する」


 現代日本のように完璧な処理は不可能だろうが、多少のバクテリアなんかは海の魚が処理してくれる。

 海漁ギルドのマーシャも、「少しくらいなら、お魚が食べてくれるからいいんだけど」と言っていた。

 汚水を溜めなければ、今回のような参事は起こらなくなるだろう。

 ついでに、マンホールでも作って、雨水も一緒に下水に流してしまえばいい。


「それが実現すれば……確かに、住人の生活は劇的に変化するね……」

「そうだろ? 街中が綺麗になり、水害ともおさらばだ。だいたい、四十二区は一番低い位置にあって水害が起こりやすい立地なのに、これまで対策が立てられていなかったのは領主の怠慢と言わざるを得ない」

「……辛辣だね」

「いいこともあるぞ」

「なんだい?」


 下水に興味を見せ始めたエステラを口説き落とす、絶好の口説き文句をくれてやる。


「この下水の権利を、すべて領主にくれてやる。今後、下水関連で得られる利益や権限は丸ごと譲渡してやる」

「権利を……?」

「あぁ。四十二区がモデルケースとなり、他の区の連中が『ウチにも下水を』と言い出した時、領主がその権限をもって交渉することが出来るぞ。上手くやれば、他の区に対して有利な立場に立てるかもしれない」

「…………なるほど。それは魅力的、かもしれないね」


 これは相当大きな権利だ。長期的に見て莫大な利益を生む。

 それをすべて丸ごとくれてやると言っているのだ。


「だから、工事に関する費用は領主が一手に引き受けろ、というわけだね」

「この地区の建設も含めてな」

「この街は、まとまった雨による災害が後を絶たない。他の区に売り込むには絶好の商材だね」

「ろ過の仕組みは飲料水とほぼ同じなんだ。最終工程でもう一手間加える必要があるが……」

「飲料水のろ過で疑似的なテスト運営が可能ということだね」

「そういうことだ。まずは慈善事業として飲料水のろ過装置を作り、その成果を見て下水のプレゼンを行えば、どんだけ頭の悪い領主でも首を縦に振るだろう。もしそうでないなら、その領主の代わりに鹿でも置いておいた方がマシなレベルだ」


 鹿は、鹿せんべいを見せれば頭を縦に振るからな。


「ボクの両肩に、随分と重いものを背負わせてくれたね」

「肩凝りなんて経験したことないだろ? いい機会じゃないか」

「……胸がなくても肩くらい凝るからね?」


 ジトっとした視線で睨んでくるエステラ。

 すぐに返事は出来ないだろうが、おそらく資金を引っ張り出してきてくれるだろう。


 さて、お次は。


「というわけでウーマロ」

「分かったッス! お金がもらえるならその仕事引き受けるッス! ウィシャート様の仕事は、なんとか誤魔化しつつ、こっち優先で頑張るッス!」


 それが出来るなら最初からそうしておけばいいのに。

 まぁ、危険な橋を回避するのも、責任者の務めではあるからな。

 今回の責任者はエステラだ。ウーマロは気軽にやればいい。


「今回の責任者はヤシロさんッスからね。オイラは気軽にやらせてもらうッス」


 ……アレ?

 俺の思ってたのと、なんか違う。


「まずは、現在ある家の補修をして、それから新しい家を建てるッス。でも、主要メンバーはこっちでろ過装置作りを急ピッチで進めるッス」

「あぁ、それなんだがな、ウーマロ」

「はいッス?」


 現状、ウーマロはおいしい思いしかしていない。

 当然、おいしい話にはちょっとした痛みが伴うものだ。


「お前、四十二区に支部を作れ」

「支部ッスか!?」

「おう。これから下水工事を始めるわけだからな。数ヶ月の大プロジェクトになる。いちいち往復していては時間がもったいないだろ?」

「けど、そうすると住むところが……」

「だから、お前らがこれから作るんじゃねぇか」

「今から建てる家、オイラたちのだったんッスか!?」


 トルベック工務店の支部が出来れば、色々と仕事を頼みやすくなる。

 輸送費も節約出来るし、メリットはたくさんある。


「って、下水の工事もオイラたちがやるッスか?」

「あぁ。俺の技術をすべてお前たちに託す」


 ウーマロの首に腕を回し、ひそひそと密談をするように耳元で囁く。


「エステラが各区に交渉をして、下水を求める声が大きくなった時、下水に関する技術を持っているのはお前たちだけだ。当然、依頼はトルベック工務店に集中する」

「そ……それは、魅力的ッスね」

「最終的に、中央区の王族から依頼が入るかもしれないぞ?」

「お、王族からウチにっ!? …………夢のようッス……」


 ウーマロがまだ見ぬ明るい未来を思い描いて半笑いを浮かべる。


「ただし、技術提供にはひとつ条件がある」

「…………報酬カットッスか?」


 こいつ、俺が金のことしか考えてないと思ってるな。

 ……まぁほとんど正解だけど。


「報酬はエステラが出すんだ、俺がケチる必要はない」

「聞こえてるよ、ヤシロ」


 背後から声をかけてくるKYな声は無視をする。

 そんなことよりも、今は大事な契約をのませなければいけないのだ。


「お前のところで、ロレッタの弟たちを大量に雇い入れてほしい」

「えっ!?」


 俺の言葉に真っ先に反応したのは、ロレッタだった。

 だが構わず、俺はウーマロとの交渉を続ける。


「今後、四十二区での工事には人手が必要になる。一人前ではなくとも数がいれば役立つこともあるだろう。いや、むしろどんな人材でもいいから人手が欲しいと思うだろう」

「確かに、五棟の集合住宅に街中に張り巡らされた下水……人手はいくらあっても足りないッス」

「さらにな、ロレッタの弟たちはアレでなかなか使い勝手がいいんだ。物覚えはいいし、何よりやる気がある。お前も何人か相手にして、そこんとこはよく知ってるだろう?」

「あぁ、確かに、あいつらはよく働いてくれたッス」

「おまけに、この洞窟を作り上げた採掘能力。これは、下水工事で必ず必要になる」

「……そう、ッスね」


 ウーマロは、最初こそスラムに偏見を持っていた。

 しかし、実際触れ合い、言葉を交わした相手のことはきちんと『人』として見てくれるようなヤツだ。

 こいつのもとでなら、弟たちはまっとうに働くことが出来る。


「分かったッス。やる気のある人材が手に入って、尚且つ他の誰も持っていない技術がいただけるなら、こっちは断る理由がないッス!」

「やったぁー!」


 花火のような大音響で、ロレッタが歓喜の声を上げる。

 どこに行っても仕事がもらえず、やっとありつけた仕事も長く続かない。

 そんな苦労を味わってきたからこそ、弟たちの働き口が見つかったことが嬉しいのだろう。


「不出来な弟たちですが、死ぬ気で働かせますです! ビシビシ鍛えてやってくださいです!」

「あ、あの、は、はい! それはもちちちちちち……っ!」


 両手を握られ、至近距離で笑顔を向けられたウーマロは盛大に緊張し、フリーズしている。

 さっき平気だったのは洞窟を見たテンションで忘れていただけだったんだな。


「よかった……これで弟さんたちも、街のみなさんもみんな幸せになれますね」


 慈しむように、ジネットが微笑を湛える。

 そう、みんなで幸せになれるのだ。


 災害支援や下水工事で、懸命に働く姿を見れば、街の人間が持つスラムに対する偏見もなくなるかもしれない。

 また、信頼あるトルベック工務店の一員ともなれば、見方も変わってくるに違いない。


 そうすればこの兄妹たちは受け入れられて……そして…………



 ポップコーンの移動販売がまた売り上げを伸ばすだろう。



 陽だまり亭の利益がガッポガッポだ、うははははは!

 しかも、エステラの金、ウーマロの技術と信頼を使って、俺は身銭を一切切らずに、何もしなくても勝手に売り上げが上がるシステムなのだ!


 さぁ、お前たち!

 盛大に働くがいい、俺の利益のために!




 まぁ、ついでだからな。

 この街が少しでも住みやすくなるように、知恵くらいは貸してやっても、いいけどな。






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