41話 移動販売開始
「ありがとうございましたー!」
「ございましたー!」
元気いっぱいの声が、四十二区の大通りにこだまする。
妹たちが、去っていく客の背中に深々と頭を下げる。
そうこうしている間にも、次の客が注文を寄越してくる。
「おい、次は二人前、スーベニアカップ付きでご購入だ!」
「あ、はい! すみません。ただいまっ!」
本当は見守るだけに留めておこうと思ったのだが……俺の予想を上回る大盛況なのだ。
接客業に慣れていない妹たちだけでは到底捌ける数ではない。
今も、屋台の前には長蛇の列が出来ている。
この様子じゃ、弟たちの方はてんてこ舞いになっていそうだ。
明日はそちらに付いて、今日の分のフォローをする必要があるだろうな。
今日不快な思いをした客がいたとしたら、明日その分も取り返す。とりあえずはそう割り切って、今日はこちらに専念する。どちらも中途半端にするよりかはいいだろう。
「ポップコーンが残りわずかだよ、お兄ちゃんっ!」
「陽だまり亭に走って追加をもらってこい!」
「うんっ!」
妹が一人、全速力で駆けてい…………速ぇなっ!? チョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコって、さながら小動物のような足さばきで驚くようなスピードで走り去っていく。
また意外な一面を見つけてしまった。
「ふぃ~、暑い~……お兄ちゃん、コレ取ってい~い?」
「ダメだ。髪の毛が入ると不衛生だろ。我慢しろ」
「むぅ~……」
ポップコーンを販売する際、売り子には三角巾の着用を義務づけている。衛生管理は飲食店の基本だ。食い物の中に髪の毛が入っていることほど気持ちの悪いものもないからな。
それに、三角巾を頭に巻いたこいつらは意外に可愛い。チラホラと、妹たちに見惚れて頬を染めている男がいる。そういう効果もあるわけだ。
「お兄ちゃん、スーベニアカップがなくなりそう」
「なくなったらスーベニアカップの販売は終了だ。なくなり次第お客さんに説明してくれ」
「は~い!」
スーベニアカップというのは、こちらで用意したオリジナルグッズだ。
木製のカップで、大きさは映画館のドリンクのLサイズくらいだ。
これは俺が木をくり抜いて根気よく作った物で、はっきり言って自信作だ。『陽だまり亭』の焼印入りで、完成品を見たジネットが感涙しながら店内を駆け回ったほどの良品だ。
紙が無駄に使えないこの世界において、日本のように紙パックに入れて販売という手法は取れなかった。
なので、客に入れ物を持参してもらってそこにポップコーンを入れるという販売形態を採用している。昔の豆腐屋みたいなもんだな。
しかし、入れ物を持っていない、取りに帰るのが面倒くさいという客もいる。
そんな客に向けて作ったのがこのスーベニアカップだ。少々割高にはなるが、カップまでもらえるお得なセットだ。
ちなみに、『スーベニア』とは、フランス語で『記念品』や『みやげもの』というような意味合いである。それに英語の『カップ』をつけた和製外来語だ。が、まぁ、きっと『強制翻訳魔法』が上手いこと翻訳してくれていることだろう。
名前の由来は…………まぁ、聞くな。
とある夢と魔法の王国で使用されていた名称にヒントをもらったのだ。この街の人にも、夢と魔法を見せてあげたくてな。ははっ!
「すご~い! 目が回りそ~!」
くるくると、屋台の周りを動き回る妹たち。
その働きっぷりと、動きの可愛さがいいギャップを生み出して、列をなす客たちには好評を博している。
これなら、ハムスター人族が街に溶け込むのに、そう時間はかからないだろう。
「がんばってー」
「慌てなくていいからねー」
「はぁ~い! ありがとうございます~!」
順番待ちをしているどこぞの奥様たちから声援を送られ、妹たちは満面の笑みを漏らす。
こういう触れ合いが楽しくて仕方ないのだろう。
客の反応もいい、売り上げも上々。
移動販売はやはり正解だったようだ。
ただ一つ、問題が発覚してしまったのだが……妹たちは計算が遅い。
お釣りの勘定にやたらと時間がかかるのだ。
そういえば、ジネットも計算は苦手だったよな。
学校なんてものがないから、商人の家にでも生まれない限り計算なんて習わないのだろう。
今度教えてやるか……いや、それよりも一目で分かるお釣り計算機でも作った方が早いか。
「何人前の注文で、銀貨が来たらお釣りはいくら~」みたいな表でもいい。
実際やってみないと分からないことは多いな。
けど、ハムっ子たちは物覚えが凄まじくいい。すぐに計算にも慣れるだろう。
「おいしかったー!」
「また食べたーい!」
「はいはい。また今度ね」
そんな親子の会話が耳に飛び込んできた。
幼い兄弟が大切そうにスーベニアカップを抱きしめて持ち帰る。
それを見た別の子供が「私も欲しい」とおねだりをし、「しょうがないわねぇ」と親が折れて購入していく。
行列がさらに行列を呼び、子供たちの笑顔が更に子供たちを引き寄せる。
いい流れに乗った。
これは、ハニーポップコーンが四十二区に定着するのも時間の問題だろう。
それからも、ポップコーンは売れ続け、陽が沈む頃になってようやく列が途絶えた。
マグダもフル回転でポップコーンを作っていたらしい。
「す……………………っごぉぉぉぉいっ! みんな売れた!」
「売り切れたー!」
「疲れたー!」
用意していたスーベニアカップは完売。
ポップコーンも、マグダが「……もう、打ち止め」と言って渡してきた分を売り切った。
正真正銘の完売だ。
ヤップロックに言って、トウモロコシとハチミツを大量に追加してもらわなければいけないだろう。
「よし、じゃあ帰るか!」
「「「うんっ!」」」
出発前は不安に押し潰されそうだった妹たちの顔には、輝くような笑顔が浮かんでいた。
自信と充実感、そして、凄いことをやり遂げたという高揚感。そんなものが表情から溢れ出している。
これなら、明日は任せても大丈夫だろう。
帰ってからお釣り早見表を作ってやらなけりゃな。
「今日の飯は、きっと美味いだろうな」
「ほんとー?」
「あぁ。食ってみりゃ分かる」
「たのしみー!」
完売したおかげで屋台も軽くなり、俺たちの足取りも軽くなっていた。
この調子じゃ、弟たちがより一層調子に乗っちまうだろうな。多少もたついたとしても、かなり売れたはずだ。
やれやれ。騒がしい夕飯になりそうだ。
なんて、そんなことを思って帰路についた。
しかし、俺の予想は大きく外れる。
陽だまり亭に着くと、食堂の中が重い空気に包まれていた。
……なんだ?
「あ、ヤシロさん」
カウンター付近に立っていたジネットが俺に気付いて駆け寄ってくる。
「どうしたんだ、この空気?」
「それが……」
ジネットが視線を向けた先には、テーブルを囲み、深くうな垂れている三人の弟たちがいた。
俺たちとは別の場所で移動販売を行っていた三人だ。
どうした?
なぜそんなに落ち込んでるんだ?
「ヤシロ。……ちょっと」
エステラが近付いてきて、俺を静かに外へ連れ出す。その後ろをジネットも付いてくる。
ドアを閉めると、重い空気が遮断されたような、そんな気がした。
「これを見てくれるかい?」
そう言ってエステラが指さしたのは『陽だまり亭七号店』の屋台だった。
弟たちが使っていた屋台だ。
何か不具合でもあったのか……と、屋台をくまなく眺めて、あることに気が付いた。
「…………売れてない?」
視線を向けると、エステラは静かに首肯した。
屋台の箱の中には、大量のポップコーンが入っていた。
そしてその隣に、スーベニアカップがうずたかく積まれている。
まったく減っていない。
仕事をサボって遊びに行ってしまい、それで怒られていたのか? だからあんなにしょげ返っているのか?
……なんて、そんなあり得ないことを一瞬考えてしまった。
だが、今の弟たちにとって、移動販売よりも興味を惹かれる遊びなどないはずだ。
ここ数日で、色々練習したり、勉強したりして、今日という日を心待ちにしていたのだ。
あいつらが仕事を放り出すわけがない。
でも、じゃあ……なんで?
「彼らが言うには、お客が一人も来なかったらしい」
「一人も?」
「はい……一生懸命呼び込みなんかもしたそうなんですが……」
ジネットが泣きそうな顔を見せる。
弟たちの受けたショックを思い、心が痛むのだろう。
「場所が悪かったのか?」
「そんなことはないよ。大通りに次いで人通りの多い道なんだから」
「……一体、何がいけなかったのでしょうか…………」
まるで自分のことのようにへこむジネット。
陽だまり亭の移動販売なのだから、売れなかったという問題は、ジネットにとっても他人事ではないのだが……こいつの落ち込みようはそんなものじゃない。
弟たちが落ち込んでいることに落ち込んでいるのだ。
「……お兄ちゃん、ごめん」
原因は何かと考え込んでいると、不意に背後から声がした。
振り返ると、弟たちが三人並んでうな垂れていた。
くりくりした目に、いっぱいの涙を浮かべて。
「……全然…………売れなかった…………っ」
「…………ごめ……ん」
……こいつら。そこまで真剣に考えていてくれたのか。
なかなか、見所があるじゃねぇか。
「どうしたどうした! まだ初日だぞ!? 今日売れなかった分は、明日頑張ればいいだろうが」
「でも……」
「気にすんな! 妹たちがバカみたいに売ってくれたからな。トータルで見れば黒字だ。なに、最初でちょっと客を掴めなかっただけだ。そんな日もあるって」
しょげ返る弟たちの頭を乱暴に撫で回す。
初めての接客業だ。予想外のトラブルもあっただろう。思い通りに行かないことだらけだったに違いない。
最初は屋台を一つにして、こいつら全員の面倒を見てやるべきだったかもしれない。悪いことをした。
「明日は俺が一緒に行ってやる。妹たちの倍売って、驚かせてやろうぜ。な?」
「…………うん」
「声が小さいっ!」
「うん!」
「『はい』だ!」
「はいっ!」
まぁ、強引ではあるが、なんとか元気は出たみたいだな。
こいつらに、そこまでの責任を負わせるつもりはない。結果に関しては俺が責任を負う。
こいつらには、『元気に』『一生懸命』頑張ってもらえればそれでいい。
もう少しだけ、遊びで元気を出させてやろう。
「よぉし、ヤロウども! この前教えた合言葉だ! 準備はいいか!?」
「「「はいっ!」」」
「ジネットは!?」
「「「ぽいんぽいん!」」」
「エステラは!?」
「「「………………」」」
「って、おーいっ!?」
「な、なな、なんなんですか、その合言葉はっ!?」
「無言ってなんだ!? 何か言いようはあっただろう!?」
「もうもうもう! みんなまとめて懺悔してくださいっ!」
「「「……くすくすくす…………あはははっ!」」」
弟たちが笑い出す。
ようやく、暗い顔が払拭された。
そう。明日、頑張ればいいのだ。
「……ヤシロ…………ちょ~っと、話し合わないかい?」
……俺に、明日があればな。
「エステラ、一ついいことを教えてやろう。ナイフを人に突きつけて行うのは話し合いじゃない。脅迫だ」
どす黒いオーラを放つエステラを宥めるために十数分の時間を要し、俺の夕食は随分と遅くなってから振る舞われた。
翌日は、『陽だまり亭七号店』と共に大通りと交差するように延びる広めの通りにやって来た。
この道をずっと進むと領主の館がある。
なるほど。確かに人通りは多いな。
「昨日はどのあたりで売っていたんだ?」
「あそこ。あの開けた場所だよ」
弟が指さしたのは、周りに遮るもののない開けた空き地だった。
何かの建物が取り壊された跡地だろうか。そこだけぽっかりと空間が出来ていた。
確かに、ここに屋台を設置すれば通行の邪魔にはならないな。
だが、ダメだ。
「屋台を置くなら、向こうの木の下がいい」
そう言って、俺は道の脇に立つ立派な大木を指さした。
大きく枝を伸ばした、がっしりとした幹を持つ大木だ。
屋台というのは、ああいう『休憩しやすい場所』のそばに設置するのがセオリーだ。
木陰や海辺、ベンチが置かれている場所なんかがもってこいだ。
屋台で食い物を買って、ついでに休んでいこう――と、そう思わせるのがミソだ。
そんなわけで、さっそく大木の脇に屋台を停め、開店準備を始める。
チラホラと、こちらを窺っている人々が視界に入る。
興味はあるようだ。なら、あとは戦略が物を言うわけだ。
試食とか、させてみてもいいかもしれないなぁ……
俺はスーベニアカップに一人前のポップコーンを入れ、屋台の前へと躍り出る。……本当に踊ってはいないぞ?
「…………さて、と」
本当は、あまりこういうことをするタイプではないのだが……まぁ、やれと言われればいくらでもやるが……つか、どこのどいつが俺に「やれ」なんて命令出来るんだ? そんなヤツがいたら返り討ちにして「テメェがやれ」と言い返してやる。
……っと、話が逸れた。
まぁ、一丁『ういろう売り』でも真似てみるかね。
俺は大きく息を吸い込むと、全身に音を共鳴させるようにして大きな声を出した。
怒鳴らず、よく響きよく通る声で。
「さぁさぁ、そこな道行く旦那様奥様お嬢様、ついでにジジババガキんちょイヌにネコ! 急ぐ理由は分からねど、今しばらくは足を止め、ほんのひと時お耳を拝借。さすればたちまち心も踊る、楽しい知らせが飛び込み候!」
突然の口上に、道行く人も、開店準備中だった弟たちもキョトンとした顔で俺を見つめる。
気にせず続ける。
「さてはて、ここに取りい出したるは、目にも耳にも珍しい、ハニーポップコーンで御座ぁ~い!」
…………う~ん、無反応。
「……こほん。まぁ、とりあえず見てくれ!」
口調を戻し、セールストークを捲し立てる。
……寒い空気の中一人で突っ走れるほど、俺のメンタルは強くないのだ。
でも、注目を集められたから、俺は間違ってない。……と、言い聞かせておく。
「五歳になる知り合いの娘が、こいつを見て『宝物にする』なんて言ったんだ。俺は笑っちまったが、いや、なかなか……そう言われてみればかなり綺麗かもしれない。どうだろうか?」
ポップコーンを一粒摘まんで観衆に見せる。
お……大人たちの足元で、子供たちが少しずつ前のめりになってきている。
「次に匂いだ。分かるか? この、甘く、心躍らせる香りが」
スーベニアカップを、大きく弧を描くようにゆっくりとスライドさせる。
ポップコーンが放つハチミツの香りに子供たちがじりじりと前進してくる。
「それから、音だ。…………しっ!」
たっぷり間を取った後、大きな声で「しっ」と言い、辺りの人間を黙らせる。誰もが音を立てまいと息まで潜めている。
そんな中、俺は摘まんだポップコーンを一粒、前歯で咥えて見せる
注目を集めたところで、すかさず噛み砕く、と――
サクッ。
――という小気味よい音が無音の通りに響き渡った。
いつの間にか俺の足元にまで来ていた子供たちの瞳がキラキラと輝き始める。
子供は全部で、二の四の六の……十二人だ。二十四個の大きな瞳が、何かを期待するように俺を見上げている。
しょうがねぇな。
今回だけ、特別だぞ?
「お前ら、食ってみたいか?」
「「「「うんっ!」」」」
よっしゃ、食いついた!
もうこっちのもんだ!
俺はスーベニアカップを、子供たちが取りやすい高さにまで下げて差し出す。
我先にと群がるように子供たちの手が伸びてくる。
さぁ、思う存分貪るがいい! そしておねだりするのだ! 「もっと食べたいよぉ~!」となっ!
「やめなさいっ!」
勝利を確信した俺の耳に飛び込んできたのは、ちょっとヒステリックな、そんな声だった。
見ると、子供たちの親が、自分の子供を押さえつけ、ポップコーンから遠ざけていく。
「あんな物食べちゃいけません!」
「だってぇ~!」
「いいからこっちに来なさいっ!」
有無を言わさぬ気迫。
子供は泣き出すことすら許されずに、強制的に連行されていった。
俺の周りから、人がいなくなった。
ポップコーンは、一粒も減っていない。
……なんだ?
…………どうなってるんだ?
………………『あんな物食べちゃいけません』…………『あんな物』……
こいつらはどこかでポップコーンを食べたことがあるのか?
そうでなくても、見たり聞いたりしたことがあるのか? そして、よくない印象を持ってしまったのか……………………いや、違うな。
まったく。
俺としたことが…………
昨日の大成功で、こんな単純なことを見落としていたなんて…………いや、分かっていたはずだ。ただ、甘く見ていたんだ。
俺たちを遠巻きに取り囲む連中の目……俺はあの目に覚えがある。
アレは、他人を蔑み、排除しようとする目だ。
『あんな物』が指すのは、『ポップコーン』じゃない。
『弟たちが売っているポップコーン』だ。
すなわち……
スラムの人間が売っている物なんか、食べちゃいけません――って、ことか。
「……帰るぞ」
「え…………うん」
これ以上、ここで粘っても意味はない。
もっと根本的な打開策を打ち立てないと、この問題は解決しないのだ。
スラムの住民に対する忌避感というものは、俺が思っている以上に大きかった。
人のいいウーマロでさえも、スラムという言葉にはいいイメージを持っていなかったのだ。もっと早く気が付くべきだった。
……こいつらを、いたずらに傷付けてしまったな。
「なに、心配すんな。俺がなんとかしてやるよ」
「…………出来るの?」
……さぁな。
それは分からん。
だがな。
「やらないつもりはないぞ、俺は」
このまま諦めるなんざ真っ平御免だ。
尻尾巻いて逃げ出すなんざ出来るかってんだ。
折角のビジネスチャンスだぞ。
きちんと売ればかなりの売り上げになるのだ。
ただ、そうするためには少々時間がかかるだけで……
弟たちは、妹たちと違ってどこからどう見てもハムスターだ。
スラムの住人であることが一目瞭然なのだ。
それを誤魔化して売るという方法は取れない。
こいつらがちゃんと商売をするためには、ハムスター人族の地位を向上させなければいけない。
信頼を回復させるのだ。
それが、すげぇ大変なことなんだけどな。
ま、そこんとこは、地道に活動するしかないだろう。
「兄ちゃん…………僕たち、……いらない?」
こんな幼い子供が、自分の存在を否定するなんて……どれだけつらいだろうか。
「アホか」
強めのチョップを額に入れる。
「アタッ…………痛いよぉ……」
「仕事なら、他にいくらでもあるんだよ。昨日も言ったろう。まだまだ始まったばかりだ。最初から大成功で一切問題がないなんてこと、あるわけないだろう」
問題が発生したのなら、その都度対応していけばいい。
「落ち込んでる暇はないぞ。これからどんどん忙しくなっていくからな」
「…………うん」
空元気すら出せないでいる弟たちを横目に、しばらくは妹たちだけで移動販売をやっていくしかないな……そんなことを考えていた。
まったく、つくづく嫌になるんだが……
昨日は浮かれて、今日はへこんで……
俺はまた、重大なことを失念してしまっていた。
折角、エステラが前もって忠告してくれていたというのに……
そう。
『ヤツらが必ず妨害してくるはずだ』と――
弟たちと陽だまり亭に戻った後、俺は妹たちのもとへと向かった。
弟たちのことはロレッタが「任せてくださいです! これでも姉ですので!」と引き受けてくれたのだ。任せておくことにする。
とにかく、屋台が一つになってしまった以上、売れる方で稼いでおかないと…………
「………………えっ?」
大通りに来て、俺は目を疑った。
屋台の周りに、人がいないのだ。
昨日の風景とは打って変わって、重苦しい、居心地の悪い空気が広がっている。
……これは、七号店の時と同じ空気だ。
俺は堪らず駆け寄り、妹たちに声をかける。
「おい、大丈夫か?」
「あ……………………おにぃ……ちゃ……」
俺の顔を見て、妹の一人が泣き出してしまった。
そいつを抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩いてやる。
そうしながらも、比較的落ち着いている妹に話を聞く。
「何があった?」
「……分かんない…………なんでか、誰も買ってくれなくなって…………」
「いつからだ?」
「今日は…………最初から……」
どういうことだ……
昨日はあんなに行列が出来ていたってのに。
屋台の周りには、遠巻きにこちらを窺っている者が何人もいた。
子供の手をしっかりと握り、屋台に近付かせないようにしている親までいる。
何があった?
何かがあったはずだ……
「おいっ!」
原因は何かと思考を巡らせていると、不意に耳障りなノイズが聞こえてきた。
見ると、カマキリを哺乳類にしたような、痩せた男がへらへらと笑いながらこちらに近付いてくるところだった。
「誰に許可取ってここに店出してんだよ?」
出で立ちが昭和のチンピラだ。
胸元を大きく肌蹴させ、ガニマタでよたよたと歩く。
首をカックンカックンさせながらガンを飛ばし続けている。
「見て分かんねぇのか? 領主の許可だよ」
屋台の屋根には額縁が取り付けてあり、そこに、エステラ直筆の出店許可証が提示されている。
「はっ! 嘘吐けよ!」
「これが偽物に見えるのか?」
「偽物とか本物とかどうでもいいんだよ」
どうでもいいだと?
こいつは何を言ってるんだ?
いざとなったら、ナイフで応戦もあり得るなと、俺が身構えた時……
「スラムの人間に領主が許可なんか出すわけねぇだろうがっ!」
そのカマキリ男はバカデカい声でそう叫びやがった。
その瞬間、辺りを覆っていた居心地の悪い空気が一変した。
「あぁ、やっぱりそうなんだ……」という、納得の空気に……
「…………テメェか?」
「あん?」
「……いや、テメェみたいな三下が、こんな策略を練るわけがねぇよな」
「はぁっ!? ケンカ売ってんのか、コラ!?」
騒がしいだけのバカに時間を割いている暇はない。
敵の対応が早過ぎる。
俺たちが店を始めたのは昨日の朝だ。
それから一日、ずっとこの場所で店を出し続けた。閉店したのは夕方、人がいなくなる時間だ。
昨日の朝、俺たちの店を見つけ、様子を窺い、情報を集めて協議し、対策を打ち立て、実行に移す……それだけで一週間はかかってもおかしくはない。
ましてや、対策を講じ、効果が発揮するまでの時間が短過ぎる。
昨日の夕方までは、ここにいる一般人たちは普通にポップコーンを食べていた。
夜のうちに噂が広まったってのか?
そんなバカな。
こんな、コンビニも二十四時間営業の居酒屋も、まして街灯すらない街で、夜中に誰が噂話なんかするってんだ。
……いや。ヤツらがどんな方法を取ったかなんて、今はどうでもいい。
実際に悪評は広まり、こうして商売に影響が出ている。
こいつをどうひっくり返すか……それを考えなければ…………
「お……お兄ちゃん……」
真っ青な顔をして、妹たちが俺にしがみついてくる。
……なんで、こいつらがこんな思いをしなければいけないんだ…………
「おいおい、なんとか言えよ!? 聞こえてんのかよ!?」
「うるせぇぞ」
耳元でがなるカマキリ男に少し理性が切れかけた。
思わず、威嚇の視線を向けてしまった。
カマキリ男は俺に睨まれて息をのみ、体を半歩引いた。
口先だけの三下なら、この程度だろう。
相手にするだけ時間の無駄だ。
怒りに任せてぶっ飛ばしてやりたいが……そんなことをしたら更なる悪評が立ってしまう。
それこそが、『ヤツら』の狙いなんだろうけどな………………行商ギルドめ。
「今日はもう店じまいだ。片付けてくれ」
「え…………う、うん」
妹たちの頭を撫で、優しく声をかける。
一度陽だまり亭へ戻り協議し直そう。
俺の読みが甘かった。
ここまで露骨に悪意を向けてくるとは考えていなかったのだ。
…………しっかりしろよ、俺。
よし。
落ち込んでても仕方ない。
とにかく帰ろう。
……と、気持ちを切り替えようとしたところで、バカがまた余計なことをしやがった。
「テっ、テメェら! 逃げんじゃねぇよ!」
「きゃあっ!?」
カマキリ男が、近くにいた妹の頭を掴みやがったのだ。
恐怖に怯えた妹は、必死にその手を振り解き、パニックになって屋台を飛び越えた。
「あっ!」
その声を発したのが誰かは分からない。群衆の中の誰かだ。
ただ、その声をきっかけに、そこにいた者の視線が妹へと集中してしまった。
三角巾が脱げて、あらわになった……ハムスターの耳に。
「ほら見やがれ! やっぱりスラムの住人じゃねぇか! こんなもんで隠したって無駄なんだよ、無駄ァ!」
「…………………………っ」
その時、俺は何も考えていなかった。
ただ、細胞に刻まれた、本能以前の、もっと原始的な思考によって体が動いていた。
すなわち――
――敵は殺せ。
自分でも驚くような滑らかな動作で、俺はナイフを取り出し、ためらうことなくカマキリ男の首に刃を走らせた。
頸動脈を一閃。
これで、うるさいノイズは一生聞こえなくなる…………はずだった。
「……領内での理由なき殺生は死罪ですよ、オオバヤシロ」
突如――そんな言葉がぴったりくるほど突然の出来事だった。
俺の目の前にナタリアが出現していた。
鋭い視線が眼鏡越しに俺を見つめている。
俺の振り上げたナイフは、ナタリアのナイフに絡め取られ、俺の手からは消えていた。
ナタリアの右手に二つのナイフが握られている。
そして、左手には……
「…………ぐ…………ぐる……じ…………ぃ……っ」
口角から泡を吹いてバカみたいに口を開けているカマキリ男の首が握られていた。
気管を的確に潰している。アレは苦しいぞ。
「領主の許可を得た店を襲撃することは、領主に盾突くことと同意。つまり……私のお嬢様の顔に泥を塗ることと同義、イコォォォォール、死っ!」
いやいやいやいや!
飛躍し過ぎだろう!?
「……冗談はさておき」
笑えない冗談だなぁ……
ナタリアはゴミでも見るような視線をカマキリ男に向けて、平坦な声で言う。
「貴様には聞きたいことがあります。領主の館まで来てもらいます。拒否権はありません」
「…………ば…………ばい…………わがり……まじ…………」
そこでようやくカマキリ男が解放され、鈍い音と共に地面へと落下する。
ぴくぴくと痙攣しているが、生きてはいるようだ。きっと、死ぬギリギリのラインを心得ているのだろう。
「皆も聞きなさい」
そして、ナタリアは、カマキリ男を握っていた左手を純白のハンケチーフで拭きながら、遠巻きにこちらを窺っている群衆に声を向けた。
「この店は、正式に領主代行、エステラ様が許可なさったものです。好むと好まざるとにかかわらず、不当な扱いを行う者はこの私、ナタリア・オーウェンが許しません!」
ナタリアの声が止むと、辺りは水を打ったような静けさに包まれた。
四十二区のメインストリート、毎日多くの人で賑わうこの大通りがだ。
「……これで客が戻るとは思えませんが……少なくとも、露骨な破壊工作はなくなるでしょう」
「すまない。助かった」
「あなた自身も、短絡的な行動は控えなさい……そちらの無垢な瞳に、血生臭い光景を刻み込みたくはないでしょう」
俺の背後で身を寄せ合う妹たち。
そうだな。もう少しで、取り返しのつかないことをするところだった。
「以後、気を付ける」
「そう願います」
事務的に言って、ナタリアはカマキリ男を担ぎ上げる。
……自分で運ぶんだ。部下とかいないのかよ。
「……あとのことは、自分でなんとかなさいませ」
それだけ言うと、こちらの返事も聞かずに歩き出してしまった。
あぁ。分かってるよ。
絶対成功させてやる。
こんなことくらいで諦められるかよ。
ただ一つ、あのカマキリ男に伝言出来なかったのが悔やまれるな。
まぁ、今度会った時にでも直接言ってやるか。
行商ギルドの連中よ。
お前らは、『叩き潰しても心が痛まないリスト』から――
『何がなんでもぶっ潰してやるリスト』に変更されたってな。
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