40話 オープン前のせわしい空気

「…………でろでろで~ろでろでろで~…………マグダのお料理クッキング~」

「なに、そのイ短調なテーマ曲!?」


 スラムでのあれこれから一夜明けた今日、陽だまり亭の厨房にはロレッタの弟と妹の選抜隊がやって来ていた。

 ポップコーンの作り方をレクチャーするのだ。


 ……だが。


「マグダ、なんなんだよ、さっきのは」

「……以前、街に来ていた吟遊詩人がこのようなことをやっていた」


 吟遊詩人が3分クッキングみたいなことやってたってのか?


「……誰かを呪い殺しそうな暗い歌を口ずさみながら料理を作っていた」

「怖ぇよ! その吟遊詩人も、それを見て真似をしようと思ったお前も!」

「……食事代がなくて酒場の厨房で短期契約の仕事をしていた」


 こっちの世界にもあるんだな、働いて払うシステム。


「……ただ、聞くだけで呪われそうな歌が厨房から聞こえてきていて…………マグダ以外のお客はみんな逃げ出していた」

「なんでお前は逃げ出さなかったんだよ?」

「…………琴線に、触れた?」


 この娘の感性は大丈夫なのだろうか……


「……今日は、ポップコーンを、誰かを呪いながら作りたいと思う」

「普通に作れ!」


 移動販売の許可を取り付け、明日から売り始める予定になっている。

 明日の分はマグダが準備をしてくれることになっているが、今後のことを考えて今から教えておくのだ。

 上手く流れに乗れば販売数はどんどん上がるだろうからな。

 調理担当は多い方がいい。


「……みんな、マグダの真似をして」

「「「は~いっ!」」」


 一応、火を使うので年中組を調理担当として集めた。年少組には危険だからな。

 ちなみに、年長組は外回り……つまり販売員だ。金も取り扱うし、接客もする。そこは、年長組の責任ある面々に頼むことにした。


 そんなわけで、年中組が陽だまり亭厨房に八人、代表としてやって来たのだ。

 追々、この子たちがポップコーンをマスターして、次の子たちに伝授していく形を取ろうと思う。


「……さん、はい」

「「「でろでろで~ろでろでろで~」」」

「そこ真似しなくていいからっ!」


 そして、伝達される技術がおかしなことにならないように監督するのが俺の仕事だ。

 味をはじめとするクオリティーを落とすわけにはいかないからな。


「マグダ。ちゃんと俺が教えた通りに教えてやれ。お前たちも、今後変なアレンジとか入れるんじゃないぞ。商売ってのは『変わらない』ってことが意外と大切なんだ」


 何度チェーン店の『○○が改悪された!』ってクレームを耳にしたことか。

「ご好評いただいた従来の人気商品を、より多くのお客様にお求めやすいお値段でご提供出来るようリニューアルいたしました!」……という名のコストカット。これをやった企業は業績を落とす。「えっ!? そんなに!?」というほど落ち込む。更に、その後どんなに手を尽くしても、離れていったお客は戻らない……なぜどの企業も学習をしないのか、俺はずっと疑問に思っていたのだ。

 陽だまり亭ではそんなことはさせない。

 ジネットが手を抜くことはないだろうから、あとはここを死守すればクオリティの下落は防げるだろう。


「……みんな、手抜きは、ダメ」

「「「は~い!」」」


 年中組のハムっ子たちはマグダによく懐いている。

 教会のガキどももすぐに懐いていたし……マグダは子供に人気があるんだな。


「……でも、遊び心は必要」

「「「は~い!」」」

「無心で作れ~ぃ!」


 マグダの両耳を指で摘まんでむにむにしてやる。

 ……いや、さすがにマグダに拳骨とか、可哀想じゃん? ウーマロ相手なら躊躇いなく出来るけど。


「…………ヤ、ヤシ…………あの…………」


 ちょっとしたお仕置きのつもりだったのだが、なんだかマグダの様子がおかしい。

 尻尾の毛が逆立って物凄く太くなっている。

 頭を触ろうとしている両腕が中途半端に曲がって「触れようか……やめようか……」みたいな微妙な動きを繰り返している。


 むにむに……


「…………獣人族の……耳は…………揉むのは……ダメ……」

「はっ!?」


 そういえば、以前デリアの耳を揉んでちょっとした悶着があったんだっけ……すっかり忘れてた。


「あ、すまん……以後、気を付けるよ」

「…………」


 マグダは無言のままこくりと頷く。

 うわぁ……照れちゃってる……悪いことをした。


「お兄ちゃ~ん」


 焦る俺を、ハムっ子が追い詰める。


「お姉ちゃんの耳も触る?」

「触んねぇよ!」

「なんで? お姉ちゃん嫌い?」

「嫌い……ではないが、耳を触るほど親密ではないからな。分かるか?」


 子供相手には下手なことが言えない。

 ……往々にして筒抜けになるものだからな、子供の得た情報というものは。

 なので言葉を慎重に選んで言い聞かせた……つもりだったのだが。


「…………親密…………」


 隣でマグダの尻尾がぞわわと波打った。

 ……照れて、る……ってことでいいんだよな? 怖気が走ってるわけじゃないよね?

 難しいんだよ、マグダは……表情が全然顔に出ないから……


「…………ぽっ…………ぴゅ……きょ~ん…………つくりゅ」

「マグダ!? 本当にごめんな!? お前大丈夫か!?」

「……平気。日常茶飯事。マグダは大人の女性」

「分かった。とにかくとんでもなく動揺させてしまったことは分かったら、吐いた瞬間に嘘だとバレる嘘は吐くな。精霊神が見てるんだろ、この街じゃ」

「……精霊神は……マブダチ」

「ちょっと休憩挟みまーす! マグダ先生待ちしまーす!」


 ハムっ子たちに断りを入れて、休憩を取ることにした。

 マグダを一度部屋へ戻し、落ち着いたら戻ってきてもらうことにする。


 あぁ……ホント自重しないとなぁ…………でもさ、目の前でぴこぴこ揺れてたら摘まみたくなるだろう、ネコ耳。クマ耳にしたってそうだ。あんなぷにぷにしたもん、摘まむなっていう方が無理な話だ。……あ、ネフェリーは大丈夫。鶏冠(頭の上の赤いヤツ)とか肉垂(くちばしの下の赤いヤツ)とかぷにぷにしたくならないんで。


 その後、数分でマグダは戻ってきたのだが……


「……もう平気。ちゃんと教える……だから、ヤシロは少し……外してて」


 と、追い出されてしまった。

 マグダも女の子なんだなぁ……とか思っちゃうあたり、俺の心の方はどうしようもなくオッサンなんだなと悲しくなる……

 しかし、『パンツ、いる?』だった頃から比べれば、随分な成長じゃないか。マグダが少し大人になったことを喜んでやってもいいんじゃないだろうか。


 と、そう思うことで、俺は追い出された悲しさを紛らわせることにした。




 食堂に出ると、隅っこの席にデリアとマーシャが座っていた。デリアは今日はお客として来ている。


「おぉ~! ヤシロ~!」

「あらあらぁ、ご無沙汰ねぇ~」


 川漁ギルドのクマ娘と、海漁ギルドの人魚が差し向かいでハニーポップコーンを食べている。


「悪いな、ヤシロ。本業の方が忙しくてなかなか手伝いに来れなくてさぁ」

「気にすんなよ。新人も入ったし、デリアは自分の仕事を優先させるべきだよ」

「そう言ってもらえると助かるよ」

「でも、また暇な時は手伝いに来てくれよ」

「あらあらぁ? ヤシロ君はデリアちゃんがお気に入りなのかなぁ?」

「そ、そうなのかっ?」

「あ、いや、俺がというか……デリアの超ミニメイドのファンがいてな。シフトの日を教えろとうるさいんだ」

「あっ、あたいのファン!?」


 デリアはとても驚いているようだが、デリアのファンは割と多い。

 可愛い系ばかりの陽だまり亭において、珍しくカッコいい系だからな。


「マーシャ……すまない。急用が出来……」

「ダメよぉ~。こっちはこっちで困ってるんだから」


 さすが長年の友人。デリアの言うことならなんでもお見通しなのだろう。……いや、俺でもさっきのは理解出来たけどな。


「何か問題でもあったのか?」

「う~ん、ちょっと汚水がねぇ……」

「汚水?」


 困り顔のマーシャは、ポップコーンを摘まみながら話し始める。


「この長雨のせいで、泥水が海に流出してるんだよぉ」

「川漁ギルドの方でも、泥水が海に流れないように対策はしてるんだけど……」

「上手くいってないのか?」

「雨の量が凄かったからね」

「あとねぇ、泥水もそうなんだけどぉ……人間の生理現象のたまものが海に流れ着いちゃってるんだよねぇ」


『生理現象のたまもの』というのは、要するに糞尿のことだ。

 この世界では肥溜めにためて肥料にするのが一般的だ。

 だがここ一ヶ月の降ったり止んだりの長雨のせいで、それらのうち何ヶ所かから汚水が川へと流れ込んでしまっているようだ。


「少しくらいなら、お魚が食べてくれるからいいんだけどねぇ。あんまり多いとねぇ……」

「ウチでも、川の水が汚れて困ってるんだよな」

「それでぇ、二人で対策を話し合ってたのぉ」


 とは言うのだが、はたから見ていると、一緒にポップコーンを食べているだけにしか見えない。


「俺に出来ることがあったら言ってくれな。出来る範囲で協力するから」


 ただし、見返りは求めるけどな。――と、ここは黙っておく。


「優しいねぇ、君は。じゃあまた、網のお掃除頼んじゃおうかなぁ。今度持ってくるね」

「じゃあ、あたいは、ポップコーンが食べたい!」


 どちらも汚水には一切関係のないことじゃねぇか。

 あ、でも。ポップコーンの移動販売が上手くいけば川の方まで範囲を広げるのもありか。期待が広がるな。

 あ、そうだ。こいつを使わせてもらおう。


「デリア、明日は川での作業だよな?」

「あぁ。川漁ギルド総出で土嚢をもう少し高く積み上げるんだ。近々、また一週間もしないうちに大雨が来そうだからな」


 なら、そこにお邪魔するとしよう。

 ……にしても、大雨か……

 幸いなことに、ここ最近はなんとか天気が持っているという状況だ。おそらくあと数日は持ち堪えてくれるだろうから、その間にある程度の実績は残しておきたい。

 雨で移動販売が出来ない間、お客が販売再開を心待ちにしてくれていれば、再開した時の売り上げは爆発的に伸びるはずだからな。

 最初三日が勝負か。


「じゃあ、ゆっくりしていってくれ」

「あぁ。ポップコーンを食べながら寛いでいくな」

「お気遣いありがとねぇ、ヤシロ君。でもデリアちゃん。寛いでないで話し合いしましょうねぇ」


 とりあえず、今現在俺に手伝えることはないようなので、俺はその場を離れる。


 食堂を出て、店の裏側へと回る。トイレを過ぎて、薪置場の前だ。

 そこには、ウーマロと、ハムっ子の年長組が四人いた。ハムっ子は全員男で、ウーマロの手伝いをしている。


「あーっ、そこ! 釘は真っ直ぐ打つッス!」

「はいッス!」


 いや、口調は真似しなくていいから。

 良くも悪くも素直だな、ハムっ子たちは。


「調子はどうだ?」

「あ、ヤシロさん。ぼちぼちってところッス。急ぎの二台は夕方までに完成するッスよ」


 ウーマロには、昨日約束した移動販売用の荷車を作成してもらっているのだ。

 荷車と言っても、リアカーのような形状ではなく、屋台のような造形だ。というかもう完全に屋台だ。

 屋台を引く持ち手に向かって、右が客側、左が店員側になる。

 大きな車輪が二つ側面についており、販売時にはストッパーで屋台を固定する。

 屋台の底面から胸の高さまでが箱状になっていて、店員側から開閉出来、箱の中には商品とお金が入るようになっている。そして、屋台上部には屋根が取り付けてある。


 ゆくゆくは、小さな竈を内蔵して外で調理出来るようにしたいのだが……まぁ、最初はこんなものだろう。


「ハムっ子たちはどうだ?」

「まだまだッスで。でも、やる気とガッツは大したものッスから、鍛えがいがあるッス」

「頑張るッス!」

「棟梁を超えるッス!」

「ほら、しゃべってないで手を動かすッス!」

「「はいッス!」」

「……無邪気過ぎるところが、良くも悪くもって感じッスかね」


 ため息を吐きながらも、ウーマロは少し楽しそうだった。

 技術の継承というのは、やはり面白いものなのだろうか。

 ……そういえば親方も、俺にものを教える時はすげぇ楽しそうな顔してたっけ……


「オイラは甘くないッスからね! ビシビシしごいてやるッスから、覚悟するッス!」

「「「はいッス!」」」


 なんだかんだと頼りになる男である。

 人間としての器は、ウチの親方といい勝負かもしれない。

 ……なんてことを思っていると、裏庭にマグダがひょっこりと現われた。


「……ヤシロ。いい?」

「「「「「はぁぁぁああんっ! マグダたんマジ天使ッスゥ!」」」」」

「おかしな病気を蔓延させてんじゃねぇよ!」


 ウーマロ菌が物凄く猛威を振るっている。感染者が既に四人も……由々しき事態だ。

 バイオハザードだ。


「で、どうしたんだマグダ?」

「……頑張るみんなにポップコーンの差し入れを持ってきた」

「「「「「はぁぁぁああんっ! マグダたんのお手製ポップコーン!」」」」」

「……作ったのは妹たち」

「「「「「………………」」」」」


 テンション下がってんじゃねぇよ。


「……でも、妹たちはみんな…………つるぺた」

「「「「「………………っ!?」」」」」


「なにっ!? いや、でも……」みたいな顔してんじゃねぇよ。

 なんなんだよ、お前らのその一体感?


「……ヤシロ、試食を」

「そうだな。じゃあ、一つもらうか」


 マグダに手渡されたポップコーンは温かく、蜂蜜の香りがふわっと香っていた。

 ……だが。


「弾けてない粒が多過ぎる。なのに焦げているヤツがある。フライパンの振りが甘いんだ。それから、蜂蜜はちゃんとバターと牛乳で溶かすんだ。これじゃあベトベト過ぎて見た目に綺麗じゃない」

「……おぉ……厳しい」

「美味い物は最高の状態で提供したいだろ?」

「……同意」

「お前たち、聞いたッスか!?」

「「「「はいッス! 『……同意』ッス!」」」」

「そっちじゃないッス! いや、そっちこそが天使の澄みきった声で重要ッスけど、ヤシロさんの言葉ッス!」

「「「「…………?」」」」

「オイラたちも、一流の荷車を最高の状態で引き渡すッス! それがプロというものッス!」

「「「「はいッス! ヤシロたん、マジ天使っ!」」」」

「ヤシロさんは天使じゃないッス! マグダたんと同列に扱うなんて、マグダたんに失礼ッス!」

「よし、お前ら五人、ちょっと来い。拳で語り合おう」


 どいつもこいつも失礼だ。

 まったく、ろくでもない男だな、ウーマロは。

 人間としての器がまだまだ未成熟なのに違いない。でなければいびつに歪んでいるのだろう。

 まったく嘆かわしいことだ。


「マグダ、ウーマロ。各々、明日までに準備を整えておいてくれよ」

「え? 移動販売を始めるのは明後日からじゃなかったッスか?」

「明日は最終確認を兼ねたテスト販売を行うんだよ。ぶっつけ本番なんか怖くて出来るか」

「あぁ、なるほどッス。じゃあ、実際動かしてみて不具合がないかを確認出来るッスね」

「……こちらも、やってみて不都合がないか確認する」


 ポップコーンの移動販売において、この二人は指導担当だ。頼りにしている。


「明日は予行練習として、川漁ギルドのところへ販売しに行く」

「デリアさんのとこッスか?」

「あぁ。実際金が取れる上、失礼があっても多めに見てくれるし、失敗してもまぁなんとか誤魔化せる絶好の練習場だ」

「……ヤシロさん、仲間内には結構エグいことするッスよね。友達なくすッスよ?」


 ふん。この程度でなくなるなら、そいつは友達なんかじゃなかったってことだ。

 友達というのは、いついかなる時も、どんな状況下に置かれても、無条件でお金を貸してくれるヤツのことだ。そういうヤツがいたら、俺はそいつを親友と呼んでやろう。


 そんなこんなで、急ピッチに作業は進められた。



 翌日の予行練習も兼ねた小金稼ぎも、もろもろのトラブルはあったりしたものの、特筆すべき事柄ではないので割愛する。

 軽く触れるとすれば、デリアに渡るはずだったハニーポップコーンに、オメロが間違って手をつけてしまい……濁流荒れ狂う川のほとりでジャブジャブ洗われてしまった…………なんて、よくある日常のトラブルくらいしかなかったわけだ。

 至って平凡。いつも通りだ。

 しかし、予行練習をやった成果はあったようで、ポップコーンのクオリティは安定するようになった。まだ少し調理に時間はかかるが、妹たちに任せても大丈夫だろう。あとはマグダが上手く調整してくれるはずだ。




 そして迎えた、オープン初日。

 移動ポップコーン販売所、『陽だまり亭二号店』及び『陽だまり亭七号店』のデビューだ。


 なぜ二号店と七号店かと言うと……

 二号店でクオリティが高ければ「味が守られている」というイメージと共に、客に安心感を与えることが出来るし、上手くいけば、「二号店でこのクオリティなら、本店はどれだけ凄いんだ?」と思わせることも出来るかもしれない

 二号店というのは、良くも悪くも比較対象とされる運命なのだ。そいつを逆手に取り、二号店のクオリティを可能な限り上げることで、相対的に本店の株を上げるのだ。人の心理として、二号店が本店を超えるとは思わないからな。


 そして、七号店。

 こいつには、「七号店ということは、六号店まであるんだ」と、そう思わせる効果がある。

 当然ながら、店の名前など好きに付ければいいものなのだから、仮にこいつが実質三号店でも『七号店』と名乗ったって構わない。

 文句があるなら、ラーメン屋の二郎さんとこに行って「太郎を出せ!」と言ってこい。

 店の名前など、得てして不可思議なものなのだ。決して嘘ではない。

 それでも、「どーしても納得がいかない」、「それは嘘じゃないか!」というヤツがいるのなら、俺はこう言ってやろう。「この店は、『陽だまり亭七号店・本店』なのだ」と。そういう名前なのだ。

 勘違いするヤツが出てきたとしても、そんなもん、俺の知ったこっちゃない。


 というわけで、二号店と七号店が本日初陣を飾る。


 ジネットとロレッタには店の仕事を最優先にしてもらい、マグダはポップコーン担当だ。手伝いに妹を二人つけている。

 移動販売に向かうのは、俺と、弟が三人、妹が三人だ。

 妹たちは若干緊張しているように見えるが、弟どもはそんな素振りが一切見えない。


 というのも、昨日のプレオープンで、デリアが率先して大量購入してくれたおかげで、弟たちは自信をつけたのだ。

「おい、お前らも買ってやれ! 食い切れない分はあたいがもらってやるから!」と、川漁ギルドの構成員にも勧めてくれた。

 ガタイのいいオッサンどもが群がってぽりぽりハニーポップコーンを齧っている光景は実に異様だったが、売り上げは文句なしに上々だった。

 最初こそ不安がっていた兄妹たちだったが、デリアが俺の知り合いであると分かると、徐々に緊張がほぐれていき、最後の方には普通に会話をするまでになっていた。

 ポップコーンが完売した際は、デリアと一緒に大はしゃぎをしていた。……なんでデリアまで? と、思わなくもないが、兄妹たちを上手く乗せてくれたので良しとする。

 妹たちは「ハイタッチって、初めてしたー!」とテンションが上がりまくっていた。

 弟たちは「僕たちって、商売の才能あんのかなぁ!?」なんて調子に乗っていたほどだ。


 そんな大成功を経験して、弟たちは自信を手に入れ、今日という日を迎えたのだ。


「百万個売ろうぜ!」

「一兆個売る!」

「じゃあ、十億兆万個!」


 ご覧の通り、バカの集まりである。ちょっと調子に乗り過ぎかもしれない。

 しかしながら、初めての仕事に対し緊張していないのは大いによろしい。

 客を相手に委縮してしまっては商売にならないからな。


「……売れるかなぁ?」

「全然売れなかったらどうしよう……」

「そうしたら、あたしたちクビ?」

「え~、そんなのやだ~……」

「やだ~……」


 ネガティブである。

 元々、ずっとスラムに閉じこもり、家族以外の人間と触れ合うことなどなかった連中だ。たまにやって来るのはゾルタルのような悪人だけだったわけで……人が苦手になる気持ちも分からんではない。


「昨日、川漁ギルドの面々相手にちゃんと接客出来たのだから大丈夫だ」と励ましてやるも、「昨日のみんなはお兄ちゃんのお友達だから……」と、不特定多数を相手にする不安を覗かせていた。

 こちらは少し心配になるレベルだ。


 本当は、バカどもに付いていってしっかり見張っていたかったのだが……やはり妹たちを放ってはおけない。今日は妹たちの方に付いていくとしよう。


「おい、バカども。俺がいなくてもしっかりやれよ」

「まかせてー!」

「全部売ってくる!」

「絶対売れるし!」

「すぐ売り切れちゃったらどうする?」

「遊びに行こー!」

「おー! 行こー!」

「売り切れたら店に戻って補充するんだ、よっ! よっ! よっ!」

「あぅっ!」

「えぅっ!」

「おぅっ!」


 バカ三人の脳天にチョップを落とし、気を引き締めさせる。

 まぁ、物怖じしないのはいいことだけどな。……限度はあるけど。


「おぉ、これが移動販売のお店かい?」


 店先で屋台の最終確認をしていると、エステラがやって来た。陣中見舞いのつもりだろうか。

 いや、ただ興味本位で覗きに来ただけだな、きっと。


「話を聞いてから、どんなものになるのかずっと気になっていたんだよね」


 ほらな。


 今日のエステラは、先日のようなドレス姿ではなく、いつもの男装とでも呼ぶべき花も色気もない服装だ。たまにはフリフリのミニスカートでも穿いてこいよな。……絶対ナタリアが止めるだろうけど。


「へぇ、立派な物に仕上がったね」


 修学旅行で観光地に訪れた中学生のように、無遠慮に屋台をベタベタと触るエステラ。興味が尽きないようで引き出しを開けたり屋根を叩いたりしている。……えぇい、やめろ。壊す気か。まぁ、その程度では壊れないように作ってあるだろうけどな。


「さすがは、トルベック工務店の棟梁さんだね」

「いやぁ、褒めてもらって嬉しいッスけど、今回はオイラよりもこっちの見習いの頑張りが大きいッス。褒められるべきはこいつらッス」

「「「「棟梁っ!? ありがとうございますッス!」」」」


 褒めるところは褒める。部下の才能を伸ばし育てるいい上司だ。


「……ハムっ子たち、えらい」

「「「「はぁぁあっ! マグダたんマジ天使っ!」」」


 お前ら、条件反射で言ってないか?


「マ、マグダたん! オイラは!? オイラもとっても頑張ったッス! 本当は色々マズいところとか、甘いところをこいつらに内緒でオイラが補修していたッス! 自信をつけさせるために黙っていただけッス! 本当はほとんどオイラがやったようなもんッス!」


 って、こら!

 だとしても、いや、だからこそ、それバラしちゃダメだろ!?


 やっぱりこいつはダメだ。ダメダメだ。


「みなさ~ん! ちょっと待ってくださ~い!」


 今度はジネットとロレッタが、ぱたぱたと足音を鳴らし、二人並んで駆けてくる。

 なんだ、結局全員出て来ちまったのか。まぁ、今は客がいないし平気か。


「これ、持っていってください」


 そう言ってジネットが差し出してきたのは、風呂敷に包まれた四角い箱だった。


「弁当か?」

「はい。みなさんで召し上がってください」


 ジネットお手製の弁当は二つあり、それぞれ重箱のような大きさだ。弟チームと妹チームの分らしい。


「わたしは、これくらいしか出来ませんので」


 いやいや。十分だ。

 そうか、弁当を持っていくのは盲点だったな。というか、昼飯のことをすっかり失念していた。

 さすがはジネットだ、よく気が利くじゃないか。


「中見てもい~い?」


 妹たちが瞳をキラキラさせて俺を見上げてくる。


「昼まで我慢しろ」

「見~る~だ~け~っ!」


 あぁ、もう。もう出かけるってのに……


「まぁまぁ、ヤシロさん。いいじゃないですか。見るだけですから」


 甘い! 甘いぞジネット! その甘やかしが子供たちをわがままにしてしまうのだ!


「あんたたち、お兄ちゃんを困らせるのはダメですよ!」

「……『お兄ちゃん』?」


 ロレッタの言葉に、エステラが反応を見せる。……そういえば館でエステラに会った時、ロレッタはほとんどしゃべってなかったんだっけな。

 説明すんのが面倒くさいから、そこら辺は適当に汲んでおいてくれ。


 ぐずる兄妹たちを叱りつけるロレッタに、エステラが近付いていく。

 肩をポンと叩き、「まぁまぁ、いいじゃないか」と声をかけた。

 あぁ、そんなことしたら、また気絶しちまうぞ……


「今日は移動販売の初日なんだから、景気良く行かないかい?」

「えっと……どちら様ですか?」


 ……あれ?


「この食堂の常連だよ」

「あぁ、そうなんですか。初めましてです。あたし、先日より陽だまり亭でウェイトレスをしているロレッタというです。よろしくお願いしますです」

「ボクはエステラ。こちらこそよろしくね」


 んんんんっ!?


 ロレッタが普通だ。館で会った時は目が合っただけで気絶していたのに、今は普通に接している。

 つか、『初めまして』?


「ヤシロ……」


 エステラがちょいちょいと、俺を手招きする。

 近付くと、袖を引っ張られて屋台の陰へと連れてこられた。


「よくあることなんだよ」

「……何がだ?」


 少し困ったような表情で、エステラが小声で教えてくれた。


「ドレス姿のボクと、今の格好のボクを同一人物だと気付かない人がだよ」

「いや、気付くだろう?」

「それは…………その、ヤシロが……特別…………その、アレだから……じゃ、ないかな?」


 俺が特別アレ?

 鋭い観察眼か?

 にしても、あれだけ至近距離にいて、なぜ気付かないんだ? しかも名前まで名乗ったってのに。


「巨乳に目を奪われて顔を見ていなかったなんてこともないだろうに……絶対にありえないだろうにっ」

「なんで二回言った? なんで強調した?」


 大事なことだからだ。


 しかし、いくらオシャレしてたとはいえ……


「ドレス姿のエステラが美人過ぎて気が付きませんでした、ってか?」

「――っ!? ほ、褒めてくれるのはありがたいんだけどね、きゅ、急に言うのはやめてほしいな。……心臓に悪い」


 じゃあ何か? 「今から褒めま~す。綺麗だよ!」ってやるのか? どこのアホの子だ?


「デリアやウーマロ、モーマットともドレスで会っているんだけど、まったく気が付いていないみたいだよ」

「……どいつもこいつも頭のネジが緩んでる連中ばっかだな」


 なんか、こいつらじゃあ仕方ないかって気になるメンバーだ。


「でも、ボクとしてはその方がありがたいんだ。ボクが領主の娘だと知ると、みんな遠慮しちゃうだろ? ボクは、今のままの気安い関係が気に入ってるんだ」

「まぁ、お前がそれでいいなら、いいけどな」


 俺がエステラの正体を触れて回る必要もないしな。


「やっぱり、ヤシロはいいね」


 はぁっ!?

 こいつ、何をぽそっと男の勘違いを誘発するような発言してんだ!?


「デリカシーがないくせに気が利いて、一緒にいて凄く楽だよ。ヤシロに本当の自分を見てもらえてよかった」


 らしくもなく、エステラはお嬢様のような優雅な微笑を湛えて、こう囁いた。


「ありがとうね」


 ……なんだかなぁ。

 調子が狂うからやめてほしい。

 俺としても、エステラとはバカをやり合える関係でいたいと思っているのだ。

 こんな……ちょっと女の子っぽいしぐさとか…………柄にもなく照れちまうだろうが。


「デリカシーがないは余計だろ」

「そこが一番重要なところだよ」

「あぁ、そうかい」


 そう。こういう憎まれ口が心地いいのだ。


「おぉーっ!」


 と、突然屋台の向こうで歓声が上がった。

 大方、弁当を開けて中を見たのだろう。……ったく。甘やかしやがって。


 エステラと目配せをして、俺たちは盛り上がっている輪の中へと入っていく。


「お姉ちゃんすごーい!」

「ウチの姉ちゃんじゃない方のお姉ちゃん、すごーい!」

「なんで、わざわざそういうこと言うですか!? あたしもちょっとは手伝ったですよ!?」


 兄妹たちが弁当箱を覗き込んでわいわい言っている。


「開けたのか?」

「あ、ヤシロさん」


 ジネットは俺の顔を見るや、少しだけ反省しているようなニュアンスを含む笑みを浮かべた。


「すみません」

「な~ぁにが『すみません』だよ」


 謝る気などないくせに。

 まぁ、開けてしまったものはしょうがない。

 俺も中身を確認してみるか。


「どれどれ……」


 お弁当に入っている茶色い食べ物は美味い。

 これは多くの人が経験から知っていることだと思う。


 今回ジネットが作った弁当も一面茶色だった。

 俺にとっても大変馴染みのある食べ物で、好きか嫌いかと言われれば間違いなく好きな方に入る、そんな食べ物。陽だまり亭でも取り扱っている目玉商品。


 弁当箱の中には、ぎっしりとハニーポップコーンが入っていた。


「ポップコーンみたいな勢いで売れるようにと、願いを込めて作りました!」


 得意満面のジネット。

 あぁ、そうか。こいつには根本的なことを教えていなかったのか……


 弁当に、お菓子を入れるな。


「ジネット」

「はい」

「……作り直し」

「ほにょっ!?」


 俺がおかずを指定して、昼頃にマグダに届けてもらうことになった。


 ……ジネット、お前はなんていうか………………残念だな。


 そんなこんなのバタバタがあり、すっかり出発が遅くなってしまったが……

 準備は整い、気合いも十分だ。


 あとはこいつで、ポップコーンを売って売って売りまくるだけだ!


「よし、それじゃあ出発だ!」

「「「おぉーっ!!」」」


 そんな掛け声と共に、俺たちは二台の屋台を引いて陽だまり亭を出発した。





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