33話 わーきんぐ

「何しに来やがった?」


 デリア、客に対しての第一声である。


「デリア、ちょっと来い」


 至急手招きして呼び寄せる。

 緊急ミーティングだ。


「どうだった、ヤシロ!?」

「どうもこうもない。今来た客がウーマロじゃなかったらとても失礼に当たるところだったんだぞ?」

「あの、ヤシロさん。オイラでも十分失礼に当たるっていうか、ヤシロさんのその発言が何気に一番失礼ッスよ」


 相も変わらずアホみたいな顔をしてやって来たウーマロが何かよく分からないことを言っているがまぁ無視で問題ない。


 デリアが陽だまり亭で臨時のバイトを始めて三日が経った。

 ジネットに話したところ、「お給金はそれほどお出し出来ませんが、それでもよければ是非」と、即承諾したのだ。デリアに対する給金は大半を食事で支払うことになっている。

 デリアは元々散財をするタイプでもなく、欲しい物もさほどないようで、現金収入にはこだわっていないようだ。

 金を使うのは甘い物を食べる時だけ。そんな人生らしい。


「店長ぉ、あたいの接客、百点満点で何点だ?」

「はい。百点です」


 採点甘い!


 ジネットは、はいはいと言うことを聞くデリアが大層気に入ったようで、ずっとにこにこしている。

 元々悪い感情を持ってはいない相手だったし、手伝いを申し出てくれたことで好感度が急上昇したようだ。


「でも、デリアさん。お客さんに『来てよかったな』と思っていただけるような接し方が出来るともっともっとよくなると思いますよ」

「『来てよかった』だな。分かった! やってみる!」


 改善点があるなら百点満点じゃないだろ、ジネット。

 俺の採点方式で言えばデリアは二点だ。顔とスタイルがいいので三十点。元気がいいので二十点。元気が良過ぎるのでマイナス十点、言葉遣いのまずさでマイナス二十点、所作の雑さでマイナス十点、客に対する威圧感でマイナス八点だ。


「おい、狐!」

「オ、オイラッスか?」

「来てよかったろ?」

「あ……いや……その……」

「よかったろ? な!?」

「は、はい! よかったッス!」

「どうだ、店長!?」

「ちょっと違う気もしますが……まぁ、いいでしょう」


 よくないぞ、ジネット!?


「ヤシロさん……マグダたんの代わりがあの人って……どうしてこうなっちゃったんですか?」


 涙目のウーマロが俺にだけ聞こえるように嘆きを漏らす。

 こいつは、マグダが怪我をしてからというもの毎日お見舞いの品を持ってやって来る。餌付けに必死なのだ。

 まぁ、ブカブカシャツ一丁の際どい姿をしたマグダを、他のヤツに会わせるつもりはないので面会謝絶だと言ってあるのだが。

 美味そうなものを見ると尻尾がピンと立って、尻が丸出しになるのだ。危険で人前には出せん。


 最近、エステラは忙しいらしく、教会で朝食をとるとすぐに帰ってしまう。

 レジーナはというと……

「アカン……こんなに仰山人が出入りする場所、ウチには耐えられへん……」

 とかなんとか言って、営業中の陽だまり亭には滅多に顔を出さない。……どこまでもぼっちを拗らせたヤツである。


 そんなわけで、意外と人手が足りていない。

 マグダが欠けただけだと思っていたのだが……

 ジネットは接客と料理、それにマグダの看病に掃除洗濯など家事全般を一人でこなさなくてはいけないのだ。マグダが担当していたポップコーン作りにまで手が回らない状態だった。

 俺が手伝えるのは接客とマグダの世話くらいで、それすらもジネットに比べれば効率が悪い。


 つまり、ジネットの負担は物凄いことになっているのだ。


 デリアの申し出は渡りに船だったかもしれない。

 こんな乱暴な物言いではあるが、やはり店に美女がいると華やかになる。陽だまり亭はこうあるべきなのだ。


「すみませ~ん! 注文いいですか~?」

「あとにしろ!」

「いや、今スグ聞いてこいよっ!?」

「あたいが?」

「それがお前の仕事だろ!?」

「あたいは漁師だぞ?」

「今はウェイトレスだ!」

「おぉ、ウェイトレスか…………へへ、なんか照れるな」


 照れるポイントが分からんが、……見栄えはともかく、基本的な教育は俺がしてやるほかあるまい。


「よし、注文を言え! 聞いてやる」

「え……あ、じゃ、じゃあ……野菜炒め定食を」

「俺はチキンソテー定食」

「日替わり定食」

「俺も、日替わりで」

「うんうん…………お前ら、魚食え」

「「「「……は?」」」」

「店長、焼き鮭定食四つだ!」

「「「「いやいやいやいや!」」」」

「なんだよ? 鮭美味いぞ? なぁ、ヤシロ?」

「美味いのは認めるが、客の注文はちゃんと聞いてやれ」

「しょうがないなぁ……今回だけだぞ?」


 いや、毎回聞けよ。


 デリアのとんでも接客に戸惑っているのはウーマロのとこの大工たちだ。だからまぁ、デリア流の接客でもギリセーフだが、普通の客相手だとあれではマズいな……


「トルベックの連中以外の客が来た時のためにも、教育を急ぐか……」

「あの、オイラたち、物凄いお得意さんッスよね? 大切にしてほしいんッスけど?」

「大切にしてるじゃないか。今日のマグダ情報聞きたくないのか?」

「聞きたいッス!」

「焼き鮭定食がおすすめだ」

「じゃあ、オイラそれでいいッスから! 教えてほしいッス!」

「今日のマグダは、淡いブルーのシャツを着ている。前をボタンで留めるタイプで、丈はこの辺だ」

「むはぁ…………可愛い……っ!」


 もはや、想像の中のマグダでも萌えられるようになった末期症状のウーマロであった。


「ぬわぁっ!?」


 突然デリアの悲鳴が聞こえた…………悲鳴かな、今の?


「…………冷たい」


 何をどうやったのか、デリアが全身ずぶ濡れになっていた。どうも水差しを頭の上でひっくり返したらしい。……曲芸でもしてたのかよ。


「お前らのせいで濡れたぞ!」

「「「「いやいやいや! 『空中水汲み!』とか突然やり出したのデリアさんですからっ!」」」」


 ……そんなことやってたのか。


「くそぉ……服がびしょ濡れだ……脱いで乾かさないと」

「やめろっ!」


 ここで脱ぐと、…………死者が出る。


「そ、そうだな……ヤシロも、いるしな……」

「いなくても人前では脱ぐな」

「あは……ヤシロは意外と独占欲が強いんだな……」


 んっと……とりあえず話が噛み合っていないことは分かった。何を言っているのかはよく分からんし、分かろうという努力をするつもりもないが。


「大変ですっ! デリアさん、今すぐ着替えないと……!」

「でも、あたい、これ以外に服なんか持ってないぞ?」

「わたしの制服をお貸しします!」

「入るかぁ?」


 デリアがジネットの隣に立ち、手のひらを自分の頭の天辺からジネットの頭の天辺まで上下に動かす。デリアは俺より背が高く、ジネットは俺より低い。

 サイズ的に入るのか…………俺は二人を見比べる。


『ぽい~ん』

『ドーン!』


「入るんじゃないかなっ!?」

「……ヤシロさん。今、胸だけ見てたッスよね?」


 デリアなら、ジネットにだって対抗出来る!


「なら、借りようかな」

「はい。ではこちらへ」


 ジネットがデリアを連れてカウンターの奥へと姿を消す。


「あぁ……美女が全員いなくなる……」


 店に残ったのは、俺と、美女目当ての男どもだけだ。

 非常にむさくるしい。


 というか、ジネットの茶飲み友達であるムム婆さんを除けば、この食堂に女性客はいない。ベルティーナは来る度に『ジネットの育ての親権限』を発揮し、金を置いてはいかないし……つか、タダで食べられる時しか店には来ない。

 エステラがたまに金を払うくらいか……


 折角ハニーポップコーンなんて女性受けしそうな甘味を用意したってのに、全然女性客がいないじゃねぇか! ……これは由々しき事態だな。改善が急がれる。


 その後、お通夜のような時間が訪れた。

 誰も何も言葉を発さず、カチャカチャと食器のぶつかる音だけが静かな食堂に響く。

 ……こいつら、そんなに美少女が好きか。美少年がここにいるというのに、失敬なヤツらだ。……いや、まぁ、俺を見て「ぅおおおおっ!」とか言われても引くけどさ。


 とはいえ、こんな連中でもお客様だ。誰もいないのなら、俺が接客をしなければいかんだろう。

 デリアがしようとしていた水のおかわりを、俺が代わりにやってやろう。

 四人掛けのテーブルに座る大工どもの席へと、水差しを持って向かう。


「おい。水いるか?」

「……ウス」


 ――チン……コポコポコポ…………トン。


「…………ウス」


 なんだ、この空間!?


 体育会系の部室か!?

 交流のない一年とOBか!?


「あ、あの~……ヤシロさん。この水って、どうしたんッスか?」


 ウーマロが、気を遣っているのがまる分かりな感じで話を振ってくる。

 重苦しい空気をなんとかしようとしてんのか。いい心がけだな。

 よし、俺も乗ってやろう。


「ひ・み・ちゅ☆」

「うわぁ~……しゃべりかけるんじゃなかったッス……っ」

「冗談だ。ちょっと可愛かったろ?」

「……残念ながら微塵もッス…………」


 感性の違いだろうな。

 あ、そうか。ウーマロはつるぺた信仰だもんな。


「俺もつるぺただろうがっ!」

「何に対する怒りなんッスか!? 訳分かんないッスよっ!」


 まぁ、いい。ウーマロに気に入られたいなどとはこれっぽっちも思っていないしな。


「この水は井戸から汲んできたやつだぞ」

「でも、この前までの雨で濁ってないんッスか?」


 陽だまり亭の中庭には潤沢な水量を誇る井戸が存在する。

 ウーマロの言う通り、先日までの長雨のせいで井戸に雨が入り込んで多少は濁っている…………いや、正直、そのまま飲むのを躊躇うくらいには濁っている。きっとどこの区でも同じような状況なのだろう。ウーマロたちは綺麗な水を不思議そうな顔で見つめている。


「水を溜めておくにも、食堂なんかだと相当な量がいるッスよね?」


 毎日十数名は来るようになった客に対し、陽だまり亭では水の無料提供を開始した。

 これまでは……というか、この世界の飯屋では水が出てこないのだ。「喉が渇いたのなら酒を買え」と、そういうシステムなのだ。

 始めた当初は「頼んでない」と拒否する客がほとんどだったが、無料だと知るやごくごくと遠慮もなく飲むようになった。概ね好評というところだろう。


「綺麗な水を調達する裏ワザとかあるんッスか?」


 ウーマロが興味深そうな目を向けてくるが……他人が知りたがるものを懇切丁寧に解説してやる義理はない。

 実のところ、とても単純な話で、井戸の濁った水をろ過しているだけなのだ。

 石と砂利を使った単純なろ過装置を通し、井戸水に含まれる不純物を除去している。それでも多少不安が残るので煮沸消毒もしている。最後に、レモンを一搾りすれば口当たりも爽やかな飲料水になるというわけだ。

 衛生面は、飲食店にとって最も気を付けるべき事柄だからな。


 とはいえ、それをバカ正直に教えるつもりは毛頭ない。

 なので、俺は再びこう答えるのだ。


「ひ・み・ちゅ☆」

「「「「ぅぉぉおおおおおおっ!!」」」」


 な、なんだ!?

 ウーマロの引き攣った顔を見ようと思って被せたボケが、まさかの大ブレークか!?

 俺の可愛さに大工どもがノックアウトか!?

 もしそうならお前ら全員出禁だからな!?


 が、そうではなかった。


 大工どもの視線はカウンターの向こうへと向けられている。

 そちらに視線を向けると……


「ヤ、ヤシロ……ど、かな?」


 デリアがいた。

 ジネットの制服を着ている。

 胸の部分にもしっかりと膨らみがあり服がしぼまない程度に中身が詰まっている。

 見事だ、デリア。

 しかも、もっと見事なのが……やはりジネットの服では小さかったのだろう……スカートの裾が超ミニになっているのだ。太ももが丸出しだ。

 エプロンドレスの下はワンピースだから、体格に差があればその分丈は短くなる。当然の結果だ。


「デリアさん凄いんです。全身凄い筋肉なのに、どこもかしこも締まっていてとてもスリムなんです。わたしの服も難なく着れてしまいました」

「ぉぉお、店長! あんまりそういうことは言わないでくれないか?」

「でも、素敵でしたよ、八つに割れた腹筋!」

「店長っ!?」


 腹筋割れてんのか!?

 すげぇな! 俺も腹筋頑張ろうかな!?


「で……ど、かな? 変じゃないか? 変だよな、やっぱ?」

「いやいや。想像以上に似合っていて驚いたぞ。専属で雇いたいくらいだ」

「そ、そうかっ?」


 俺が褒めると、デリアの表情が少し柔らかくなった。どうやら緊張していたようだ。


「よし! 仕事の続きだ!」


 緊張のほぐれたデリアは表情を引き締め腕まくりをする。

 ……楚々としたメイド服を、こうも力強く着こなすとは……やるな、デリアめ。

 ある意味斬新なメイドの誕生に、俺はそこそこ満足していた。……のだが。

 デリアがカウンターから出て、四人掛けのテーブルに向かった時、そいつは発覚した。


 デリアのスカートが捲れ上がり、くるんと丸まる尻尾とその下に穿いた黒いスパッツが丸見えになっていたのだ。


「どぶふぅーっ!」


 盛大に吹き出した。

 いや、お前……日曜夕方の国民的アニメの妹じゃないんだから……スカートからパンツ丸見えって……っ!?


「なんだ、ヤシロ…………あっ!? ち、違うぞ! これは見えてもいいヤツだからなっ!」


 そう言いながら、手にしたお盆でお尻を隠す。

 頬に差した朱が普段のデリアからは感じられない少女のような純真さを感じさせてギャップにきゅんとくるところだが……


「お前らも『そういう』目で見んじゃねぇぞっ!?」


 客に向かって牙を剥く姿は、いつも通りのデリアだった。

 ……死者が出ませんように死者が出ませんように死者が出ませんように。


「あの、ヤシロさん……」

「あぁ。早急にデリア用の制服を作るとするよ」


 ジネットが遠慮がちに俺に話を振ってくる。分かっている。俺も同じ意見だ。

 アレはマズい。

 サイズはジネットより少し大きめに作れば問題ないだろう。


「あ、そうだヤシロ」


 牙をしまったデリアが笑顔で俺を呼ぶ。


「あたいがここで働き始めたって言ったらさ、あたいの友達が『是非見に行く』っつってたんだよ。今日あたり来るんじゃないかな?」

「デリアの友達ってことは、川漁ギルドの連中か?」


 川漁ギルドの面々は、デリアがここでバイトを始めて以降一度も、誰一人として顔を出していない。……露骨だぞ、お前ら。


「いや、海漁ギルドのギルド長をやってんだ」

「海漁ギルド?」


 デリアが海漁ギルドと繋がりがあるとは思わなかった。

 いいぞ。上手くいけば海漁ギルドにツテが出来るかもしれん。やはり、海魚もいくつかは欲しいからな。なんとか譲ってもらえるように交渉してみよう。


「デリア。是非紹介してくれ。お近付きになっておきたい」

「あぁ、いいぞ。けど、いくら美人だからってあんまりニヤニヤすんじゃねぇぞ。あたいの友達なんだからな!」


 ほぅ。

 ということは、海漁ギルドのギルド長は女なのか。

 俺がニヤニヤしそうな美人ねぇ…………楽しみだ。


「男はやたらと人魚が好きだからな……ちょっと心配だな」


 人魚っ!?


「え、人魚なのっ!?」

「ほら、食いついた……まったく、男ってヤツは……」


 不満顔のデリアがぶーたれるが、それも致し方あるまい。

 だって、人魚だぞ!?

 人魚って言えば、上半身裸でおっぱいぽろ~んでホタテ貝だぞ!?

 それが嫌いな男などいるわけがないだろう!?


「人魚さんですか。わたし、お会いしたことがないんですが、聞いた話だと歌がとてもお上手だとか。お会いしてみたいですね」


 ジネットも嬉しそうな表情を浮かべる。

 そうか、歌か。

 食堂で歌ってもらえれば、それなりに話題にはなるだろう。

 うん。いいな。


「マーシャは歌も上手いんだ。人魚の中でも一番なんじゃないかな。聞くと心が洗われる気分になるんだぞ」

「そうなんですか? 凄いですね」


 美人でおっぱいぽろ~んで歌が上手いのか……完璧じゃねぇか!

 この世界の天は二物を与えるタイプなのか?

 そんな完璧人魚が、今日この店に来るのか……くそ、もっと念入りに掃除しておけばよかった。デリアめ、言うのが遅いんだよ。


 ――と、その時。

 陽だまり亭のドアがゆっくりと開かれた。


 来たかっ!?


 俺やジネットはもちろん、ウーマロたち客一同も合わせて、その場の視線が一斉に入口へと注がれる。

 人魚が、やって来る……っ!


「やぁ、ヤシロ。ジネットちゃん。マグダの調子はどうだ……ぅおぅっ!? な、なんだい!? なんでみんなボクを見つめてるんだい!?」


 入ってきたのはエステラだった。


「……エステラ」

「ヤ、ヤシロ。一体何があったのさ?」

「お前にはがっかりだ!」

「なんだよぉ!? 人がようやく仕事を一段落させて来たっていうのに!」

「罰として、胸にホタテ貝をつけろ」

「意味が分かんないよっ!?」


 せめてもの償いだ!

 それくらいしても罰は当たらん。いや、それくらいしなければ罰を当てるぞ!


「今日、これから、ここに、スペシャルなお客様が訪れる予定なんだよ! そこらに座ってる大工どもでは束になっても敵わないくらい大切なお客様だ」

「オイラたち、お得意さんッスよっ! 大切にしてほしいッス!」


 あー、悪い。聞こえない。


「大切なお客さん? ジネットちゃん、一体なんのこと?」

「実はですね、とても素敵な人魚さんが……」


 ジネットが説明を始めたその時、食堂の外から不思議な音が聞こえてきた。


 ――チリン……ギィ……チリン……ギィ……チリン……ギィ……


 鈴の音と、車輪が軋みながら回る音……


「あ、来たかな」


 デリアが耳をピクピクと動かし入口へ視線を向ける。

 この特徴的な音が人魚が来た合図なのか?

 あ、そうか。人魚だから歩いては来られないんだ。


 つまり、海水の入った水槽のようなものが設置された台車か何かに乗ってやって来たのだ。

 軋む車輪の音はきっとそのせいだ。


 と、いうことは…………


 店の前で車輪の音が止む。


 いよいよお目にかかれるのだ、絶世の美女と名高き人魚姫に。

 少々表現が大袈裟になってはいるが、まぁ大きく外れていることはないだろう。

 歌が上手く、美人で、おまけに人魚でホタテ貝だ。絶世の美女でないはずがない。


「……ごくり」


 期待に喉が鳴る。


 俺たち、陽だまり亭に存在する男たちの期待が出入り口のドアに注がれる。

 穴が開くのではないかと思うほど、その一点に視線が集中する。


 そして、静かにドアが開かれる。


「………………お邪魔しま……えっ?」


 食堂内にいるすべての人間から視線を注がれて、店内に顔を出した人物は驚きの表情を浮かべた。

 真ん丸な瞳はつぶらで大きく、くりっとしている。

 そして、鱗に覆われた肌が滑らかに輝き、スラリと細長い手足には水かきが見受けられる。

 魚丸出しの顔で、口をぽかんと開けている様は餌をねだる鯉にそっくりで、驚いたせいか、えらがぴくぴくと動いている。

 全体的に、なんだかヌメッとしていそうな印象を与えるその人は、どこからどう見ても…………



「半魚人じゃねぇかっ!?」



 人魚にはとても見えなかった。






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