34話 海漁ギルドとの取引

「あ……ども…………あの……海漁ギルドの副ギルド長の……キャルビン、です……」


 陽だまり亭のドアをくぐり、俺たち全員の期待を裏切って登場した緑のヌメヌメヤロウは、キャルビンと名乗った。


「半魚人だな」

「いえ……人魚、です……これでも…………なんか、すいません」


「よぉ! キャルビン! 相変わらずヌメヌメしてんなぁ」

「今日もマーシャの運搬かい? ご苦労なことだね」

「あぁ、……これはこれは…………デリア様に……エステラ様…………ご無沙汰を、しており、ます……なんか、すいません……」

「謝んなよ」

「謝らなくていいよ」


 デリアとエステラがキャルビンと会話を交わしている。


「お前ら、この『動くワカメ』みたいな半魚人と知り合いなのか?」

「キャルビンは人魚だぞ、ヤシロ」

「キャルビンは人魚だよ、ヤシロ」


 ユニゾンで指摘された。

 でも、俺の知ってる人魚とは似ても似つかないんですが……肌の感じが完全にワカメなんですが……これは俺が納得しなければいけないことなのか?


「あの……なんか、すいません……」


 半魚人に謝られた。

 悪い半魚人ではなさそうだ。


「実は……表の水槽にマーシャ様をお待たせしておりまして……どなたか、手を貸していただけると助かるのですが……なんか、すいません……」

「んじゃ、あたしが行ってやるよ」


 デリアが言って、キャルビンと連れ立って外へと出て行く。

 その途端。


「きゃー! なに、デリアちゃん!? 可愛い! え、なに!? こんな格好で働いてるの!? やだ、可愛い~!」


 外から、スゲェきゃぴきゃぴした声が聞こえてきた。

 ……なんか、うるさそうなヤツだな。

 この世界の人魚が、日本で言うところの半魚人だったこともあり……もう全然期待が持てない。ホタテ貝とかつけて出てきたら殴ってやる。「お前じゃない!」ってな。


「ヤシロ……」


 どんなバケモノが入店してくるのかと、ハラハラした目で入り口を眺める俺に、エステラが冷ややかな視線を向けてくる。


「……羽目を外さないようにね」


 ……お前な。緑のヌメヌメした女を見て、俺が羽目を外すわけないだろう?


「ネフェリーのことも随分とお気に入りみたいだしさ」


 誰があんなニワトリ顔をっ!?

 あいつを見ていて心が和むのは、小学校の頃校庭で飼っていたニワトリのキンジローを思い出すからだ。俺は飼育委員だったからな。


「こら、暴れるな! この服借り物なんだからな! あんまり濡らすなよ」

「わ~い! お姫様抱っこだぁ~!」


 店先がやたらと賑やかだ。

 ……ジネットの制服、すぐ洗濯しなきゃヌメヌメが取れなくなりそうだな。


「ヤシロ~! そこの椅子、あけてくれ~!」


 首だけを覗かせて、ドアの向こうからデリアが言う。

 こんな奥の席に座らせなくても、手前の方の席に座ればいいのに。……ヌメヌメを掃除する手間が省けるから。


 とはいえ、海漁ギルドのギルド長だ。ここは丁重にもてなすべきだろう。

 取引のためにもな。

 なんとか、海魚を少量でも手に入れたい。

 定食には出来ないかもしれんが、高級食材は取り扱っておきたいのだ。いざという時のためにもな。

 売れ残ったら俺が食うから問題ない。


 俺はゆっくりと椅子を引き、エレガントな手つきで「こちらへどうぞ」と誘導する。


「んじゃ行くぞ」

「わほほ~い!」


 頭のネジが緩んでいそうな声を上げる人魚がその姿を現す。

 デリアにお姫様抱っこされて、まるで空中を泳ぐように優雅に入店するその姿に、俺は思わず息をのんだ。


 そこにいたのは、まさに絵本に出てくる人魚そのものだった。

 下半身は魚で、腰から上は人間。しかも、とびっきりの美女だ。

 おっとりとした垂れ目の脇には泣きボクロがあり、気だるげな表情は妖艶さをいかんなく発揮している。ゆるくカーブした口元は甘えん坊のようにすぼめられ、大人の色気の中に少女の可愛らしさを垣間見せる。

 しなやかなウェストのラインから視線を上げていくと、頬ずりしたくなるようなお腹……そして、指を埋めればのみ込まれてしまうであろう柔らかそうなオパーイ。爆乳だ。京都の水菓子のようなぷるぷるとした質感は見る者に幸福な気持ちを与えてくれる。

 清楚な気品を感じさせつつも、その迫力はキングサイズ。

 そんな暴れん坊バストがたった二枚のホタテガイに覆われている。左右に一枚ずつ、もちろんホタテガイなどではそのすべてを隠すなんて不可能だ!

 横から下から谷間から、豊かな乳房が顔を覗かせている。


「あ~、エステラだぁ~!」

「マーシャ……」


 デリアの腕に抱かれた人魚・マーシャはエステラを見つけるとひらひらと可愛らしく手を振った。


「君はまた、こんな内陸にまで遊びに来て……少しは人魚としての自覚を持って……」

「だってぇ、デリアちゃんが面白いことしてるって言うからぁ~、見たかったんだも~ん」


 舌足らずで鼻にかかった、聞く者の脳みそをとろけさせてしまうような甘い声だ。

 そういえばエステラは許可を取って海で魚を捕ったりしていたっけな。海で魚を捕るには漁師の知り合いが必要だろう。船に乗ったり、道具を借りたりな。

 そういう知り合いがいるようなことも、前にチラッと言っていたな。


「なぁ、エステラ。じゃあこの人が、お前の言ってた?」


 俺の問いかけに、エステラはあからさまに嫌そうな顔をしつつも、ゆっくりと頷いた。


「そうだよ。ボクの友人で海漁ギルドのギルド長、マーシャだ」

「なぜもっと早くこのおっぱいを紹介しなかった!?」

「そういう反応が目に見えていたからだよっ!」


 くっそぉ、エステラめ!

 おっぱいの独占は許されざる罪なんだぞ!?

 日本だと一発で実刑を喰らうレベルだ。


「すまん、ジネット! ちょっといいか!?」

「え、は、はいっ!? なんでしょうか?」

「薄着になって隣に並んでみてくれ!」

「お断りします!」

「俺のいた国の伝統で『乳くらべ』というものがあってだな……!」

「懺悔してくださいっ!」


 くそ、なぜだ!?

 ほんのちょっと横に並んでもらうだけでいいのに!

 それを側面から眺めたいだけなのに!


「いいから、少しは落ち着きなよ、ヤシロ」

「ほんの一目でいいんだ! こんなに大きいのが揃うことなんてそうそうないんだから!」

「……刺すよ?」

「あぁ……なんだか急に目が覚めた気分だよ、エステラ君。さぁ、その短刀を納めたまえ」


 首筋にナイフを突きつけられてはもはや逆らえない。

 ……こいつの素早さはもはや暗殺者レベルなんじゃないか? そういう家系なのか? エステラ……恐ろしい子!


「いや~、なかなか面白い子だねぇ、君ぃ~」


 マーシャが俺の顔を覗き込むように見上げてくる。

 とろけるような瞳が妙に色っぽい。


「お近付きの印に、握手しよ~」


 の~んびりとした口調で手を差し出してくる。

 白魚のような指が揃えられ、俺に差し出される。


「あぁ。そうだな。こちらこそ、よろしく頼む」


 その手を掴もうとした時、不意にマーシャが手を大きく広げた。


「じゃじゃ~ん!」


 マーシャの指の間には、透き通るような、薄い水かきがついていた。実際半透明で、向こうが微かに見える。


「くすくす……驚いたぁ?」


 イタズラ大成功!

 ――と、でも言いたげな顔でくすくす笑うマーシャ。なの、だが……

 正直なところ、「じゃーん!」という効果音の古臭さに意識が取られて水かきに関してはたいして驚いてはいなかった。その前にキャルビンの水かき見てるしな……


 だが、海漁ギルドのギルド長とは友好関係を築いておいた方がいいだろう。

 ここは話を合わせるんだ。話と、世代を。

 そう、これは接待だ。

 恥を捨てろ、オオバヤシロ。海魚を融通してもらうために!


「ど、どっひゃ~! びっくらこきまろ~!」


 両手を上げて、驚いた風を装う。


 …………しぃ~んとした沈黙が耳に痛い。

 完全に、滑りましたけど、何か?

 あ……胃が痛い。


「……っぷ!」


 と、静寂の中でマーシャが可愛らしい破裂音を漏らす。


「ぷくふふふ…………なにそれぇ~、ふるくさ~い!」


 お前に合わせた結果だよっ!


「面白いねぇ、君ぃ~。名前は、えっと…………ヤシロ君だっけ? うん。覚えちゃったよぉ」


 水かきのついた指で目尻に溜まった涙を拭う。

 そして、柔らかな微笑みを浮かべ、再度手を差し出してくる。


「改めて、海漁ギルド・ギルド長のマーシャ・アシュレイだよ。よろしくね」

「オオバヤシロだ」


 マーシャの手を取り握手を交わす。

 ヌメヌメはしていない。むしろスベスベだ。


 俺は、そんなスベスベの手を握ったまま、マーシャに向かって商談を持ちかけてみる。


「実は、俺はゴミ回収ギルドというものをやっていてな……」

「あ~、うん、知ってるよぉ。ノリに乗ってるらしいねぇ」

「そこで、海漁ギルドとも一つ取引を……」

「ごめ~ん、それ無理なんだよねぇ~」


 この人、せっかちだなっ!?


「行商ギルドにいや~な圧力かけられちゃってさぁ……まぁ、全区規模のギルド同士の付き合いもあるし、私たちみんな下半身がこうだからさ……」


 と、尾ひれをぴちぴちさせてみせる。


「……行商ギルドとの取引がぎくしゃくすると困るんだよねぇ」

「まぁ、……それはそうか」

「はっきりとさぁ『ゴミ回収ギルドには海魚を売るな』って言われちゃってねぇ」


 この街において明言するというのは、単に言質を取られたということだけには留まらない。会話記録カンバセーション・レコードにも記録されるし、それを利用して『精霊の審判』だって発動出来る。

 はっきり『売るな』と圧力をかけたのだとしたら。行商ギルドの本気度が窺えるというものだ。

 付き合いがある以上、海漁ギルドも無碍には出来まい。


 くそ。これで海魚を売ってもらうことが出来なくなってしまった……

 たぶん、厚意でもらうことは出来るのだろうが……それが頻繁に続くとまた目をつけられることになるだろう。

 先手を打たれていたか……


「でも、ヤシロ君を気に入ったのは本当だから、仲良くはしよ~ね~」

「あぁ。そう願いたいもんだな」


 とはいえ、完全に望みが絶たれたわけではない。

 人脈は作っておくに限る。


「じゃあ、次。店長さんも~」


 マーシャは俺の手を離すと、今度はジネットに向かって手を差し出す。

 ジネットは慌てた様子で自分の手をエプロンで拭き、マーシャの手を取ろうと腕を伸ばした。


「隙ありぃ~!」


 その瞬間、マーシャの手はジネットの腕を素通りしてジネットの胸へと伸び……躊躇いなく鷲掴みにしたっ!?


「ぅにゃあっ!?」


 ジネットが悲鳴を上げ、胸を押さえて蹲る。


「すごぉ~い! ぽよおんぽよ~んっ!」

「やめろ、バカっ!」


 マーシャの後頭部をデリアが小突く。


「いたぁ~い!」


 頭を両手で押さえ、マーシャが不満そうな目をデリアに向ける。

 ……手加減出来るんだ、デリア。小突いた瞬間に首が吹っ飛んでいかなくて、本当によかった。

 この世界には、新しい顔を絶妙のコントロールで投げつけてくる面長の女の子もいないだろうしな。首は大切にしないとな。


「だってさぁ、あ~んな大きいのぶら下げてたら、あれはもう『触ってくれ』って言ってくれてるようなもんじゃな~い?」


 そうなのかっ!?


「ジネット、俺と握手しないか?」

「懺悔してくださいっ!」


 やっぱダメか。

 つか、その理論で行けば、当のマーシャだって触っていいことになる。デリアもだ……が、デリアはやめておこう。二発目は……俺の肩がもたない。前に受けた衝撃がまだ抜けていない気がするんだよな……


「ごめんねぇ~。嫌わずに仲良くしてね?」

「あ、は、はい。それは、もちろんです」


 頬を染めながらも、ジネットは笑顔をマーシャに向ける。

 そういう甘い顔をするとまた揉まれるぞ。


「マーシャ。イタズラするなら海に連れて帰るぞ」

「あはは。ごめんごめん。久しぶりの内陸で、テンション上がっちゃってねぇ」


 ぽりぽりと頭を掻くマーシャ。

 海から出ることはそうそうないようだ。

 まぁ、下半身が魚だからな………………ん?


「あぁ…………足…………脚…………脚線美…………はぁはぁ……」


 店の床に、緑のヌメヌメした変質者が転がっていた。

 ……キャルビンだ。


「あ~、ごめんねぇ。キャルビン、気持ち悪いでしょう?」

「あぁ、二つの意味でな」


 ヌメヌメの先天的な気持ち悪さと、はぁはぁしている後天的な気持ち悪さだ。


「あんまり罵っちゃダメだよぉ~」


 マーシャが正直者の俺にそんな忠告をしてくる。

 ギルドの仲間を擁護しようというのか?


「罵ると、その人喜んじゃうから」

「二度と罵らないと誓おう」


 こんな気持ち悪いヤツに喜ばれて堪るか。


「あ、あの……さっきから、酷い……いえ、やっぱいいです、気持ち悪くて……なんか、すいません……」


 なんというか、絡みにくいネガティブさだな……


「キャルビンはね、極度の脚フェチなの」

「脚フェチ?」

「無いものねだりだろうねぇ~。私たちの一族、脚が無い娘がほとんどだから」

「あぁ……それで」

「ごくまれに、下半身が人間で、腰から上が魚って女の子もいるけど」

「何それ、キモイっ!?」

「でも、凄くセクシーだよ? ……ホ・タ・テ・で隠してるし」

「いや、囁くように言ってもセクシーに思えねぇよ、そんな奇妙な生き物!」


 イワシの胴体から人間の下半身が生えている姿を想像して、朝に食ったものをリバースしそうになった。そして、剥き出しの下半身に、一枚のホタテ貝…………うん、一切セクシーじゃない!


「あぁ…………内陸…………最っ高…………なんか、すいませんっ!」


 うん。そこは謝っとけ、全力で。

 キモイから。


「あ、あの……店長さん!」

「は、はい!?」


 突然、這いつくばった半魚人が気持ちの悪い動き方でジネットへ接近していった。


「ここの定食食べますので……ふ、……踏んでいただけませんかっ……出来れば生足で……っ!」

「も、申し訳ありませんが、そういったサービスは行っておりませんので!」

「じゃあ、……定食、二つ、頼みますのでっ!」

「申し訳ありませんがっ!」

「じゃあ……じゃあ、五つ……っ!」

「やめんか、ド変態っ!」


 半魚人の横っ面を、土足で蹴り飛ばす。

 横顔にくっきりと足跡が残るくらいの強さでだ。


 ジネットにちょっかい出してんじゃねぇよ。

 ぶっ飛ばすぞ?

 ……もう、ぶっ飛ばしたけど。


「あぁ…………なんか、すいません…………」


 ようやく正気に戻ったか。


「男の人の足でも、ちょっと気持ちいいなぁ……とか、思っちゃって……なんか、すいません……」

「退場っ!」


 一発レッドカードだ。

 店の風紀を乱す客には強制退場処分だ!


 物凄く嫌そうな顔をするウーマロに有無を言わさずその役目を押しつけ、キャルビンを店の外へと連れ出させる。

 店の前に、巨大な水槽が設置されている荷車が置かれていたので、その水槽の中に放り込んでおいた。

 おそらくマーシャは、この水槽の中に入ってここまで来たのだろう。

 今は半魚人が、若干恍惚とした表情を浮かべてまりもみたいに浮き沈みを繰り返している。

 ここまで癒されない海洋生物も珍しいよな。


「…………ん? これ、なんだ?」


 荷車を覗き込んで、俺は一つ不思議なものを発見した。

 いや、物自体は不思議でもなんでもないのだが……なんでこんなもんを持ってきたんだ? 

 しかも、こんな状態で……?


「なぁ、マーシャ」

「はいは~い?」

「この網、なんなんだ?」


 荷車には、大きな網が積まれていたのだ。

 それも、びっしりと海藻が絡みついた網が。


「あぁ、そうそう。忘れるところだったぁ~。ちょっと持ってきてもらっていいかなぁ~?」


 ほほぅ……この俺をアゴで使おうってのか?

 いい度胸じゃねぇか。

 どうなっても知らねぇぞ、マーシャ。俺を利用しているつもりで、気が付いたら利用されていた、なんてことになっても泣くんじゃねぇぞ?

 世界にはな、絶対的な身分の差なんてねぇんだよ。人間が勝手に決めた枠組みを取っ払えば、誰もが同じ境遇、同じ土俵に立っているものなのだ。

 だから人をアゴで使おうなんてヤツは、いつか巡り巡って自分自身が痛い目に遭うものなのだ。お前にその覚悟があるのか? ふん、ならいいだろう!


「ウーマロ、網を持って付いてこい!」

「……ヤシロさん。人をアゴで使おうって人間は、いつか痛い目に遭うもんなんッスよ?」


 何を偉そうに!

 この世界の人間は、使う側と使われる側にきっちり分かれているんだよ!

 身の程を弁えろ!


「んで、これはなんなんだ?」


 ウーマロの全身を磯臭く濡らした網が、床の上に無造作に置かれる。

 見れば見るほど、ただの網だ。

 わざわざ海からこんな場所にまで運んでくる理由が思い浮かばない。


「な~んだ、またかよぉ……」


 しかし、その網を見てデリアが顔をしかめる。

 デリアが関係しているのか?


「お~ね~が~い~! だって、私たちはみんな水かきがついてるから、手先がそんなに器用じゃないんだよぉ~!」


 手をパーに広げ、これでもかと水かきを見せつけつつ、マーシャは涙目で訴える。……というより、おねだりしている。

 あんな顔で「バッグ買ってぇ~」とか言われたら買っちゃうなぁ……


「ヤシロ。顔の筋肉が元に戻らなくなる前にシャキッとした方が身のためだと思うよ」


 エステラが冷たい視線を寄越してくる。

 ふん。

 悔しかったらお前もあれくらいフェロモンを振り撒いておねだりの一つでもしてみろってんだ。理屈で武装する堅物はモテないぞ。ただでさえ、スッカスカというハンデを背負っているというのに……


「あたいだって暇じゃないんだよ! 見たら分かるだろう!? 働いてるんだ、あたいは!」

「そんなぁ~。ここ最近の雨で、デリアちゃんは絶対ヒマしてると思ってわざわざ会いに来たのにぃ~!」

「海藻取るのメンドクサイんだよっ!」

「なぁ、デリア。ちょっといいか」


 すがりつくマーシャを振り払おうとしているデリア。ただじゃれているようにも見えるが、デリアはなんとなく本当に面倒くさそうにしている。

 これはつまりあれか?


「この網に引っかかった海藻を取り外してほしいって話か?」

「そうなんだよ。ここら辺の海はいろんな海藻が大量に生息してて、網にしょっちゅう引っかかるんだよ。それを定期的にあたいんとこに持ってきては外してくれって」

「外した後、この海藻はどうするんだ?」

「ん? そんなの、捨てるに決まってんじゃないか」


 捨てる!? これら海藻をゴミとして捨てるって言うのか!? 本気か!?


「食べないのかよ、もったいねぇ」

「こんな雑草みたいなの、どんなに腹が減ってても食べねぇって! ヤシロ、食い意地もほどほどにしないと腹壊すぞ?」


 なんてことだ……こいつら、海藻の美味さを知らないのか?

 確かに、日本以外で海藻を食べる国は少数だと聞くしな。異世界も海藻を食べない方に入ってたのか……


「ねぇ~デリアちゃん~、お~ね~が~い~。水かきがついてると細かいところに引っかかった海藻が取りにくいんだよぉ~。お礼にいっつもお魚あげてるんだからいいでしょ~!?」

「あたいは鮭が好きなんだよ! アジとかイワシとか、そんな食わねぇんだよ!」

「好き嫌いよくないよぉ~!」

「なぁ、二人とも! ちょっと待ってくれるか!?」


 これは……いいっ!


「マーシャ、デリア! この仕事、ゴミ回収ギルドに譲ってくれねぇか!?」

「仕事……?」

「でもでもぉ、お金は出せないよぉ~?」

「いい! 金は要らない。その代わり、デリアにやっていたのと同じ報酬をくれないか?」

「同じ報酬…………って、お魚?」

「そうだ」


 海漁ギルドから魚を『買う』ことは出来ない。

 ならば、『報酬』としてもらえばいいではないか!


「ウチにはよく食べる同居人がいるからな、少し多めにいただけると張り切って網の修繕まで請け負っちゃうぜ」

「ヤシロ君は手先が器用なのかな?」

「すげぇ器用だ。ジネットのパンツのレースがほつれてたんで、この前こっそり修繕して、いまだにジネットには気付かれていないレベルで器用だ!」

「そんなことしてたんですかっ!? い、いい、いつの間にっ!? もう! 懺悔して…………でも、行い自体は善意ですし…………でも無断で下着を…………あぁ、もう! やっぱり懺悔してください!」


 吠えるジネットを無視して、マーシャが「ふむ」と首肯する。


「それじゃあ、お願いしようかな~」


 よしっ!


「なら、二週間から三週間に一度の頻度で持ってきてくれるか? その間に、前に預かっていた網を綺麗にしておく」

「じゃあ、使った網を持ってきて、綺麗になった網を持って帰るのねぇ~」

「そういうことだ」

「常に綺麗な網が用意されてるっていうのは、助かるよぉ~」


 マーシャはにこにこと満足げな笑みを浮かべている。

 二週間使った網を持ってきてもらい、次の二週間でそいつを綺麗にしておく。そして、使った網と綺麗な網を交換し、これを延々と繰り返す。

 掃除用具のリース業者みたいなもんだ。

 この契約をすれば、海漁ギルドはいつだって綺麗な網が使える。


「どうだ?」

「いいでしょう。交渉成立で~す!」


 差し出されたマーシャの手を固く握り返し、契約が完了した。


 そして、手を離す前にマーシャがグッと体を寄せてきて、耳元でこんなことを囁いてくれた。


「ある程度までならお魚を融通出来るからねぇ」


 ありがたい申し出だ。

 行商ギルドの目を盗んで俺たちに魚を融通してくれるというのだ。


「行商ギルドに目をつけられない範囲でよろしく頼むよ」

「任せてぇ~!」

「あと、それから」


 俺は重要なことを伝えておく。


「網に引っかかってる『ゴミ』は、こっちで処分しておくから」

「うん。お願いね」

「だから、魚を取り忘れたりするなよ? 俺は目利きに自信はないから、いい魚でも処分しちまう可能性が極めて高い」

「目利き……?」


 少し考えて、マーシャは「あぁ~!」と口をまんまるく開いて声を上げた。


「行商ギルドに目をつけられそうな量が必要になったら、『うっかり大漁のお魚を網から取り忘れちゃう』ことがあるかもしれないよねぇ~」

「まぁ、そうなっても、俺は粛々と『処分』するだけだけどな」

「うんうん。それじゃあ、網に引っかかった物の権利は、網の修繕期間中においてはヤシロ君に譲渡するよ」

「そりゃありがたい。んじゃ、さっそくこの網を預かっていくぜ」

「うん! よろしくねぇ~!」


 マーシャとそんな会話を交わし、俺は床に投げ出されている網を抱えて中庭へと向かう。

 中庭には、広いスペースと水、そして桶がある。

 ……ふふふ。


「よっしゃぁー!」


 思わず叫んだ。

 そりゃそうだろう。

 なんたって、ずっと欲しかったものが手に入ったのだ。その権利も手に入れた。

 ここで歓喜の声を上げずに、いつ上げるのだ。


「……ついに手に入れたぞ…………昆布っ! そしてワカメェェェエエッ!」


 そう!

 この網には海藻がびっしりと絡みついているのだ。

 ワカメに海藻、オゴノリなんてものまである。上手くやれば、オリジナルのノリだって作れるかもしれない。

 何より、昆布の存在が大きい!

 これで、出汁が取れるっ!


 俺の本当の狙いはここにあったのだ。


 海の魚も悪くはない。だが、その希少性からどうしても値が張ってしまう。

 そうなれば、陽だまり亭では売りにくい。

 海魚はあくまで客寄せ程度の役割を果たしてくれればいい。


 だが昆布、こいつは違う。

 スープに、煮物に、出し巻き卵にと、どんなものにでも合うのが出汁だ。

 そして、料理の味を決めるのもまた出汁なのだ。

 この街で出汁といえば肉を使ったものが主流なのだ。味が濃厚で口にしたものを虜にする力強さがある。しかし、食べ続けるとどうしても重たくなってしまう。

 だが、昆布出汁のあっさりとしながらも風味豊かな出汁は常食するのにちょうどいい。

 目立たないけれどそばにいてほしい。そんな料理にぴったりなのだ。

 それは、毎日食べたくなる料理ということであり、陽だまり亭が目指すべき味なのだ。


 俺はこの網を見た瞬間思ったね。「この昆布とワカメ、超欲しい!」と。

 海藻ならゴミ回収ギルドで買い取ることも可能だったろう。

 なにせ、行商ギルドが言っていたのは『魚を売るな』なのだから。海藻は範囲外だ。


 しかし、この世界における海藻は、価値の無い『ゴミ』なのだ。


 誰も買わないようなゴミをお金を出して買い取るのがゴミ回収ギルド設立時の理念ではあるが……人がいらないと捨てる物にまで金を出してやる必要はない。

 持ち主が所有権を放棄してから拾得すればいいのだ。そうすればタダだ。

 おまけに、海魚という『報酬』までついてきた。

 元手無しで、大量の海藻と海魚の両方をゲット出来たのだ。


 叫ばずにいられるか!


 これで、ワカメのお味噌汁が飲めるのだ!

 炊きたての白米に続き、俺は日本人の心をまた一つ取り戻したのだ!


 ワカメの味噌汁こそ、日本人の魂なのだ! ワカメ最高!


 これはひょっとしてあれか?

 デリアの制服姿が、日本の国民的アニメのパンツ全開妹にそっくりだったからか?

 だからワカメが向こうから舞い込んできてくれたのか?


 で、あるならば、その功績を称えておいてやるべきだろう。


「デリアのパンチラ最高ー!」

「ふぁっ!?」


 叫んだ瞬間、背後から奇妙な声が聞こえた。


 ……いや~なタイミングだなぁ……絶妙のタイミングとも言えなくもないが…………


 恐る恐る振り返ると…………デリアがいた。

 その向こうにはジネットにエステラも……


「ヤ、ヤシロ……」


 デリアの顔が、これまで見たことがないほど真っ赤に染まっている。


「や……違…………これは、あの……アレだ…………いい、意味でだ」

「ヤシロの、エッチぃ!」

「『グー』っ!?」


 デリアの拳骨が脳天に打ち下ろされた。

 そこは、突き飛ばすとか、行っても平手とかじゃないか?

 グーはないだろう、グーは……


 真っ赤な顔で駆けていってしまったデリア。だが、俺は「待て!」とか「誤解だ!」とか、そんな悠長なセリフを吐いている余裕などない。口を開けば泣いてしまう……痛い。とにかく痛いのだ。…………ヤバい、泣く。


 そんな時、蹲る俺にスッと手が差し伸べられた。

 顔を上げると、それはやはりジネットのもので…………あぁ、お前はホントに優しいな。こういう時に優しくしてくれるのはジネットだけで……


「ヤシロさん。……懺悔してください」


 手首を掴まれ、俺はそのまま教会へと連行されていった。

 店がひと段落する時間であったこともあり……俺は小一時間、教会の懺悔室に缶詰にされたのだった。


「国民的アニメのパンチラは全然エロくないのでセーフだと思いました」と正直に告げたところ、ベルティーナは「よく分かりませんが……ヤシロさんは、何かの末期なのだと思います」と、残念な子を見るような目で見られてしまった。


 ……不服だ。実に不服だ。






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