31話 絶対安静

「もう心配いらへんで」


 陽だまり亭の二階。マグダの部屋から出てきたレジーナは額の汗を拭いながらそう言った。


「お腹に深い傷があったけど、止血剤と痛み止めを処方しといたさかい、じきに良ぅなるわ」


 レジーナは薬学以外に、少しだけ医学にも携わっていたらしく、傷の手当てを買って出てくれたのだ。

 その間、俺はずっと部屋の外へと追い出されていた。


「いくら気絶しているとはいえ、マグダの裸体を君に見せるわけにはいかないからね」


 レジーナの手伝いで室内に入っていたエステラが、手を拭きながらそんなことを言う。

 狭い廊下で三人向かい合って話すのは狭い。……そろそろ部屋に入りたいのだが?


「しかし、意外だったね」


 エステラが、少し嬉しそうな、若干意地の悪い笑みを浮かべて俺の肩を叩く。


「マグダが怪我したと聞いて、君があんなに取り乱すだなんて」


 ウッセからの一報を受け、俺は何も分からずに薬箱だけを持って走り出していた。

 どこに向かえばいいのか分からなかったが、とりあえず街門に向かえばマグダに会える、そんな気がして走り出したのだ。

 レジーナの薬があれば傷だって治る。そう思い込んでいた。

 冷静に考えれば、大怪我をした相手に素人が薬箱を持って駆けつけたところで出来ることなどないのだが……その時の俺は、まさしく気が動転していたのだろう。


 きっと、ウッセの顔が真っ青だったのがいけないのだ。

 ウッセの絶望的な表情を見て、その焦りが伝線してしまったのだ。たぶん。


「君も、同居人を大切に思っているのだと分かって、ボクは非常に嬉しいよ」


 ニヤニヤと俺を見つめる目が気に入らない。

 そんな目で見るな。……とは、今は言いにくい。


 結局、追いかけてきたエステラに取り押さえられ、冷静になるよう何度も何度も言い聞かされて、ようやく俺の頭は思考をし始めたのだ。……「もっと冷静になって適切な処置をするべきだろう」と。


 その後駆けつけたレジーナが自分に任せろと申し出てくれて、ウッセを伴って街門まで向かった。

 門の内側にある自警団の詰め所で、マグダは血まみれになって横たわっていた。

 木箱に毛布を敷いた、簡易ベッドの上で。


「血を見た後の巨乳お姉ちゃんにも、結構手ぇ焼かされたけどなぁ」


 血まみれのマグダを見たジネットは、半狂乱と言ってもいいほどに取り乱し、制止する自警団を押し退けるようにしてマグダへと駆け寄った。

 服が汚れることも厭わずマグダにすがりつき、その名を何度も呼んだのだ。


「あれ、下手したらとどめになるさかい、今後十分注意したらなアカンで」


 怪我人を激しく揺さぶるのは逆効果だ。

 止血が完了するまで下手に動かさない方がいい。


 多少強引に引き剥がし、俺の説得によりなんとかジネットは平静を取り戻した。

 取り乱すジネットを見て、俺は逆に冷静になれた。落ち着いて話が出来たのはそのためだ。


「……ジネットちゃんのお爺さん、大量の血を吐いて倒れていたらしいんだよ」


 不意にエステラがそんな話を始めた。


「ジネットちゃんがお使いに行っている間に血を吐いて、そのまま意識を失ったらしい。だから……大量の血を見て動転してしまったのかもしれないね」


 だからか……と、俺は思った。

 あの時ジネットは、「血を吐いたのではないんですか……よかった」と、呟いていたのだ。

 何がよかったのか、その時は分からなかったが……大量の吐血は死に繋がると思っているのだろう。吐血でないなら、助かるかもしれない。その思いから出た言葉だったのだ。


「けど、しばらくは様子を見てあげなよ。今のジネットちゃん、ちょっと不安定だから」


 エステラの視線がドアへと向けられる。

 このドアの向こうに、傷付いたマグダと、それを見守るジネットがいるのだ。


 それを言うために、こいつらは二人で出てきたのか。


「まぁ、せやな。大切な人を失った悲しみは、忘れたつもりでも……ふとよみがえってくるもんやさかいな」


 やり切れない思いを滲ませて、レジーナが呟く。

 ……そうか。

 俺もそうなんだ……


 マグダが怪我をしたと聞いた時、俺の頭の中は真っ白になっていた。

 すぐに駆けつけなければという思いでいっぱいだった。


 一緒に暮らす仕事仲間……そんな風に思おうとしても、一つ屋根の下に暮らせば嫌でも情が移る。


 俺は、『身内』を失うのが嫌だったんだ。



 あの時みたいに、『間に合わなくなる』のが、嫌だったんだ……



「ほな、顔でも見たり。今は眠っとるさかい、静かにな」


 ゆっくりとドアを開け、レジーナは俺に入室を促す。

 ドアの向こうには、ベッドの横に座るジネットの姿があった。

 眠るマグダの顔を覗き込み、両手を組んで必死に祈りを捧げている。


「俺に出来ることはなんだ? マグダが起きたら、何をしてやればいい?」

「出来ることはウチがみんなやっといたわ。あとは時間と共に体力が回復するのを待つしかあらへんわ」

「……そうか」


 こういう時、何も出来ない自分が歯がゆくなる。


「そんな顔せんときぃ。怪我人の前で辛気臭い顔さらしとったら、治るもんも治らへんわ。自分はネコの娘のそばにおって、痛そうやったら慰めてやり、しんどそうやったら寝かしつけたったらええねん。看病する言うたかて、出来ることなんかそんなにあらへんわ。それで自分を責める必要なんかないんやで」


 そう言って、俺の頭をポンと叩く。


「ホンマ、でっかいのに子供みたいやな、自分」


 くしゃくしゃと俺の髪を撫でる手に、妙な安心感を覚えた。


「お前……いいヤツだな」

「にょにょっ!? そ、そ、それは、嫁に来てくれっちゅうことかいな!?」

「なんでそうなるんだい!?」


 俺が突っ込む前に、エステラが声を上げていた。

 つか、静かにしろよ、お前ら。


 騒がしい二人を残し、俺はマグダの部屋へと入る。

 ベッドのそばまで来ると、ジネットが顔を上げ、俺を見上げてきた。儚くて、今にも消えてしまいそうな表情だ。


「大丈夫だ。すぐによくなる」

「…………はい」


 ジネットの頭でも撫でてやろうかと思ったのだが……今触れると、砂のように崩れてしまいそうで…………俺は視線をマグダへ向けた。


 いかんな。

 ジネットの元気を取り戻す方法も考えなくては……


「……ヤシロさん」


 蚊の鳴くような、か細い声が俺を呼ぶ。


「…………マグダさん、元気になります……よね?」

「…………」


 俺には医学の知識はない。

 だが、マグダはきっと回復する。そうでなくては困る。

 だから、希望的観測も込めて、俺は断言する。


「当然だ」

「…………そう……です、よね」


 ほんの少しだけ、ジネットの心に圧しかかる不安が軽くなったような気がした。空気が少し変わったように感じたのだ。

 ここは強引にでも、空気を換えてやるか。


「ジネット。もしここに魂を司る神様が現れて、こんなことを言ったとする」


 突然始まった俺の例え話に、ジネットはどう反応したものか分からないとばかりにポカンと俺を見上げる。

 構わずに俺は続ける。

 腕を広げ、偉そうな神のマネをして、声も少し低めに出す。


「『私は人間の魂を天界へ導く者だ。今、私が何を考えているのかを言い当てることが出来れば、マグダを助けてやろう』」

「本当ですかっ!?」


 急に立ち上がり、ジネットが俺に詰め寄ってくる。

 思わず体を引くも、ジネットの勢いは止まらず、俺は背骨を反り過ぎた挙句に尻もちをついた。

 真剣な瞳で俺を見下ろすジネット。……いや、ちょっとしたゲームだからな?


「も、もし、そう言われたら、お前はなんと答える? どう答えれば、マグダを確実に助けられると思う?」

「……神様のお考えになっていること…………ですか」


 アゴに指を添え、真剣に考え始める。

 ……だから、ゲームだからな?


「神様はきっと、こうお考えだと思います。『苦しむ民に祝福を』……と」


 こいつの脳内神様は尊いお方なんだなぁ~。

 だが、神様ってのはそこまでお人好しでもなければ、慈愛にも満ちてはいない。

 ましてや、人間にとって都合よく働いてくれたりはしない。

 神は、人間の小間使いではないからな。


 それに、こういう状況だから言葉は濁したが、人間の魂を天界へ導く神というのは、死神のことだ。

 死神がマグダに狙いを定めた。それを回避するには……それを考えなければいけないのだ。

 ジネットの答えでは不十分だ。


「ん~、それはないんちゃうかなぁ」


 床に座る俺の背後に、レジーナとエステラが立っていた。

 レジーナは若干嘲るような意地の悪い笑みを浮かべジネットを見ている。


「しかし、神様は慈悲深いお方ですし……」

「仮にな、もしホンマにそう思ぅてるんやったら、わざわざ姿を現して『なぞなぞ解いたら助けたるで~』なんて底意地の悪いことせぇへんのとちゃうかな? 最初から『助けたいわぁ~』思ぅてるんやったら、顔なんか出さんとさっさと助けたりぃやっちゅうことやん?」

「…………そ、それは、そうですけど……」


 さすがボッチ。

 ナイスKYだ。

 今この状況で、弱っているジネットを全否定出来るのは友達が出来たことのないお前くらいのものだ。さすがの俺でも少しためらうレベルのへこみようだったからな。

 だが、それくらい思い知らせてやってちょうどいい。


「レジーナ。お前が重度のボッチでよかったよ」

「ケンカ売っとるんか、自分?」

「褒めてるんだよ。よっ! ナイス無神経!」

「全然褒めてへんやないかっ!」


 俺の気持ちが届かない。

 ボッチが作り上げた心の壁は、非常に分厚く、高いものなのだな。


「こう言うのはどうかな?」


 しばらく考えた後でエステラが手を挙げる。


「『神の意志を人間風情が読み解くなど不可能だ』」

「それじゃあ思考放棄だろ?」

「だって、この問題に明確な解を出すなんて不可能じゃないか。何を考えていたかなんて、本人にしか分からないんだから!」


 エステラが不満顔で言う。

 別に、神の思考を当てるゲームではないのだが……


「考えてることが分かろうが分かるまいが、そんなもんはどうでもいい」

「で、でも、神様のお考えが分からないと……マグダさんが…………」


 今にも泣きそうな顔でジネットが呟く、涙で声が掠れる。

 いやいやいや! 事実じゃないからな!?

 例え話! ゲーム!

 答えが分からなくてもマグダがどうこうなりゃしないから!


「……ヤシロ。君はジネットちゃんを泣かせて楽しいのかい!?」

「俺のせいかよ!?」

「そうでないというのなら、今すぐ答えを教えてジネットちゃんを安心させてあげなよ!」

「…………エステラさぁ、素直に『降参』って言っていいんだぞ?」

「ふ、ふん……君に負けるのは、なんだか悔しいんだよ」


 連戦連敗のくせに。


「まぁいい。答え……つうか、神の考えることなんぞ俺にも分からん」

「は?」

「なんや……答えは『分からん』かいな?」

「……そ、それでは、マグダさんは……」

「あぁ、もう! 落ち着け! 話は最後まで聞け!」


 なんでこんなゲームくらいでこいつらは熱くなっているんだ。

 日本ではよく聞く、割とメジャーなゲームなんだがな。


「この問題は、『神の考えを当てる』ではなく、『いかにすればマグダを、確実に、助けることが出来るか』を考えることが重要なんだ」

「確実に、助ける……確かに、そうおっしゃっていましたね」

「クイズに正解すればよし、不正解だったとしても、マグダが助かればそれもまたよしだ。つまり――」


 俺は、人差し指を立て、たっぷりと間を取って解を口にする。


「『お前はマグダの魂を連れて行くつもりだな』」


 ジネットが息をのみ、マグダへと視線を向ける。

 まぁ最後まで聞け。


「……魂を司る神が、『マグダの魂を連れて行くつもりだ』と考えていたとすると……クイズに正解したわけだからマグダは助かる……」

「逆に、その神さんが『ネコの娘の魂を連れて行こう』と思ぅてなかったとしたら……クイズは不正解やけど、ネコの娘の魂は連れて行かれへんのやし、つまりは助かるっちゅうことか」

「ま、そういうことだ」


 日本では、ライオンと旅人なんかで聞かれるゲームだ。

 他人が何を考えているのかを知る術はない。であるならば、そんなもんは考えるだけ無駄なのだ。

 こちらの要件をいかにして押し通すか。それが重要になる。


「……じゃ、じゃあ……マグダさんは…………助かる、ん、ですか?」


 少し混乱したように、ジネットが俺たちを見回す。

 ゲームを現実と混同させるから混乱するのだ。


 沈んだ気分を変えさせるために始めたゲームだったのだが……ジネットには少し効果が強過ぎたようだ。

『どっちにしてもマグダは助かる』という結末のお話をして、気分を和らげてやろうとしたのだが……まぁ、少々予定は狂ったが、言いたかったことは言っておくか。


「マグダは助かる。だから、心配すんな」

「…………はいっ」


 頷いた拍子に、涙が零れ落ちていく。

 しかし、ジネットの顔は優しい微笑を湛えていた。


 その時。



 ガバッ――



 と、マグダが体を起こした。

 驚いたような表情で、まんまるく見開いた目で部屋の中を見渡している。

 そして、一ヶ所に固まる俺たちを見つけると、ジィ~~~~っと見つめてくる。


「マ…………マグダさんが……っ!」

「気が付いたようだね」

「な~んや、ホンマに神様でもおったんやないかっちゅうタイミングやな」


 みんなの顔に安堵の色が浮かぶ。

 漏らす声にも喜色が含まれている。

 一瞬にして室内の空気が軽くなり、穏やかな雰囲気に包み込まれた。


 瞬く間に広がっていく歓喜の感情に、俺は……言葉が出てこなかった。


 ただただ…………ホッとしてた。

 よかった。

 手遅れにならなくて、本当によかった……


「マグダさん。具合はどうですか? 傷は痛みませんか?」


 すぐさまジネットはマグダに駆け寄り、その体に触れようとする……が。


「にゃぁぁぁぁぁぁあぁああああああああああっ!」


 突然マグダが奇声を上げ、ジネットの腕をすり抜けて、ベッドから飛び降りた。

 上半身を低くして、腕を床につき、警戒心に満ちた瞳で俺たちを見つめる。

 ネコの取る、威嚇ポーズだ。


「おい、どうなってんだ、これ……?」

「分からない……けど、なんだか様子がおかしいね」


 困った時のエステラのくせに、分からないとは何事だ。

 今すぐ辞書でも開いてこの状況を俺に分かりやすく説明しろ!


「あっ、逃げるで!」


 レジーナが声を上げた時には、もうマグダは動き出していた。

 俺たちの間をすり抜け、部屋の出口へと一直線に向かう。


「待ちたまえ、マグダ!」


 咄嗟に腕を伸ばしたエステラが、マグダのシャツを掴む。


「でかした! とにかく押さえつけて寝かせ……てぇぇぇえええっ!?」


 俺が言い終わる前に、マグダは着ていたシャツを脱ぎ捨てた。

 傷の手当てをした後だからだろう。

 マグダはシャツの下に何も着ていなかった。

 すっぽんぽんだ。


「ヤシロ! 見ちゃダメだ!」

「ってぇ! そんなこと言ってる場合じゃないだろう!?」

「アカン! 逃げおったで!」

「マグダさん! まだ走ってはいけませんよ! 傷に障ります!」

「ジネット、お前ものんきなこと言ってんじゃねぇよ!」


 なんだか知らないが、マグダが逃げた。

 俺たちを警戒していた……まるで敵でも見るような目だった。


「怪我のせいで、獣人の部分が色濃く出てきてもうたんかもしれんねぇ」


 レジーナの分析によると、獣人は獣のパワーと人間の知性を併せ持つ存在で、普段はバランスの取れた状態でいる。

 だが、今回のように命に関わるような大怪我をすると、生命維持のために獣の部分が色濃く出てくるのではないか……と、そう言うのだ。


 ってことは何か?

 今のマグダは、野生の子虎なのか?

 俺たちのことも忘れて、どこか安全な場所を探して飛び出してったのか……


「こうしちゃいられない。みんな、手分けして探すんだ!」


 エステラが指示を出す。

 先にそんなことを言われたということは、俺は今、結構パニクっているのかもしれない。

 落ち着かなきゃな。


「レジーナはここで待機してて。マグダを捕まえた時、傷が開いていたらすぐ処置出来るように!」

「了解や!」

「ジネットちゃんは教会の方を見てきて!」

「分かりました!」


 上手い采配だ。

 慌てたジネットを大通りの方へ向かわせると、何かしらトラブルを起こしかねない。起こさなくても巻き込まれかねない。

 ジネットは顔見知りの多い教会側に向かわせるのがベターだろう。


「ボクたちは大通りの方を見に行こう」

「よし分かった」

「ただしヤシロは、マグダの裸体を見ないように目隠しをしてね!」

「出来るかぁっ!」


 こいつも結構動転してんじゃねぇか?


「マグダを見つけた者は即刻帰宅! 他の者は定期的に陽だまり亭に戻り状況確認だ!」

「了解!」

「わ、分かりました!」


 最終的に俺が指示を出し、俺たちは陽だまり亭を後にした。

 マグダのすばしっこさを考えると、追いつくのは大変そうだ……


 大通りに出たところでエステラと二手に分かれる。


 しかし、この広い四十二区をあんな小っこいヤツを探して走り回るのか……

 ノーヒントでは無理だ。

 俺は近くの商店に駆け込み、マグダを見ていないか情報を集めた。

 この通りで以前、マグダが暴れ牛を退治したこともあり、ある程度は顔を知られているだろう。


「マグダを見なかったか!?」

「あぁ、あの暴れ牛の時の娘かい?」


 そんな会話を何人かと交わすうち、有力な情報を手に入れた。


「あの娘なら、物凄いスピードで裏の通りに向かっていったよ。武器屋が並ぶ工房通りの方だよ」


 大通りには商店が並んでいる。そのほとんどが飲食店と服飾関連、そして食品関連の店だ。つまり、一般市民の生活に密着した店と、他所からやって来る人間をターゲットにした店が並んでいるのだ。

 大通りから一本入ると、より専門的な店が多くなる。

 金物や武具防具、布や糸、魔獣の骨などの素材屋などが存在する。

 それらは、同系統の店である程度固まって軒を連ねている。


 マグダが逃げ込んでいったのは武具屋が並ぶ通りだそうだ。

 もしかしたら、丸腰に不安を覚えているのかもしれない……


 俺は大急ぎでその通りへと入っていった。


 あちらこちらから金属を打ちつける音が聞こえてくる。

 油と金属の匂いが辺りに充満している。

 やや薄暗い印象を受けるこの通りの両側には工房と店舗がひしめき合うように並んでいる。

 通りには、意外にも女性の姿が多かった。もっと男臭いイメージを抱いていたのだが。大きな槌を担いだ少女や、巨体には不釣り合いな小さなペンチを大切そうに握りしめているオッサンなど、様々な人間が行き交っている。


 マッチョなオッサンだらけなら見つけやすいかとも思ったのだが……


 時間がない。

 今のマグダが危険な状態なのももちろんあるが、マグダは現在すっぽんぽんなのだ。

 どこぞの下衆い男にでも見つかったら一大事だ。

 しらみつぶしに捜している暇はない。


「すみません!」

「はい?」


 俺は、盾を作っているらしい工房の前で煙管をふかしていた狐っぽい美女に声をかける。


「マグダを見ませんでしたか?」と聞いても、この付近の人には伝わらない。

 小柄なトラ人族で年齢は十二歳くらい……などと説明しても伝わるかどうかは怪しい。

 もっとインパクトのある、見れば絶対に分かるであろう特徴を伝え、目撃情報を集めるしかない。


「あのっ、こっちの方にすっぽんぽんの幼女が走ってきませんでしたか!?」

「ふぁっ!?」


 狐のお姉さんは奇妙な声を上げ、口をあんぐりと開けた。

 くそ、知らないかっ!


「邪魔したな! もし見かけたらすぐに教えてくれ!」


 それだけ言い残して、俺は通りを駆け抜けた。

 マグダの裸体をどこぞのオッサンに見られたかもなどと思うとなんかムカつくので、目についた女性にだけ声をかけていく。


「すっぽんぽんの幼女を探しているんだが!?」

「ひぇっ!?」

「すっぽんぽんの幼女はどこだ!?」

「ふょっ!?」

「すっぽんぽん幼女を見かけたヤツはいないか!?」

「へにょっ!?」


 どれだけ尋ねても目撃情報は得られない。毎回、変な声を漏らされるだけだった。


「くっそ……どこにいるんだマグダ…………」


 走り回って息が切れ始めてきた。

 こういう時は糖分を補給して体力回復を…………


 俺たちは陽だまり亭を出る前に、疲労回復用にハニーポップコーンを一袋ずつ持って出たのだ。

 これさえあれば、体力が多少は回復…………………………これだぁ!


 俺は通り中に聞こえるほどの大声で叫ぶ。


「マグダァー! 出てきたらハニーポップコーンをやるぞぉー! 今回はハニー多めの、甘いヤツだぞぉー!」


 ハニーポップコーンの袋を開け、甘い香りを辺り一帯に広がるように振り回す。

 ……これに上手く引っかかってくれれば…………

 と、突然、金物屋の屋根の上から俺の背中に何かが落下してきた。


「にゃー! にゃー!」


 マグダだ。

 マグダが俺の背中に乗り腕を伸ばしてハニーポップコーンを強奪しようとしている。


「待て! やる! やるから! まずは服を着ろ!」

「にゃぁー!」


 今のマグダには言葉が通じないらしい。

 しょうがない。


 俺は限界まで腕を伸ばし、ハニーポップコーンをマグダから遠ざける。

 それを取ろうとマグダが身を乗り出したところで首を掴まえ捕獲する。


「にゃぁぁぁぁあっ!」

「暴れんな! ポップコーンやるから!」


 手足をジタバタさせるマグダにハニーポップコーンの袋を与えると、途端に大人しくなった。

 袋に手を突っ込んで、口の限界までポップコーンを頬張る。

 ……どんだけ好きなんだよ。


「この隙に……」


 俺は自分の上着を脱ぎ、マグダにすっぽりと被せる。

 そして、ぶかぶかのシャツを着るマグダを抱えて陽だまり亭へと向かった。

 帰り道、マグダはハニーポップコーンに夢中ですっかり大人しくなっていた。




「マグダさん! よかった……無事だったんですね」


 マグダの顔を見て、ジネットが安堵の息を漏らす。

 エステラはまだ戻ってきていないようだが、待っていればそのうち戻ってくるだろう。


「ポップコーンで餌付けをした」

「餌付けだなんて……酷いですよ、ヤシロさん」


 非難を向けるジネットだが、その顔はとても嬉しそうだった。


 ポップコーンを平らげた後から、マグダは急に大人しくなった。

 というより、すっかり俺に懐いてしまったようだ。

 ずっと俺の腰にしがみつき離れようとしない。


「なんだか、子猫のようで可愛いですね」


 ジネットが手を伸ばすと、マグダは肩をビクッと震わせ俺の背中に隠れる。

 しかし、それでもずっと笑顔を向けるジネットに、やがて警戒心を解いたようだ。

 ジネットを受け入れ、頭を撫でさせている。


 それから、レジーナに傷口を見てもらい、軽く診察をしてもらった。


「怪我が完治すれば、獣と人間のバランスも元に戻って、一時的に混乱している記憶も戻るやろう」


 診断の結果、レジーナはそのような推測を述べた。

 つまり、傷が癒えるまでは子猫状態が続くというわけか。


「まぁ、特に暴れたりするわけじゃないし……しばらくの間なら問題はないか」


 狩りは当分中止になるし、店の手伝いもさせられないが……まぁ、それは仕方がないだろう。


「あの、ヤシロさん。一つ、困ったことがあります」

「なんだ?」


 困り顔のジネットは、スッと一着の服を差し出す。

 それはマグダのもので、滅茶苦茶に破かれていた。


「傷に触れて痛いのか、服を着せると破いちゃうんです」


 レジーナの診察の後、服を着せようとした際に破かれてしまったらしい。


「大きめのもので試したのですが……」


 そう言って次に差し出されたのは、見覚えのある、ジネットの私服だった。

 こちらも無残な姿になっていた。


「わたしの服も気に入らないようでして……」

「うわぁ……酷いな、これは」

「破れたのは、修繕すれば済む話ですので構わないんですが……」


 そうして、ちらりと視線をマグダに向ける。

 マグダは現在、俺の服を着ている。


「ヤシロさんくらい大きなサイズでないとダメみたいです」


 傷口に触れるから……と、ジネットは理由を説明していたが……たぶん違う。

 マグダは時折、襟を引っ張り顔を埋めては「ふかふか」と匂いを嗅いでいるのだ。

 ……どうやら、俺の匂いが落ち着くらしい。


 が、そんなことジネットに言えるか。


「まぁ、俺の服を着てくれるんなら、しばらくはそれで凌ぐしかないだろう」

「すみません。貴重な衣服を……」

「いいよ。あ、それじゃあ、もし暇な時間があれば新しい服を作ってくれるか?」

「はい! 喜んで」


 破れた服をくしゃりと抱き寄せ、ジネットが嬉しそうな笑みを浮かべる。

 ジネットは誰かの役に立つのが何よりも嬉しいのだ。

 マグダに関して何も出来ないという無力感を、俺の服を作ることで少しでも忘れられればそれでいい。


「にゃ~!」


 ぶかぶかのシャツを着たマグダが、両手を上げてよたよたとこちらに歩いてくる。

 そして、俺まであと数歩というところでぽてっとこける。


「……………………にゃぁぁあぁ……」

「あぁ、もう!」


 まるで子供だ。

 いや、子供なんだが……

 マグダはもっと手のかからない、大人しい子だったのに。

 これじゃあ完全に世話の焼ける駄々っ子だ。


「よしよし」

「……にゃぁ」


 抱きかかえてやると、マグダは安心したように目を閉じ、俺に身を預けてくる。


「マグダさんのお世話は、ヤシロさんにお願いした方がよさそうですね」

「……マジでか」

「可愛い妹みたいでいいじゃないですか」


 言いながら、ジネットはマグダの髪を撫でる。

 妹…………妹ねぇ……


 まぁ、しばらくは面倒を見てやるか。

 そんなことを思った矢先、それを躊躇させるような事案が発生する。


「ヤシロッ!」


 エステラが勢いよく室内へと駆け込んでくる。


「おいおい、エステラ。もう少し静かに……」

「君は一体何をしたんだい!?」


 ズズイと俺に詰め寄り、鋭い視線を向けてくるエステラ。

 意味が分からず、俺は狼狽する。


「金物通りで噂になっていたよ! 変な男が『すっぽんぽんの幼女はどこだぁ~!』って駆けずり回っていたって!」


 ……………………は?


「しかも、幼女にお菓子を与えて連れ去ったって!」


 ………………あぁ~…………まぁ、確かにそう見えなくもない、かなぁ…………


「幼い娘を持つ親御さんたちが戦々恐々としていたよ! もう、どうするのさ!?」

「どうするって…………」


 とりあえずは、しばらくの間は金物通りには近付かないでおく…………くらいかなぁ。


 何かに一生懸命になっている時、人間は周りが見えていないものである。

 周りから見ればおかしな行動と捉えられるようなことでも、必死な時はやってしまうのだ。


 だが、それを責められるだろうか?

 それだけ一生懸命だったということではないか!

 誰かのために一生懸命になれる自分を、俺は誇らしくすら思うね!



 だがしかし、大通りの掲示板に――


『 知らないオジサンに「お菓子あげるよ」と言われても付いていかないように! 』


 ――なんて、日本で見慣れた文章が書かれたポスターが張り出された時は……さすがにちょっと反省したけどな。






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