30話 安心感

「酷い目に遭ったぞ」


 レジーナの店を訪れた翌日。

 寄付に訪れた教会でエステラを見つけた俺は、さっそくクレームを入れた。

 もう少し事前情報が欲しかったところだ。

 せめて、レジーナが稀代の変人であることくらいは伝えておいてほしかった。


「でも、薬は手に入れられたようだね。上手くやったじゃないか」


 上手いものか。

 この薬を手に入れるために、俺の精神は限りなくすり減らされてしまったのだ。

「受け? 攻め? どっち!?」などと訳の分からん言葉を並べてヒートアップするレジーナに俺がいかに常識人であり、標準という枠から逸脱しない模範的な人物であるかを切々と語り納得させるのには相当な労力を要した。特別手当が欲しいくらいだ。つか「どっち!?」じゃねぇよ。


 俺は教会の敷地に沿って建てられている柵に身を預けつつため息を吐いた。

 俺とエステラは、二人で教会の庭に出てきている。

 談話室ではガキどもに絡まれて落ち着いて話が出来ないからだ。


 現在、教会の厨房でジネットとベルティーナが食事の準備をしている。

 ベルティーナは、レジーナの薬が効いたようで、昨日の夕方には完全復活していた。

「朝食べられなかった分、残っていますか?」――と、満面の笑みで陽だまり亭に現れた時は、思わずグーで殴ろうかと思った。まだ食うのかと……一日くらい、食休み期間として胃袋を休ませてやればいいのに、と。

 もっとも、よく食うベルティーナの姿を見て、ジネットが心底安心した表情を見せていたので、まぁ、いいっちゃいいか。


「シスターは何か言っていなかったかい? レジーナ・エングリンドの噂くらいは聞き及んでいただろうし……拒否反応を見せたとか」

「それはなかったな」

「そうなのかい?」

「あぁ」


 どうもベルティーナは、『俺が持ってくるもの = 美味しいもの』と認識しているようで、腹が痛いにもかかわらず、俺が差し出した薬を嬉々として飲んでいた。

 ……もっとも、その直後に「美味しくないじゃないですか!」と文句を言われたが……


「薬を使用した人が増えれば、悪評もどんどんなくなっていくだろうね」

「そうなればいいけどな」


 怪我や病気をする連中は掃いて捨てるほどいるからな。

 ウチだと、マグダなんかが怪我をしやすい。


 そうそう。

 昨日は夕方に戻ってきたマグダだが、森の中で地盤沈下した箇所があるとかで、飯を食った後再び出かけていってしまった。

 なんでも、自警団が地滑りを起こした箇所の補修を行う間、魔獣に襲われないように護衛を兼ねた見張りに駆り出されたらしい。森にいる魔獣の対応は自警団よりも狩猟ギルドの方が慣れているからな。

 マグダの話を聞いて、ジネットは大急ぎで大量の弁当を作り、マグダに持たせていた。トラ人族の力を使うと、マグダはお腹を空かせてしまうからだ。まぁ、狩りではないので、仕留めた獣を食い尽くしても問題はないと思うのだが……ジネットはマグダの力になりたいと思ったのだろう。


 そんなわけで、今ここにマグダはいない。予定では、朝の鐘が鳴る頃に戻ってくるはずだ。

 ちなみに、最初の鐘が『目覚めの鐘』、次が『朝の鐘』そして順に『昼の鐘』『終わりの鐘』と呼ばれている。『終わりの鐘』は一日の終わりという意味らしい。……十六時に鳴るんだけどな。


「でも、あのレジーナ・エングリンドを説得して薬を作らせたのは見事な手腕と言うべき功績だよ。ここ最近の彼女は、ちょっと人間不信に陥っているようだったからね」


 ちょっとじゃねぇよ。

 物凄ぇ警戒されたっての。


「けれど、ずっと独りでいると、精神的に不安定になるんじゃないかと心配もしていたんだ」


 残念だったな。すでに手遅れだったぞ。

 なにせ、見えもしないお客さんと仲良く会話するくらいには病が進行していたからな。


「少し変わり者ではあるけど、悪い人じゃなかったろう?」

「すげぇ変わり者で、頭の悪いヤツだったけどな」

「女性に向かって、酷い言い草だね」


 やかましい。

 俺は危うく強烈な精力増強剤を飲まされるところだったんだよ。

 これはジネットの危機でもあったんだぞ。多少酷く言われても、それは仕方がないことなのだ。


「あ、そういえば」


 ここで俺は、とても重要な話を思い出したので、それを伝えておくことにする。


「薬の料金はお前に請求するように言ってあるからな」

「……ちゃっかりしてるよね」

「当然だろう。なんで俺が立て替えなきゃならんのだ。お前が行かせたんだから、払いは持て」


 教会に金なんかないのは明白だし、ここはエステラに押しつけるのが得策というものだろう。


「それで、今日ここに来るように言ってある」

「こんな朝早く?」

「お前が確実にいるのはこの時間だけだろう? 最近はなんだか忙しそうにしてるしな」

「まぁ……確かに午後はちょっと時間を取られることが多いけどね」


 エステラの表情が濁る。

 なんだか面倒くさい連中の相手をしているのかなぁ、と、そんな勝手な想像をさせるような沈んだ表情をしている。

 今にもため息を吐きそうな雰囲気だ。……よくないな。ため息を吐くと幸せが逃げていくらしいからな。

 エステラにとっての幸せってなんだ?

 こいつが何に喜び、何に幸せを見出すのか、それを俺はよく知らない。知らないが、きっと胸が大きくなったら喜ぶだろうことは手に取るように分かる。こいつのコンプレックスはそれくらいだもんな。

 ってことは、ため息を吐くと胸が大きくなる可能性が逃げていく……つまり、それは…………


「エステラ。ため息を吐くと、おっぱいが小さくなるぞ」

「空気で膨らんでるわけじゃないんだけど!?」


 思いっきり胸倉を掴まれた。

 うっわ、顔怖っ!

 近い近い近い!

 乙女が接近していい距離を余裕で越えてるぞ。恥じらいを持て、な?

 ちょっと「笑ってくれるかな~?」って思っただけだから。


「やややっ!?」


 と、その時、背後から奇妙な声が聞こえてきた。


 柵にもたれかかっていた俺は首を回し背後を見、エステラはそんな俺の肩越しにそちらを覗き込む。


 そこに立っていたのは、驚愕に目を見開くレジーナだった。


「あ、朝の教会で…………乱れ過ぎやで、自分っ!」

「乱れてんのはお前の脳みそだ!」


 こんなにも清々しい朝に神聖なる教会の前で、何を毒電波全開放出してやがんだこいつは!?


「やぁ、レジーナ。おはよう」


 エステラが、敵対心の欠片も見せない笑みを浮かべてレジーナに声をかける。おそらく、まだどのように接していいのか分からずに探りを入れている段階なのだろう。


「――無駄に爽やかである」

「うるさいよ。傍白は心の中だけに留めておいてくれないかな?」


 いかんな。思わず副音声が声に出てしまった。

 つか、いい加減掴んだ襟首離してくんない?

 俺、ずっとお前に迫られてるみたいな状態なんだけど?


「自分…………そうか…………自分は、受けなんやな?」

「『うけ』? って何かな? ヤシロは分かるかい?」


 おい、やめろエステラ。余計な情報は脳細胞に毒だぞ。


「まさか、昨日あの後、夜が明けるまで、この場所で、二人きりでっ!?」


 その「で」に続く言葉はなんだ!? えぇこら!? いや、言わなくていいけどな! つか、絶対言うなよ! 聞きたくもないから!


「ヤシロ……彼女は一体何を言っているんだい?」

「俺に聞くな。説明したくもない。ただひとつ、ヤツはお前を男だと思い込んでいる」

「ボクを? はは、まさか」

「爽やかに笑うな、余計誤解を生む」

「だって、ボクは以前彼女に会っているんだよ?」

「だから、以前会った上で、お前を男と判断したんだろうよ」

「そんな、ヤシロじゃあるまいし」


 でなきゃ、なんでそこの末期患者は身もだえてるんだ? 説明出来るか?

 つか、いいから離れろ。顔が近いんだよ。ちょっとドキドキすんだろが。


「自分、えぇ表情するなぁ……麗人×わんぱく…………有りやわぁ……」


 おかしな記号で俺を表現すんじゃねぇよ。

 あと、誰がわんぱくだ。


「ヤシロさ~ん、エステラさ~ん!」


 俺が謎の偏頭痛を覚え始めていると、ジネットが教会から出てきた。

 ひらひらのエプロンを翻しながらこちらへと駆けてくる。


「ご飯の準備が整いましたよ~!」

「まさかの横攻めっ!?」

「ふぇえっ!?」


 レジーナの奇声にジネットが身をすくませる。


「……いや、でもそうなると攻めと受けが逆に……? まさか、この美人さんがあの人の彼女ってことはないやろうし……だって、恋人おらへん言うてたし…………」

「あ、あの……ヤシロさん。こちらの方は?」

「自分が患ってる病が治せない薬剤師だ」

「は、はぁ……病?」

「美男美女のカップルに割り込む中の下…………でも麗人はそんな中の下が気になって……」

「誰が中の下だ、こら」


 つか、もうお前黙れよ……


「話の流れ的に、やっぱりボクは男だと思われているようだね……」

「残念ながらな。そして、俺とデキていると勘違いされている」

「んなっ!? ボ、ボクと、き、君がっ!? こ、ここ、困るよ、そんな勘違い! ふ、不名誉だ!」


 不名誉は、『俺の恋人疑惑』以前に、『男とデキてる男疑惑』に言ってくれ。


「そこの、可愛いお姉ちゃん!」

「ぅえっ!? わ、わたしですか!?」


 レジーナにロックオンされたジネットが身をすくめる。

 高レベルの警戒態勢だ。


「この二人の愛は本物や……可哀想やけど、その麗人のことは諦め……」

「え、え!? あ、愛って……えっ!?」

「落ち着けジネット。まともに取り合うと感染するから、少し耳を塞いでいろ」


 俺は、暴走するレジーナに事実を説明した。…………のだが、妄想の世界にどっぷり浸ったレジーナの聞く耳は完全に腐り落ちていたようで……俺の言葉は鼓膜にまで到達していないようだった。


 仕方ないので、ジネットに「こいつは、エステラを男と思い込み、且つ、エステラとジネットが恋仲にあり、さらには俺と三角関係にあると思い込んでいる」と説明しておいた。


「そんな……ヤシロさんとエステラさんがわたしを取り合うなんて……恐れ多いです」


 ――と、変な恐縮の仕方をしていたジネットだが……悪い、取り合ってるのお前じゃないんだ、レジーナの設定の中では。まぁ、そこには触れないけども。


 そんなわけで、レジーナの病については、今後一切ノータッチを貫くことに決めた。

 ……触れてもいいことなど何もない。妄想するだけでこちらに害がないのであれば好きにさせておくさ……


「ところで、レジーナ。準備はしてきてくれたか?」

「へ?」

「いや、『へ?』じゃなくて……昨日説明したろう。新しい商売のやり方を」

「あ、あぁ、あぁ! アレな! 大丈夫や。ちゃんと用意してきたで!」


 今日ここに呼び出したのは、支払いのためだけではないのだ。

 俺は、レジーナの薬が四十二区に浸透するにはどうすればいいかを考え、昨日のうちにその方法をレジーナに伝えてあったのだ。

 ……こいつ、本当にちゃんと用意してきたんだろうな…………


「新しい商売の方法って、なんのことだい?」


 やはりというか、エステラがすぐさま食いついてくる。

 こいつも、なんとかしてレジーナの薬を広めたいと思っていた一人だからな。まぁ、当然だろう。


「レジーナは胡散臭い」

「酷いな、自分!?」


 事実だ。


「だが、こいつの薬は有用だ。ベルティーナの回復がそれを証明している」

「なんや、照れるやん。褒めてもなんも出ぇへんで?」


 うるせぇな。いちいち反応しなくていいから。


「人が不安を覚えるのは、未知のものに出会った時だ。得体の知れないものは畏怖の対象として認識される」


 その畏怖の象徴たるのが、この全身真っ黒の如何にも魔女然とした出で立ちのレジーナだ。

 見た目は胡散臭いし、しゃべり方は変わっているし、使う材料は見たこともないようなものばかりで、店の中には不気味な雰囲気が漂っている。

 ――そんな場所に行って薬を買おうなどとする者はいない。

 まして、薬なんていう、下手すれば命にかかわるようなものを、そんな胡散臭いところから調達しようと思う者はいない。皆無だ。


 しかし、相手を知り、そのなんたるかを見極めることさえ出来れば不安など一気に消し飛ぶ。

 そうなれば、レジーナの薬が四十二区に定着するのも時間の問題だろう。

 なにせ、レジーナが作った『薬剤師ギルド』の薬は庶民の懐にも優しいリーズナブルなお値段なのだ。


 薬師ギルドの薬は大商人や貴族が持つ貴重なものという認識が一般的だった。

 陽だまり亭にも薬は置いていない。


「レジーナの薬がもっと身近になれば、原材料その物の認知度が低くても、人は安心感を覚える。やっぱり薬には、安心感が必要不可欠だからな」


 日本でも、『ダイオウエキス』とか、『イブプロフェン』とか、聞いたことはあるが見たこともなければ、それがどのようなものかも分からない、そんな成分を含んだ薬がたくさんあった。

 コエンザイムQ10が入っていると言われれば、なんとなく肌にいいものなんだと思えるのは「学習」によるものだ。実際にコエンザイムQ10が肌にいい影響を与えた様を目撃したわけではない。聞き及んでいる程度なのだ。

 だが、知っていることこそが安心を生む。耳に馴染んだ成分が入っていれば人は安心し、見たことのある会社の薬であるというだけで、全幅の信頼を寄せるのだ。


「だから、こんな胡散臭い薬剤師が作った薬でも、馴染みさえすれば信用されるものになる」

「自分、辛辣にもほどがあるんとちゃうか?」


 レジーナの抗議はサラッと無視して、俺は話を続ける。


「不安を覚えるのは未知と遭遇するからだ。ならば、その未知なるものをシャットアウトしてやればいい」

「理屈は分かったけれど、では実際にどうすればいいと言うんだい?」

「具体的な話をしてやろう。レジーナ」

「ほいほい」


 俺が手を出すと、レジーナは薬箱を差し出してきた。

 蓋を開けると、中には各種、様々な薬がぎっしり詰まっている。


「凄い種類だね」

「整腸剤、解熱剤、消毒、気付け、精神安定剤……他にも色々取り揃えてあんで」

「凄いですね……こんなにたくさんのお薬を見たのは初めてです」


 薬箱を覗き込み、ジネットが目を丸くする。

 狩猟ギルドにあった薬箱は傷薬がいくつか入っていただけで中身はスカスカだった。おそらく、解熱剤や風邪薬のようなものは入っていなかったのだろう。


「家にこれを一つ置いておくだけで、大抵のトラブルには対応出来る」

「せやね。死ぬような大怪我や不治の病はともかく、普通に生活してて患う病気や怪我なんかには十分対応出来るはずやで」

「けど、各家庭にこれを置くのは不可能だろう」

「ですよね……」


 エステラとジネットは、薬箱の充実ぶりを見て表情を曇らせる。

 そのわけは……


「こんなにたくさんの薬を買う余裕は、きっとどのご家庭にもありませんよ」

「一体金貨が何枚あればこれだけの薬を揃えられるのか、見当もつかないね」


 この世界の薬は高い。

 それが常識なのだ。


「ちなみに、薬師ギルドにこれだけの薬を注文すると、どれくらいかかるか分かるか?」

「どうだろう……ボクもこんなにたくさんは買ったことがないから……予想だけど、数年は遊んで暮らせるくらいの金額になるんじゃないかな」


 なるほど。そりゃ、庶民には手が出せないわな。


「薬師ギルドに対抗するために、この豪華なセットを格安で販売しようというのかい?」


 エステラが薬を一個一個見ながら聞いてくる。

 レジーナはマメな性格なのか、薬の袋一つ一つに手書きで薬の名前と効能、用法用量を書き込んでいた。


「まぁ、格安と言えば格安だな」

「勉強させてもらいまっせ」

「もし手が届くようなら、ウチにも一つ欲しいですね。……病気は怖いですから」


 ジネットの瞳に、ふと寂しげな色が浮かぶ。

 そういえば、こいつは爺さんを亡くしているんだったな……病気だったのだろうか。もしそうなら、きっと薬など買えなかったのだろうな……


「それで、おいくらなんですか?」


 寂しげな色を消して、ジネットの大きな瞳が俺を見る。

 勝手な想像で感傷的になってしまっていたせいか、少しドキッとした。

 そして、柄にもなく、……喜ばせてやりたいだなどと考えてしまった。


 俺は、こちらを見つめるジネットの瞳に、喜色が浮かぶことを想像しつつ、その問いに答えてやる。


「無料だ」

「……………………え?」

「この薬箱を手に入れるために必要なお金はゼロだと言っている」

「け、けど、そんな……さすがに、それは……」


 ジネットの視線が俺からレジーナへと移動する。

 それを察したのか、レジーナはにっこりと微笑んで堂々と宣言した。


「無料で持っていってもろて、全然構わへんで!」


 喜色を浮かべてもらおうとしたのだが、衝撃が強過ぎたのか……ジネットの顔はぽかんとしたまま固まってしまった。


「……何か弱みでも握って、レジーナに無理をさせているんじゃないだろうね?」


 一方のエステラは眉根を寄せて俺をジト目で睨んでいる。

 ……あのなぁ。


「無理を強いれば商売が成り立たなくなるだろうが。それじゃ本末転倒だ」

「でも、だったらなんでこんなに豪華なセットが無料で………………偽物?」

「人聞きの悪いイケメンさんやなぁ」


 今度はレジーナが眉根を寄せる。

 ……つか、『イケメン』って言葉通じるんだな。


「ここにある薬は、正真正銘、ほんまもんの一級品ばっかりやで!」

「じゃあ、なんで無料で譲ってくれるんだい?」

「譲るなんて、誰も言うてへんやん」

「……え?」


 エステラの表情が固まり、視線がこちらへ向けられる。

 思考が限界に達し、答えを求めるような目だ。

 しょうがない。説明してやるか。


「こいつはな、『置き薬』だ」


 日本でもやっている、薬の販売方法の一つだ。


「さっきも言ったように、このセットを『手に入れる』のは無料だ。ただし、この中の薬を使用すると、その薬の分だけ料金が発生する」


 薬箱の中から、10Rbの風邪薬を使ったとすれば、決算の時に10Rbを支払ってもらうのだ。


「毎月とか、使用頻度の高いところには毎週とか、とにかく定期的にレジーナが赴いて、薬の使用状況を確認する。その際、無くなっている薬の代金を受け取り、新たな薬を補充するんだ」

「つまり、使わなければ、ずっと料金は発生しないということですか?」

「あぁ。使わないまま使用期限を超えてしまった薬は、レジーナの方で処分し、また新しいものと交換してくれる」

「それでは、薬剤師ギルドの負担が大き過ぎないかい?」

「そんなことあらへんよ」


 エステラの問いには、レジーナが軽い口調で答える。


「どっちみち、ウチの店でアホほど在庫が眠っとんねんから、それをウチに置いとくか、よそ様んとこに預けとくかの差やねん」


 それでも、イマイチ納得していないようなので、俺が補足をしておく。


「薬は、いつ必要になるか分からない。欲しい時に慌てて買いに行くよりも、常に準備されている方が使いやすいだろう? その『使いやすさ』こそがこの置き薬の狙いだ。使いやすく、いざという時に頼りになる。そういうイメージがつけば、薬剤師ギルドが持たれている胡散臭さや不安感なんてものは払拭される。信頼して使える薬だと思ってもらえるようになるんだよ」


 結局のところ、薬剤師ギルドの胡散臭さは、レジーナの格好としゃべり方と原材料の馴染みの無さと独特な店の雰囲気によるところが多いのだ。

 で、あるならば、それらを全部覆い隠してしまえばいい。

 レジーナに会わず、原材料を見ず、店にも行かず、効果のある薬を使ってもらえばいい。


「最初は、教会と陽だまり亭に薬箱を置く」

「ウチにもですか?」

「あぁ。モニターは多い方がいいからな」


 しばらくは、この二箇所から薬を提供する。

 薬が欲しいヤツは教会か陽だまり亭に来るようにしてもらうのだ。そこで、俺たちが代わりに販売をする。業務委託というやつだ。

 それでレジーナには頻繁に在庫の確認に来てもらい、随時薬を補充してもらう。


 薬剤師ギルドの薬に抵抗がなくなったあたりで、レジーナ本人にも慣れていってもらえれば、ゆくゆくはレジーナが各家庭を回って薬を売り歩くことも可能になるだろう。


 そのきっかけとして、教会と陽だまり亭に薬箱を置くのだ。


「……凄いです」


 ぽつりと、ジネットが言葉を漏らす。

 全員の視線がジネットに集まると同時に、ジネットが俯かせていた顔を持ち上げた。

「凄いです、ヤシロさん!」


 それは、空を覆う分厚い雨雲を吹き飛ばしてしまいそうな、晴れやかな笑顔だった。


「ウチに来れば、困っている人が救われるんですね!? これって、とっても凄いことです!」


 感情の針が振り切れたように、ジネットは瞳をキラキラと輝かせる。


「お薬が無くて困っている人はたくさんいます。……お薬があれば助かる命はたくさんありますよね…………そんな人たちに、手遅れになる前に、ささやかながら手を差し伸べてあげられる……薬があるって、凄く安心出来ます。きっと、レジーナさんの薬はたくさんの人を救うと思います。みんな、レジーナさんに感謝すると思いますっ!」


 グイグイと、レジーナへ近付いていくジネット。レジーナが若干押されている。


「お、おおきにな。そうなれるよう、『この薬はえぇで~』言うて、宣伝したってな?」

「はい! お任せ下さい!」


 レジーナの手を取り、ブンブンと振るジネット。

 火がついたジネットは、ちょっと止められないんだよな。


「本当に、ヤシロには毎回驚かされるよ」


 腕を組み、半ば呆れたような、でも感心しているような、複雑な表情でエステラが俺の隣へやって来る。


「一度頭の中を開いて見てみたいものだよ」

「拝観料は高いぞ」

「そういう発想がどこから出てくるのかが不思議だよ……」


 エステラの顔に浮かんでいた感心が薄れ、呆れが色濃くなる。

 しかし、すぐさま真面目な表情に戻り、探るような視線を向けてくる。


「でも、ヤシロにしては大人しいというか……君が得るメリットが見えてこないね」

「人の喜ぶ顔を見ることが、何よりの幸せだからな」

「教会の庭先で、よくもまぁ平気な顔をして嘘を吐けるね」


 ふん。

 俺がどう思っているかまでは『精霊の審判』では裁けないのだ。

 なら、嘘を吐いたところでどうってことはない。


「もしかして……さ」


 エステラが急にもじもじし始める。

 ……トイレか?


「ボクがお願いしたから? 薬剤師ギルドの薬を四十二区に広めたいって。……だから、頑張ってくれたの…………かな?」

「いいや?」

「……………………あそ」


 モジモジがピタリとやむ。

 ……手遅れか? 間に合わなかったのか?


「じゃあ、レジーナが可愛かったから奮起しちゃったのかな?」

「顔は確かに可愛いかもしれんが、性格が破綻し過ぎている。アレのために頑張れるのは相当な変態だけだ」

「例えば、ヤシロとか?」

「誰が変態だ?」


 レジーナに頼まれたくらいでホイホイと労力を割いてやるつもりにはなれんな。


「それじゃあ、…………ジネットちゃんが喜ぶから?」

「あいつは何をやっても大抵喜んでるだろうが」


 そういう意味では、ジネットを喜ばせるのは逆に難しいかもしれない。

 ここぞという時に、一番喜ぶことを……と考えると、なんでも喜びそうで一番を決めかねてしまう。

 ジネットが一番好きなものとか、俺は知らないからな。


「それじゃあ、本当に慈善事業に目覚めたとか…………な、わけはないか」

「なんでそこは自己完結しちまうんだよ? そうかもしれねぇだろ?」

「それだけはないね。断言出来る」


 まぁ、ないけどな。


「君のメリットが見えてこない」

「メリットならあるだろうが、分かりやすいのが」

「分かりやすい?」

「薬箱は教会と陽だまり亭にだけ設置するんだぞ?」

「マージンを取る?」

「価格を上げると客の抱く商品に対する印象が悪化するだろうが」

「じゃあ、何さ?」


 苛立ち始めたエステラに、俺は分かりやすい解を与えてやる。


「薬を求めて『食堂に人が集まる』んだよ」

「それが一体………………あっ」

「人が集まれば、中には何かを注文していくヤツも出てくるだろう。頻繁に薬を買いに来るヤツなら、顔見知りになるかもしれん。それ以前に、陽だまり亭の知名度はこれで一気にアップする」

「…………宣伝か」


 そう。

 薬という、万人が必要とする物を置いているのだ。

 これまで食堂に来ることすらなかった連中も、薬のためにやって来るようになるだろう。

 また、「薬なら陽だまり亭にあるよ」という話が広まれば『陽だまり亭』の名が独り歩きすることになる。


 薬の代金は買っていったヤツが払うわけで、陽だまり亭はただ、レジーナの薬を預かっているだけだ。懐は痛まん。

 無料で効果の高い宣伝が打てるなら、これはもう、どっからどう見てもメリットだろう。


「場所を提供する代わりに、薬剤師ギルドのスポンサーになったんだよ、陽だまり亭は」

「…………ヤシロ、君って」


 凄いか?

 褒めてもいいんだぞ。


「物事のすっごい隅っこの方をよく見てるよね」

「素直に褒めろよ」

「素晴らしくせこいよ、ヤシロ」

「褒めてねぇだろ?」


 まぁ、そんなわけで、しばらくは薬を置いて様子見だ。

 そんなすぐに効果は出ないだろうからな。


「ジネット、みなさん! 早く食事にしましょう~!」


 教会から、ベルティーナが顔を出し俺たちを呼ぶ。

 完全復活を遂げたベルティーナの顔色は前にもまして艶やかだ。

 こうやって、薬の効果が少しずつでも広がっていけば、自然と受け入れられるようになるだろう。

 もっと大々的に薬を使うような出来事でも起これば、その認知度は爆発的に上がるんだけどな。



 そんなことを思っていたら…………



「た、大変だっ!」

「おや、あれは、狩猟ギルドの……」


 エステラが柵から身を乗り出して通りを眺める。

 こちらに向かって駆けてくるのは、狩猟ギルドの代表者、ウッセ・ダマレだった。


「マグダが、大怪我をしやがった!」

「なんだって!?」



 やっぱり、この世界の神はクソだ。

 ……誰がそんな大々的な事件を望んだよ?



 マグダにもしものことがあったら……ぶっ飛ばしてやるからな!



 俺はレジーナの薬箱をひったくり、教会を飛び出した。






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