29話 信じてやるよ

「滅多に人なんか来ぅへんから、気ぃ付かへんかったわぁ」


 レジーナは、まるでおばちゃんのように手をぱたぱたと振って笑みを浮かべる。

 なんだ、こいつ?

 なんで関西弁だ?

『強制翻訳魔法』の匙加減か?


 それとも…………

 モーマットは確か、レジーナは外からやって来たって言っていたよな……

 もしかしたら、こいつは……


「な、なぁ! お前」

「お前ってなんやのん? ウチにはちゃんとレジーナって名前があるんやさかい、そう呼んでんか? お前やなんて、感じ悪いわ」

「あ、す、すまん……」

「うん。分かってくれたらえぇんや。素直でえぇ子やな、自分」

「……『自分』ってのも、割かし感じ悪いと思うんだが」

「そうかな?」


 なんだ、このマイペース女は。

 まぁ、いい。

 それよりもだ……


「レジーナは、外からこのオールブルームに来たんだよな?」

「そうやで。よう知ってるな……どこかで会うたことあったかいな?」

「いや、知り合いに聞いたんだ」

「ウチの噂……あんまりえぇ噂ないやろ? 悪い噂ばっかりや……」

「あぁ、いや、それでだな! 前はなんて町にいたんだ?」


 ヘコミかけたレジーナに質問をぶつける。

 これで、『大阪』なんて名前が出てくればしめたものだ。同郷の知り合いが出来れば、色々情報が聞き出せるかもしれない。


「前にいた町? 『バオクリエア』やで」

「……香辛料で有名な?」

「そう。ウチの生まれ故郷。よう知ってるな、自ぶ……おっと、『自分』は感じ悪いんやったっけ? ほなら、なんて呼んだらえぇんやろ?」

「俺はヤシロだ」

「ヤシロか……うん、覚えたで」


 レジーナがにっこりと微笑む。

 その顔は無邪気で、どことなく可愛らしかった。


 なんだよ。全然怪しくないじゃねぇか。

 むしろ、さばけた性格のいいヤツに感じる。


「あ、それで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

「あ~、ごめんなぁ。ウチ、今メガネ探してんねん。あれがあらへんと、な~んも見えへんねんかぁ」


 それで、あんなに接近してきたのか。……まぁ、近過ぎるだろとは思ったが。


「探すの手伝おうか?」

「え~、ホンマに~? いや~、助かるわぁ。気持ちだけとはいえ、そう言うてもらえると嬉しいなぁ」

「気持ちだけって……探すって」

「うんうん。おおきになぁ」


 レジーナは、感謝の言葉を述べるも、俺のことは一切相手にしていない風な感じで、ごそごそとカウンター付近を物色し始めた。

 ……当てにされてない……ってことか?


 いや、まぁいいんだけどな?

 どうしても手伝いたいってわけじゃないし。


 ごそごそと床に這いつくばってメガネを探すレジーナを眺めていると、店内中央に置かれたテーブルの上にメガネを発見した。

 こいつ、本当に見えてないんだな。


「レジーナ。テーブルの上にあるぞ」

「テーブル? あらへんよぉ。ウチ、今日はテーブル使うてへんもん」

「いや、あるって」

「ないない。見間違いや」


 メガネをどう見間違うってんだよ……


 俺の言うことを信用しないレジーナに業を煮やし、俺はテーブルの上のメガネを手に取る。

 そして、しゃがみ込むレジーナの顔に、そのメガネをかけてやった。


「ぅひゃあっ!? な、なにっ!?」


 突然視界がクリアになって驚いたのか、レジーナは奇妙な声を上げ、顔を上げた。

 そして、俺とバッチリ視線がぶつかる。


「な、あったろ?」


 俺が言うも、レジーナは反応を返してこない。

 ぽかんとした表情のまま、ジッと俺を見上げている。


 そして、「くわっ!」っと目を見開いたかと思うと、物凄い雄叫びを上げやがった。



「のゎぁぁぁああああああああああああっ!?」



 マンドラゴラでも抜いたのかと思ったわ。

 奇声を上げた直後、レジーナはカウンターの裏へと避難し、その陰に隠れてこちらを窺うように見つめている。


「ひ、ひひ、ひ、ひ、人……人がおる…………い、いい、いつの間に……」

「いつの間にって……さっき会話してたろうが」

「実在する人やとは思わへんかったんやもん!」

「はぁっ!?」


 いや、だって、お客さんとか言ってたろうが?


「ウ、ウチ……この街の人と、びみょ~に距離あるさかい……だ~れも訪ねて来ぅへんし、ずっとずっとずっとず~~~っと一人ぼっちやったさかいな…………いつしか、そこにおらへん人が見えるようになってもうたんやんかぁ……」

「怖ぇよっ!?」

「せやさかい、今回も、見えへん『お客さん』が来たんやとばっかり……」

「ぼっちを拗らせ過ぎだろう!?」


 こいつはいつも架空の客と会話をしていたのか!?

 ……それで、手伝うって言っても相手にしなかったのか…………架空の客は探し物なんか出来ないもんな……


「あ、あぁ……アカン、アカンわ……」

「お、おい。どうしたんだよ?」


 レジーナがカタカタと震え出し、カウターにすがりつくようにもたれかかる。

 今にも倒れそうな顔色の悪さだ。


「ウ、ウチ、ここ数週間……いや、数ヶ月かもしれへんけど……誰っっっっっとも会話してへんから、ようしゃべらんわ……」

「いや、むしろ滅茶苦茶しゃべってる方だから」


 レジーナはカウンターにしがみつきながら、ふらつく足でなんとか立ち上がる。

 メガネ越しに俺を見つめ、訝しげな表情を見せる。

 アゴを引き、不審者を見るような上目遣いでジィ~っと見つめられて…………正直不愉快だ。


「……ウチを、追い出しに来やはったんですか?」

「なんでそうなる!?」

「せやかて、それ以外にこの店に来る理由なんてあらへんし……」

「客だよ! 客!」

「冗談は顔だけにしときっ!」

「誰の顔が冗談だ!?」


 女将さんは「愛嬌があって可愛い」って言ってくれてたわ!


「お客? ウチの店に? ハンッ! 冗談にしても笑えへんわ……」


 レジーナの態度が急変する。

 表情が歪み、憎しみに似た感情がありありと見て取れる。

 まるで、背後にどす黒いオーラが立ち込めているようだ……


「自分……見たことない顔やけど……新入りか?」

「あぁ。最近この街にやって来た者だ」

「せやろな」

「つかお前、この区の人間の顔、ちゃんと認識出来てんのかよ?」

「…………ぜ~んぜん、分からへん…………だって、だ~れもウチとしゃべってくれへんねんもん……顔見る機会もあらへんねんもん…………」


 それでよく、カマかけられたな……


「せやけど、ウチの店に来るやなんて、新入りくらいしか考えられへんわ」

「なんでだ?」

「この街の人間はみんな……ウチのこと………………アレ、みたいやし」

「『嫌い』か?」

「はっきり言わんっとってんか!? ウチかて、まだ辛うじて認めてないんやさかい!」


 いや、そこは認めとけよ。

 涙ぐむなよ、こんなことで……自分で言い出したことだろうが。


「…………えぇねん。どうせウチは嫌われとんねん……ほんのちょっと他人と違うからって……そんなことで嫌ぅてからに……」


 こいつは、扱う薬が薬師ギルドとは違う。

 それ故に迫害……というより、嫌がらせを受けてきたのだろう。

 おそらくは「薬師ギルドの規定に従い、逆らうな」という圧力だ。


 それに反発したばかりに、わずかな権利と引き換えに自由と尊厳を奪われたのだ。

 居づらくなって出て行ってくれれば万々歳、といったところか。


「まぁ、確かに、他人と違うってのは忌避されがちだけどさ……でも、お前は」

「ウチ、メッチャ美人やもんなっ!」

「……………………あ?」


 こいつ、なに言ってんだ?


「分かるねん……街の人の気持ち……認めたくないやん? 自分より美人な女がおるやなんて。しかも、その美人が、超天才で、人を助ける素晴らしい能力を持ち合わせてる完璧超人やったら尚のこと、認められへんやん?」


 …………こいつ、ネガティブなのかポジティブなのか、マジで分かんねぇ。


「……男からも避けられてんだろうが」

「高嶺の花……ちゅうやつなんやろうな」

「…………『ギャー!』とか言われたことないか?」

「…………………………………………………………ある」


 やっぱりあるのか。

 モーマットの怯え方を見ていて、そうじゃないかなとは思っていたよ。


「……なんで知ってんの?」

「んなもん、見てりゃ分かる」

「なんや自分、いけずやな……」


 いけずってなんだよ。


「なんでウチ……こんなに嫌われてるんやろうなぁ…………」


 レジーナを包む暗黒のオーラがどんどん濃くなっていく

 空を覆っていた雨雲よりもどす黒く暗黒色に近い。靄のような負のオーラを幻視してしまいそうな勢いだ。


「ウチ……悪いこと、な~んにもしてへんのに…………」

「なんか、謎のオーラが出まくってるらしいぞ、お前」

「ウチ……そんなん出してへんもん……」


 いやいや。

 薬を買いに来てこのダウナーな空気を浴びせられたら、今後は避けようって思うぞ、普通。


「ウチな……たまに考えんねん…………街の人がウチのことを妬ましく思って、ウチの家に乗り込んできたらどないしようって……そんでな、ウチのことを捕まえようとして、ムッキムキの男が五人くらいでこの家を滅茶苦茶にしよんねん……」


 なんか、妄想を語り出したぞ……

 どうすりゃいいんだ? とりあえず聞いてればいいのか?


「『おい、おったか?』『あかん、もぬけの空や!』『ちゃんと探せ、このマヌケ!』『もぬけの空、だけに!?』『やかましぃわ!』……言うて、ウチを追い詰めてくんねん……」


 楽しそうだな、その侵入者たち。


「ほんで、床下の隠し部屋に隠れてたウチは、ついに見つかってしまうねん。男たちは獣のような目をギラつかせて、ウチを捕まえるんや。『うっひょー! こら、噂以上のベッピンさんやなぁ!』『こんな美人、見たことないわぁ!』『任務やなかったら茶ぁでもしばきに行くんやけどなぁ』……言いながら、ウチは連行されていくねん」


 だから、楽しそうだよな、その侵入者たち。

 あと、ちょいちょい挟み込まれるポジティブさが、アサリの砂くらい気になる。


「ほんで、連れ去られたウチは、魔獣の徘徊する街の外へと放り出されて、闇へと葬り去られるねん………………そんなことが起こったらどないしよう!?」

「ねぇよ!」


 長い割に内容のない妄想に付き合わされて若干イライラしていた。


「……ウチ結構いっぱいしゃべったのに……そんな一言でバッサリやなんて…………あんまりや」


 確かに長い話だったが、内容量的には「ねぇよ」で十分返答に足りていると思うがな。


「そもそも、街の人がお前を避けているのは、お前の作る薬に馴染みがないからだよ。弱っている時によく分からない薬は使いにくいだろう?」

「絶対安心やって、何度も説明したもん……」

「それが伝わってないんだよ」

「『嘘や思うんやったら、精霊はんのなんちゃらいうヤツかけてみぃ!』って言うても、なんでか誰もかけて来ぅへんし……」


 あぁ……なるほどね。

 その態度が「こいつ、何か裏があるんじゃないか!?」って変な勘繰りを与えていたわけか。

『精霊の審判』をかけてもカエルにならない。つまり、『精霊の審判』が無効化される。……と。


「なんで信じてくれへんのやっ!?」


 心底悔しそうに、レジーナは髪を掻き毟る。

 怪しげな格好、怪しげなしゃべり方、そして、おそらく円滑なコミュニケーションが取れないのであろう拗らせたコミュ症。

 さらに言うならば……


 俺は店内をぐるりと見渡す。

 そこには、俺には馴染みのある材料が数々並べられていた。


 ヤモリの黒焼きや、イモリの瓶詰、タツノオトシゴや、サメのヒレなどだ。


 これらの材料がこの街の住民的には「あり得ない」ものなのだろう。

 ヤモリとか、体にいいって言われても「嘘吐け!」って思っちゃうだろうしな。


「ウチの薬が出鱈目やっちゅうんやったら、自分でもえぇわ! 『精霊はんのなんちゃら』でウチのこと試してんか!? それで、ウチがカエルにならへんかったら、ウチは嘘吐いてへんっちゅうことやんな!? そうなんやろ!? ほなら、早よかけてんか! 『精霊はんのなんちゃら』!」

「近い近い! 近いっつうの! ちょっと怖いから!」


 そうやって自信満々でグイグイ来るから、みんなが怖がっちまうんだろうが。

 しゃべりながらずんずん俺に接近し、揚句には額と額が触れそうな距離にまで近付いてきたレジーナ。……ヤモリを飲めって言われた後にこれやられたら、知らない人は逃げるわな、絶対……


 真実をありのままに伝えることが、逆に相手に猜疑心を与えることもある。

 こういう時は、ほんのちょっと嘘を入れてやると相手もすんなり信じるものなんだがな。

 例えば、「ヤモリはこの薬草と一緒に混ぜることで安全に服用出来る」とか言われた方が、「大丈夫! 全然問題ないから! マジで、なんっの心配もいらないから!」と言われるより信用出来るのだ。仮に、ヤモリ単体でも何一つ害がないとしてもだ。

「害がないという事実」よりも、「害がないと信用させること」の方が重要なのだ。


 ざっと見る限り、店内に怪しいものはない。

 日本でも見かける漢方や生薬の材料になる植物なんかがほとんどだ。

 おそらく、レジーナの薬に害がないのは事実だろう。

 ただ、こいつの必死さが、まんまと裏目に出ていたというわけだ。


 鼻息荒く急接近してきたかと思うと、今度は遠くに離れて床の上で三角座りをしている。


「……どうせ、信じてくれへんのやろ? ……ウチの薬なんか……ふん…………」


 正直面倒くさい。

『精霊の審判』の無効化も、結局はモーマットたちの思い込みだったわけで……

 俺にとって有用な情報はまったくなかったというわけだ。


 本当は今すぐにでも帰りたいのだが……

 ジネットがベルティーナを心配するあまり沈んだ顔をして、エステラがらしくもなく寂しそうな顔をしているのは好ましくない。見ていて、気が滅入るからな。


 なので、店の隅で蹲っているネガティブ薬剤師から薬をもらわなければいけないのだ。


「レジーナ」


 名を呼び、レジーナのそばへと歩み寄っていく。

 そして、しゃがみ込み、レジーナと目線を合わせる。


 信じてもらえないことで、ここまで拗らせてしまったのなら、信じてやればいい。

 信じていると伝えてやればいいのだ。

 なにせ俺は、レジーナが作る薬に効果があることを知っている。知識として、だがな。

 なので、俺ははっきりと断言してやる。


「俺はお前の薬を信じるぞ」 

「嘘や!」

「いや、信じろよ!?」


 なんで、信じると言った俺が疑われているのか、まるで理解が出来ない。


「どうせ、ウチの調合した薬を見た途端、『やっぱ無理!』とか言い出すんやろ? 分かったぁんねん! そうやって近付いてきて、心許した途端に裏切るつもりなんやろう!? 冷たくするなら、最初から優しくなんかせんといて!」


 ………………うわぁ……ウザァ……

 こいつはちょっと、拗らせ過ぎているようだな。

 まぁ、そんだけのことをされてきたってことなのかもしれないが。


 騙されたくないから人を遠ざける。

 それは一見、最も効果的な詐欺の予防策に見える。


 しかし、『騙されたくない』と思っているヤツほど騙されやすいのだ。


 特にこいつは、妄想が生み出した架空の『お客様』と会話までしている。

 それだけ人に飢えているという証拠だ。


 誰かのそばにいたい。けれど、拒絶されたり裏切られたりするのは怖い。だったら、最初から一人でいい。


 今のレジーナはそんな典型的な思考にとらわれてしまっているのだ。

 まぁ、だからこそ、打開策も典型的なもので行けるだろうけどな。


「んじゃ、レジーナ。こうしようじゃないか」


 俺は人差し指を立てて、こんな提案をした。


「今、俺の目の前で何か薬を調合してくれ」

「……今? ここで?」

「そうだ。出来ないか?」

「いや、別にかまへんけど……なんで?」

「お前の調合する薬が得体の知れないヤバイものではないと証明するためだ」


 そして俺は、レジーナの目を真っ直ぐ見据えてきっぱりと断言する。


「約束する。俺は、今ここでお前が調合した薬を必ず手にとって試してやる」

「そんなん言うたかて……」

「嘘だった場合は、俺に『精霊の審判』をかけろ」


 俺のその言葉に、レジーナはようやく押し黙る。

 これまで自分が散々相手に対して突きつけてきたセリフだ。それを言われてしまえばもはや反論出来るはずもない。反論すれば、そのセリフをもって信じてほしいと訴えてきた自分自身を否定することになりかねないからな。


「………………分かったわ。準備するさかいちょっと待っとって」


 そう言うと、レジーナは立ち上がりカウンターへと戻っていった。


 作業に取りかかるレジーナの姿を見つめながら俺は黙考する。


 誰だって、得体の知れないものは怖いものだ。

 全身真っ黒で、聞き慣れない言葉を発し、発想の振り幅が極端に広く、おまけに扱う材料が正体不明とくれば、人々が遠ざかってしまうのも仕方ないと言える。

 だが、俺はそんなことに惑わされたりしない。

 黒い服も聞き慣れない言葉も、怪しさを増長させてはいるが、ただそれだけのことと言ってしまえばそれまでだ。単に「馴染みがない」だけで、それ自体が悪というわけでもない。

 ただの黒い服にただの方言だ。

 発想の振り幅に関しては……まぁ、若干疲れるだけで薬とは関係ない。

 そして、使われる材料。

 ヤモリや見たこともない薬草……これらが薬になることを、俺は知っている。


 知ってさえいれば、なんてことはない。だから、疑う要素がない。

 レジーナが作る薬はなんら問題ないまっとうなものだと判断出来る。

 それを証明し周知すれば、そのうち他のヤツもここを頼るようになるだろう。


「………………って、それは、なんだ?」

「なにって、薬の材料や」


 しれっと言うレジーナが取り出したのは、バスケットボールくらいの大きさの柑橘系の果物だった……ただし、表面に一切可愛げのないオッサン的な顔が張りついている。……マンドラゴラ? いや、しかし、どう見ても柑橘系だ。


「…………なんだこれ?」

「なにって、薬の材料や」


 えぇい、くそ。

 こいつ、とことん俺を試す気か!?

 わざと普通じゃ目にしないような怪しさ満点の材料を選んでるだろう!?


 マンドラオレンジ(命名、俺)に続いて出てきたのは、丸まると太ったトカゲのような魚のようなそれでいてちょっとだけヤギのような……見たこともない獣の黒焼きだった。……ヤモリ程度に留めといてくれよ……


「……ちなみに聞くが、これは……?」

「なにって、薬の材料や」


 もはや、壊れたテープレコーダーのように同じ言葉を繰り返すだけになったレジーナ。

 こいつの闇も相当深いな……


 最後にお目見えしたのは、ドロッドロの液体……いや、ゲルだ。半透明で薄いライムグリーンのゲル。そいつは、RPG好きなら誰もが知っている生物、スライムに他ならなかった。

 ……体にいいのか、それ?


「……なぁ」

「なにって、薬の材料や」


 ……そういう性格だから住民に忌避されるんだよ。

 こいつの信用を取り戻すには、まずこいつの性格を矯正する必要があるかもしれんな。


 そんなことを思いつつ、レジーナの作業を眺める。

 手際はよく、手つきも非常にこなれている。

 迷いなく、それでいて繊細に、怪しげな物体はどんどん粉になっていく。

 ……スライムって火であぶると固体になるんだな。初めて知った。


 ガリゴリと薬研が凄まじい音を上げる。

 石で出来た薬研は、俺も見たことがある形状のものだった。

 細長い入れ物と、中心に取っ手のついた円盤状の石。こいつを転がして材料を粉末にするのだ。


 ザッザッ……という、薬研が粉を引く音だけが室内に響く。

 薬研を引くレジーナの顔は真剣そのものだった。薬には、真摯に向き合っているようだ。乱雑な室内とは対照的に、薬研等の道具は丁寧に手入れがなされているようだった。


「……よっしゃ」


 小さく呟いて、レジーナは手を止める。

 完成したのだろうか。

 出来上がった粉末を見つめるレジーナの顔には、生まれたての子猫を見つめる母猫のような慈愛に満ちた優しい表情が浮かんでいた。


 完成した粉末をシャーレのような形状の器に移すと、レジーナは机の下から三角フラスコを取り出す。


「仕上げにこれをかければ完成や」


 そう言って三角フラスコを傾ける。

 中から流れ出てきたのは、深緑色の、宇宙人の生き血みたいな液体だった。


 さっきまでただの粉末だった物が、宇宙人の生き血(俺の所感)と混ざり合った瞬間、「シュワシュワッ」という小気味よい音と共にモコモコと膨れ上がってきた。

 練れば練るほど色が変わるお菓子みたいだと、俺は頭の片隅で思っていた。

 そういえばあのお菓子のCMに出てくる『いかにも』な魔法使いの格好に、レジーナの服装は酷似している。どっちかがマネしてるんじゃないかと思えるような類似っぷりだ。


「完成や!」


 マジでかぁ……

 なんで膨らんだんだろう?

 そもそも、あの材料たち一個一個が謎過ぎる。

 つかそもそも、コレ、何に効く薬なんだ?


 言いたいことと聞きたいことが山ほどある。


「さぁ、飲んで! 大丈夫! 全っ然問題あらへんさかいに! 嘘や思うんやったら『精霊はんのなんちゃら』かけてくれてえぇさかいな! ウチ、絶対カエルにならへんし!」


 うわぁ……凄いグイグイ来る…………

 こりゃ怖ぇわ……そりゃみんな避けるって……


 こいつはきっと真実しか口にしていないのだろう。

 ……真実なんて、場合によっては嘘以上に胡散臭いもんなんだよなぁ…………


「どうや!? どうせ自分も飲まれへんのやろ!? なんやかんや言うたかて、ウチのこと信用出来へんのやろ!? せやったら今すぐ帰って、二度とここへは来んといてんか!」


 まぁ、普段ならこんなふざけたもん「飲めるか!」の一言で一蹴して、こんな胡散臭いところからはすぐさまおさらばするところなんだが……

 今は、そういうわけにはいかない。

 こいつを納得させなければ。


 事実よりも、信用……


 俺がレジーナを信用していると、有無を言わさず信じさせてやる。


「どうや? 口ではなんとでも言えるけど、いざとなったら…………え?」


 俺はおもむろに腕を伸ばし、もこもこと発泡した練れば練るほど色が変わりそうな薬に指を突っ込む。そして、割と滑らかなその薬をすくい取ると、ためらうことなく指を口に咥えた。


「…………あ」

「……ふむ」


 口から指を取り出し、少し舌で口内をまさぐる。


「……まぁ、なんつうか、薬だな。普通に」

「…………自分…………よう、口にしたな……なんの躊躇いもなく」

「お前を信じると言ったろう?」

「せやかて…………こんな………………ウチでも口にしたくないような気持ち悪いもんを……」


 って、おい!

 お前、自分でも嫌なもんを俺に勧めやがったのか!?

 なんてヤツだ。信じらんねぇ……


「毒が入ってるとは、思わんかったん?」

「お前は絶対毒を入れたりしないよ」


 真剣な目で問いかけてくるレジーナ。その表情は、ちょっと油断したら今にも泣き出しそうな、そんなもろい表情に見えた。

 だからあえて軽い口調で答えてやった。


「自分の調合する薬にそんな真似、出来るわけがない。だろ?」


 薬を調合する姿には、バカがつくほどの真摯さが窺えた。そんなヤツが、薬に毒を盛るとは到底思えない。

 何より、こいつが俺を毒殺するメリットがない。

 むしろデメリットばかりだ。

「やっぱりあいつは危険な薬剤師なんだ」という噂が広まれば、もうこの街では生きていけない。

 ぼっちを拗らせながらも、この街に留まっているってことは、こいつはこの街を出るつもりはないということだ。

 なら、周りから不興を買うような行為をするはずがない。


 よって、こいつは俺に毒を盛らない。

 そう踏んだのだ。


「……自分、変わってるなぁ」

「お前に言われたくねぇよ」


 俺の反論に、少し泣きそうな驚き顔を見せていたレジーナは、その表情を綻ばせ……柔らかい笑みを浮かべた。


「おおきにな。ウチのこと、信じてくれて」


 その微笑みは、ここに来て最初に見た笑顔と同じで……つまり、レジーナが心を許していた『見えないお客さん』にだけ見せる無防備な笑顔で……俺はその領域にまで踏み込むことが出来たってわけだ。


「お前」と呼ぶなと言っていたレジーナだが、もはや気にはしていない様子だ。

 俺も、「自分」と呼ばれることを許容してやろう。


「なんや、色々疑ってごめん。ウチに話があるんやったら、なんでも言うて。力になれることやったら協力するさかいに」


 刺のなくなったこいつは、本当にさばけた付き合いやすそうな女だ。

 直角に腰を曲げてする謝罪も、その後の無防備な笑顔も、俺は嫌いじゃない。


 ただ、それ故に……心が痛むなぁ。


「すまんが、紙はないか? 指を拭きたいんだが」

「あぁ、そうやな。舐めたんやからババチィよね」


『ババチィ』ってなんだよ。『バッチィ』よりもより汚いイメージだな。

 俺の唾液はそこまで汚かねぇよ。


 俺が拭きたいのはだな……


「はい。ほならこれ使ぅて」

「悪いな」


 差し出された紙を、『バレないように』左手で受け取る。

 そして、右手の指全部を包むようにして、レジーナには見えないように、さっさと証拠を隠滅してしまう。


 俺の中指に今もしっかりと付着している、『練れば練るほど色が変わりそうな薬』を。


 レジーナは上手く騙されてくれたようだが……

 あの時俺は、『中指』で薬を取り、『人差し指』を咥えたのだ。

 手を口元に運ぶまでの一瞬で伸ばした指をすり替え、中指についた薬を握った手の中に隠したのだ。


 ……レジーナが俺を毒殺するとは本当に思っていなかった。

 思っていなかったが……だからって、あのあからさまに怪し過ぎる薬を口に入れるのは絶対嫌だった! 死んでも嫌だったのだ!


 指すり替えのトリックのためにさっさと口に咥えたことで、レジーナは俺の『躊躇のない姿』に感激してくれたようだ。……騙されてるとも知らずに。

 でもな、世の中、騙されたままの方が幸せなことだってあるだろ?


 これをきっかけに、レジーナが四十二区の住人に受け入れられるようになるかもしれない。

 そうなれば、今俺が行った詐欺行為は、英雄的な英断と言われることだろう。


 なので、真相は藪の中だ。

 詐欺師も、たまには人の役に立つのだ。ふふん。


「あ、せや。言い忘れてたけど……」


 俺が無事、詐欺の証拠を隠滅し終えた頃、レジーナが手を打ち俺にこんなことを言ってきた。


「この薬、かなり強烈な精力増強剤やねん」

「……は?」

「せやから、今晩は女の子のそばには近寄らん方がえぇで。その子が、恋人でもない限りな」


 あ、…………あぶねぇっ!?

 こいつ、なんつーもん飲ませようとしてやがんだ!?

 よかった、舐めるフリだけにしておいて!


「いやぁ、見た目が一番強烈なヤツにしたろ~思ぅてなぁ。まさか口にする思わへんかったし」

「……お前なぁ」

「一口で分家が大量に出来てまうほどの強力さやで」

「それ、もはや劇薬だろ……」


 ホント……バカ正直に口にしてたらジネットが危ないところだった。……そして、そんなことになったら翌日俺の身がエステラによって抹消されることになっただろう。

 ん? マグダ? …………マグダはないわぁ。子供だし。


「な、なぁ!」


『if』の世界を想像して背筋を冷やしていると、レジーナが俺に背を向けた状態でなんだかもじもじし始めた。


「も、もし……自分に、そーゆー相手がおらへんのやったら…………しょ、しょうがないから……せ、責任……とったっても…………かまへん、で?」


 ………………責任?


「い、いや、ほら! ウ、ウチにも責任あるやんか? せやさかい、その…………」

「あ、いや。大丈夫。遠慮しとくよ」


 物凄い地雷臭しかしないからな。


「………………え、なんで? ウチ、メッチャ可愛いのに?」


「可愛いのに?」と言われても……

 可愛いヤツに片っ端からそんなことして回ってたら、俺は黒ひげ危機一髪もかくやというくらいのめった刺しに遭うことだろう。

 …………冗談じゃない。


「あれ、もしかして自分…………相手、おるん?」

「なんの話だ!?」

「恋人おるん!?」

「いねぇよ!」

「『精霊はんのなんちゃら』!」

「やめんか!」

「あかん!? なんで発動せぇへんの!? ……はっ!? まさか、無効化する能力が!?」

「ねぇわ!」


 無効化する能力があるかもと思ってたのは俺の方だよ!

 まんまと空振りだったけどな!


「………………あ、分かった。察したわ」

「……何を察したのか知らんが、断言してやる、絶対違うから」

「メンズが……」

「違ぇわ!」


 こいつはろくでもない女だな!?

 どんなもんでも拗らせるとろくなことにならないよな!


「………………ほなら、ソロプレイ頑張ってな?」

「大きなお世話だ、コノヤロウ」


 実は薬は舐めてないって事実をぶちまけてやろうか……こいつの感動とか信頼とか全部ぶち壊して。


「とりあえず、こっちの用件を話していいか?」

「うん。えぇよ。なんの薬が欲しいん?」

「腹痛の薬が欲しいんだが……」

「下剤!? やっぱり、綺麗にしとかなアカンのん!?」

「お前殴るぞ!?」


 長い期間ぼっちを拗らせ、一言話せば十倍くらい妄想を膨らませる厄介な病気を持つレジーナ相手に、俺が正確な事情を話し、薬を依頼出来たのは……それから二時間以上が経ってからだった。






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