28話 謎の薬剤師

 長く降り続いていた雨がようやく止んだ。空はまだ分厚い雲に覆われてはいるが、傘を差さずに歩けるのは久しぶりだ。

 ジネットは「今のうちにお洗濯しなければですね」と、空元気を見せている。


 そう、空元気なのだ。


「まぁ、腹痛なら、一日寝てれば治まるさ」

「……そう、ですよね」


 大量に残った食材を積んだ台車を引く俺の横で、ジネットは何度目かのため息を漏らした。

 昨日、ウチで暴飲暴食の限りを尽くし食べ過ぎでダウンしたベルティーナは、今朝も腹の具合が悪いと食事の場に姿を見せなかったのだ。

 子供たちの表情は暗いし、ジネットも沈んでいるし、持っていった食材は大量に余るし……まったく、周りにかける迷惑の大きさを自覚してほしいものだ。


「ボクも、まだ少しお腹が張ってるんだ。シスターは相当だろうね」


 少し前を歩くエステラが自分のお腹をさする。


 そりゃそうだろう。

 朝から、俺の焼いたパン、ナン、ピザ、お好み焼き、トルティーヤ、そして大量のポップコーンを次々と平らげたのだから。……炭水化物取り過ぎだろう。


「お前ら、全員太れ」

「レディに対して失敬だね、ヤシロ」

「キュッ・ボン・ボンになれ」

「そんなユニークな体型は御免だね!」


 エステラが牙を剥く隣で、ジネットがため息を漏らす。


「出来ることなら、おそばについて看病をして差し上げたいのですが……」


 ジネットの心配が深刻なレベルに来ている。

 しかし、ジネットがそばにいても出来ることなどない。食い過ぎた物を消化し、荒れた胃の粘膜が正常に戻るのをただ大人しく待つしかないのだ。

 つか、ジネットがいたら美味いお粥とかを作って大量に与えそうで、逆効果かもしれない。


「あの、マグダさん。今日なんですが、お店をお任せしても……」


 おいおい!

 マグダに無茶な要求すんじゃねぇよ! 無理に決まってんだろ!

 こいつは、お刺身で言うところのたんぽぽみたいなもんなんだ。一部のファンが愛でて楽しむ存在なんだよ。たんぽぽだけじゃお刺身は成り立たないだろう?


「……店長、それは無理」


 マグダもそれを分かっているのか、明確に拒否する。


「……雨が止んだら、狩場の確認に同行するよう狩猟ギルドに言われている」

「そうなんですか?」

「……そう」


 それは初耳だ。

 そういうのは前もって言っておいてほしかったな。


「それじゃあ、今日はお休みにすればいいんじゃないかな?」


 エステラ!

 お前は何を言ってるんだ!?

 ただでさえ客の少ない陽だまり亭を理由なく休業させるだと!?

 暇しか持ち合わせていない貧乏人が休んでどうする!?

 1Rbでも、稼げるなら稼ぐのが商売人というものだ!


「……お休みは…………したくありません。陽だまり亭にわざわざ来てくださった方をがっかりさせたくはありませんので」

「よく言った、ジネット! 金蔓を逃すまいとするその精神! あっぱれだ!」

「そ、そんなつもりでは!?」

「ジネットちゃん。ヤシロの言うことを真に受けちゃダメだよ」

「あ……冗談ですか。よかったぁ」

「いや……たぶん冗談ではないんだろうけどね……」


 エステラの疑うような眼差しが俺に向けられる。

 えぇ。本心ですが、何か?


 しかし、ジネットがこんな状態では商売に支障をきたしかねないな……しょうがねぇなぁ。


 重い台車を引きながら前方を見ると、タイミングよくお目当ての人物の姿を発見した。


「分かったよ、ジネット。ベルティーナのことは俺がなんとかしてやろう」

「本当ですか!?」


 まるで、俺がその気になれば一瞬でベルティーナの腹痛がよくなるに違いないと確信でもしていそうな顔で、ジネットが俺を見てくる。……過度の期待はやめてもらいたい。

 だがまぁ、要は腹痛だ。正しい処置をして、正しく療養してりゃ明日にはよくなる。

 で、その処置に関してもたった今当てが出来たところだ。


 俺は、先ほど見つけた人物――畑にしゃがみ込んで作業をするモーマットへと近付いていった。


「お~い、モーマット~!」

「ん? おぉ、ヤシロか。今日も教会への寄付か? 精が出るな」

「精を出しまくってんのはジネットで、俺は巻き込まれてるだけだよ」

「ほゎっ!? ひ、酷いです、ヤシロさん!」


 なんだジネット。俺が好き好んで教会への寄付を手伝っていると思ってたのか?

 人を見る目がねぇなぁ、お前は。

 俺は、少しでも無駄を削れるように監視しているお目付け役だぞ?


「それで、今日はなんだ? 悪いが、畑の手入れをしなきゃなんねぇからそんなに時間は取れねぇんだが」


 困り顔のモーマットだが、それも頷ける。

 連日の大雨で、畑はびちゃびちゃになり、一部は水没してしまっている。

 これでは根腐りを起こし植物が全滅してしまうだろう。

 すぐに処置をして、次の雨に備えたいに違いない。

 ならば、手短に用件を済ませよう。


「大根はないか?」

「大根?」


 そう、大根だ。

 大根にはジアスターゼという消化酵素が豊富に含まれているのだ。

 熱を加えると壊れてしまうので、生で齧るか、大根おろしにして食べるときちんと摂取出来る。

 腹が張ったら大根おろし。

 ドカ食いしてしまった翌日には、女将さんが大根おろしを出してくれたものだ。

 食物繊維も豊富で、便秘の解消にもいいしな。


 ベルティーナに大根おろしをいくらか食わせてやれば、次第に腹も落ち着くだろう。


 ――と、思ったのだが。


「すまねぇなぁ。畑にあった作物は全部ダメになっちまったんだ」

「…………は?」

「思ってたより雨が長くてな……ほとんどの野菜は早めに収穫したんだが、大根とキャベツはまだ収穫するには早過ぎたんだよ。それでギリギリまで粘ろうと思ったんだが……判断を誤っちまったなぁ……全部腐りやがった」


 なんですとー!?


 大打撃じゃねぇかよ。

 つーことは、え、なに、大根、手に入らないのか?

 くそぉ、期待していたのに……つか、これ以外にいい方法とか知らねぇのに。

 ……でも、待てよ…………


「…………多少腐ってても、ベルティーナなら消化しちまうんじゃないだろうか?」

「ダメですよっ!? ただでさえお腹を壊して寝込んでいるのに、腐っているものなんて絶対ダメですからね!」


 分かってるって。

 冗談だよ、冗談。…………ちっ。


「じゃあ、しょうがないな。ジネット、諦めろ。なに、寝てりゃ治るさ」

「……うぅ…………それしかないんでしょうか」

「ない。じゃあ、帰ろうか」


 ここに長居をすると、ジネットがモーマットを手伝うとか言い出しかねないしな。


「まぁ、待ちなよ、ヤシロ」


 さっさと帰ってしまおうと歩き出した俺を、エステラが呼び止める。

 んだよ……


「君はさっきこう言ったね? 『ベルティーナのことは俺がなんとかしてやろう』」


 …………げ。まさか、こいつ……


「頑張るたって、俺は医者じゃねぇんだぞ。大根がなかった時点で出来ることなんかなんもなくなったよ」

「だが、君は自分で言ったんだよ。『ベルティーナのことは俺がなんとかしてやろう』ってね」


 くそ、迂闊なことを口走ってしまったもんだ……最近緩みっぱなしだったせいかな。


「あの、エステラさん! ヤシロさんも可能な限りのことはしてくださったわけですし、これ以上のことは……」

「いや、まだ出来ることは残されているよ」


 エステラがニヤリとあくどい笑みを浮かべる。


「何をやらせるつもりだよ?」

「薬草を取ってきてもらうのさ」


 なんだ、そのRPGにありがちなクエストは?

 見返りにどこかの遺跡のカギでももらえるのか?


「どこにあるんだよ、その薬草ってのは……」


 街を出て魔獣の出る森の中を探し回れとか、ドラゴンの巣になっている岩山を登れとか、無茶なことは言わねぇだろうな?


「どこって、薬屋だけど?」

「…………ん?」

「薬屋が大通りの向こうにあるから、お腹に効く薬をもらってきてくれないか?」


 …………おつかい?


「なんだ、そんなことか。まぁ、それくらいなら……」


 ガンガランガラン!


 突然デカい金属音が聞こえて心臓がキュッとした。

 見ると、モーマットが足元に広げた農具に躓いて尻もちをついていた。

 ……何やってんだよ?

 だが、どうも様子がおかしい。


「く、薬屋って…………ま、まさか……レジーナ・エングリンドのことか?」


 レジーナ・エングリンド?


「そうだけど」

「や、やめとけ! ヤシロ、悪いことは言わねぇ! ヤツには近付くな!」

「お、おい……なんだよ。そんなにヤバいヤツなのか?」

「ヤバいなんてもんじゃない……ヤツは、悪魔の使いなんだよ」


 悪魔の使い、だと……?


「レジーナってのは、ヤシロみたいに外からやって来た女なんだが……とにかく怪しいヤツで、体に効きそうもないおかしなものを粉にして人に飲ませようとしてくるんだよ。気持ちの悪い魔獣の死骸とかをな……」


 なんだ、そりゃ……


「そんな危険なヤツなら追い出せばいいじゃねぇか」

「出来るわけねぇだろ!? ヤツは悪魔の使いなんだぞ!?」

「悪魔の使いって……魔法でも使うのかよ?」

「分からん……だが、おそらくそんなところだ」


 モーマットの額には粒のような汗がいくつも浮かんでいる。

 真っ青な顔をして語るモーマットの姿は、それだけで十分レジーナという女の異常性を物語っていた。


「なにせ……これも聞いた話なんだが……ヤツには『精霊の審判』が効かねぇんだよ」

「なんだとっ!?」


『精霊の審判』が、効かない……?


「それは、本当なのか!?」

「いや、だから、聞いた話だって!」

「どんな話を聞いたんだ!? 詳しく聞かせてくれ!」


 これは凄い情報だ。

 もし、『精霊の審判』を無効化する方法があるのだとすれば……詐欺し放題じゃねぇか!


 そのレジーナとかいう女、調べる必要がありそうだ。


「き、聞いた話だぞ? 聞いた話なんだが……」


 モーマットは念を押すように前置きをしてから、レジーナについて知っていることを話し始めた。


「高熱が下がらなくなったヤツが、仕方なくレジーナを頼ったらよ、明らかに危険なものを飲まされそうになったんだってよ。それで、そいつは言ったんだ、『そんなものが熱に効くはずがない! 嘘を吐くなら精霊神様に裁いてもらうぞ!』と――」


 モーマットの喉がごくりと鳴る。

 そして、背筋に悪寒でも走ったのだろう……体をぶるりと震わせた。


「――そうしたら、レジーナはこう言ったんだよ……『やってごらんなさい……私は絶対カエルにはならないから』……ってよ」


 はっきりと、『精霊の審判』が効かないと宣言しやがったのか……


「それ、マジなのか? ハッタリじゃなくて」

「そいつが言うにはよ、とても嘘を言っているようには見えなかったってさ。こう、雰囲気とか話し方とかを見てな」


 絶対的な自信に裏打ちされた言動、ってことか…………面白い。


「エステラ。その薬屋はどこにあるんだ?」

「行くのかい?」

「あぁ。当然だ――」


『精霊の審判』を無効化する方法に興味があるからな……とは言えないので――


「――ベルティーナが、心配だからな」

「優しいね、ヤシロは」


 エステラが目を細める。 

 確実に俺の発言を信じていない目だ。だが、それを責めるような素振りはない。

 ……こいつ、何を企んでやがる?

 俺をその薬剤師に会わせて、何かをしようってのか?


 まぁいい……

 今の俺に必要なのは情報だ。

 眉唾だろうが都市伝説だろうが、必要そうな情報はなんだって欲しいのだ。


 お前の思惑に乗ってやろうじゃねぇか。


「お、おい……ヤシロ。本当に行くのか?」


 モーマットが心配そうな顔で俺に尋ねてくる。

 ワニ顔に心配されるってのも、なんだか不思議な気分だ。日本なら、ワニがそばにいることの方が危険な状況だからな。


「薬なら、薬師ギルドに頼んでみたらどうだ? 少々値は張るが、その方が安心だぜ?」

「薬師ギルド?」

「オールブルームを股にかける、薬屋を束ねるギルドさ。多くの人がそこから薬を買っている」


 エステラが丁寧に説明をしてくれる。

 こういう言い方をする時は、こいつ、あんまり相手のこと好きじゃないんだよな。


「ただ、薬の価格があまりに高過ぎて一般人には手が出しにくいんだけどね」


 ほらな。

 そういえば、狩猟ギルドで薬箱を買い取る時、こいつは金貨を出していたな。

 やはり薬は高価なものなのか。


「で、そのレジーナってのは違うのか?」

「彼女は薬師ギルドのやり方が気に入らないと言って、別のギルドを作ったんだよ」

「それはありなのか? 競合するギルドが出来ないように教会が管理してるんじゃなかったっけ?」

「競合しなければいいのさ」

「でも、薬を売ってるんだろ?」

「その薬の製法がまるで違うから、問題視されなかったんだよ」


 薬の製法か。

 エステラの話をまとめると、薬師ギルドは、教会と薬師ギルドが共同で管理する薬草農園で栽培された安全な薬草の実を使用して、受け継がれてきた伝統のレシピで薬を作っているのだそうだ。

 一方のレジーナは、安全の確認されていない怪しい草で薬を作っているらしい。また、製法も独自のものらしい。

 教会との共同運営による絶対的な安心感と知名度、実績を持つ薬師ギルドと、ふらりと現れ正体不明の草や魔獣で怪しげな薬を作るレジーナ。それだけ取ってみても、二者が競合することはないだろうと判断され、教会は新たなギルドの設立を許可したらしい。

 むしろ、レジーナが薬師ギルドに入ってこないように隔離したと言ってもいいかもしれない。


「今、彼女のギルドは彼女一人だけだ。当然、四十二区以外には存在しない。地域密着型の薬屋だね」


 要するに、零細なんだろ?


「そして、四十二区唯一の薬屋とも言える」

「四十二区に薬師ギルドの支部はないのか?」

「四十二区の住民は貧しい者が多いからね……」

「薬が高価で、買うヤツが少ないってことか」

「そう。そして、商売にならないとなれば、商人はそこに居つかない」


 エステラの眉間にシワが寄る。

 そういうところも、エステラが薬師ギルドを嫌う理由なのかもしれない。

 こいつは、なんだかんだと四十二区が好きなんだよな。


 つまりだ、エステラの狙いはこうだ。


 レジーナの薬は安全で効果もあるのだということを、俺を使って実証しようというわけだ。

 もっとも、実験台になるのはベルティーナなのだが……

 モーマットの話を聞く限り、直接会うことすら危険な感じがする女でもある。


 使えれば使いたい。でも自分で試すのは怖い……そこで俺か。


 コノヤロウ……やってくれるな。

 だが、まぁ、いいだろう。

 俺自身がそのレジーナに興味を持っちまったからな。


「いいぜ。お前の策略にまんまと乗ってやるよ、エステラ」

「策略とは心外だね。情報提供をしたまでだよ」

「あ、あの、ヤシロさん……っ!」


 ジッと黙って話を聞いていたジネットが堪らずという感じで声を発する。

 不安げな表情で、言いにくい言葉を絞り出すように、ゆっくりと口を開く。


「その……大丈夫、なのでしょうか……?」

「任せとけ。俺がきちんと見極めて、怪しそうならベルティーナに飲ませたりはしねぇよ」

「い、いえ! そうではなくて…………ヤシロさんが……」

「え?」


 俯いてしまったジネットの表情は見えない。

 けれど、両手をギュッと握りしめていることから、どんな顔をしているのかは想像に難くない。


「……もし、ヤシロさんの身に、何かあったら…………わたしは……」


 ジネットもレジーナの噂くらいは耳にしたことがあるのだろう。

 悪い魔法使いかのような印象を持っているのかもしれない。


 だが、俺に言わせれば、嘘を指摘された途端カエルになっちまう『精霊の審判』こそが性質の悪い魔法なのだ。そんなもんがまかり通っている街で暮らしている以上、悪い魔法使いの一人や二人、相手にしたところでどうってこともない気がする。


「まぁ、十分気を付けるから、そう心配すんな」

「…………はい」


 何に気を付ければいいのかなど分かりもしないが、そう言って笑ってやる。気休め程度にはなるだろう。


「んじゃ、モーマット、邪魔して悪かったな」

「あ、あぁ……いや、構わねぇよ」


 情報をくれたモーマットに礼を述べ、俺は台車に手をかける。


「ヤシロ!」

「ん?」

「……気を付けろよ」

「あぁ」


 心配性のワニに、軽く手を振ってやる。

 お前がそんな顔をしていたらジネットに不安が伝染するだろうが。心配すんな。


 モーマットに別れを告げて、俺たちは陽だまり亭を目指して歩き出す。


「お前の思惑通りか?」


 歩きながら、隣に近付いてきたエステラに問う。

 だが、エステラはその問いには答えず、しばらく沈黙した後でこんなことを言い出した。


「ボクは、レジーナに会ったことがあるんだ」


 へぇ……そうなのか。


「印象はどうだった?」

「分からない。何もかも、ボクの常識を超える突飛な人だったよ」

「……面倒くさそうな相手だな」

「でも……悪い人じゃないと、…………思いたい」


 願望かよ。

 せめて「思う」って言ってほしかったぞ、そこは。


「あんな、吹っかけるような言い方しなくても、素直に頼めばよかったろうが」

「ボクのお願いを、君は素直に聞いてくれるのかい?」

「料金は発生するけどな」

「だと思ったよ。ならボクは今回、料金分儲けたわけだね」


 エステラが弱々しく微笑む。


「薬不足は、そんなに深刻なのか?」

「…………君は、人の心が読めるのかい?」


 一瞬驚いたような表情を見せるも、すぐにいつもの落ち着いた顔をして、エステラは遠くを見つめる。

 俺と歩調を合わせるように、前を向いて歩く。


「薬師ギルドは、貴族や大ギルドには格安で薬を提供し、権力の恩恵を受けている。一方で、一般市民に対しては法外な料金で薬を売りつけているんだ」

「商品の価格を決めるのはギルドの自由だもんな。必需品なら、多少価格を吊り上げても需要はあるだろう」

「多少なら、ボクも気にしないさ……それが、一般市民には到底手が出せない額でなければね」

「そんなに高いのか?」


 購買層に手の届かない価格になどすれば、商品は当然売れなくなる。

 価格の吊り上げには限度があるはずだ。

 しかし、エステラは渋い顔のまま、俺の思う常識を否定した。


「四十二区で、薬を買える者は一割もいないだろうね」

「商売が成り立たねぇじゃねぇか」

「成り立たせなくてもいいのさ。貴族がついているからね」


 安い料金で薬を売らなくても、必要に応じて貴族が買ってくれれば問題ない……ということか。

 教会とも繋がっているのなら、薬師ギルドが破産するようなことはないのだろうな。


「薬師ギルドはそれでもいいだろう……だが、そんな理由で薬が手に入らない人はどうすればいい?」


 薬が買えずに病に伏せる……時代劇ではよく見る光景だが……


「もし、君の目で見て、レジーナの薬が使えるのであれば、ボクは彼女の薬を四十二区に広めたい」

「もし使い物にならなかったら?」

「現状維持だね」


 なるほど。

 試してみる価値はあり、結果ダメでもデメリットはないのか。

 ……俺が面倒を被るってことを除けば。


「……すまないね。ボクには、自由に動けないわけがあるんだ」


 珍しく、エステラが物悲しそうな表情を見せる。

 こいつは、こんな顔もするんだな。


 自由に動けないわけ……それを詮索するつもりはない。

 割とどうでもいいことだ。

 動けないのなら動かなければいい。


「頼めるかな?」

「見返りはもらうぞ」

「……何が欲しい?」

「お前」

「ぅえっ!?」


 エステラが石化したようにその場に立ち止まり硬直する。


「……の、持っている情報――って、聞いてるのか?」

「ま、紛らわしいところで言葉を区切らないでくれるかなっ!?」


 ぬかるむ道をバッシャバッシャと踏みしめて、エステラが接近してくる。

 うわ、やめろ! 泥が飛ぶ!


「それで、なんの情報が欲しいって?」

「色々さ。ギルドのこととか、各種使用許可のこととか」

「そんなの、これまでだって提供してきただろう?」

「そこからもう一歩踏み込んで……領主の弱みとか」


 エステラの表情が消える。

 真顔になったこいつは、恐ろしい反面、少し美人に見える。


「……君、領主に何かを仕掛けるつもりかい?」

「まさか。平和主義者の俺が、進んで騒ぎを起こすわけないだろう?」

「じゃあ、なぜ領主の弱みなんかを?」

「交渉の材料ってとこだよ。今後、不利益を被った際の保険だ」

「領主を相手に不利益を被るようなことをする予定でも?」

「今のところはないが、この街は何が法律違反になるのかイマイチ分からん」


 まさか、パンを作って犯罪者になるとは思いもしなかった。


「もし、そんな感じで俺が追われる立場になった時は……」


 ここから先は真面目な声で、一切の冗談を含めずに言う。

 俺の人生に関わることだからな。

 真剣な顔で、真っ直ぐにエステラに告げる。


「お前には、俺のそばにいてほしい」

「…………」

「お前がいれば、大抵のことはなんとかなりそうな気がするんだ」

「…………ヤシロ」

「なんだ?」

「…………………………プロポーズに聞こえる」


 途端にエステラの顔が真っ赤に染まる。

 背中が徐々に曲がり、顔が下を向き、両腕で頭を覆い隠すように抱え込む。

 そして、右腕をピンと伸ばし、俺に「それ以上近付くな」という意思表示をしてみせる。


「君の言いたいことは概ね理解した。返事も色よいものを返せるだろう。だが、今、この状態で返事をするのは待ってほしい。その…………違うと分かっていても…………分かっているんだが…………ごめん、無理……」


 急に女の子らしい一面をこれでもかと見せつけてくるエステラ。

 なんというか……こっちもそんなつもりはさらさらなかったのだが…………鼓動が早ぇっ!


「お、おぉ、おぅ…………分かった」


 くっそ、恥ずい。

 今すぐに逃げ出したいくらいだが、台車が重くてそれも出来ない。

 ならば、エステラが気を利かせて遠くへ行ってくれればいいのだが、何を思ったのか、こいつはずっと俺の隣で歩調を合わせて歩いていやがる。……間が持たないだろうが。


 ジネットとマグダは、俺とエステラが会話を始めた時から、気を利かせたのか声が聞こえない程度の距離を取って歩いている。

 ……戻ってきてはくれないだろうか?


 結局、そこから陽だまり亭に戻るまでの間、俺たちは誰一人言葉を発することなく無言で歩き続けた。


 この道程がこんなに長いと思ったのは初めてだ……必要以上に疲れた。

 この後、正体不明の薬剤師に会いに行くのとか、マジ勘弁してほしいんだけどなぁ……



 陽だまり亭に戻ると、エステラは早々に帰っていき、マグダも狩猟ギルドへと向かった。

 余った食材を厨房へ運び、台車を中庭へと片付ける。

 その間せっせと開店準備をしていたジネットなのだが……やはりどこか表情が暗い。


「ジネット」

「は、はい……」


 本当に、心配性なヤツだな。

 二人きりの空間。

 ここは俺が励ましてやるしかないのだろう。

 まぁ、あれだ。こんな状態で接客業なんか出来ないからな。売り上げのためだ、平たく言えば。


「あんま心配すんなよ。悪いことは、そうそう現実にはならないもんだ」

「……そう、でしょうか?」

「悩んでいると、人はどんどん悪い方へイメージを膨らませてしまう。けど、そうやって思い描いた最悪の状況ってのは、そう訪れるもんじゃないんだよ。考えるだけ無駄だ」

「…………はい」


 一向に、ジネットの表情が晴れない。

 相当ネガティブな思考が働いているのだろう。


「じゃあな、ジネット。今思っている不安を言葉にしてみろ。俺が全部否定してやる」

「……否定?」

「あぁ。お前の不安は俺が全部請け負ってやる。お前の心配がなくなって、いつも通り仕事が出来るようにな」


 ベルティーナの腹痛は明日には治る。

 大方、「このまま治らなかったらどうしよう」とか、「わたしのせいかも」とか、そういうことで悩んでいるのだ。そんなことはないと、はっきり否定してやることで、こいつの心も少しは軽くなるだろう。

 誰かに断言してほしい時があるのだ。「絶対大丈夫だから心配すんな」と、言い切ってほしい時が。心が弱っている時なんかは特にな。即答してもらえれば尚更グッドだ。

 ならば、俺がその役を買ってやる。

 ……あくまで、売り上げのためにな。


「で、では……いいですか?」

「あぁ。思う存分ぶちまけろ」

「はい…………すぅ……」


 大きく息を吸い込んで、ジネットは思い切った様子で言葉を吐き出した。


「ヤシロさんがここを出て行ってしまわないか、とても不安です!」

「そんことあるわけないだろ。……………………ん?」

「本当ですか!?」

「え? あ、あぁ……」


 あれ?

 ベルティーナの話は?


「…………よかったぁ……」


 ジネットがホッと胸を撫で下ろす。

 肩がグッと下がり、脱力しているように見える。


 つか……え? なに?

 俺がいなくなる?

 なんでそんなことを思ったんだ?

 俺、夜逃げしそうな雰囲気でもあったのか?


「ヤシロさん」

「ん? あ、な、なんだ?」

「ありがとうございました。おかげで、心が軽くなりました。ヤシロさん、本当に凄いですっ!」


 ぺこりと頭を下げ、ジネットは満面の笑みを浮かべる。


「あ、あぁ…………まぁな」


 なんだろう……よく分からないけど、元気が出たようだ。

 だったら、結果オーライ…………かな?


「では、わたしは開店準備を進めますね。ヤシロさんは…………」


 言いかけて、一瞬表情が翳る。

 けれど、懸命に笑みを浮かべ、俺に言葉を向ける。


「気を付けて、行ってきてくださいね」

「あぁ……行ってくるよ」


 ジネットに見送られて、俺は陽だまり亭を後にする。

 大通りに向かって歩く間中、ジネットのことを考えていた。


 あいつは何に悩み、何をもってその悩みを解消したのか…………



『ヤシロさんがここを出て行ってしまわないか、とても不安です!』



 俺が陽だまり亭を出て行く…………?

 どこでそう思ったのだろうか……


「…………分からん」


 答えが出ないまま歩いていると、エステラに教えてもらった薬屋の前にたどり着いていた。

 なんの心構えも出来なかった。

 もう、なるようになれだ。


 薬屋は、大通りを越えた小さな路地裏にあり、外観はややボロイだけで特別おかしなところは見受けられない平屋の一戸建てだ。ドアの上部にブリキのプレートがぶら下がっている。そこに記されているのは三角フラスコのようなマークだった。


 モーマットの異様なまでの怯え方が脳裏を掠める。


 どんな変わり者が出てくるのか……

 心を落ち着けて、冷静に……初対面でのまれないように気を付ければ、交渉だって上手く運べるはずだ。


「よし……行くか」


 念のためにノックをし、少々建て付けの悪いドアを押し開く。

 ギィ……っと軋みを上げ、ドア上部に嵌め込まれたガラスがガタガタと音を鳴らし、ドアが開く。

 中からは薬のものと思われる独特な匂いが漂ってきた。


 薄暗く、壁一面に設えられた棚にはよく分からない商品がずらりと並べられていて、圧迫感もある。

 そんな一種異様な店内の奥で、何かが動いた。

 真っ黒なローブに、魔法使いのようなとんがり帽子を被った……美女だ。

 長い緑の髪を顔に垂らし、こちらをジッと見つめている。

 見た感じどこにもおかしい要素はないのだが……なんというか、纏っている雰囲気が只者ではない……そんな感じがする。


 店の奥のカウンターから姿を現したその美女――レジーナ・エングリンドは、ゆっくりと俺の方へと近付いてくる。

 瞬きもせずに、ジッと俺を見つめ、時に目を眇め、ゆっくり、ゆっくりと近付いてくる。


 そして、俺の目の前まで来て立ち止まると、今度は顔をグッと接近させてきた。

 鼻先が触れそうな距離にレジーナの顔が近付き、微かに花のような香りが鼻腔をくすぐる。

 ずっと室内にこもっているからなのか、肌は透き通るように白く、キメも細かい。綺麗な肌だ。

 瞳はどこも見ていないような不思議な印象を纏い、小ぶりな鼻が愛嬌を醸し出している。

 

 マグダとは違った意味で、作り物のような、現実離れした美しさを持った顔が、俺の顔を、今にも触れそうな距離から観察している。


「あ、あの……ち、近いんだけど……」

「えっ……?」


 俺の声を聞いて、レジーナは二歩ほど体を引いた。

 そして、何を納得したのかポンと手を打ち、そして俺を指さして大きな声で言った。


「な~んや、自分、お客さんかいなぁ!?」


 か…………




 関西弁っ!?




 不思議なオーラを纏った謎の薬剤師とのファーストコンタクトは、俺にある意味で凄まじい衝撃を与えるものだった。






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