25話 どうしようもないお人好し

 異世界版一杯のかけそば。

 そんなフレーズがピッタリくる、不幸を絵に描いたような陰鬱な一家。


 そんな客が、陽だまり亭にやって来た。


「あ、では、すぐに準備してまいりますので、少々お持ちください」


 ジネットが聖なる法衣を脱ぎ、カウンターの奥へと向かう。


「あ……」


 そんなジネットを見て、父親らしき男が声を漏らす。


「え?」


 思わず立ち止まったジネットに、父親は弱々しい笑みを向ける。


「いえ、息子が言っていたことが本当だったのだと、思いまして」

「息子さんが?」


 ジネットが息子に視線を向ける。と、息子は少し曇った表情を見せた。


「違うよ。僕が見たのは、もっと読みやすい文字だったもん。似てるけど、それじゃない」

「え、でも、『友人・家族を誘って是非お越しください』と書いてあるだろう?」

「でも、違うもん」


 どうやら、この息子はどこかでこの陽だまり亭の宣伝シャツを目にしたらしい。

 ……で、読みやすかったということは。


「エステラ」

「急用を思い出したので、ボクはこれで失礼するよ」


 傘で自分の胸元を隠し、出て行こうとするエステラの肩をむんずと掴む。

 子供の夢を壊すんじゃない。


「坊主。お前が見たのは、こっちだろ?」


 そう言って、エステラを坊主の前に押し出す。と、坊主は嬉しそうに目をキラキラと輝かせて大きく頷いた。


「うん! これだよ! 僕が街で見かけたのは! 凄く目立って、とっても読みやすかったよ」

「坊や……悪意がなくとも人を傷付けることがあるってことを、学ぼうね」


 エステラは、まだ年端もいかない少年に対し、大人げなく殺気を向ける。

 なんてヤツだ、まったく。


「お前の功績が認められたんじゃないか。胸を張れ! 張れるものなら」

「胸くらいいくらでも張れるよ、ただ、ここでは張らないけどね、絶対に!」


 エステラが微かに潤む瞳で俺を睨みつける。

 ぺったんこが役に立つこともあるのだと証明出来たというのに……何が不満なんだか。


「私も、初めて聞いた時は信じられなかったんですよ。そんな文字が書かれた服を着ている人がいただなんて」

「お父さん、僕のこと嘘吐きだと思ったんだよ!?」

「いや、そこまでは思ってないよ……ただ、この街で嘘を吐くというのは、とても危険なことですから。この子くらいの時には、そういう時期もありますし、今のうちにしっかりと教育をしてやらねばと思いまして……それで、こちらへお邪魔させてもらったんです」


 先ほどまでの陰鬱な空気が少しだけ払拭され、微かに明るさが垣間見える。

 自分の主張が正しかったのだと立証出来た息子が自信満々に胸を張っているせいだろう。


「変わった宣伝方法ですね。どなたが発案されたのですかな?」

「それは、こちらにいるヤシロさんです」


 別に宣伝のために考えたわけではないが、上手い具合に客を引っかけてくれたわけだ。

 つか、エステラのヤツ、律儀に宣伝しながら帰ったんだな。

 俺ならある程度行ったところでマントを羽織っちゃうけどな。


「素晴らしいアイデアだと思います。ユニークで、革新的で、そして効果的だ」

「ありがとうございます」

「……ウチも、それくらいのアイデアがあれば……あんなことには……」

「お父さん、やめてください。他人様の前で……」


 静かに、母親らしき女性が父親らしき男性を窘める。

 父親はそれに気付き、愛想笑いを浮かべ、小さな頭を掻いた。


「あ……あぁ、いや……これは…………どうも」


 ははは……と、乾いた笑いを漏らす。


「あの、何かお困りなんですか? もしよろしければわたしに……」

「ジネット」


 余計なことを口走りそうだったジネットを制止させる。

 速やかに退場願おうか。


「クズ野菜の炒め物、一人前だ。お客様をいつまでも待たせるな」

「あ、そうでしたね! すみません。すぐに作ってきます!」

「あ、お構いなく」


 父親らしき男が言うが、構わないわけにはいかないだろう。客なのだから。


「お父さんな、前に一度だけこのお店に来たことがあるんだが、ここの料理は美味しいぞぉ。みんな、期待しておくといい」

「ホント?」

「たのしみぃ」


 エステラの服を見たと言った少年と、それよりもさらに幼く見える少女は期待に瞳を輝かせる。

 だが、母親らしき女性だけはずっと俯いたままだ。


「ヤシロ、ちょっと……」


 エステラが俺を呼び、食堂の隅へと連れて行く。


「……どうしてジネットちゃんを追いやったんだい?」


 さすがに気付くか。


「いちいち他人の面倒事を引き込んでいてはキリがない。慈善活動に精を出している余裕なんてないんだよ、ウチにはな」

「話を聞くくらいいいじゃないか」

「聞けば必ず首を突っ込む。ジネットとは、そういうヤツなのをお前もよく知っているだろう」

「そして、そうなったジネットちゃんを放っておけないお人好しがいることも、ボクは知っているつもりだけどね」

「ほぉ、そんな奇特な人間がいるのか。是非紹介してほしいものだな。俺がとことんまで利用し尽くしてやるから」

「……まったく。君だって気になるだろう、あの家族の尋常じゃない負のオーラ。話を聞くだけでも聞いてあげなよ。何か力になれることがあるかもしれないじゃないか」

「あぁ、おそらく力になれることならいくらでもあるだろう」


 そんなもの、無理矢理探せば潮干狩りシーズンのあさり以上にぽろぽろ見つかるだろう。

 だがな、わざわざ探してなんになる?


「力になれることがあったとしても、力になってやる理由がない。俺たちは自分のことで手一杯なんだ。何度も言わせるな」


 食糧だって、もっと仕入れを安定させたい。

 集客力の弱さを改善する必要もある。

 値の張るパンの代替品だって考えたい。


 やらなければいけないことはいくらでもあるのだ。

 もっと言うなら、俺のやるべきことは食堂経営なんかじゃない。

 ここの経営を立て直すのは、あくまで俺の人生の足がかりにするためだ。地盤固めだ。目的地ではない。

 無駄な寄り道や道草を食っている場合ではないのだ。


「人との出会いで救われることもあるだろう」

「だとしたら、あいつらは運が悪かったんだな。俺ではなく、もっと親切でゆとりのある人物に出会っていれば、救いの手の一つや二つ差し伸べてもらえただろうに。運不運っていうのはままならないものだよな」

「……本気で言ってるのかい?」


 エステラの視線が冷たさを増す。

 こいつ、何を勘違いしてやがる……


「お前には俺が、困っている人を放っておけないお人好しにでも見えているのか? なら、医者にでも見てもらうんだな。目か脳がどうかしちまってるはずだ」

「そうかい…………分かったよ」


 久しく見なかった蔑むような視線を向けられる。

 出会ったばかりの頃は、よくこんな目で見られていたっけな。原点回帰か? 人生においては時として重要になることだよな。


「こんにちは、みなさん」


 鈴を鳴らしたような声がして、俺の背中を嫌な汗が伝い落ちていく。

 ……そうだ、この人がいたんだった。


「私は、四十二区の教会でシスターをしています、ベルティーナと申します」


 慈善事業の代名詞。慈悲の心を売り歩くほどに持ち合わせている正真正銘の聖女。

 シスターベルティーナが迷える子羊の前に立ち、女神のような美しい笑みを彼らに向けていた。


「まず、みなさんのお名前を伺ってもよろしいですか?」

「シスター様がどうしてこんなところに……あ、いえ。名前でしたね。私は、ヤップロック。妻のウエラーに、息子のトット、娘のシェリルです。さぁ、お前たち、シスター様にご挨拶だ」

「こんにちは、シスター様」

「こんちちわ」


 娘の方はまともにしゃべれないらしい。

 両親からして小さいからよく分からんが、息子は十歳、娘は五歳くらいか。

 ちなみに、父親のヤップロックだが、立っても140センチあるかないかくらいの身長だろう。マグダより少し小さい。


「それで、お悩みがあるようですが……もしよろしければ精霊神様に代わりこの私が……」

「そうだ! ナンを焼こう!」

「……その『なん』というものを、美味しくいただいても構いませんよ?」

「シスター!? 意志がいともたやすく引っ張られ過ぎですよっ!」


 エステラがベルティーナに突っ込んでいる。珍しい光景だ。


「ヤシロ!」


 意志がトコロテンばりにぐにゃんぐにゃんなシスターのもとから、エステラの意識が俺へと移ってくる。


「なんなんだい、君は!?」

「そう、ナンなんだよ、俺が焼こうとしているのは」

「そうじゃなくて! 他人が行おうとしている人助けまで妨害する権利は君にはないはずだよ!?」


 俺を食堂の隅まで連行して、一家に聞こえないよう、声量に配慮してエステラが叫ぶ。

 まったく、お門違いもいいとこだ。


「なら言わせてもらうが、シスターとしての職務なら教会でやってくれ! あの家族が精霊神様とやらを頼り、教会へ足を運ぶなら、どうぞ存分に手助けをしてやるがいい! または、エステラの家に押しかけて悩み相談に乗ってくれと頼み込めばいい。だがな……」


 俺は、俺に向けられる怒りを含んだ目を、さらに強い怒りをもって睨み返してやる。


「ここは、飯を食う場所だ。これ見よがしに厄介ごとに巻き込もうとする連中から、このスペースの平穏を守る権利くらいはあるはずだがな」


 お前は分からんのか?

 子供が比較的楽観的で、半面両親が死にそうなほど落ち込んでいるこの家庭の悩みが。

 どんなに静かにしろと言っても騒ぎ出すこのくらいの歳の子供が、何も言わず大人しく口をつぐんでいる理由が。

 ガキが大人しくしている時は、空気を読んでいる時だ。いや、読まざるを得ない時なんだ。

 つまり、この両親は子供に気を遣わせるほどに落ち込み、それを隠すことすら出来ないほどの悩みに直面しているってことなんだよ。

 両親が揃ってそこまで悩む事柄なんて、そう種類は多くない。

 子供の怪我や病気……でなければ…………金だ。


「お前に、あの一家を半永久的に養ってやれるだけの財力があり、且つ、それを惜しみなく分け与えてやれるというのなら好きにしろ。その場合、あの一家以外の、もっと別の可哀想な一家が大挙してお前のもとに押し寄せるかもしれんが、そいつらもついでに同情して養ってやれ」

「何も、ボクはそこまで……」


 お前がやろうとしているのはそういうことなんだよ。今目の前にあることに感情を動かされ、『可哀想だ』と同情し、手を差し伸べて『いいことをした』と自己満足に浸りたいだけなんだ。


「一つ言っておくぞ。思わせぶりな態度を取って見捨てられると、……人は絶望する」

「…………ボクは」

「やるならとことん付き合ってやれ。俺はとてもじゃないがそこまでの責任を負えない。だから首は突っ込まない。言いたいことは以上だ」


 冷たく言い放ち、俺はパン種の入ったカゴを持ち上げる。ナンを焼きに行くのだ。

 俺は俺のやるべきことをやる。

 金になるのであれば、人助けもやぶさかではないが……この一家からは金の匂いなど微塵もしない。

 助けるメリットが無い。


 悪いな。

 俺は神様じゃないんでな。

 俺にメリットがない以上、平気な顔をして見捨てさせてもらうぜ。


「お待たせしました~」


 ナンを焼きに外へ出ようとした時、ジネットが厨房から出てきた。

 お盆に載ったクズ野菜の炒め物は…………どう見ても量が多かった。


「……ジネット」

「ぅへ……っ!? な、なな、なにか、おかしなところでもありましたでございましょうか?」


 その噛み方がもうすでに自白したのと同義だ。

 くだらない情けをかけやがって。

 そういう行為が、他の客を不当に差別していることになると教えたはずなのだがな。


「すみません……でも、わたし…………」


 うな垂れて、今にも泣きそうな顔をする。

 なんで俺に謝るんだよ……ったく。


「お前のおっちょこちょいは今に始まったことじゃない……次からは分量を『間違えないように』気を付けろよ」

「っ!? ……はいっ!」


 ……ったく。調子が狂う。

 ジネットには、どうも強く言いにくい。きっとアレだ。あの目がいけないのだ。

 あまりに無防備で、こちらの敵意を無条件で削いでしまう。


「ヤシロさんって、やっぱジネットさんには甘いッスよね」

「……マグダにも優しい」


 すっかり存在感をなくしていたウーマロが余計なことを呟きやがる。

 あと、マグダ。張り合わなくていいから。


「さぁ、召し上がってください」


 ジネットがテーブルに皿を載せると、子供たちが身を乗り出すように覗き込む。


「わぁ、綺麗だね!」

「きれー!」


 色とりどりの野菜が油を纏ってキラキラと輝いている。

 ジネットの料理は、見栄えも素晴らしいのだ。


「食べよう食べよう!」

「たべぅー!」


 はしゃぐ子供たち。

 気を利かせたのだろう、箸が四つ用意されていた。一人前なら一善でもいいのだろうが……まぁ、分けて食うのは明白だからな。それくらいはいいか。「洗う手間が~」とは、言わないでおいてやる。


「お父さん。早く食べよう!」


 せっつくトットに、ヤップロックは笑みを向け、そっと頭を撫でる。


「お前たちは先におあがりなさい」

「どうして?」

「お母さんたちね。そんなにお腹空いてないのよ。だから、さぁ、二人でたくさんお食べ」

「……うん。分かった」


 子供が、空気を読む。

 食堂内の空気が、一気に重たくなった。


 ジネットが唇を噛みしめ、両腕で持ったお盆をギュッと抱きしめる。

 マグダはジッと一家を見つめ、エステラは顔を背けている。

 ウーマロは遠くの席に座り、一家を見ないようにしているし、ベルティーナは瞼を閉じ、祈りを捧げるように手を組んでいた。


 みな、一様に眉を寄せ、言葉を必死にのみ込んでいるようだった。


「シェリル。ほら、僕が食べさせてあげるね」

「うん! おにいたん、すきー!」


 トットは、器用に箸で赤ピーマンを掴み、シェリルの口へと運ぶ。

 シェリルが小さな口にピーマンを頬張り、もぐもぐと咀嚼する。


「おいしぃ~!」


 この場所で、唯一無邪気でいられるのがシェリルだ。

 だからこそ、トットもシェリルに食べさせたのだろう。この重苦しい空気を払拭しようと思って。


「お父さんたちも食べなよ。美味しいって」

「あ……いや……大丈夫だから、二人でお食べ」

「お母さんたちね、お腹いっぱいだから」

「…………うん」


 そんな会話が…………もう、ダメだった。


「おい」


 気付けば、俺は一家に向かって声を発していた。

 その声を俺は、突き刺すようなとても荒々しい声だなと……けれどどこか憂いを含んでいる声だなと……まるで他人事のように感じていた。


 一同の視線が俺に向けられる。


「今、腹いっぱいってことは、ここに来る前にたらふく食ってきたってことか?」


 ジネットたちは、突然のことに何事かと言わんばかりの表情を見せる。

 そんな中で、今しがたの驚きよりも、現在進行形で引き摺り続けている絶望感を色濃く見せているヤップロックとウエラー。その二人に、俺は端的に問いかけた。

 瞬間、二人の視線が宙を泳ぐ。


「そ、それは……」

「食べてきたってことだよな? 腹いっぱいならよ」

「え……あ、はい、まぁ…………」

「へぇ、そうか……」


 俺は真っ直ぐに腕を伸ばし、ヤップロックとウエラーに人差し指を向ける。


「『精霊の……』」

「ヤシロさんっ!?」


 ジネットが慌てて俺の前に体を割り込ませ、それと同時にエステラが伸ばした俺の腕を乱暴に掴みひねり上げる。


「君っ! 今、何をしようとしたんだい!?」

「ヤシロさん、それはあまりにも酷いですっ!」


 酷い?

 誰がだ?

 俺か?

 …………違うだろう。


 日頃から鍛錬でもしているのか、俺の関節を決めるエステラの動きに無駄はなく、力も強かった。

 だが……男には、負けられねぇ時に負けねぇための意地がある。

 ひねり上げられた腕を振り払う。

 そして、自由になった腕でしょぼくれた顔をさらすヤップロックの襟首を締め上げる。


「ふざけんなよ、大馬鹿野郎!」


 どうしてそんな言葉を言ったのか、俺にはよく分からなかった。

 ただ、言わずにはいられなかったのだ。


 今、俺を突き動かしているのは脳みそではない。

 腹の底から突き上げてくる、激しい怒りだ。





『なんの心配もいらないよ』





 不意によみがえった懐かしい声が、俺のタガをぶっ壊しやがった。


「何が『大丈夫』だ!? どう大丈夫なのか言ってみやがれ!」

「ヤシロさん! 乱暴はダメですよ!」

「下がってろジネット! こういうバカは、きちんと言ってやらなきゃ分からないんだ! 分かってないことにすら気付きゃしねぇんだよ!」


 睨みつけると、ジネットが肩を震わせ、俺から少し遠ざかる。

 本能が恐怖したのだろう。脳内で『こいつは危険だ』と、警告が発動されたのだろう。


 俺は再び視線をヤップロックへと向ける。

 怯えた目が俺を見つめ、だが、何も言い返そうとはしなかった。


「今日初めて会って、ほんの十数分見ただけではっきり分かったんだが……お前、バカだろう?」


 俺の作った宣伝シャツを手放しで褒めた後、こいつは「ウチも、それくらいのアイデアがあれば」と呟いた。そして、「あんなことには」とも。

 アイディアは他人から授かるものではない。

 こいつはとことんまで他力本願なのだ。「あんなことには」だと? その「あんなこと」がどんなことかは知らん。何かしらとんでもない壁にぶち当たったのだろう。

 そんな時に、「それくらいのアイデアがあれば」なんて、タラレバを抜かしてるのが他力本願である証拠だ。

 壁にぶち当たった時にするべきことは、妄想でも現実逃避でもない。壁を超えるか、ぶち壊すか、諦めて別のルートを探すかだ。


 なのにこいつはとどまりやがった。

 高い壁を見上げ、「自分に羽が生えていれば」とありもしない想像に逃げやがったのだ。


 その結果が、このザマだ。


「おい、オッサン。お前は最初から最後まで、徹頭徹尾間違ってるぞ」


 家族四人で、一番安いクズ野菜の炒め物を一人前しか頼めないような状況で、なぜそんな選択肢を選ぶ?


「金が無くて、飯が食えないんだよな?」

「い、いや…………」

「バレてるぞ。息子にも、しっかりとな」

「………………」


 バレていることに気が付いていて、それを気付かないフリで笑って誤魔化していたのだろう。

 誰のためにだ?

 息子のためにか? 心配かけたくないから? は? バレてるのに、なに言ってんだ?


 違うよな。

 自分のためだよな。


 惨めな自分が、これ以上惨めにならずに済むように、自分を責めて、他人から責められないように防衛線を張っているんだよな?


「テメェは父親だろうが! 金がないなら、テメェが働くしかねぇだろう! 飯が一人前しか買えないってんなら、嫁と子供の分までぶんどって、まずはテメェの腹を満たせ! そして、死ぬ気で働いて四人分の食費を稼いでみせやがれ! 今我慢させた分、しっかりと贅沢させてやるのが父親のやるべきことだろうが! 違うか!?」


 テメェが飢えて、テメェが犠牲になってどうする。

 それでテメェの寿命を縮めて、さっさとくたばって……残された子供が幸せになるとでも思ってるのか?

 テメェが死ねば、神様が同情して子供たちに慈悲を与えるとでも?


 残念だったな。

 神は自分から進んで人助けなどしない。

 立ち上がることを知らない弱い者は、立ち上がる方法を教わらないまま野垂れ死ぬだけだ。


「テメェがやろうとしてんのは、自分の責任を子供に押しつけて、圧しかかる重みから逃げ出す行為だ。死んで救われるのは死んだ本人だけで、死者が負うはずだった重責は残された者にそのまま圧しかかるってこと、お前、理解してねぇだろ?」

「…………私は………………」


 ヤップロックの口がわなわなと震える。

 小さな口から漏れ出る息は、今にも消えそうなくらい弱々しかった。


「もう死ぬしか道がないと思ってんなら、真っ先に子供たちを殺してやれ」

「そんなこと……っ!」

「出来ないよな。最愛の子供の未来を奪うなんてこと、出来っこねぇよな。……だがな、テメェがこのまま野垂れ死んだら……断言してやる、この子たちの未来は一生暗いままだぞ」

「…………そんな」


 ヤップロックの視線が子供たちへと向けられる。

 テーブルの向こうでウエラーは声を殺して泣いていた。


 親が責められている光景を目の当たりにして、子供たちは泣くかと思ったのだが……意外にも、二人とも静かに座っていた。……そんだけ、こいつらの日常が壊れていたってことなんだろうな。

 子供はいろんなものをよく見ている。

 もうダメだってことを、きっと感じ取っていたのだろう。



 …………やるせねぇ。



 強く締めていた襟を解放すると、ヤップロックはよろけるように椅子へへたり込んだ。

 力なくうな垂れ、放心している。


 絶望の淵に立たされた時、自分の足で立ち上がれる者はそう多くない。

 だが、そんな時に、ちょっとしたきっかけをくれる誰かがいれば、意外と人は踏ん張れたりするのもまた事実だ。

 目的地を告げられず、延々とマラソンをさせられるのはつらい。

 だが、42.195キロだろうが100キロだろうがなんだっていい、明確なゴールを示されれば完走することだって不可能ではないのだ。それがあり得ないくらい長い距離だとしてもな。

 目的地が見えているだけで、進むべき方向が示されているだけで、人は、信じられないくらいに強くなれる。


 だからもし、今この場にどうしようもないお人好しがいて、そのきっかけを与えてくれたりしたとすれば……それはこの一家がとても幸運だったということだろう。

 運不運ってのは、ままならないものだよな、まったく。


「ジネット。トマトとチーズを用意してくれ」

「……え?」

「あと、玉ねぎとニンニク……バジルがあれば最高なんだが」

「えっと……はい、それならあると思います」

「コショウは?」

「……香辛料は…………値段が」

「そうか。じゃあまぁ、とりあえず、あるものは使わせてもらうぞ」

「はい。でも、ヤシロさん、一体何を?」

「ん? ナンとピザを作るんだよ。さっきからそう言ってるだろう?」

「え………………あの、ヤップロックさんたちのことは……?」

「は? 知るかよ。俺には関係ねぇもん」

「ですが……」

「俺は俺のやるべきことをやるんだよ。ただまぁ……表に出ちゃマズいものを結構大量に作ることになるからなぁ…………余ったヤツを処分してくれるヤツがいると、助かるんだけどなぁ……」

「……ヤシロさん……っ!」


 なんだよ。

 そんな嬉しそうな顔すんなっつうの。

 俺は元々ナンとピザを作るつもりだったんだよ。

 出来た料理をどうするかまでは、考えてなかったけどな。


「ま、腹減ってんなら食ってけば?」

「…………あの、いいんですか?」

「無理にとは言わん。ウーマロ、お前はどうする?」

「いただくッス!」


 即決。

 この図々しさこそが、人生を成功に導く秘訣なのかもしれない。


「マグダは?」

「……食べる」

「エステラ?」

「……君って、本当に不思議な人だよね」

「え? 『そんな胸を大きくする作用もないものは食べたくない』?」

「誰も言ってないよ、そんなことは! 食べるよ! 食べるに決まってるだろう!?」


 余計なことを言うからそういう目に遭うのだ。

 お前もいい加減学習しろ。


「ベルティーナさん」

「取り分が減ったのは誠に遺憾です」

「……あんただけですよ、不服そうなの」


 このシスター、本当にこのままでいいのだろうか…………


「じゃあ、もうしばらく待ってろ。結構時間かかるからな」


 言って、俺は厨房に入る。

 まずはナンを焼きつつトマトソースを作る。

 カレーはまだ、こっちの世界でお目にかかっていない。なので、ナンもトマトソースで食うことにする。


 ニンニクと玉ねぎをオリーブオイルで炒め、香りがついたら角切りにしたトマトを入れてひと煮立ちさせる。塩コショウで味を調えたいところなのだが……コショウ、か。


「特別だぞ、まったく」


 因縁の香辛料を一つまみだけ使ってやる。

 この一つまみで数万円の価値があるってのに……かぁ、泣けてくるね、自分の馬鹿さ加減に。



 なんでムキになっちまったのかな…………



 トマトソースのいい香りに包まれて、そんなことを考えていた。

 ま、答えなんか出やしなかったけどな。





 そして、小一時間の時が過ぎ……


「これがナンとピザだ」


 陽だまり亭のテーブルにナンとピザが並べられた。

 どちらもトマトソースだが、ピザにはチーズとバジルが載っているので風味も随分変わるだろう。


「美味しそうです、ヤシロさん!」

「手掴みで、そのまま齧りついてくれ」

「いただきますッス!」

「では、ご相伴にあずからせていただきます」


 ウーマロとベルティーナが早速手を伸ばす。……遠慮を知らんヤツは火傷でもしろ。上前歯の裏っ側のでこぼこした付近をな。


「んっ! んっまいッスね、これっ!?」

「こちらの『ぴざ』というものは癖になりそうな味ですね」


 ナンもピザも口に合ったようで何よりだ。


「……美味しい」


 一口食べて、ジネットが大きな目をキラキラさせて俺を見つめてくる。


「凄く美味しいです、ヤシロさん! これ、陽だまり亭のメニューへ加えたいです!」

「いや~……それはベルティーナさんの判断を仰がないことには……」


 チラリと視線を向けると、もっちもっちと咀嚼中のベルティーナと目が合った。


「小麦を使用した生地を石窯で焼くものは、それ以外の材料や製法、形状に関わらず等しく『パン』と定義されます」


 ってことは、つまり。


「これはどちらも『パン』ですね。残念ながら、許可するわけにはいきません。本当に残念なのですがっ!」


 さらに二切れのピザを両手で掴み、もっちもっちもっちもっちと盛大にピザを咀嚼する。

 あぁ……今のうちに食っておこうってことなんだな。


「だ、そうだ」

「うぅ……残念です」


 だが、ヒントはもらった。

『小麦を使用した生地を石窯で焼くもの』が『パン』と定義されるのだ。

 ならば、これはどうだ!


 俺は、もう一品、作っておいた料理をテーブルに載せる。

 円形の平べったい形状で、原材料は小麦粉に卵、だし汁。具にはキャベツと薄切りの肉が入っている。甘辛いソースの再現に手間取ったが、なんとか近しい味になったと思う。

 そう、この料理の名前は『お好み焼き』!


 石窯で焼いていないこいつなら、『パン』と定義されることはないはずだ。


「こ、これはっ! 濃厚なソースが食材と絡み合いなんとも言えないハーモニーを奏で、その奥からふわっと香ってくる出汁の風味が飽きの来ない味を演出していますっ!」


 さっそく一切れぺろりと平らげたベルティーナが大袈裟なリアクションを見せる。

 お前はどこの美食家だ。


「ほ、本当です! 口に入れた瞬間、ソースの甘辛さとキャベツのしゃきしゃきした食感が、こう……口の中でわっしょいわっしょいしていますっ!」


 お前の感想はいつもそれだな、ジネットよ。

 口の中でわっしょいわっしょいするって、どんな状況なんだよ?


「どうだ、マグダ?」

「……ヤシロは、いい嫁になる」

「いや、なんねぇけどな」


 無表情で黙々と食べ続けていたマグダは、俺に向かって親指をグッと突き出す。


「うん……これなら確かにパンには該当しないだろうね」


 エステラは味よりもその作り方に興味を持っているようだ。


「本当に君は、抜け道を探すのが上手いよね」

「たまには褒めてくれよ。これでも頭使ってんだぞ」

「褒めてるさ。大したものだと思うよ」

「そりゃどうも」


「キャー、素敵! 惚れちゃう! ぶちゅーっ!」くらい言ってくれてもいいんだぜ?

 ま、絶対言わないだろうけどな。


「で、どうだ?」


 そして俺は、食堂の隅でピザを頬張るヤップロック一家に視線を向ける。


「美味しいよ、お兄ちゃん!」

「おいちぃー!」


 子供たちは気に入ったようだ。


「本当に……ありがとうございます。こんなに、美味しいものをいただいて……」

「密造パンだからな。証拠隠滅に協力してもらって感謝してるくらいだ」

「ははは……まさか私が、そんな大それたことに加担する日が来るとは……人生というのは分からないものですね」


 バカモノ。

 そんなもん、分かっちまったらつまんねぇだろうが。


「……感謝します」

「ん?」

「先ほどの言葉……とても痛かったです。ですが…………心に響きました」

「やめろ。そんなつもりで言ったんじゃねぇよ」


 ムカついたから怒鳴り散らしただけだ。


「それでも、あの言葉が私を……私たち家族を変えてくれたんです。絶望的な状況は変わりませんが……なんとか、家族で手を取り合って頑張ってみます」


 そして、ヤップロックはウエラーへと視線を向ける。


「私には、こんなに素晴らしい妻と、子供たちがいますから」

「あなた……」

「お前、手伝ってくれるね」

「はい。もちろんです」


 俺の目の前でイチャコラすんな。爆発させるぞ。


「それで、あの……」


 俺の背後からジネットが顔を覗かせる。


「どんなことでお悩みなんですか? よろしければ聞かせていただけませんか?」


 あぁ…………聞いちゃったよ。

 折角人が苦労して遠ざけてたってのに……


「実は……」


 ほら、語り出しちゃった。

 これでもう無関係ではなくなるんだからな。

 よくて他人事だ。辛うじて無視出来るレベルだ。

 これ以上は踏み込みたくないもんだな。


「私たちは、トウモロコシ農家をやっておりまして……」

「トウモロコシ、ですか?」

「……マグダ、トウモロコシ、好き」

「四十二区では珍しいんじゃないかな? あまり聞かないけれど」


 気付くと、マグダとエステラもそばに来ていた。

 ……つか、ベルティーナ。お前は来ないのかよ?

 迷える子羊の悩みを聞かなくていいのか? 物凄い勢いでお好み焼きを食べてる場合なのか?


「四十二区では、ウチだけかもしれませんね……買い手が一ヶ所しかありませんでしたから」

「買い手って、行商ギルドか?」

「あ、はい。それはもちろんなんですが、行商ギルドがウチのトウモロコシを売っていた先が四十二区にある養鶏場だけなんです」


 …………ん?


「ウチのトウモロコシは粒が硬く、人間はもちろん、動物もあまり好んで食べません。唯一定期的に購入してくれていたのが養鶏場だったんですが…………」


 ヤップロックが重い……とても重いため息を漏らす。


「数週間前に突然、『トウモロコシはもう必要ない』と通告されまして……」

「……ヤシロさん。あの……これって」


 やめろジネット。今、俺に話しかけるな。

 どういうわけか、今、物凄く心臓が痛いんだから。


「トウモロコシしかなかったウチの農園は、収入の当てを完全に失ってしまったんです。元々その日食べるものを辛うじて買えるという程度の慎ましい生活でしたので、蓄えなどあるわけもなく……これからどうやって生きていけばいいのか…………目の前が真っ暗になる思いでした」


 あぁ、目の前が真っ暗になることってあるよねぇ。例えば、今とか。


「けれど、もう一度頑張ってみます。もしかしたら、どこかにウチのトウモロコシを必要としてくれる場所があるかもしれない。それを、地道に探します」


 ヤップロックは、直角に腰を折り深々と頭を下げた。


「今日いただいた食事の味は一生忘れません。あなたのおかげで生きる希望を見出せました。ありがとうございました」


 ……ごめんね。

 お前らの生きる希望を奪い去ったのも、俺なんだよね。


「……ヤシロさん」

「……ヤシロ」


 ジネットとマグダが何かを訴えかけるような瞳でこちらを見つめてくる。

 視線を逸らすと、ジトッとした目で俺を見つめるエステラと目が合った。


「何か、彼らに言いたいことは?」


 ……あぁ。

 チェックメイトか。


 まったく、運不運はままならない。


 俺に付き纏っている不運は、いつか大きな運となって返ってくるのだろうか……


「い、いやぁ、奇遇だなぁ。実は今、ちょうどトウモロコシの安定的な仕入先を探していたところなんだよねぇ~、いや、マジで、奇遇奇遇」

「ほ、本当ですかっ!?」


 ヤップロックが物凄い勢いで飛びついてくる。


「ぜ、是非! 是非ともウチのトウモロコシを使ってください! いや、その前にまず見に来てください! ウチのトウモロコシが使いものになるかどうか! そうだ! 今からウチへいらっしゃいませんか!?」


 とんとん拍子で話が進んでいくこの恐怖……


 ジェットコースターって、「ちょっとタンマ」が出来ないから嫌いだったんだよなぁ。

 マジで、タンマしてくんないかなぁ……


「お代はいくらでも結構です! どうせ、一度誰からも必要ないと言われた食物です。このままではゴミになってしまうんです。格安でも破格でもお譲りしますよ!」


 はは……まさにゴミ回収ギルドに相応しい案件だ。


「それでは、みなさんで見に行きましょう!」


 とても乗り気なジネットとマグダ。

 エステラも満足そうに微笑んでいる。

 俺だけが沈んだ気持ちでいるのだろう。


 トウモロコシ……トウモロコシねぇ……


「ジネット」


 ふいに、ベルティーナの声がして、俺たちは一斉に振り返る。

 そこには、頬をパンパンに膨らませたベルティーナがいた。


「私は店番をしておきましょう。みなさんで行ってくるといいですよ」

「あ、オイラも、また留守番してるッス!」


 ……お前らは食いたいだけだろうが。




 こうして、俺たちは大雨の中、また出かけることになってしまった。

 今度はトウモロコシ農家だそうだ。


 ゴミ回収ギルドにとってはこれが初めて……望まない食材を買い取るための出動となってしまった。


 水溜まりに足を突っ込み、水しぶきが飛ぶも、最早そんなものは気にならなくなっていた。足元はぬかるみ、踏み出す足に絡むようにまとわりついてくる。

 そんな光景を眺めながら、俺は歩を進める。

 泥に足を取られて身動きが取れなくならなきゃいいけどな、なんてことを考えながら……






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