21話 あえてする苦労も嫌いじゃない

 今日の四十二区は、あいにくの空模様だった。

 昨晩から大粒の雨が降り続き、アスファルトなどないこの世界の道はどこも泥水に浸っているような状態だった。

 四十二区が貧民層の街だからかもしれないが、水はけも悪い。

 トイレに行くのも一苦労なのだ。なにせ、外にあるからな。……溢れてきたりしないだろうな?


「いやぁ、ホントもうまいったッスよぉ」


 濡れた服を拭きながら、ウーマロは全然困った風には見えない顔でそんなことを言う。


「……風邪、引かないようにね」

「むはぁっ! もちろんッスよ! 風邪なんか引いて、マグダたんにウツすなんてこと、あっちゃいけないッスからね!」


 いや、風邪を引いたら店に来るなよ。周りに迷惑だ。


 雨音が激しさを増す早朝。

 陽だまり亭にはトルベック工務店の三バカが朝食を食いに訪れていた。

 こいつらに飯をご馳走するようになって今日で一週間。誰一人欠けることなく、毎日通ってきている。

 本来なら営業時間ではないのだが、四十区に拠点を構えるこいつらに朝飯を食わせようとすると、どうしてもこんな時間に店を開けなければいけなくなるのだ。

 四時だぞ、四時。

 こいつらを追い返した後、教会への寄付の下準備を始めるのだ。

 そして通常営業は十時からだ。


「すいませんね、ジネットさん。俺らのためにこんな朝早くから」

「いいえ。素敵なお店にしていただいたお返しですから」


 朝に強いジネットは、笑顔で朝食を運んでくる。

 雨で冷えた体に優しい、温かいトン汁だ。この世界に味噌があって本当によかった。なければ意地でも開発していたところだ。


「………………ん~~、いい匂いだ。美味そうだ」

「ホントですねぇ~……あぁ、ジネットさんの香りがする」


 それは、ジネットが味噌臭いってことか?


 ヤンボルドとグーズーヤはジネットに夢中なようだ。

 もっとも、恋愛感情というよりかはファン心理に近いのだろうが。


「女神と天使を見ながら食う朝食……最高ですねぇ」


 最初出会った時のやさぐれたような口調はすっかり影を潜め、ですます調で話すようになったグーズーヤ。なんでも、ウーマロが生活態度から徹底的に叩き直したらしい。

 まぁ、食い逃げの常習犯だったんだ。厳しく躾け直されても文句は言えまい。

 ただまぁ、ウーマロは本当に面倒見がいいなとは思うけどな。俺なら、そんな面倒くさいことお断りだ。


「……朝は、少し眠い」

「あぁっ! うつらうつらしているマグダたん、マジ可愛いッス!」


 ……まぁ、本人は現在重篤な病に侵されてしまっているようだけどな。


「おい、お前ら。もうちょっと静かに食えよ。眠れねぇだろうが」


 机に突っ伏していた俺は、頭を上げてクレームを入れる。

 俺だって眠いのだ。


「あの、ヤシロさん。眠たいんでしたら、お部屋でおやすみになっていても構いませんよ? マグダさんも。わたし一人でも出来ますから」


 バカヤロウかジネットよ。

 こんな飢えたハイエナの中に、お前みたいなとろいお人好し巨乳を一人で放てるわけないだろう。

 ただでさえ、お前は過去に食い逃げを何度もやられているんだ。

 俺が付いていなきゃ何が起こるか分かったもんじゃない。つか、心配で寝てられるか。


「……グーズーヤが言ってただろ。女神と天使を見ながら食う朝食は最高だって。……天使がいなくなったら、そいつらが悲しむだろうが」

「天使ってヤシロさんのことじゃないですよ!? マグダちゃんです、天使は! で、ジネットさんは女神です!」

「そ、そんな。わたしが女神だなんて……恐れ多いです」


 いや、ジネット。そこで驚くってことは、お前は俺が女神枠だと思ってたのか?


 褒められたからだろう、ジネットは恥ずかしそうにお盆で顔を隠す。

 …………グーズーヤ如きにそんな仕草を見せてやる必要ないのに。


「グーズーヤ。ちょっと表を三周走ってこい」

「なんのためにですかっ!? 大雨ですよ、外!?」


 だからなんだ。

 俺がイラッとしたんだから、お前が酷い目に遭ってもしょうがないことだろうに。


「女神と天使と悪魔がいますよ、この食堂……」


 グーズーヤが非常に失礼なことを言う。カエルを見逃してやった寛大なこの俺に対して。

 そういうところが人間としての小ささを表しているんだろうな、きっと。


「みなさん。こちらが今日の分のお弁当です。容れ物はこちらで洗いますので、そのままお持ちくださいね」


 ジネットが弁当の包みを三つ持ってくる。

 トルベック工務店は様々な区で仕事をしている。だから、昼飯を食いに来る時間がないのだ。移動だけで数時間かかるからな。

 そこで、昼だけは弁当ということにしたのだ。


「ジネットさんのお弁当、本当に美味しいんですよねぇ」

「………………オレ、お昼、楽しみ」

「最初は冷たい飯なんてって思ったッスけど、さすがジネットさんッスね。この発想は大したもんッスよ」


 どうやら弁当はトルベック工務店の連中に好評のようだ。


「あ、あの。お弁当を考案されたのはヤシロさんで、わたしはただ言われたものを作っているだけですので……」


 持ち上げられ慣れていないジネットはすぐに謙遜してしまう。

 そんくらい、適当に話を合わせておけばいいのに。


「……マグダのために、ヤシロが考えた」


 胸を張り、なぜか誇らしげにマグダが言う。

 うん。まぁ、それはそうなんだが……なんか違うニュアンスが含まれてないか、その言い方?

 ウーマロはマグダに弁当を手渡されてデレデレしている。マグダの発言に対しては特に思うところはないようだ。

 あぁ、ちなみに。受け渡しの際どさくさに紛れて指の一本でも触れたら出入り禁止だからな。ウチの娘たち、そんな安くないんで。


 まぁ、もっとも、こいつらは見ているだけで幸せみたいだけどな。


「こんな日でも大工仕事すんのか?」


 弁当を受け取るウーマロに尋ねてみる。

 大雨の時は休むんじゃないかと思ったのだ。

 仕事がないならここで食わせればいいのであって、わざわざ弁当を作る必要がないと思ったからだ。

 だが。


「やるッスよ、もちろん」


 仕事、すんのかよ?


「トルベック工務店は、年中無休、台風でも猛吹雪でも、どんな環境の中でも通常営業ッス!」


 いや、台風と吹雪の時は休めよ。……死人が出るぞ?


「……大変な仕事」

「マ、マママ、マグダたんがオイラの心配をっ!? オイラ、大工やっててよかったッス!」


 安いな、お前の充実感。


「あの、みなさん。もしよろしければなんですが……」


 ジネットが、静かに語り出す。

 ……あの顔は、何か面倒事を自らの手で引き込もうって時の顔だ。何を言うつもりだ? 妙なことを口走りそうになったら俺が止めなけりゃいかんな。


「朝ご飯もお弁当にしてみてはいかがでしょうか? そうすれば、みなさんもっとゆっくり眠れるでしょうし、こんな雨の日に苦労してここまで来なくてもよくなりますし――」


 なんということでしょう……

 こいつまさか、「毎朝配達に行きます」とか言い出すんじゃないだろうな?

 冗談じゃないぞ、そんな面倒くさいこと!?

 誰が届けに行くんだ?

 ジネット? 日が昇る前の四十二区は危険地帯だ。俺でも泣きが入るレベルだ。ジネット一人で行かせられるか。

 じゃあ、マグダか? いや、初めてのおつかいバリに不安だ。

 結局は、俺が行くか……ジネットたちが行くにしても、不安だから俺が付き添うことになるだろう。

 どう転んでも俺が毎朝配達する羽目になる。

 冗談じゃない。飯が食いたきゃ早起きしてここまで来ればいいのだ。それが嫌なら食わなければいい!


 こちらから届けるなんてのは絶対不許可だ。

 なんとしてもジネットを止めなければ。


「――よろしければ、わたしが毎朝お届けに……」

「ジネット、パンツッ!」

「ぅきゃあっ!?」


 変わった悲鳴を上げ、ジネットはスカートを押さえてしゃがみ込む。

 ジネットが咄嗟に押さえたのは俺がいる後ろ側ではなく、ウーマロたちがいる前側だった。つまり、もしパンツを見せるなら俺を選ぶという意思表示だと受け取ることが出来る。よしよし、いい心がけだ。今度見てやろう。


「み、み、んみ、んみ、み、見ましたかっ!?」


 ジネットが、しゃがんだまま真っ赤に染まった顔をこちらに向ける。


「いや、見えてないぞ」

「ぅぇえ!? じゃあ、今のはなんだったんですか?」

「ちょっと言ってみたくなっただけだ」

「言ってみたくならないでください、そんな紛らわしいこと!」


 ぷぅっ! ――と、ジネットが頬を膨らませる。

 が、こうでもしないとこいつはとんでもない『約束』を交わしてしまっていただろう。間一髪だ。


「ジネット。ちょっと来い」


 俺は、しゃがみ込むジネットを立たせ、カウンターの奥へと連れて行く。

 厨房の中に入り、ウーマロたちに聞かれないよう気を付けて、ジネットに釘を刺しておく。


 ……が、そのまま反対しても、こいつは「でも、みなさん大変でしょうし……」とかなんとか言って善人パワーを炸裂させてしまうのが目に見えている。

 だから、ここは変化球で攻める。


「朝食の配達は無しだ」

「どうしてですか? みなさん、お仕事前で大変でしょうし」


 ほら見ろ。


「わたしは、みなさんのためになればと思って……」

「ヤツらのためを思うなら、尚のこと配達はやめておけ」

「どういう、ことでしょう?」


 ジネットが目をまんまるく開く。

 配達しないことがヤツらのためになるということが理解出来ないようで、俺に説明を求めているのだ。


「見てみろ、あいつらの顔を……」


 厨房から客席を覗くようにこっそりと連中の顔を窺う。


 ウーマロはマグダと何かを話している。

 表情が緩みっぱなしだ。姪っ子が可愛くて仕方ない親戚のオッサンのようだ。……日本なら通報されているかもしれないレベルでデレデレしている。

 ……これ以上病が悪化するようなら、マグダへの接近禁止令も視野に入れなければいけないな。

 とはいえ、とても楽しそうだ。

 他の二人も、温かい朝食を頬張り、笑顔を覗かせている。


「……楽しそうですね」


 その光景を見て、ジネットは幸せそうな笑みを浮かべる。

 幸福を噛みしめるように、その光景をジッと見つめている。


「楽しいのさ、実際」


 ジネットの背後に立ち、その頭越しに客席を覗く。

 まだ日も昇らない時間にもかかわらず、食堂の中は賑やかで幸せそうな、温かい空間になっていた。


「それを奪うようなマネはしちゃいけない」

「奪っ……きゃあっ!」


 俺の言葉に驚いて、勢いよく振り返ったジネット。

 だが、すぐ後ろに俺が立っていたことにもっとビックリしたようで、可愛らしい悲鳴を上げる。

 俺も少し前屈み気味の体勢だったもんで、顔と顔が急接近してしまったのだ。



「す、すす、すみません。まさか、そんな近くにいらっしゃるとは思いませんで……」

「い、いや、こっちこそ、……すまん」


 今、危うくチューしちゃうところだった。

 ……もうちょっと屈んでおけば……っ!


「えっと……あの……なんでしたっけ……あ、そうです! わたしがやろうとしていることは、ウーマロさんたちにとってマイナスになることなのでしょうか?」

「そうだな。確かに、弁当を届けてもらえれば楽になるだろう。朝もゆっくり眠ることが出来る。だが……」


 ジネットの鼻先に指を突きつける。

 少し寄り目になって、ジネットは俺の指先を見つめる。

 ……なんだ、その顔。ちょっと面白可愛いな。


 そう。

 この顔が見られないってのは、不利益と言ってもいいだろう。


「お前たちに会えなくなる」

「…………え?」

「弁当の受け渡しで一瞬会えるかもしれんが……お前たちを見ながら飯を食うことは出来なくなるだろう?」

「それは……そんなに大したことなのでしょうか?」

「大したことだよ」


 まったく、こいつは何も分かっていないんだな。


「眠けりゃ寝てればいいんだ。飯なんか食わなくたって大した損失ではない。弁当だけなら、誰か一人が代表して取りに来れば済む話だ。けど、あいつらは毎日三人揃って、誰一人欠けることなくここに通っている。……なぜだと思う?」

「……わたしたちが、いるから…………だと言うんですか?」

「その通りだ」


 信じられない、というより、納得出来ないというような表情で、ジネットは小首を傾げている。

 こいつはどこまでも自分を過小評価する女だな。

 分かりやすい例えでも言ってやるか。


「もし俺が『ジネットは毎朝早起きをして疲れているだろう。教会への寄付は俺が引き受けるから、お前はゆっくり寝てろ』と言ったら、お前はゆっくり眠れて幸せだと思うか?」

「思いません! わたしは、シスターやみんなと一緒に楽しく食事するのが…………あ」

「ま、そういうことだ」


 自分に置き換えて考えることで、相手のことが分かることはままあることだ。

 完全に同じ状況ではなくとも、少しでも感情がリンクすれば見えてくるものもある。


「ウーマロなんか、『来るな』って言っても絶対マグダに会いに来るぞ。グーズーヤやヤンボルドも同じだ。お前に会いに来るさ」


 寝るなんてのは、個人的な、とても小さな満足感しか得られない。得続ければそのわずかな満足感すら得られなくなる、その程度のものだ。

 なにせ『睡眠』とは、人間が何かに夢中になった際真っ先に削られるものだからな。所詮その程度のものなのだ。

 世の中にはもっと重要なことがいくらでもある。

 それが、『毎朝巨乳美少女に会いに行く』なんて内容だったとしてもだ。


 まぁ、そんなわけだから、あいつらのためにも配達なんて七面倒くさいことは考えるんじゃない。ある意味で人助けだぞ、これは?


「で、でも……」


 この話はこれで解決……と思ったのだが、ジネットはまだ納得がいっていない様子だ。


「マグダさんに会いたい気持ちは分かります。わたしも、マグダさんに会うと元気になりますし、あの衣装もとっても似合っていて可愛いですから……ですが、わたしなんかに会ったところで……」


 こいつ、マジか!?

 どんだけ自分を低く見積もってるんだよ?

 道行く人全員に忌避の目で見られているとでも思い込んでるんじゃないのか?


 いいか、人間ってのは、普通に生きているだけではそこまで嫌われることはない。

 大抵がそいつの被害妄想か過度なマイナス思考だ。

 もし、「自分なんかに話しかけられたら相手が嫌な思いをする」なんて思い込んでいる人がいたら、是非『毎朝挨拶をする』を徹底してもらいたい。無視されても嫌な顔をされたとしても挫けず、毎朝、「おはよう」とだけ言い続けるのだ。

 すると、いつしか相手が自分を見る目が変わっていることに気が付くだろう。

 いつの間にか、相手は自分に対する悪しき感情を失っているのだ。


 なぜ、いつまでたっても霊感商法や怪しい宗教の勧誘に引っかかる人間がいなくならないのか――それは、『人間は、自分に関わろうとする者を少なからず好意的に見てしまう習性』を持っているからだ。あからさまに胡散臭くて最初は避けていた人間に対してでも、何度も顔を合わせ挨拶を交わすうちに「ちょっとくらいなら話を聞いてやってもいいかな」なんて感情が生まれるのだ。……まぁ、そこに付け込まれるわけだが。


 マイナススタートの胡散臭い人間でさえそうなのだ。

 ジネットのように人畜無害な美少女で、おまけに巨乳だったりすりゃあ、これはもう嫌われる要素がないと言っても過言ではない。


 もっとも、そういう「自分なんか」思考の人間に「そんなことない」といくら言っても信じてはもらえないのだがな。

 こういうタイプのヤツに効果的なのは、「俺は」論だ。

「お前がどう思おうが、俺はこう思う」「俺ならこうする」という、相手が否定出来ない論調で話してやれば「そういうものなのか」と、とりあえずは理解させることが出来る。


 だから、こういう場合はこう言ってやるのが効果的だ。


「俺なら、睡眠時間を削ってでもお前に会いに来るけどな」

「え……っ」

「一緒に飯を食いたいって、思うだろうからな」


 これに対して「ヤシロさんはそんなこと思うはずありません!」とは、言えないのだ。

 無理やりにでも肯定させてしまえば、頑なな『私なんてちゃん』は意外とあっさり陥落してくれる。


「……ヤシロさんは、その……わたしに会うと、……楽しい気分になりますか?」

「もちろんだ」


 不安げな質問には即答が効く。

 お前の悩んでいることなど、大した問題ではないのだと分からせる効果があるからだ。

 さらに付け加えるのであれば……


「朝が苦手なこの俺が、毎朝頑張って早起きしてるのは、お前に会いたいからだ」

「……っ!?」

「――と、言っても過言ではない」


 これくらいオーバーに言ってやるのもいい。

 真に受ければ自分に自信を持つことが出来るだろうし、冗談だと取られても「大袈裟だよ」と笑って済ますことが出来る。


「で、では……あの…………っ!」


 だから……


「ヤシロさん。これからは、どんなに眠たくても、頑張って起きてきてください! そして、わたしと一緒に、お店に出てくださいっ!」


 ジネットがこんなに必死になって……


「わ、わたしも……っ、ヤシロさんと一緒にいると、とても楽しい気持ちになりますのでっ!」 


 そんなことを言うとは思わなかった。


「あ……あぅ…………あの……で、ではっ!」


 まして、真っ赤な顔をして、言い終わるや否や逃げるように厨房を出て行くなんて想像だにしなかった。


 そして――


 そんなことを言われて、俺自身がこんなに気恥ずかしい思いをするだなんて、思いもしなかった。


「ま、まぁ……これで弁当の配達は中止になったし…………結果オーライじゃね?」


 そんな、ワザとらしい独り言を言い訳みたいに呟くことになるだなんて、予想出来るはずもなかった。



 ……くそ。

 純粋過ぎんだろ。

 すり減って薄汚れた心には、ちょっと沁みるぜ。


 気を付けよう。


 散々人を騙して、金のためにいろんなヤツを傷付けて、苦しめてきた救いようもねぇ詐欺師が……

 今さら、穏やかな幸せになんか……浸れるわけ、ないんだから。



 俺とジネットでは、目に映る世界があまりにも違い過ぎるのだ。



 ただまぁ……


「クッソ可愛かったな……チキショウ…………どさくさでチューしてやればよかった……チキショウ……」


 これくらいのモヤモヤは、楽しんだっていいだろう。






 さて。

 ある日、ウーマロが陽だまり亭に来た時にこんな話を聞かせてくれた。

 以下がその内容である――


 弁当を持っていくようになったトルベック工務店の三バカは、現場でも固まって飯を食っていたらしい。

 ……仲良しか。


 すると、徐々にその弁当に興味を示す者が増えてきたそうだ。


「何食ってんだよ?」

「美味そうだな」

「一口寄越せよ」


 他所の現場の大工や、トルベック工務店の仲間たちから、そんな言葉を言われるようになり、いつしかウーマロたちは注目されるようになっていった。 

 元々、弁当という文化がない街だ。

 昼飯は近所の飯屋に行くか、自宅に帰るのが一般的で、現場に留まって外で弁当を掻っ食らっているウーマロたちは目立ったのだろう。


 さらに、仕事が終わると、そわそわワクワクしながらさっさと帰り支度を始めるウーマロたちに、現場の人間は殊更興味を引かれたようだ。


「お前ら、毎日急いで帰って、どこ行ってるんだよ?」

「なんか毎日楽しそうだよな」

「なんか俺たちに隠してんだろ?」


 そう詰め寄られることもしばしば。

 だが、女神と天使を独占したいと欲をかいたウーマロたちは頑なに事実を隠し続けた。


 それがマズかった。――と、ウーマロは語った。

 俺に言わせれば、目論み通り――まさに、狙い通りだったのだが。


 仕事終わりのウーマロたちは、現場の連中にこっそりと後をつけられ、ついにその尻尾を握られてしまう。


 すなわち――


「うっはぁ! すげぇ巨乳美少女!」

「飯もうめぇ!」

「マグダたん、マジ天使!」

「こんな店が四十二区にあったなんて、知らなかったよな?」

「俺、毎日通う! もう決めた!」


 陽だまり亭にご新規さんがどどどとなだれ込んできたのだ。


「うぅ……オイラたちだけの憩いの場だったッスのに……」


 涙ながらに経緯を語ったウーマロ。

 いやいや、遅かれ早かれこうなっていたはずだぜ。

 なにせ、お前たちが毎日ここに通うように仕向けたのはこれが目的だったんだからな。


 嬉しそうな顔をしていそいそと出かける者を見た時、人間はその行き先に興味を抱く。

 それが毎日ともなれば尚更だ。さらに、秘密になんてされたら、これはもう「暴いてくれ」と言っているのと同義だ。


 俺は、リフォームの代金代わりに一ヶ月分の食事を約束し、その期間こいつらを『無料広告』として利用したのだ。ジネットの親切心のおかげで、食事無料期間は二ヶ月に延長され、結果的に無料広告は二ヶ月間継続されることになったのだ。

 さらに、ウーマロが仲間を引き連れてここへ通うようになれば、大工の大行列が四十区、四十一区、そして四十二区を横断することになる。

 その光景を見た住民たちは何事だと興味を引かれるだろう。

 そして、何人かはその後をつけ、ここへとたどり着くことだろう。


 これぞ、俺が代金を食事フリーパスにした本当の目的。

 絶望的に立地条件の悪い陽だまり亭へ人を呼ぶための作戦だったのだ!


 飲食店の宣伝で最も効果的なのは『口コミ』だからな。

 誰かが足しげく通っている店があれば、自分も行ってみたくなるものだ。

 そうして店を知り、そしていつしか常連になるのだ。


 そうなれば、その客が離れることは滅多にない。


「ヤシロさん! 凄いです! 席が……席が半分以上埋まるなんて、何年振りでしょうか!?」


 ジネットなど、感激のあまり涙ぐんでいる。

 宣伝の効果は、一応あったと言えるだろう。


 もっとも、まだまだこれからが本番だけどな。

 一過性の繁盛で浮かれてしまってはダメだ。今後は客の定着と、引き続き新規顧客の取り込みに力を入れなければいけない。


 でもまぁ……


「ヤシロさん。わたし、今とっても幸せです!」


 今はとりあえず浮かれていてもいいんじゃないだろうか。

 ジネットも、あんな嬉しそうな顔をしているし。


 その顔を見て、俺も……まぁ、楽しいしな。



 リニューアルオープンから十日。

 陽だまり亭・本店のディナータイムは、賑やかな笑い声に包まれて、従業員一同はその大盛況ぶりに幸せな悲鳴を上げたのだった。






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