22話 あまり見ないでくれるかな
「いやぁ、参ったよぉ。凄い雨でさぁ」
羽織っていたマントを脱ぎ、エステラはジネットから受け取ったタオルで濡れた髪の毛を拭く。
しかし……こいつは何も分かっていない……
「エステラ」
「なんだい、ヤシロ?」
「濡れが足りん!」
「…………またよく分からないことを」
エステラは全っ然濡れていないのだ。
外は土砂降り。しかも、急な雨だった。
だとするならば、突然の雨に驚き、なす術もなく全身ずぶ濡れとなり、大慌てでここへ駆け込んでくるべきシーンだろう、これは!
そして、服が雨に濡れて体に張りつき、普段は分からない女っぽい体のラインとかが浮き彫りとならなければいけないと思わないか!? どうですか、みなさん!? そうでしょう!?
「そこで、俺にジッと見つめられて、『あ、あんまり見ないでくれるかな……ボクの貧相な体なんか見ても、君は楽しくないだろう?』くらいのセリフが吐けんのか、お前は!?」
「……おかしな妄想も去ることながら、勝手にボクの体を貧相設定にしないでくれるかな?」
ジトッとした目で睨んでくるエステラ。
だが、事実貧相じゃん!
それとも何か? 「ボク、脱いだら凄いんです?」ってか?
凄いわけあるかあぁ! 服の上からでも十分わかるわ!
「今日は雨が降りそうな空模様だったからマントを羽織ってきたんだよ。備えあれば憂いなしってやつさ」
「憂いてるよ、俺が!」
「君は…………そんなに、見たかったのかい……その、ボクの…………そういう姿を」
少しだけ恥ずかしそうに、軽く怒ってみせるエステラ。
だから、そういうのを『濡れて』やれよ。情緒のねぇヤツだな。
「……乾物め」
「そんな悪態を吐かれたのは生まれて初めての経験だね。雨じゃなきゃ表で決闘を申し込んでいるところだよ」
エステラが口元を引き攣らせる。
「もう、ヤシロさん。女の子にそういうことを言っちゃダメですよ」
エステラのマントを壁に掛けて、ジネットが俺に注意を寄越す。
ウーマロに言って、陽だまり亭のカウンター内の壁にフックを取り付けてもらっておいたのだ。これで、コートや帽子、ステッキなんかが掛けられる。
ホテルのように、コートを一時的に預かり、会計の時に返すのだ。コートは人質の役割も果たし、食い逃げを抑止する効果も多少はあるだろう。
客に番号札を渡し、それと引き換えに荷物を返す。これで返す相手を間違えることもない。
「では、エステラさん。帰りにこの番号札をカウンターで渡してくださいね」
「『9番』? これがボクの番号なの?」
エステラは店内をぐるりと見渡す。
「誰もいないのに、なんで『9番』?」
「それは……ヤシロさんが……」
二人の視線が俺に向けられる。
エステラが来る前、ジネットには「エステラの荷物は『9番』に保管するように」と言い含めておいたのだ。
俺の中では、エステラには『9番』がピッタリなのだ。
ほんの少しだけ視線を落とし、エステラに言ってやる。
「分かりやすくていいだろ、『ナインちゃん』」
「……なるほど、この雨の中で決闘をしたいってことだね?」
エステラが『ナイン』な胸を押さえて俺を睨む。
こんなにも分かりやすいというのに。
「ヤシロさん! もう、どうしてエステラさんにそんなことばかり言うんですか。懺悔してください!」
叱られてしまった。
「分かった。今後はジネットをターゲットにする」
「ぅぇえっ!? や、やや、やめてくださいね!? 本当に、ダメですからね!?」
ジネットが慌てながらカウンターの向こうへと避難する。
うむ。いい反応だ。なかなか可愛らしくてよろしい。
――と、なんでこんなことをしているのかというと……
「暇だな……」
「お客さん、いませんからね」
陽だまり亭には現在、客の姿はなかった。
リニューアルオープンから早二週間。
夕方には、ウーマロたちが大工仲間を引き連れてどやどやとやって来るのだが、昼間は見事なまでに閑古鳥が鳴いているのだ。
「やっぱ宣伝不足かなぁ……」
大工の大行進も、すぐに効果を発揮するわけではない。
しかも、ヤツらは仕事が終わってから四十二区に移動してくるわけで、この時間帯に外食をしようという客層とは出くわさない。よって、この時間に引き込むべき層に対してはまったく宣伝出来ていないのだ。
何か手を打たなければな。
「それにしても、随分と綺麗になったね」
「はい。ヤシロさんの設計と、トルベック工務店さんのおかげです」
実を言うと、エステラがリニューアル後の陽だまり亭に来るのは今日が初めてだった。
ここ最近はめっきり顔を見せていなかったのだ。
「エステラ。狙った男へのストーキングはもういいのか?」
「ボクが二週間もの間、そんなことをしていたと思っているのかい?」
「違うのか?」
「仕事に追われていたんだよ。……まったく、ようやく仕事を片付けて顔を出してみれば…………『お疲れ様』の一言でもくれたって罰は当たらないんじゃないかい?」
むくれるエステラは、意外と愛嬌があって可愛らしく見えた。
が、それよりも…………仕事?
こいつは一体どんな仕事をしているのだろうか?
普段はフラフラと遊び歩いておきながら、何かがあると二週間も自由を奪われるような仕事…………探偵とか?
「なぁ、お前。どんな仕事してんだ?」
「教えないよ」
「……人には言えない仕事か……」
「そうやって人のイメージを貶めるのやめてくれないかな?」
「エロい仕事か?」
「違うに決まってるだろ!?」
割とマジな否定が飛んできた。
そういうのでなきゃ、隠したい職業ってなんだ?
そもそも、仕事を隠す理由が…………あ、俺、詐欺師だったわ。今は飲食店勤務になってるけど。
どちらにしても、ヤバい仕事関連以外に思い当たらない。
「エステラさんは、海漁ギルドの方ではないんですか?」
ジネットも、エステラの職業を知らないらしい。
ちなみに、海漁ギルドである可能性はない。
「こいつは以前、『許可証』を使って漁をしていただろう?」
俺がもらって、エンブレムの参考にしたヤツだ。
「海漁ギルドの人間なら、許可証などなくてもマグダのように漁に出られるはずだ」
「あ、確かにそうですね…………」
と、考え込むようにアゴに指を添えるジネット。
その肩を軽くポンと叩き、エステラはジネットに笑顔を向ける。
「まぁ、なんだっていいじゃないか。ボクはボクなんだし」
「そうですね。どんなお仕事をされていても、エステラさんはエステラさんですからね」
そんな言葉で騙されるのはジネットだけだろうな。
もっとも、俺もどうしても知りたいというわけではない。エステラには色々秘密にしていることがあるようだし……好奇心がないと言えば嘘になるが、好奇心のために関係を壊してしまうのはあまりに惜しい。
いや、エステラに好意を持っているとか、そういうことではなく……
エステラは……こういう言い方はちょっとアレだが……俺にとって非常に都合がいいヤツなのだ。
この世界の知識、相手の思考を読む力、俺が求めている事柄を理解し解説する能力、そして、各種手続きに関する手際の良さ。それらは、ジネットやマグダ、その他、俺がこの街で出会った連中の誰にも出来ないことだ。
こいつとの関係は継続するのが俺にとって大きな利益になる。
何より、こいつは敵に回さない方がいい。
頭のキレるヤツは、そばに置こうが遠ざけようが、敵に回った瞬間牙を剥くものだからな。
特に、こいつには俺の『アキレス腱』を知られている……
幸いなことに、エステラも俺との関係を継続させたいと思っているようで……そうであるならば無暗に踏み込まない方が吉だ。
藪を突いても出てくるのは蛇ばかりだ。極稀に一億円が見つかったりもするようだけどな。
そんなコンマ数パーセント未満の可能性にかける気はさらさらない。
エステラを怒らせても、何もいいことなどないのだ。
仲良くしよう。
「エステラ」
「なんだい」
「お前は別に濡れなくてもいいぞ。全然期待していないから」
「君は、ボクを怒らせることをライフワークにでもしているのかな!?」
おかしい……友好的な関係を築こうとしたのに。
「まったく……ちょっと失礼するよ」
そう言って、エステラはカウンターへと向かう。
「ジネットちゃん。悪いけど、一度マントを返してくれるかい?」
「それでは番号札を……」
「……『ナインちゃん』の番号札を」
「ぽそっと言っても、しっかり聞こえてるからね、ヤシロ!」
耳聡いヤツである。
「もう帰るのか?」
「まだ帰らないさ。ジネットちゃんのご飯も食べてないし」
「俺の顔が見られたからもう満足なのか?」
「帰らないって言ってるだろ!?」
「じゃあなんでマントなんて……あっ、そっかぁ、イッケねっ、メンゴメンゴ~!」
「ホンット、デリカシーないよね、ヤシロはっ!?」
エステラが真っ赤な顔をして肩を怒らせる。ってことは図星か。
トイレだ。
ここのトイレは店を出て裏に回らなければいけないため、雨の日は雨具が必要になるのだ。改善の余地が大いにあるよな、トイレは。
「それでしたら、いい物がありますよ。ちょっと待っていてください」
パンと手を鳴らし、ジネットはカウンターの奥へと入っていく。
「え、ジネットちゃん? いい物ってなんだい?」
「オムツだ」
「うるさいよ、ヤシロ! ジネットちゃんがボクにそんなものを勧めるわけないだろう!?」
分からんぞぉ?
この世に絶対などというものは存在しないのだからな。
が、まぁ違うだろうな。
おそらくは、この前俺が作ったアレだ。
「これを使ってみてください」
そう言ってジネットが差し出したのは、俺の予想通り……傘だった。
「なんだい、これ?」
「ヤシロさんが作ってくださった、雨をよけるための道具です。ここを押すと傘が開いて……」
ジネットは先日覚えたばかりの使い方を、嬉しそうにエステラに教えている。
ちょっと優越感でも感じているのだろう。
「こうすると屋根のようになるので、この中に入って移動すれば濡れずに済むんです!」
それは、素晴らしい発見だ。……とでも言いたげな興奮気味の口調で説明を終える。
ジネットは、俺がもたらす日本の文化がお気に入りのようだ。……まぁ、傘なんかどこの国にもある、比較的簡単に作れる物だが……とりあえず、日本人が普通に知っている文化は、こちらの世界では興味深いもののようだ。
ジネットはいつしか、俺が何かを作り始めるとその完成を心待ちにするようになっていた。
「全然濡れないんです! 凄いんですよ!」
「あぁ、エステラ。そこまで万能じゃないからな?」
「いや、まぁだいたい分かるけど……」
エステラも、ジネットの熱に若干押され気味なようだ。
ちなみに、俺が作ったのは番傘に似た簡単な作りの傘だ。ジャンプアップ傘とか折り畳み傘が作れれば、一財産築けそうなんだがな。
「それじゃあ、ちょっと借りていくよ」
「おう。傘に気を取られてぬかるみに足を取られるなよ……お。俺上手いこと言ったな」
「ばぁ~か」
軽い笑みを寄越し、エステラが食堂を出て行く………………前に、ドアを開けた状態で動きを止めた。
……なんだ?
「……念のために聞くけどさ」
首を微かに動かし、視線がこちらに向くか向かないかという角度で止める。そんな微妙な振り向き加減で、エステラは持ち前の鋭さを発揮しやがった。
「……ボクが顔を出さなかった間に、何かあった?」
「ね、ねぇよ! 別に何も!」
「はい! ないですよ!」
別に俺は、この前ジネットとチューしそうになったことや、その後のちょっとしたあれやこれやのことを気になどしていない。
あんなものは別になんてことはない、ただのコミュニケーションの一種だ。俺くらいの男になれば、あんなもんは掃いて捨てるほど経験している。
ただちょっと、エステラが鋭い質問をしてきたりするから、今だけほんの少しばかりビックリしただけなんだよ。
だから、別に何もない。こいつは嘘じゃない。あんなもん、『何か』にカウントするような事象では、決してないのだから。
「………………へぇ。そう」
静かに言って、エステラは食堂を出て行った。ドアがゆっくりと閉まるまでの間、やたらと雨の音がうるさく聞こえた。
……ったく。
マジもんの高校生じゃあるまいし、俺がそんな青春みたいなもんで甘酸っぱい気持ちになるかってんだ。
ジネットが必要以上に緊張するから、それがウツっただけだ。
と、ジネットを見ると……
「~~~~~~~~…………っ!」
両手で顔を押さえ、身もだえていた。
ハッキリそれと分かるくらいに、耳が真っ赤だった。
……やめて、そういうの。
…………恥ずかしいの伝染するからさぁ。
「はぁ………………熱い」
手扇で、顔の粗熱を冷ます。
こういうのはアレだ。俺らしくない。
うん。気を付けよう。ジネットのペースに巻き込まれると、お人好しまでウツされかねない。
しっかりと自分を持て、俺。目的を、決して見失うなよ。
…………よし。落ち着いた。
ここからは通常営業だ。
いつも通り。大人の余裕で若い娘たちに付き合ってやるとしようではないか。
「ジネット」
「ひゃいっ!」
……おかしな声を出すんじゃないよ。
「……ぁぅう……すみません」
失敗に失敗を重ね、ジネットがしゅんとうな垂れる。
肩を落とし、俯いて……頑なにこちらを見ないように視線を外している。
……普通にしてくれねぇかな、やりにくいからさ。
「とりあえず、エステラの飯を用意してやったらどうだ?」
「そ、そうですね! 少し遅いですけど、お昼ご飯を食べていただきましょう!」
必要以上に大きな声でそう言って、ジネットはぎくしゃくとした動きで厨房へと入っていった。
……大丈夫か、あいつ?
まぁ、そのうち慣れるか。
これまで自分が存在していた世界の中に、新たな変化が起きると人間はそれに対応するために意識をその変化へと集中させる。
転校生なんかがそのいい例で、これまで平穏だったクラスの中に異分子が含まれることで、保たれていた均衡が崩れるのではないかという思いが誰しもの胸に生まれる。そうして、迎合か反発か、はたまた勧誘か誘惑か……人はなんらかの行動を取る。
興味が一点に集中している状態。その状態を、人はしばしば恋と勘違いしてしまうことがある。
『恋のつり橋理論』などと呼ばれているが……要は、これまでにない状況に対する負荷やストレス、緊張感といったものを『恋のドキドキ』だと勘違いしてしまうのだ。
今のジネットがまさにその状態なのだろう。
突如現れた『オオバヤシロ』という異分子を前に、緊張や驚きに見舞われ、意識がこちらに向いてしまっているだけだ。
まして、図らずも俺は、ジネットが望むような結果をもたらす行動をいくつか取ってきた。
ジネットの目に「親切だ」と映るような行動をだ。
好感を持たれているという自覚はある。
ただ、それは『恋』では、――ない。
平たく言えば、勘違いなのだ。
いつか、その熱も冷め……勘違いにも気が付くだろう。
それまでは、そっとしておけばいい。
夢はいつか覚めるし……夢見る少女もいつかは大人になるだろう。
その頃には、今の気持ちもすっかり整理されているだろうし、忘れられているもしれない。
まぁ、それならそれでいいさ。
誰もいなくなった食堂に雨音だけが響いている。
「………………」
俺、いつまでここにいるんだろうな。
ふと、そんなことが頭をよぎった。
この街での生活基盤を固めるまで……
『精霊の審判』や『強制翻訳魔法』などの知識を得るまで……
それは、いつだ……?
俺は、いつまでここに…………
『ぅきゃあっ!?』
外から悲鳴が聞こえてきたのは、俺がそんな終わりの見えない思考を巡らせていた時だった。
悲鳴と同時に、盛大な水音が聞こえてきた。
なんだ? ――と思っていると、ドアが開き…………
「…………うぅ……酷い目に遭った……」
全身が茶色く汚れた液体まみれになったずぶ濡れのエステラが、力なく食堂へと入ってきた。
俺は咄嗟に鼻を摘まみ、エステラに言う。
「トイレの使い方も知らんのか、お前は?」
「トイレでこうなったんじゃないよっ!」
なんだ。嵌ったとか、トイレで暴れてそうなったとかじゃないのか。
「そこの水溜まりで転んだんだよ! なんだよ、もう! 心配してくれたっていいだろぉ!」
ずぶ濡れになったせいか、エステラが少し泣きそうな目で睨んでくる。
心配……あぁ、そうか。心配な。
「傘は壊れなかったか?」
「ヤシロぉ……」
「冗談! 冗談だよ! 笑わせようと思っただけで!」
ダメだ、目がマジだ。
まぁ、こういう「うわぁ……もう、最悪っ!」的な状況で冗談言われると軽く殺意を覚えるよな。うん、分かる。分かるぞ、今のお前の気持ち。俺が悪かった。だから、そんな目で睨むな。
「どうかされたんです……きゃっ!? エステラさん、大丈夫ですかっ!?」
厨房から顔を出したジネットが、ずぶ濡れのエステラに駆け寄る。
「うぅ……ジネットちゃ~ん……」
抱きつきたいのだろうが、泥水でジネットの制服を汚すまいと、エステラはグッとこらえている。
「ジネット、タオルを持ってきてやってくれ。あと、お湯を沸かしてやれ」
「は、はい! そうですね。すぐに!」
慌てて奥へと引っ込むジネット。
エステラをこのままにしておいては風邪を引いてしまう。
風呂にでも入ってもらった方がいいだろう。
陽だまり亭に風呂はないが、中庭にお湯を沸かす用の大きなカマドが設けてある。
そこで一気にお湯を沸かし、桶に入れて各自部屋で体を拭くのだ。
大きなたらいもあるから、軽くなら湯に浸かることも出来る。……ただ、その際はずげぇ時間がかかるけどな。
「エステラ、寒くないか?」
「……凄く寒い」
この街に来て一ヶ月以上は経っているはずだが、気候は一向に変わる気配を見せない。
日中はぽかぽか陽気だが、朝夕は寒い。この街には四季というものがないのかもしれない。
そして、こんな雨の日は一日中肌寒さが続くのだ。
全身を濡らしたエステラは、耐えがたい寒さを感じていることだろう。
「濡れた服を着ていると風邪を引く。脱げ」
「ぅえええっ!? で、出来るわけないだろう、そんなこと!」
「大丈夫だ! エロい目でしか見ないから!」
「だから無理だと言っているんだよ!」
お前のようなぺったんこでもちゃんとはぁはぁしてやると言っているのに……プライドが傷付かなくていいだろうが。
「だいたい……ヤシロが変なこと言うから、こういうことになったんだよ、きっと……」
「変なこと? 俺が何か言ったか?」
「だから、ボクが濡れればいいとか……」
あぁ、そういえば……
で、実際濡れたこいつを見てみると…………うむ。服が張りついてなかなかいい感じにセクシーじゃないか。
「あ、あんまりジロジロ見ないでくれるかな……っ!」
「『ボクの貧相な体なんか見ても、君は楽しくないだろう?』」
「そのセリフは死んでも言わないからね!」
じゃあ、三十点だな。後半がメインなのに。
赤点だ、補習でも受けさせたい気分だ。
「あの、とりあえずお水を火にかけてきました。けど……沸くまでには時間が……」
申し訳なさそうな顔でジネットが戻ってくる。
タオルを持ち、エステラの髪を拭き始める。
エステラは自身の体を抱くように身を屈め、寒さに震えている。
……これは、本格的にマズいな。
このまま放置すれば本気で風邪を引きかねない。
「ジネット。お前の服を貸してやれ」
「あの……それが…………この長雨で洗濯物が溜まっていまして…………今お貸し出来るのが制服しかないんです……」
「それでいいだろ」
「や、ちょっと待って!」
止めたのは、エステラだった。
「そ、その服を着るのは…………ちょっと……」
胸元に視線を落とし、表情を盛大に曇らせる。
「あのなぁ、エステラ」
難色を示すエステラに、俺は親切心から言ってやる。
「気持ちは分かるが、今はそれどころじゃないだろう? お前の体を大切に思っているのはお前だけじゃない。ジネットも、俺だって、お前に風邪なんか引いてほしくないんだ」
「ヤシロ……」
「お前の体は、最早俺のものでもあるんだからな」
「そ、それは違うよね!? 変な誤解されるようなこと、言わないでくれるかな!?」
お前をいじって遊ぶのは俺の日課だぞ?
間違ってはいないと思うのだがな。
「エステラさん。ヤシロさんの言う通りです。お体のためにも、わたしの服では不服かもしれませんが、一時しのぎとしてお使いください」
「ジネットちゃん…………うん、そう…………だね」
そうだ。服が乾くまでの間、ほんのわずかな時間着ているだけなのだ。
「胸がぶっかぶかのスッカスカでも気にするな。どうせ、そんな悲惨な状況も俺たちしか見ないんだから。お前に胸が無いのは百も承知なんだから、今更恥ずかしがることもな…………メッチャ怖い目で睨まれてるっ!?」
真の剣豪が発する殺気は、きっとこんな感じなのだろう。
そんなことを思ってしまうような、恐ろしい殺気を含んだ目だった。
「……濡れたままでいい」
「エステラさんっ!? ……もう、ヤシロさんっ!」
ジネットが割と本気で怒っている。
……失言だったかな。励まそうと思ったんだけど。
「じゃ、じゃあ、俺の服とか、どうだ? ちょっとデカいけど」
「断る! ……君の服を着るくらいなら、裸でいた方がマシだ」
「よし! じゃあ裸で!」
「断るっ!」
「理不尽だっ!」
「ヤシロさんっ!」
またジネットに怒られた。
「エステラ……」
冗談をやっていて風邪を引きましたなんて、それはさすがに看過出来ない。
俺は真面目な声で、エステラに話しかける。
「……どうして裸が嫌なんだ?」
「説明が必要かなっ!?」
「分かった! 一人が嫌なら、俺もジネットも裸になる!」
「なりませんよっ!?」
「エステラのために!」
「君の利益にしかならないだろう、その状況は!?」
ベストなアイディアだと思ったのだが……
「で、では。マグダさんの制服はどうでしょうか? 今日はマグダさん狩猟ギルドへ出かけていて留守ですし、少しの間お借りするということで……」
マグダは、今朝から狩猟ギルドへ出かけていた。
この大雨に伴い、狩猟場に立ち入り禁止区域が出来たのだ。その話し合いと、情報共有を兼ねたミーティングがあるそうだ。
ちゃんと、一人前の構成員としてみなされているか心配ではあるが……出かける前のマグダは自信たっぷりだったし……ここに来てから自分に自信を持てるようになったみたいでいい変化を見せているし……きっと大丈夫だろうと思う。信じて待とう。
そんなわけで、今日マグダは一日留守なのだ。
……夕飯、ウーマロ来ないかもな。大雨だし、マグダはいないし。
「サイズは、少し小さいかもしれませんが……エステラさんスリムですし、入らないことはないのではないかと……」
店の制服は、体にフィットするように作られている。
とはいえ、ぴちぴちではなく、長時間着用しながら労働出来るようにしてある。
多少無理をすれば、エステラがマグダの服を着ることは可能だろう。
「…………じゃ、じゃあ…………それで」
しばらく悩んだ後、……やはり寒いのか、一層身を縮こまらせて……エステラは首肯した。
とはいえ、汚れた体で制服を着ることは気が咎めるようで……
「体を綺麗にしたら、着させてもらうよ」
「でも、それまで結構時間が……」
「へ、平気だよ……少しくらい、このまま…………くちゅんっ!」
わぁ、くしゃみ可愛い。
ったく。
何が平気なんだか……
「ちょっと来い、エステラ」
俺は、震えるエステラの手を掴み、強引に引っ張る。
「ちょっ!? どこへ行く気だい!?」
「俺の部屋だ」
「ぅえぇえっ!?」
腕を引いて歩かせようとしたのだが、エステラは足を踏ん張り、前進を拒絶する。
何やってんだよ、ったく!
「俺のベッドで温めてやるっつってんだよ!」
「んなっ! な、何をする気なんだい!? は、離したまえよっ!」
あぁ、もう、こいつは!
「俺のことを嫌いでもなんでも構わんが、お前に風邪を引かれるとジネットが気にするだろうが! お前がいいと言っても、俺とジネットが許さん! いいからお前は、湯が沸くまで俺の部屋で体を温めろ!」
駄々をこねるエステラを強制的に連行する。
あとで殴られるかもしれんが、今は緊急事態というやつだ。しょうがないのだ。
俺は、エステラの体を抱え上げる。
いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「ジネット、店とお湯を頼むな」
「え…………あ、は、はい!」
そう言い残して、俺は食堂を後にした。
「ちょ、ま、待って、ヤシロっ! 分かった! 自分で歩くから!」
腕の中で喚くエステラだが、今さらもう遅い。
……エステラの体がかなり冷たくなっている。体が小刻みに震えている。もはや一刻の猶予もないだろう。
エステラの訴えは完全無視して、俺は厨房を抜け、雨の中庭を突っ切り、階段を駆け上がった。
階段が怖かったのか、エステラが俺の首にギュッとしがみついてきた時には……迂闊にもドキッとしてしまった。
……なに女子っぽいことしてんだよ、ったく。
俺の部屋に入るなり、エステラを床に下ろし、すぐさま指示を出す。
「服を全部脱いでベッドに入れ」
「なっ、ななななな、なに、なに、なにをする気なのさっ!?」
「お前を温めてやるんだよ」
「ちょ……っ! そ、それは、さすがに……ダ、ダメ、だよ……っ!」
語気は強くも、口調が弱々しい。
顔が真っ赤だ。
単に照れているだけならいいのだが、熱が上がってきた可能性もある。油断出来ないな。
「濡れた服は全部脱いで廊下に出しておけ。俺はドアの向こうにいるから、何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」
「…………え?」
「あと、俺のベッドは汚してもいいから、気にせずそのままもぐり込め。肩を冷やさないように掛け布団をしっかりかけてな」
「…………ヤシロ、廊下にいるの?」
「あぁ。濡れた服をジネットに届けたら、念のために廊下で待機しといてやるよ。心細いだろ?」
「………………そう」
慌てふためいていたエステラが、力なく呟く。
安堵と脱力感がない交ぜになった表情だ。
「……なんだよ。俺も一緒にベッドに入って、人肌で温めてほしかったのか?」
「んぃっ!? そ、そんなわけないだろう! もう! 着替えるんだから、さっさと出て行って!」
ジネットに渡されていたタオルを投げつけ、エステラが怒鳴る。
若干、女の子口調になっていたことに、こいつは気付いているのだろうか。
急き立てられるように、俺は廊下へと追い出され、勢い任せにドアが閉められた。
まったく……照れちゃってまぁ。
壁にもたれかかるようにして座り、俺はため息を漏らす。
もし、ここが日本で、お前が俺にとってどうでもいいような女であったなら……俺は迷わず一緒にベッドに入ってお前のことを温めてやっただろう。
けど…………そうじゃない。
エステラは、そんな風に軽く扱っていい女ではない。
俺にとっては……まぁ、珍しく…………大切な友人なのだ。
それに、ジネットもいるしな……
「なんだかなぁ……」
こっちの世界に来て……いや、この陽だまり亭に来てからか…………感覚を狂わされっぱなしだ。
なぁ、神様とやらよ……あんたは、マジで俺に『やり直し』をさせるつもりなのか?
こんな、思春期みたいな感情をよみがえらせやがって…………今さら、恋だ愛だなんて…………
『…………ヤシロ』
ドアの向こうから、エステラの声が聞こえてきた。
『部屋の中が見えない位置に移動して、絶対中を見ないようにね……』
「へいへい」
『………………絶対だからね。見たら、絶交だからね!』
念を押すように言った後、そっとドアが開かれる。
そして、押し出すように濡れた衣服が廊下に出された。
「……ジネットちゃんによろしく」
「あぁ。渡しておくよ」
部屋の中を見ないように、腕だけを伸ばし、濡れた衣服を受け取る。
ドア一枚隔てた向こうにいるエステラに声をかけ、立ち上がる。
「…………ありがと。あと、ごめんね」
エステラは、そう小さな声で呟いて……ゆっくりとドアを閉めた。
…………なんだかなぁ。
俺は胸に渦巻くモヤモヤした、表現しがたい感情を振り払うように平常心を心がける。
濡れた服をジネットに渡しに行こう。
すぐに洗って干せば……今日中には乾く、かな?
エステラの服に視線を落とす。
作りのしっかりとした服だ。上はブラウスのような肌触りのいいシャツで、下はチノパンのようなズボンだ。
そして、シャツとズボンの間に…………
「こ、これはっ!?」
光沢の美しい純白のおパンツがっ!
シルクッ!?
シルクなのかっ!?
この世界にもシルクのパンツが存在していたのかっ!?
「んぬぁあ! 思春期がっ! 俺の中の思春期がっ!」
おのれ、神め…………どこまで俺を試すのか…………
俺が中学生だったらソッコーでポッケないないしてるところだぞ!
だが、俺は大人…………そんな倫理に反することは………………いや、体は高校生…………高校生なら、少年法で保護されているから………………おのれ、神め……こうしてまた一人の純朴な人間に試練を与えるのだな…………
さすがにこの状況で盗むとすぐバレるだろうから…………瞼に焼きつけるだけに留めておく。
どうだ神よ、この理性的な大人の判断力。
俺は、貴様などには屈しない!
まいったかっ!
神の試練に打ち勝ち、俺は勝利の余韻を胸に階下へと降りていった。
この服をジネットに手渡す…………前に、もう少しだけ瞼に焼きつけておく。
そうか、シルクがあるのか…………
ジネットには世話になっているからな。
金が貯まったらプレゼントしてやろう。うん、そうしよう。
こうして、俺の目標が一つ増えた。
目標を持つことはいいことだ。勤労意欲に火がつくというものだ。
鼻歌交じりに厨房へと入っていった俺は、降り続く雨をさほど鬱陶しいとは思っていなかった。なかなかやまないなぁ、くらいの意識しか持っていなかったのだ。
この長雨が、後にあんなトラブルを巻き起こすことになるなんて、この時の俺は思ってもみなかったからな。
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