10話 ジネットへのテスト

 教会への寄付から始まり、ベルティーナやエステラとの出会い、そしてモーマットとギルドの衝突からアッスントとの対決、その後は閑古鳥の鳴く食堂で椅子と机を直し、グーズーヤの踏み倒した代金の支払いを約束させた。

 そんな、色々なことがあった一日が終わり、また新しい朝がやって来る。


 ……昨日と同じく、陽も昇る前からジネットは活動を始め、俺はそのいい匂いによって目を覚ます。


 そして、昨日と同じくまだ暗い中庭へと降り立ち……


 昨日と同じく中庭に張られた白い大きな布――桃源郷への入り口を目撃する。


 昔聞いた話では、桃源郷を離れた漁師は二度と桃源郷にたどり着くことは出来なかったらしいが……俺はたどり着いたぜ。今再びの桃源郷!

 昨日手に入れたトレジャーはジネットによって没収されてしまったからな。

 今日こそ、俺は手に入れるぜ、トレジャーを。いや……ハピネスを!


「ん?」


 桃源郷へのゲートをくぐろうとした俺は、昨日はなかった注意書きに気が付いた。

 割と大きめの紙が布に張りつけてある。

 そこにはこう書かれていた。



『立ち入り禁止です。立ち入ると、高圧電流が流れます』



 ……ふっ。

 ジネットよ。吐くならもうちょっとまともな嘘を吐け。

 高圧電流?

 このド田舎の、俺から見れば寂れ廃れ果てたような異世界で、高圧電流?

 はっはっはーっ!

 面白い冗談だ。ベストユニーク賞をくれてやろう。


 いいかジネット、よく覚えておけ。

 俺たちトレジャーハンターはな、罠があれば尚更燃えるのだ。

 その先に、求めるトレジャーがあると知っているからな!


 こんな脅しが通用するか!

 むしろ微笑ましいくらいだ!


「いざ、行かん! 希望の楽園へ!」


 俺はためらうことなく、白い布を捲り上げた。

 その瞬間、全身に激しい電流が流れる。


「アバババババッ!」


 指先からつむじとつま先に向かって、凄まじい衝撃が走り抜ける。

 血管の中に氷をぶち込まれたような冷たさが走り、その後から燃えるような熱が広がっていく。

 神経がバカになって、俺の意思とは関係なく手足がおかしな動きを始める。

 ついには立っていられなくなり、俺は地面に転がり、ぴくぴくと全身を痙攣させた。


「ヤシロさんっ!?」


 鳴り響いた轟音を聞きつけ、ジネットが厨房から中庭へと出てくる。


「危険だと書いたのに、どうして触れるんですか!?」

「……そ、…………そこに……夢が……ある、か………………ら」

「ないですよ!? この向こうにあるのは洗濯物だけです。おまけに、今日洗ったのは布巾やタオルばかりですよ?」

「パ、パンツ……は……?」

「そんな毎日毎日、大量に洗い物が出るわけないじゃないですか!?」


 言われてみれば、昨日のパンツはどう考えてもまとめて洗ってあった。

 要するに、あの夢の光景は月に一度あるかないかということか……

 下ごしらえに一日のほとんどを費やしていたジネットは、きっと洗濯にまで手が回らなくて洗い物を溜めてしまっていたのだろう。

 ということは、今回のこれは……罠? トラップだってのか!?


「……騙…………された………………しくしくしくしく……」

「あ、あのですね、エステラさんが、このように書いて貼っておけと……それで、この機械を仕掛けておけと言われまして…………」


 ジネットが、手のひらサイズの黒い箱を見せる。そこにはメモリとダイヤルスイッチがついており、あからさまに怪しい二本のコードが延びていた。

 昨日、エステラがジネットに渡していたのはこれだったのか……

 あの女……余計な物を…………そして、なんでこんなもんにだけテクノロジーが活かされてるんだ……


「あの、わたしは、ヤシロさんはそんな罠には引っかからないと言ったんですが、エステラさんは『賭けてもいいけど、絶対引っかかる』と…………わ、わたしは、ヤシロさんを信用して、絶対引っかからないだろうと思って設置をしたんです。なのに……なんで引っかかるんですか!?」

「……男には、自分の世界があるから…………例えるなら、それは……空を駆ける一筋の流れ星で……」

「言ってることはよく分かりませんけど、危険だと書いてあるじゃないですか。なら、開けちゃダメじゃないですか」

「……嘘だと、思ったんだもん…………」

「わたしは、嘘を吐きませんよ」

「嘘だと、思いたかったんだもん……」


 いけない。

 痛みのせいで心が弱っている。……涙が出ちゃう。男の子だもん。


 ジネットは、俺の体を支え食堂へと運んでくれた。

 安定した椅子に座らせてくれ、甲斐甲斐しく介抱をしてくれる。

 ……やはり、伝承というものは正しいのだな…………たどり着けなかったよ、桃源郷。


「……しくしくしく」

「ヤシロさん、まだ痛みますか? あの、わたしに出来ることでしたら、なんでも言ってくださいね」

「じゃあ、パンツをください」

「それは無理ですっ!」


 真っ赤な顔をしてジネットは厨房へと引っ込んでしまった。

 机に突っ伏し、俺はさめざめと泣いた。

 本日俺は、すべての業務を放棄し、不貞寝をすることを誓った。







「ね? 言った通りだったろ?」


 昼前にやって来たエステラが、得意顔でジネットに言う。


「でも、やっぱり少し可哀想で……」

「いいのいいの。これくらいはいい薬さ。ほら、アレだよ。『悪いことをしていると教えてやらなきゃダメだ』って。彼自身が言っていたことだろ?」

「それは、そうなんですが……」


 机に突っ伏す俺を、ジネットは申し訳なさそうな瞳で見つめてくる。

 ……ふん。体がだるいから視線も合わせてやるものか。


「ちなみに、ジネットちゃんの寝室にも同じ物が仕掛けてあるから、無暗に近付かないようにね」

「なんだと!? じゃあ、どうやって忍び込めばいいんだ!?」

「あの……忍び込まないでくださいね……」


 くっそ!

 折角のひとつ屋根の下なのに!

 もう少し仲良くなったら、さり気なく夜中に忍び込もうと思っていたのに!

 あくまで、さり気なく!


 俺は呪詛の念を視線に込めてエステラに送る。

 しかし、エステラはそれをさらりと無視して、ジネットに話しかける。


「そういえば、ジネットちゃんって今川焼き好きだったよね?」

「はい。大好物です」


 今川焼き!?


「今川焼きがあるのか?」

「はい。甘くて、とっても美味しくて……わたし、大好きなんです」


 まぁ、小麦や小豆があるようだから、そういう料理が開発されてもおかしくはないか……

 でも、名前まで今川焼きとは…………あ、そうか。『強制翻訳魔法』で、俺に馴染みのある名前になっているのか。

 なんだか、異世界で今川焼きとか聞くと、すげぇ不思議な気分になるが、ここはそういう世界だったな。


「実はジネットちゃんに持ってきたんだ」

「えっ!? ……いいんですか?」

「うん。これから一週間、お昼を御馳走になるからね。せめてものお礼」

「でもそれは、ゴミ回収ギルド開設の報酬で……」

「ギルド設立で利益を得るのはヤシロだろ? でも、料理を作ってくれるのはジネットちゃんだ。そう考えると、なんだかヤシロの一人勝ちのような気がしてね。だから、ジネットちゃんにプレゼント」

「……ってことは、俺の分はないのか?」

「ボクが君にプレゼントをする理由が見当たらないからね」


 ……こいつ。

 そういうの、よくないんだぞ。

 イジメに繋がるんだぞ。

 まったく、嫌な女だ。


「でも……」

「もらってくれると嬉しいな」

「あ……『厚意は受けろ』…………ですね。はい。喜んで頂戴いたします」

「そうこなくっちゃ!」


 ジネットはエステラから紙袋を受け取ると深々と頭を下げた。

 あの中身が俺の知っている今川焼きと同じものだと仮定して…………一個しか入ってないな。あの膨らみは。

 ったく、どうしてこう、四十二区の連中はしみったれているのか……

 お土産なら「みなさんでどうぞ」って言えるくらいの数を持ってこいっての。


「では、お食事の後にいただきますね」


 そう言って、ジネットは今川焼きの紙袋を俺の隣へと置いた。


「盗るなよ?」

「人聞きの悪いことを言うなよ。人を悪人みたいに」


 詐欺師だけど。


「それで、エステラさん。ご注文は何にしますか?」

「そうだなぁ……、なんでもいいから、ジネットちゃんのおすすめを頼むよ」

「はい。今日から開始したメニューがありますので、それをお持ちしますね!」


 そう言って、ジネットは厨房へと入っていく。

 そう。エステラは昼飯をたかりに来やがったのだ。

 ちょっとしたことで恩着せがましく、タダ飯を無心しに来やがったのだ。

 ハイエナめ。

 悪魔め。

 ペチャパイめ!


「なんだい、その反抗的な目は? 君の自業自得だろう?」

「トレジャーでもないもののために負傷したのが一番こたえたんだよ……なんで俺が、布巾のためにこんな目に……」

「邪心は捨てろということだよ」

「俺から邪心を取ったら、何が残る!?」

「……君、その発言は自分で悲しくならないかい?」


 ふん。

 お前には分からんのだ。

 純情な男子が、あの小さな布にどれだけの夢や希望を見出しているのかを。

 どれほど心酔しているのかを。


「まぁ、これに懲りたら、もうイヤらしいことは考えないことだね」


 エステラが、俺の顔を覗き込んでくる。

 えぇい、忌々しい。

 俺はそっぽを向いてエステラを視線の外へと追いやる。


「視界に入るな。目障りだ」

「酷い言われようだなぁ」

「しゃべるな。耳障りだ」

「カッチーン!」


 冷たく言い放つと、それが気に障ったのか、エステラは俺の髪をぐしゃぐしゃに掻き回してきやがった。


「えぇい、触るな! 肌触りだ!」

「いや、それは違わないか?」


 まったく。傷心の人間で遊びやがって。

 さっさと帰ればいいのに。


「お待たせしました~」


 ジネットが料理を盆に載せて運んでくる。


「あれ? なんかいっぱいあるね」


 エステラがその内容に目を丸くする。

 盆に載っていたのは、クズ野菜の炒め物、イモの煮付け、そして雑穀米のおにぎりに椀物だ。


「こんなにたくさん、いいのかい?」

「はい。ヤシロさんが考案された、『日替わり定食』です!」

「へぇ……日替わり」

「これだけついて、お値段もリーズナブルなんですよ」

「ちなみに、いくらなのかな?」

「25Rbです!」


 クズ野菜の炒め物が20Rbなのだ。これがどれだけお得か分かってもらえるだろう。

 味は言わずもがな、量も値段も申し分なしだ。


 値段を聞いたエステラが、こちらへと視線を向けてくる。


「で? 安さの理由は?」

「企業秘密だ」

「ケチ」

「俺にとっては褒め言葉だな、それは」

「まったく…………」


 エステラは盆に載った料理を見つめ、考え込む。


「日替わり定食……『日替わり』か……つまり、何が出てくるかを明言しないことで、その時々で過剰に余っている食材を使えるようにしたわけだ」

「凄い! 正解です!」


 ジネットがあっさり認めてしまった。

 企業秘密だっつってんだろうが。

 とはいえ、エステラの読みはほとんど当たっていた。


 まぁ、単純な話で、教会への寄付用の飯の余りと、大量購入した物を抱き合わせて安く提供しようというだけのことだ。

 ただでさえ客が来ないのだ。

 食材を余らせてしまうくらいなら、料理として使用した方がいい。お得感につられ、いつもより少しだけ高いメニューへ流れてくれれば万々歳。どうせ処分しなければいけない食材を使用して客単価が上がるのであれば、それは大いなる利益と言える。

 今後、モーマットを始め、近隣農家から野菜をまとめ買いする予定だから、定食くらいの量は提供し続けることが出来るだろう。

 ジネットの言っていた『量を増やしましょう!』という案と違うところは、『客に出す量を増やす』ではなく、『店の在庫を処分する』という考え方の違いだ。


「それで、こっちの黒いのはなんだい?」


「黒いの」と、エステラが指さしたのは雑穀米のおにぎりだ。「黒いの」とは心外だな。あずき色と言ってくれ。


「これは、『お米』です」

「ジネット、『ご飯』だ」


 米の状態で提供しているわけじゃない。


 食糧庫を物色していると、そこに大量の米があった。

 この街ではパンが主流で、米はほとんど食されていないらしい。……もったいない。

 中には米が主食だという区もあるらしいが、四十二区ではほとんど知られていないようだ。

 陽だまり亭にあった米も、ニワトリのエサ用に確保してあるものらしかった。……あぁ、もったいない。


 その中から、俺は食用に回せそうな状態のいいものを選別し、摺りこぎで脱穀をした。

 ……が、香りがよくなかった。白米として食うには少しつらそうだった。

 そこで、雑穀米だ。

 豆や小麦など、食糧庫にあった穀物のうち香りのいいものや甘みのあるものを選んで米と一緒に炊いてみた。

 日本の十穀米に比べれば味は数段落ちるが、それでも十分食用に耐え得る味にはなった。

 小豆を入れたためにほのかに色づいて見た目にも鮮やかだ。

 何より、あの鈍器のような黒パンに比べれば断然こっちの方が美味い!

 なんだあの硬いパンは。二時間サスペンスの凶器として登場しても、俺は驚かないね。あんなもんが25Rbもするとか……詐欺だろ。


「不思議な香りだね」

「そのうち、米農家と契約して白米を提供してやる」

「白米? 美味しいのかい?」

「炊きたてのご飯は、この世の真理だ」


 白米が存在し、尚且つ食用として流通していることを知った瞬間から、俺の心は白米の虜なのだ。

 絶対手に入れる。

 そして、炊きたてのご飯を掻っ食らってやるのだ!

 ジネットの料理は美味いのだが、やはり故郷の味は譲りがたい。


「ん!? 美味しい!」


 オリジナル雑穀米を口にしたエステラが目を丸くする。

 もちもちと頬を動かし、懸命に咀嚼している。


「噛めば噛むほど甘みが……うん、香りも悪くない」

「食いながらしゃべるな。これだから貧乏人は……」

「うぅ……貧乏ですみません」


 エステラに発したイヤミが、なぜかジネットに突き刺さったようで、ジネットは肩をすぼめ首を垂れた。


「いじめるなよ」

「俺のせいじゃねぇよ」


 今のは、ジネットの被害妄想というヤツだ。

 だというのに、こいつは……なんでもかんでも俺を悪者にしやがって。


「食ったらさっさと帰れよ」

「そう邪険にしないでくれないかな? 毎日お客さんが来て、食堂としても嬉しい限りだろう?」

「金を払わんヤツは客じゃない」

「じゃあ、食堂じゃなくて、君ならどうだい? 毎日ボクの顔が見られて嬉しいだろう?」


 髪を掻き上げるような仕草をして、エステラが『しな』を作ってみせる。

 ……なんのギャグだ、それは。


「俺を喜ばせたいなら最低Eカップ以上になってみせやがれ」

「どうして君はそうやってすぐ胸の話をするのかな!?」


 髪を掻き上げていた腕を机に叩きつけるエステラ。

 食器がガチャンと音を鳴らす。


「エ、エステラさん、落ち着いてください」

「『お乳突いて』だと!?」

「『落ち着いて』です! もう、ヤシロさんは少し黙っていてください!」


 怒られてしまった。

 俺、何も悪くないのに。


「あの、エステラさん。身体的なことは、あまり気にしても仕方がありませんよ。どちらがどうということではなく、みんなそれぞれが良くも悪くも個性的なんですから」

「しかし……ボクだって、出来ることならもう少し大きく……」

「そんなこと考える必要ないですよ。それに、胸が大きくても、いいことなんてありませんよ?」

「「いいこと尽くめだろうがぁ!」」

「なぜ、ヤシロさんまで!?」


 俺とエステラの声が揃った。

 まさか、こいつと意見が一致する日が来ようとは……

 認めたくないが、俺たちは似た者同士なのかもしれない。


 俺は、スッと右手を差し出す。

 同志の、握手だ。


「断固拒否する!」


 だというのに、エステラはへそを曲げてしまったようだ。

 クズ野菜炒めを乱暴に口へ放り込み、パンパンに膨らんだ頬をもぐもぐと動かす。

 今、メッチャ面白いギャグを言ったら凄いことになりそうだ。

 ……と、思ったのだが、何かを察知したエステラに物凄い形相で睨まれてしまった。


 ちぇ~……ノリの悪いヤツぅ~……


 ひとしきりもぐもぐと租借した後、盛大に喉を鳴らしてクズ野菜を飲み込んだエステラは、空気を換えるように違う話題を振ってきた。


「それで、他の農家や漁師との交渉は進んでるのかな?」

「昨日の今日で進んでるわけないだろうが」

「遅いねぇ。商談はスピードが命だよ」


 まぁ、一理ある。

 もっとも、俺の場合は『儲け話』はスピードが命、だけどな。


「ジネットが動ける時間が少なくてな」

「君一人で行ったらどうだい?」

「見ず知らずの男がいきなりやって来て、『ギルドを介さずに商品を売れ』なんて言ったところで、聞くヤツがいるわけないだろう」

「まぁ、確かにね」


 そういう面で、ジネットは非常に役立ってくれる。

 人畜無害な上、相手の保護欲を無条件で掻き立てる能力を持つジネットは、近隣住民からの好感度が極めて高い。

 それを活用しない手はない。


 なので、なるべく早い段階で食堂を休みにし、生産者のもとを回ろうかと考えている。

 ただ、一日や二日で回りきれるものでもないからなぁ……難しいところだ。


「もしどこかに行くなら、ボクも協力してあげてもいいよ」

「またタダ飯をたかる気か?」

「いいだろ。それで心強い助っ人が手に入るなら」


 心強い、ねぇ……

 まぁ、ジネットには聞きづらいことでも、エステラになら聞けるか。

 こいつは、人の汚さも知っているし、誰かが苦しむことも是としている。ある意味で俺と近しい『冷血さ』を持ち合わせているからな。


「じゃあ、みんなでお願いに行きましょうね」


 と、ジネットは手をポンと鳴らして嬉しそうに笑う。

 どうやら、なんだか楽しいイベントだと勘違いしているようだ……

 やっぱり、エステラはいるかもな。


「やっぱり、ジネットは置いていこうかな……」

「どうしてですか!? わたし、頑張ってお願いしますよ!?」


 それが不安だっつってんだよ。


「お前はすぐに騙されて、不利益を抱き込むからな」

「そんなことないですよ。わたし、これでも用心深い方なんですから」


 ……マジで言ってんのか?


「じゃあ、今からテストをしてやる」

「テスト、ですか?」


 俺は、日替わり定食の盆から、雑穀米のおにぎりを一つ手に取る。


「ちょっと! それは、ボクのだぞ!?」

「ケチケチすんな! ちょっと平らげるだけだ!」

「それを止めるのはケチじゃないだろう!?」

「減るわけでもあるまいに……」

「減る! 確実に消えてなくなるだろう!?」

「しょうがない……」


 俺は雑穀米を諦めて、今川焼きの紙袋へと手を伸ばす。


「ここに、お前の大好きな今川焼きがある」

「はい」


 紙袋から出してみると……本当に今川焼きだ。俺のよく知っている、円形の、あの今川焼きだ。


「今からこれを、俺と半分こしよう」

「半分こですか?」

「そうだ。ただし、お前は今川焼きが大好きだよな?」

「はい」

「出来ればいっぱい食べたいよな?」

「そうですね……卑しいですけれど、たくさん食べたいです」

「だが俺はそれを阻止する!」

「えぇっ!? どうしてですか!?」

「ここでテストだ」


 俺は、ジネットを見つめゆっくりとルールを説明する。


「お前の目的は『俺よりも多く食べること』だ。いいな?」

「ヤシロさんよりも多く…………はい。分かりました」


 ジネットは頷くと、身構える。

 いやいや。奪い合いじゃねぇから。


「俺が半分に分けて、俺がどちらを食べるか選んでやろう。それでいいか?」

「はい」

「…………いいのか?」

「え? ……あ、それでは、同じ量しか食べられませんね!?」


 こいつ、同じ量も食べられると思ってるのか?


「助言はありかな?」


 あまりに酷いジネットを見かねて、エステラが口を挟む。

 まぁ、助言くらいはいいだろう。


 俺が促すと、エステラは盆の上から雑穀米のおにぎりを一つ取り、それを半分に割ってみせた。おにぎりは大きな塊と小さな塊に分かれる。


「これでも半分こと言えるよね?」

「あっ!?」


 ジネットは目から鱗が落ちたように、雑穀米のおにぎりを見つめる。


「そういうことでしたかぁ……危うく、わたしは『損』をするところだったんですね」

「このままだったらね」


 最初の条件提示でそこまで看破したエステラと、言われるまで全く気付かなかったジネット。

 この二人の差は果てしなく大きい。


「と、いうわけでヤシロさん。その案はのめません」


 テストだと思い、ジネットはきっぱりとした口調で俺に言う。

 相手が傷付かないと確信していれば、こいつははっきりと意見が言えるのだ。ずっとそうしていればいいのに。


「じゃあ、俺が半分に分けて、お前が選んだ方を手渡す。これならどうだ?」


 次の案を聞き、ジネットはすぐさまエステラを見る。……自分で考えろよ。

 エステラは、一度視線を雑穀米へと落とし、眉間に深いシワを刻み込む。


 二つに分け、大小の差が出てしまった場合……どちらを取るかをジネットが選べば…………ジネットの方が多く食べられる。


 そんな答えにたどり着いたのだろう。

 むしろ、そこにしかたどり着かないといった感じだ。

 だが、どうもそれがしっくりこないようで……エステラの眉間のシワは、ますます深くなっていく。


「さぁ、どうする?」

「え、えっと……!?」


 俺とエステラを交互に見つめ、ジネットが慌て始める。


「残り、十秒……」

「えっ! えっ!?」

「九……八……七……」

「あ、あぅう、あのっ……」

「六……五……四……三……」

「あのっ! い、いいです! それでいいです!」

「二…………そうか。では、結果を見てみようか」


 カウントダウンで心臓を痛めたのか、ジネットが胸を押さえる。……う~わ、メッチャ沈むじゃん……


「もしかして、君……」


 俺がおっぱいにめり込むジネットの右手に注目……いや、右手をのみ込むおっぱいに注目していると、エステラがジッと俺を見つめて話しかけてきた。

 トリックを暴いてやろう。そんな目つきで。


「綺麗に二等分して、どちらが多く食べたか分からないようにしようとしてないかい?」

「白黒つかないのは気持ち悪いだろうが」

「じゃあ…………あっ! そうか!」


 エステラが何かに思い至ったようで、悔しそうに顔を歪める。


「ジネットちゃんに与えられた勝利条件は『ヤシロより多く食べること』……まったく同じ量なら、多く食べたことにはならない!」

「あっ!? 本当ですね!」


 エステラの言葉に、ジネットも表情を歪める。

 なるほど、面白い発想だな。それもありか。

 でも、違う。


 俺は、もっと分かりやすく、ジネットの騙されやすさを見せつけてやるつもりだ。


「じゃあ、半分にするぞ」


 俺は軽く言って、今川焼きを二つに割った。

 ……その結果。


「え?」

「あれ?」


 エステラとジネットが揃って声を上げる。


 俺が分けた今川焼きは、明らかに大小の差があった。半口分ほど右の方が大きい。


「はっはっはっ! しくじったね、ヤシロ」

「これなら、さすがにわたしでもヤシロさんに勝てますね」


 大笑いをするエステラとジネット。

 勝ちを確信して、ジネットは右側の大きい方を指さす。


「では、こちらをください」


 その言葉を聞いた直後、俺は大きい方の今川焼きに思いっきり噛りつく。


「えっ!?」


 そして一口食うと、小さくなった右側の、指定された方をジネットへと手渡す。


「……食べ…………ちゃい、ましたね」


 そして、手元に残った方を一口で平らげる。

 うん。甘い!

 美味いじゃねぇか、今川焼き。


「あぁ~……わたし、今川焼き大好きでしたのにぃ……」


 無残。

 ジネットの手元に残ったのはかじりさしの、小さな今川焼きの「欠片」だけだった。


 俺はジネットに、『どちらを渡すか』を選んでもらっただけなのだ。

 それに手を加えないとは一言も言っていない。


「な? 騙されやすいだろう」

「…………うぅ…………はい」


 ジネットは、手元に残った小さな欠片を涙目で見つめている。

 本当に好きなのだろう。

 とても悲しそうだ。

 でも、これぐらいのダメージを受けないと、こいつは身に沁みて感じられないだろう。

 いい薬だ。


「ジネットちゃん。今度またプレゼントするから。ね? 泣かないで」

「…………いえ。わたしが招いた結果ですので……」


 ジネットは自分の愚かさを反省したようだ。

 よしよし。それでいい。


「というか、ヤシロ! これじゃあ、どうやったってジネットちゃんに勝ちはなかったじゃないか!」


 ジネットが半泣きになったことで、エステラはご立腹のようだ。

 見当違いな怒りを俺に向けてくる。


「勝つ方法はあったさ。もっとも単純な、正攻法がな」

「どうすればよかったって言うのさ!?」


 理解の及ばないエステラとジネットに、俺はとても単純な解決策を教えてやる。


「『このテストはお断りします』と言えば、一個丸まる食えただろうよ」

「「あ……」」


 そう。

 元々、この今川焼きはジネットのものなのだ。

 テストに使わせさえしなければ、当然俺よりもたくさん食べることが出来た。


「相手が定めたフィールドの中にしか世界がないなんて錯覚していると、その世界ごとひっくり返されちまうんだよ」


 俺のありがたい講義を聞いて、エステラとジネットは黙りこくってしまった。

 あとに残ったのは、俺の口の中に広がる堪らん後味だけ。


 今度、出来たてを食べに行こう。

 そう思わせるほどの、甘美な甘さだけだった。






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